はてなキーワード: 大袈裟とは
甘く見積もっても「まだ子供だから」とは言えない年齡に片足を突っ込んでいることだし、
今年の目標を「余裕のあるカッコイイ人間になる」にしたところ、年が明けてから5回はテンパった。
どうも私は、いっつもいっぱいいっぱいで、何かとすぐにワタワタしてしまう。
振り返ってみれば私は、精神的なこと以前にまず普段の生活に余裕が無い。
5分前行動ができない。
そのくせプライドは高いから、間に合わなかった時にヘラヘラできない。
さらに言えば失くし物がすごく多い。
大事なものだろうが、30秒前に使っていようが容赦なく失くす。
例えば、読みかけの本の続きを読んで、キリがいいので栞をはさもうとしたら、無い。
さすがにここ数年は自分の行動パターンが掴めているので、たいていの失くし物はすぐに見つけられる。
本を置いたテーブルかなーとか、変なページにはさんでないかなーとか、確認すればすぐに出てくる。
それなのに飽きもせず凝りもせず、なくしては焦り、なくしては嘆く。
こうしてみると業は深い。
まず第一に悟るべきものは、日々の具体的な行動に余裕を持たせることの価値だ。
待ち合わせ時間には余裕を持っていく。時間を余らせるつもりで動く。
このあまった時間はムダなんかじゃない、ということを気持ちでわからなければならない。
次に、持ち物を整理すべきだ。
正直、自分の紛失癖については半分諦めている。
その上で最近(世間に一足遅れて)思ってきたことは、持ち物は少ないほうがラクということだ。
無くてもいいものを持っていることは生活の豊かさのように思えるけれど、
その上で、棚に飾られた食玩ひとつとったって、ただただ置いておくだけでホコリがつもってくるし、
ふとしたときに、大袈裟に言えば、たまには眺めて楽しんでやらないといけないようなオーラを放って面倒くさい。
それに私みたいな人間は、デジカメの充電ケーブルやUSBメモリが隠れこむ場所を減らさなければならない。
急にやるべきことが増えて休日が潰れると悲しいけれど、いざ土日になれば平常心でちゃっちゃとこなせる。
そんな経験をもう、何度もしてきただろう。
これはこれでしょうがないって、やれるだけはやろうって、切り替えができない人間じゃない。
だからそんなに嘆かなくていい。
嫌なことがあって、3日後の自分を想像すると――あるいは1か月後の自分を想像すると、
たぶん、そんなこと、ただの過去の出来事のひとつになっているだろう。
かっこいい大人への道は遠い。
ついに大手マスコミ・警察まで巻き込んで火を噴いたペニオク詐欺疑惑
そんなの俺らネット民が2年ぐらい前に追求してたよねー 2年前くらいに結論でてたわー とミサワ風の感想を抱かざるを得ないほど今頃感が全開である。おせーよ。
ただね、今回炎上しているのは既に別件で逮捕されている零細チンピラ集団が運営していた「ワールドオークション」であり、あんなのはとっくの昔に100%黒判定がなされてたわけだし何より小物過ぎてつまんないんですよ。もっとこう業界を巻き込んで大騒ぎになって欲しいと思ってるのは俺だけじゃないはず。
さてここでDMMである。「DMMポイントオークション」と称して2011年9月15日までペニオクを運営していた。
以下は2010年10月27日に書かれたDMMポイントオークションを実際に利用して落札したと主張するデヴィ夫人のブログ記事である。
http://ameblo.jp/dewisukarno/entry-10687315667.html
最近スタッフの間で話題に良く出るDMMポイントオークション。
面白いからと勧められてスタッフが実際に登録してやってみると意外と簡単に落札できました。
として、記事直下にDMMポイントオークションへと誘導するリンクが張られている。うーん。どうなのこれ。
他にも同時期にこんな記事が。(今回のワールドオークション逮捕の件を受けて記事上部に「ペニオクへの注意喚起」を追記しているようだ おせーよ)
http://www.akiyan.com/blog/archives/2010/09/penny-auction.html
もし仮にデヴィ夫人の記事がネット民の推察通りステマだとしたらワールドオークションとは比べ物にならないぐらい問題である。DMMのようなそこそこ大きい企業までもがステマを行っていて、なおかつワールドオークションのように不正なプログラムを走らせて実際のユーザーにほとんど落札させないようにしていたとすれば、当然ながら大きな社会問題になる。その辺のチンピラが小遣い稼ぎしていたのとは訳が違う。
さらにゲオはDMMとは比べ物にならないぐらい大きな企業だ。東証一部に上場している立派な大企業だ。その100%子会社である株式会社ぽすれんが運営していたGEOオークションまで不正があったとすれば大袈裟でもなんでもなく日本のネット史に残る事件と成りはしないだろうか。それだけは絶対に避けたい。そんなことはあってはならないし、東証一部上場企業の100%子会社に対して詐欺の嫌疑がかけるかけれらるなど絶対に避けなければならない。
DMMやゲオのような会社がペニオクなんていう子供だましビジネスで詐欺を働いていたとはちょっと考えにくい。しかし、しかしである。これだけペニオクが社会を騒がせてしまっている以上、既に撤退しているかどうかに関わらず「自分たちはステマも詐欺をおこなっていない 正々堂々とオークションを行っていた」とキッパリと表明する必要があるのではないか。ここで白黒はっきりさせておかないと今後ずーっとネット民からネチネチと言われ続ける可能性があるよ。「あそこも詐欺ペニオクやってたよね」って。
カノセなヒトがこんなこと書いてるけど。
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20121129/hatesa_hashimoto
まあ最強のはてサはid:Gl17だよね。もう絵に描いたようなダブスタっぷり。kojiなんとかなんて目じゃないぜってぐらいのダブスタ。
自民・維新・橋下・石原あたりは人格・名前・血縁・政策・喰いもの・夫人・服装に至るまで全て否定w
呼吸しただけも怒りだす始末w日本の酸素消費すんなとかwwクソわらったわ
kojiなんとかは確かにダブスタっぽいけど、まだ人間味のあるダブスタというか、橋下が嫌いなので橋下を否定することが最優先になって結果的にダブスタになっちゃったみたいな。まあ人間だしそういうことあるよね。人間だもの。ダブスタの無いヒトなんていないと思うよ俺は。カノセなヒトだって多分粗を探せばダブスタっぽい主張してるジャンルあるんじゃない。誰だってそういうのあると思うよ、人生長いし。
でもid:Gl17のヒトはそういう人間味が一切感じられない矛盾っぷりを貫き通してて潔いっていうか清々しいっていうかw自民・安倍ちゃんがかつカレーで叩かれてたときなんて大喜びしてんのな。しかもかつカレーを擁護したヒトに向かっては「大袈裟だ!ファシズムだ!」ってな具合。カツカレー擁護したらファシズムってwwwwwwちょwwwwwwムッソリーニもビックリwwwwwwww
まあ何が言いたいかっていうとだね、なにかとサヨクって馬鹿にするけど、まともな左翼なヒトが大多数なわけですよ。右翼も左翼も相手方を攻撃するのに人生を捧げちゃってるヒトってのはどうしても妙に目立つから人口比も高いんじゃないかって錯覚するけどね、ごく一部なの。そういうヒトにつられて右翼も左翼も頭おかしいって決めつけないで欲しいんですわ。
元増田です。
本件に関しては、その場に居た全員(Aさん、彼氏さん、友人たち)の期待を裏切ってでも、自分のポリシーを貫いたと言えると思います。それが正しかったのかどうかは判りませんが。
触ってしまうことで、自分が崇拝の対象としているAさんの美脚が自分と同レベルにまで堕ちてしまうということを恐れていたのかもしれません。
一方で、「据え膳に箸を付けなかった」ということは、私にとってAさんの脚が触るに値しないものであったと解釈される可能性もあります。或る意味、私からAさんに対しての侮辱です。
この件の後Aさんとは特に連絡はしていませんが、「ヘタレ」と思われる程度であればともかく(現実にヘタレな訳ですし)、「彼氏や友達の前で恥をかかせられた」と思われると厳しいです…
自分の行為は、自分自身の何を守って何を損ねたのか、そしてAさんの何を守って何を損ねたのか、まだわかりません…
twitter等各所の反応も眺めてみました。
http://b.hatena.ne.jp/entry?mode=more&url=http%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2F20120826210020
https://twitter.com/#!/search/realtime/http%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2F20120826210020
等から
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心配しなくても、触れないだろうことは見透かされてるよ。
なんだこのカップルむかつく
気の利いたリアクションができればコミュ障脱却の糸口になると思うが、実際にはテンパって何もできないだろうな。眼鏡っ娘好きだが眼鏡触って良いといわれても多分何もしない。別に眼鏡が好きって訳じゃない(キリッ)
むしろ舐めようぜ。ぺろぺろ
「その場にはAさんの彼氏も居り」メロスばりに激怒してもいい場面。
「彼女に対して失礼ではなかったか」お互いに失礼なので問題ないかと
「はい、あーん」とかもある。
本当に触ってたら最悪逮捕沙汰になるような地獄絵図になる所だったかもしれないので触らなくてよかったね!
それは何かの罠だったと思います。
やなカップルだな
戒を込めて、おちょくるという行為の罪の話。|誰もあなたを嫌ってはいない。が、どこか蔑まれていることはあなたも気付いているはず。乗る必要は全くないと思う。
コメントといい増田主といい、繊細or魔法使い予備軍がようけ集まっとる。 / だがそれがいい
その美人は何もわかっとらんな。真の脚フェチは、踏まれる欲望を持っているものだ。
それって「"人間おとなのオモチャ"になってもいいよ?」ってことでしょ?増田は人としての尊厳をギリギリで守ったなw>「その場にはAさんの彼氏も居り」
こういうのは北方謙三に人生相談すれば良い答えを貰えると思うの。
増田氏は良く耐えたな。自分はこの手のAさんみたいな人間は嫌いです。
「なんぼや?」
人畜無害認定されてるのに勘違いしてるところが非モテあるある。
「それでは失礼します」と言って『彼氏』の脚を触ってこそ真のフェチと呼べる(美脚美人の脚を眺めつつ美脚美人の彼氏の脚を触って美脚美人の脚を触ってるつもり)のではないか。まだまだ修行が足りないといえる
これは据え膳ではなくて画餅では。。彼氏なしで二人のときに触らせて貰いなさい。
この据え膳は喰わないのが正解.
女性のほうは飲み会の小ネタぐらいの感覚だったんだろうし、そんな大袈裟に考えなくてもw
こういう女嫌い
ばかにされてるみたいでやだな~
童貞にネタで脚を触らせようとするような女のひとを「汚れる」とか「失礼」とか「据え膳」とか女性として意識してしまっている所にそこはかとない非モテの非モテたる所以を見た。相手は反応を楽しんでるだけだよ。
揃いも揃ってロールプレイが下手なので一度化けの皮を剥がす必要があると思います。
「そのマカロン食べてもいいんですよ」という銭ゲバ(ドラマ版)的な何か。
ヘタレすぎるwが、触らないで正解。触ったら、奴らのセックス時の枕話のネタにされるだけ。
この、行動前に考えすぎる、その後も考えすぎる感が非モテあるある。
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私の行為に対する賛否以外に、Aさんと彼氏に対する批判的な意見が意外に多いということに驚きます…
私にとっては二人とも友人として信頼でき、そして楽しい人達であると考えています。
ちなみに私自身は30代後半・彼女いない歴=年齢・真性童貞(つまり魔法使い)、Aさんは20代後半、彼氏さんは30代前半です。
私は父を嫌悪している。
私は女だが、よくある思春期の親父キモイとか、洗濯物を一緒にしないでとか、そういった意味での嫌悪ではない。と思いたい。
子供の頃から父は恐怖の対象だった。家に帰れば職場の愚痴。同僚の失態への憤りを引きずったまま食卓につき、母や私たち姉妹がなにか気に入らないことをすれば、ここぞとばかりに怒鳴ってストレスを発散していた。父の機嫌を損なわないように日々顔色を伺って生活するような子供に育っていった。
高校生や大学生になっても授業が終ればすぐに帰宅し夕食の用意を手伝い、休日は家のことをするのが当たり前。気がつけば私には放課後や休日に遊ぶ友人など一人もいなくなっていた。父に逆らうことは恐ろしく、こんな毎日が一生続くのだろうと諦めていた。
しかし、予想もしない出来事が起きて、私は父に反抗し、家を出ることになった。それからの毎日は今まで経験することがなかった楽しいことに満ち溢れていた。もちろん失敗や挫折もあったが、すべて自分で決めて生活していく毎日にとても満足していた。そして今の彼に出会った。父とは正反対の人。機嫌が悪くても八つ当たりやいきなり怒鳴ったりするこのない、一緒に居ると心穏やかに過ごせる、私の理想の人だった。長い交際期間を経て結婚する事になり、ほぼ連絡を絶っていた父に嫌々ながら電話した。
「もしもし、○○か?」その声を聞いて愕然とした。
ずっと嫌悪していた父と正反対だと思っていた婚約者の声があまりにも似ていたからだ。娘は無意識に父を理想の男性に当てはめるとか、そんな心理学か何かの言葉を思い出した。
虚構新聞の件が少し話題になっている。そして自分はこの件が色々な人が語っているよりもすごく重要な話を含んでいると思うのでこれは書いておきたい。
要するに今回の件は虚構新聞がいつものように虚構記事(ジョーク記事、風刺記事と言ってもいい)を書いた→Twitterで大量に信じて拡散する人が→騙された人達が怒って軽く炎上→虚構新聞作者謝罪(ポーズだけかもだが)
みたいな話になっている。それはもういい。すごく単純な話だ。なぜ橋下さんの記事でこれだけ炎上したのかとかまた別の論点を色々含んでいるけど、まあそれもとりあえず置きます。
自分が今回の件で改めて問題であると思ったのは、最近の風潮からもずっと思っていたのだけど
である。
もちろん大袈裟に聞こえるかもしれない。ところがこれは全く大袈裟な話ではない。
まず、今回の話で考えてみよう、今回の件でとりあつかった記事は大阪市長橋下知事のTwitterの義務教育化、である。確かに橋下知事はTwitterでの過激な投稿が知られていて、こういったギャグがでてくる文脈は理解できる。
で、なぜか全く橋下市長に関係もない、嘘が見抜けなかったからといって笑ってすませばいいような(大きな実害が認められないような)人達がこぞってクレームに押しかけたのである。橋下知事のサクラを使った炎上マーケティング的なヤラセならまだ理解できるが、なぜか今回の特別過激な話でもないのに割と大きく炎上した。これが例えば天皇批判とか軍国化、太平洋戦争とか非常にセンシティブな話題に触れていたりするのならまだ話はわかるが、たかだかTwitterがどうこうみたいな話である。そしてそれが仮に本当だったところでお前らがどうするというのだという話である。しかも当の橋下知事が今のところこの件にクレームしているわけではないだろう、私の確認している限り。(もちろん本人が怒るのはまだ分かる)
つまり私には「すごく小さいジョークで滅茶苦茶過剰に怒られている図」に見えるのである。
なんとなく言わんとすることがわかっていただけてきたかと思うのだが、最近のTwitterを始めとする、IDを紐付けたソーシャルメディアの普及によって、投稿されたコメントが基本的にはほぼ全て、記録を伴って総覧することができるようになった現状がある。要するにこれによる監視社会化によって軽いジョークでも非常に過大な暴力的な制裁が加えられることが多くなったと思っている。
大学生飲酒運転ツイート晒しあげ祭り、のようなものが恒常的に起こったり、その他にも諸々不適切な発言が叩かれ、炎上することが多くなった。なぜか無駄に住所や写真などのアイデンティティを晒されたり過剰な制裁を伴う形でほとんどネットリンチ的なことが行われることが多くなった(これも非常に問題だと思っているがこの件に関しても今回は割愛としたい)
これは日本の話で、諸外国においてはより酷いケースもあり、ジョークの発言で入国を拒否されたり、イスラム国家で宗教的問題のある発言をして死刑が宣告されている現状をご存知だろうか?この手の話での死刑などがどれほど信憑性、実効性があるかは知る限りでないが、とにかくそういった話が随所で出てきているのである。(※ここの文指摘等ありおかしい点がいくつかあったので修正しました。)
つまりは極端に言うならすごく厳しい先生に監視されていてジョークが言えない緊張した雰囲気の教室のような状態、とでも言えばわかりやすいだろうか。軽いジョークのつもりでも真に受けられて、ひどく恐ろしい制裁を食らうのだ。このような社会で誰がギャグなんて飛ばすつもりになれるだろう。つまりは世の中からテキストベースでの(記録できる)公開された、ジョークが量的にも、質的にも劣化・減少を始める恐れがあるのである。(現にTwitterなどでは鍵付きのアカウントが増えているではないか)
もっと恐ろしいのは冤罪的なものである。上の外国の入国拒否の例などはまさにそれで、「ホワイトハウス爆発させるうぃる~(笑)」みたいな発言をしたヨーロッパかどこかの旅行者がアメリカ入国の際にそれが通知されていたらしく、入国を拒否されたという話である。もちろん額面的にはこいつらばーか(笑)で済む話ではあるのだが、これ、文脈を辿っても明らかにジョークだとわかるのに、入国拒否されたのだ。形式的には冤罪の形となんら変わらない。疑わしきに留まればば罰されないはずが、疑わしきが罰されてしまっているのだ。(勿論テロの恐れなどの事情があるのはわかるが)
つまり適当なジョークを書くことができなくなってきているのだ。もちろん書くだけでなく、写真の見せ合いによるコミュニケーションが増えてきていたり、適当に発言したことも、聞いた側がネットに書き込む可能性など全く排除しきれないことを考えると、これはもうほとんどどこにも逃げ場などないことにならないだろうか。
死刑論議の際に必ず、死刑を廃止すべき論陣の最たる動機として上がるものの一つがこの冤罪の恐れなのである。もちろんそこまで大袈裟なものでなくても、ふと小さなジョークを言っただけで自分の思わない形で制裁を受けるような社会が到来しようとしている。いわゆるレイトマジョリティ的な人達がこれらのネットの世界にやってくるのはこれからだ。そうなればもっと誤解や齟齬など、問題の起こる機会は増えるだろう。そういった中でどういった明文化した、暗黙でのルール・合意を形成するのが和気藹々としたネットの風景を実現できるのだろうかと思う。
最近の2ちゃんねる規制など、ネットに対してルール作りが急ピッチで進み始めるのがこれからなのだと思っています、自分ができることはあくまで問題提起に留まりますが、ネットに通じ、またこれからの良きネットの世界をつくるみなさんと考えていきたい問題だと思っています。
長くなりましたが、最後まで読んで下さった方はありがとうございます。
何かね、店に電話して来た時点で身長ブラのサイズ年齢まできっちり聞いてきて、
そういうことで話合わせといてねって店長に言われまして。
「えっ、初めてなの?初めて?」ってやたら大袈裟に聞いてくるんですよ。
一応ここ来る前に接客して来ましたよ(だから手順はわかってますよ)って言ったら
みるみる顔色が変わり、
「ここ来る前にお客さんについたの?」「前からこういう仕事してたの?」「この店はよく出てるの?」
ってその部分にだけ異様に執着して追及してくるわけ。
こっちも引っ込みつかなくなったから、もう最初言ったとおり初接客じゃないってことで話を通すしかない。
客は隅に行って店と電話し始めて文句たらたら。
「話が違うじゃないか、今日初出勤で完全未経験って言ってたのに、初接客じゃないって言ってるぞ」
「もう二度と頼まないからな、こんないい加減な店には」とかかんかんに怒ってた。
結局キャンセルになって事もなく帰りました。
ええ、当然店には叱られましたよ、店の信用を損ねた、って。
風俗歴10年突入目前にして遂に噂の未確認生物との遭遇を果たした。あれが処女厨というやつか。
私に対して「初めてなんだよね?そう聞いたよ?」って言わず、
「えっ初めてなの?」「この店にはよく出勤してるの?」「前からこういう仕事してたの?」「ほかのお客さんの後に来たの?」
とかまをかけるあたり、処女厨のやり口なんだろうな。
譬えるならば
真っ白純白で塵一つ落ちていない雪原に黒く足跡をつけて歪んだ征服感や優越感を獲得したいというような心理なのだろうか。
あるいは近世に西欧の探検家たちが未知の新大陸に進出して自国の領土を拡張していったときの野心にも似た心理なのだろうか。
もっと単純に他の男の精液が付着したイメージを催す女を抱くのは屈辱だということなのだろうか。
しかし、まだ一度も接客していないにせよ、すでに100人の客と寝ているにせよ、
こういう商売に手を染めている時点で純潔性などあるわけがなかろうに、
まだ一人の客とも寝ていない初心者嬢であったとしても、プライベートでは他の風俗嬢以上に多くの男とやりまくっている可能性すらあるのに、
風俗嬢に処女性や純潔性を求める(妄想する)客って、自己矛盾起こしていること自分でわかってないのだろうか?
そんなに純潔性に固執するなら自分にしか体を許さない貞淑な女性と付き合えばいいだけの話なのに。
お金と引き換えに誰に対しても無差別に性を提供することをこの男は要求しているからこそ風俗を利用しようとしているはずなのに、
自分以外の男にも無差別に性を提供するのが許せない、自分だけを特別視してほしい、って、
自分自身が依存しているシステム(性の無差別性)を根本から崩す要因(貞淑さ)を欲している時点で袋小路に迷い込んでいるよなあ。
今までもてなかったわけじゃない。
何人か付き合ったこともあった。
でも、本当は好きじゃなかった。何となく付き合った。そして別れた。
もちろん、プロもない。純潔だ。
その女性は今までと違う。
めちゃくちゃタイプだ。いや、好きだ。
85kgらしい。うん、まぁデブだな。俺より重い。
もちろん体だけじゃない。性格も最高だ。
そのくせ打たれ弱いのにプライドが高い。我ながら面倒な人間だ。
でも彼女はそんな俺に、とにかく優しくておっとりしてて言葉が温かい。
独立の夢も応援してくれている。毎朝メールもくれる。5分で返事が来る。
丸くておしゃれで可愛い。めちゃ可愛い。ピアノも上手いし料理も上手い。
たぶん、俺のことが好きなんだと思う。分かる。これは間違いない。
でも正直言えば、体が一番好きだ。
っていうかやりたい。やりまくりたい。出来るか分からんがぎゅーしたい。
居ても立ってもいられなくて、毎日オナニーしまくってる。異常だと思う。
だから、一生一緒にいてほしいって言うことにした。
っていうか彼女は俺を幸せにできる。間違いない。そして俺は絶対浮気しない。
デートは再来週だけど、服買って部屋を片付けなきゃ。
なんだか緊張する。完全に浮かれてるな、俺。これが恋か。
とりあえずここで宣言しておく。
俺は生まれて初めて告白する。
せっかくの晴れた休日、彼女とデート・・・とはいかず、適当に散歩することにした。
で、某ショッピングセンターにある某楽器店で体験会を開催していたので、お子様に混じりながら恥を掻き捨て参加したわけだ。
吹奏経験のある楽器も数年ぶりに吹いてみた。よく響く場所だったが、鈍りは明らかだった。
言い訳になるが、楽器それ自体にも奏者との相性があり、もっと詳しく見ればマウスピースやリガチャー、リードの組み合わせなどが重要であり、体験会に出すのだから、あまりいいものではなかったのかもしれない。弘法は筆を選ばずというが、それはどんな筆でも平均以上の実力を出せるというほどのニュアンスだ。
と書いてみたものの、今回はリードの厚み自体に難があった(普段は3-1/2を使っていたのだが、今日は2-1/2でも厳しかった)ので、こういう釈明に意味はない。お姉さんは経験者と承知の上でもなお「良く鳴りますね~」とおっしゃったが、営業トークのたぐいだろう。また、屋外で冷えていたため、楽器のピッチが低くてあまり吹く気にならなかったというのも、正直な感想だ。冬場は管楽器奏者にとっても厳しい。
とまあ、はっきりと衰えを突きつけられた自分に嫌気が差し、せっかくだからとヴァイオリンを弾いてみようと思った次第。
構え方を教えてもらい、いざ弓を弾いてみると、初心者特有、あるいは冗談音楽や前衛音楽に見られるような、また、黒板をひっかくような音がした。前者は計算してやっているのだから、比較するのはおかしいかもしれないが。
なんでも、弦に平行に、力を込めずにやるのがいいようだ(ヴァイオリンの指導者は休暇をとっていたようで、対応した人も具体的なアドバイスまでは至ってなかった)というので、そのとおりに2,3度試行錯誤するとちょっといい音がした。弦が、伸びたゴムひもを指で弾いたように震え、倍音が聞こえた。お姉さんの言葉を額面通り受け取れば、上達が早いらしい。
気分が良くなったのでしばらく適当に弾いてみた。運指は聞いてみたがわからないらしいので(いいのかそれで^^;)、勘を頼りに鳴らした。やはり運弓法がわからないと難しい。弾いていた間では、どうすればクラシック音楽のような早いパッセージが弾けるのか理解できなかった。
それと、構えてみれば自ずと分かるのだが、耳元で音が鳴るというのはやはり新鮮な体験だった。あれを幼児期からやるというのは、なるほど耳が鋭くなるのも頷ける。
気づいたら30分ぐらい時間を忘れて弾いていたので、さすがにまずいと思い後にすることにした。おっさんが場を独占していたら子供たちが寄り付かないだろうから、とっとと退場することにした。
そいで、アンケート書いて、名刺もらって、帰ってきたのが今だ。
ひとつ、謝りたい。
お姉さん、私は仕事をしていると言いましたが、フリーターです。嘘は吐いてませんが、私のゴミのようなプライドのために、多少大袈裟な表現を用いたこと、お許しください。
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/203003
triggerhappysundaymorning
大袈裟表現として言ってるなら「変わった喩えですね」.本気で言ってるなら「ちょっと閉鎖病棟から出てくるの早すぎましたね」. 2011/10/215 clicks
魚拓を取っておこう
http://megalodon.jp/2011-1022-0149-49/b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/203003
http://www.hatena.ne.jp/anigoka/
この人にもはてな星で言われている
本気とか本気じゃないとか、一体どういう意味なんだろう?
逃げたのは逃げたんだから、本気も何もないのではないだろうか?
本当にリンク先を見ているのだろうか?
評価が大袈裟になりがちってのはあるか。
なんだかテレビに随分な逆風が吹きつけているように見受けられる。無理やり推し進めたデジタル化に世論は割合反発を強めているし、ネット世論ではフジテレビ騒動から業界が抱える根幹の問題としての電波利用のモラルハザードが周知されることになってしまった。そしてこの度の島田紳助の引退である。この件は政治的側面から語られることも多く、そこらの事情通はこの引退はまだ端緒に過ぎず、ここから続く一連の出来事を見守る気構えでいるようだ。そのあたりは情報の真偽を確かめる術を持たないので知らない、けれど彼の引退(ここでは敢えて「勇退」とでも言うべきか)は少なくとも「テレビに関わっている人達」に大きな影響を与えたし、そして今後与えていくことになるんだろうと思う。庇護のもとにあった芸能人は勿論、視聴率の稼ぎ頭として頼っていたテレビ局、そしてなにより様々な背後関係になど感心も向けずに、ただテレビのスタートして彼をモニターの向こうから見守っていた何千万の無辜の市民は芸能界の一時代を築いた彼の引き際をどう見守ったのだろう。
テレビを慈しむ人々というのはそれはもう絶対的になっていて、少しインターネットに触れるようになり物知り顔になってしまうと見落としがちな側面なのだけど、やはり依然として社会において支配的な行動様式というのは朝新聞を読んで、ご飯を食べながらテレビを観て、そして学校や会社で話題の中心を占めるのは「昨日テレビで見たあの話」なんだ。これはWEBの業界にいたり、ネットを主要な情報源にする仲間たちと群れ合うようになると薄れがちになる感覚なのだけれど、人々の中でそのような旧態依然とした行動様式を採る人々というのは未だ支配的なのは明らかなんだよね。
娯楽としてのテレビがこれまでかくも人々の関心の総量において支配的であった理由というのはそこまで明確ではない。戦後豊かになって時間ができはじめて、生得的に「惰性」という性質を持ち合わせたがゆえのに、ただ受動的に、そして非常に楽な形で情報を受け取ることができるメディアとして非常に便利な箱は家庭に頒布され、今日までアタリマエかのように人々の話題の中心で在り続けた。そしてテレビのCMなんていう綺麗な俳優女優の顔でしか認識しないような広告に莫大な広告費がぶら下がることになってきた。
インターネットがこれらの流れを崩すことになるかもしれないよね、なんて話は梅田氏以来、ネット牧歌論的な肯定派の中で何度も云われ続けてきたことではある。しかしこれまではそれはただの業界人のポジショントークであり、楽観的すぎる夢物語として終始してきた。しかしいよいよ本当に人々の眼がひらかれる時が来ようとしているのかもしれないね。テレビを「面白く」してきた、有能な大道芸人が辞世し、その箱を通して見る風景が相対的な魅力を失う、同時にスマートフォンはじめとするより開放的な情報体系としてのインターネットへのアクセシビリティが拡充されたときに人々は情報の扱い方を緩やかにでも変えていくのだろう。
大袈裟なのかもしれないよ。でも人々の考え方において大きな影響を与えてきたのは教育とマスメディアの中で、そのうちの後者がいま大きく音を立てて崩れようとしているように少なくとも自分には見える。能動的に情報を得ることを覚えた人々は、ネットで調べたあの面白そうなお店に行ってみようということになるかもしれないし、新しい趣味を始めることになるかもしれない。結局これまでのテレビというものが多様な人間の余暇生活の中で過大なシェアを占めていたのが、「その中の一部」へと収斂していく過程を僕らは見ているのだと思う。それは明らかに始まっているし、鼻息を荒げるには実はまだ早すぎるのかもしれない。でも僕はその崩壊の彼岸にある景色は今より少し綺麗なものが見れるんじゃないかなあと、少しだけ期待をしているんだ。
最初はそれなりにいい線いっていたのに、ここにきてもう投げやりというか、反論のための反論というか、急速に劣化ウランしてます。
劣化ウランって「天然ウランより放射能が落ちた」ってことなんですけどね。まあ投げやりになったのは思い切り事実ですが。
「事実」をもとに語る気があるのかと思ったら結局あなたも「理系が悪い」の人だったので落胆しました。だいたい私が最初の記事に「理系」って書いたことに過剰反応する人がいること自体意味不明なんですが(「自然科学の分野に専門性がある」とか役人言葉で書けばよかったんですかね)、はっきり言って「ブルータスお前もか」です。
オウム真理教の信者は人間。燃料棒はモノです。人間相手なら断罪するのは慎重さが必要だと思いますが、燃料棒相手にそこまで遠慮する必要はないでしょう。あそこで遠慮したことで、「メルトダウン隠蔽説」の発生という大損をしたわけです。
オウムだって破れかぶれであのあと毒ガステロする危険があったし、実際未遂事件は何件か起こしましたけどね。「新宿駅青酸事件」とかでぐぐってみてもらえたら思い出すと思いますが。
(本論と直接関係ありませんがオウム事件のくだり「化学薬品が大量に見つかった時点でもうほぼ真っ黒」という発言は気になりますね。そうやって河野さん一家も冤罪で酷い目に遭いました。人間相手にはくれぐれも慎重に頼みますよ。モノ相手はバッサリやっちゃってください。)
自慢じゃないですが当時中学生のガキの俺でも河野さんは冤罪だってわかってましたけどね。河野さんが犯人だとしたら、ガスに最も暴露されるはずの当人が比較的軽症でしかも防護設備がどこにもなかったんだから。あれも「文系」の失態ですね。オウムの場合はサリンを合成できるだけの薬品としかも製造設備が揃って出てきたんだから確定でしょうよ。一方でですね、同じ福島第一原発事故の中でも「モノ相手にバッサリ」やった結果、測定ミスを見落として再臨界デマが流れたりとかそういうことも同時並行で起こってたことをお忘れですかね。やっぱり緊急性が高くない情報はきちんと確認できてなければ断定なんてしたらいかんのですよ。
まあどっちにしても、あの「メルトダウン発表」(というか発表の趣旨自体そもそもメルトダウンがどうこうじゃなくて水位計の機能が回復したって話なんですが)が衝撃的だったのは、私にとっては「あれだけ水を入れてもまだ水が燃料棒に届いてなかったこと」だった(つまりまともに水が入らない原因が何かあるということ)のに、燃料棒が損傷していることが水位計からも裏付けられた、って話がここまで大袈裟に受け止められること自体本当に理解できないですね。
まあ、そういう「文系」の言葉遊びの世界はよくわかりませんわ。麻生の漢字読み間違いの一件も、「自分の言葉で語らずに聞きかじりの付け焼き刃を格好付けて語っている」ということの象徴として当初叩かれてたのに、民主党政権がグダグダになったら「麻生は漢字を読み間違えたという些細な落ち度を元に首相の座を終われた」なんていう風にいつの間にか歴史修正されてるみたいですしね。日本にはマスコミという「真理省」があるということですね。日本の天地は複雑怪奇なり、ですわ。皆さん本当に頭がおよろしいので私には到底ついていけまへん。
ウソですよ。大馬鹿ですよ。あれも「理系」じゃなくて「文系」人間がやったことですけどね。正直、私が一番原発に対して懸念を持っていること(くどいようですが私は推進派だなんて名乗った覚えありませんからね)は、ああいう馬鹿な人間が動かしているということですよ。ただし、ああいうコピペメール構成ってのは基本的にナイーブ系反原発派を含む「市民運動」の常套手段なのであって、「お前が言うな」でしかないんですがね。
流通していないから大丈夫って、今になってセシウム基準値オーバーの牛だって流通したことが出てきたじゃないですか。あれもウソじゃないんですか。
そりゃまあ、全頭検査をしないってことは「確率的に」流通することはあり得ますよ。ああいうことが一件や二件あっても不思議はないだろうな、程度。こんだけの混乱状況なんだし。正直、俺はあの話全然興味ないので逆に聞きたいんですが職場の食堂で昼休みに流れてるNHKニュース見て「あー今日もこの話しとるなー」ぐらいに思ってる程度なんですが、世の中ではあれでそんな騒ぎになってるんですかね?。
信頼というのはそういうもんです。推進派は、そこがまるでわかっていないんです。かわいそうなくらい。だから原発を自動車と比較したり、死者の数を出して、どうだ安全だろといったりするんです。
じゃあどうやったら推進派が「信頼」を勝ち取れたでしょうか。絶対無理だったと思いますよ。ナイーブ系反原発派のプロパガンダは卑怯でありなおかつわかりやすすぎるし、坂本龍一だの宮崎駿だの村上春樹だの、ああいう一般受けする文化人を広告塔に担ぎ出せた時点でもう勝利確定ですよ。
そりゃまあ第二次大戦前のドイツの民主主義勢力が「信頼」を勝ち取るのと同じぐらい難しかったと思いますよ。第一次大戦は軍人目線では完全に負け戦でも一般人には被害がまだ及んでなかったわけで、「アカとユダヤの陰謀だ!」と言われれば信じたくなるというのは非常にわかりやすい人間心理でしたしね。
広瀬隆の著作が「だまされようがありません」というのは、(あなたレベルなら)だまされようがないということです。
まあ、一読をお勧めしますね。賛否はともかく、それなりに楽しめると思いますから。私にしても全部同意するほど無批判な読み方はしていません。
それを「楽しめる」という神経がわからないですね。あなた、9.11陰謀論とかの本読んで楽しめますか。
私にこんなにもコンプレックスを与えている、あなたを含む「理系」エリートは凄くあってくれなくては困るわけで、それが凄くないもんだから、もうプンプンですよ。
そりゃまあ「逆恨み」としか言いようがないですが。まあ俺自身が「金融」とか「コンサル」とか「MBA」とかの人たちに対して多少とも似たような感情を持っていたり、それで色物でない「経済学者」の人にルサンチマンを誤爆したりしてないとは言わないから多少は同情しますが、まあ誤爆された方からすればお門違いもいいところとしか言いようがないですね。
????何をどう読めばそういう解釈になる?私はNHKと朝日・毎日・読売のWebサイトぐらいしか情報源に使ってなかったですよ。最初はBBCやCNNなどの外国メディアも見ていたが、国内メディアに比べて信頼性が落ちることに気づいて(外国メディアの方が信頼できるとか言ってた人たちは頭大丈夫かと正直思いますね)見るのをやめましたが。中でもダントツに信頼性が高かったのは速報性という意味ではNHK、分析という意味では毎日でした。
で、避難しようと思ったのは、私が単にリスクを2桁ぐらい過大評価していたというだけの話です。知り得た断片的な「事実」を過度に恐怖してしまったということです。それでも、最悪の事態に陥る可能性は1割以下だとは思ってましたけどね。
「情報空白」ってなんのことですか?政府は出せる情報は基本的に、多少もたつくことはあっても公開していたと思います。後になってから「だったら早く言え!」と思ったことは私は一度もないですよ。私は皆が「情報空白」だとか「隠蔽」だとかいうのが一体なんの話なのかまるでさっぱりわかりません。「メルトダウン」隠蔽説なんてのはその最たるものです。全くもって意味不明です。
あと、もうお忘れかもしれないけれど、3/19までは状況はどんどん悪化して、誰にも先が見えないムードだったでしょう。
あの状況で東京から脱出しても何ら異常な行動だと思いませんよ。
むしろ、あの状況で居残ってどや顔している人がいたら、そっちのほうが欺瞞だと思う。蛮勇かも知れないが、賢いとは到底思えない。
あのですね、悪化するとはいっても物理的な限界を超えて悪化することはできません。まして、チェルノブイリという、1つの原子炉について「起こしうる最悪の事故」の限界にほとんど等しい(何しろ原子炉の中身が全部剥き出しになって火事の煙と一緒に飛んでいった)例があるのだから、チェルノブイリの被害がどの程度のものか大まかにでも理解していれば居残ることが正解なのは明らかでした。私はナイーブ系反原発派を以前から嫌っていたにもかかわらず、どういうわけかチェルノブイリ事故のイメージだけは、ナイーブ系反原発派の描き出したおどろおどろしい地獄絵図そのままをナイーブに信じ込んでしまっていて、被害を実際より2桁ぐらい大袈裟に見積もっていた。大気中核実験のことを思い出せばそのイメージがおかしいことは簡単に理解できたはずなのに、それに気づかなかったから私は馬鹿だと悔やんでいるわけです。
原発反対派が「想像」※するほど事故は大破局にならなかったということで、どちらに「だまされたか」といえば、原発推進派ですけどね。
意味がわかりません。「騙す」というのは「意図的に嘘をつく」ことです。推進派が嘘をつきましたか?否。反対派が嘘をつきましたか?ついた。どちらが「騙した」のかは明らかです。そもそも推進派にしたって「絶対安全」なんて言っていないんだから「騙された」なんてのは自己欺瞞も甚だしいです。まして「絶対安全と言われた」なんてどの面下げて言うとんじゃと思いますね。