はてなキーワード: 冷血とは
が、どうにもできない。
妹は発達障害を持っている。日常生活が困難なレベルで、高卒で就職した工場でも自力で髪を結べず他の従業員に結ってもらっていたという。その他も指示の言葉が通じないレベルで、結局は解雇になった。作業所に一時期行っていたが、今は通院の他は外出せずニート生活を送っている。
娘が「障害者」になるのを拒んだ両親のせいだ。
彼らは発達障害の診断を受けた娘に療育を受けさせず、普通学級に通わせ続け、障害者手帳を取るべきだという教育者の箴言を無視し、クローズドで高卒就職をさせた。その結果がこれだ。
自分は「貴方がたの感情で彼女の人生を滅茶苦茶にしてはいけない。妹は福祉と常に繋がっておかなければいずれ破滅する。せめて障害者手帳は取得させて作業所に通わせろ」と訴えてきた。
しかしその訴えは常に「家族が障害者になるというのは辛いので、そういうことは言わないでほしい」と聞き入れられなかった。意味が分からない。本当に何を考えているのか分からなくて怖い。
そもそも暴力が支配するタイプの機能不全家庭で、自分は実家を出て妹を含めほぼ絶縁状態になっている。それでも口を出すのは、将来面倒を掛けられたくないのと、家族という関係を無視しても社会的ネグレクト同然の扱いを受けている妹を見ていられないからだ。せめてグループホームに入れろと言ってはいるが、「障害者」である娘を彼らは受け入れない。そして飼い殺しにしている。
このままでは妹は美緒48歳になってしまう。自分はあの漫画を見て笑えなかった。大震災の時、小学生だった妹は揺れる電灯の下で座り込んだまま「どうしようどうしよう」と繰り返していた。いずれ両親の死という災厄が来た時も同じことを繰り返すのだろう。
妹を美緒にしたくない。しかし両親が頑なに福祉との接続を拒んでいる状況でどうすればいいのか分からない。あの漫画の切り抜きが流れてくるたび、いずれ来る「その時」がリアルな触感を持って迫ってきて怖い。生きていけないよおおおおおお。
【追記】
書き捨てのつもりでヤケクソに書いたので、反響に驚いています。
匿名の場でもなければ相談どころか吐き出すこともできなかったので、長年抱いていた悩みと不安に誰かからの反応をいただけて本当に嬉しかったです。ありがとうございます。
八方塞がりだと思っていたので今の状況で受けられそうな支援の情報を貰えて有り難いです。今後調べさせていただきます。また自分に対しての言葉も有り難い限りです。
■美緒って何だよ
□現状への危機感を抱かせてくれた作品なのに恩知らずでした。元ネタを貼ります。
https://togetter.com/li/2447737
https://app-manga.line.me/app/periodic/S120886?_appstore=0
外に出ないで菓子ばかりを食べる、母親が無尽蔵に甘やかして自活をさせない、この辺りが全く同じなために、近年の妹は外見もほぼ美緒になっており(唯一連絡を取っている母が写真を送ってくる)、あのコマの切り抜きを見た瞬間は息が止まりそうになった。
□自分もそう思う。
しかし妹を雇用していた会社から「医者で正式に診断を受けさせてくれ、その結果で通常の雇用を続けるか障害者雇用にするかを判断する(結局解雇)」と言われて受けた際の診断は『発達障害』だったそう。
また、幼児健診時受けた診断?によって「発達遅延」と言われていて、それによって療育を勧められていた記憶がある。こちらに関しては自分も当時小学生だった+母親の愚痴で仔細を知ったため、記憶があやふやで申し訳ない。
自分は正式な診断時にはもう家を出ており、妹の障害を認めたくない母親経由で聞いた話なので、実は知的障害なのに発達障害と伝えられている可能性は十分あると思う。
■作業所行ってたんじゃ?
□手帳を必要としないタイプの作業所に通っていたようだが、三ヶ月程度で辞めたと後に聞いた。原因は父親が「そんな所に通わせていたら本当に障害者になってしまう、辞めさせろ」と暴れ、母がそれに従ったため。妹本人の意向は不明だが、両親の障害者嫌悪の思想が強すぎるため、言ったところで聞き入れられなかったと思われる。
□役所の仕組みや法的には可能でも、妹がそれをするのが難しい。
まず第一に、妹は自分で何かを考えて行動するのが難しい。言葉を選んだ上でこう表現するより他ないが、自我が薄いのだ。唯一彼女のポジティブな執着が見えるのがゲームや漫画で、自分の身の上や将来に関しては、電話越しに聞いても「わかんない」か、ふにゃふにゃした口籠るような声しか返ってこない。会社を解雇された時でさえ。
第二に、妹に「障害者は恥ずかしいもので嫌なもの」という思想が植え付けられてしまったことがある。妹が奇声を上げたり庭を飛び回るといった行動を取ると、両親は「やめろ!障害者!」「障害だ!」と叱りつけ、宿題をやらずごね始めたら「そんな風にしていると障害者学級に行かなきゃいけなくなるよ!」と怒鳴った。
その結果、妹自身が「障害者」という言葉や存在を嫌がり、自分がやんわりと支援やグループホームの話を伝えても「それは障害者だからいやだ……」と拒否するようになってしまった。酷すぎて実在を疑われそうだが、自分も家を出るまで自分の家庭環境の異常さを客観視できなかったし、異常すぎて親しい相手であればあるほど相談できなかったことはここに記させてほしい。
■美緒48歳の元ネタを見せる/髪結いの件を引き合いに出して両親を説得できないのか?
髪結いの件は両親も承知していて(企業の人事から激詰めされた事が堪えたらしい)その上で何の支援も受けさせず、福祉にも繋げないという今の状態なんです。今までも市町村や国が出しているパンフレットやPDFを送ってきたが、そもそも妹が障害者であることを受け入れないから目に入れようとしない。
父に至っては機嫌を損ねると暴力を振るい始めるし、母は父の暴力に怯えて「もう障害の話はしないで」と言い始め、二人きりの環境に連れ出して資料を見せても「難しくてよく分からない」と言う。
父母にしても支援が必要なのではと考えている。だが自分の問題として、絶縁までの20年間続いた心身への暴力によって傷が癒えていないし、許せもしないから助けたくない。
けれど彼らの死後、障害者である妹をどうするか?となった場合、親族にせよ役所にせよまず電話を掛けてくるのは長子である自分だろうということと、単純に妹が『福祉の力を借りつつ自分の力で生きていく』ための縁や可能性を、両親の感情論によって奪われている理不尽をどうにかして取り除いてやりたいと思う。
気になったのは以上だろうか。
母は議論になるとよく「お前は子供を持たないから障害者の親になる気持ちが分からない(だから手帳は取らせない)」と話を終わらせた。
親であればなおのこと子の未来を思って行動すべきではないのですか? 子の未来よりいつか子より先に死ぬ自分の感情の方が大事なのか? 自分はそこまでおかしなことを母に言ったのだろうか。
美緒の元ネタのように両親が自分を頼りにしているというのは本当にそうで、幼少期から折に触れて「自分たちが死んだら妹ちゃんとは助け合って生きていってね」と言い聞かされ「そんなことはしない。障害のことを抜きにしても貴方がたが甘やかし、歯磨きもろくにしない教育を施してきた娘だ。その責任は自分たちで取ってほしい」と返答してきた。
その度に「そんなこと言わないで、きょうだいなのよ」「お前は冷血の人でなし」と繰り返されてきた。本当に自分は人でなしなのかと今も疑っている。
お前はもう関係ないから自分の人生を生きろというコメントには少し泣いてしまった。結局突き詰めれば、せっかく絶縁しているというのに、自分も自分の感情によって家族を見捨てきれないのかもしれない。どんな形でもコメントを寄せてくれた人たち、本当にありがとう。美緒の漫画を描いてくれた人もありがとう。まだ全然生きていける気がしてきた。
映像化による史上初の原作レイプは「ティファニーで朝食を」説を主張している私としてはユニオシが知られたのはよかったと思うけど、「ティファニーで朝食を」はそれだけじゃない
カポーティは主演がオードリー・ヘプバーンになったことにブチギレている
カポーティはヒロインのホリー・ゴライトリー役にマリリン・モンローを推していたが、マリリン・モンロー側は娼婦役(ホリー・ゴライトリー)はイメージが悪化すると断った
その結果、なぜかオードリー・ヘプバーンになった
オードリー・ヘプバーンとマリリン・モンローでは全く違うホリー・ゴライトリーになる
それを知れば小説を読んでいなくても映画「ティファニーで朝食を」が原作小説といかにかけ離れたものか想像がつくと思う
実際、カポーティもブチギレた
女子高生2「え?え?ほんまに!?わたしも化物語大好き!!で、で、誰が好き?」
女子高生2「忍野メメやろ!!それに腿て、ずれてるやん!!大惨事なるでそれ!!!」
女子高生1「ほんまに好きやよ」
女子高生2「じゃあ、今度は私が好きなキャラの名言言うから、誰か当ててみて」
女子高生1「ええよ」
女子高生2「ほないくで。”何でもは知らないわよ、知ってることだけ”」
女子高生1「わかった!骨川翼!!」
女子高生2「ドラえもん!?なんで急にドラえもんみたいになっとんねん!てかなんやねんそのドラえもん、もったいぶっててなんか腹立つわぁ…」
女子高生1「好きやよ」
女子高生1「戦場ヶ原ひたぎ、斧乃木余接、貝木泥舟、剛田武、臥煙伊豆湖」
女子高生2「ほんまかぁ…?期待せんけど、じゃあやってみて」
女子高生2「ドラえもんなっとるやん!!それになにそれ!?アララギやろ!ラしかあってへんやないか!!」
女子高生2「だからなんでドラえもんやねん!!その口調、腹立つ…未来デパートに返品したいわぁ」
女子高生1「あとあの子も好き!ほら、吸血鬼の女の子の…名前は…ええと、なんだっけ」
女子高生2「忘れたんか?もぅ、なら適当に言ってみぃ。ヒントあげるから」
女子高生1「それじゃ…忍野まなぶ!!」
女子高生2「え…?待って、どういうこと?」
女子高生1「惜しいっていうから…だって一番学んでるのは出木杉君でしょ?」
女子高生2「ドラえもんになっとるやん!え…待って、怖…お前の思考、狂ってるやろ」
女子高生1「そんなことなぃて!だって、今、鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼の名前、思い出したもん!」
女子高生2「…ほな、言ってみて」
女子高生1「キスショット・アセロラオリオン・ガールフレンドカタログメーカー」
女子高生2「最後、将来知り合う女性のいまの写真がいろいろなデータ付きで出てくる秘密道具の名前になってるやんけ——っっ!!」
「自分の機嫌は自分で取れ」って、ネットで他人相手なら軽く言えるけども、
妻相手に言うのはあまりにも冷血なようでなかなか口に出せない。
でも本音ではそう思ってるし、自分自身も辛いときのメンタルケアを配偶者に求めたことはないし、これからも求めるつもりはない。
自分自身は「自分の機嫌は自分で取る」を幼少期からこなしてきて完璧に身についてるが、
妻はそうでないのかもしれない。家族や交際相手に都度慰められて乗り越えてきたらしい。
比喩でなく「辛かったね〜ヨシヨシ」とされたいらしい。
40のオッサンが40のオバサンを「辛かったね〜ヨシヨシ」ってするの、見てらんなくない?
他の家庭ではよくあるの?最終的に泣き出すから仕方なくヨシヨシしてるのだが。
いや、親が死んだとかじゃないよ。コンビニで嫌な接客されたとか、そういうレベルでの話よ。
20代の頃はそんなところも可愛く思えたものだが…正直今となっては面倒でしかない。
好きなもん食うなり、テレビでも見るなり、寝るなりして自分でリセットしてほしい。
そう思う俺が冷たいのか?
めちゃくちゃ叩かれてて草
わかったわかった、妻のケアは俺がしないといけないのね
これも男女逆ならなんて言われてたのか気になるけどなぁ
昨日見たテレビの話とかしても同じ番組なんて見てないんだしさ誰も。
誰々さんって変わってるよねーから始まって「まあ個性だよね」「アスペルガーって奴かも知れないからそっとしておこうかー」で終わる感じ?
自分基準での「痩せすぎ」「太り過ぎ」「飲まなすぎ」「健康に気を使いすぎ」「自炊アピールやりすぎ」「自炊してなさそう」とか好き放題言うわけだが、お互い様だから別に問題ないっていうか、そもそも心の中でそういう風に思ってるんだからどうせ口に出さなくても一緒というか。
人間を話題にした雑談をやたら否定する人って、単に自分が他人に興味がないだけでしょ?
それか自分は他人と違って世の中の本質的な難しいことを考えているから、身近な人間如きのことでいちいち口や耳を動かす暇はないって調子に乗ってるんじゃないの?
結局さ、近くにいる他人のことをこの世界に何十億といるモブキャラの一人だとしか思ってないから全てがどうでもいいんだろ?
そこに一人の人間の数十年というドラマがあるってことを感じ取れる普通の人間は差、そこに興味を持っちゃうのが当たり前なのよ。
つまりね、他人の悪口で盛り上がりすぎだろと言ってる奴らは別に心優しいから人の事を変に言わないんじゃなくて、他人のことを社会を動かす歯車ぐらいにしか見てない冷血動物だから他人の全てがどうでもいいんだよね。
まあつまりは、自分を優しいと思ってるけどその理由は優しいという概念を理解するための共感能力がそもそも身についてないだけのサイコパスってことよ。
(前part)
https://anond.hatelabo.jp/20231213191557
直情的なタイプだった。怒りだろうと悲しみだろうと、感情の振れ幅が大きいタイプである。
最初の方で説明した場面で、職場のコピー機が置いてある台を蹴っていたのが彼になる。傍目から見ても、「どうして採用されたのだろう……」と疑問が湧いてくるほどだった。
ストレスには耐えられないし、自分勝手なスタンドプレーは多いし、立場が弱い人間には辛く当たるし、自分は凄いといった主張をしていた(「俺の親、若くして自治会長だから!!」など)。相手の意見を曲解することが多かった。
私も手痛い思いをしたことがある。私がいた指導課には住民基本台帳ネットワークシステム(戸籍課や税務課の職員が使っているものと同じ)があったのだが、B君は特に許諾もなくそれを操作し、職務遂行に必要な個人情報を入手していた。本来であれば事前申請を要するし、厳しい自治体だと戸籍課以外の職員によるシステム操作を認めない。これが普通である。
ただ、ほかの部署から個人情報取得の依頼があった場合でも、身内だからということで、口頭による承認で住基システムを使わせることはあった(課員への一言)。能率を考えてのことだ。が、B君の場合は明らかに一線を超えていた。職務遂行に必要であることがわかるが……一度だけ、彼を思い切り叱り飛ばしたことがある。以降は、口頭で課員の承認を得てからシステムを使うよう徹底させた。
ところで、あなたの職場にもいるのではないか? 仕事でも家庭でも趣味でも、何でもいい。ストレスで精神的に潰れかけた人間の姿である。B君は、元々コミュニケーション能力に難があった。いわゆる話がわからないタイプだった。
残業も多かった。指導課や学事課の教員出身者と同程度と仮定すると、おそらく月60h~70h程度か。彼の上司は「仕事をたくさん振っていないのに……なぜ?」というスタンスだった。
市職員の場合は、予算がある限り時間外勤務手当が支給されるという。私が若い頃だと、時間外勤務をしていないのに、予算消化のために闇残業を認めるという慣習があったほどだ。
教員出身者の場合は、月20hまで支給されていた。学校現場から教育事務職に移った者にとって、長時間労働やサービス残業は避けて通れない。この試練があるからこそ、一定の基準に達した教育人材を育成することができている。
人は光を求める。そして、その光の見える方向へ動いていく。教職員にとっては、教育に関する哲学、という光を見出すための修行の場こそが教育委員会である。量・質ともに圧倒的なレベルでの修行。厳しい体験を幾度となく積み重ねるから人格や能力が磨かれ、玉になっていく。
さて、彼の上司はB君を徹底指導して残業縮減に務めた。だが結果は出ない。残業縮減の効果は僅かだった。ところで、B君の場合は学校歴がよかった。地元の名門公立高校を卒業して、大学も相応のところを出ていた。地元的には血筋もいい。それが採用に繋がったのだろう。
縁故が悪いか? といえば時と場合による。一概に悪いとは言えない(ex.公共の学童クラブの指導員は、その多くがスカウトである。特に、男性の場合はほぼ100%だ)。教職員の採用試験においても、学科・面接試験の点数以外で、非公式に評価すべき点というのは確かにある。
行政一般事務の職員のことはよく知らないが、彼らと仕事をしていると、確かに地元において血筋がいいとされる人に仕事のできる人が多かった。※主観的な統計である。
高等学校の入学試験ですらそうだ。学科試験以外で評価される要素がある。内申点などは、その典型である。本人の人柄や人格、学習態度や常識力、社会への順応性が点数化される。内申点以外にも、+-の評価がされる要素も一応はある。
プラス評価の例としては……今では絶滅した慣習であるが、昔は公立校でも縁故による入学があった。とある高等学校の名門運動部などが、どうしても○△中学校のあの子がほしいという場合、事前に保護者・児童や中学校側と話をつけておく。かくして3者が合意に至った場合、入試前に合格が決まっていた。内申点は中三期を満点にするなどして対応する。
マイナス評価の例としては……生活習慣だろうか。公立高校の入学試験の基本は、学科試験+内申点の合計で決まる。とはいえ、点数に関わりなく不合格になるケースもある。こちらは犯罪行為であるとか、補導されるのを繰り返したとか、入学試験の際に相当奇抜なことをしない限りは関係ない。
ただ、その子が合格基準点に達していた場合でも、入学試験の要綱要領に定めのある範囲で不合格になることはありうる。欠席数が極端に多かったり、在学中に異常な行動を繰り返したなどが内申書に書いてある場合だ。学校教育とはいえ、高校側も不用なリスクを取りたくない。名門とされる公立高校に問題児が少ない理由のひとつである。
B君の話に戻ろう。その年の夏頃に聞いたところだと、どうやら事件を起こしたらしい。
梅雨が明けた頃に、霞が関の新卒キャリア官僚が研修にやってきたという。T区の各部署を廻って地方行政の実務を学習するのだ。T区は、その年の中央省庁の研修先のひとつに選ばれていた。
キャリア官僚達は、ごく普通にT区の歴史や成り立ちを勉強して、地方行政の実務を視察して、心ばかりの現場仕事をこなして、一週間ほどで霞が関に帰る――はずだった。
最後の日に行われた交流会(飲み会)で、B君はやってしまった。喫煙所のよもやま話で聞いたところだと、以下の流れだ。
ex.研修先部署の部長の肩に手を置く、女性職員の体に何度も触る、別省庁のキャリア官僚に「ぶっ殺す」と発言するなど
③国交省キャリアが「お前の区の国庫補助金ゼロにするからな」と言ったところで、B君がキャリア官僚を蹴り飛ばし、馬乗りになる
④ほかのキャリア官僚とB君の部署の係長が、彼を羽交い絞めにして止めた
……気持ちはわかる。侮辱されて悔しかったのだろう。だが、いくら何を言われようと、暴力だけは駄目だ。確かに、若手官僚の場合、調子に乗っている者は一定数いる。子どもの頃から勉強に勉強を重ねてきた自負があるとともに、仕事では自分の親ほどの年代から神輿を担がれるような扱いを受けるのだから。調子に乗るのも当然である(上に出てきた国交省キャリアは東京大学卒だった)。
かくいう私自身も、文部科学省の事業査定担当官であるとか、会計検査院の検査官から相当辛辣なことを言われたことがある。だが、怒りの感情に囚われてはいけない。駄目なのだ。
人間はいかなる状況の下においても、自己の衝動をそのまま表に出してはならないし、出すべきでもないし、さらに言えば、出したいとも思わない、という主張はまったくの真実であり、妥当な見解であると私は考える。衝動は制御することができるし、制御しなければならない。それは現実の要請というだけでなく、一人の個人としてのまとまりや一貫性および価値観の要請でもある。突き詰めて考えるならば、人生には実存的葛藤や解決不能な問題、さらには、あることのためには別の何かを諦めなければならないというような状況が数多く存在しているのだ。こうした状況こそ、人間が生きる上での本質的条件となっているのである。何らかの葛藤が常につきまとい、ある方向へ進もうとすれば別の道を諦めざるをえない。人間はこうした状況に苦悶しつつ、自己を制御しながら生きていかなければならないのだ。 完全なる経営(2001) A.H.マズロー (著), 大川 修二 (翻訳) P.295
私とB君が教委事務局で一緒だったのは一年だった。その年は、社会教育課にとって厳しい年だったらしく、彼は相当追い詰められていた。年度末の三月時点では、まるで50代のごとく自分が思ったことを脊髄反射で口に出すようになっていた。
声をかけようか、とも思った。あまりに辛そうだったからだ。係長も課長も、彼を見放しているところがあった。どれだけ残業が積み重なろうと、仲間によるフォローを呼び掛けたりはしなかったし、むしろ失敗に対して反省文を書かせていた。
B君は、口に出すのが憚られるほど救いようがなかった。もし、上司や仲間にとって彼が『かわいい奴』だったら、こんな事態にはなっていない。彼は、実際に不良な人間だった。職場の仲間から非人格的な言動を咎められるのはまだいい方で、はっきりいって見捨てられていた。自業自得だった。
しかし、やはり可哀想に感じることがあって、廊下をすれ違う時やトイレなどで「元気?」「今日は温かいね」「辛くないですか」など声をかけることがあった。
それから、彼がどうなったかというと、真相を確かめたわけではないのだが……私が定年になる前に退職したらしい。別の部署に異動しても活躍できず、しかしながら、何の因果だろうか――霞が関への出向を命じられたという。省庁までは不明。
本来名誉であるはずだが、その出向期間中に退職を申し出たということだ。もしや、生贄型の出向だったのだろうか?
現代社会において、感情が表に出るタイプの人間はしんどいのだと思う。彼が今、どうしているかはわからない。ほどほど幸せにやっていることを祈っている。
先ほどの2.3.でいうところの係長にあたる人物だ。この人は、冷血漢と呼ぶにふさわしい人間だった。サイコパスとは書いたが、私は臨床心理学の碩学ではない。仕事熱心で、結果を求めるタイプだったのかもしれない。目的のためであれば何でもする人だった。思い出してみる。
例としては、部下の叱責だ。普段は物静かで、部下の相談や報告を聞いている。が、一定レベルの何かに触れると怒号を発する。
C係長「お前、こないだできるっていったよな!」
若手部下「すいません」
「なんでできねーんだよ」
「……なんとかします」
「言ったな? じゃあしろよ。今週末までだ」
※部下ができなかった場合は、定時を過ぎても何十分でも説教していた。そして、できるまで残業をさせる。
後は、イベントだろうか。市区町村においてイベントを主催する部署はいくつかあるが、教委事務局もそのひとつである。教育○○大会などの厳かな発表会もあれば、○○総合フェアなど若い人や家族連れが多く集まる文化的なものもある。
さて、そのT区にとっての○○総合フェアの時だった。毎年過ごしやすい季節に、とある大公園で実施されるのだが、50以上もの出店が立ち並ぶ大イベントだった。
その年のイベントは、残念ながら雨天だった。初日は少雨で済んだものの、翌日以降の天気は崩れる可能性が高い。社会教育課は、教育総務課・指導課と並んでイベント主管課のひとつだった。
その初日の、夕方~夜にかけてのことだった。教育長を始めとする幹部級職員が現地に残って、明日以降の対応を話し合っていた(ほかの教委スタッフは全員帰っていた)。主な論点は次のとおりである。
□ イベント会場は維持できるのか?
上記3点のうち、2点目がなかなか結論に至らなかった。イベント会場には、テントも備品も野外展示物も並んでいる。風雨によって損傷する可能性があった。そして、2点目の解決手段を提示したのがC係長だった。
彼は、「業務委託している会場警備員がいるでしょう。数十人。彼らにやらせましょう。折り畳み式テント(※鉄パイプではない)の屋根を低くする作業や、野外展示物の収納もです」といったことを述べた。
私は「それは契約内容に入っているのですか?」とC係長に問うた。すると、彼は「緊急事態です。契約内容にあろうがなかろうが、現場の指示に従ってもらわないと」と言っていた。
教育局長は「後で問題にならないか?」と聞いたが、「私の責任で収めます」と彼は返した。教育長に「本当にできるんだな?」と聞かれると、「問題ありません。警備の発注は当課です」と返していた。ここから先はうろ覚えだが、C係長は警備会社の現場責任者と交渉を始めた。
夜7時頃だったか。私がトイレに行く途中で、社会教育課長とC係長、警備会社がロビーで交渉しているのを見た。当然ながら、相手方は渋い反応だった。
私はそのままトイレに行って、また帰り際にロビーを通りかかったところ、「契約切るぞ。ええんか!?」というC係長の声が聞こえた。この人は、気分が高まると大体こうなる。
以下、会話を手帳にメモしているわけではない。思い返してはいるが、やはりうろ覚えである。
「切るといっても来年からね。今年はもう契約してるし。来年は、こちらの権限でほかの警備会社と契約します。それでいいなら、あなたの判断で断ってください。テントの作業OKなら、これから私の責任で指示しますが」
「いや、でも。ちょっとの量じゃないでしょ? テントの数は何十個もあります。それをひとつひとつ、高さを下げていくんでしょ? それはもう――」
「あなたが決めるしかないでしょ。責任者なんだから。この時間、あなたの会社に上司がいるんなら電話で伺ってください」※このあたりから方言になる
「判断ができません」
「毎年、あんたの会社と契約しとるんやぞ。しっかも言い値で。本来なら正式に競争入札せんといかん金額やのに。こういう時のために、うちは権限使っとるんやぞ。官製談合みたいなこと、してやっとるんやぞ。俺らとあんたの会社のためを思って。で、上の人間に電話するか、あなたの判断で決めるかのどっちかや。あなたが決める場合は、契約切られても全部責任とるんやぞ」
「……」
「俺が責任を持つ。あんたが上司に怒られんようにする。後で言っとく。知り合いだから。頼む!」
「わかりました。指示をお願いします」
C係長のこの判断が正しかったのか、誤っていたのか。今でもわからない。
結果だけ見れば正しかった。その夜は雨も風も激しかった。(鉄パイプ式でない)テントを張ったままだと、風雨で確実に潰れていた。テントや野外展示物を片付けるといった作業は絶対に必要だった。それを怠って、一般スタッフを帰した私たち幹部の落ち度である。
手続き的には違法である。正しくない。警備会社をロハで使ってしまっている。C係長のことだから、きっと事後処理はうまくやったのだろう。あの後、彼やその上司が処分を受けたという話は聞いていない。
個人的には、C係長の行いは正しかったように思える。実際、あの場面だとああするしかなかった。組織のために泥を被ってくれたとも言える。ただ、それが未来に繋がる行為だったかというと怪しい。
例えば、テントが崩壊する未来を選んでいれば――教委事務局が「組織として学習」することができていた。それがいい未来につながった可能性もある。
(次part)
人と人との間には深い谷があって、そもそも、それを乗り越えることはとても難しい。誰だって、他人の外から見た「ある一面」だけでその人を決めつけて、その思いにとらわれるようなことはある。あと一歩踏み出す勇気があれば変えられることでも、その一歩を踏み出せなくて、結局理解にたどり着かない……というのはよくあることだ。責めるほどのことではない。
だから、「毎日よく話をして、なんなら一所に遊びに行くほど親しかった友達が『イケメンDQNが好き~』って言っただけでその人の全部が分かったような気になって勝手に絶望した増田」のことも責めようとも思わない。もしかして、「じゃあ、俺のことはどう思うの?」という一言が言えれば何かが変わったかもしれない。けれども、誰だってそんな一歩を踏み出すのは怖い。それは確実に取り返しがつかなくて、間違いなく何かを大きく変えてしまう……そんな一歩だからだ。
実際、「イケメンが~」とか「年収が~」なんて世間テイと社交のためのただの台詞で、何なら「相手を選ばないようにするための言い訳」だったりする。相手を選んだら、一歩踏み出さないといけないから、でも、その一歩を踏み出すのは怖いから。だから、うっかり相手が見つかってしまったりすると、「え?あんた、さんざん男は顔だとか稼ぎだとか言ってたじゃん」「いや、まあアレはアレで……」みたいなことが起きる。だから、たいていの人はその一歩を踏み出すのが怖いだけで、本当は別に冷血でもドライでもなかったりするものだよ。
だから、「女なんて」と思わずに、相手も自分と同じただ臆病な人間なのだと思って見ればいいと思う。女性と友達になることもできて、一緒に居て楽しいという気持ちになれる増田がミソジニーに落ちるのは、なんだか勿体ないと思う。そして、いつか増田が一歩を踏み出したとき、思いが報われるといいなと思う。
席替えで3回連続くらいで近い席になったから10分休みや給食の時は結構喋ってたし、
気が合って、話しててすごく楽しかったし、自惚れかもしれないがその子も楽しいと思っててくれたと思う。
俺はその女子の事が好きになった。
だけどその子は他クラスのDQN寄りのイケメンが好きだって言ってて、
「面識あるの?」って聞いたら「出身小学校も違うし話した事無いけど」って言ってて。
なんかそれが凄いショックって言うか、結局顔かよみたいな。
俺はその子と一緒に居て楽しいから、仲が良いから、好きになったのに、
その女子にとっての価値判断基準って言うのは仲が良いとかそういうのじゃないんだなあって。
まあ、よくある話なんだと思うけど、中学の頃なんか自分の周りが世界の全てみたいなところがあったから結構衝撃的で、
結局こんなんじゃ生きててもしょうがなくない?みたいな思考になって、全てが怠くなって学校に行けなくなった。不登校になった。
それくらいショックで辛かった。
(ちなみに当時、自分は担任の教師と異常に折り合いが悪かったので、親とか学校への説明は「担任がダルいから行かない」で押し通した)
今思うとこれが人生初の失恋であり女性恐怖症でありミソジニー的思考である原体験なのかなーと思う。
「まあ、あいつはあんな感じだったけど、世の中ああいう冷たい女ばっかりじゃないだろうし、というかむしろあんなドライな奴少数派だろうし、高校生になればきっと楽しくて気の合う彼女が出来るさ」
なんて考えて、中学3年になったタイミングで学校に復帰し、その後高校、浪人、大学、就職と人生を進めたわけだが…。
だけど、大人になってから、Twitter(現:X)なんかで、女性の「初対面で友達枠と恋人枠どちらに入れるか決まってて、友達枠の男から告白されると引く」とか、
「恋愛対象外の友達の男から告白されるとぬいぐるみからペニスが生えてきたような衝撃を受ける」みたいな言説が盛んになされていて、
むしろあの時のあの女子の感覚って女性の中でのマジョリティだって気付いて女性恐怖症的なミソジニーが爆発しつつある。
女性にとって仲が良いとか一緒に居て楽しいとかそういうのはマジでどうでも良くて、結局顔とか金とかしか見てないんだなって。
その血も涙もない感性が本気で怖いし、資本主義と優生思想に脳を焼かれ過ぎてる感覚が人として嫌気がさして、正直自分の中でミソジニー的な意識が芽生えている。
男はそんな事無いじゃん?
まあネットだと露悪的な書き込みの方がウケるから女は顔とパイオツが全てとか言ってるけどさ、
ブスでも仲が良ければ好きになるのが男だし、友達として一緒にゲームとかして遊んでその流れでセックスっていうのに憧れてる男は相当数いる。
俺自身もその後の人生で好きになった子って全員友達で、一緒に遊んだり話したりして楽しいなって思えた子だけで、
もちろんクラスや学年にはその子よりも顔面偏差値が高い、所謂「学年一の美人」なんかも居たわけだけど、
そういう美人でも友達じゃなかったら別に好きとかには全くならなかったな。
俺個人の話から外れて男全体の傾向で見ても、例えばアイドルなんかでも高嶺の花の韓国アイドルよりもAKBとかの方が人気なのは接触イベントでコミュニケーションを重視した方が男に刺さるって理由だろうし、
握手会なんかで会話を重ねて「仲が良い」と男に思わせる事が男から好意と金を引き出せる証左になっている。
(無論、それを「仲が良い」と思うのは完全なる認知の誤認ではあるが)
最近人気のVtuberも要はゲームしながらダラダラと雑談をする「友達ムーブ」が男の性欲に一番刺さるから人気なのだろうと思う。
まあ男って日本だけで7000万人?とかいるわけだから、そりゃシビアな男も1000万人くらいは居るんかもしれんけど、
傾向的には男の方が情に弱いと思ってて、俺はその中でもかなりウェットな性格をしていると思うんだけど、
そういう俺から見たら女性って本当に冷血でドライで怖いし、性格とか仲のよさじゃなくてスペックや容姿で全てを決める感じが本当に下劣だなって思う。
そういうのも俺が不細工だからそう感じるだけで、イケメン側だったとしたらそんな事一切感じないんだろうが、
だからといって「お前が不細工なのが悪い」なんて言われたら反発したくもなる。不細工の何が悪いねん。悪いのは顔だけで全部決めとるお前やろが。
今思えば鬼滅の刃ってその辺の倫理観は完璧じゃないにしろ割としっかりしてたな。
味方陣営と敵陣営の両方で孤児や貧しい生まれのキャラから金持ちや名家出身のキャラまでバランス良く揃えてるし、
堕姫と妓夫太郎みたいに不幸な過去がある鬼の回想を丁寧にやってるし、
自分より剣技も人格も優れてる弟に嫉妬して闇落ちする兄が出てくるんだけど、この兄弟は同じ両親から生まれた双子だった。
子供に人気が出た(=親が子供に見せてもいいと判断した)のはこういう部分も大きかったんだろう。
そういや犬夜叉でも主人公の犬夜叉は妖怪の父と人間の母のハーフで優しい心を持っていて、
異母兄の殺生丸は純血の妖怪で戦闘力も高いけど冷血漢(後で改心するが)って設定だったわ。