はてなキーワード: 価値とは
たとえば日常で堂々と「まどマギの話聞いたから昨日は久しぶりにほむほむでシコったわ~」「マミさんでシコろうとしたら普通にもうロリとして感じちゃうトシだわ~~」「さくらタソとか今シコったらもう幼女みたいな感じだよ」「俺達も年取ったな~」みたいな会話できるか?
無理だろ?
ロリコンブームから急激な児童ポルノ規制が行われた時代に、自分たちは二次元だからって関係ないと言い張って引き続きJKやJCやJSでシコシコしてきたような勢力。
コイツらは今でも変わらず気持ち悪い連中として扱われているし、なんらな現代の厳しい児童ポルノ禁止の価値基準に当てはめて私刑や通報を食らう可能性だってある。
一人モノが増えてきた時代で高齢童貞処女も増えてきてるし、ネットの影響で日本中にBLでシコってるこどおばがいることがいよいよ誰もが汁物になってきたけど、そういう時代において果たしてこういう古いオタク的な性生活も受け入れられたかといえば神のみぞ知るなどというともなく、明らかに明白に変わらず差別を受けているのが現状でしょ。
https://blog.nagutabby.uk/qiita-is-dead
はじめに
私は数年前にQiitaを使うのをやめました。なぜならQiitaがクソだからです。この記事では、Qiitaの黒歴史を振り返りながら、Qiitaが如何にクソであるかを説明します。
お前、歴史を振り返るとか言っときながら時系列で書くわけでもなく文章も下手で同じスタンス側として読んでてつれぇわ。読んでガッカリ。
あとお前のQiitaの使い方が気になるわ。
新着を懸命に全件チェックしとったんか?
たたき方が雑すぎる。俺が気持ちよく乗っかってQiitaをたたけるまともな記事を書いてくれ。
しかし、多くの方がご存知の通り、Qiitaは「他のWebサイトにある情報をほぼ丸パクリした記事」と「内輪ノリで書かれた下らないポエム」の墓場であり、決して知識共有サービスではありません。最近ではChatGPTが出力した文章をそのまま投稿する人々も現れ、事態がさらに悪化しています。
まあ俺も死んでるとは思うが、まだまだ新規な知見がある記事はある。なのにパクリだとかスクール課題だとかのたいしていいねもつかないクズな記事を見つけてほらクズだ!っつってもね。
書くなら「いかに知識共有を謳いながら巧妙にいいねハックされてきたか」とか具体例を書いてくれ。
内輪ノリもそういうハック、Qiitaの利益化のための企業・Organization重視とかの経緯を振り返ってくれ。
私はこのような記事を見かけるとひどく共感性羞恥を感じ、萎えてしまうのですが、私と同じような方がきっといらっしゃるのではないかと思います。
まともな言葉を使えないやつがエンジニアをしないでくれ。エンジニアか知らんけど。技術文章しかり公開文書なら古いほうの言葉の定義をちゃんと使うか、別の表現を使え。お前、会社で煮詰まるとか使ってないよな?
ウケ狙いは宿命であり流行ることは避けられない。レコメンドやランキングを好みの記事に絞れるようにしない運営を叩け。
いくら「技術ブログ」と謳っていても、技術との関連性が低い記事が投稿されることがあります。私はこのような記事を「ポエム」と呼んでいますが、Qiitaにポエムが投稿された場合はどうなるでしょうか?実は数年前まではQiitaに投稿された記事は運営によってその内容がチェックされ、ポエムに該当すると運営に判断された場合は勝手に記事が非公開にされていました。しかし、よく考えてみてください。ポエムとは何でしょうか?この記事のような愚痴を書き連ねた文章のことでしょうか?人間がそれを判断できるはずがありません。結局このルールは廃止され、今に至ります。
知らん。俺が知る限りここ数年はポエムはずっと寛容だった。お前が定義するポエムは知らんが、技術の関連性が低い記事も沢山あったしポエムタグもずっと盛況だった。
さくらとか、毛の壁…はどうだったか。質の低さをQiitaが検閲してた感触はないし、質の低い記事にユーザーが沢山通報して非公開化に追いやるムーブメントが盛況だった記憶もない。
愚痴を連ねるやべーヤツは対処されてた記憶はあるが。どうだったかな。
https://blog.qiita.com/account-suspension-in-qiita/
Qiitaでは「技術的にレベルが低い」「技術的に間違っている」「Qiitaというサービスや運営に批判的である」といった理由で記事の非公開化やアカウント停止という措置を取ることはございません。
過去にも何度か事例がありますが、アカウント停止措置の実施理由は殆どの場合、他のユーザーに対して攻撃的な発言や誹謗中傷を繰り返すなど、コミュニティガイドラインや利用規約に沿わないというものです。
ああ、上記の件の@administrator1974の今後必要になるプログラム言語もあったか。こういうのも確かにあったが、こういう人間が出てくるのはレアのレアのレアだったな。そういう事件は時たま起こるもんだ。最悪手をとらなければ非公開にそこまで強い非難はおきんだろう。
お前が運営のどういった運用を非難しているのかわからん。新着を全部チェックして見返してポエムが非公開になっていたことを観測してきたのか?詳細を書いてくれ。ぼんやりとしすぎている。
調べなおして思い出したが、もしかして2017年のこと言ってる?
それならたしかにmatzの記事が非公開になったりしてたな。でも2024年公開の記事で数年前っつって2017年を出すのはちと古い。もっとしっかり書いてくれ。あのときらへんはQiitaがどっちに舵をとるかどうかで揺れ動いていた気がする。結果、ガバガバの今に至るわけだが。
これについてもまあ突発的な行動で反発が出たわけだが
「実は数年前まではQiitaに投稿された記事は運営によってその内容がチェックされ、ポエムに該当すると運営に判断された場合は勝手に記事が非公開にされていました」
でずっとそのような運営がされていたように誘導しているが、実際はずっとゆるゆるでここで厳しくしてみて騒動になったという話。
俺もだいぶ記憶があやふやだが、それにしてもお前の文章からは悪意を感じるので信用できない語り手だ。まともな情報を時系列とソース付きで騙ってくれ。
https://yro.srad.jp/story/17/05/12/067229/
なお2016年のやつでもこういうのは残っててゆるゆる
「口やかましい少数派」に翻弄されるQiitaサポートは無能である
https://qiita.com/richmikan@github/items/8831c97598cc095e2b95
数年前に大幅なアップデートが行われ、ユーザーが読んだ記事が第三者に公開されていた時期がありました。これはWebブラウザーのアクセス履歴が第三者に公開されるようなものであり、個人が特定されるリスクがあります。また、業務で生じた問題を解決するためにQiitaを利用していた場合は、他者に業務内容を推測されるリスクがあります。このようなアップデートは避けるべきであり、社内で十分な議論がなされないまま機能が実装されたことは明らかでした。
うそでーす。
今のユーザーページにある投稿した記事のanalyzeみたいに見た記事の中で多いタグトップ5の割りあいが表示されてました。
何を見たのかはわかりませーん。特定できませーん。見た記事より書いた記事の方がよっぽど業務内容に繋がるわ。タグの割りあいだけで個人や業務が推測できたらそれはもうホームズレベルで超能力だから許そう!降参だ。
まあ俺もこれでJobsのほうにはいろいろ黙って渡してんじゃねーの?見た記事も企業側は見れてたんじゃねーの?と思って愛想が尽きた。実際には棲んでいる地域やワードとかも提供されてたわけだし。
だけど正確ではない情報を書いてんじゃねーよ。
https://blog.qiita.com/about-user-page-renewal-20200331/
掲示板やToDoリストのような、お決まりの題材を使ったアプリの制作過程の情報を日常的に目にするようになりました。これはいわゆるポートフォリオとしてQiitaを利用している例であり、シニアエンジニアの間でQiitaがオワコンになり始めたことや、プログラミングスクールに通う多くの人々がQiitaを使い始めたことを示すものでした。その状況を理解するや否や、Qiitaの価値の低下は避けられないと感じました。
これも人が増えた場所の宿命だ。Qiitaがするべきはレコメンド・フィルターの拡充であってそこを叩け。そもそもそんな記事はランキングに上がらないんだから新着汚染にしかならん。検索はストック数とかでフィルターしろ。
お前はどういうQiitaの使い方をしてるんだ?新着チェックしてた猛者なのか?エッジケースだよそれ。
とかくお前の切り口が雑すぎて悲しい。もっと刃を尖らせろ。
お前、Zennもこうならんって言えるのか?言えるならその理由を書いて比較して叩いてくれ。
Qiitaにポエムを投稿できるようになった一方で、Qiitaに投稿される記事の質が低下したことにより、Xやはてな匿名ダイアリーに表示されるような短文投稿が増えました。記事の文章は長ければ長いほどいいとは限りませんが、あまりにも文章が短く、それぞれの文の文字数が少ないので記事の内容が理解しにくいです。この段階に入ると、Qiitaはブログというよりもメモ帳と呼んだ方がいいのではないかと感じ始めました。少なくとも技術ブログのような目新しさや正確さはほとんど感じられなくなりました。
まあ、そもそもQiitaの出発(中盤かな。Q&Aから転換以降)はメモ帳共有でもあったがな。
Qiitaは、エンジニアに関する知識を記録・共有するためのサービスです。 プログラミングに関するTips、ノウハウ、メモを簡単に記録 & 公開することができます。
記事の文章は長ければ長いほどいいとは限りませんが、あまりにも文章が短く、それぞれの文の文字数が少ないので記事の内容が理解しにくいです。
そもそも俺はメモの共有が気に入って使い始めて「人に見せる記事」にしましょうって流れで居心地悪くなったから見えてるサイトが違うっすね。
だから人が増えたサイトで石を除いて玉を多く見せるのはQiitaの技術的な使命であってそこが現状のトレンドで不十分つーならそこを叩けよ。石の量が増えたことを嘆いたってなんの生産性もないし批判たりえんのだわ。
あと再度書くけど俺の認識ではポエムはずっと書かれてきたしジャンルとして排斥を試みたのはとても短い期間だったからな。
俺は今のQiitaが嫌いだしQiitaはいろいろやらかしすぎたしQiitaには俺が好むような記事だけを視界に入れさせろと思ってるわけだが、とはいえこんな文章に乗っかる気にもなれん。
お前が目新しい技術記事を書いてる姿がまったく想像できんのや。
話が抽象的すぎて正確さはほとんど感じられなくなりました。ってブーメランをわざと狙ってたのなら脱帽。
私はこのような記事を読んで共感性羞恥を感じ、萎えてしまうのですが、私と同じような方がきっといらっしゃるのではないかと思います。
色が付いた光を遠方に見て、バンバンと音が鳴って、何が面白いのかよくわからない。
暑くて眠い夜に、他人と押し合い圧し合いして見に行くには、内容があまりにも素朴すぎる。
先日、音楽もストーリー性が無いと流行らない、みたいな記事を見た気がするが、花火だってそう思う。
単純な光、単純な音で、ストーリー性をどうやったら喚起できるのだろう。
同じ時間があれば、歴史資料でも読み漁りたい。図書館だとかの有益な情報を読み知りたい。
同じ混み具合なら、博物館とかの館内で歴史物や昔の事物だとか、価値の定まったものを知ったほうが、よっぽど楽しめる。
仮に倒産して株が紙くずになったとしても、買った人はその時点でその価値があると思ったから買ったわけで
80年代後半の場合は,消費者物価及び賃金がほぼ横ばいないし緩やかな上昇に止まっていたため,これらと株価,地価との格差がかなり拡大し,そうした状況が87年から90年にかけ4年間も継続した。最近においても地価については依然としてかい離したままの状態が続いている。
資産インフレが進行すると,「持てる者はますます持つようになる」という形で資産の分配が不平等化するのは,ほぼ自明である。それは,①高所得者層ほど資産の保有ストックが大きく,②その保有資産の価値が資産インフレによって上昇するからである。
それまでは勤労者は年収の5倍程度で東京の通勤圏で標準的な住宅を取得できたのが,88年から91年にかけては住宅価格の年収比が7~8倍程度にまで跳ね上がってしまった。
https://www5.cao.go.jp/keizai3/keizaiwp/wp-je93/wp-je93-00203.html
国防を他国にやってもらうってのは基本的に難しいんだよ 外人のために死にたくないだろ
結局日本は今も米国の核の傘に入って入るが、昔ほど日本自体の利用価値は高くなくなってるからそれもいつまでやってもらえるか
中国は景気が悪いから、国民の憂さ晴らしを外国に求める 日本はちょうどいいだろう
若くて顔がいいなら十分価値がある
無痛分娩を希望する人はどんどん増えてるし(普及しないのは麻酔科不足が原因)、痛みに価値を見出す人はいないだろ
「ナムアミダブツ」とは「阿弥陀仏に帰依します(信じ寄りすがります)」という意味だ。
なぜ信者は彼に帰依したがるかと言うと、金ピカボディに生まれ変わって必ず涅槃に至れる土地の地主が彼で、信者なら基本的に誰でも入居可能だからだ。
なのでもし彼がサービス提供を止めてしまえば当然彼に帰依する理由はなくなる。
しかし彼はインドの訳の分からんオッサンという泥から生まれた架空のキャラなので自我はなく、サービスは永遠に存在する。
一方で推し活は生身の人間、あるいはまだ続編の余地があるコンテンツに対しての信仰なので、自分の意にそぐわない考えに傾倒する可能性がいくらでもある。
必ず「最近こいつ信仰の価値無くね?」という気持ちがいつもどこかにあり安心して信じられない。
例えば阿弥陀仏が「やっぱ人間は愚かなので全員地獄に落とすね」とか言ってきたら絶対イヤだし、後で撤回してもそれ言った時点で自力で涅槃に至る釈迦ルートを選ぶよね。少なくとも同じ地獄に落ちるにしてもコイツには落とされたくはないと思う。
しかし現実には推しの変化への理解を脳が拒否し「確かに人類は滅ぶべき!アミダ様は正しかったんや!」と説得されてしまい、ゆでガエルになるまで推し続ける。
おっしゃる通りです。宗教の本質的な役割や意義が薄れ、単なるコミュニティ形成や帰属意識の源泉になっている面は確かにあります。この観点は非常に重要で、現代の宗教が直面している課題の核心を突いています。
1. アイデンティティの源
3. 文化的慣習の維持
2. 政治的道具化
3. メディアの影響
1. 精神性の探求
2. 倫理的指針
この状況を改善するためには、以下のようなアプローチが考えられます:
3. メディアリテラシーの向上
結論として、現代社会における宗教の役割は確かに変容しており、時として本来の目的から逸脱しているように見えます。しかし、宗教が持つ潜在的な価値―精神性の探求、倫理的指針、存在の意味の探求―は依然として重要です。これらの本質的な価値に立ち返りつつ、同時に現代社会の多様性と複雑性を認識することが、より健全な宗教のあり方につながるのではないでしょうか。