はてなキーワード: 交戦権とは
9条改憲反対派です。現状では共産党支持。トランプがまたなんか言い出したから自分なりにお気持ち表明してみる。
ともかく、俺は他国の都合に付き合わされてて、日本国民が戦争の加害者被害者になったり、日本が他国から恨まれたりするのが嫌だ。
日米安保と憲法9条の関連性はざっくりいうと以下の通りだと俺は認識してる。
①日米安保によって日本は軍事的・経済的な自主独立性を米国に奪われている。
②上記①により米国の戦争に日本が加担せざるを得ない事態が起こる。(実際にイラクなどで起きている)
③武力保持と交戦権を否定している憲法9条は、上記②においての「武力行使」を制限し、自衛隊が前線に出ないよう抑制する効果がある。
つまるところこのまま③が失われた場合、アメリカの戦争に日本が付き合った場合、後方支援に留まらず、実際に殺したり殺されたりをする可能性がものすごく上がると思う。
あと、対外的にもアメリカとの軍事的結びつきが深くなるから、必然的に反アメリカ系のテロの標的になる可能性も高まるのではと考えている。
これが俺は嫌だ。
逆に言えばアメリカ言いなりの状態が解消されるのであれば、別に自国の軍隊を持つのは、別に嫌でもなんでもない。
というか、自主独立した一国家が軍隊を持つのは自然なことだし、むしろ我が国の場合、自衛隊が違憲状態を解消するため、積極的に改憲すべきとさえ考えてる。
というのが大体の俺のスタンスです。
ただ実際に改憲するってことになれば、安保だけじゃなくて、日米地位協定や、集団的自衛権の見直し・破棄も前提に入れなきゃだめだと思うし、
9条の改憲自体にしても、自衛隊の違憲状態を解消することがメインで、平和主義や交戦権の否定なんかは明確に残すべきとは思ってる。
こういう立場は左翼ナショナリズムと言うらしく、俺は共産党シンパだった俺の爺様から植え付けられた。
爺様曰く、割と共産党の中にも言わないだけでこういうスタンスの人は結構いるそうな。ほんとかどうかは知らんけど。
ちなみに日米安保そのものについては、感情的には無くなってほしいと思ってるけど、無くした方がいいのかの確信は持てないスタンスです。
個人的感覚として、これからますます米中の対立ってのは激しくなるはずで、そんな中で「アメリカの対中国の尖兵ないし防壁」と国際的に認識されている今の日本の立場はすごく危ういと思ってる。
仮にこの二国が武力に訴えた場合、確実に日本はアメリカの前戦基地として、一番悲惨な形で巻き込まれるんじゃないかって気がして、すごく怖い。
そう言う意味では出来る限り早くアメリカとの関係は清算したい、と思ってる。
それに、やっぱり国家として別の国家に従属している状態が、主権者の一人としては純粋に嫌。
一方で、安保が無くなることでの国防費の増加っていう問題が出て来るとは思ってる。
でも、それがどの程度になるのかは調べても俺では正直判断がつかなかった(倍増するって言う人もいるし、現状のままで良いと言う人もいた)
米国との関係性が変化することで、国防費以外の面にもどういう影響が出るかも見えないので、そこが現状、俺の確信持てない理由。
共産党は参議院の公約で社会保障に対する7.5兆円の財源を示してるけど、この半分を切り崩して賄えるなら、俺は安保廃棄を選ぶと思う。
安倍ちゃんとプーチン大統領の首脳会談で、北方領土の返還問題が挙がっているみたいだけどさ。
まあ予想の通り、両者の前提条件や目指すべき青写真の段階で食い違っていて、話が進んでいない。
1956年の日ソ共同宣言の2島返還の中には主権が含まれているとかいないとか、屁理屈言ってんじゃねーよと思うよね。
もうめんどくさいから、自衛隊の上陸部隊を組織して北方四島に上陸して占領しちゃえば?
当然ロシアは激怒するだろうし、そもそも日本はロシアと平和条約自体を結んでいないわけだから、こちらから友好的に振る舞う理由もないじゃん。
ロシアから日本に核ミサイルが飛んでくるかもしれないけど、それが在日米軍基地に着弾したら、それはそれで面白いよね。
話し合い・交渉で二国間の諸問題を解決できないから、外交の延長として交戦権を行使して武力解決する。
「ロシアが交渉に応じてくれずに不誠実だから」という大義名分もある。
話し合いが通じないなら、どうしようもないよね。
http://netgeek.biz/archives/105253
私個人としては、憲法9条を改正する流れは憲法9条を改正しなければならない、という考えに基づかれているの
ではなく、憲法を試しに改正するのに取っつきやすい条文であるからだと思っております。なので、改正しても
いいですが、改正の有無問わず大差ないのではないかと思っております。
改正するのであれば、個人的には安倍さんの案ではなく、石破さんの案を推す部類です。というか、石破さんの
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第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武
力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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憲法9条は、上の条文となっています。考え方は色々ありますが、現状の日本では、戦力は保持してはならないが
自衛力は保持していいということになっています。また、侵略戦争は放棄しているが、自衛戦争、制裁戦争までは
放棄してないという考え方に基づいて、日本は自衛隊を運用されています。
日本は、軍事力がなく、自衛力しかないから自国を守れない、という意見をしばしば目にします。しかし、本当に
そうでしょうか。
自国を守れないほどの自衛力しかないのであれば、守れるほどの自衛力は保持しないのでしょうか。むしろ、自衛
として機能していないのであれば、憲法13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の
福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」という文言に反しているのではない
でしょうか。別に自衛力しかないから自国を守れないのはつながらないでしょう。
次に中国などの周辺国が軍事力を上げ続けているにもかかわらず、日本は9条のせいで自国を守りにくくなっている
というのは本当でしょうか。専守防衛であるから手を出せずに侵略されているという意見もあります。
では日本が軍事力を上げれば解決できるのでしょうか。始まるのは軍拡競争です。領土問題でメインに揉めている
のは、中国だと思われます。その中国に軍拡競争で確実に勝てるでしょうか。そういった意味で軍事力を上げれば
いいという話ではないと考えています。
自国を守れるほどの自衛力を保持すればいいと、軍事、自衛力を上げても解決できない問題もあるというジレンマ
はあると思います。
次に専守防衛についてですが、どこにそんな言葉あるんでしょうか。あくまで、専守防衛を謳っているのは政府解
釈です。
自衛するための自衛権の中には、先制的防衛も含まれているのではないでしょうか。
正当防衛を例に挙げます。正当防衛はある種、自衛権の行使といえます。相手に銃を突き付けられた人が、銃を持
っている相手を先に殴って気絶されたら、正当防衛は否定されるでしょうか。そうではないでしょう。
自衛権の中に先制的防衛を除外しているのは、政府自身なので別に憲法9条を改正する云々にはつながらないと考え
ています。
最後に書くのはいわゆる集団的自衛権についてです。これは非常に微妙なラインです。個別的自衛権を有している
国が、侵略戦争を仕掛けられた場合、行使するのは確実です。日本国民の生命、財産に危害が加わりかけている状
態で、国がそれを無視するというのはないです。あるかもしれないと仮定するほうがナンセンスだと思います。
集団的自衛権は必ず発動されるか。これが問題で、必ず発動されるという保証はないです。集団的自衛権の行使を
では、イラク戦争であったときはどうであったか。アメリカ側の要請で集団的自衛権を行使した国はありましたね。
イラク側の要請で集団的自衛権を行使した国はありましたでしょうか。
答えは、いないです。
結局のところ、自衛に資さない場合も十分に考えられるので、同盟国の危機に日本の利害が絡んだ上で行使を決定
する集団的自衛権は、確実に行使される個別的自衛権とは別の分野な感覚があるので、なんともいえないところで
す。
小学生の課題のようなものを、まじめに考えてみた。主権国家同士の交戦権行使に基づいた戦争・戦闘行為について述べる前に、分かりやすい身近な例で考えてみたいと思う。
仮定の話として、私はとある一軒家に住んでいるが、隣の家と土地の境界線を巡って紛争状態にあるとする。私も相手側双方も、土地の境界線のラインが外側にあると主張していて、どちらも譲歩や妥協をする気が一切ない。そこで、現実の社会の中であれば、裁判所に頼めば双方間の調停をやってくれるが、国際社会にはこの裁判所のような存在がない。なので、問題の当事者となったら自分の力だけで解決しなければならなくなる。
私一人だけで解決するのが難しければ、隣近所の人たちと徒党を組む(=同盟・協商)ことによって、紛争相手に譲歩を迫ることもできるだろう。それでも話し合いや圧力で相手が折れなければ、最終的には武力行使によって解決するしかなくなる。それが「戦争」である。
戦争が起こる原因について考えてみると、突き詰めてみると「話し合い」で解決できないから戦争が起こるのである。隣近所との境界線(=国境線)の話でも何でもいいが、「話し合い」で解決することができれば、最初から戦争や紛争は発生しない。それは自分か紛争相手が譲歩するからである。
しかし、もし譲歩して紛争を解決したとしても、例えば隣近所との境界線の例でいえば、自分の家の敷地面積が狭くなってしまうわけだから、実質的に敗戦と同じである。
相手に安易に譲歩して自分が損をするくらいなのであれば、リスクを取ってでも武力行使を仕掛ける方が合理的である。
※今、北朝鮮の核問題において東アジアが戦争寸前の状態になっているが、北朝鮮の立場からすれば核をすべて放棄する(日米に譲歩する)ということは、自分自身の自衛能力をすべて放棄することに等しい。なぜなら、北朝鮮は国民生活や通常攻撃能力の配備を犠牲にしてまで、核開発に全てを注いできたからである。安易に日米に譲歩するくらいなのであれば、先制攻撃を仕掛ける方が合理的ではないのか。
ここから本題に入るが、戦争をなくすためには、主権国家の仕組みそのものを無くして新しい仕組み(世界政府と常設国連軍の軍備独占)を作るしかない。
世界には多くの主権国家が存在していて、それぞれの主権国家が暴力(警察や軍備)を独占している。その主権国家同士が紛争解決の手段として武力行使を行うから、戦争が発生する。
ならば、世界中の主権国家をすべて廃止して、世界で一つの主権しかない「世界政府」を作る。そして世界各国の軍隊や警察は、世界政府が独占する。これによって世界から戦争はなくなるであろう。
地域間紛争が起きたら、世界政府が作った調停裁判所が解決することになる。
世界中の国家を廃止するというのは荒唐無稽な話に聞こえるが、世界政府の礎となる組織は既に存在している。それはG7のことである。
※国連については、拒否権の問題などで既に機能不全になっているので除外する。
アメリカ・日本・カナダ・イギリス・フランス・ドイツ・イタリアの経済大国7カ国が、最初に統合して一つの国家となる。7カ国が保有している軍隊や自衛隊は、全て統合して一つの国連軍を作り上げる。そして、近い未来に起こる第3次世界大戦によって、ロシア・中国・中東の列強が崩壊したのち、それらの国々を世界政府に吸収してさらに勢力を伸ばす。
「国家は暴力装置である」と喝破して批判された政治家が昔いたけど、「なぜ人を殺してはいけないのか」を突き詰めて考えてみると、そのことにたどりつく。
今現在の近代国家においては、一般市民は武装することを許されていない(日本と欧州諸国の話。アメリカについては例外中の例外)。
暴力=武装を独占していいのは国家だけであり、具体的には軍隊と警察組織の2者が暴力を独占する。
国家が暴力を独占することによって、国家内における治安を維持することが出来るようになる。
よって、一般市民は暴力を行使してはいけない。つまり、人を殺してはいけないし、人を傷つけてはいけないし、他人の物を盗んではいけない。
暴力を行使していいのは、交戦権を持っている軍隊と、刑事訴訟法に基づいて執行する警察組織だけ。
中世の日本は統一政府が無かったので、各貴族や豪族、宗教寺院は自分で武士を雇って武装して、自分の身を自分で守っていた。
昔の東大寺や比叡山延暦寺は自前で僧兵を雇って武装していたらしいことが歴史書に書かれている。
暴力を行使してはいけない、という考え方は明治維新後の近代国家の価値観なので、まだ150年ほどしか経過していない。
もし増田が人を殺したいと思ったら、公務員試験を受けて自衛官や警察官、防衛出動や海上警備行動を発令できる権限のある防衛大臣、刑務所の刑務官、死刑判決を下せる裁判官を目指せばいいのではないか。
村本大輔「すいません、いいですか一瞬だけ。皆さん大事なこと、どうしても気になるから。すいません。(自衛隊が)違憲というのは何が違憲なんですか?すいません、そのレベルからちょっと…」
井上達夫(東京大学教授、法学者)「9条2項の文章を読んだことあるの?(怒)」
田原総一朗「読めよちゃんと!(怒)」
村本大輔「僕は視聴者の代弁者だから!テレビはそうなんですよ!」
井上達夫「陸海空、その他一切の戦力は、これを保有しない。交戦権を行使しないと書いてある」
村本大輔「うん、皆さんこれテレビですよ!若い人からお年寄りまで見ているわけですよ。だから一から十まで聞く必要あるんです」
?「小学校じゃねーんだよ!(怒)」
村本大輔「すごく大事なことですよ。ゴールデンのバラエティで…」
井上達夫「ちょっといいですか。村本君の発言にある種の愚民感を感じるのね。国民はよく分からないんだからとか言う…」
井上達夫「君ね一見、国民の目線に立っているように思えるけど、すごく上から目線なんだよ。小学生でも分かる話」
ツイッター上には、番組のオファーが無い理由について「単純につまらないから、呼ばれないんじゃないの?」と村本さんの持論に否定的な見方をするユーザーも目立つ。
こうした反応について村本さんは、ある一般ユーザーの指摘に一度は「た、たしかに!笑」と返信。しかしその直後に、
「いやいやいや!よく考えたら渡辺正行、大竹まこと、茂木健一郎、鳩山由紀夫、志位委員長、様々な頭のいい著名人が大絶賛したネタだそ!てめーみたいな頭の悪いチンパンジーはうんこみたいなネタみて笑っとけ、ばーか」(原文ママ)
との言葉を送っていた。
護憲派で特にとんがってる菅野完さんがまたなんかおかしな記事書いてる。
「経済政策で野党がダメだから自民党に投票する」という愚劣さについて
いつもおかしなこと書いてるけど今回は特にひどいね。「啓蒙」の考え方が暴走しているうえに、ウソを言って人をだまそうとしてる。もはや「啓蒙」ですらない。ただの「洗脳」か、読者を馬鹿にしすぎてるだけのただの狂信者という趣だ。
井上達夫さんは「リベラリズムの基本的な価値である正義は、他者に対してフェアであること。正義とは他者に対する公正さ。」「リベラリズムの源泉は啓蒙と寛容の伝統。自分の他者に対する要求や行動が自分の視点からだけでなく他者の視点からも正当化されているかを自己吟味することが必要。正義は自分の要求を他者に押し付けることではない。」と語っていたけれど、上の記事にはそういう観点がないので、この人はリベラリズムとは縁がない存在と思いたい。 護憲派と一緒にされるの心底迷惑だ。
「安倍政権のやり方に危惧を覚える人々ですら、野党やリベラルはもっとひどいという不安があって、世論は、安倍政権の強引な手法に不安を抱えつつも、より害悪が少ないものとして支持している」
ほんまこれな。菅野さんだけがとがってるならいいんだけど、上で書いてるようなことを他にも主張する人がいて、完全に目がイッチャッてるのに自分は優良な人間で周りが愚かだと思ってるからもう完全に救いがない。
原理主義的護憲派と修正主義的護憲派という二種類の護憲派。専守防衛であったとしても自衛隊の存在そのものが違憲と考えるのが原理主義的護憲派。専守防衛の枠内なら自衛隊は合憲だと言ってしまうのが修正主義的護憲派。
専守防衛の自衛隊や安保を政治的に必要だからという理由で事実上容認しつつ、専守防衛の自衛隊を認める明文改憲には反対。自衛隊の違憲状態を固定化しているという意味で原理主義的護憲派は憲法を守っていない。
修正主義護憲派も、現実主義的に見えるけど、9条2項を考えるとあからさまな解釈改憲。世界第二位の自衛隊が戦力ではないということになり、米軍とともに行う自衛権の行使が交戦権の行使ではないということになる、無理な解釈改憲。原理主義的護憲派も修正主義的護憲派も憲法を守っていないので、安倍政権の集団的自衛権容認を違憲だと批判するのは欺瞞。この欺瞞ゆえに護憲派の安倍政権批判が力を持てないし、このような考えはリベラリズムとは何の関係もない。護憲派をリベラルと呼ぶこと自体がおかしい。
リベラリズムは憲法の精神や立憲主義を守るという意味では基本的に護憲の立場ではあるが、日本の護憲派は憲法を全然守っていない。リベラリズムが護憲を主張するのは「憲法に定めていいのは、特定の党派に有利にならないような公正な競争ルールと、少数者を保護するための基本的人権」だからだ。
にも拘わらず、護憲派を主張する上記人物は自分の意見に沿わない人は愚劣だと罵る。これは憲法の精神に反しているので話にならない。なんちゃってリベラルであって、主義主張として評価すべき点がない。ただの自分の意見をごり押ししたいだけのわがままちゃんだ。 この人たちは護憲派とよぶことさえも語弊があると言える。
こういう人と一緒にされるのは耐えがたい屈辱である。リベラルの立場からも、この人の今回の記事は遺憾であると述べさせていただきたい。
「特攻と自爆テロは民間人を攻撃目標としているかどうかに違いがある。いっしょにするべきじゃない。」
というのが最近のTwitterで流れてきまくるけど、それはそれで自爆テロの人たちにも失礼じゃないかと思った。
自爆テロだって、なにもべつに民間人をねらった無差別テロばかりじゃなく、敵国の要人をねらった自爆テロもあるし、ちゃんと敵軍の基地をねらっている場合もあるだろう。
(あとそれから、テロリストがアメリカ軍と戦って窮地に追いこまれたときは、やはり神風特攻隊のように自爆攻撃をすることがあり得るんじゃないのか?よく知らないけどね。)
ただし、テロリストは大日本帝国と違って国家ではない。だから奴らに武力行使を伴う交戦権はないが、そっちを論点にすると逆に民間人の犠牲うんぬんは関係なくなりそうだ。
ぐぐってみたら朝鮮戦争では日本特別掃海隊とかいうのが行ってるし、ベトナムにも中東にも派兵して金も出しているわけで「参戦している」という言葉を使っても間違っていないわけでしょ?にもかかわらず「戦後の与党は、国家の主権である交戦権を敗戦で奪われた国になったことを逆手に、明確にアメリカの尻馬に乗りつつも前線には派兵せずに済んだ」という状況じゃない。そもそもこれを「平和であった」といっていいの?「勝利の側にいた」というだけじゃないの?
そんでもって、仮にこれが平和だとして、上記も与党の政策だし、リベラル系が好きな中国との関係回復も田中角栄によるものだし、与党以外が戦後の平和に貢献した瞬間なんか一度もなくない?なんで団塊世代の自称リベラルは自分たちが九条を大事にしてきたおかげで平和が保たれたみたいな認識になってんの?
一部の戦中派保守の出来が良かっただけじゃないの?
はてなブックマーク - 菅氏「自衛隊も軍隊の一つ」 首相の我が軍発言巡り:朝日新聞デジタル
はてなブックマーク - 「わが軍」答弁、問題ない 野党批判に官房長官 - 47NEWS(よんななニュース)
いやいやはてなはろくなもんじゃないと思ってたけど、いくらなんでも、憲法解釈について勘違いしすぎ。
なわけないでしょ?ww
呼称なんてなんでもいい。自衛隊でもいいし、実力だっていい。自衛軍でもいいし、アンパンマンとゆかいな仲間たちだっていい。
歴代内閣が国民を刺激しないようあえて表現に気を付けていただけ。
9条の解釈で議論となっているのは、軍隊を持っていいかどうか。もし軍隊を持っていいならどのような運用をすべきか。
政府が軍って呼んだ時点で交戦権を保持すんのか?他国と戦争しだすのか?
みんな魔法の国の住人なの?政府が軍隊って言い始めた時点で、自衛隊の中身が変わって米軍みたいになるってこと?
もうくだらない揚げ足取りはやめてください。
尖閣諸島の問題が一番なのであろうけど、自国の領土は自分たちで守るのは当たり前。
そんなことを、アメリカの抑止力に頼っていては、絶対に守れない。
抑止のための集団的自衛権でしょ。いらないんじゃない?
日本の周辺で、何処かの戦艦がやられそうなら、敵対する国じゃなければ普通に助ければいい。
あれは、軍隊がすることだ。
軍事法廷も無ければ、まともな交戦権もない自衛隊に、他国の軍と集団を組めと?
まずは、憲法を改正して、自国軍を持って、それから集団的自衛権の行使ではいのか。
自衛隊に他国の海域にとどまらせ、シーレーンを守らせるとかおかしと思う。
自国のエネルギーのためというのなら、日本のタンカーに自衛隊が随行すればいい。
2013年総選挙 圧勝の安部首相が関口宏にタジタジwww - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=82YJH8YC7jY&t=2m0s
安倍「(自民党の憲法改正草案の)9条の1項2項どこを変えたかご存知ですか?」
関口「はい、分かってますよ。サンデーモーニングでもしっかりみなさんとお勉強いたしました」
安倍「1項については我々変えていません。そして、2項以降にさらに(9条の2、9条の3を新設している)」
安倍信者で法律に疎い人たちは、安倍首相が関口宏の勉強不足なのを指摘し、やっつけたと大喜びしている。
ところが、調べてみると、安倍首相が息をするように嘘をついているのがわかる。
そもそも、日本国憲法には、9条1項はあるけど「9条《の》1項」なんて存在しない。
ここは譲って、安倍晋三は、9条1項のことを言っていたとしても…
日本国憲法第9条第1項
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、
武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
「永久に」が削除されているので、「変えていない」と言い切れるとは思えない。
安倍首相は「9条《の》1項2項」と言っていて、「9条2項」と「9条の2」を混同している。
もしかしたら、安倍首相は、芦部信喜を知らなかったばかりか、条文の条数の増やし方も知らないのかもしれない。
また、「9条2項」は、そっくり変えてるから、わざと間違えて言ったのかもしれない。
日本国憲法第9条第2項
「国の交戦権」という表現が削除され、戦力放棄から自衛権を明記しているので、「変えていない」とは言い切れない。
今後も、安倍晋三は、こうやって息するように嘘をつき、
まるっと騙される国民が増え続けるのかなと思うと、ちょっと恐ろしいですね。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html
http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf
条文ごとに別記事だと見にくいし、かといって今回のようにコピペするのも面倒なので、10条以降は書いたものに追記していくことにしよう。
改正の話題などもあって、どうやら憲法ブームのようなものが起きつつあると感じる。
ので、自分もこれにのっかって憲法を読んでみて、思ったところを書きとめておこうと思う。
今日はとりあえず前文を。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」→代表民主制ってことか。
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない……と信ずる」→国際協調主義。
学校では憲法の基本原理として「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」の3つを教えられたが、前文に基本的人権の尊重は少なくともわかりやすい形では出てこないのな。あえて言うなら「自由のもたらす恵沢を確保」あたりか。
あと気になったのは、「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」って部分。
「これ」は「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、……」からはじまる「人類普遍の原理」を指すのだろうが、それはつまりこの「人類普遍の原理」に反するような憲法改正はできないということだろうか。いや別にできなくていいけど。
今日は1条。
「象徴」であるということをどう捉えるべきなのか。「象徴に過ぎない」という消極的な意味に尽きるのか、なんらかの積極的な意味を読みこむことが可能なのか。
そもそも「象徴であ」るってどういうことなのだろう。
今日は2条。
「国会の議決した」ってことなら「法律」でいいんじゃないの、と思ってしまうのだがなぜわざわざ「皇室典範」としたのだろう。
「皇室典範」は成立要件や効果等の面において他の法律とは何か違いがあるということなのだろうか。←解決。教えてくれた人ありがとう。
今日は3条。
ひとまずは(象徴天皇制ゆえ?)天皇のフリーハンドの決定を許さない、その反面として責任も負わせないということだと理解しておく。
今日は4条。
自分は3条についてひとまず「(象徴天皇制ゆえ?)天皇のフリーハンドの決定を許さない、その反面として責任も負わせないということだと理解」したわけだが、4条を見ると「国政に関する権能を有しない」と定めることで既に天皇のフリーハンドの決定は不可能とされ、天皇の政治的実権は奪われているように思える。
だとすれば、「国事に関する行為」についても「内閣の助言と承認」を要求したのはなぜなのだろうか。「内閣の助言と承認」はいかなる意義を有するのか。そもそも「国事に関する行為」とはいったい何なのか。
今日は5条。
皇室典範 の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
前条2項が準用されていないのは、摂政が国事に関する行為をさらに委任することはできないということだろうか。
今日は6条。
これらは「国事に関する行為」なのだろうか。4条に照らせばそう考えるのが自然な気がするが、司法や行政のトップを任命する行為は明らかに政治性を帯びており「国政に関する」行為であるという気もする。
前者だとすれば、国事に関する行為と国政に関する行為との区別の仕方がまったく分からない。
後者だとすれば、本条は4条の例外としてなしうる国政に関する行為を定めたものと理解することになるのだろうか。だとすると、3条が「内閣の助言と承認」を要求しているのは国事に関する行為のみなので、国政に関する行為というより濫用の危険の高いものがフリーハンドで行われることになりかねず大変問題ではないかと思うのだが。
今日は7条。
天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
十 儀式を行ふこと。
ここに挙げられているものは国事に関する行為ということで、ますます国政に関する行為との区別が分からなくなった。
「儀式を行ふ」などは国事に関する行為のイメージどおりだが、「国会を召集」したり「衆議院を解散」したりするのは政治性があり、むしろ国政に関する行為ではないかという気がする。
今日は8条。
財政上も統制を加えるということなんだろう。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
さすがにこれは有名なのでどのあたりがポイントなのか聞いたことある。
1項は「国際紛争を解決する手段としては」という文言が何を意味するか(放棄するのは侵略戦争のみか、自衛戦争もか)という点。
はてサがさまよっている。
彼等には最初から自民党という選択肢はないが、民主党にも投票できずにさ迷っている。
共産主義などにならないのだから共産党へいれよう、などと悲哀混じりの呼び掛けをしているはてサもいる。
日本の現状下では自民党であろうが民主党であろうが選べる選択肢は殆変わらない
去年、民主党の勝利に大騒ぎしていたはてサたちは今頃になってそれを痛感しているのだろう。
財政赤字なのだから、いずれ社会保障費や公務員の人件費を削る方向に行かなければならないし
交戦権を放棄しているのだから、日本の外交安全保障の基盤である強固な日米関係を揺るがせる事はできない。
普天間存続ほぼ確実、という代償を払って民主党は現実を学んだ。
民主党政権がいつまで続くのか分からないが、続けば続くほど現実的になり自民党と同じようになっていくだろう。
そして、これが政権交代の真の成果と言えるだろう。
社民党は崩壊寸前。
共産党も高齢化が著しい事に加え、若い世代が全くいないため、この十年ぐらいで急速に衰えていく。
はてサの非現実な訴えを代弁する政党はどんどんなくなっていく。
はてサはどうだ?
まあ、駄目だろう。笑。
最後まで非現実な戯言を叫びながら時代の流れと共に消えてゆくのだろう。
はてな界隈では「はてサヨ」なる言葉があるぐらい、右翼とか左翼とかという単語はバズワードなので、
そもそもそれぞれどういう思想を指すのが適当なのかについて、整理してみた。
フランス革命政権において、非特権階級の利益を代表する勢力(=共和派・革新派)を左翼、それに対して旧体制における受益者の利益を代表する勢力(=保守派)を右翼と言ったことから(議会の座席の位置取りに由来)
持たざる者である左翼が、(平等志向の)分配を要求し、持てる者である右翼が非分配を主張するという構図が一般的。
左翼は(理想主義的な)平和志向が強く、右翼は好戦的とは限らないが、交戦権自体は主張する。
ただし、これに関しては例外は多い。
自民党のやってきたことは「右」路線なのは間違いない。(陳情によるボトムアップは正に「右」の手法)
しかし徐々にボトムアップの「ボトム」が経団連に代表される巨大企業になっていったことで、義理と人情の代表ではなくなった為、
小泉手法のような奇策に走らざるを得なくなり、そのあとは政権を失ってしまったのだと思う。
ここで重要なのは、陳情をしてくる相手が票をまとめられる存在であり続けたなら惨敗にはならなかったという事ではないかと思う。
企業トップの利益がその従業員、および取引先企業の利益と決定的にかけ離れてしまっているからこそ、自民党路線は民衆の支持を得られなくなってしまった。
また、一方で、企業の側も、(国内)政治による利益誘導がどうしてもと言うほど重要ではなくなっているからこそ、票をまとめられるような待遇と政治への要求をしなくなったのでは無いかとも思える。
もはや舞台は国内の議会政治がメインではなくなったのだと言う事で、もう議会の中での勢力争いそのものも時代遅れになっている。
民主党が「左翼政党」かと聞かれれば、微妙だと言わざるをえない。
なぜなら、左翼は最適社会の構築の為にこそ奔走するのであって、それに「友愛」が必要な筈はないからだ。
どちらかと言えば「人情」を謳う(日本的で穏健な)右翼の手法に近いが、「友愛」は外国に向けても謳われているところが違う。
推測するに、「全体」の範囲を「地球」に拡大した上での、経済的分配を伴わない「最適化」のツールとして言っているのではないか。
新種の左翼だとしても、多分200年は早い(かりに方向性があっていたとして)。
・ネトウヨが有名に。
・頻繁に誹謗中傷が飛び交う
・しかし余り極端な左翼論者が多いようには見えない
・ナチュラルに右翼な発言の人が散見される(そしてホッテントリ入り)
・個人ブログでの左翼な発言は目立ちにくい?(ホッテントリ入りはあまりしない)