これはどの家庭でもあることなのかもしれない。
会話のキャッチポールや、コミュニケーションが今まで当たり前に打ち合えていた環境に居たせいか、今そうじゃない環境となりたまに苦しくなる。
例えるなら、壁打ちしているような感覚だ。
やめて欲しい事をお願い事をしても、すぐに忘れ同じことをする。
何か話を振って、軽く談笑するつもりが相手の否定から始まり、議論のようになってしまう。(自分が相手の会話に合わせるとそうなりがち)
一人漫才しているような感覚だ。ボケをしても、ツッコミ不在のような。
ボケをボケとして捉えられず、マジレスされてあ、はい…なんかごめんね…となるその感覚。
でも相手はそうは思っておらず、今までの人生で自分と一番相性がいいらしい。マジで?
自分は正直、参っている。
何故なら相手に合わせることが結構得意なほうだから。相手の顔や表情、話し方、流れ、考え、昔からの気分屋の父親の顔色を伺っていて身についた悪癖のようなもので、無意識に察知して合わせて話す事が出来てしまう。
なので、相手は自分の話を聞いてくれるし、相手になってくれるから楽しいんだと思う。
でも、こっちは辛くなる。
こっちは合わせても、そっちは合わせてくれないんだなという気持ちになる。
そういう話も何度かした。
どうすればいいのか教えてほしい、と言われた。
具体的にこうしてくれると自分は嬉しいと伝えた。何度も。
ネガティブな共感じゃなく、ポジティブな共感をしたい。何か頑張ろうね、という時は一緒に頑張ろうねって言いたい。今頑張ってもどうせあとで云々、今それやることに意味があるのか云々、ネガティブな返しをするのはやめて欲しい。
自分が限界に達して一人になりたい、と伝えた時に何がいけなかったのか、何がダメだったのか、尋問するのをやめて欲しい。
全てもう、伝えてある。きっと全部通り過ぎていって、本人にとって無価値なものカテゴリーに入って記憶からほぼ消えているのだろう。
だから、同じ間違いを繰り返す。
一緒にいると、息するのでさえ辛くなる時がある