はてなキーワード: 大袈裟とは
言い訳も何も、東電を擁護してるつもりなんてないけどね。単に「狼少年」は自分の首を絞めているということを指摘したかっただけ。自衛隊だの公務員だの原発だの医者だのを、批判するだけ批判して褒めるところは全く褒めないという態度は結局自分の身に降りかかってくるということだ。批判するなら正しく批判しろということ。はっきりいって反原発派の99%の原発批判は2chのネトウヨのコピペレベルの知識だ(例のもんじゅデマや「原発がどんなものか知って欲しい」が一番わかりやすいだろう)。ああいうことを言っていては聞く耳を持たれるわけがない。
別の例を出せば、第二次大戦の歴史認識問題がある。はっきり言ってこの件に対する欧米リベラルの日本批判には随分おかしなものが多い。しかしそういう連中がのさばることを許しているかなり多くの原因は日本の歴史修正主義者にもある。そういう奴らのせいで、例えば南京大虐殺の死者数を、笠原あたりの説を引用して「30万は過大評価、10万-20万程度だ」と言っただけで右翼扱いされてしまう。
原発についても同じことが起こっているんだよ。
俺が言った「村」は日本か世界全体のことだから「壊滅する」ってのは余りにも大袈裟だね。正確には、村の出入り口付近の家が襲われて、住人は何とか逃げたがそこには住めなくなった、とでもいうべき。
屁理屈もへったくれもない。世の中にあるものすべてそういうもんです。「新幹線は安全です」というのと同じことだ。誰も「新幹線は絶対安全」なんて思うまい。責められるべきは東電が新幹線なみの意識で安全対策をしていなかったこと。それ以上でも以下でもない。福知山線事故を見て「鉄道は危険」なんていう奴はいまいよ。「JR西日本は安全文化を全面的に考え直せ!」というのが妥当な線。今回も同じこと。
こういうと「原子力は新幹線より一度の事故あたり被害が大きい」というかもしれないけど、言っとくけど、時速300km=分速5kmなんてものが5分間隔で走ってたり、あるいはガソリンなんて危ないものを燃料にした乗り物が道や空に溢れかえってたりするのも、核反応ほどのセンセーショナルさはないかもしれないけど、素人目には「神業」的な技術だと思うよ?
そして「数」のことも考えるべき。飛行機事故は自動車事故より派手だけど飛行機が自動車より危険かといわれるとそうとも言いがたいのと同じことが、原子力技術と他の技術の関係でも言えると思うよ。
要するに、あなたは「他に行き場所なんか無いんだ、だから、泣き言言う前にここで狼守ってる俺ら番人の足引っ張んじゃねえ」って思ってるということか。「原子力を利用できなければ、いずれにせよ人類は滅ぶ」と思ってるんだよね、おそらく。
俺自身は「番人」ではないが、ある程度その立場が理解できる者として、そう思ってる。元の記事に
自然エネルギーが「これから」の技術である現状、チェルノブイリよりずっと恐ろしい温暖化を確実に引き起こす火力よりマシだという考えは変わらん
と書いたとおり。温暖化や化石燃料枯渇は世界人口の短期間での激減というような壊滅的な被害を引き起こす可能性が現実のものとしてある。原発事故で人類が滅亡の危機に直面するすることはあり得ないことを考えれば、どう考えても火力より原子力が「マシ」であることは否定できまい。少なくとも、再生可能エネルギーやCO2の固定・回収技術の技術がもう一段階進歩したりするまではね(その間に原子力技術も進歩することはお忘れなく)。
そのことは「前提」だと思うんだけどね。「脱原発」を唱える人でさえ、最低でも四半世紀は先のことだというのは合意できてるはず。実際、四半世紀なんてのは現状の再生可能エネルギー技術でなんとかできる、という非常に楽観的な想定(原発の「安全神話」よりもよっぽど悪質だと思うけどね)に立って、ようやく成り立つぐらいのレベル。実際には半世紀かそこらは必要。つまり今後さらに原子炉寿命一世代分ぐらいは原子力が必要。即ち新設ストップなんてのは自殺行為だ。
となれば、現状の選択肢は「安全性を総点検・強化して原子力を利用」しかあるまい。それ以外何があるというんだ?
それは、科学的にそうなの?それとも漠然と政治・経済など専門外の「専門家」の人が言うことを聞いてそう思ってるということなの?
どうして自分が見えない所なのに色々言われていることが分かるのでしょうか?
見えない所で言うのが必ずしも悪い事ではありません。直接言うのが必ずしも良い事ではありません。自分にも言える事と増田は言っているので、分かっている事だと思います。
見えない所で言われたくなく、直接言って貰いたいのであれば、相手との関係によるのではないのでしょうか。また、良い関係であれば、見えない所でも直接でも、増田が納得いかなかったり、気分を淀ませたり、晴れない事はないと思います。
自分にも言える事と増田は言っているので、相手は自分が見えない所で色々言われたから、言っているのかもしれません。
>俺が悪い点もあるが、俺が完全に悪いという訳では無い。
ではしょうがないでしょうね。これはよく加害者が使うフレーズですが、増田は加害者なのでしょうか。加害者とは残念ですが非難されるものですよ。増田は誰かの過ちを非難したことはありませんか?
やられたり、奪われたり、貶められたりなどの被害者の傷は一生癒えることはありません。
>当人同士の問題でも無い所で
根っこで当人同士の問題だったりしませんか。
トラウマで何かができなくなってしまったら、何かができないこと自体よりもトラウマが問題だったりします。
例えば、いじめで登校拒否になったら、登校拒否自体よりもいじめが問題だったりします。
納得いかない、気分が淀む、晴れない、腹が立つという感情は相手に伝わるので、大袈裟な事を言えば、刺されたくないのなら穏便にするのが楽ですよね。
小便の切れが悪い。
残尿感とか言うほど大袈裟なものではないのだが、んー…果たしてコレって残らず排出されたと見てよいものか。という懸念というか、不明瞭な感じがいつもある。
そこで便器の前で排尿が終わった後の時間を長く取り、微妙に屈伸運動をしたりつま先立ちを繰り返したりして、これで完全に排泄されたのだという爽快が訪れるのをいちおう待ってみる。けどもう長らくその爽快は味わっていないようだ。仕方なくしまい込む。やれやれと立ち去る。この一連の儀式は我ながらなかなかに哀しくて間の抜けた絵面である。とてもよろしい。
それはそれとして、この不甲斐なさが一体いつ頃からのことなのか今ひとつはっきりしないのである。子供の頃は小便を終えた後、もっとすっきりした感じがあったような気はしている。けど意外にそうでもなく、すっきりしてなかろうが格納した後に垂れ流そうが子供特有の無頓着で意に介さなかっただけという話もありそうである。長じて快便を体調良好のバロメータとする意識を持つようになったせいで、不健康や衰えとは無縁であったはずの子供時代を美化しすぎているのかもしれない。「昔は良かった」は容易に陥る思考の陥穽だ…って、要は記憶を辿ってもよく分からないということが言いたいのである。
似た話で起き抜けなどに鏡を覗くと、そこにある皺にふと違和感を覚える時がある。あれ、こんな所に皺などあったっけ?という疑問が浮かぶのである。寝相の関係で圧迫されてできた皺が一時的なクセになるのはよくある事だけど、そうではなくて明らかに顔の一部となっている。すると昨日今日でホイホイできたとは考えにくい。ということはむろん前からあったものなのだという結論になる。けれどそれが一体いつ頃からそこにあったのか、今ひとつはっきりしない。
どうも近ごろ、私にとっての過去というものが加速度的に曖昧でおぼろなものになってゆくようでそこはかとなく恐ろしい。これはあったはずの出来事を忘れてしまうというだけの話では収まらない。
それまで「当たり前」どころか「前提」ぐらいにすら思っていた、私なりの物の見方や感じ方。そういう、いわば私の存在の中核となっていたもの、「私はこういう人間だ」と規定していたもののかたちでさえ次第に風化して崩れていっているように思われてならないということである。私という人間の輪郭が段々とぼやけていっているということである。
大きな喪失を感じるのが、そのときどきで抱いた感情や内的体験の味とか匂いのような質感が失われてゆくことである。幼児の頃の私は、なんでもないような絵や光景によくメルヘンな気分を味わった。子供の頃には、些細な風景写真や映画によく世界の広大さそのものへの憧憬の念のような感情が湧き起こった。
気恥ずかしいが、そういう「ときめき」がどんな感じであったか、さかしらに言えばときめきのクオリアとでも呼ぶべきものが思い出せない。ごくたまに、なにかの偶然がトリガーとなって自分の中によみがえる(匂いがきっかけとなることが多い)ことがあるまで、そんなものがあったことすら忘れてしまっているのである。けど私にとって、そういうものこそが生の実感であったはずのものだった。どうも今の私は魂を抜かれた抜け殻が生きているかのようである。
ご存知のとおり、人の肉体は固定されたものに見えて実は流動的である。代謝によって肉体を構成する物質が絶えず入れ替わり、我々がふだん石や木材のような固体のイメージで捉えている骨でさえ骨代謝という働きにより成人3年で完全に入れ替わる。言い換えれば3年前の私と今の私は正真正銘別物である。生命とはモノではなく、コトなのであって、渦とか波とかの現象と質的に同じなのである。こういう話を聞くにつけその確かな拠り所の無さ、脆さ儚さを思わずにはいられない。うたかたに例えた古人はまことに正しい。
まして人間の精神のような無形のものの流転の様は推して知るべしなのである。「私はいつだって私だ」というのは単純に言ってただの錯覚で、絶えずアメーバのように形を変えているイメージがより近いと私は思う。自分では一定の形を保っているように思っていながら、そのじつ絶えずなにかが流出し、知らずになにかが流入し続けているのである。朱に交われば赤くなるのだ。
下り坂の年齢にあると、その流出してしまったものの大きさのほうが堪える事実である。流入してくるものも無くはなかろうがどうも良いものには思われない。
これ、童貞に対する素人童貞なみに絶妙なネーミングセンスだと思った。
「新しい言葉で差別が生まれる」というのは大袈裟かも知れないが、
いずれにせよ、そこまであえてカテゴライズして貶めてやりたくなる程度に
ウザがられる何かが彼らにあるということだろう。
こういうこと書くと「何その『いじめられる奴にも問題がある』メソッド」とか言われそうだが、
そもそも人の好感度なんて貯金の残高と同じで、相手を楽しませれば残高が増え、
ムカつかせれば減っていき、マイナスになったら相応の帳尻合わせに
なんつーか、仕方ないと思う。
ちなみにこの手のネーミングで個人的に気に入っているのは、
初めて目にしたときはVIP辺りで流行らそうという衝動に駆られたくらいだ。
そのいろんな意味で無駄にかっこいい響きに目下やられっぱなしである。
響きがかっこいい分、キョロ充や素人童貞よりも表面上は殺伐としていない。
そしてかっこいいけど彼らを微塵も称賛していない。
こういう単語は好きだ。
まだ11月なんだけど、もう今年は何もないってことで。
「Iちゃんにとって今年は、(人間関係において)激動の年だったんじゃない?」と先日、年上の女友達に言われた。
「えっ、そーかね」とわたしは、その大袈裟な表現にすこし笑いながら、彼女と別れた後でよくよく考えてみたのだった。
その後で会った別の女友達には「意外と派手に遊んでるねー。何か信じられないよ」と呆れられた。
親戚の叔母ちゃんに諭される感じで、説教めいたことも言われた。
しかし、わたしの行動なんて、まだ可愛い方だと思う。
今年の幕開けは、就活だった。
恋愛とは無縁の生活。
うん、好きな人は暫くいなくて干物的な生活を送っていたのだった。
就活とバイトと歌舞伎町入り浸りライフとダークな文化体験を並行して行っていた。
「就活で出会いあった?」と今現在就活中の子に聞かれて「あったよー。隣に可愛い子が座ってたら話し掛ければいいじゃん?」などと答えたりしているわたしである。
出会いは確かにあったね。
新年度が始まり、色んな場所でいくらか出会いがあった。
再会したのもあった。
それでも今年1番実感したのは「出会いがあれば、別れがある」ということ。
「もういいや」と思うと、次に新しい出会いがぽんと生じている。
そういうのを繰り返してきた感じである。
不思議なことだが、本当にそうだった。
今年はわたしにしては珍しく、色んな男の子と関わった1年だった。
社会人の男の人とも結構知り合った。
1年というより12月までの半年間、と言った方が正しいかも知れない。
消えていった相手もいたが、関係が持続している相手もいる。
色んな人と遊べる状態って身軽でいいな、と思う。
いいとこしかつまんでない。
綺麗な部分しか見てない。
楽だ。
しかし、安定を望む自分もいる。
1人の人とじっくり向き合うことは、笑い以外の様々な顔をして生きていくことだから、人は成長すると思うし。
これからどうなるんだろう。
なるようにしかならんよな、こーいうことは特に。
わたしは1人引っ越し作業しながら、年越し(悲)
先週はやたら男の子と遊びまくった週で、それとは対照的に今週はおとなしくして、女の子と遊ぶくらいしか予定がない。
“クリスマスイブも明日もバイト♪4年間いつもクリスマスはバイト♪ワーキングガール♪”
きっとというか、確実にこんな感じ。
あまり慌てないことにしている。
そして1人の人に集中しないことにしている。
後で「どうしてわたしはあの人に、あれほどまで固執していたのだろうか。わたし阿呆だ」といつも思う。
新たに気になる人が出来ると、終わった恋愛についてそういう感想を持つ。
そういうものだから、人をまた新たに好きになっても、いちいち考え込まないことにした。
期待もしないし、妄想もしない。
それは裏切られるだけだ。
独りよがりな計画も立てない。
その場その場で、臨機応変に対応する。
流れに身を任せてみる。
そうした方が思いもよらない良いことになることが多い、と身をもって実感した。
「恵比寿のあのシャンデリアを見たカポゥは結ばれる」という都市伝説があるんだってさ、と、女友達に教えられた。
「Nさんとー?」と笑った。
あ、でも知ってたらNさんとは行ってないよね。
Nさんはあまりイケていないけれど誠実で純朴そうなサラリーマン。
この前、女友達と語ったこと。
みんなどう思うだろうか?
男の子と映画とかごはんの話になったとき「この前●●に行って…」と話し始めるのだが、その際誰と行ったかは言わないが「それ男だろ?」的なニュアンスを匂わせることがあるよね、って。
実際、男と行っているので真実なんだけど。
そうされると、若干嫌な気持ちになる人もいるらしい。
逆の立場で考えてみたら「あ、嫌だ」と分かった。
なのに、どうしてわたしもその行動をしてしまうのか。
「あなた以外にも遊ぶ人はいるの。あなたのこと気になるけど、あなただけに集中しているわけじゃない。だから『おまえ重い』と感じないでほしいな」という意味をわたしは込めているんだ、と思った。
見栄?
単純にそれだけで片付かず、重いヤツと思わないでほしい的なアピールなのよね。
分かって下さい。
けど、いざ「この前ここ来たんだよね」と言われると「んー誰だろ?女だったら嫌だな」って、全くもって自分勝手な感情を持ってしまう。
ガキなわたし…。
来年からはそういうのを余裕持って、そわそわせずに「へぇ。いいとこじゃん」と口先だけでなく、心から言えるようになりたい。
社会人になるしね。
なんかへんな話だなあ
擬似恋愛を演出するならむしろ
気持ちいいかと聞くな
どんなふうに攻めてと要望するな
痛いと言うな
勃起具合を評価するな
勃起させようとしている時はしゃべるな
どんな体位がいいかと聞くな
こんな体位がいいと要望するな
どんなふうに挿入してと指示するな
ゴムつけろと言うな
いこうとしているときはしゃべるな
精液を評価するな
いったあとは話しかけるな
いったあとは触るな
これは全部逆じゃない?
この辺りは全部破ってくれた方が嬉しいんだけどな
っていうかそういう人にしか続けて入らない
あと
その店の利用頻度や利用する理由を聞くな(同上)
今日一日の行動を聞くな
仕事の事聞くな
居住地を聞くな
このあたりはいつも鉄板で聞かれてる
ちなみによく行ってるお店はかなり規則とかキッチリしてるお店だから
(女の子に言わせるとその○○グループは「軍隊」という大袈裟なあだ名があるらしい)
ルーズなせいで聞かれてるって訳じゃない筈
あと
その女の子を選んだ/当たった理由を聞くな(同上)
どういう女の子を選びたいか聞くな(同上)
これは聞かれたことないけど
聞かれたら話の糸口になっていいけどなあ
(「こういうとこが好みだから!」なんていう風に選んだ理由を説明する機会があると打ち解けやすい)
最後に
これ教えてください
だいたいわかるけど是非一度ちゃんと聞きたかった
あれどれぐらいどんな効果があるんだろう
世間から見たら危ないキチガイみたいなもんだと思われてるだろうし、俺もたまにそうなんじゃないかってなんとなく直観してるからそうならないように、街出たら必ずといっていいほど叫んでる。機械的に。別にいらついてるわけでも精神が重篤な危機に陥ってるわけでもないけど、こういう境遇だからさ、いつそういう風になるかわかんないじゃん。
だからとりあえず大袈裟に叫ぶ。怒る。狂ったりする。本当にそうしなくてもいいように。ぎりぎり犯罪にはならない、あらゆる迷惑をかけ尽くそうと今も企んでいる。それらを計画どおり冷静に淡々とやってることすら気づかず、本気で憤りを感じたり、見下したりする全ての人間たちがいかに滑稽か、みるみるうちに分かってくるから。
いかなる悪も、この自分が実際に行っている悪のように、本来一つの冷徹な視座とまなざしに支えられてるかもしれないものだということを自身に焼き付けておくためには、これからも自らの思う悪をそうやって徹底させていくしかないのだと思ってる。
ところで悪とは何か?
自分にとって最も相容れない他者の究極的な形こそ悪というものなんじゃないかって俺は最近思うようになった。
そしてひきこもりやニートたちにとって、現実の社会でまともに生きていけるように自己改革するためには、そのような、自分が最も拒絶する現実や形式を受け入れ、克服しようとする気概を持ち、さらにはそれらを維持し続けるために、自ら悪という「自分には到底受け入れられない異物」になりきる他ないんじゃないかってのを一当事者として痛切に感じるわけだ。ね?斎藤環より良いこと言ってるっしょ?なーにがひきこもりのオーソリティー(笑)だ、せいぜい Oh!sorry!ってぇとこでしょう?謝れ職業人!!
忘れもしない今年の5月18日。武蔵野赤十字病院、循環器科の医師から次のような宣告を受けた。「膵臓ガン末期、骨の随所に転移あり。余命長くて半年」妻と二人で聞いた。二人の腕だけでは受け止められないほど、唐突で理不尽な運命だった。普段から心底思ってはいた。「いつ死んでも仕方ない」とはいえあまりに突然だった。
確かに兆候はあったと言えるかもしれない。その2~3ヶ月前から背中の各所、脚の付け根などに強い痛みを感じ、右脚には力が入らなくなり、歩行にも大きく困難を生じ、鍼灸師やカイロプラクティックなどに通っていたのだが、改善されることはなく、MRIやPET-CTなどの精密機器で検査した結果、いきなりの余命宣告となった次第である。気がつけば死がすぐ背後にいたようなもので、私にはどうにも手の打ちようもなかったのだ。
宣告の後、生き延びるための方法を妻と模索してきた。それこそ必死だ。頼もしい友人や強力この上ない方の支援も得てきた。抗ガン剤は拒否し、世間一般とは少々異なる世界観を信じて生きようとした。「普通」を拒否するあたりが私らしくていいような気がした。どうせいつだって多数派に身の置き所なんかなかったように思う。医療についてだって同じだ。現代医療の主流派の裏にどんなカラクリがあるのかもあれこれ思い知った。「自分の選んだ世界観で生き延びてやろうじゃないか!」しかし。気力だけではままならないのは作品制作とご同様。病状は確実に進行する日々だった。
一方私だって一社会人として世間一般の世界観も、半分くらいは受け入れて生きている。ちゃんと税金だって払ってるんだから。立派には縁遠いが歴とした日本社会のフルメンバーの1人だ。だから生き延びるための私的世界観の準備とは別に、「ちゃんと死ぬための用意」にも手を回してきたつもりだ。全然ちゃんと出来なかったけど。その一つが、信頼のおける二人の友人に協力してもらい、今 敏の持つ儚いとはいえ著作権などの管理を任せる会社を作ること。もう一つは、たくさんはないが財産を円滑に家内に譲り渡せるように遺言書を作ることだった。無論遺産争いがこじれるようなことはないが、この世に残る妻の不安を一つでも取り除いてやりたいし、それがちょいと向こうに旅立つ私の安心に繋がるというもの。
手続きにまつわる、私や家内の苦手な事務処理や、下調べなどは素晴らしき友人の手によってスピーディに進めてもらった。後日、肺炎による危篤状態の中で、朦朧としつつ遺言書に最後のサインをしたときは、とりあえず、これで死ぬのも仕方ないと思ったくらいだった。「はぁ…やっと死ねる」なにしろ、その二日前に救急で武蔵野赤十字に運ばれ、一日おいてまた救急で同じ病院へ運ばれた。さすがにここで入院して細かい検査となったわけだ。結果は肺炎の併発、胸水も相当溜まっている。医師にはっきり聞いたところ、答えは大変事務的で、ある意味ありがたかった。「持って…一日二日……これを越えても今月いっぱいくらいでしょう」聞きながら「天気予報みたいだな」と思ったが事態は切迫していた。それが7月7日のこと。なかなか過酷な七夕だったことだよ。
ということで早速腹はきまった。私は自宅で死にたい。周囲の人間に対して最後の大迷惑になるかもしれないが、なんとしてでも自宅へ脱出する方法をあたってもらった。妻の頑張りと、病院のあきらめたかのような態度でありつつも実は実に助かる協力、外部医院の甚大な支援、そして多くの天恵としか思えぬ偶然の数々。あんなに上手く偶然や必然が隙間なくはまった様が現実にあるとは信じられないくらいだ。「東京ゴッドファーザーズ」じゃあるまいし。
妻が脱出の段取りに走り回る一方、私はと言えば、医師に対して「半日でも一日でも家にいられればまだ出来ることがあるんです!」と訴えた後は、陰気な病室で一人死を待ち受けていた。寂しくはあったが考えていたのはこんなこと。「死ぬってのも悪くないかもな」理由が特にあるわけもなく、そうとでも思わないといられなかったのかもしれないが、気持ちは自分でもびっくりするほど穏やかだった。ただ、一つだけどうしても気に入らない。「この場所で死ぬのだけは嫌だなぁ…」と、見ると壁のカレンダーから何か動き出して部屋に広がり始めるし。「やれやれ…カレンダーから行列とはな。私の幻覚はちっとも個性的じゃないなぁ」こんな時だって職業意識が働くものだと微笑ましく感じたが、全くこの時が一番死の世界に近寄っていたのかもしれない。本当に死を間近に感じた。死の世界とシーツにくるまれながら、多くの人の尽力のおかげで奇跡的に武蔵野赤十字を脱出して、自宅に辿り付いた。死ぬのもツライよ。断っておくが、別に武蔵野赤十字への批判や嫌悪はないので、誤解なきよう。ただ、私は自分の家に帰りたかっただけなのだ。私が暮らしているあの家へ。
少しばかり驚いたのは、自宅の茶の間に運びこまれるとき、臨死体験でおなじみの「高所から自分が部屋に運ばれる姿を見る」なんていうオマケがついたことだった。自分と自分を含む風景を、地上数メートルくらいからだろうか、ワイド気味のレンズで真俯瞰で見ていた。部屋中央のベッドの四角がやけに大きく印象的で、シーツにくるまれた自分がその四角に下ろされる。あんまり丁寧な感じじゃなかったが、文句は言うまい。
さて、あとは自宅で死を待つばかりのはずだった。ところが。肺炎の山を難なく越えてしまったらしい。ありゃ?ある意味、こう思った。「死にそびれたか(笑)」その後、死のことしか考えられなかった私は一度たしかに死んだように思う。朦朧とした意識の奥の方で「reborn」という言葉が何度か揺れた。不思議なことに、その翌日再び気力が再起動した。妻を始め、見舞いに来て気力を分け与えてくれた方々、応援してくれた友人、医師や看護師、ケアマネージャなど携わってくれている人すべてのおかげだと思う。本当に素直に心の底から。
生きる気力が再起動したからには、ぼんやりしているわけにはいかない。エクストラで与えられたような命だと肝に命じて、大事に使わねばならない。そこで現世に残した不義理を一つでも減らしたいと思った。実はガンのことはごくごく身の回りの人間にしか伝えていなかった。両親にも知らせていなかったくらいだ。特に仕事上においては色々なしがらみがあり、言うに言えなかった。インターネット上でガンの宣言をして、残りの人生を日々報告したい気持ちもあったのだが、今 敏の死が予定されることは、小さいとはいえ諸々影響が懸念されると思えたし、それがゆえに身近な知り合いにも不義理を重ねてしまっていた。まことに申し訳ない。
死ぬ前にせめて一度会って、一言でも挨拶したい人はたくさんいる。家族や親戚、古くは小中学校からの友人や高校の同級生、大学で知り合った仲間、漫画の世界で出会い多くの刺激を交換した人たち、アニメの世界で机を並べ、一緒に酒を飲み、同じ作品で腕前を刺激しあい、楽しみも苦しみも分け合った多くの仲間たち、監督という立場のおかげで知り会えた数知れないほどたくさんの人びと、日本のみならず世界各地でファンだといってくれる人たちにも出会うことが出来た。ウェブを通じて知り合った友人もいる。
出来れば一目会いたい人はたくさんいるが(会いたくないのもいるけれど)、会えば「この人ともう会えなくなるんだな」という思いばかりが溜まっていきそうで、上手く死を迎えられなくなってしまいそうな気がした。回復されたとはいえ私に残る気力はわずかで、会うにはよほどの覚悟がいる。会いたい人ほど会うのがつらい。皮肉な話だ。それに、骨への転移への影響で下半身が麻痺してほぼ寝たきりになり、痩せ細った姿を見られたくもなかった。多くの知り合いの中で元気な頃の今 敏を覚えていて欲しいと思った。病状を知らせなかった親戚、あらゆる友人、すべての知人の皆さん、この場を借りて不義理をお詫びします。でも、今 敏のわがままも理解してやっていただきたい。だって、「そういうやつ」だったでしょ、今 敏って。顔を思い出せば、いい思い出と笑顔が思い起こされます。みんな、本当にいい思い出をたくさんありがとう。自分の生きた世界を愛している。そう思えることそのものが幸せだ。
私の人生で出会った少なからぬ人たちは、肯定的否定的どちらであっても、やっぱり今 敏という人間の形成にはどこか必要だっただろうし、全ての出会いに感謝している。その結果が四十代半ばの早い死であったとしても、これはこれとして他ならぬ私の運命と受け止めている。いい思いだって随分させてもらったのだ。いま死について思うのはこういうこと。「残念としかいいようがないな」本当に。
しかし、多くの不義理は仕方ないと諦めるにせよ、私がどうしても気に病んで仕方なかったことがある。両親とマッドハウス丸山さんだ。今 敏の本当の親と、アニメ監督の親。遅くなったとはいえ、洗いざらい本当のことを告げる以外にない。許しを乞いたいような気持ちだった。
自宅に見舞いに来てくれた丸山さんの顔を見た途端、流れ出る涙と情けない気持ちが止めどなかった。「すいません、こんな姿になってしまいました…」丸山さんは何も言わず、顔を振り両手を握ってくれた。感謝の気持ちでいっぱいになった。怒涛のように、この人と仕事が出来たことへの感謝なんて言葉ではいえないほどの歓喜が押し寄せた。大袈裟な表現に聞こえるかもしれないが、そうとしか言いようがない。勝手かもしれないが一挙に赦された思いがした。
一番の心残りは映画「夢みる機械」のことだ。映画そのものも勿論、参加してくれているスタッフのことも気がかりで仕方ない。だって、下手をすればこれまでに血道をあげて描いて来たカットたちが誰の目にも触れない可能性が十分以上にあるのだ。何せ今 敏が原作、脚本、キャラクターと世界観設定、絵コンテ、音楽イメージ…ありとあらゆるイメージソースを抱え込んでいるのだ。もちろん、作画監督、美術監督はじめ、多くのスタッフと共有していることもたくさんあるが、基本的には今 敏でなければ分からない、作れないことばかりの内容だ。そう仕向けたのは私の責任と言われればそれまでだが、私の方から世界観を共有するために少なからぬ努力はして来たつもりだ。だが、こうとなっては不徳のいたすところだけが骨に響いて軋んだ痛みを上げる。スタッフのみんなにはまことに申し訳ないと思う。けれど少しは理解もしてやって欲しい。だって、今 敏って「そういうやつ」で、だからこそ多少なりとも他とはちょっと違うヘンナモノを凝縮したアニメを作り得てきたとも言えるんだから。かなり傲慢な物言いかもしれないが、ガンに免じて許してやってくれ。
私も漫然と死を待っていたわけでなく、今 敏亡き後も何とか作品が存続するべく、ない頭を捻って来た。しかしそれも浅知恵。丸山さんに「夢みる機械」の懸念を伝えると、「大丈夫。なんとでもするから心配ない」とのこと。泣けた。もう号泣。これまでの映画制作においても予算においても不義理ばかり重ねて来て、でも結局はいつだって丸山さんに何とかしてもらって来た。今回も同じだ。私も進歩がない。丸山さんとはたっぷり話をする時間が持てた。おかげで、今 敏の才能や技術がいまの業界においてかなり貴重なものであることを少しだけ実感させてもらった。才能が惜しい。何とかおいていってもらいたい。何しろザ・マッドハウス丸山さんが仰るのだから多少の自信を土産に冥途に行けるというものだ。確かに他人に言われるまでもなく、変な発想や細かい描写の技術がこのまま失われるのは単純に勿体ないと思うが、いた仕方ない。それらを世間に出す機会を与えてくれた丸山さんには心から感謝している。本当ににありがとうございました。今 敏はアニメーション監督としても幸せ者でした。
両親に告げるのは本当に切なかった。本当なら、まだ身体の自由がきくうちに札幌に住む両親にガンの報告に行くつもりだったが、病気の進行は悔しいほど韋駄天で、結局、死に一番近づいた病室から唐突極まりない電話をすることになってしまった。「オレ、膵臓ガン末期でもうすぐ死ぬから。お父さんとお母さんの子供に生まれて来て本当に良かった。ありがとう」突然聞かされた方は溜まったものではないだろうが、何せその時はもう死ぬという予感に包まれていたのだ。
それが自宅に帰り、肺炎の危篤を何とか越えて来た頃。一大決心をして親に会うことにした。両親だって会いたがっていた。しかし会えば辛いし、会う気力もなかったのだが、どうしても一目親の顔を見たくなった。直接、この世に産んでもらった感謝を伝えたかった。私は本当に幸せだった。ちょっと他の人より生き急いでしまったのは、妻にも両親にも、私が好きな人たちみんなに申し訳ないけれど。私のわがままにすぐ対応してくれて、翌日には札幌から両親が自宅についた。寝たきりとなった私を一目見るなり母が言った言葉が忘れられない。「ごめんねぇ!丈夫に産んでやれなくて!」何も言えなかった。
両親とは短い間しか過ごさなかったが、それで十分だった。顔を見れば、それですべてわかるような気がしたし、実際そうだった。
ありがとう、お父さん、お母さん。二人の間の子供としてこの世に生を受けたことが何よりの幸せでした。数えきれないほどの思い出と感謝で胸がいっぱいになります。幸せそのものも大事だけれど、幸せを感じる力を育ててもらったことに感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。
親に先立つのはあまりに親不孝だが、この十数年の間、アニメーション監督として自分の好きに腕を振るい、目標を達成し、評価もそれなりに得た。あまり売れなかったのはちょいと残念だが、分相応だと思っている。特にこの十数年、他人の何倍かの密度で生きていたように思うし、両親も私の胸のうちを分かってくれていたことだろう。
両親と丸山さんに直接話が出来たことで、肩の荷が下りたように思う。
最後に、誰よりも気がかりで、けれど最後まで頼りになってくれた妻へ。あの余命宣告以来何度も二人で涙にくれた。お互い、身体的にも精神的にも過酷な毎日だった。言葉にすることなんて出来ないくらい。でも、そんなしんどくも切ない日々を何とか越えて来られたのは、あの宣告後すぐに言ってくれた力強い言葉のおかげだと私は思っている。「私、最後までちゃんと伴走するからね」その言葉の通り、私の心配など追い越すかのように、怒濤のごとく押し寄せるあちらこちらからの要求や請求を交通整理し、亭主の介護を見よう見まねですぐに覚え、テキパキとこなす姿に私は感動を覚えた。「私の妻はすごいぞ」今さらながら言うな?って。いやいや、今まで思っていた以上なんだと実感した次第だ。私が死んだ後も、きっと上手いこと今 敏を送り出してくれると信じている。思い起こせば、結婚以来「仕事仕事」の毎日で、自宅でゆっくり出来る時間が出来たと思えばガンだった、ではあんまりだ。けれど、仕事に没頭する人であること、そこに才能があることを間近にいてよく理解してくれていたね。私は幸せだったよ、本当に。生きることについても死を迎えるにあたっても、どれほど感謝してもしきれない。ありがとう。
気がかりなことはもちろんまだまだあるが、数え上げればキリがない。物事にも終わりが必要だ。最後に、今どきはなかなか受け入れてもらいにくいであろう、自宅での終末ケアを引き受けてくれた主治医のH先生、そしてその奥様で看護師のKさんに深い感謝の気持ちをお伝えしたい。自宅という医療には不便きわまりない状況のなか、ガンの疼痛をあれやこれやの方法で粘り強く取り除いていただき、死というゴールまでの間を少しでも快適に過ごせるようご尽力いただき、どれほど助けられたことでしょう。しかも、ただでさえ面倒くさく図体と態度の大きな患者に、単なる仕事の枠組みをはるかに越え、何より人間的に接していただいたことにどれほど私たち夫婦が支えられ、救われたか分かりません。先生方御夫婦のお人柄にも励まされることも多々ありました。深く深く感謝いたしております。
そして、いよいよ最後になりますが、5月半ばに余命宣告を受けてすぐの頃から、公私に渡って尋常ではないほどの協力と尽力、精神的な支えにもなってくれた二人の友人。株式会社KON’STONEのメンバーでもある高校時代からの友人Tと、プロデューサーHに心からの感謝を送ります。本当にありがとう。私の貧相なボキャブラリーから、適切な感謝の言葉を探すのも難しいほど、夫婦揃って世話になった。 2人がいなければ死はもっとつらい形で私や、そばで看取る家内を呑み込んでいたことでしょう。何から何まで、本当に世話になった。で。世話になりついでですまんのだが、死んだあとの送り出しまで、家内に協力してやってくれぬか。そうすりゃ、私も安心してフライトに乗れる。心から頼む。
さて、ここまで長々とこの文章におつき合いしてくれた皆さん、どうもありがとう。世界中に存する善きものすべてに感謝したい気持ちと共に、筆をおくことにしよう。
じゃ、お先に。
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http://konstone.s-kon.net/modules/notebook/archives/565
無断転載しました。ごめんなさい。
誰かを叱る時に過剰に怒ってしまうという、人が冒しやすい過ちがある。
叱っている時というのは、たいていの人の場合、機嫌が悪い。
この時点で既に少し間違っている。
育児書やコーチングの本などにも、怒らずに叱ることの重要性が書かれている。
叱るときに機嫌が悪いのは間違いだと何となく分かるだろう。
間違いなのだけど、まあ人間だし機嫌が悪くもなる。そこは目をつぶるとしよう。
本当に致命的なのは、そこではないからだ。
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ではどこが致命的かというと、機嫌の悪さに任せて、不必要なことに対しても怒ってしまうことだ。
例えば、相手の態度が悪いとか、質問に対して質問で返すだとか。
挙げ句の果てには、昔のことを蒸し返して叱ったり、日頃の細かいことにも小言を言ったり。
そんなことはハッキリ言って些末なことである。
相手が過ちを理解し、次は気をつけようと思うだけで良いのであって、
反省の態度が無いとかそういうことは二の次なのだ。
ましてや、日頃の態度に対する小言とか、昔のことの蒸し返しなんてもってのほか。
だのに、そういう叱り方をしている人が実に多い。
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そういう叱り方がなぜ問題かというと、第1に今回なぜ怒られているのかという焦点がボヤけてしまうから。
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これも大きな問題なのだが、もっと根深い第2の問題をも発生させてしまうのである。
それは、叱られたら過剰に自己否定するという適応を相手が習得してしまう恐れである。
あなたの周りにもいないだろうか?
ふだん平気な顔でイケないことをしてるくせに、叱られる段になったら、「本当に悪かったです。反省してます」とすぐに調子の良いことを言う人が。
また、「私という人間の不徳の致すところであります」「まったくもって私はダメ社員です。根本的に変わらないといけませんね」などと大袈裟に謝る人もいないだろうか?
彼らに共通するのは、過剰な自己否定によって、実は自己防衛しているという事実だ。
一見素直に反省しているように見えるが、実は、今回なぜ怒られているのかという点に真っ正面から向き合っていない。
「とりあえず謝っとけ」という発想は、彼らなりの適応である。
そういう適応を身につけた彼らを狡賢いと考えてはならない。
なぜなら、そういう行動パターンを身につけた背景には、過剰に叱る上司の存在があるからだ。
過剰に叱る上司の前では、今回の過ちに対する自覚を示し、心をこめて謝るだけでは、効果がないことが多い。
今回の過ちだけでなく、反省の態度とか、日頃の行いとか、そういったことを全て謝り、上司の怒りを鎮める必要があるからだ。
だから、そういう上司の部下というのは、みんな過剰な謝罪を行うという悪癖を身につけてしまうのだ。
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ぎりぎり10代。地味系の大学生(女)。
さっきまでだらだらネットしてたんだけど、何かふと思いたって無料アダルト動画を視聴してみた。
素人娘のハメ撮り。
感想。
いやああああああああああああ(絶叫)
何かもう予想以上にグロテスクだった。
高校の時田口ランディとか普通に読んでたから、映像もきっと大丈夫だろうと高を括っていたらとんでもなかった…
フェラとかもう恐怖映像でしかなかった。チ○コの細かい皺までくっきり写っていて生々しいよ。
いつか私もあれやるの?付き合った人と?そんなん無理だって。
男のチ○コ怖い。口に含むの怖い。絶対病気になる。
あんなにあんあん喘げないよ。そもそも人前で裸になるのが恥ずかしい。ある特定の一人の前でも…駄目だ想像できない。
AVのセックスは、一種のプロスポーツと考えていいんですよね。
素人はそこまで要求されないですよね。もっと淡泊でいいんですよね。というか、しなくてもいいんですよね。
たくさんいてほしいです。切に願います。
まあまあ、誰かと付き合う予定すらないのにこんなことばかり心配してどうするんだと、正直自分でも思わなくはないです(笑)。
こうして知識と恐怖感だけどんどん増えていくんだよチクショー。
ここで日記を書くようになってやっぱし専業主婦って良くないことも多いな、と思った。
それはいわゆる専業主婦だからダメっていうのではなく、社会から離れれば離れるほど否定されたりすることに不慣れになってしまってダメだなぁ、ということ。とくに主婦なんか家庭内では自分が絶対権力者みたいなところがあるし、家族から自分の考えを否定されようものなら、家事を従事る者として家族に対して報復行動に出る事だって可能だ。(具体例は避けるが)
何を叩かれるようなこと書いてるんだ、と言われたら恥ずかしいけれども。
でも、なんか目が覚める様なコメントが付いていて衝撃を受けた。
最初は悔しかったし、私の何を知ってるって言うんだよー、とか思った。
だけど、何度も読み返すうちに、自分の考えが幼いんだという結論に達した。
そして、その幼くなってしまった背景には社会経験の少なさがあるんだな、と。
夫が私に対して強く優しくいてくれるのも、社会で揉まれているからこその経験と技なんだろう。
社会でもまれていないでぬくぬく生活している私には、はてなでつくコメント一言で大ダメージだ。
まったく世の中のことがわかってないんだな。
すごくそう感じた。
相変わらず自分はぬくぬく生活して、おこちゃまで、世の中のことわかってない。
ここで何かを書いて叩かれたからって、何が変わるわけでもない。
ただ、自分があまちゃんなんだってことがわかった。
そして自分が何か偉そうに人に言える身分の頭の持ち主じゃないんだってことがよくわかった。
頭にお花の生えてる私みたいな主婦は、誰よりも謙虚に己を知って生きなければ、世知辛い社会でたくましく生きてる人に失礼だな、と。
<5月25日>(火)
引継ぎのときに、確認しながらいろんな書類を渡し終えた後で、前任者がニヤニヤしながら鍵を取り出すのです。「これって、何ですか?」「アレですよ、アレ」。前任者はそう言うと、部屋の片隅に目配せしました。そこには金庫がありました。内閣報償費、いわゆる機密費が入った金庫の鍵だったのです。
政務の官房長官秘書官にとって、いちばん大きな仕事はこの機密費の処理だったんですね。鍵を使って金庫を開けてみると、中はお札がギッシリ入っていました。少し使って中身が減ると、いつの間にかまた増えている。どうも夜中にこっそりと事務の方がお金を補充していたみたいですね。その辺の仕組みは、最後までわかりませんでした。
機密費の使い方については、もちろん秘書は何も知らされていないのです。でも、官邸の古いスタッフの人が教えてくれました。あの人にはいくら、この人にはいくら、という感じで。いくら機密費とはいえ、前の政権でどういう使い方をしたかは、ちゃんと記録が残っているのです。当たり前ですよね。そうでないと秘書が着服しても分からないですから。
わけの分からない媒体を出している社長がぶらりとやって来て、座り込んで帰らない、なんてことがありました。この人、何をしに来たんだろう、と不思議に思いながら話の相手をいると、突然、「おい、アレだよ。出すもの出せよ」と言い出す。そこでやっと気がつく、なんてこともありましたね。つまり催促に来ているわけです。なぜ、その人にお金を払っていたのかは、正直、よく分かりませんでした。
大きな使い道としては、議員の外遊のお餞別ですね。皆さん、出発が近づくとニコニコしながら官邸にやってくるんです。「いやあ、今度、○○に行くことになりまして」って、要は分厚いのを頂戴よ、って意味なんですけど。与野党の隔てなく、配っていましたね。議員さんの出張は、今の時代の感覚にしては大袈裟なんです。もちろんお土産もいっぱい買ってこられましたけど・・・・。
「与野党の隔てなく、配っていましたね」って。
ttp://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1239175722/
⑧最後にお国柄の違いが分かりやすい例で見る事が出来たので、書いておきます。
大人が困難な状況にいる子供やお年寄り、動物に対して物凄く優しいという一例です
実際見て驚いたのは完全倒壊した建物の中に、人は残っていなかったが、飼い猫が居るはずだ
と子供が泣いていたらベロンベロンに酔っ払った爺さんがサッと胸に十字を切って瓦礫に突入して
20分位経過したら、なんと猫の首根っこを掴んで真っ白になりながら出て来た、更に驚いたのは
誰も爺さんを止めなかった事です、自分は危ないから止めた方がいいのではと、隣にいたのオヤジ
に聞いら『爺さんは男だろう、男が自分でやると決めたのだから誰にも止める権利はないのだ』
と言ってた、そして猫を救助して、みんな拍手喝采、子供は爺さんに抱き着いて一件落着と
思ったら、なんと爺さんまた瓦礫に突っ込で行きなんと子供のボロボロになった、正体不明の
『これで寂しくはないよ、もう大丈夫だ』と言い残した後、大袈裟にぶっ倒れてしまい
【社説】 「鳩山政権、『選挙詐欺』か。普天間で沖縄県民を愚弄するのもいい加減にしろ」…琉球新報
ttp://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1269399444/
6 名前:民主党が狙う日米安保破棄への流れ[] 投稿日:2010/03/24(水) 11:58:50 ID:219E9PN60
1.移設先二転三転など出鱈目な対応でアメリカの反感を買い、日米安保に消極的な流れを作る。
2.さらに別の議員などが「911テロはアメリカの陰謀」などと公然と発言し、さらに追い討ちをかける。
3.核密約等と過去の外交上の話を大袈裟に騒ぎ立てて問題視する。
4.子供手当てなどの財源のあてもない無茶苦茶な政策で防衛費を削らざるを得ない状況にわざとしむける。
6.無駄な政策によりしわ寄せの来た防衛費を大削削減。自衛隊縮小。(3/22防衛大での総理大臣訓示)(←今ここ)
7.子供手当てなどを実施し、外国から多数工作員を呼び寄せる。工作資金供給。
8.外国人参政権を成立し大量の外国人移民を流入させ、住民投票でまず沖縄から(出来れば国外へ)米軍を追い出す。(沖縄ビジョン)
ttp://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/asia/1268140927/
356 名前: 日出づる処の名無し Mail: sage 投稿日: 2010/03/10(水) 07:10:39 ID: NZGcCsfL
というか我が党にブーメランとして突き刺さるよね。密約。
359 名前: 日出づる処の名無し Mail: sage 投稿日: 2010/03/10(水) 07:23:56 ID: s25x3FB6
»356
うん。密約の内容を全然知らないor興味ない人でも、数十年前の実害のなかった
日米間の外交条約の瑕疵をそこまで大袈裟に取り上げる潔癖さで、オノレの党の
それと、一般人でも事情に詳しい人なら当時の状況を鑑みれば、核の持込があっても
不思議じゃないよなくらいは考え付くのに、総理や外務大臣経験者が党内にいながら
ぼけーっと今まで何もしてこなかったわが党の無能さにも愛想を尽かしそうです。
360 名前: 日出づる処の名無し Mail: sage 投稿日: 2010/03/10(水) 07:27:28 ID: Uz0Xg9k6
»356»359
これのことかな
475 名前:Trader@Live![sage] 投稿日:2010/03/10(水) 05:54:24 ID:QCZm9C3t
529 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2010/03/10(水) 00:26:06 ID:???
>○羽田孜
>なお、一九六九年の佐藤・ニクソン密約の真相いかんというお話でございましたけれども、
>これはもう再三私どもの先輩たちがお答えしてきておりますように、
>御指摘のような密約が交わされたとの事実はないということであります。
1994年 羽田内閣 小沢一郎 鳩山由紀夫 菅直人 岡田克也
ttp://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/129/0001/12905120001018a.html
まあ負担は増えるかもしれないさ。
だがそれがどうしたって言うのか。
ちょっとくらい税金が増えたからと言って我々の生活に大きな影響があるわけでもないだろう。
「我々には何も残されてない」とか大袈裟に騒ぎすぎ。
世界の終りじゃないんだから。