はてなキーワード: 価値とは
事実を他責だと思うのは勝手ですが、日本人男性が何の変化もしていないのは事実ですね。
共働き世帯は今や全世帯の7割ですが、家事育児分担の比率は未だ9:1で女性負担なんですよね。
女性はキャリアがないところから家計を支えたくて社会に進出しました。
日本人男性は?
何にも変わっていませんね。本当の寄生虫って日本人男性のことですよね。
性産業に金を出して、日本人女性の人権侵害を世界に布教することだけ頑張る。
「あちらの記事は批判相手の職業を間違えている時点で無知あるいは礼儀知らずなので読む価値がないと判断したが、やはり読まなくてよかったな。引用部分だけでも論外なので」を書いたものですが、自分にとって読むべき記事か読まなくてもいい記事かを決めるのは私自身なので、指摘自体が的外れです。
それとも増田は「あの記事は私にとって読む価値がある記事だ」と主張しているのでしょうか?それは何故ですか?
私は詭弁を含む無礼なエントリなど少しも読みたくないのですが、それでも読む義務があるということでしょうか?
もちろん記事内容全体を批判しているなら精読する義務があるでしょうが、私は引用部分についてだけ(明らかな詭弁で)論外と言っているに過ぎません。
例えば極端な例として「saebouはおかしい。アメリカンニューシネマはレプティリアン達が作った。その証拠に5chで皆がそう言ってる」みたいな怪文書があったとして、私が全て精読して反論する義務があると思いますか?私宛でもないのに?この一文だけを見て「この引用部分は流石に論外」「読まなくてよかった」と思うのは妥当だと思いませんか?
(↑増田はあの引用部分から詭弁を見いだせていないのではと思ったため、増田にすら詭弁とすぐわかるであろう例を用意しました)
他人を名指しで批判したいならもう少し頭を使ってください。粗雑な批判への反論に時間を取られるのが一番ウンザリします。
(最低限の読解力を持ち合わせているかも怪しい夜郎自大のカスに対し、最後まで敬語を通したのだけでも褒めてほしいところです)
キモいオッサンが作り出したホモソオッサンワールドが煮詰まってる人権侵害女性排除ニッポン式労働環境を頑なに改善しない強者男性の保身社会は労働の意義も価値も全然違うんじゃないかなー(笑)
太田出版のWebマガジンにおける北村紗衣氏の連載に対して、須藤にわか氏という映画ブロガーが異議を唱え、それに対して北村紗衣が反論してホッテントリ入りしている。
私は須藤にわか氏のように映画を多く見ているわけではないし、北村紗衣氏のように多数の先行研究に実際にあたったわけではないが、発端となった連載と二人のやり取りをみて、話の主眼がずれていると感じた。同時に、二人とも結局、「ニュー・ハリウッド」という批評の枠組みに問題があることを浮き彫りにしているとも思った。
映画を見た後に「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人のために、フェミニスト批評家・北村紗衣さんが、初めて見る映画の感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載
①初めて見た『ダーティハリー』はサスペンスとして全然面白くなかった
②自分はアメリカン・ニュー・シネマが好きではない
③60年代後半から70年代に、アメリカン・ニュー・シネマ(英語ではニュー・ハリウッド)という潮流があった
④ニュー・ハリウッドは反体制的な要素と、あからさまな暴力やセックス表現が主な特徴として挙げられる
⑤アメリカン・ニュー・シネマはかなり男性中心的な潮流
北村紗衣氏の素朴な感想は、末尾にある「名作と言われてみんなに愛されている作品でも今見て面白くなかったらけなしていい!」と結びつくが、③~⑥の知識を持っていると『「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人』でも理解が深まる、というのがこの連載の趣旨とみえる。
①「あからさまな暴力やセックス表現が主な特徴」という認識は実際のアメリカン・ニューシネマからズレている
②アメリカン・ニューシネマはフィルム・ノワールと同様に映画批評家らによって作られた映画分類のカテゴリー
③アメリカン・ニューシネマは「ヌーベルヴァーグ」や「ドグマ’95」のような映画運動ではない
④「アメリカン・ニューシネマ」と「ニュー・ハリウッド」は分けて考える
⑥「ニュー・ハリウッド」もしくは「アメリカン・ニューシネマ」というカテゴリーは(白人の)批評のために作られた作為的なカテゴリー
⑦「アメリカン・ニューシネマ」もしくは「ニュー・ハリウッド」が差別的に見えるとすれば、それはそもそも批評的カテゴリー自体が差別的
須藤にわか氏の異議に対する北村氏の反論は、目次にわかりやすくまとまっている
①New Hollywoodの特徴のひとつにセックスと暴力があげられるのは当たり前
②New Hollywoodが男性中心的であるということは1970年代からずーっと言われている
例の著者は自分で決めた「これがニューシネマ」というカテゴリーを自分で見て「このカテゴリーには黒人映画や女性主人公の映画が入ってないから差別的」だと言っている
と述べているが、これは明らかに違っていて、
北村氏がいうように、
決めたのは私じゃなくて今までの批評家
つまり、北村氏は一般的な「New Hollywood」解釈を述べているだけなのだ。
ただし、須藤にわか氏が本当に主張したいところは上記にあるのではなく、「New Hollywood」というカテゴライズそのものに反発している。
北村氏は出典をたくさん挙げているが、須藤にわか氏の主張である「そもそも『ニュー・ハリウッド』が作為的なカテゴリー」への反証ではない。須藤氏のいう北村氏本人への批判、「知ったかぶりして、しかも知ったかぶりした上でこれは差別的だとかなんとか非難」への反証である。
(「たくさんの出典があってすごい!」的なブコメの反応は、ただマウント取りたいだけのリアクションに見える)
「ニュー・ハリウッド」もしくは「アメリカン・ニューシネマ」というカテゴリーが(白人の)批評のために作られた作為的なカテゴリーであることを度外視した上でそれを非難している。
と言っており、
北村氏は
という。ここは互いに噛みついていながら二人とも同じことを言っているように見えて混乱したが、批判対象の範囲が違うようだ。
須藤にわか氏はそもそも、「ニュー・ハリウッド」というカテゴリーそのものが、当時の映画作品群を評価するのに適切ではないと主張している。一方の北村氏がいう「批判されて当然」の対象は、須藤氏と同様にカテゴリーそのものであると同時に、カテゴリーに含まれる作品群も含まれると私は解釈した。
須藤にわか氏の論で一番重要なのは、元の北村紗衣氏の連載にあった以下の部分への反論ではないだろうか。
60年代後半から70年代の潮流であるニュー・シネマは、それ以前にあったいろいろな制約が外れ、暴力やセックス描写ができるようになり、そしてアメリカの秩序を問うような映画がたくさん作られた時代です。
これに対して須藤氏は、
だいたいニューシネマは映画運動ではないのだから「問い直していない」って誰に対して言っているんだろうか?運動の実態がないものに運動の責任を問うたところで、まるで意味がないと思うのだが。
「アメリカン・ニューシネマ」もしくは「ニュー・ハリウッド」が差別的に見えるとすれば、それはそもそもそうした批評的カテゴリー自体が差別的
この点、北村氏も、
>>New Hollywoodを決定づける作家主義的な監督の大半が白人男性であり、白人男性を主人公にした物語が代表作として受容され、研究も白人男性の監督だけを対象としてきたことはいたるところで指摘されています<<
と述べているように、「ニューシネマ」というカテゴリーそのものに問題があることは認識しているように見える。
つまり、二人とも、「ニュー・ハリウッド」というカテゴライズに問題があるという点では、共通の認識がある。そのうえで、北村氏は、「須藤氏のニューシネマ解釈は一般的ではないから、私を嘘つき呼ばわりするのではなく、自分で論を立ててね」としている。
しかし、「ニューシネマ」というカテゴリーそのものに問題があるなら、北村氏の連載における「『ダーティハリー』はニュー・シネマの影響下にある警察映画」という紹介の仕方も、「ニュー・シネマが男性中心的だ」というのも、安易に見える。元の連載において、ミステリ・サスペンス的にいまいちという北村氏の感想にはうなずけるが、「ニュー・シネマ」という潮流の紹介は片手落ちで、「研究も白人男性の監督だけを対象としてきた」ことも含めて紹介すべきだったのではないだろうか。
なお、北村氏のいう「問い直してない」というのは文系学問によくあるレトリックで、須藤にわか氏の「運動の実態がないものに運動の責任を問う」ているように見えるというのは、本質を突いていると感じた。
『ダーティハリー』含む「ニュー・シネマ」と呼ばれる作品群は、「男性・白人中心主義」的であることを「問い直せていない」からダメな作品だという、作品ファンが反発を覚えるのも無理はないだろう素人批評を容易に生み出す。(なお、これは北村氏の主張ではない。北村氏はあくまでニュー・シネマが好きではないだけだ)
文系学問(特に文学や社会学)においてありがちな、世の中の傾向や潮流を仮構して、ミクロな作品や人間を論じるスタンスは、使い方を間違えると、色々なことを損なう。その作品や人間がもつ、複雑さや豊かさが捨象されるし、俗流に応用されれば簡単に差別につながる。「この時代に生まれた人間は●●である」と決めつける世代論などを見ればわかりやすい。もちろん社会を論じるなら、そういう傾向を仮定して話を進めざるを得ないが、学者でもない人間が個々の作品や人間を評価するのであれば、マクロ的な枠組みでは拾えない面白さや豊かさにも目を向けるべきだろう。
少なくとも発端となった連載は素人が映画をより深く鑑賞する視点を提供するものだったはずだ。北村紗衣氏の視点と須藤にわか氏の視点を踏まえて、もっと映画を楽しみ人生を豊かにしたり、世の中を考え直すきっかけを得たりするのが、私のような素人にとってはいいのではないだろうか。
たとえば北村紗衣氏がいうように、
というところが、「ダーティ・ハリー」を考える上でおもしろそうな部分で、北村紗衣氏は第一印象がつまらなかったため深堀りすることはないだろうが、「ダーティ・ハリー」をこれから見て逆に「面白い!」と感じた場合には、ハリーを起点に「ニューシネマの影響下に本当にあるのか」などを考えるとまたおもしろそうだ。
そういう自分の知らないものとたくさん出会えるのがニューシネマの面白さで、あえて一時代のアメリカ映画をニューシネマとして括る意味があるとすれば、それはその作品群がこうした「新しさ」を観客に与えてくれるから
ということを踏まえて、様々な作品に触れれば見えてくるものもあるだろう。
serio フェミニストはありとあらゆる事象をフェミニスト的視点から語ってしまうので、たまにホームランを打つことがあっても、バットでキャッチャーを殴って三塁に走り出すみたいな大外しをすることがよくある。
→元連載は「フェミニスト批評家・北村紗衣さんが、初めて見る映画の感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載」なので、北村紗衣氏が好きに「ありとあらゆる事象をフェミニスト的視点から語ってしまう」わけではなく、そういう企画趣旨に基づいて仕事としてやっている
hazlitt アメリカン・ニューシネマってカテゴリーとして昔からよくわからんなとは思っている。わりとどうでもいいが野次馬的には町山某が反応すべき話題だな
→「わりとどうでもいい」と保険かけながら野次馬根性をさらけ出しているのがキモい
jassmaz 文学理論や批評理論を知らないオタクの見当はずれな批判。この時代にアメリカの価値観を完膚なきまでに破壊したことは十二分に暴力的である。87年出版のアラン・ブルーム『アメリカン・マインドの終焉』を読もう。
→「この時代にアメリカの価値観を完膚なきまでに破壊したことは十二分に暴力的」北村紗衣氏も須藤にわか氏も言っていない新たな論点。見当はずれはこのブコメでは
tokuniimihanai あちらの記事は批判相手の職業を間違えている時点で無知あるいは礼儀知らずなので読む価値がないと判断したが、やはり読まなくてよかったな。引用部分だけでも論外とわかる
takeda25 こういうの、詳しくなければとりあえず態度を保留するのが賢明なはずだけど(現にこちらのブコメはそういうのが多い)、女性叩き側のブコメでは調子に乗って叩く人間が大量発生するのが歪み
→態度を保留するって、どういう立場?後出しジャンケンに勝ちたいだけの姿勢が見えてキモい
ponkotsupon 須藤氏の批判記事は出典やら参考文献やら先行批評への言及が何もなかったのに対し、北村氏は複数の出典と研究史を出してるので、学術的には(須藤氏が再反論で論拠となる文献を示せなければ)これで勝負ありよなぁ
→そもそも商業媒体とブログの応酬で、学術的な議論ではない。かつ、出典と研究史さえ出せば「勝ち」というのは学術的でもないだろう。
二人に対するクソブコメの数々は
権威主義的で映画そのものにも映画史にも興味がなく、自分では頭を使わずに他人が貶されるのを娯楽として消費するだけを生きがいとする、野次馬根性と異常マウント欲、ハエ以下の精神性で駆動する人工低能群
「俺たちに明日はない」と「イージー・ライダー」と、これらをまとめてアメリカン・ニューシネマと呼ぶ時に、何を共通点として見ているの?
カマラ・ハリスが米大統領になっても日本人には関係ないとか株は暴落しないとかブコメにもいるけどちょっと認識甘いと思う。
株は意向で動くし、S&P500にも死角があるからわりとヤバい可能性もあんだよね。
分かりやすいのだとリーマンショック(サブプライムローンの破綻)が良い例なんだけど。
どう見てもヤバい状態でも金持ってる人が儲けろっつったらお金が入るのがマーケット。
逆に、なんかよくわからんけど逃げよってなるとモノすんごい勢いで傾くのもマーケット。
なので、カマラ・ハリスが米大統領になったときに、"見込み"で大暴落する可能性があるのが株式市場。
両方とも、そう。まあ無理でしょぶっちゃけ。
ただ、富裕層が税金を納めてくんないから(納めて欲しい)という話はずっとしてる。
税金って、資産を持ってるだけだと課税されない状態が長く続いてて、受け渡しの際に課税するのが関の山。(相続税、贈与税)
で、信用取引の代用有価証券と同じで、含み益状態の株持ってると、課税できない割にそれを担保に金を借りて借金扱いにはできるんだよね。
ハチャメチャに金持ちなのに、所得が無いから担税してもらえないという状況を何とかしたいのが民主党の意向よね。
オマエつい最近日本企業がなんもしとらんのに日経全面安になったの忘れたんか。
アメリカのマーケットで機関投資家がなんかやったら日本株も含めて全世界巻き込んで影響があるんよ。
たぶんね。俺もハリスが政権握って無茶苦茶したところでさほど影響ないと思ってる。
ただ、S&P500にも死角があるって話したけど、当たり前なんだけどマーケットで取引されてない中小企業なんかは、市場外にあるのよね。
だから、資産家が未上場の会社を含み益が無い状態で保持しつつ、それの将来価値を担保に銀行から金を引っ張るスキームとかできちゃうと……
長期で米株式市場が低迷する可能性はある。そんな脱法状態はすぐ是正されると信じたいけど、長らくタックスヘイヴン(租税回避地)だって生き残ってきたし……
あと株が全戻しするとか右肩上がりするなんてのは幻想で、少なくとも日本は長期で低迷した実績がある。GDPは世界でも有数なのに。
アメリカがそうならないのは、土地が広大でエネルギーに問題が無く労働者人口を移民を取り込んで維持しつつ貪欲に知的人材も確保して軍事力も強大だから。
過去右肩上がりだったから上がるって言うのはテクニカルじみたオカルトだよ。理由がなきゃ低迷して当たり前。(まあオカルトでも金が動けば儲かるわけだけど)
たぶんどうにもならん、し、どっちが勝とうがまあ大したこたないと思ってる。
為替は多少動くだろうけど、まあいうて110~180円の範囲内に収まるだろうし、円高だの円安だの言ってもオルカンが2~3割減るぐらいだろ。
順調にアメリカ経済が伸びると信頼するなら、5年もすりゃ元は取れる。
ただ、有名どころだとIKEAみたいに、非営利慈善団体作ってそこで節税するスキームが大流行しないともかぎらん。
リーマンショックだって、貧乏人の不動産担保ローンが焦げ付いたくらいじゃ起こりようが無くて、AIG(保険会社)がCDS(債務不履行保険)売りまくった結果膨れ上がって破裂したわけで。
今この瞬間も良くわからん金融商品が謎の動きをしてて、膨れ上がった風船が、ハリスの針の一突きで破裂しないとも限らない。
だからマーケットの大暴落(20~40%の下落)が起きる可能性は、日本国債が元本割れ(預金封鎖からのデフォルト)するよりも何十倍も可能性が高いとは思ってるよ。
(なお、米国債は世界が終わってもデフォルトしないと思ってる。日本国債は在日米軍基地に一斉に核攻撃受けたら起こるんじゃないかな)
カマラ・ハリスが米大統領になっても日本人には関係ないとか株は暴落しないとかブコメにもいるけどちょっと認識甘いと思う。
株は意向で動くし、S&P500にも死角があるからわりとヤバい可能性もあんだよね。
分かりやすいのだとリーマンショック(サブプライムローンの破綻)が良い例なんだけど。
どう見てもヤバい状態でも金持ってる人が儲けろっつったらお金が入るのがマーケット。
逆に、なんかよくわからんけど逃げよってなるとモノすんごい勢いで傾くのもマーケット。
なので、カマラ・ハリスが米大統領になったときに、"見込み"で大暴落する可能性があるのが株式市場。
両方とも、そう。まあ無理でしょぶっちゃけ。
ただ、富裕層が税金を納めてくんないから(納めて欲しい)という話はずっとしてる。
税金って、資産を持ってるだけだと課税されない状態が長く続いてて、受け渡しの際に課税するのが関の山。(相続税、贈与税)
で、信用取引の代用有価証券と同じで、含み益状態の株持ってると、課税できない割にそれを担保に金を借りて借金扱いにはできるんだよね。
ハチャメチャに金持ちなのに、所得が無いから担税してもらえないという状況を何とかしたいのが民主党の意向よね。
オマエつい最近日本企業がなんもしとらんのに日経全面安になったの忘れたんか。
アメリカのマーケットで機関投資家がなんかやったら日本株も含めて全世界巻き込んで影響があるんよ。
たぶんね。俺もハリスが政権握って無茶苦茶したところでさほど影響ないと思ってる。
ただ、S&P500にも死角があるって話したけど、当たり前なんだけどマーケットで取引されてない中小企業なんかは、市場外にあるのよね。
だから、資産家が未上場の会社を含み益が無い状態で保持しつつ、それの将来価値を担保に銀行から金を引っ張るスキームとかできちゃうと……
長期で米株式市場が低迷する可能性はある。そんな脱法状態はすぐ是正されると信じたいけど、長らくタックスヘイヴン(租税回避地)だって生き残ってきたし……
あと株が全戻しするとか右肩上がりするなんてのは幻想で、少なくとも日本は長期で低迷した実績がある。GDPは世界でも有数なのに。
アメリカがそうならないのは、土地が広大でエネルギーに問題が無く労働者人口を移民を取り込んで維持しつつ貪欲に知的人材も確保して軍事力も強大だから。
過去右肩上がりだったから上がるって言うのはテクニカルじみたオカルトだよ。理由がなきゃ低迷して当たり前。(まあオカルトでも金が動けば儲かるわけだけど)
たぶんどうにもならん、し、どっちが勝とうがまあ大したこたないと思ってる。
為替は多少動くだろうけど、まあいうて110~180円の範囲内に収まるだろうし、円高だの円安だの言ってもオルカンが2~3割減るぐらいだろ。
順調にアメリカ経済が伸びると信頼するなら、5年もすりゃ元は取れる。
ただ、有名どころだとIKEAみたいに、非営利慈善団体作ってそこで節税するスキームが大流行しないともかぎらん。
リーマンショックだって、貧乏人の不動産担保ローンが焦げ付いたくらいじゃ起こりようが無くて、AIG(保険会社)がCDS(債務不履行保険)売りまくった結果膨れ上がって破裂したわけで。
今この瞬間も良くわからん金融商品が謎の動きをしてて、膨れ上がった風船が、ハリスの針の一突きで破裂しないとも限らない。
だからマーケットの大暴落(20~40%の下落)が起きる可能性は、日本国債が元本割れ(預金封鎖からのデフォルト)するよりも何十倍も可能性が高いとは思ってるよ。
(なお、米国債は世界が終わってもデフォルトしないと思ってる。日本国債は在日米軍基地に一斉に核攻撃受けたら起こるんじゃないかな)
日本に行ったことがありますか、またはしばらく日本に住んだことがありますか。彼らは西洋人、特にアメリカ人にはない文化的成熟度を持っていることはご存知でしょう。
実に恥知らずで知能が低いネトウヨそのものの発言で私は大変驚いております
これはどの家庭でもあることなのかもしれない。
会話のキャッチポールや、コミュニケーションが今まで当たり前に打ち合えていた環境に居たせいか、今そうじゃない環境となりたまに苦しくなる。
例えるなら、壁打ちしているような感覚だ。
やめて欲しい事をお願い事をしても、すぐに忘れ同じことをする。
何か話を振って、軽く談笑するつもりが相手の否定から始まり、議論のようになってしまう。(自分が相手の会話に合わせるとそうなりがち)
一人漫才しているような感覚だ。ボケをしても、ツッコミ不在のような。
ボケをボケとして捉えられず、マジレスされてあ、はい…なんかごめんね…となるその感覚。
でも相手はそうは思っておらず、今までの人生で自分と一番相性がいいらしい。マジで?
自分は正直、参っている。
何故なら相手に合わせることが結構得意なほうだから。相手の顔や表情、話し方、流れ、考え、昔からの気分屋の父親の顔色を伺っていて身についた悪癖のようなもので、無意識に察知して合わせて話す事が出来てしまう。
なので、相手は自分の話を聞いてくれるし、相手になってくれるから楽しいんだと思う。
でも、こっちは辛くなる。
こっちは合わせても、そっちは合わせてくれないんだなという気持ちになる。
そういう話も何度かした。
どうすればいいのか教えてほしい、と言われた。
具体的にこうしてくれると自分は嬉しいと伝えた。何度も。
ネガティブな共感じゃなく、ポジティブな共感をしたい。何か頑張ろうね、という時は一緒に頑張ろうねって言いたい。今頑張ってもどうせあとで云々、今それやることに意味があるのか云々、ネガティブな返しをするのはやめて欲しい。
自分が限界に達して一人になりたい、と伝えた時に何がいけなかったのか、何がダメだったのか、尋問するのをやめて欲しい。
全てもう、伝えてある。きっと全部通り過ぎていって、本人にとって無価値なものカテゴリーに入って記憶からほぼ消えているのだろう。
だから、同じ間違いを繰り返す。
一緒にいると、息するのでさえ辛くなる時がある
コミュニティノート:エビデンスの重要性についての議論は多面的であり、複雑な要因が絡んでいますが、科学的エビデンスの意義を理解することは重要です。エビデンスは、施策や決定の裏付けを提供するために用いられます。科学的エビデンスに基づく政策は、公衆の健康や福祉の向上を目的としています。しかし、エビデンスが示す結論が全てのグループにとって等しく利益とは限らないため、そのエビデンスの受け入れ方や評価には違いが生じることがあります。特に、利益が異なるグループ間では異なる視点が存在するため、政策決定者は多角的な視点と妥協を持って対応する必要があります。
このような状況は、特にCOVID-19パンデミック時に顕著でした。「外出を控える」という公衆衛生上の推奨は、感染拡大を防ぐために科学的エビデンスに基づいていましたが、経済面では旅行業界や飲食業界に大きな影響を与えました。政策の決定においては、エビデンスに基づいた判断をする一方で、経済的影響や社会的影響も考慮しながらバランスを取ることが求められます。
したがって、エビデンスが万能な解決策ではないという指摘は一理ありますが、エビデンスそのものの価値や重要性が失われるわけでなく、むしろエビデンスを基にした多面的なアプローチが不可欠であるという理解が重要です。
nisaの成長株枠はじめた。積立はコツコツしてたけど、成長枠も手を出した。50万まで、と決めて。
ゲームが好きだからゲーム会社見守ってたのに、この間のブラックマンデーでも買い逃し、諦めて関係ない結局配当が高めのところをそれぞれ200株くらい。
デイトレしてる友達から米国株かってみたら?と言われたけど、ルールがわからんかったから見守りに入ってる。
200株買って満足しよう!と思ってたのに、結局諦め悪くて結局ミニ株でちょっとだけ買った…好きな会社の株を手元に持っておきたかったの…。
とある富裕層コミュニティの建物の中に無造作にアート作品が展示されている。
ふと、こんなに無造作に展示されているのなら、自分が作った無価値の作品も混じれるのではないか?
家に帰ってすぐ制作に取り掛かった。100円均一で粘土、絵の具を買う。amazonでニスを買った。
形はそれっぽい形であればいい、定規で粘土に角を作った、ヤスリで削って流線型を作った。
色を塗り、ニスを塗った。完成。
機会を伺い、私の作品を配置した。
それから1年。
撤去されたものは3個、巨匠の作品に混じって堂々と最前線に配置されているものが4個。
清掃業者によって埃が払われている。季節によって配置が変わっている。
構造主義的視点をさほど重んじない実存主義者なので、自己責任論とはまた違うベクトルで苦悩の根源を自分の内面に求めがち。
それはそれとして、どこぞのボンボン生活を送ってた奴が欲は虚しく、果てしなく、苦悩をもたらすばかりとか天空目線で言うのは腹立つ。
おれは満たされた状態を経験してないんだから、その虚しさをこの身体で体験してもいなければそこに納得もない訳。
行き着く先がミニマリズムだったとて、まずは欲しいと思ったもの全てを買い漁る体験をしたい訳。それを続けて最終的には空虚さを感じるにしたって、そこをすっ飛ばして過剰な所有は無駄とか言った所で負け惜しみにしか感じられないの。
やりたい事をやりまくって最終的に飽きて虚しさが残るだけだとしても、その過程には確かな満足と納得があるはずじゃん。そうやって物事の感じ方が揺れ動く中でも瞬間瞬間に感じる喜びこそが人生唯一にして最大の意義だとしか信じられねえの。
欲捨てたら死んでんのと同じ。
身体が死んでる事より心が死んでる事の方が許せねえのおれは。
欲を捨て去った後の価値規範じゃその判断は正当化されねえのかもしれねえ。気の迷いだったと断じられるのかもしれねえ。
でも今この瞬間のおれは決して無欲な生き方なんて許せねえんだっつってんの。
「搾取」がマル経で使われて定着する段階で悪い意味の言葉になって今使っている人々の中で定着してる過程はちょっと興味深くて
Ausbeutung(搾取)って語には、野を耕すとか、鉱山を掘りつくすとか自然に問いかけて(働きかけて)成果を得る/得ない、くらいの意味合いなのよね。
マル経の場合、生産要素(人とか資本とか)の中で人(労働力)を使用して生み出される価値(使用価値)から賃金(労働力の交換価値)の差である剰余価値部分を資本家が獲得する際に
搾取という言葉が使われていて、ロジック的には労働者の生み出した価値を奪っているように見えるけど、賃金を労働者の取り分、搾取部分を資本家の取り分ととらえれば、
過剰に搾取する、みたいに不当な関係性でさえなければさほど批判的に取られることはないはずなのよね>経済学の立場によると思うけど
と、いう風に理解していると
いや性的な価値が不当に奪われる、というニュアンスで皆の理解は共通でいいと思うし、それを批判はしないのだけど
批判的に使用している人たちが、「性的な価値」をどうみているのかは整理してほしいなと思ったり。
金銭的な価値(交換価値)に置き換えて評価できれば、搾取の正当性、不当性がわかりやすいのだけど、そもそも売春の正当化みたいでNGだろうし
性的なものに関わる当事者たちが感じる価値(これだと使用価値かな)になると、主観というか個人個人の効用の大きさによって変わって評価が難しい
(性的な被害を受けた、という人がいればそれには真剣に当たるべき、という認識はいいと思う)
じゃあいっそ、性的なもの禁止!があらゆる禁止論者にとってわかりやすいロジックだけど、
性は決して害悪ではないし、性ってそんなに嫌悪するもの?とは思う
人類が存続するためには必要なものだし、性的な魅力的を評価してはいけないというのも一方的な主張になる
どこまでが正統でどこからが不当か、というのを議論するのは何となくはばかられる話なのは分かるけど
安直に何もかも否定したり、安直に何もかもオープンにしたりと極端に走るのは違うと思っていて、
議論に参加する人は自分自身が性的な価値観についてどう考えているのか、ポジティブ、ネガティブ両方について真剣に考えていてほしいなと思ったり。
その後、親は教育費を回収しようと月7万円の支払いと400万円の支払いを求められた。
ようやく働きながら返していたが、すぐ首になり、仕事を転々としていた。
つい最近警備会社も、月収はそこまで高くはなく、月16万円で、親との確執によって作らざる負えなかった借金により解雇された。
一生懸命努力したにもかからわず、ついた仕事は最低賃金の警備員
一般的な結婚の足切りラインの400万円も超えることすらできない
同じ教育虐待を受けたであろう同志の女性は見事教育虐待に耐え、大学に受かり、MBAも取り、年収600万円。
この同志は経験人数3人で、セックスがしたこともあり、婚活では年収400万円を最低条件にし、同志である敗残者の男には目もくれない。
高収入の会社に入り、この手の賢い女性と結婚し、セックスし、次世代を生み出すためだろ?
教育虐待を受けて、最低賃金で、結婚できないとなれば、教育虐待を受ける価値もねえよ
■補足
大学を中退し、仕事を転々としている場合、発達障害を持っている可能性があり…
薬はいくつかあるけど、薬を飲んだところでアルコール依存やパチンコ依存になる確率が減るだけで、
しかも、薬は自立支援を併用しても、大体の場合2000円はかかる。
低所得で2000円は重たく、ここから所得をあげることはまず無理。
半導体ならワンちゃんあるけど、ここら辺の知識を得るには大学の入学しないといけない。
でも、教育虐待を受けてもなお、大学に受からない発達障害持ちの人間が半導体に進むことなどできるわけねえよ。
だから、発達障害疑惑のある人が本人の努力で逆転するのは無理なんや。
ここで逆転する方法なんてまずないしな。
海外向けに
『私達は日本文化を4年間しっかりと勉強した、私達は日本をリスペクトしてる』って動画を
UBIが上げたのね。
それでもPV映像は巻物を下から1文字だけ縦書きしたり、浮いてる障子だったり、
かんぬきのついた扉を内側から日大タックルで破壊する絵だったり(かんぬき外せやwww
で、
日本人が公式チャンネルに大量に書き込みにきて、それを火消しか隔離したいんか、
2日後には日本のUBIのチャンネルにも同じ動画が上がったの。
「日本」晩 としてねwwww
バンww
で、そこまでまぁ良いのよ。
・
でもね
3 時間前
日本に行ったことがありますか、またはしばらく日本に住んだことがありますか。彼らは西洋人、特にアメリカ人にはない文化的成熟度を持っていることはご存知でしょう。私が言いたいのは、このコメント欄に日本からは誰も来ていないということです。これは完全にアメリカ的なことだと文句を言うのは、彼らがここにいるだけで面目を失うことになるだろう(これ、翻訳文ね)
===
「なりすまし日本人」が出た影響なのか、それを利用したいのか相変わらず、外国人は
批判コメントはない、日本からの批判はないものとして処理されてる。
「日本人の透明化」
安心して、恥ずかしくないよ。まったく恥はかけていません。
これが公式の答えです。
恥もかけない日本人。