はてなキーワード: 天動説とは
「ゴールデンカムイ」見てますか? 面白いですよね! 原作全部読んじゃって「もっと・・・」状態
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そんなあなたに明治維新前後(18世紀~20世紀前半)の北海道を舞台にした伝奇/アクション作品を紹介してみようと思います。
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1)
「地の果ての獄」
”北海道が一般の人にとって地の果ての島だった明治19年。薩摩出身の青年、有馬四郎助は月形の樺戸集治監の看守に着任した。そこは刑期12年以上の凶徒を集めた人間の運命の吹きだまりであった。正義感あふれる四郎助は、個性的な囚人たちが起こす奇怪な事件に厳しく対しようとする。だが、元与力のキリスト教教誨師・原胤昭との出会いがその運命を変え始め...。明治に生きる人々の姿をつぶさに拾い上げた圧巻の人間ドラマ。”
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2)
「旋風(レラ=シウ)伝」
北海道出身の朝松健先生の作品。本作はクトゥルーネタはあんまりない。
”明治二年、箱館・五稜郭は陥落し、戊辰戦争最後の戦いは終わった。南部藩出身の若き遊撃隊士・志波新之介は、古参の兵士たちのはからいで死をまぬかれ、榎本武揚から手渡されたスペンサー・カービン銃を手に北へ向かう。前途に広がるのは、コロポックルが邪悪な罠を仕掛け、犬神が姿をあらわし、淫魔が歌声を響かせる、いまなお伝説が息づく蝦夷の大地。残虐きわまりない北海道開拓使・仙頭左馬之介が率いる討伐隊と死闘を繰り広げながら、新之介は自由の地を目指して歩を進める。”
現代北海道ものでは「魔犬召喚」「凶獣幻野」がお勧めです。北海道こわい!
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3)
”戊辰戦争もあと二日を残し、五稜郭で幕を閉じようとしていた。「降伏はせぬ。」と、陥落前夜、自由を求めて脱出した旧幕府軍の凄腕狙撃兵、蘇武と名木野。逃げのびる二人は、アイヌの土地を蹂躪する新政府の画策を知り義憤に燃えた。だがその背後に迫る、新政府軍残党狩り部隊の足音。酷薄で執拗な追撃戦が開始された…。広大な北海道を血にそめて追われる者と追う者が、男の誇りを賭けて戦う冒険小説。”
佐々木氏は北海道舞台のキング風の現代ホラー「白い殺戮者」で「アイヌ・ライケ・ウパシ」=「人を殺す雪」というアイヌの民話について登場人物に語らせていたりします。
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4)
「蝦夷地別件」
”十八世紀末、蝦夷と呼ばれるアイヌ民族は和人の横暴に喘いでいた。商人による苛烈な搾取、謂れのない蔑みや暴力、女たちへの陵辱…。和人との戦いを決意した国後の脇長人ツキノエは、ロシア人船長に密かに鉄砲三〇〇挺を依頼する。しかし、そこにはポーランド貴族マホウスキの策略があった。祖国を狙うロシアの南下政策を阻止するべく、極東に関心を向けさせるための紛争の創出。一方で、蝦夷地を直轄地にしようと目論む幕府と、権益を死守しようとする松前藩の思惑も入り乱れていた。アイヌ民族最後の蜂起「国後・目梨の乱」を壮大なスケールで描きだす超大作。”
脇長人て何?って思って検索したら 夷酋列像 が はてなキーワードに登録されていました。
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5)
「天動説」
山田正紀作品。山田氏の北海道舞台の作品というと「謀略のチェスゲーム」「人喰いの時代」なんかがすぐ思い浮かぶけど、昭和なんですよ。時代を合わせると「ツングース特命隊」「崑崙遊撃隊」あたりになるんですが…
本作は第一部が江戸編(ザ・”江戸時代”)、第二部が蝦夷編の伝奇小説。ラストはむりくり明治維新期まで到達。あんまりアイヌは出てきません。
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6)
「カムイの剣」
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7)
「王道の狗」
”明治時代中期、北海道開拓に使役させられていた若い囚人二人は脱獄し、それぞれの道を歩み始めた……。壮大なスケールで描く歴史長篇漫画”
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どうでしたか? アフィサイト並みに読んでない作品も挙げてみました。
ちなみに「ゴールデンカムイ」読んでません! ごめんなさい!!
元増田。
利用者は利用してるだけで用意してるのは鉄道会社だし、電車利用者ほとんどが協力してる。この事実はだれがなんと言おうと変わらない。
しかし、「電車利用者ほとんどが協力してる」からといって正しいとは限らないし、そのことで私の意志は曲がらない。
賛成派にたまにいる「痴漢の傍観者は間接的加害者」説を是とするなら、「女性専用車両協力者は間接的加害者」でもある。
同上。
自分の賛同者が現実にはほとんどいないことは理解している。理解したうえで、「賛同者がいない」ことをも問題と思ってますよ。
この返信増田のような、「お前には賛同者がいない=正しくない」論(というように私には読めた)を受け入れてしまえば、
「結果的に成功しなかった」あらゆるマイノリティの言説は正しくないことになるし、逆にこれまでの多数決の勝利者はすべて正しいことになる。
まるで天動説の支持者。2秒考えたらわかるはず。
今まで散々自分の美貌を使って、いい思いをして甘い汁すすってきたくせにとしか思えません。
日頃から異性からも同性からもチヤホヤされて自尊心は満たされて自己肯定感も育って、挑戦するチャンスを与えられて、きっと仕事の中でも自分の中の女を武器に(美人風顔出しライターにありがち)したときも腐る程あるだろうに、被害者面しやがって。
こちとら不細工は、異性に露骨に美人とは違う扱いされたり(わかんねぇだろうなこの辛さ無力感は)、上司からセクハラといっていい暴言はかれたり(強者側からしたら愛あるいじりと呼ぶのだろうけれど)日頃から心にダメージを負ってるんだっつの。生まれたときから千倍不細工よりいい思いして楽して生きてきてるくせに、弱者のふりすんじゃねえ。女性の代弁者のツラしてんじゃねえ。てめえは強者側なんだよ。同情と賞賛を浴びたい強欲さと、自分は弱者ですって声高らかに言えちゃう強かさが、やっぱり美人(美人風)ならではの傲慢さだわ。
女の敵は女って言うけどな、それあたしのことだから。美人(美人風)の敵はあたしだから。だからはあちゅうのことは絶対許さない。炎上しろ、燃えカスになれ、時代に消費されてただの色欲ババアになれ。次世代の子から見てダサい存在になり腐れ。むしろもうなってるのかな?
でもね電通の女の子の過労死のときも思ったんだ。やっぱり世界は美人に動かされるんだねって。あれ、女の子が不細工なら話題にならなかったよね。天動説、地動説ちがう、美動説だよ。美しいものが好き、美しいものを大切にする、美しいもののために何かする、それが世界の法則なんだよね。
不細工に味方はいない。不細工が声あげても揚げ足とられるだけ。不細工のためにみんな一致団結してくれない。だから、ネットメディアに取り上げてもらったり援護者をつけたり同情をひくこともしない。自分の身の程はよく知ってるから。
日々傷ついても傷ついてないふりして、笑ってひとりで立ち上がって前向いて生きてくしかないし大事な人は自分で守っていくしかない。満員電車に小さい子とかお年寄り妊婦さん乗ってたら体を張って守るしかないし、まずは人に優しくする。それが不細工の不細工なりの生き方。美人と同じ世界に共存して、自分の半径1メートルの世界を動かすための唯一の方法。自分を少しでも好きになるための苦肉の策。
朝いつもと同じ時間、
同じ場所ですれ違う人と
夜またすれ違うとなんか
得も言われぬ感じになっちゃうわよね。
別にこんばんはなんて言わないんだけど。
同じ所に留まっていると
本当に世界なんてあるのかしらなんて思うわ。
大地の終わりのような気がしてきて。
またそこから道がどこかに繋がっているのよね。
新鮮みのある刺身の旨味なら
感じたことはあるわ。
海は広いのよね。
うふふ。
釜上げしらすご飯にしてみました。
炊きたてのご飯にのせて食べると最高!
微かな塩気がまた美味しさを増させるわ。
ジャスミンティー水出しよ。
かなかか加減が難しいわ。
いい加減にしなさい!みたいな。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
こんな記事を見た。
http://hirorin.otaden.jp/e439923.html
ブコメでも散々言われいるが、この記事で扱われているアンケートは設問が悪すぎる。
まずもって、
以下の質問に対し、「信じている」「やや信じている」「知らない・わからない」「やや疑っている」「信じない」の5つから、あなたにあてはまるものに〇をつけてください。
という選択肢が悪い。なぜ「信じる」「信じない」なのだ。信じるだけなら根拠はいらない。科学的に正しいことを「信じている」からといって、その人がその事象の根拠を理解しているとは限らないのだ。
単に「信じている」だけなら、天動説を信じている人も、地動説を信じている人も、ID論を信じている人も、進化論を信じている人も、科学的な思考力を持っているとは言い難い。
他にも、個々の設問にも突っ込みどころがある。
2. 太陽は東からのぼり、月は西からのぼる。
これを6割の中学生が信じていた!問題だ!と、言いたいらしい。
しかし、この問題は、前半は正しく、後半は間違っている。流し読みしただけでは「太陽は東からのぼり」で「信じている」と答える者が少なくないことは容易く想像できる。
この問題に関して、「信じている」と答えた者は、
と分類できるだろう。
1番目は単なるケアレスミス、強いて言うなら注意力の欠如が問題なのである(これはテストではありません、なんていうアンケートで注意力云々を言うのはどうかと思うが)。
2番目は国語力の問題だ。それはそれで問題はあるのかもしれないが、科学的思考力とは関係がない。
3番目が山本氏が問題にしている部分であろうが、それは果たして実際には何割だろうか?少なくとも、設問が「月は西からのぼる」だけの問題であったなら、もっと少なかったのではないかと推測できるし、このデータだけでは議論できないことは明白であろう。
6. カーナビなどに使われているGPSは、月面でも使える。
現在、月に有人ミッションはなく、月面にGPSは必要ない。そういう意味では、GPSは使えないだろう。
しかし一方で、月面探査機などは打ち上げられているし、電波は月まで届く。技術的には、月周回軌道に衛星を飛ばしてやれば十分に電波測位は可能であろう。GPSは「Global Positioning System」なので、別の名前になるかもしれないが。
そういえば、「宇宙兄弟」という漫画で、月面ローバーにカーナビシステムを搭載する話があった。現実の話ではないが、不可能なことではない。あれの実現にはGPSが必要である。
で、この設問にはどう回答すればいいのだろう?「現在使えるか」という話なら不可能だし、「使えるようにすることは可能か」という話なら可能である。どう答えても、「間違っている」とは言えない。
23. UFOには宇宙人が乗っている。
まずUFOって何だ。未確認飛行物体だ。その正体が鳥でも飛行機でも、確認できない間はUFOだ。
まあ、いわゆる地球外生命体が空飛ぶ円盤に乗って地球に来ているか、と言われれば、証拠がないので「そのような事実はない」と言うしかない。
一方で、この地球という惑星に人類という生命体が出現した以上、どこか宇宙の遠くに宇宙人が存在する可能性は否定しうるものではないだろう。そして、もしその宇宙人が何らかの飛行する物体に乗っていれば「UFOに乗った宇宙人」の完成だ。
この設問は何を問いたいのだ?「宇宙人はいない」という答えが欲しいのか?宇宙のどこかに宇宙人がいるかも、と語ったら「科学的でない」と言われてしまうのか?
まあ、これは個人のブログのようだが、世の中には往々にして、アンケート結果よりも設問を問題にしたほうがいいケースが存在する。
正しい統計を取るためには、曖昧さの少ない標本が必要だ。中学生の科学的思考力を問題にする前に、統計を取る側の人間が、統計を取るための能力を身につけることが先決ではないだろうか。
今回の一連のちょっとした騒動は、これが小学生の授業であるという背景に対して、過剰な期待があるように思います。
子供が自然の真理を学ぶ時間は、該当の子供においてまだまだ続きがあるのです。
例え教育の途上であっても、嘘を教えるのは教育上よろしくないと。STAP事件や疑似科学などを目の当たりすれば誰でもそう思います。
しかし、子供は知的生物としてはるかに発展途上であり、抽象的問題を理解するには、絶対的な知識も経験も足りていないのです。
だから段階を踏むのです。
I. 数学とは、科学とは、世の中の真理を追求する学問であり、
人間に都合よく結果や値を変えることはできない。
πは3にも3.14にもならない。
II. 仮説は検証とセット。検証できない仮説を設定しては行けない。
仮説に基づいた結果を解にしてはいけない。
実は義務教育はこれと同じことを結果としてしているのです。かつての西洋では同じ夜空を見ても、天動説と地動説がありました。それが様々な観測結果によって矛盾が知られ、徐々に地動説へと落ち着いていきます。
義務教育で振り返ると、あなたが指摘するように、物理で円周率を3.14と仮定することは間違いです。天動説で宇宙を観測するかのように、さまざま矛盾が生じます。そしてその矛盾を解消すべく、算数から数学へとパラダイムシフトが起こるのです。円周率を3.14で計算すると矛盾があるから駄目なのではありません。矛盾だからよいのです。証拠によって知的な態度を転換する準備が養われているとしたら、この義務教育はきわめて効果的です。
ここでいえるのは小学生に円周率を3.14と教えるのは、義務教育内で批判的に検証可能です。だから私は「379.94でいいじゃん」派です。
人類が何百年もの時間をかけて漸く得ることに成功したこの円周率を、「あ。3.140000でいいっすね」とか、たかだか小学校教諭の分際で勝手に変えることはできないのです。
逆に問いたいのは、小学校教諭の分際の「分際」とはどのような意味でしょうか?教育者は教える対象が小学生か中学生かで身分制度があるのでしょうか?それとも、研究者と教育者では身分の違いがあるのでしょうか?どのような研究者も必ず何がしかの教育者を必要とするという意味で、より優位なのは教育者のような気もします。しかし、実際は仕事として課題としている問題が違うと言うだけで、身分に違いはありません。たんに立場が違うだけです。それなのに、「分際」という言葉を使うのは、真に知的な態度なのでしょうか?
仮に憲法学が学問の名に値し、科学的な態度を尊ぶならば、安保法制を違憲と唱える憲法学者は安倍首相に感謝するべきだろう。
実験や観測で得られた「観察された事実」を説明するのが「理論」。
現在、受け入れられている理論(定説・通説)で説明できない事象が観察されたとき、それは学問が発展する大きな機会だ。
惑星の動きを説明するために天動説が唱えられていて長い間人々はそれに疑問を持たなかった。
ガリレオの地動説によればより簡単な理論で惑星の運行は説明できたが、その精度は天動説の周転円による理論と同じだった。
だが、ティコ・ブラーエにより観測された火星の運行を天動説の周転円理論で説明するのは困難を極めた。
そしてケプラーは、惑星の運行は惑星が太陽のまわりの楕円をたどるとする新たな世代の地動説を唱えた。
さらにニュートンは万有引力の法則を導入し、これに数学的根拠を与えた。これが新たな世代の理論となった。
さらに時代を下ると、地球の自転する方向である東西方向と南北方向で光速度が同じになることが発見された。
これは物体の運動速度には加法(足し算)が成り立つとするニュートン力学の前提を揺るがす観察だった。
これを説明する新たな世代の理論はアインシュタインの特殊相対性理論だった。
さて、憲法学者たちが今日、持っている理論で安保法制の合憲性を証明できないとしよう。
しかし、安保法制自体は現実の政治のなかで必要であるし(そのことは民主党すらも類似の法案を対案として出さざるを得なかったことで分かる)、成立の暁に最高裁に100回持ち込まれても100回合憲判決が出るであろう。
今後、現実の政治制度のなかで安保法制は合憲・合法のものとして扱われることになるのだが、それを現在の憲法学の理論は説明できないことになる。
すばらしいことではないか。
君らは今次の安保法制の合憲性を説明する新理論構築という新たな大事業に取り組むことができる。
憲法学は現状を追認するだけのつまらん学問もどきだという烙印を世間から押されることになるかもしれない。
しかしそれは憲法とは何か、憲法がなんのためにあるかを考えるふりをして実は考えてこなかった報いだ。
甘んじて受けてほしい。
地球を軸にその周りを宇宙が回っているという説で、プトレマイオスによって体系化された。中世のあいだは天体の運行を最も高い精度で計算できる理論であった。コペルニクスが地動説を復活させ、1627年にケプラーが地動説をもとにした高精度の天文表を発表したことで、地動説が広く支持されることとなった。ちなみに地動説がカトリック教会により迫害されたというのは真実ではないそうである。
物の状態・現象・性質を説明するための理論である。多くのバリエーションが存在するが、アリストテレスの「温・冷・湿・乾の四つの性質の組み合わせにより火・水・空気・土の四大元素が生まれる」という説が広く支持された。これが否定されたのは1661年、ロバート・ボイルの著書『懐疑的化学者』によってである。彼は近代的な「元素」観を確立し、後のラヴォアジエによる化学革命を準備した。
フロギストン(燃素)という元素が物質から分離することが「燃焼」であるとした説で、四大元素説のような迷信めいたものではない、科学的な理論として広く受け入れられた。1774年、ラヴォアジェは「燃焼とは物質と酸素が結びつくことである」と看破し、フロギストン説は否定された。
「熱」が物質に起因するか運動に起因するかということは長年にわたる議論の的であったが、ラヴォアジェは熱物質説を支持し、熱の原因となる物質を「カロリック(熱素)」と名付けた。1843年、マイヤーによって運動エネルギーと熱エネルギーが相互に変化することが明らかにされ、またエネルギー保存の法則が発見されたことにより、カロリック説は衰退した。
古代ギリシャのヒポクラテスが唱えたもので、人間の四つの体液のバランスが崩れることが病気の原因であるとする説である。四大元素説とも結びついたこの四体液説は、批判に晒されつつも長らく信じられていた。1858年、ウィルヒョウが「細胞病理学」を確立。すなわち病気とは細胞の異常によるものとされ、体液病理説は否定された。
アリストテレスが提唱したもので、「生物の中には親からではなく自然に発生するものがある」とする説である。たとえば虫やネズミなどがそうであるとされた。その後、レーウェンフックによる「微生物」の発見もあり、擁護と批判が繰り返されたが、パスツールが行った1861年の「白鳥の首フラスコ実験」などにより、自然発生説は完全に否定された。
ホイヘンスやニュートンらにより提唱されたもので、エーテルとは光が伝播するための媒質として想定された物質のことである。ニュートン力学とマクスウェルの電磁気学における光速度の矛盾を説明するために利用されたが、最終的に1905年、アインシュタインの特殊相対性理論によってエーテル説は否定された。
Twitter を見てると、太陽系の天体が螺旋運動するこのデマ動画が、いまだにRTされたりして拡散しているのでうんざりしてきた。
「太陽系 公転」「太陽系 運動」「太陽系 移動」「太陽系 回転」などで検索すると、この動画を真に受けて紹介しているブログなどが検索上位にヒットしてきて、さらに誤解を広める一因となっている。
あまつさえニコニコ動画にも転載され、字幕までつけられている。
結論から言うと、これはトンデモ信者が思い込みだけで作った信憑性ゼロの動画である。映像の出来だけはよいからか、昨年の3月頃からかなり広まっており、天文学者フィリップ・プレイト氏がブログでその間違いを指摘した記事を出している。プレイト氏は『イケナイ宇宙学 間違いだらけの天文常識』の著者で、世にはびこる間違った天文・宇宙ネタを斬って解説するブログ Bad Astronomy で知られている人。
この記事の和訳版が以下にあり、大変ありがたいのだが(動画が話題になってすぐのタイミングで和訳まで出たのは本当に感謝している)、残念なことに誤訳が目立つという指摘があり、いまもって修正されていない。
翻訳が不自然な箇所を以下にテキストで逐一指摘してくれている方がいたが、行きつ戻りつ確認しながら読むのが大変なので、勝手ながら指摘箇所を中心に翻訳を修正して以下にまとめ直した。いまだに信じて動画を広めてしまっている人に「それ間違いですよ」と指摘しようにも、記事の誤訳が多かったりするとちょっとなぁ、となるので。
なお、もし元の翻訳記事が適切に修正されれば本記事は消すつもりだが、和訳した方は当時Twitter で指摘されてこの校正テキストを読んだはずなのに、もう1年半ほど放置されているのであまり期待していない。
間違いを打ち消すために、まともな太陽系の公転運動を描いた動画があれば知りたいものである。
なめらかな動きでコンピューターアニメーションが太陽の周りを周る惑星の動きを、天の川銀河を周る太陽軌道のように解説する動画について、ツイートやメールがたくさん来ている。とてもきれいな動画に、説得力のある音楽、ていねいな作りの画像。
しかし、問題がひとつある。間違っているのだ。間違いは表面的なものではなく、間違った前提からきた根本的なものだ。中にはいくつかの有益な視覚情報があるが、私は(銀河サイズの)話題のタネだと思っておくよう警告する。
なぜか? 彼の主張の基礎は、「惑星は太陽中心の軌道を描いているのではなく、銀河の周りを渦巻き状に移動している」というものだ。
私は普段、こうした話題の間違いを暴くような面倒なことはしない。奇抜な主張はいつでもあるし、たいていは自滅していくからだ。しかし、この件についてはたくさんの人が私に知らせてきたし、明らかにかなり人気を博している――たぶん表面上は正しく見えるし、画像も大変きれいだからだろう。また、科学を知りつつもそこから離れて久しい人たちによって広まっているのではないかと見ている。このような話題を扱うときには、いつも少し深く掘り下げる手間がかかる。
そこで、シャベルを取り出してみよう。
動画の作者DJ Sadhuは明らかにコンピュータグラフィックスの才能がある。しかし科学は……まあ。私にはすぐさまこの動画が何を目指しているのかわかった。彼は率直に、太陽系の太陽中心モデルは間違っている、と述べている。しかしながら、この Sadhuの主張ははなはだしく間違っている。重力は存在しないと言っているようなものだ。
地動説とは、太陽が太陽系の中心にあるという考え方で、惑星はその周りを周っている(他にもいくつか大事なことがあり、たとえば惑星の軌道は楕円であるとか、軌道は同一平面上にあるのではなくて互いに傾いているとか)。この考え方は、地球が太陽系の中心だという古い天動説にとってかわった。天動説は、それをちゃんとした物理のモデルだと考えると、あらゆる種類の奇妙な仮定をしてやらないとちゃんと機能しない、とてつもなく複雑で考えすぎの物理モデルになってしまう(タイレノールなどの頭痛薬があるなら、epicyclesの項を見てみよう)。地動説はそれよりもずっと物理的に正しいし、ずっとうまく機能している。
私は、どちらのモデルにもそれぞれの使い道があると言いたいのだ。もし特定の惑星が天のどこにあるのか知りたいなら、天動説の座標を使うことになる。われわれは地球に住んでいて、地球は動かずに天の車輪が頭上を回転して動いているように見える、それは理にかなっている。しかし、もし惑星へ宇宙探査機を送りたいなら、太陽中心のシステムが必要なのだ。地球も惑星も両方とも動いていると考える方が、はるかに計算は簡単になる。
Sadhuは、地動説が間違っていて、実は惑星は渦を描きながら太陽を周る動きをしているのだと主張している。彼が実際に言わんとしているものは、渦ではなくらせんである。この2つは名前が違うだけでなく、物理的な動きもその特徴も全く異なる。らせん軌道を描く粒子は、太陽系のようにお互いには干渉していなくてもよいが、渦を描く粒子は抗力と摩擦を通じて互いに干渉している。
しかし、意味論的な論争はよそう。もう一度動画を見てみよう。Sadhuは太陽が惑星を先導しているかのように、太陽が惑星よりも前方に出て銀河を回っているかのように描いている(2番目のビデオだともっとそれは明白だ)。これは単に誤解を招くだけでなく、完全に間違っている。惑星は、われわれが銀河系の中を巡るとき、ときどき確かに太陽の前に出たり、ときどきその後ろをついてゆく(太陽を周回する軌道上のどこにいるかによる)。実際に夜空の惑星を見たことのある人にとっては明白な真実である。なぜなら夜空の一部は、地球や太陽が銀河系を周るときの進行方向にあたるわけだが、惑星はその部分にだって観測されるのだ。
ここでも、細かいことをあれこれ議論するのはやめよう。後述するように(「こうした考え方はどこからもたらされたのか?」の項)、惑星が銀河系内を動くときに太陽の後ろをついていくという考え方は、Sadhuがらせんについて述べるときの思考基盤となっている。しかしまずは、もうちょっと見てみよう。
太陽が銀河の中を移動していく様子を示している、彼が二番目に公表した動画では、もっとひどい状況だ。
公平のために言うと、今回彼は惑星の動きについて「らせん状」だと正しく記述している。しかし、まだ惑星が太陽の後ろをついていくように描いていて、これは間違っている。また特に動画の冒頭では、太陽中心モデルと、らせん運動についての彼の説明を具体的に比較しており、誤った「太陽主導」の考え方を補強している。
彼の動画における太陽中心モデルの動きを注意深く見てみよう。銀河を周る太陽が動く方向は、惑星の軌道平面と同じに描かれている。しかし、こうではないのだ。太陽系の平面は、車の前方への動きに対してフロントガラスが作る角度のように、銀河系に対して約60度で傾いている。
これは本当に重要な点だ。らせんモデルでは、銀河を周る太陽の動きにあわせて、太陽を垂直に周回するような惑星が描かれている。お好みなら「正面向き」といってもいい。これが間違っている。なぜなら、惑星の軌道は60度で傾いていて、90度ではない。惑星はときに太陽の前に、ときに後ろになる。これだけで、らせん描写が正しくないことがわかる。地動説という現実のモデルにおいても、順行-逆行運動というものは存在し、現実の空できちんと観測できる〔訳注:詳しくはこちら参照〕。
しかしそれだけではない。動画では、太陽が銀河を周ることを見せていて、らせんに沿って上昇、下降している。最初の動画のように、一部正しいところもあるが、大方は事実からかけ離れている。
われわれの銀河は、中心部が膨らんでいる平たい円盤で、端から端まで約10万光年の距離がある。この円盤は無数の星を内包し、その重力が合わさって、銀河中心を周る軌道に太陽を留めている。ちょうど、太陽の重力が惑星を軌道に留めているのと同じだ。
太陽が銀河系を一周する軌道の長さは、およそ2.4億光年ではない。銀河を周回するときには、だいたい動画にあるように、太陽は実際ぴょこぴょこアップダウンを繰り返している(とはいえ大体1周につき4回ぐらいなのに、Sadhuは動画内で数十回もアップダウンするように描いている)。〔訳注:太陽系が銀河系内を周回する軌道の図参照(垂直方向は強調されている)〕
このような運動が起きるのは、銀河円盤での重力の働き方のせいだ。ここが非常にクールなところだ。円盤よりほんのわずか上にあるものは、円盤に向かって全体的に下へと引っ張られる。円盤が巨大な物質の板であると想像してみて、太陽がその円盤よりも上にあるとする。円盤の重力は太陽を下へと引っ張る。星と星の間は遠く離れているので、太陽は円盤の間を通り抜けて下へ降りていく。そうすると今度は、下に来てしまった太陽を円盤がまた引っ張り上げる。このとき、太陽の動きはだんだん遅くなり、そして止まり、向きを逆にしてまた円盤へと急激に突入する。太陽は、銀河円盤の中心から上下にそれぞれ200光年ぐらいの浮き沈みをするが、円盤は1000光年の厚みをもっているので、結局私たちは銀河円盤の中にしっかり留まっている。しかしこうした摂動は永遠に続き、太陽は大海のコルクのように浮き沈みを続ける。
太陽は銀河を周回しているので、合わさった動きはすてきな波のパターンになり、浮きつ沈みつ回転木馬のようにまわり続ける。ゆえに、Sadhuはこの部分に関しては(多かれ少なかれ)正しい。
だいたいはね。しかしここに3つ目の要素が加えられている。ひねったらせんを描く太陽の道筋を、彼は歳差運動の性質だとしている。この部分は間違っている。非常に間違っている。
歳差運動は物体が回転するときにてっぺんをぐらぐらさせる動きで、回転の中心軸からずれた向きの力をてっぺんに加えたときに起きるものだ。コマのてっぺんを突くとぐらつく、それが歳差運動だ。地球自身も太陽と月の重力に引っ張られて歳差運動をしており、その軸の1回の揺れ周期は2万6000年だ。
明らかにSadhuは、動画の中でこれを表現している。しかし、ぐらつきは太陽にまったくなんの影響も与えていない。それはただ、地球が何かしているだけだ。しかし、Sadhuは銀河を周る太陽の動きに付け加えていて、それは意味をなさない。動画では銀河を周るコークスクリュー(コルク栓抜きのような螺旋運動)を描いているが、ときには銀河の中心に寄り、ときには遠くへ離れる動きを何度も何度も繰り返している。回転木馬のたとえでいえば、馬が真ん中で回って、上下に、また左右に動いているようなものだ。しかし、それは太陽の本当の動きではない。左右の運動なんてない(軌道ごと何度も銀河の中心に向かったり離れたりするなんて)。Sadhuの示すコークスクリューパターンは、間違っているのだ。
動画と解説文において、Sadhuはかなり頻繁に、座標系と力と運動を混乱させている。
彼はなぜこんな正しくない運動を描くのだろうか。それを掴むため、彼が元にした文献をあたってみた。
動画と彼のサイトによると、SadhuはPallathadka Keshava Bhatという人から学んだそうだ。Bhatによる「らせんの渦巻き:太陽系の動的プロセス」(“Helical Helix: Solar System a Dynamic Process”〔リンク切れのためこちら参照〕)と題された文章にこの考え方はすべて説明してあり、細かすぎる点は指摘しないが、ちんぷんかんぷんなものだった。まじめな話、どれもまったく意味をなさない。Bhatは地動説は間違っていると主張しているのだが、その主張を補強するために、虚偽のアイディアを次から次へと用いているのだ。彼の主張の間違いを暴くためにページを割くこともできるが、ここは短くまとめてみよう。
私はBhatの主張を何度も読んで、可能な限り好意的に考えようとした。私がかき集めたところでは、彼が言っているのは、太陽の動きによって、太陽を先頭にして惑星が後をついていくという形で、惑星は銀河系内でコルク栓抜き状のらせん運動をする、よって地動説は間違っているというものだ。Sadhuの動画の解説文によると、こうした動きをうまく描いているという。しかし、どれも完全に間違っている。もしそれが正しいのなら、外惑星(太陽から地球よりも遠くにある、火星や木星など)は太陽の反対側に遠く離れて見えないだろう。しかしいつだって、私たちには見えている。
それに、私たちは何度もほかの惑星へ宇宙探査機を送っていて、どれもいまだその軌道上にある。もしBhatがいうように地動説が間違っているのなら、探査機はいつになっても目的の惑星に到達できない。探査機を送るための軌道計算が間違っていることになるからだ。探査機の道筋を計算するときに銀河を周る太陽の動きを考慮する必要なんて全くないから、Bhat氏のいうことは正しくない。
太陽が太陽系の先頭で、惑星はその後ろをついていくという主張も、明らかに間違っている。太陽は、Bhatが主張し(Sadhuが動画で示して)いるように、銀河系を突き進む弾頭のように太陽系を主導したりしていない。惑星は太陽の周囲を周り、全体が一つのユニットとして銀河系を60度の傾きで移動している。これは、銀河の軌道に沿って惑星はときに太陽の前になり、ときに後ろに続くということだ。
これはそう、道を歩くあなたの頭の周りを、端にボールの付いた紐がぐるぐる周っているようなものだ(この円は60度傾いている)。ボールはときに頭の前になり、ときに後ろになる。道を歩くときには常にあなたと一緒だが、歩く速さには関係なく、相対的にはあなたと同じ速さでいつも移動している。あなたが自分の動きを線で表すとすると、ボールは傾いたらせんを描くだろう。これこそBhatとSadhuが説明しようとしたことなのだが、しかし間違った説明になってしまった。
Bhatは、その文章の中でいくつもの間違いと論理的誤ちを犯している。たとえば、Sadhuの地球歳差運動の誤用についてBhatが何と言っているか読み取ろうとした。しかし、とても不明瞭で(それに単純なミスもあり、彼は歳差運動の周期を22万5000年としているが、実際には2万6000年)ゴルディアスの結び目を解いているみたいだった。まだほかにも。彼は、もし地動説が正しいなら、日食は1カ月に1回起きなければならないと考えている(46ページと134ページを参照。ちなみに日蝕が一ヶ月に1回起きないのは、月の軌道が傾いているため)。また、彼は「太陽中心軌道は不可能であると意味しなければならない」と結論付けた部分で、地球が太陽の周りを周る回転について根本的な勘違いをしているようだ(文書の30ページを参照のこと)。実質、私が読んだ文章の1ページごとに基本的・根本的な間違いがあった。
そしてこれが、Sadhuの(間違っているにしてもステキな)動画が基礎としているものなのだ、いいかい? いっておくが、もしSadhuのサイトをのぞいてみたら、あらゆる種類の……んー、おかしな陰謀論……9.11陰謀説から、ケムトレイルから、デイヴィッド・アイク(本気で爬虫類型異星人がデンバー空港の地下に住んでいて世界を支配していると主張している)が怒り狂いそうなのから、名前しかない程度のものまで見つかるだろう。私は、彼のほかの考え方を念頭に置くことにした。
DJ Sadhuの動画は、とてもステキで、そのうちいくつかは真実を元にしたものだ。しかし、私の意見ではBhatのゆがんだ宇宙に対する見方のせいで、その核心が失われてしまっている。
彼の動画は正しいように見える。クールであるように見える。ものごとはこうでなくっちゃ、というセンスに訴えかけるものがある。しかし、物事がどうあるべきかと、実際にどうなのかということはいつも重なり合うわけではない。宇宙は本当にクールな場所で、とてもよく出来た一連の法則に基づいて動いている。私たちはこうした法則を「物理」と呼んでいて、それは数学で記述されている。そしてそういうこと全部を理解しようとする試みが、科学である。
クールなものがすべて科学ではない。しかし科学の全てはクールだ。これは普遍的な法則ではないかもしれない。けれども、私の見てきた限り、これは真実なのだ。