はてなキーワード: 天動説とは
科学なんてのは、
「適当な条件で、適当な試行を繰り返したら、ある一定の結果が得られるっぽい」
程度の事しか示せない。
科学はこの世界の真理を求めているんじゃない。
人間の欲する結果を得るための処方箋を提示するだけだ。
天動説が信じられていた頃にも、惑星の軌道をほぼ正確に求められる方程式は存在してたんだ。
もっと言うと、科学は科学的手法・思考が通用する対象のみを研究するものなんだ。
だから科学が答えられない問いなんていくらでも存在するし(俺は何のために生まれてきたのか?)、
「非科学的だから間違っている」という主張は前提から破綻している。
科学だけが正しいと思っている人は、科学という色メガネを通した世界でしか生きられない。
何でそんな不確かなものを信じているのか?
それは、科学を信じれば世界が上手く回るから。
科学様の仰る、たぶん正しいだろう、という事柄を信用し活用してみたら、
この世界の謎に納得のいく説明がついた。生活を便利にする道具がたくさんできた。
キリスト教的創造論よりも、ダーウィンの進化論を信じた方が、世界を上手く説明できた。
信じてみたら、世界が上手く回った。でもそれが真実かどうかは証明できない。
ようするに、科学って宗教なんだよ。
とりあえず信じてみて、世界が上手く回ったら、それが信仰になるんだよ。
自分の信じる世界観こそが信仰の正体なんだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20140719201818
“人生の選択肢を他人に委ねて、委ねられたほうは従わなければ罰だ地獄だと脅しをかけて支配する”
みたいな世界観が嫌いなら、人生を自力で切り開いていけるような宗教を選べばいい。
信仰は“架空の何か”に期待するような、そんな力のないものじゃない。
あんたの信仰次第であんたの世界が変わる。宗教は慎重に選びなよ。
マクルーハンは、中世を合理化した近代はプリント・カルチャー(印刷文化)に集約された、と言っています。とにかく何でも印刷して分類して読み込まないと理解できない。中世の写本の時代には、その人特有の書き癖もあるし読み上げる声の力、聴き取る力が必要だった。そうした声による情報伝達が印刷文化に置き換わることで近代国家が生まれた。だが、近代になって一度は捨てられた中世的なものが、電子時代になると復活する、というのです。ポスト近代になれば、国家による中央集権はフラットな情報社会に置き換わり、国家が中心なのではなく個人が中心になる。天動説とガリレオ・ガリレイの地動説は再びひっくり返るのかもしれないし、例えば「ナルニア国物語」なんて、まさにそういう中世の世界観の復活のように読めなくもない。
年周視差がわかるほどの観測技術なかったから宗教抜きに学者からも天動説のほうが正確だと思われてたというのが真相
ここで議論してるのと同じような話をTogetterでしてるじゃん?
番組は見てないけど、学者が行ったのは、天も動いてる、ということか、「天動説」が100%間違ってるとはいいきれない(100%なんて何にでも無い)ということなんじゃない?
って書いてもあるし。
これの結論でいんじゃ無い?
http://anond.hatelabo.jp/20130825013443
むしろ、こっち書いた人に聞いてよ。この人がツイート消して逃げた人と同じプロ市民なのかもしれないけど、同じような展開になってるよね?
座標軸の中心が地球にくる、ってだけの話ね?
元々、天動説、と言うのは、地球中心に動く真理があって、それに従って太陽や惑星などは地球の周りを動いている、って話でしょ?
一方で、地動説、ってのは、太陽が中心になって、その周りを惑星が動いている、って話でしょ?
実際には、この地動説に加え、太陽すら中心でなく、全体の一部にすぎないのはまた後に分かるわけだけど。
で、取り敢えず、重力などを考慮すれば、太陽中心の様な記述は出来るわけだ。それは座標軸の取り方でなく、物理的な意味で。
天動説と言った場合は?何を基準に何を記述するわけ?座標の問題じゃないよ。
座標の問題云々を叫んでる所がどこにあるの?もともとこの2つの問題はそんな話じゃないでしょ?それくらい分かってるでしょ?屁理屈こねちゃ駄目だよ。
重力使わないなんていってないしそっちも認めてるように座標変換すれば地球中心になるんだが
ニュートン力学と地動説混同してるようだから長々と変なこと書いてるんだろうけど
だからどの物理法則?重力は使わないんだよね?地球固定にして惑星のあの動きを再現することを考えるんだよ?
あのね、繰り返すけど現在の物理法則、単純にケプラーの法則から天体の動きを記述することが出来るのはいいよね?
それが重力のような広がりを持つ引力を要する2体間の運動として記述できる、と。
だから、これは同じよ言うな磁力で引きあうような場合も同じ式で記述できる、と。
で、その場合、座標軸はどこでもいいよ?例えば太陽中心でも地球中心でも。
地動説は、これがさらに太陽と小さな惑星の引力によるもので、太陽が異常にでかく、他の惑星が小さいので、結果的に太陽と各惑星の間の2体運動の様に近似できて、
太陽の周りを惑星が回っているような記述に出来る、と説明できる。
この記述の場合でも、ただ座標をずらせば地球中心になるけど、それがそのまま天動説になるわけではないよ?
天動説と言った場合には、まず、太陽や、遠くの恒星はなどは地球を周回するような記述を行う。
これに対し、惑星はそれぞれ特有な特別な性質を別に加えてやる必要がある。これは、上で書いた、"地球中心にした"場合に出てくるものと全くべつの話。
それくらいは分かりますよね?相対的な話ではないの。
本当に地動説天動説の経緯を理解してたら「惑星の動きを説明できないから天動説から地動説に変わった」なんてでたらめは書かんと思うが
なんで自分の思い込みにそこまで自信を持てるのやら
天動説、地動説自体は単なるモデルで、昔からあったものだろう?で、天動説の方が記述や考えが単純なのと(惑星などを特別にするのは別としても)、
そもそも地球中心の方が宗教的にも都合が良いこともあって、天動説が優勢になっていったわけでしょ?
地動説のほうがよりシンプルな論拠だけから示せる様な兆候は昔からあったけど、やはり最終的に全てを記述しようとすると複雑になるので、単純な観測と比べるには天動説のほうがやりやすかったわけで。
そこから観測技術が発達して、コペルニクス辺りからはっきりと強い証拠を示せる様になって、論拠もしっかりとしてきて、一方、天動説はほころびが出始めた。
更に進み、重力などの理解が深まり、物理的な意味を加えていった所、地動説の考え、つまり、地球が固定されてない、と言う事の強い後押しになっている。
物理的根拠とやらが俺様定義っぽいので何が言いたいのかわからんがニュートンの根拠は引力の法則だろうとしてケプラーの与えた物理的根拠って何?
これに関しては、例えば重力だけでなく、他の力も同じように記述出来て、観測を非常によく表している。
つまり、モデルとして、より広く適用でき、より多くのものを正しく記述できる。
重力の記述というシンプルなものからスタートして、天体の動きを記述出来る。それが現在強く支持されている根拠。
一方、天動説でモデルを作る事も勿論可能だが、その根底にくる物理的法則が無い。単にモデルとして記述できた、と言っても何も意味が無い。
よりシンプルなモデルから、天動説で言われた惑星の動きなども記述できる様であれば、再び天動説が優勢になると思うが、今のところそんなものはない。
あるんですか?
地球を固定した場合、現在知られてる物理法則では記述することは出来ません。勿論、それだけのために"モデル"を作ることは可能です。数学的に書くことも。
現在知られてる物理法則をもとに地球固定の数学的モデルをつくることは可能
本当に相対性を理解してるしてるなら「記述できない」とか書かんと思うが
本当に地動説天動説の経緯を理解してたら「惑星の動きを説明できないから天動説から地動説に変わった」なんてでたらめは書かんと思うが
なんで自分の思い込みにそこまで自信を持てるのやら
物理的根拠とやらが俺様定義っぽいので何が言いたいのかわからんがニュートンの根拠は引力の法則だろうとしてケプラーの与えた物理的根拠って何?
こういう数学モデル(ケプラーの法則)で惑星の動きが予測できるということなら天動説だって予測できるモデルは作られてたわけだが
???
空間における基準の取り方が複数(というかいくらでも)ありえるってだけで。
太陽を基準に取れば地動説だし、地球を基準に取れば天動説で間違ってない。
天動説「のみが」正しいっていうとそれは間違いだけどね。
速度の相対性を勉強するとわかるけど、時速60キロの車で移動しているとき、実は車は移動していなくて、車以外のものが時速60キロで流れていると考えてもいいっていう。
天動説とはどの様なことを言ってるのでしょうか?地球を固定した場合、現在知られてる物理法則では記述することは出来ません。勿論、それだけのために"モデル"を作ることは可能です。数学的に書くことも。
また、天動説、地動説は、基準の取り方に基点するものではありません。実際に、地球固定で天体の動きを記述するか、太陽や他のものを固定して記述するか、で、
それらが論議になった時代には、天動説としては、実際に地球が止まっている、と言うことが重要で、基準の取り方どうこうの話だけではありません。
あなたはとりあえzう、上にもあるような車がどうこうが相対論の話だと思ってるようですが、それは違います。
また、地動説、と言うのは、もともと単なるモデルからスタートしてます。
ケプラーやニュートンが出てきて、それらに物理的根拠を与えたわけです。その辺りはご理解いただいてるのですよね?
別にケプラーの法則が、万物すべてを記述する、なんて言ってないでしょうが。そのくらい分かってて、もう突っ込みようがないから変なツッコミいれてるんですよね???
いやこっちも天動説ですべてを記述するなんて言ってないという皮肉なんだが
なんでモーターやエンジンの動作記述するのにケプラーの法則土台にするの?
別にケプラーの法則が、万物すべてを記述する、なんて言ってないでしょうが。そのくらい分かってて、もう突っ込みようがないから変なツッコミいれてるんですよね???
この場合の数学的記述は、地球を中心にするか、他を中心にするかではないのも理解してますよね?
単純に座標中心変えただけで?
それでも、そこで書かれる式は同じものですよ?単に座標変換されるだけで?
一方、天動説、地動説と言った場合は数学モデル自体が根本的に変わります。そういった、相対的な話ではありません。
後、「相対論」は、あたたの考えてるような、単純な話ではありません。それは導入時に分かりやすいイメージとしてまず挟む与太話の様なレベルの話です。
その他の物理現象は地球を中心にするかどうか関係ないので天動説地動説持ち出す必要ないはずだが
モーターやエンジンの動作記述するのにケプラーの法則土台にするか?
ウィキペディア持ち出したのは別の人だし何から逃げてるのかわからん
そっちが質問してるから数学的には地球中心で記述できるって答えただけなんだが
それに相対論理解してるならどこを中心にしようが数学的に記述できるってのはわかりきった話では?
一体何に疑問を持ってるのか不満を持ってるのかわからん
当時までね?でも、地動説の方モデルとして自然で優れていて、やがて、観測技術が上がり、また、他の物理体系も出来てきた中で、
天動説土台では、重力やそのたの物理現象をどの様に記述するのですか?
天動説も当時は同じように思われてた
だから当時はね?
量子力学等の話になってくると、これらはむしろ純粋な数学から生まれて来てるものです。
あなたには量子力学とか難しすぎるかもしれませんが、特殊相対論程度でしたら、簡単に書いた本がいくらでもあるので見てみてください。
あれは、「光が一定の速さを持つ」という条件だけから数学で導いている理論ですが、
それは、その様な観測が先にあったからではありません。
ですから、アインシュタインは相対論ではノーベル賞もらえてないわけですから。
>それらはこれまで得られてる理論体系の中で観測を正しく記述しているよ。
天動説も当時得られてた理論体系の中で観測を正しく記述してるんだが
>きちんと学べば、数学的に美しいし、そこに不自然さを感じさせないようなものだよ。
天動説も当時は同じように思われてた
>数学的に無理矢理どうこうしてる、っていう話しならそれらの理論は信じられはしない。特殊相対論なんかは、その「自然さ」がすごすぎるでしょ。
いくら誰かの主観で不自然と思おうが観測結果と一致するのが正しい理論とされるもの
>何が変わらんの?世の中、それが正確だと思われていたものが、実はただの近似だった、なんてことはいくらでもあって、そうやって進化してるものだよ?
まさにその部分が同じだろ
なんだ、wikipediaからそのままひっぱってきただけなのかwww後の説明も全部www
これは、「天動説」、「地動説」がまだ、両方共が単なる観測事実に過ぎない頃の話だよね?
だから、「地動説」って言っても、物理的根拠はないし、単なる「自然さ」を武器にしてただけの頃の話。
で、それらの「説」としてのレベルではどちらがどうこうという話ではない、と。
実際に、wikipediaにもしたの方に
という記述があるよね?一度、太陽が中心だと思われたが、さらにそれも中心でないことが明らかになっている、と。
それらはこれまで得られてる理論体系の中で観測を正しく記述しているよ。
で、その中でも、「不自然だ」ということで、物理の標準理論の中に、階層性問題などがあることは勿論ご存知ですよね?
不自然なのは巨視的に見てるから、自然が崩れてそうなっている、と言うのは現代物理学の1つの考えですよね?
量子力学や相対性理論は、あなたが見れば不自然で数学的にややこしいと思うかもしれないが、
きちんと学べば、数学的に美しいし、そこに不自然さを感じさせないようなものだよ。
数学的に無理矢理どうこうしてる、っていう話しならそれらの理論は信じられはしない。特殊相対論なんかは、その「自然さ」がすごすぎるでしょ。
ニュートン力学で記述しようが天体の数考えれば近似しないと計算できないし正確にしようとするほど計算が複雑になるってのは天動説の頃と変わらん
何が変わらんの?世の中、それが正確だと思われていたものが、実はただの近似だった、なんてことはいくらでもあって、そうやって進化してるものだよ?
「天動説」には物理的な意味合いが全く入ってないんだから、ニュートン力学が入ってきた後とは全く別だよ。
何かが何かの周りをまわってると決めつけないと困るなら相対性理論は困り者だな
周りを回ってる、といういいかたはおかしいかもしれないね、すいません。
ですが、地球が固定されていて、天が動いてる、とすると、その場合、どの様な物理法則で動いてるのでしょうか?
どの様な動きでも、数式で表すことは可能です。どんな複雑な動きであっても頑張れば記述できます。
ですので、周期的な動きであれば、一度きちんと記述すれば予測が出来ます。それはそれで1つのアプローチです。
ですが、その次に、その数式が、何を意味してるか、を考えます。そうやって科学は進歩してきました。
ですので、「数式」で書けたからといって、それが予測出来たからといって、それはまだ「物理」的な根拠は持っていません。
ニュートン力学は、その法則にもとづき、様々な事象を記述しました。ある特定の動きを数学的に解析して行うものではありません。
不自然だからダメとか言い出したら量子力学や相対性理論だって不自然だし数学的にもややこしいわけだがそれはどう思ってるの?
ニュートン力学で記述しようが天体の数考えれば近似しないと計算できないし正確にしようとするほど計算が複雑になるってのは天動説の頃と変わらん
それに地球の周りをほかの天体が回ってると考える方が日常感覚からすると自然では?
何かが何かの周りをまわってると決めつけないと困るなら相対性理論は困り者だな
前増田だけど
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%8B%95%E8%AA%AC
なおよく誤解されることであるが「天動説は誤り、地動説が正しい」ということではない。天動説も地動説もどちらも正しいのである。ただ地動説の方がより単純に説明しやすい「優れたモデル」であるということはいえる。
ってだけの話。天動説の定義を予測や観測うんぬんではなく、その骨子である「地球が静止していて、それ以外が動いていると見なすことができるか」という部分だけに絞って言うとってこと。
これに関しては、その様な動きになるよう、数学体系で無理矢理作り上げてたわけですよね?
そこに不自然さがあったが、それでも無理矢理記述しようと思えばいくらでも記述出来るわけで。
で、その不自然さを疑問に感じて、もっと自然にできないかな、と考えて地動説が生まれた、というのは正しくないですか?
出てきた当時は、その数学的記述が長きに渡り洗練されてきたので、それはぽっと出の地動説で上手く説明することは出来なかったと思いますが。
で、今となっては、「天体観測」だけではなくて、その動きに物理的な意味を与えて解釈してるので、