小さい頃から厳しめに怒られる家庭で育った。怒られる原因は些細なことだが、水をぶっかけられたり、反抗期の頃は殴り合いもよくあった。
大人になった今、自分としては怒ってもらえて良かったと思っている。
なぜなら、箸の持ち方とか、口調とか、礼儀とか、謙虚であるべきだとか、社会人になってから躾けてもらえて良かったなと思えていることが多いから。今両親ととても仲が良いというわけではないが、恨んでなどいないし、まあまあの仲だと思う。
新卒で入った会社は歴史があり、社内政治や昭和的な文化が色濃く残っていた。メールの書き方で別の部署の管理職に怒鳴られたり、締切を過ぎて激怒されたり、接待の振る舞い方で怒られたり、呼び出されて歩き方を怒られたりした。
辞めて数年が経つが、自分としては怒ってもらえて良かったと思う。なぜなら、指導されたことは社会で生きていく上で求められることがあるからだ。あの時注意された所作は、些細なことだったかもしれないが、その些細なことを出来るからといって損はしない。出来なくて損をすることはある。たくさんのエネルギーを使って叱咤してくれた当時の先輩方には心の底から感謝している。
周りの人に怒られることで、「次は怒られないように頑張ろう」と思って成長してきたつもりである。
ここら辺最近気になっている問題。もし良ければ反対意見を書いてみたい。
普通に怒ってくれる人がいなくても、というか居ないほうがよく回る社会システムってあるはずで、 それが本来の自由主義社会の強みのはずなんだけどね。Google的な文化というか。
Google的な文化は一見自由に見えながらも、自由意思で選択していると思わされる方向へ向いている。 マクドナルドが、椅子を硬くしたり、冷房を強めて回転率をあげる(秩序を作る)みた...
叱ると怒るは別の話。 増田はいい叱られ方をしてきた。