はてなキーワード: 日本航空とは
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ポリティカル・コレクトネス
これ見てて思った
性別を限定する職業を男女共通で使えるようにするのもポリコレだが↓のように
職業 伝統的な表現 ポリティカル・コレクトな表現
議長 chairman chairperson または chair
実業家 businessman businessperson
写真家 cameraman Photographer[要検証 – ノート]
英語で見ると男性限定の表現だったものが女性も使えるようになった例が多い
それに対して日本は女性限定の名称が男性も使えるように変更されたものが多い。
カメラマンやビジネスマンキーマンのような海外では既に改定された用語はそのままなのは、日本人はマン=男という意識が薄いからだろうか?
看護士 看護師 2002年、保健師助産師看護師法改正。男性も職業に就いているため。
障碍者 「害」の字が使われていることに不満がある人の感じる悪い印象を回避するため。2001年(平成13年)に東京都多摩市が最初に採用。
助産婦 助産師 2002年、保健師助産師看護師法改正。ただし現行では資格付与対象は女性限定である(同法3条)。
保父 保育士 1999年、児童福祉法改正。男性も職業に就いているため。
キャビンアテンダント (CA) 1996年に日本航空が従来の呼称を廃止。他社も追随した。世界の航空会社では、男性も従事している。
トルコ風呂 ソープランド トルコ人留学生、ヌスレット・サンジャクリの抗議により、1984年に改称。
女優 俳優 男優という言葉があるのにもかかわらず、男性のみに俳優という肩書が使われることが多いため。
メクラフランジ 閉止フランジ JISなども改正済み 英語ではblank flange・blind flangeなどと云い、JISでも記号はBLと残る
断交しても経済的に問題はないという筋書きが多いのだが、1972年の出来事をもう忘れたのかという気がする。
半官半民の日本航空が、国交を断絶した「地域」へ航空機を飛ばすのはまずいということでつくられた子会社だ。
日本の大手電機メーカーが、その断交した(はずの)「国」の資本に吸収されたのはいつのことだったか。
国交を断絶することがイコール絶縁することにはならないのだ。
もし、そう思い込んでいるならアメリカ映画の見過ぎだ。
かつて、日本空港の免税店にこっそり貼られていたポスターに気がついた人も多いだろう。
「キューバ製の葉巻をアメリカに持ち込もうとすると、税関で没収されます」
日本が国交のない国へ経済制裁を加えることができるのは、貿易が行われているからである。
最早インフラと言ってもいいくらい老若男女に利用されているYouTubeだけど、最近は動画を検索すると「グロサムネイル」「サムネイル詐欺の偽物動画」「ヘイト動画」が大量にヒットしてウンザリしている。「グロサムネイル」なんて動画再生終了後に無差別で表示されたりするからタチが悪い。例えば「日本航空」の動画を色々見ていると唐突に御巣鷹山事故の遺体のサムネイルが表示されたりする。本当にありえないし、そういう動画をアップして金を稼ごうとしてる奴は心底人間の屑だと思う。
なぜYouTubeは動画を再生するまで通報が出来ない仕組みなんだろう。ヘイト動画なんてサムネイルの段階から差別丸出しなんだから、リスト表示された段階から通報できるようにして欲しい。あと、リスト表示の段階では評価数が見られないってのもサムネイル詐欺のスパム動画が増える温床になっていると思う。YouTubeはエロ方面以外規制がなさすぎるんじゃないか。どうにかして欲しい。
1960年代、郵便物が届くのが楽しみだった。おばあちゃんからの手紙、孫からのハガキ、恋人からのラブレター。
切手を集めたりする人もいた。
2000年代、郵便の大半は広告とか請求書とか引き落としのお知らせとかだ。
番組制作費の高騰の背景は、番組制作に直接寄与しない間接的な費用が増えることに一因がある。
独占的で特権的な経営にもその原因がある。倒産する前の日本航空なんかと同じだ。
1990年代から2000年頃、WEB1.0のネットはすごく面白かった。
2015年の今、一部を除いてネットは昔よりつまらなくなった。
機械的に検索上位のキーワードを並べたり、検索上位のサイトのテキストを抜き出して並べて
広告や得体のしれないコードを埋め込んだようなそんなWEBサイトが増えた。
広告効果測定とかSNSとかそんな直接内容と関係ないjavascriptを複数埋め込んだサイトが増えた。
WEB1.0の時代には来訪者カウンターが読み込めないから本文が読めない、というようなナンセンスはなかった。
2015年の今でも、ラジオは内容に目新しいものはないが視聴体験は比較的快適だ。
オリンピックのロゴの件でやたらと「黒は不吉な色で日本らしくない!」って意見を見たんだけど
本当かなと違和感を覚えた。
海外の人から見たら「黒」ってすごく日本ぽい色と思われているんじゃないだろうか。
日本人の髪の色は黒だし、習字の黒のイメージもあると思うし、浮世絵でも黒が印象的に使われている。
パリコレで衝撃を与えたコムデギャルソンやヨウジヤマモトのコレクションも黒一色だったし、おにぎりの海苔も黒い。
様々なデザインの中で、自分が「すごく日本らしいデザインだな」と思うのは日本航空のデザインで、
特に1980年代の塗装なんか、ザ・日本って感じがするんだけど、この塗装も「赤」「白」「黒」の3色でできている。
黒って、シンプルだけどミステリアスで、表情もあって、すごく日本ぽい色だと思うんだけど。
「黒は日本では不吉な色だからやめろ」という意見を振りかざすのは少し横暴なんじゃないかなと思う。
(桜の招致ロゴは評判がいいけど、あのやたらカラフルな感じが日本らしくないと思うのは私だけなのだろうか)
調べてみると、そもそも日本の喪服は昔は白かったのを、明治以降に欧米に倣って黒に変えたという話らしい。
別に今のロゴがすごくいいとは思わないけど、「日本の伝統=黒は不吉」を盾に批判をしてる人たちは、
やっぱりちょっとズレているんじゃないだろうか。
今朝のニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150402-00000005-asahi-soci
簡単に言うと、学校内で自分達で試験やってもいいよってなってたのが、
あまりにもずさんだったのでやっぱ国でしっかり試験やるわってなった。
日本航空元機長で、養成コース長の宮崎邦夫教授は取材に、「就職対策に力を入れすぎ、組織運営や安全管理がおろそかだった。反省している」と話した。
パイロットが不足していると言われているが、実はパイロットの資格をとっても就職難なので就職できない。
現実問題として、こういうパイロットの訓練をしている大学の就職状況は厳しくて、結局お金を払って就職させてもらっている。
そのへんのことと、日本のパイロット養成がどれだけ危険かを書いたので読んでもらいたい。
http://anond.hatelabo.jp/20140601224735
あとついでに、最近,国土交通省はパイロットの定年を67歳にまで延ばした。
安全よりも人数の確保。
↓
やっつけで直した
↓
事故当日、やっつけで直した箇所が吹っ飛んだ
↓
衝撃で垂直尾翼も吹っ飛んだ
↓
垂直尾翼には油圧4系統すべてが通っていたので、油が全部流出した
↓
「油圧(ハイドロ)全部だめ」
↓
おしりの方向舵・昇降舵、大きい羽のスポイラ(揚力調整)・エルロン(補助翼、バルク(傾き)調整)などすべて操作不能
事故当時、日本航空はそれまでの半官半民の特殊会社体制から完全民営化へと移行する方針を決定していたが、本事故の影響による経営の悪化、安全体制や経営姿勢に対する社会からの批判を受けて、政府主導により抜本的な体制の刷新が行われた[31]。1985年12月、当時カネボウの会長だった伊藤淳二が日航副会長に就任(後に会長へ昇格)し、経営体質の改革や長年の懸案であった同社の労働組合問題の解決に取り組むとともに「絶対安全の確立」を新たな経営方針の一つとして掲げ、機付整備士制度の導入や技術研究所の設置などの施策が行われた[32]。
2006年4月24日、羽田空港整備地区に日本航空安全啓発センターが開設された[33]。同センターには本事故の残存機体の一部(後部圧力隔壁、垂直尾翼前側、後部胴体の一部、座席、フライトデータレコーダ、コックピットボイスレコーダなど)を含め、事故に関する資料が展示されている。社内向けの施設であるが一般にも公開されており、事前に申し込みをすれば見学することができる。なお、センター内は特別の場合を除き撮影禁止となっている。
747SRは日本航空がローンチカスタマーであったが、事故を受けて同型機は全て売却された。なお、スペースシャトル輸送機の改造ベースとしてJA8117を購入したNASAは受け取った機体の整備技術に敬意を表し、JALの整備部に表彰状を贈っている[34]。また、JA8118はボーイングが金属疲労試験機として購入した。
パンアメリカン航空845便離陸衝突事故 - ボーイング747、1971年。進入灯に接触し、4本の油圧配管のうち床下を走る3本を破断。ボーイング747初めての人身事故。内田幹樹は著書の中で、この事故後に適切な設計変更がされていれば123便の油圧喪失は防げたのではと語っている。
アメリカン航空96便貨物ドア破損事故 - DC-10、1972年。飛行中貨物扉が与圧に耐えられず脱落。急減圧により床下の操縦索を損傷。このときの機長は油圧のみで操縦する第3世代の機種に不安を抱いており、油圧喪失時の操縦を研究していた。
大韓航空機撃墜事件(大韓航空007便) - ボーイング747、1983年。INSの故障でソ連を領空侵犯しミサイルを発射される。ミサイルは尾翼に命中し操縦索や油圧系統を損傷し、急減圧が発生して緊急降下を試みたが墜落した。
ユナイテッド航空232便不時着事故 - ダグラスDC-10、1989年。本事故の教訓から油圧系統が全滅した場合の操縦方法を研究していたパイロットが搭乗していたため、着地は不完全であったものの空港への帰還に成功した。
アメリカン航空587便墜落事故 - エアバスA300-600R、2001年。離陸直後に、方向舵の過剰操作により垂直尾翼が脱落して墜落。乗客・乗員全員と地上にいた5人が死亡し、1人が負傷した。
チャイナエアライン611便空中分解事故 - ボーイング747、2002年。1980年に起こしたしりもち事故で修理していた胴体後部の外壁が、金属疲労で破壊され墜落した。
垂直尾翼がふっとんでもコントロールを失わない設計は可能なのか
それは実現されているのか
そうですね操縦システムや誘導に関するもの、整備に関するもの、機体強度に関するものなど色々あると思いますが例えば、機体に関してですが各翼に付いている昇降舵や方向舵の油圧系統は昔、全てつながったような1系統だった為に1ヶ所が破損した場合全ての機能がアウトになりましたが、現在では右と後の組、左と後の組、などの様に2重またはそれ以上にして1ヶ所が破損した場合でも他の系統で補える様にして万が一の時でも危険性を少なくする様な設計がされているようです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11130243796
→どういう配管からどういう配管になったのか図で見てみたい
これだけで生涯収入で数千万の差が生まれうるなら失敗した奴は絶望に打ちひしがれるよなー
大企業は顔採用も当たり前だから職場の雰囲気が美しい。汚い面は見なくていいし、汚い顔のやつも能力が秀でてるのが多いから気にならない。
これが中小となると話は変わって、汚い顔のやつは大して能がないし、顔立ちのいいやつもただチャラいだけで生産性がたいしてあるわけじゃないんだよなー
よしんば大企業に勤めることのデメリットがあったとして、それは「大企業だって日本航空みたいになるんだぞ」ぐらいの脅しでしかないんだよなー
潰れそうになったら公的資金注入で復活!なんてザラ。
まあ、メーカーとかに公的資金注入はないだろうけど、大企業には入れさえすればあとは周囲の環境もいいからほっといても切磋琢磨しあう関係になって大学でぐうたらなやつのモチベーションもいつの間にか変わってる。そういう魔力が大企業にはある。
中小は「こんな泥舟から抜け出したい」というネガティブな欲求に突き動かされる人が多いだろうね。だから、切磋琢磨とは呼びがたい。
まあ、中小でもいいなんて言ってる奴は大して能がないけどうまくイケてるからそう呼べるんであって、割といい大学に入った連中からすれば馬鹿げた戯言にしか聞こえんだろうよ。
NHK だけでなく、他のマスコミも以前から音声関係の事案についてはここへコメントを求めることが多い。
自分も上の指摘を読んで気になって、調べてみると怪しい点がいくつも出てきたのでまとめておく。
ここの元所長である鈴木松美氏についての Wikipedia 記事を見てみると、無料サイト作成サービスを利用した新しい妙なサイトへリンクが貼ってある。どうも有限会社日本音響研究所を辞めた後で、似たような名称の「音響研究所」なるものを独り立ち上げたらしい。
そして Wikipedia「鈴木松美」の変更履歴とノートを見てみると、最近の、実に味わい深い編集合戦の様子が見られる。
まず Master jal と名乗るアカウントが、2013-08-21に「2012年9月日本音響研究所を退社。」と、何のソースもなしに書き込む。この後、IP 118.6.184.30 の人と Master jal がお互いの記述を削除したり書き換えるという編集合戦が始まる。
Master jal に「元日本音響研究所所長」「日本音響研究所を退社」という記述を書き込まれるたびに、前者を「現在音響研究所所長」と書き換えて、かつ後者の記述を削除する行為を続けていた IP 118.6.184.30 の人は、なんと自らが鈴木松美氏本人だとここで明言しているのだが、その本人がアダム・スミス大学の記事にあった「ディプロマミル」へのリンクと、「ミシガン州による、公式ディプロマ・ミルリスト」へのリンクを削除しているのが分かる。履歴を見れば丸分かりなのだが、アダム・スミス大学がディプロマミル(学位を金で買える実体のない大学)だと知られたくないのだろうか。
この2者に加え、もう1つ MasterOnken と名乗るアカウントも編集合戦に加わっているが、このアカウントは前述した鈴木松美氏の新サイトのアドレスを何のソースもなく連絡先として唐突に書き込んでおり、加えて編集内容から察するに IP 118.6.184.30 と同一人物(=鈴木松美氏本人)ではないかと思われる。他にも同様の指摘をしている方がいた。
Master jal の正体は分からなかったが、この Wikipedia 編集合戦は2013年の9月から10月にかけて繰り広げられ、一時は記事が保護対象になっていたようだ。
さらに Web を検索してみると、2000 年代の2ちゃんねる無線板で「ファントム」という荒らしがたびたび鈴木松美氏を一方的に糾弾していたことが分かった。松美氏のアマチュア無線の行為(真偽不明)の非難と、肩書にあるアダム・スミス大学はディプロマミルだという指摘をしていたが、いかんせんこの人物は糾弾コピペをマルチポストしまくって荒らし報告されていたようなので、信頼性はマイナスである。なお、Wikipedia の編集合戦はこの当時からあったようで、経歴に書き込まれるディプロマミルについての記述を頻繁に削除していた IP アカウントが見られる(例えばこれとか)。
ちなみに音声分析・声紋鑑定の分野では、元科警研副所長の鈴木隆雄という方がいるらしい。同じ鈴木姓なので鈴木松美氏と混同されがちだが、まったくの別人である。鈴木隆雄氏の Wikipedia や Webサイトを見る限り、こちらは実にそれなりの経歴をもち、まともなメンバーと一緒に活動しているようだ。隆雄氏の鑑定実績と、松美氏が過去に分析したという事件・事故のリストを見ると色々と被っているが、公的に鑑定をしていたのは隆雄氏らしい。松美氏の Wikipedia 記事の履歴を見ると、鈴木隆雄氏の名前が記述されたことも何度かあるようだが、なぜかその後すべて削除されていた。
なお、これとはまた別の鈴木姓の音声科学専門家で鈴木誠史という方もおり、こちらは元郵政省通信総合研究所(現・情報通信研究機構 )所長を務めた人物なので、混同に注意。
昔の詳しいことは不明だが、以下のような映像が残っているということは、松美氏にも事件・事故時の音声分析はそれなりにできていたの……かな。
――と思ったのだが、アキノ暗殺事件については Wikipedia のこの版やこの版を見ると、結局正式な証拠としては採用されなかったのだろうか? という疑問が浮かぶ。誰か詳しい人、教えて下さい。
不思議なのが、現在の日本音響研究所サイトを見ると、退任したとはいえ松美氏の名前がどこにもないこと。サイトで紹介している著書などは松美氏の著作なのだが、そこには著者である松美氏の名が出ていない。何かあったのだろうか。2013年にこういう怪情報が出ているが、真偽は不明。
ちなみに松美氏の息子で現所長の鈴木創氏の経歴は、旧サイトのスタッフ紹介ページで見ることができる。こちらには現サイトには書かれていないアダム・スミス大学の名前がばっちりと載っている。
Adam Smith University 理学研究科 修士課程
スタッフの吉田靖氏も、同じく旧サイトの紹介ページにある経歴にアダム・スミス大学の名前が。すでに修士号を持っているのならそれで十分な気もするが。
おいおい、NTTって1985年設立で、まだ創業30年すら経ってないけど。
郵政、東京電力、日本道路公団、日本航空、Jフォン、ロシアのガスプロム、アメリカのエンロン。
これらの企業もう忘れたの? 合併や事業変更しただけで潰れてないから大丈夫?
>松下電器産業と三洋電機が合併することによってパナソニックという企業が誕生したが、三洋はいろいろあって「潰れた」と言えるじゃん。 同じことで、合併つまり合体ではない場合も
>「メガバンク」という概念が吹っ飛ぶ可能性も、今メガバンクと呼ばれてる企業のどれか一つが吹っ飛ぶ可能性も多分にあるよ。
スレ主?がこう書いてるから、合併再統合が起きた場合の企業は「潰れた会社」カテゴリに入るってことになるんじゃない?
とすればNTTって先行き短い可能性もかなり高いぜ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ダッカ日航機ハイジャック事件
日本政府は10月1日に福田赳夫内閣総理大臣(当時)が「一人の生命は地球より重い」と述べて、身代金600万ドルの支払い及び、超法規的措置として獄中メンバーなどの引き渡しを決断。釈放要求された9人の内、植垣は「日本に残って連合赤軍問題を考えなければならない」、知念は「一切の沖縄解放の闘いは沖縄を拠点に沖縄人自身が闘うべきものであり、日本赤軍とは政治的、思想的な一致点がない」、大村は「政治革命を目指す赤軍とはイデオロギーが異なる」と3人が釈放および日本赤軍への参加を拒否した。
日本政府は議論の過程で釈放要求リストに載っていた獄中者組合2人については「思想犯ではなく刑事犯」である理由から2人の釈放拒否の方針を持ってハイジャック犯と交渉した。しかし、ハイジャック犯は拒否し、日本政府が折れ2人も釈放対象となった。
日本政府は同日朝に、運輸政務次官の石井一を派遣団長とし、日本航空の朝田静夫社長ら同社の役員や運輸省幹部を中心としたハイジャック対策の政府特使と、身代金と釈放に応じたメンバーなど6人を日本航空特別機(ダグラスDC-8-62型 JA8031)でダッカへ輸送した[2]。
日本政府が過激派による獄中メンバーの釈放要求に応じたのは1975年のクアラルンプール事件以来2回目となった。なお、検事総長の神谷尚男と法務大臣の福田一は、この様な「超法規的措置」の施行に対して強硬に反発した。福田一は施行が決定された後に「引責辞任」した。
色々考えさせられる。
せめてエルトゥールル号の件と100年後の恩返しの件を日本人ももっと知ろうぜ
俺も知らんかったから偉そうなことは言えん。
http://shuchi.php.co.jp/article/1325
そして両国の友情を考える際、日本人が決して忘れてはならない事件が、昭和60年 (1985)に起きています。イラン・イラク戦争下のテヘランからの日本人救出です。 イラン・イラク戦争は昭和55年(1980)に始まりましたが、昭和60年3月、イラクによる イランの都市空爆を契機に両国の都市攻撃が激化。イランの首都テヘランにもイラク空軍機が 襲来するなど、情勢は一気に緊迫化します。さらにイラクのフセイン大統領は、3月17日に 「48時間以降、イラン上空の航空機を、民間機であろうと無差別攻撃する」と宣言しました。 各国は大慌てで、自国民救出のための救援機を送ります。しかし日本の救援機は来ません。 自衛隊の海外派遣不可の原則のために自衛隊機を送ることができず、日本航空は労組の反対も あって「航行安全の保証がない限り臨時便は出せない」という方針を打ち出したのです。現地 の日本人は八方手を尽くしますが、他国の航空会社はどこも自国民優先で、乗れる飛行機はほ とんどありません。 いよいよ刻限が迫り、現地邦人の誰もが絶望の淵に沈んだ時、手を差し伸べてくれたのがト ルコでした。トルコ航空機が危険をおして215名の日本人を救出してくれたのです。しかも、 当時、テヘランには600名を超えるトルコ人がいたにもかかわらず、日本人を優先して助けて くれました。 「なぜ、トルコが?」。日本人は皆、不思議に思いました。直接のきっかけは、1つは駐イ ラン・トルコ大使のイスメット・ビルセル氏が、駐イラン日本大使の野村豊氏の懇願を受け、 本国に救援機派遣を要請してくれたこと。もう1つは当時、イスタンブールに駐在していた伊 藤忠商事の森永堯氏が、知己であったトルコのオザル首相に直接、救援を依頼したことでした。 しかし、それらがあったとはいえ、自国民より日本人を優先して救出するほどの決断を、な ぜトルコは下してくれたのでしょうか。その背景には、この救出劇から95年も前に起きた、あ る事件で結ばれた強い絆がありました。トルコの人々は、それを忘れずに日本人を助けに来て くれたのです。その事件こそ、エルトゥールル号遭難事件です。 明治23年(1890)9月16日夜半、台風の荒れ狂う和歌山県串本沖で、オスマン帝国(オス マン・トルコ)の軍艦エルトゥールル号が遭難。600名余の乗組員のうち、司令官オスマン・ パシャはじめ500名以上が死亡または行方不明という大惨事になります。 彼らは、明治20年(1886)に日本の小松宮彰仁親王がトルコのイスタンブールを訪問した ことへの答礼使節でした。東京で明治天皇に拝謁し、オスマン帝国の最高勲章を奉呈した帰路 に悲劇に見舞われたのです。 これに対し、事故現場の串本・紀伊大島の人々は、遭難者の救助に全力であたり、危険を冒 しながら69名を救出しました。当初トルコ人を収容した樫野地区は60戸はどの小さな集落で、 しかも裕福な暮らしではありませんでしたから、トルコ人の介抱は決して容易なことではあり ませんでした。しかし、なけなしの食料や衣類を惜しげもなく提供し、普段は正月にしか食べ ない白米を炊き出して食べさせ、さらに時を知らせる鶏もつぶして振る舞ったのです。 明治天皇も知らせを受けるや、政府を挙げての救援を命じ、トルコ人の生存者たちは手厚い 看護を受けた後、日本海軍の軍艦で翌年1月2日にイスタンブールに帰還しました。また、こ の事件が報道されると、日本全国でトルコへの義捐金を募る動きが澎湃として沸き起こり、現 在の貨幣価値で1億円ともいわれる金額がトルコへ届けられたのです。 この日本人の真撃な気持ちはトルコに伝わり、トルコで親日感情が大きく高まりました。こ れが後の、イラン・イラク戦争への対応などの一連の動きにつながっていくことになったので す。