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はてなキーワード: 平均余命とは

2021-09-27

anond:20210927161919

江戸時代平均寿命40歳かいうのは数字トリック

今の途上国でもそうだけど昔は乳児死亡率が高かったからそれで平均が実態より押し下げられている。

平均寿命というのは0歳時点での平均余命のことで、平均的に40歳でみんな死んでいたわけではない。

2021-02-13

anond:20210213133108

でも自称だったり医者学者事実を調べての発言だったら許されるよね

なんで自称がよくて不勉強な他称がだめか?

それは「勉強たかどうか、発言責任があるかどうか」で判定されるんだよ

デブは早く死ぬ」、という言い方は許されないが、医者勉強した人が「メタボリックシンドロームになっている人は成人病リスクが高く平均余命も短い傾向にある」、と発言するなら事実として許容される

森氏も「女性は競い合うように発言する傾向があるが、内容には傾聴すべきことがないわけでもないから、会議時間ゆっくりとって全員に発言のチャンスを与えるか、事前にアンケートで議題をとりまとめておこう」

というのなら文科省の指示に対して責任をとろうという態度にみえたので全く結果は違っただろう

おまえがやってるのは単なる言葉狩りだがそうやって辞書から言葉を消してもなにもおこらない不毛なだけ

本当に推進するべきなのは個人ネットに踊らされないリテラシー習得敷衍

終わり

2021-01-23

X日後に死ぬ

◎前置き

X日後に死ぬことが分かっているとしたら、僕は残された日々をどう過ごすだろうか。

いくつかの仮定を置いたうえで思いついたことを書き連ねてみる。

・X日後に死ぬことは確実であり、僕はその事実を受け入れている

 この前提がなければ、僕は何とか生き延びる手段を探すだけで、残りの時間を使い切ってしまうかもしれない。

死ぬのは僕だけである仮定しよう。

 何か災害天変地異で多くの人が死ぬわけではないということだ。僕以外の人々や環境は、僕の死以外は何一つ変わらず日々が続く。そのため、他の人を救うために時間を費やす必要もない。

 この2つの前提を置くことで、僕は残りの時間純粋自分が満足するためだけに使うと想定する。

◎1日後に死ぬ

 平日なら、仕事を休まなくてはならない。仮に大事仕事があったとしても、何かと理由をつけて休むだろう。残念ながら、僕にとって今の仕事は、24時間しか残されていない状況で時間を割くには及ばない。事情説明して別れを惜しむほど、会社の面々とは親しくない。みな僕の死を知ったら驚くだろうと思いながら、事務的部長有休申請を行うまでだ。

 明日死ぬと思って毎日を生きよう、そんな格言を聞いたことがある。そう思うことで、本当に望むことに取り組むことができるという意味だそうだ。しかし、本当に1日しか残っていないとしたら?できることはあまりに少ない。選択肢はとてつもなく刹那的になってしまいそうだ。僕には好きな友人や家族はいるが、特別日々を一緒に過ごす類のパートナーはいない。仮に恋人や妻がいれば、最後の1日を普通に過ごして見送ってもらうだけで終わるかもしれない。だが、そんな相手はいない以上、個人的に満足に過ごす方法を考える必要がある。

 僕はきっと24時間を一人で過ごすだろう。もうすぐ死ぬことが分かったうえで、友人を呼びつけて一緒に過ごしてもらう気まずさには耐えられそうにない。両親との関係は悪くないが、この状況では会うには気が引ける。そんなことができる距離感相手なんて、それこそ恋人か妻か子供ぐらいしかいないのではないか。残念ながらそんな相手はいない。誰かに電話くらいはするかもしれない。でも、友人には普段電話などしないので、何か問題ごとでもあるのかと勘繰られてしまいそうだ。何かの用事にかこつけて、母親の声でも聞ければそれで十分だろう。

 最後の1日を刹那的快楽のために使うか、何か意味のあることに使うか、悩むところだ。刹那的快楽を得るならば、とにかく美味しいものを食べるとか、綺麗な景色を見るとか、性欲を満たすとか、そんな過ごし方になるだろう。できるなら最後食事は美味しいものが食べたい、でも一人で食べるなら何でも一緒に感じてしまう気もする。そもそも残り時間を考えれば、栄養にもならない食事時間と労力を割くのはもったいない食事に限らず、もう何も思い残すことがないと思えるほどの快楽なんてあるのだろうか?どんなに刹那的快楽を満たしたとしても、最期の1分1秒には、どこか虚しい気持ちになってしまうのでは?

 そうだとしたら、死ぬ瞬間に満たされた気分になる1日の使い方とはなんだろうか。やはり「善いことをした」「この世界に良い影響を残した」と思うことで、自らの人生肯定できるようになることではないか。残念ながら、僕が仮にこの文章を書いている今この瞬間に死ぬとして、僕は何かこの世界のために役に立ったのかと問われると、自信をもってイエスとは言えない。たいして他人迷惑をかけずに生きているという自負はある。しかし、周囲との干渉が少ない故、特別人助けをしているわけでもない。仕事だって給料に見合う働きを提供するだけの等価交換で、社会に対してプラスを与えている気はしない。そんな認識を塗り替えるようなことが、24時間で成し遂げられるだろうか?

 一つ、すぐに取り組めそうで最も「自分が」やる意義がありそうなことは、近しい友人たちに手紙を書くことだ。僕は29歳で、同年代の友人たちの多くは、若くして死ぬということに実感がないと思う。僕自身もそんな実感はない。そんな友人たちに向けて、身近にいる人間として、心を込めたメッセージを残せば、きっと彼らは限られた生を実感して、より有意義に過ごしてくれるのではないか。そう思いながら昇天するのは悪くない気がする。

 一応、死因は自殺ではないことが皆に分かるように手配しておきたい。僕の世代の死因に占める割合自殺が多いはずなので、事情を知らない人には勘違いされる可能性もある。僕自身はこの際どう思われても構わないが、勘違いのせいで周りの人が嫌な思いをしてしま事態は避けたい。

◎1か月後に死ぬ

 1か月は新しいことを始めるには短いが、1か月はちょっと長い。休まず有意義に使い切ろうとしたら息が詰まりそうだ。それでも、1日でも労働に費やすのは惜しいと思ってしまう。やっぱり仕事は無理やり辞めるしかない。お金必要でないのなら、働かないに越したことはない。そもそも現状で何故僕は、嫌だと感じている労働に多くの時間を割いているのだろうか。

 別にかに命令されるわけでもなく、僕は自分意志一挙一動選択してきたはずだ。その積み重ねで生きてきたはずなのに、何故不本意な結果となっているのだろうか。僕は必要に駆られて働いているのであって、労働から精神的な充実を得られると期待するのが筋違いなのかもしれない。とはいえ身の回りを見渡してみれば、仕事を楽しんでいる人はそれなりにいる。今の職場就職した理由に思いをはせると、僕は仕事の内容や会社の状況について多くの誤解をしていた。さらに言えば、自らが求めているものもよく理解できていなかった。分からないものが多すぎたので、正しい選択ができていなかったのだ。そして、今も自分が求めているものはよくわからない。

 1か月もあるのなら、できるだけ面倒を残さないように、いろいろな手続きを済ませておきたい。仕事を辞めて、部屋を片付けて、もろもろのサービスを解約しておけば、あとに残された人も困らない。ついでに恥ずかしい日記処分しておこう。あと、年に1度ぐらいしか帰省はしていなかったが、顔ぐらいは見せておこうと思う。

 口座に200万円はある。これを一体何に使えばいいだろう?1週間で使い切るとすれば、なかなかの贅沢ができる。どうせならぱーっと使ってしまいたい。僕の貯金社会に影響を与えるには雀の涙すぎるし、このお金寄付するほどの聖人ではない。それに、個人的に残してあげたい相手がいるわけでもない。しいて言えば、会社勤めをしながらイラストレーターの夢を追う弟にはちょっと残してあげてもいいだろう。全部残すと重たいし、あぶく銭は彼のためにもならないかもしれない。残高を気にせずに、旅行したり、いいものを食べたりして、残った分は弟に渡すくらいでちょうどいいかもしれない。

 僕はかねてから死ぬ前に一度バンジージャンプに挑戦してみたいと思っていたが、1か月のうちの半日ほどを費やすに値するほどではなさそうだ。リストに入れるべき項目は、手紙を書くよりは重要でなくて、バンジージャンプよりは重要なことにしよう。残り1か月があるなら、無理を言ってでも友人たちに会って、直接思うことを伝えることができる。

 そういえば、残り24時間しかない場合を考えているときは、お金のことには思い至らなかった。僕にとってお金は最優先事項ではないのかもしれない。ある程度長い期間生きるとして、なくてはならないものであって、それ以上のものではないのだろう。少なくとも、残されたお金の使い道を考えながら死にたくないとは思う。

◎1年後に死ぬ

 1年残っているなら、少しはきれい仕事を辞めてもいいかもしれない。2週間ぐらいは引き継ぎに費やしてもいいし、そのほうが残りの1年間をすっきりした気持ちで過ごせるだろう。残りの期間で仕事関係者に出くわす可能性が上がるので、あまり気まずい思いをせずに済ませたい。これくらいの長さがあると、「将来のために今は多少我慢をする」といった発想が生じてくる。

 きっと、仕事を辞めた理由を誰もに聞かれるに違いない。親しい人たちには正直に話すほうが良さそうだ。残り1週間ならともかく、1年間あれば段階的に別れを受け入れることができる。何度か会ったとしても、そう重苦しい雰囲気にならずに済みそうだ。でも、どうやって伝えたらいいのか分からないし、伝える瞬間の気まずさに耐えられなさそうだ。Twitterにでも書き込もうか。

 貯金を取り崩すだけでも、何とかやりくりして生きていけるだろう。まず、会社に行かなくていいなら、家賃はできる限り節約しよう。決して余裕があるわけではないので、計画を立てて、慎重にお金を使っていくことになるだろう。食事だってそんなに贅沢はできない。それでも、僕にとってはお金よりも時間のほうが大切であって、贅沢をするためにより長く働こうという発想にはならない。

 1年もあるならば、全く新しいことを始めたとしても、何かを成し遂げられる気がする。果たして僕は特別に何か成し遂げたいことがあるのか?と考え始める。そして、今までの日常の延長線上でしか考えられないことに気づく。思うに僕は無趣味なのだ無趣味な故、急に働かなくてよくなったら、何をして過ごしたらいいのかわからなくなる。働きながらだって休みはあったけれども、寝て体力を回復したり、家事をしたり、友達遊んだり、ランニングしたり、漫画アニメをダラダラと見たりしていたらあっという間に時が過ぎた。漫画アニメを見るのは好きだが、あと1年で死ぬとしてずっとそれに時間を費やしたいとはあまり思いつかない。それはリラックスを兼ねた娯楽であり、積極的に取り組んでいるというよりは、消去法的な時間の過ごし方だった。

 もともと、人生を捧げられるような対象が欲しいと思っていた。しかし、そんなものは見つからず、とにかく生活のために労働し、疲労と惰性で考え事をするのもままならず、暇な時間ができたら途方に暮れる有り様だ。そんな対象がなくても、愛すべき人がいて、その人と過ごすだけで楽しく満ち足りた日々になるなら、それまた幸福だ。しかし、1年しか残されていないのが分かっていながら、新しく親密な関係相手を探すのは残酷めいている。残される相手のことを考えると、残り1年で愛すべきことを見つけるなんてハナから期待すべきでない。

 愛する人もいないし、やりたいこともない。そんな自分の現状は不甲斐ないが、ないものはないので仕方ない。とにかく何がしたいのか考えてみよう。かといって急に机に向かって考え始めたからといって、何か思いつくわけではない。12か月もあるのだから、1か月ぐらいは思い切って、考えるために時間を使ったっていいではないか。いったん、何もかも放り出して、どこか海沿いの旅館にでもこもって何をしたらいいか考えることにしよう。それ以上のことは今は思いつかない。

10年後に死ぬ

 10年間生きるならば、すぐに仕事を辞めるわけにはいかない。自分がやりたいこととは別に生活費を稼いでいくということを主軸に据える必要がある。仕事をどうすべきか、という問題に正面から向き合わなくてはならない。この問題については、大きく二つの方向性を考えることができる。一つは、多忙でもハードでも、とにかく給料の高い仕事転職してお金を稼いで、一日でも早く仕事を辞めようとすること。もう一つは、仕事をしている時間無駄と感じずに済むくらい、意義のあるものにすることだ。残念ながら、現状の仕事はどちらにも当てはまらず、ただ金を稼ぐため、辞めて履歴書に傷をつけないために惰性でぶら下がっている状態だ。よって、残り10年間を前提とするならば、すぐにでも転職活動をして、より有意義時間を過ごせるようにしたい。

 例えばかなり無理をして、3-5年間ハード場所で働いて、残りは働かずに暮らせるのなら、悪くはない。この選択肢は、どう転んでも仕事をすることは苦痛なので、とにかく短期間で済ませるという考え方に基づく。貴重な10年間のうち多くの時間を割くに値するような労働はあるのだろうか?そんなものが見つかりさえするのなら、すぐにでも飛びつきたい。そもそも、そんな仕事があれば、残り10年とか関係なくやってみるべきなのではないか

 10年あれば、適当理由をつけて別れることを前提に、恋人を作ってもそこまで罪深くはないだろう。すべてを語るような深い関係にはならないかもしれないが、一人で過ごすよりは日々に彩りが生まれそうだ。それとも、ふとした瞬間に虚しい気持ちになるだろうか?

◎30年後に死ぬ

 10年ではなしえず、30年かけてしかできないものというのはそう多くはないはずだ。仮に僕が職人か何かで、同じことを一筋やり続けるのであれば、その時間の差は歴然となって現れるのだろうか。そんなことを考えると、今すぐ何かの道に入門して、極めてみたいものだという気持ちが湧くが、僕は飽きやす人間であることをすぐに思い出す。僕はタイムマシンがあればすぐに30年後に行って、知識経験の蓄積による果実を得たいと思う怠惰人間だ。その蓄積の過程自体を楽しみ、こなしていくことができるなら、とっくに僕は何かを身に着けているはずなのだ

 残念ながら職人道を極めることはできなさそうだが、それでも少なくとも2つほどは新たな可能性が思いつく。まず、結婚して子どもを育てることが選択肢に入る、30年あれば、子どもが成人するまで面倒をみることができる。そして、家を買うかどうかも真剣検討する必要がある。

 僕は子どもが欲しいのだろうか?正直、残りの人生の期間について考えなければ、そんなことをまじめに自分に問う機会もなかった気がする。具体的に結婚するような相手ができて初めて、欲しいかどうかを考えればよいと思ったのだ。しかし、成人するまでは面倒を見ておきたいという条件を付ければ、残された時間結構短い。相手ができたとして、すぐに子どもができるかどうかだってからないのだから、30年のうちの最初の5年くらいで、一連の仕込みを済ませておく必要があるだろう。そのような前提を置くと、恋愛結婚は残り時間から逆算したうえで、極めて計画的で無駄のないプロセスで行う必要がある。そう考えると窮屈に思えてきたが、女性であれば出産できる年齢が限られている故、同じような考えを持つのだろうか。一通り考えを巡らせたところで、そもそも子どもが欲しいかどうかすら分からないことに気づく。別に、残りの30年を考えたうえでそれが最優先事項というわけでは無ければ、窮屈な思いをしてまで計画的に「仕込み」を行っていく理由もない。

 30年もあると考えると、途端に今すぐには現状を変えなくても良いかという思いが芽生えてくる。僕は現状の生活に満足しているわけではない。それなのに、変えなくてよいと思うのはなぜだろうか?変化にはきっかけとエネルギー必要なのかもしれない。そこそこのストレス孤独があるにせよ、安定しており、ある種の均衡状態となっている僕の生活を変えるには、何らかの外的なショックが必要なのだろう。

◎53年後に死ぬ

 今29歳の僕は、52年後に日本人平均余命といわれる81歳になる。すなわち、52年後くらいに死ぬという前提は蓋然性が高く、それをもとに人生計画を立てることはひとつ筋が通っている。しかし、正直なところ、年老い自分がどう過ごすかなんて、今から計画を立てるのは馬鹿げている。そこに至るまでの不確定要素が多すぎる。

 とはいえ、一つ考えるに値することは、日本にずっと住み続ける前提で人生を考えるか?ということだ。何せ、この時期までに日本人口は2-3割くらい減る推計になっている。今だって社会保険料と所得税消費税が大きな負担になっているが、今後ますますその負担が増えることは間違いない。5-10年先の未来だけ気にすればよいのなら、別に自分にとっての影響は大きくない。でも、より長い期間を考えると、例えばまともに医療が受けられなくなったり、預金没収されたりするリスクだってあるかもしれない。少なくとも、今現在高齢者が受け取っているのと同等の価値年金をもらうことは全く期待できない。

 僕は家族や友人たちがたくさん住んでいて、最高のアニメ漫画を生み出す日本が大好きなので、できることな日本に住み続けたい。しかし、生活があまりに苦しくなるようなら、泣く泣く国を離れるというのは、世界中のどこにでもある話だ。かといって今すぐに海外移住することが賢明というわけではない。とにかく英語くらいはできるようになっておき、いざとなればよその国でも食べていけるような能力は身に着けておく、それくらいの「投資」は残り53年くらい生きるなら、多少今を犠牲にしてでもやっておいたら老後の安心に繋がるかと思う。

あとがき

 現在僕は、感染症が広がり外に出られない状況で、友人と会う機会も減り、社会とのつながりが徐々に切れていく感覚を味わっている。もともと、仕事に追われて、生活のために生きているような感覚を覚えていたが、そこから抜け出すことを難しく感じていた。一日中家で仕事をして、終わっても何もしたいと思えることがない。あまり空虚自分生活一種絶望を感じている。

 そんな中いつものようにTwitter目的もなく眺めて時間をつぶしていると、「友人は少なくていい、3か月後に死ぬとしたら一緒に過ごしたいと思えるような相手さえいれば十分」というような記事にたどり着いた。そこから着想を得てふと自分生活を振り返ってみると、3か月後に自分死ぬのならやらないであろうことであふれていた。短い間に自分死ぬことを考え出すと、僕は気が楽になった。これは僕自身にとってのセラピーになった。ある種のミニマリズム断捨離に近い感覚で、「3か月後に死ぬのであれば不要」と思えることを生活から切り捨ててみる。例えば僕はいつか読んでおこうと思っていた大量の本をその基準に従って捨てた。すると、僕の人生は前よりも少し方向性が定まったように感じたのだ。

 とはいえ、それと同時に、自分空虚さを改めて実感するきっかけにもなった。自分寿命の想定をどんどん伸ばしていくほどに、可能性は広がっていくはずなのにやってみたいと思うことが思いつかないのだ。まるで、遠方ほど霧が濃くなっていくような感覚だ。この問題は僕が、「いつかは役に立つだろう」と思われる仕事資格勉強時間を費やしがちだったことと関係があるかもしれない。その時々に自らの欲求に耳を研ぎ澄ませてこないできたら、欲求をとらえることができなくなってしまっていた。

 平均寿命から想定して、老後の安心や家庭を持つ可能性なども考慮した貯金やらライフプランとやらをある程度は考えなくてはならない。それでも、僕のようなタイプ人間は、3か月後に死ぬというぐらい過激な想定をしてでも、素直に最もやりたいと思えるようなことを考えていくべきでは、というのが今のところの結論だ。

 僕の文章は思いつきを並べただけでまとまりのないものになってしまったが、もっと多くの人にこの思考実験をやってもらって、その結果を読んでみたいと思う。ぜひこれを読んだあなたも試しに3か月後に死ぬとしたら何をするか考えて、記事を上げてみてほしい。

2021-01-16

anond:20210116095055

平均余命超えたらその時点で過去分の軽減分全て一括請求されてもいいならアリだねその考え

年金介護保険料は男女別にしてほしい

男性女性では寿命に差があるのだから年金とかの負担額は男女別に決定してもいいのでは?。

結果的夫婦で同額払うはめになるだけ、というのはわかる。

今後、独身高齢者が増えるのだから

所得に応じて負担額が増減するように、

男女、平均余命に応じて負担額が増減してもいいのでは?

男女の所得格差是正の側面、という理由以外でだめな理由ってなんだろう?

2020-10-29

anond:20201029212014

男性自殺者数は年間2万人もいかいから、平均余命を6歳も下げるまでには至っていないけど。

2020-09-15

anond:20200915074602

結婚する前に死んだ乳児やら未成年統計に入ってるからやぞ

成人してるなら平均余命を調べるべき

2020-08-03

自粛により失われる人生

新型コロナ流行前と比べて、自粛間中生き甲斐って何%くらいだろう。

自分リモート勤務でも特に支障なく収入も減っていないけど、好きな旅行ができず仲間に会いに行くこともできないので、70%くらいに感じている。

から寿命が1.4倍の速さで失われていく感覚自粛期間がもし1年間続くなら人生が0.3年減るようなもので、自分平均余命1%に相当する。

もし自粛せずに流行前と同等の生活をして感染する確率1%以下なら、自粛した方が失うものが大きいことになる。

自粛生き甲斐もっと減る人も多いだろう。その場合はより失うものが大きいし、自粛期間が長期化すればさらに大きい。

もちろん他人感染させる迷惑もありうるからそう単純ではないけど、感染拡大のリスクばかりが喧伝されて、自粛で失われる人生無視あるいは過小評価されていないだろうか。

2020-04-22

コロナにおびえず歯科医院に通おう。じゃないと死ぬよ?【追記あり

歯科医院に通う患者さんの数が減っています

もちろんコロナウィルス蔓延を防ぐために不要不急の外出は避けるという考え方は正しいものですし、最終的に来院するかどうかを決めるのは患者さん自身です。

しかしながら一部の報道等によってバランスを欠いた情報提供され、過剰に歯科医院への来院が抑制されることで、結果として患者さんの健康が害され命が奪われるのは本来あってはならないことです。

そこで、「歯科医院に通うことでコロナウィルス感染して死に至るリスク」と「歯科診療を延期することによって寿命が縮むリスク」を定量的比較してみました。


 歯科診療を延期するリスク:死亡率0.56%~9.44%上昇

 コロナによる死亡リスク 最悪ケース:死亡率0.0085%上昇

 コロナによる死亡リスク 現実的なケース:死亡率上昇は無視できる(死亡確率156億分の1)


【前提条件】

歯科診療で最も不急と扱われている検診・メンテナンスを延期した場合

・最も状況が悪い都道府県の一つである東京都感染者率を採用

東京都の平均年齢である44歳付近平均値として採用

ハーバード大学の試算である2年間のコロナウィルス蔓延歯科診療延期を仮定


結論としては、「歯科医院に通うことでコロナウィルス感染して死に至るリスク」よりも「歯科診療を延期することによって寿命が縮むリスク」の方がケタ違いに大きい(したがって延期期間が2年でなく1ヶ月の場合ですら圧倒的に歯科医院に通わないリスクの方が大きい)ということがあらためて確認できました。まあまともな歯科医師・歯科衛生士なら直感にわかっていることですが。

報道センセーショナルな内容で数字をとってなんぼなので、そのために人の命を奪うのはいものことですし、厚労省歯科医師会、大学病院にとっても、「歯科診療が延期されることで人命が失われても誰からも怒られないが、コロナウィルス感染者や死者が出るとすごく批判される」ので、自分の身を守るために診療を延期し患者さんの命を奪っているという現状もいたしかたないことなのかもしれません。

でも少なくとも、最前線で命を救っている歯科医師や歯科衛生士は、患者さんに正しい情報を発信し、いつも通り診療を行うよう努めたいですね。

患者の皆さんもおびえずしっかり歯科医院に通いましょう。


追記

1つ忘れてたので追記です。

歯科診療のうち特に歯周病治療糖尿病等を改善させることがわかっていますが、コロナウィルスの最大のリスク因子は糖尿病であるため、こういった口腔内の改善コロナウィルスリスクを下げる意味でも有効です。

コロナ以外の桁違いに大きい口腔内リスク改善のために歯科医院に通院するのはもちろんですが、コロナリスクを下げるためにも歯科医院に通うのがオススメです。


以下算出根拠

興味のある人以外は読まなくていいです


歯科診療を延期するリスク」の算出根拠

歯科診療で最も不急と扱われている検診・メンテナンスによる効果は長期的な歯の喪失の防止なので、『健康長寿社会寄与する歯科医療・口腔保健のエビデンス 2015』(日本歯科医師会から歯の喪失生命予後の数値を読み解く。

これによると、歯の喪失は死亡率を1.1倍~2.7倍に上昇させる、つまり10~170%の死亡率上昇を引き起こすとの結論に至っている。

平均余命 平成22年』(厚労省)によると、45歳の平均余命東京都の平均年齢である44歳付近採用)は36年間なので、この10~170%の死亡率上昇が36年間続くことになるが、一方でこれを引き起こす要因となる「検診・メンテナンスの断絶は一時的ものであり、今回は2年間と仮定しているので、[2年間÷36年間]の分だけ死亡率上昇が起こるものと考える。

したがって、

 10%✕(2年間÷36年間)=死亡率0.56%上昇

 170%✕(2年間÷36年間)=死亡率9.44%上昇

となる。


コロナによる死亡リスク 最悪ケース」の算出根拠

厚生労働省クラスター対策班の西浦博北海道教授が示された試算によると、「対策を全く取らない場合、約42万人が死亡する恐れがある」とのこと。

このうち歯科医院での診療受診によって感染する者の割合は(現時点では筆者はそのようなケースが見つけられないがそれだとゼロ%になってしまうので無理矢理ながら推定すると)現実的には数百分の1から数万分の1と思われるが、仮に「これ以上高いということはありえない」というライン100分の1と仮定する。

また、この死亡者は一度きりのものなので、一生にわたっての死亡率への寄与に換算する。

『令和元年(2019)人口動態統計の年間推計』によると年間死亡者数は137万6000人。平均余命は同様に36年間を採用

したがって、

 42万人✕(100分の1)÷(137万6000人✕36年)=死亡率0.0085%上昇

となる。


コロナによる死亡リスク 現実的なケース」の算出根拠

まず歯科医院でどのような感染が起こりうるかだが、まともな感染対策をしている医院であれば、治療のものにより患者さん同士の感染、もしくは術者から患者さんへの感染というのはありえない。もちろんゼロ%ではないが、現実的にありえないほど確率が低い。歯科医院では「すべての患者さんが何らかの感染症を持っている」と仮定し、感染が起きえないように強力な感染対策を常時行うのが一般的ポリシーからだ。(もちろん一部には院長・スタッフ無能さ・悪質さゆえに十分な感染対策が行われていない医院もないわけではないが)

したがって、仮に感染が起きるとすればただひとつ、「待合室で患者さん同士が接触感染が起きる」場合

コロナウィルス患者存在する割合は、最も状況が悪い都道府県の一つである東京都でも4/21時点で感染者は3,307-625人=2,682人、東京都人口(推計)は約1395万人なので、5,201人に1人が感染者ということになる。

したがって、「待合室で患者さん同士が接触感染が起き死亡に至る」には、ざっくりの推定


「5000人に1人しかいない感染者が」

5000分の1

体調不良をおしてなぜか歯科医院に来てしか奇跡的に医院でバレずに追い出されることもなく、もしくは無症状者で」

10分の1

「待合室で平均5分もない待ち時間の間に」※待ち時間については当院の場合もっと長い医院だと確率高まる

5分の1

奇跡的に知人などの関係で会話するなど濃厚接触の機会があり」

100分の1

しかもお互いに感染防止の意識が低くマスクもつけない・外しており」

10分の1

「実際に感染が起き」

10分の1

「死亡につながる」

50分の1

「通院を8回程度」(3ヶ月ごとメンテを2年間)

8倍


ので、156億分の1程度と推定される。

2020-04-03

anond:20200403003321

でも、世界全体でみると、高齢者の方が少ないわけでして。

https://www.populationpyramid.net/ja/%E4%B8%96%E7%95%8C/2017/

集団免疫必要とされる全世界人口の半分に対して、とりあえず一番酷いとされるイタリア年代コロナ死亡率を掛けあわせれば、年代別の想定死亡者総数が求められるので、それぞれの年代における平均余命から差し引けば、コロナ人類から奪うであろう総時間は分かるのかと。

こんなの大人世界では当たり前のことで、政治家なり、ワイドショーなりは、それを”経済”という一言に包み込んでいるわけで、あとは自分の頭で計算して、お前が倫理面とかも含めて、自粛内容を決めろってことなのかな。

anond:20200402235818

それは死亡者数であって、失われる総時間ではないかと。

極端は承知で、平均余命を全員80歳として、80歳、70歳、60歳、50歳、40歳、30歳、20歳10歳、0歳の9名がいて、80歳と70歳が死ぬします。(死亡率22%)

また、生き残った人間は、自粛で1年間の余命を失ったとします。

そうすると、失われた時間は、差し引き3年となります

・死んだ人から10年(80歳 → 0年、70歳 → 10年)

・生きた人からは7年(1年×7名)

余命の短い高齢者に死亡が偏っていることもあり、致死率もそう高くないところに落ち着くのであれば、長引く自粛によって、奪われる時間の方が多くならない?って疑問です。

2020-04-02

感染者数より死亡者数、死亡者数より平均余命時間

感染者の数が問題ではない、死亡者数が問題なのだ」っていうけど、なぜ死亡者数を更に分解しないのだろう。誰もが、自粛なり外出禁止令なりで、限りある寿命を削っているわけだし。

・SUM(平均余命コロナで死んじゃった人の年齢)

・SUM(死ななかったけど自粛で削られた時間

今のやり方だと、「世界中で生き残った人間から失われる総時間」の方が、「死んじゃった人から奪い去る総残り時間」より大きくならないのだろうか。いっそのこと、医療崩壊しようが、抵抗をやめて、集団免疫を目指した場合、どっちの方が失われる総時間は大きくなるのだろうか。

2019-11-18

anond:20191118123157

52歳から平均余命がどんだけあると思ってるんだか......

2019-10-14

anond:20191014160753

まあ平均余命的にはそうなるよね。

でもなんつーか高齢再婚相手不愉快な思いを抱えた晩年を過ごさせることに俺の心が痛まないわけではないんだよな。

でも俺が実家を出るほどの痛みではないんだよな。

まあ仲良くやりたいけどね。家庭なんてどこも少しは問題抱えてるもんだろうから仕方ないか

2019-09-30

anond:20190930165353

それ全く同じことをニートにもいえるけど、ニートのほうが平均余命がながいのね

教育必要性はどうかんがえてもニートですわ

2019-06-12

anond:20190612212730

平均余命超えて生きる勢は確実に存在するんだから平気余命で予算組んじゃダメだろ

70歳の平均余命が30年もあるわけないし、頭打ちほとんど増えてもいないだけど、それを言うとまた別の点で都合が悪い。

2019-06-02

anond:20190602201636

おまえ自身ニートから常識ないの?

70歳って老人もいいとこじゃん 江戸時代ならとっくに歩けなくなってる、平均余命超えてる仙人かご老公だぞ

40歳は働き盛り

2019-05-28

anond:20190528185554

警官ほとんどを女性にして欲しい

最近、人が殺されそうな現場に割って入ろうとしたのも女性ばかりだった

救命士も女性を中心にして欲しい

女医の方が患者平均余命が長いか医者女性がいい

2019-03-21

ホントマスコミ統計全然分かってない馬鹿ばっかりだな

世界幸福度調査2019が今年も発表された、日本は昨年より4位順位を下げて58位だった

ちなこれな

で、これを扱った記事だけど

日本の幸福度、過去最低の58位 「寛容さ」足引っ張る
日本健康寿命で2位、1人当たりGDPで24位となったものの、人生選択の自由度(64位)、寛容さ(92位)が足を引っ張ったとみられる。経済協力開発機構OECD加盟国36カ国で見ても、32位と低迷した。

「世界幸福度ランキング」2019年版が発表。日本の順位はどうなった?
各国の国民に「どれくらい幸せと感じているか」を評価してもらった調査に加えて、GDP平均余命、寛大さ、社会的支援自由度、腐敗度といった要素を元に幸福度を計る。


あのな、

おまえらアホかと、馬鹿かと


よーく原文をよめよ、この「幸福度」の出し方は

  1. まず「あなたはどのくらい幸福ですか」を1-10で点数をつける
  2. 次に以前の研究から幸福度関係のある指標がどれくらい効くか重みを計算する(方法は重回帰分析、項目の選択公表なし)

で、出できたのが このページのグラフなわけだ

まり幸福度って言う数値は「計測値を積み上げてできた数値」ではなく元々「幸せと感じているかを計測した数値」なの。

で、日本の傾向ははっきりわかる6項目で幸せかどうかが他の国よりわかり易くて、それ以外の「幸せだと思う気持ちの要素」が寄与していないと、ちなみにこの数値だけ抜くと26位までジャンプアップします。
このページにある「Chapter 2: Online Data」のエクセルデータ参照してね)
まりはっきりと分かる6項目以外の部分で幸せと感じられていないということで研究として深掘りしないと「なんでかようわからん」ということになるわけ。

日本人は冷たいか幸せじゃない、とかお互いにギスギスしてるから幸せじゃないとか言いたいだけだろ?

ブクマカがこの辺ナイーブなのはまあ仕方ないとして、曲がりなりにもプロの売文屋がこんなしょうもない間違いしてんじゃねーよと。

から統計とかごまかされるんだよドたわけがと。

今年も心からそう思うニュースでした。

2019-01-31

anond:20190131070026

けっこう貰えるじゃん、と思ったら「年に」?

えぇ……月じゃなくて年なの……

それの平均余命分くらいを前倒しで貰う代わりに安楽死したい

人の手を借りるとその人が鬱になりそうなので機械淡々と処理してくれたらいい

財テクの1種とか社会貢献とか思いやりの気持ちとか未来への投資みたいな雰囲気のいい感じな呼称を付けて強制的でない程度に定着してほしい

2019-01-24

anond:20190124135451

ダウン症平均余命50年超

痴呆症平均余命10年超(アルツハイマーは5年未満)

ダウン症一般自分資産持ってない

痴呆症一般自分資産介護保険納付歴もある


ダウン症は余命だけで言っても痴呆症の5倍有り、それだけ社会負担インパクトがある

痴呆症はそうなる前に働いたり消費したりして社会に貢献する期間が50年ぐらいあるのに対しダウン症は生まれときから特別支援ケアを終生必要とするしそもそも働けない人も多い

更にいうならダウン症は発生予防法が確立してるが痴呆症はそうではない

2018-12-12

anond:20181212165810

治るかどうかという意味で言えば治らない

ただHIV患者平均余命は健常群に比して1年短い程度でほぼHIVが原因で死ぬことはなくなっている

さらにいえば、感染対策は既に存在しており、罹患前に薬を投与する事で感染率を劇的に下げる事が可能である

2018-11-15

anond:20181115042034

完治以外にも寛解(かんかい)って言ってな、ほぼ治ってるわっていう状態もあるんだわ

医療世界じゃ5年再発しなけりゃ完治もしくは寛解って見方をするわけだから5年再発のない事例なんざ腐るほど出てくる

ここを読みなされ

https://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/stat/summary.html

がん死亡率の上昇を始めるのが30代半ば

急激に伸び始めるのは50〜60代ですぞ

2006年から2008年にがんと診断された人の5年相対生存率は男女計で62.1%(男性59.1%、女性66.0%)

ともあるが、これは当然癌死亡率の高い高齢者も含まれていて、平均余命統計を考えると平均余命とそこまで乖離した状況じゃない

安心しなされ癌は意外と大丈夫

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