2013-01-04

余裕のある人間になりたい

甘く見積もっても「まだ子供だから」とは言えない年齡に片足を突っ込んでいることだし、

今年の目標を「余裕のあるカッコイ人間になる」にしたところ、年が明けてから5回はテンパった。

どうも私は、いっつもいっぱいいっぱいで、何かとすぐにワタワタしてしまう。

 

振り返ってみれば私は、精神的なこと以前にまず普段の生活に余裕が無い。

5分前行動ができない。

バイトを辞めてからはたまに食費が危うい。

テスト一夜漬けするタイプだ。

そのくせプライドは高いから、間に合わなかった時にヘラヘラできない。

 

さらに言えば失くし物がすごく多い。

大事ものだろうが、30秒前に使っていようが容赦なく失くす。

例えば、読みかけの本の続きを読んで、キリがいいので栞をはさもうとしたら、無い。

さすがにここ数年は自分の行動パターンが掴めているので、たいていの失くし物はすぐに見つけられる。

本を置いたテーブルかなーとか、変なページにはさんでないかなーとか、確認すればすぐに出てくる。

それなのに飽きもせず凝りもせず、なくしては焦り、なくしては嘆く。

  

こうしてみると業は深い。

  

まず第一に悟るべきものは、日々の具体的な行動に余裕を持たせることの価値だ。

待ち合わせ時間には余裕を持っていく。時間を余らせるつもりで動く。

このあまった時間はムダなんかじゃない、ということを気持ちでわからなければならない。

それこそが心のゆとりの育つ時間である

 

次に、持ち物を整理すべきだ。

正直、自分の紛失癖については半分諦めている。

その上で最近世間に一足遅れて)思ってきたことは、持ち物は少ないほうがラクということだ。

無くてもいいものを持っていることは生活の豊かさのように思えるけれど、

いかんせん私はキャパが小さい。とにかく許容量が並以下だ。

その上で、棚に飾られた食玩ひとつとったって、ただただ置いておくだけでホコリがつもってくるし、

ふとしたときに、大袈裟に言えば、たまには眺めて楽しんでやらないといけないようなオーラを放って面倒くさい。

それに私みたいな人間は、デジカメの充電ケーブルやUSBメモリが隠れこむ場所を減らさなければならない。

 

最後に。自分マイナス感情をもう少し軽視すべきだ。

急にやるべきことが増えて休日が潰れると悲しいけれど、いざ土日になれば平常心でちゃっちゃとこなせる。

そんな経験をもう、何度もしてきただろう。

これはこれでしょうがないって、やれるだけはやろうって、切り替えができない人間じゃない。

からそんなに嘆かなくていい。

嫌なことがあって、3日後の自分想像すると――あるいは1か月後の自分想像すると、

たぶん、そんなこと、ただの過去の出来事のひとつになっているだろう。

から、そんな人生設計が狂ったみたいに悲観しなくていい。

 

 

かっこいい大人への道は遠い。

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