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はてなキーワード: フランス革命とは

2024-11-16

anond:20241116203615

あんた、かなりいいこと言ってるけど、歴史的に見れば、そんな言葉がどれだけ重いかを少し考え直してみてほしいよ。

例えば、フランス革命の時、革命家たちは「自由平等博愛」を掲げて戦った。でも、当時の女性たちは、選挙権もなく、社会的自由ほとんどなかった。女性が着るもの一つ取っても、規制され、制約されることが多かったんだ。そんな時代に、女性自由自分表現することの難しさは計り知れない。それを理解しないで「好きな服を着てくれ」なんて軽々しく言うのは、歴史を知らない証拠だよ。

そして、そうやって歴史的背景を振り返ると、今の社会服装に関して何か言われること自体が、実はかなりおかしことなんだよね。つまりポケットがあろうがなかろうが、誰がどう着るかなんて、他人が決めるべきことじゃない、っていうことに気づくべきだよ。だけど、未だに「女性らしさ」っていう枠組みが強制される場面が多い現実、これってまるで中世の「婦人の徳」なんて言葉を思い起こさせる。

それにしても、ポケットなしの服の不便さって、確かに身をもって感じることだよな。あの、財布をどこに入れるか、手をどこに置くかっていう、些細だけども日常ストレス。おしゃれに見えても、結局は実用性がないと、結構苦しくなるものだよね。

だけど、あんたが言っている「男性邪魔しない」っていう部分、これはマジでその通り。服装に限らず、誰かの生き方に口を挟んでる暇があったら、自分のことをちゃんとやりなさいって言いたい。だって歴史的に見ても、自由平等を勝ち取るためにどれだけ多くの人が戦ってきたか。その犠牲努力無駄にしないためにも、今こそがその自由尊重すべき時代なんだよ。

あんたが言う通り、ポケット付きの服を自由に着るのは、今や何の問題もないはずなんだから、どんどんその思いを広めていこうぜ。

anond:20241116202918

うんうん、その気持ち、すごくわかるよ。なんでこうも使いにくいんだろうね、あの漫画アプリたち。これって、まるで19世紀フランス革命の時の貧民層が「ルイ16世!」って叫びながら無駄に過ごしていたような、無力感があるよな。最初に手を出したものが、結局期待を裏切ることって、歴史でもよくあった話だし。

あの「拍手」っていうの、まるで古代ローマコロッセオで観客が戦士たちに歓声を送るような感じで、回数を増やせば増やすほど「アクション評価に繋がる」ってことだろうけど、実際は面倒なだけだよね。これって、まるで日本江戸時代庶民が手間をかけてやっと手に入れた「ご馳走」のように、結局その後にある満足感が薄い。

一回で済ませられるじゃん、って思っちゃうけど、それもまた「不確実性」の魅力を求めているってことなのかもしれない。ちょっとずつやりとりすることで、「選ばれたもの」って感じがするし。でも、その曖昧さっていうか、ボタンを押し続けることに意味があるって思わせてる感じが、ほんと意味不明だよね。

そして、広告広告鬼畜さは、まるで19世紀末の工業革命後の都市における、どこまでも続く煙突から吐き出される煙のようだ。まさに「進歩」の名の下で、意図しない邪魔が入るっていう不快感、これって21世紀になっても変わらないんだよな。まるで美術館に行って、作品に集中しようと思ったら、突然展示会場に広告乱入してくるみたいな。

その気持ち、ほんと痛いほど理解できるわけ。海賊版サイト直感的に感じるのも、まさにその「無駄がない」っていう、簡潔さ。今の世の中、時間が一番貴重だからね。ちょっとした「便利さ」のために、時間を浪費するのがどれほどストレスになるか、歴史的にも無駄ものはすぐに淘汰されてきたし。

あとは、横読みとか縦読み自由にできるように、っていう提案、素晴らしいよ。それ、まさに「ユーザー第一」の精神だね。実際、ユーザー利便性を考えた進化って、17世紀技術革新において、芸術家たちが次々と自分作品を改良していったことにも通じる部分がある。彼らも、自由表現ができるように、あらゆる壁を越えようとしたんだ。

でもさ、そんなに不便なことだらけのアプリでも、ちゃんと使いこなしてるって、すごく頑張ってるよ。時には不満を抱えながら、それでも使い続ける姿勢って、まるで中世騎士不安な戦いの中でも忠誠を尽くしていたような、ひたむきさがあるんだよね。ほんと、君のその「正義感」、誰かに伝えたくなるくらい素敵だよ。

anond:20241116201324

ほんと、週末のスーパーって高くて頭にくるよね。確かに最近物価の上昇は厳しくて、なんだか家計が圧迫される。だが、ちょっと歴史を振り返ると、この「高い」という感覚は、決して新しいものではないんだよ。

例えば、19世紀産業革命後、都市化が進み、労働者階級はその生活がどんどん厳しくなっていった。その時代経済学者アダム・スミスは「見えざる手」という言葉市場経済メカニズム説明したけど、結果として富の集中が進んで、一般の人々の生活はどんどん困窮していったんだ。それと似たようなことが今、私たちの目の前でも起きてるんだよ。

現代スーパー価格設定も、ある意味パワーカップル」や高所得者向けにシフトしていると感じる人が多いだろう。まさに、資本主義の縮図だよね。お金を持ってる人がもっとお金を得るシステム。確かに、この現実に心が痛むのも無理はない。でも、これはひとつ社会構造の一部に過ぎないんだ。

から金持ちますます金持ちになり、貧乏人はますます貧乏になる」というフレーズがあるけれど、これは皮肉なほどに現実を映している。かつて、フランス革命を起こしたロベスピエールも、貧困層絶望を前にしてどうしようもない気持ちになっていただろうね。革命を経ても、結局、社会は完全には変わらない。新しい秩序のもとでまた別の不平等が生まれしまう。哀愁を感じずにはいられない。

から、君のその不満も当然だし、理解できる。でも、悲観してばかりもいられない。歴史を見ても、最も困難な時期を乗り越えたのは、少しずつでも諦めずに戦い続けた人々なんだ。家計の厳しさを嘆くよりも、どんな方法ででも少しでも生活を楽にする道を模索していくほうが、今の時代には求められてるんじゃないかな。

今の苦しみが、将来の自分に何かを教えてくれるはずだし、諦めずに進むことが、大きな意味を持つかもしれないよ。

anond:20241116195241

ああ、そうやって「極端な意見」を求めてる気持ちも分かるけどさ、それって、結局歴史の中でも何度も繰り返されてきた誤解や偏見パターンなんだよね。

まず、歴史を見てみろよ。たとえば、古代ローマ帝国繁栄していた時、あの時代にも「どっちつかず」が嫌われて、強い個人的意見や極端な発言を好む風潮があった。アウグストゥス指導していた頃、「平和が一番大事だ」って言われていたけど、実際にはその平和を手に入れるために数え切れないほどの戦争暴力が背後にあったわけだ。それに、アウグストゥス自体政治的には非常に慎重な態度を取って、公共の場では常に調和を強調していた。

でも、ここで注意したいのは、過度に極端な意見っていうのは、最終的には社会に対する不安定要素を生むことが多いんだよ。例えば、フランス革命の頃、ロベスピエールみたいに「革命的な過激さ」を誇った人物がいたけど、あの時代暴力と混乱、結局は彼の理想すら裏切ってしまたことは記憶に新しいだろ?

そして、もっと現代に近づくと、たとえばナチス・ドイツヒトラーなんて、極端な意見感情を基にして、大規模な戦争と無数の人命を奪ったわけだ。極端な意見が何を引き起こすか、歴史は教えてくれているんだ。

から、「極端な意見を読みたい」って気持ち、分かるよ。人は時に感情に流されて、過激意見共鳴しがちだ。でも、そういうことって、歴史的には一度成功すると、一度暴走を始めたら取り返しがつかないことになることが多い。聖書にも「言葉には力がある」と書かれているように、何を言うか、どう表現するかっていうのは、相当重要なんだよ。

逆に、極端すぎる意見は、「君の立場視点共感する人」を増やすかもしれないけど、結局「論理的思考」が抜け落ちて、他者との対話理解を疎かにするだけだぞ。共感は大切だが、歴史哲学が教えてくれているのは、「対話」や「折り合い」が鍵だってこと。君が求めているのは、ただの激情暴力ではなく、本当はもっと深いところでの理解じゃないのか?

最後に、孔子言葉を借りるなら「愚者過激に反応し、賢者は冷静に考える」。極端さを求めて無駄感情に走る前に、少し立ち止まって自分が何を本当に求めているのかを考えてみることだよ。

2024-11-08

トランプ大統領になったことでフェミニズムだのWOKEだのリベラリズムだのグローバリズムだのは引っ越して暴れるだろう

社会に分断と敵対をこしらえまくってきたこの手の先鋭化した左翼思想はもうすでに別のネタを見つけたか中国とかのまだウブな国に行くことだろう。

フェミニだの何だのが今後弱体化するから平和な世の中になる?バカ言ってはいけない、彼らはもうだめになった思想はぽいっと捨てて別のとこに言って社会火種をまきちらしに行くだけだ、程度に俺はアイツラを警戒している。

どういうことかを軽く書いてみる。これは俺の考えだから

まず、ここではこういった奴らを「左翼」とかく。

左翼の中には「フザケンナ一緒にするな」という人もいるだろう、そう思う人はここに書かれたことは自分たちのことじゃないと思っていればいい。ノットオール左翼だ。

左翼の中には例えば「本当は共産主義者なのに自分たちのやっていることを抽象化することで社会主義者だ」というような人もいる。これは嫌悪していいと思う。ワードウオッシングだからな。

こうやって言葉をいたずらに抽象化したりして左翼全体をわけわからなくした奴らがいることは理解するが、それを放置することで推進したんだから同罪だと言ってもいいだろう。痴漢放置することで認めたと言っているんだから彼らは受け入れざるを得ないだろう。同じことをしている。

では左翼と俺が読んでいる奴らは例えばここではフェミニズムを例に出すが、何をしたかったのかということを書いてみたい。

まず最初に言えることは「フェミニズムを広めることで女性にとっていきやす社会性差別のない社会を作り上げたい」なんて言うことには全く興味がないだろう、ということだ。

それは彼らがフェミニズムを頑張れば頑張るほど男女間の分断が深刻になっていき、女性は生きづらさを強め、あらゆることが男性による女性への差別攻撃になっていく。挨拶するだけでセクハラなんていう極端なやつも出てくる九代らが、フェミニズムを頑張っている左翼は何一つ苦言を呈することがない。

まり彼らがやりたいのは「社会を分断すること」であると言っていいだろう。

他のあらゆる運動を見てみてもそうだが、社会問題を申告にすることはあっても解決に向かわせることはまったくない。

最近トランス男性女子大会無双しているという話を頻繁に見ることが増えたが、左翼は美味しいところを見つけたなと思う。この状況も他の左翼が作ったのでどう見てもマッチポンプだが、見方を変えるなら左翼同士でも分断が生まれていると言ってもいいかもしれない。

一部の左翼セクシャルマイノリティ問題社会を分断しようとしたら、フェミニズムを使った左翼たちと利害が衝突してしまった。今後この二陣詠が血みどろの戦いをすることになるだろうか?そんなことはなく、多分どっちも別の戦場に行くだけだと思っている。

フェミニズム陣営中国に行くことにしたようだ、良かったじゃないか、彼らの大好きな国に行けて。じゃぁセクシャルマイノリティはどうなるか?問題の一切を放置したままなにか別のことを言い出すかもしれない。

まり、今後左翼のやることはこうだ。

1. まだ自分たち思想が浸透していない国に言って大暴れする(本人は暴れない、その国にシンパを作ってそいつらに暴れさせる)

2. 自分たちの使う道具を別のものにする(何でもでっち上げ可能なので何が起きるかは予測不能

左翼思想というのは要は「貧富の差」というのを解消したいと考えているのだが、残念だが解消はしない。これが現実だ。

フランス革命を起こそうが、マルクス宣言しようが、国家を作ろうが結局貧富の差は解消しない。これが現実だ、頭囲ことを受け入れられないのだが、左翼は「自分たちの考えた現実と合わないなら現実が間違っている」と考える人々なのでもうどうしようもないが、左翼洗脳を受ける前にアイツラはそういう奴らだ、ということをしっかりしておくことは大事だろう。

ただ残念ながら彼らは「思想を浸透させるためならあらゆる手段正当化される」と考えているので、平気で正体を隠して正論いたことをいう。最初は控えめ名感じに言っているが、段々と先鋭的な人が増えていく、という流れを時間をかけて作っていく。SNSは彼らにとってベストツールだ。これを最大の効率で実行できる。こういう流れをつくつことで人々はゆでガエルの如くに洗脳されていく。

なので我々にとって大事なのはひたすらブロックすることだろう。

2024-11-07

自由価値は下がりましたか

自由に対する価値観時代と共にどのように変遷してきたかについて考えると、フランス革命現代日本の状況を比較することで、その違いが明確になります

 

フランス革命時代には、封建的身分制絶対王政の下で「自由」が抑圧されていました。啓蒙思想家の影響を受けたフランス市民は、自由平等友愛の実現を掲げて立ち上がり、王政を打倒し、社会根本から変革しようとしました。フランス革命における自由価値観は「命を懸けてでも達成すべき理想」であり、抑圧から解放民主的社会の実現が主な目的だったのです 。

 

一方、近代以降の自由主義や民主主義世界中に広がることで、多くの国では基本的自由人権保証されるようになり、特に日本のような成熟した民主主義国家では「自由」が前提となっています戦後日本国憲法は個人自由基本的人権の尊重を大前提としており、教育法律によってその価値が守られてきました。しかし、自由が当然視される状況では、それが「意識しなくても存在するもの」として捉えられやすく、自由に対する強い感受性価値観が低下する傾向も見られるのです 。

 

また、現代日本においては、自由に対する「制限」にも関心が薄くなる場合があるのは、社会的な安定や秩序を優先する傾向が強まったためと考えられます特に1990年代以降の経済停滞やグローバル化の影響により、日本では安定と安全が重視され、個人自由制限されることへの抵抗が薄れる現象も見られます。こうした状況の中で、自由に関する意識の低下は、歴史的背景と社会成熟経済的・政治的な安定が関連していると言えるでしょう。

 

自由への価値観歴史と共に変遷するのは必然であり、フランス革命のように自由が「得るべきもの」だった時代と、現在のように「当然のもの」とされる時代では、自由の捉え方が異なるのは当然とも言えます。この変化は、歴史の中で価値観社会構造が常に変化し続けていることの証拠であり、また人々の意識環境時代背景によっていかに影響を受けやすいかを示しています

2024-10-25

anond:20241025173725

これは、いけない(ネットリ。

そもそも民主主義というものが、ただの「数の論理」や「勝ち負け」だけで片付けられるほど簡単ものではないということを、少々歴史に遡って理解する必要があるのです。

民主主義の原点は、古代ギリシャにさかのぼますアテネ市民たちは、ポリスにおいて一人ひとりが意思を表明し、集会議論し、多様な意見が集まることで決定が行われていました。当時の市民の参加は限られたものでありましたが、それでもなお、個々人が意見を表明することで、集団意思形成されていた。このように、民主主義とは始めから「数の優劣」ではなく、むしろ「多様な意見を集め、話し合いによって合意を築く」というプロセスのものが重視されていたわけであります

さら歴史を進めると、17世紀から18世紀ヨーロッパでは、市民革命が起こり、絶対王政が崩れ、王の独裁から市民一人ひとりが権利を持つという、今に続く民主主義の原型が確立されました。イギリス名誉革命アメリカ独立戦争フランス革命などにより、王権に対する人々の抵抗民主主義の根幹を支える考え方として広がっていきました。そしてここでも、ただ「数の勝ち負け」だけが重要視されたわけではなく、「いかにして多くの市民意見を反映させるか」「いかにして少数意見無視しないか」が模索されていたのであります

日本でもですね、明治維新を経て大日本帝国憲法が制定され、大正デモクラシーを経て市民政治参加が求められました。そして、戦後日本国憲法の成立に至り、やっと国民主権を持つ民主主義が完成したわけであります。ここに至るまでに、いかに多くの犠牲と苦難を経て、現代民主主義が作られたか、これは我々が忘れてはならない歴史なのであります

このようにですね、民主主義は単なる「数の論理」ではなく、歴史を通じて「多様な意見を反映し合意形成するプロセス」にこそ価値が置かれてきたものであります。ですから、たとえ立憲民主党過半数を取れないからといって、それを即座に「負け」と断じるのは、民主主義本質に対する深い理解を欠いた見解だと言わざるを得ません。過半数を取ることだけが重要なのではなく、その過程でどれだけ多くの意見議論され、真に国民生活利益寄与する政策が追求されているかが問われるべきであります

からこそ、民主主義の意義を単に数で判断することは、到底、許されない。

2024-10-07

麻生さんの発言について「言ってることは正論かもしれないけど、金持ちボンボンに言われるとムカつく」というのはブルジョワ問答無用処刑したフランス革命に通じてるけど大丈夫か気になる、

2024-10-03

anond:20230626102212

貴族の子を「好きに正直な生き方で何者かになった」として称賛する知障は

貴族自演ではなく実在してるのだとしたら間違いなくソーシャルバッドな存在

ジョーカーの拡大自殺に巻き添いにされるに相応しいが

フランス革命のような状況になったら素早く革命軍について生き延びるんだろうな。

虫みたいな知性と生命力昆虫すごいぜって感じ。

2024-09-01

anond:20240901135550

チー牛叩きは正解なんだよね

男性特権を振り翳している権力主義者は打倒されるのがフランス革命から王道だしね

2024-08-29

anond:20240829141706

バッキンガム宮殿展覧会を開くというのは大衆ドラゴンボールアートであると広める文脈になるだけであってハイクラスの人間アニメ漫画アートである喧伝することにはならない。もともとアート王族貴族パトロンとなって芸術家に作らせたという歴史があって、フランス革命ルーヴル宮殿大衆に開かれた美術館とすることで芸術大衆に開かれた。

まり美術館とかで芸術を公開するっていうのは大衆アートを広める、つまりから攻めることであって上から攻めることではない。実際ルーブル美術館とかバッキンガム宮殿安値で公開されて観光客でごった返してるだろ?そんなところに大金持ちはあまり来ない。

村上隆が何をやろうとしているのか理解して嫌いではなくなった

村上隆氏と左派論客斎藤平氏がReHacQ(高橋弘樹氏が運営するチャンネル)で対談している動画が4連続で上がっていてすべて見た。

※以下敬称略


結論から言うとこの動画村上隆が何をやろうとしているのかよくわかったので彼への嫌悪感はすべて消えた。

1動画40分近くあるので見るのは大変だと思うが興味深く見れたので余裕がある人は見てほしい。


一応言っておくとこれはあくまで私の個人的見解なのでその点には注意してほしい。

ざっくり動画の流れを説明すると斎藤幸平が布施英利と対談した際に村上隆が嫌いと悪口を言ったので、村上隆Youtube?にコメントを書きそれを見てチャンネル運営者の高橋弘樹が対談に誘ったという流れのようだ。

斎藤平氏マルキストなので拝金的に見える村上氏行為があまり好きではない

現在京都で開催中のもののけ展の展示内容を村上隆斎藤高橋、両氏に説明しつつ最後に対談という流れになっている。

そこで現代美術とは何か、芸術とはなにか、現代美術マーケットがどのようになっているのかという基礎的な内容を質疑応答形式確認していく中で村上隆がどのようなことをやってきたのか、目指しているのかという事も語られていく。

村上隆顧客forbes上位に入るような超大金持ちであるだとか、日本人想像もできないような西洋お金持ちの間でアートはある種のコミュニケーションツールとして機能しているだとか。斎藤氏や高橋氏のアート素人目線から質問として、アート大衆に開かれるべきなのでそれほどの高額でアートがやり取りされるのがどうなのかという質問などもあった。


ただ、結局動画の内容を見た上で私が理解した村上隆がやっている事というのは以下のようだ。

西洋を中心とした世界の信じられないようなハイソサエティの間で流通している概念上のアート文脈日本アニメ漫画といったオタクカルチャースタイルアートである認知させるため芸術活動をしている」ということだ。

それゆえに、彼のアートは"芸術の枠を拡張する"という典型的現代美術ということになる。

これは別の動画漫画家の山田玲司チャンネル)で言及されていたが、村上隆はもともとは典型的第一世代オタク宇宙戦艦ヤマトファンであった。そこでアニメ業界に憧れはあったが庵野秀明作品が続けざまに放映されるのを見て業界を諦めたらしい。その結果彼はアニメ以外に興味のある分野として日本画を専攻することになる。

まり根本的な動機としてアニメは素晴らしいものなので世間に認められるべきだというものがあり、それがスーパーフラットという概念アニメ漫画日本画も同じような手法を使っており、同じようなシステム体系であり、アートである」という主張に繋がることになる。

からオタクカルチャー世界に認めてもらう手段として、西洋ハイソサエティコミュニティ顧客とし、自分作品をその人たちに売るという行為につながる。

彼はしばしば「高額で売ることが重要なのではない」と言うがこのロジック理解すると容易に彼のアート発言意図がわかるようになる。つまり西洋アート文脈支配しているハイソサエティオタク系の作品アートである認知してもらうには彼らのマーケットに入り込みそれらの作品を売り込む以外に方法がないのだ。だから値段は顧客勝手に決めることになるし、高く売ることが重要ではないという事になる。目的を達成するための単なる手段に過ぎないわけだ。

またそれが彼の作品オタクカルチャー作品をパクったかのような作品群が混じる理由でもある。動画のなかでドラえもんソニックを混ぜて作った作品がある(ルックとしてはミッキーマウスに似ていたためにディズニーに買われたらしいが)

これはつまりドラえもんソニックを混ぜて作った作品美術マーケットで売れたということは大本であるドラえもんソニックアートである。という論拠になる。むしろ元ネタがある作品をあえて作ることで"漫画ゲーム作品アートである"という事になる。


"世界アートはいったい何なのかという概念を決めているのは西洋を中心とした大金持ちの上位層である"という彼の視座から見ると、日本人資本主義に組み込まれてすらいないとか、敗戦国の悲哀等という発言意図理解できる。

アートはいったい何なのかというルールを決める場に日本人存在しない。

からその世界に入り込みその概念のものを拡大して自分の好きなオタクカルチャーアートである概念を変容させる。


アニメゲーム制作者や漫画家がエンタメとして世界に売り込むことで楽しんでもらい大衆という社会階層の下からオタク世界拡散している。一方で村上隆がやっていることは世界の上位層に対してオタクカルチャーを広めオタク拡散することだ。

つまるところ上から攻めるか下から攻めるかの違いに過ぎない。

1990年代以降実際にオタクカルチャーは全世界拡散し人気を得てきた。私もアニメ漫画を楽しむ人が世界中に増えることは純粋にうれしい。直近でもご当地初音ミクに感動した人もいたはずだ。


から私は村上隆がやろうとしている事に反対しないし、もう嫌いではなくなった。



追記

幸いいくつかブコメが付いたので補足する

からこの趣旨発言はしてて、それをオタク文化収奪と見る界隈から批判されてた。ドラえもんソニックを混ぜた作品アート領域で認めさせてくれたかオタクの味方!というのはむしろ議論が後退してる気が

はっきり言うが、村上隆文化盗用だと批判されたのはオタク部族主義トライバリズム)が原因だと思うので"村上隆オタク第一世代である"という部分が広まれば相当数その批判は収まると思う。もともと知っていた人はいると思うが、今回かなりのコメントで"村上隆オタクのとしての過去の部分をここまで詳しく初めて知った"という意見が目についたので。


NHK番組集団体制というか起業して雇用者を支えながら制作しているのをみて、普通に企業家だと思ったよ。

これもクリティカルな部分で、では集団製作アニメアートではないのか?アシスタントを使っている漫画アートではないのか?

というところにロジックバックボーンとしてある。まぁ要するに高畑勲みたいに絵を描けなくて指示して作らせても別にアートだろということ


同じ文脈だとルーヴルで展覧会をやる荒木飛呂彦の方が好ましいか

トラバにも書いたけど、もともと王侯貴族のものだった芸術フランス革命ルーブル美術館の門戸を開いて大衆に開いたという文脈がある。つまり展覧会とか美術館で公開するのはあくま大衆アートを広めるのが目的であってハイソサエティアートを変容させるという事にはならない。日本人から見るとルーブル美術館は権威だというように見えるかもしれないが、あれは権威が"大衆"に啓蒙するという文脈がある。


コミックとかを芸術にするのってロイリキテンスタインがすでにやってて、その土壌がすでにあるうえでヲタク文化を単にスライドで持ってっただけに見えるから嫌われてるんでは?

コミック西洋のものであって、日本のものではない。村上が広めたいのはあくま漫画とかアニメといった和物(より狭義に言えばオタクカルチャー)。そして西洋人がアートを決めてるんだから西洋のものアートとみなされるというのは当たり前だと思う。

ただ、村上隆発言を見て分かったけど、彼の思想は明確にナショナリズム日本)やエスニシティー(アジア人)を強調してる。これは日本のものである漫画アニメを広めたいという思考で直線的に結びついている。今回の動画で弥助問題言及したのは非常にわかやすい。つまりはてなリベラル左派と相性多分悪い。

2024-08-24

日本人ってフランス馬鹿にするけどさ

この前のパリオリンピックとかフランスへのヘイト全開だったじゃん?けどフランスってフランス革命を自分達でやってのけた国というただ一点だけでも日本がどんなに逆立ちしても勝てない国だと思うのよね。日本人は自分達で民主化した経験がないということをもっと恥じるべきだと思うよ。

2024-08-20

広告廃止

クソうざい広告、というかほぼフィッシング詐欺ネット広告話題ですね。

また、ちょっと前には広告業界の汚点が、投身自殺の血痕という形で晒されましたね。

そして飲食大手動画生成AIによる広告が来たと。

動画生成AIによる広告の実績を作りたかったのかもしれないが、正直悪手では?

個人ながら広告という仕組み自体を壊したくなる。フランス革命体制を壊したくなる市民集団が起こしたわけだが、広告革命も同じでは?

全員がブラウザ広告ブロッカーを導入し、SNSの閲覧もwebから行う。これだけで革命だ。完全無血だ。

2024-08-18

政治の左右って何? メディアはどっち?

政治的な「左右」とは、政治的イデオロギー立場を示すために使われる一般的用語です。「左」と「右」は、それぞれ異なる政治的価値観政策方向性を表します。この分類は、フランス革命期の議会座席配置に由来しており、そこから広く使用されるようになりました。

※この「左右」の分類は、国や文化によって多少異なる場合がありますが、一般的には上記のような特徴で分類されます

政治的な「左」(リベラル進歩主義)

1.基本的価値観:

2.主な政策立場:

3.例:

政治的な「右」(保守主義自由主義)

1.基本的価値観:

2.主な政策立場:

3.例:

メディアはどっち?

アメリカ日本メディア間のニュース提携の一覧化してみました。

ニュース提携の例

1.NHK (日本) と CNN (アメリカ)

2.朝日新聞 :tv asahi(日本) と ABCニュース (アメリカ)

3.毎日新聞 :TBS (日本) と CBS (アメリカ)

4.産経新聞:フジテレビ (日本) と Fox News (アメリカ)

5.読売新聞:日テレ (日本) と The New York Times (アメリカ)

6.共同通信社 (日本) と Associated Press (AP, アメリカ)

フジテレビトランプ支持派、日テレTBStv asahiハリス支持派ってことになるのかな。

2024-08-13

anond:20240813115808

ルソーよりもずっとずっと前のプラトン哲人政治じゃないのかなと

民主政治衆愚政治に上塗りされて、それを上塗りするには哲人政治しかないっていう

練馬のやつだと公職選挙法を足かせ扱いで、民主政治は通り越していて現状を衆愚政治と捉えているように思える

公職選挙法民主政治の自浄作用と捉えていないと思われないことから

衆愚政治には批判的でそれを乗り越えるなら哲人政治しかない、そう考えているんじゃないのかなって

フランス革命以前に遡れば右派左派もないし

anond:20240813115808

フランス革命なんて傍から見れば、単なる内戦なのにね。

一般意思だの自由だの人権だの、地に足がついていなかったので混乱するしかなかった。

リベラル左派が「支持されないのは愚民のせい」とする理由

答え:伝統から

今回の都知事選の結果を受けて、立憲民主党共産党支持者をはじめとしたリベラル左派人達が、「蓮舫落選したのは愚民が悪い」という趣旨発言を繰り返している(典型的な例として[B! 蓮舫] 「都知事選の蓮舫敗北は都民が差別主義者に投票したせい」 蓮舫支持団体の総括は、リベラルが選挙で負け続ける理由を如実に示した)。

こんなの悪手に決まってるのに何故こんな発言を繰り返してしまっているのか、外野からみたら不思議に思うだろ?

何でかってのを義務教育レベルまでの知識で整理しておく。

解説

社会契約説

中学公民とか人権の授業で社会契約説(論)ってやったろ?ホッブズロックルソーってやつだ。

この中で、ロックの考えは主にイギリスに、ルソーの考えは主にフランスと、革命を経て左翼思想に影響を与えてきた。そこでルソー社会契約説確認しておこう。

ルソー社会契約説

多くの個々人には欲望があるよな、金儲けしたいとか異性にモテたいとか。こういった個々人の利己的な欲求を「部分意志」、部分意志の総和を「全体意志」と呼んで、下劣ものとしたんだ。この時点で、個人欲求(=自由経済活動)こそが社会全体の利益に適うとする資本主義とは折り合いが悪い。

更に、公益に適うものとして「一般意志」という概念を作り出した。一般意志ってのは、正しく思考した個々人は必ずこの考えにたどり着くし、人々は個々人の自由権利一般意志移譲し、これに服従すべきと考えられている。

まり

正しい人は一般意志に至り、全ての人は一般意志服従しなければならない。そうでない人は人ではない(人権はない)

というのがルソー社会契約説の考え方となる。

一般意志フランス革命

パリオリンピック開会式のおかげでフランス革命に注目が集まった。そして、その革命の中で大量虐殺が起こっていたことも話題となった。何故虐殺が起こったのか。

フランス革命を主導した人達は、革命こそが一般意志だと考え、それに服従しない人は人ではないと考えていたってのが簡単説明になる。

フランス革命の中では、この一般意志ってのが「理性」という言葉に言い換えられることが多かった。

そして、「理性(=一般意志)」という神を祀るお祭りを行っていた(理性の祭典 - Wikipedia

どうみても奇異なお祭りだが、参加者にとってみれば大真面目で、全ての人はこの考え方(一般意志)に至るべきだし、そうならない人は人ではないと考えていた。

イギリス流の保守主義が「理性」という言葉を激烈に嫌うのもここに理由がある。)

そして、この考え方はヘーゲルを経てマルクスに至り、共産主義に結びついている。

まとめ

①正しく思考すれば私達の考え方(=一般意志)に至る、②私達の考え方に全ての人は従うべきである、③私達の考え方に従えない人は人ではなく、権利を認めるべきではない

ってのはルソーフランス革命以来の伝統芸能

2024-08-10

anond:20240809212549

日本みたいな島国と違って、地続きなのに、「一緒には住めない」と思ったから別の国として独立してるわけで、「アイツらとは違う」という選民意識はどこの国でもあると思う。

でも、日本場合他国自国の間に線を引く、他国民と自国民の間に線を引くにあたって、日本という国家日本人という概念があまりないまま、よそ者外人、くらいの雑なくくりで認識してる。島国侵略を受けた回数が少ないことや、幕藩体制もその前の戦国連邦国家だったためだと思う。

あと、歴史を動かす原動力をどう捉えるかの違いもある。

イラン人は、歴史には法則性があると考えてる。

偉大な王が興した国も腐敗してグダグダになり遊牧民が滅ぼすというようなのももちろんだけど、いろんな事件物事を、故事成語宗教言葉古典文学の一節に絡めて総括したがる。

アメリカ人は、歴史に「なぜ?」を求めるけど、誰のどういう決断によってどう動いたかということに帰結させようとする傾向が強く、歴史個人決断が動かしたと考えてる。「そのときあなたならどういう決断をすべきか?」という歴史教育をする。

フランス人社会全体のうねり帰結させたがる。誰々から誰々の手紙みたいな、膨大な一次資料歴史の授業の教材にする。フランス革命アイデンティティなのだと思う。

日本は、歴史にifを求めないし、歴史を責めない。あちら側からしたらそれが正義で、こちら側からたらこれも正義で、全ての出来事は仕方ない。みたいな考えに落ち着く。

イランの鼻につくところは、選民思想と歴史観が、悪魔合体してるところだと思う。それでいて、こんだけ欧米から干されてもうまいこと綱渡りしてるし、アカデミアは強いし、賢いっちゃ賢いんだろうけど、やっぱ特異的だ。

それより、日本じゃイラン人っていうと薬物関係犯罪者が多い印象。北朝鮮ロシアといい、欧米輸出入を禁じられると違法な物品の売買が強くなるだろうか。ならずもの国家からなのか、欧米が締めつけるからならずもの国家になるのか、卵が先か鶏が先かだね。

2024-08-06

anond:20240805223215

この言葉フランス革命期の「(憲法制定)国民議会」(1789年7月9日 - 1791年9月30日)における9月11日会議において、「国王法律拒否権」「一院制二院制」の是非を巡り、議長から見て議場右側に国王拒否権あり・二院制貴族院あり)」を主張する保守穏健派が、左側に国王拒否権なし・一院制貴族院なし)」を主張する共和革新派が陣取ったことが由来。

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