「中二病」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 中二病とは

2015-05-12

http://anond.hatelabo.jp/20150512051332

元増田F1ですらない10代では。

いかにも中二病っぽい。

テレビで出たか流行健康食品って、トマトとか納豆とか要するに「安くていつでもどこでも買えてとりあえず冷蔵庫入れとき絶対食うもの」だけだよね。

テレビで出たからと普段買わないもの特別に買ってるんじゃなくて、いつも買ってるものを便乗してその時買ってるだけ。

もっとマニアック健康食品も沢山宣伝されてるけど流行ったって話はあまり聞かない。

2015-04-17

「知能を下げたい」という、消えてしまった日記への返信

正直な話、この行き詰まりがすべて僕の知能の結果だとは思っていません(発達障害を疑いWAISを受けたことがあり、結果は上に異常値でした)。ただこの虚無感だけは本物です。だから、だれでもいいのでこの閉塞を否定してください。「大人になるにつれ考えなくなった」というような意見はいりません。これを中二病だと笑うのであれば、誰にでも(僕にでも)理解可能な仕方で論破してください。切実に待っています

試しに論破しようとしてみる。

論破というか、改善方法を示したい。

記事まとめ

困っている点
  • あらゆる事象に興味を持てず、虚無感に苛まれしまう。
  • 一瞬たりとも楽しさを感じられない。
  • ゆえに幸福感が感じられない。
その原因として挙げられているもの
  • 任意感情のセットが、ただそう感じたほうが都合が良いという程度の反応の集まりに過ぎないことを僕は知っている」から
  • 増田は頭が良く、思考を続けることができるから
  • ただし(追記より)増田の知能がすべての原因とは思っていない。
改善するにはこうすればいいのだろうなあ
  • 適切に騙されればよい。

改善に向けて

理屈っぽい話

コメントしつつ理屈をこねてみる。

任意感情のセットが、ただそう感じたほうが都合が良いという程度の反応の集まりに過ぎないことを僕は知っている」

これを僕なりに読み替えると

感情とは、事象認知したとき喚起されるもので、そう感じた方が都合が良いという程度の反応の集まりである

と読めたのだけど、合っているだろうか。

確かに僕もそう思う。そして同時に、それでいいじゃん!と思っている。

都合が良い反応なのだから特に悪いものではないはずだ。

幸福感も感情から幸福感という感情を感じられる機会を増やすことが人生主観的目的だと僕は思っている。

感情は確かに相対的曖昧で非合理なものだけど、同時に幸福感に直結する重要ものでもある。

確かに感情客観的意味は無いよ。だけど幸福感に資するという点で重要と言っていいと思う。

たか感情、されど感情」という感じ。

から増田も「ただの反応の集まり、多いに結構!」くらいに思えるといいんじゃないだろうか。

建設的な感情を抱くように心がけるのもけっこう面白いよ。

僕の確信は徹底的な自覚の先にある何もなさであり、ゆえに何らかの価値観に乗り換えられるようなものではない。もちろん自覚自覚は際限なく続くものではなくそ限界了解であるからある意味では僕は無自覚信仰を行っているが、しかしその限界了解自覚的であるがゆえにニヒリズムに嵌り込んでいるといえるだろう。自分ではどうしようもない状況である

「徹底的な自覚の先にある何もなさ」とあるけど、何もないのが正しいのだと僕も思う。

僕は、その無の自覚限界ではなくスタートな気がしていて、

その自覚の後に、有りもしない客観的意味を求める生き方を辞めて、主観的幸福感をかき集める生き方シフトするといいと思う。

人生幸福とは、いかに適切に騙されるか、ということである

それで合ってると思う。

繰り返しになるけど、「適切に騙される」は「建設的な感情を抱くように心がける」と同義としちゃっていいと思う。

で、それで特に問題は無いんじゃないかな。

多くの人々はこのことを無視している。頭が悪いから思考を続けることができないから、そうした虚無への接近を免れている。

ここは疑問が残る。何人かに尋ねてみたのかな?

僕は案外、虚無にいったん下りて、また上がってきた人が多いような気がしている。

社会的規範盲目的に信仰しているがゆえに幸福の地平が開かれる。

盲目的な人もいるだろうね。

でも増田は考えてしま性格に育ってしまったのだから、どこかで納得できるといいね。

他人がうらやましく見えることもあるけど、配られたカード勝負だ!

伝えたいことまとめ
終わりに

僕と状態が似ていて思わずコメントしたくなってしまった。

と思ったら元記事消えてる!でもせっかく書いたか投稿する。

2015-04-14

アルスラーン戦記銀英伝を読んで、なぜ最近の若手作家頭脳キャラ不快なのかわかった

若手作家の書く頭脳キャラってのは

進撃の巨人アルミンや裏サンデーでやってる人喰いとか胃能力バトルの主人公

おめーらだよおめーら。

確かに、あいつらの常人にはできない発想をするが、それで頭が良いなどと思わん。

単にカンニングペーパーもらってるだけとしか思えない。

そして何より、作者の「俺はこんな頭良いキャラを描けるんだぜー」って態度が透けて見えて不快なんだよ。

アルスラーン戦記銀英伝のナルサスやヤンウェンリーは天才的知略の持ち主とされているが

読者からは単に周りが馬鹿なだけじゃん、ってよく言われる。

俺も今まではこういう描写馬鹿にしてたが、最近の若手の書く頭脳キャライライラして逆に評価できるようになってきた。

彼らには作者の自慢は透けて見えてこない。

奪いとった要塞コンピューター初期化するという当たり前のことをしてない敵の裏をかいたところで現実的には天才でもなんでもないわけだが

複雑なトリックも無しで頭良さそうに見せてしまう方がはるか創作技量が高いだろう。

作者が天才と言ってるのだからあの世界ではあれが天才なのだ、という割り切りがクールで心地よい。

読者はネタツッコミは入れてもいちいち疑念を抱く余地もない。

この潔さを見ると、最近の若手の頭脳キャラを考えるのに無駄トリックリソースを削いでて馬鹿みたい。

何の意味もないんだよね。

もうだめだよ日本創作は。

自己主張したいだけの中二病しかいないよ。

2015-04-12

http://anond.hatelabo.jp/20150411231242

オタクの本質的に例えると、そういうのは中二病扱いに括られてヘイトする対象になったからなんだけど

それだけ飛び出る余裕がなくなって予防線としてひねくれるのが逆にメインになってしまったのかもね

あくま自分は攻める側にいたい心理の現れとかだね

2015-04-06

幸せになると死にたくなる

特に人生に失敗も障害もない、むしろ順調な時にふと『誰か私を殺してくれないかなぁ』と思ってしまう。

幸せな時ほど、なおさら殺されたくなる。

逆に不幸なことがあると自殺したいなぁ、と思うので基本的に私はずっと死にたいと思っている、らしい。

こんな精神構造になった理由はわからない。きっと中二病をこじらせたとか、悲劇のヒロインに憧れてるのだと思う。

基本的頭が悪いのだと思う。

家系的に鬱になりやすいのも原因かもしれない。

だけれどこのままではダメだとは思っている。

幸せになりたくないけど幸せにならないといけないと思う。

話は変わるが今年結婚する予定だ。言い換えれば、幸せ絶頂が訪れるらしい。

すごく楽しみだと思う。すごく殺されたいと思う。

2015-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20150310071107

つーか中二病ってのは他人から言われてホイホイ卒業できるもんじゃないだろw

中二病患者卒業しろだの言っても「やっぱり私は普通と違うから悩みも理解されないのね…」と病状が悪化するだけだ

大勢の前で恥をかいたり痛い目に遭ったりして、本気で自分を見つめ直す機会が来ないと抜け出すのは無理

http://anond.hatelabo.jp/20150309233129

嫉妬だろと散々言われてるけど、たぶん本当に嫉妬ではないんだろうと思う。

じゃあ何かと言うと、「皆と同じになりたい」んだろう。

その「皆が好きなものを好きになれない私」と言う疎外感と、「凡人と違う特別な私」と言う優越感が入り混じった心境には心当たりがある。

中二病ってやつだ。

となればこちらから言えるのは一言

リアル中学生ならまだしも、アラサーにもなって中二病は幼稚なだけなので卒業した方がいい。

2015-03-08

http://anond.hatelabo.jp/20150308202218

歳を取ると陳腐なことが一周して物凄く強く胸に迫ってくるときがあるぞ。

中二病が「世界残酷~」とか言っても人生経験も浅いから上滑りした感じに聞こえるけど

借金して続けた自営業が失敗して信用を失って、友人が離れ、妻子が離れ、

偶然にも母が他界して施設に入った寝たきりの父以外に誰とも繋がりがなくなったときは、

本当に大きな声で 世 界 は 残 酷 だ ! って叫びたくなったよ。

2015-03-03

http://anond.hatelabo.jp/20150222225502

別に進んでは死にたくないし充実はしているけど満足してないだけ。白=死って考えはなかった。すぐ死ぬとか自殺だとか考えだすのも中二病のそれに近いんじゃないのか?

2015-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20150302192125

原 罪(はら つみ)1880-1937

第19代内閣総理大臣となり「平民宰相」と渾名された原敬長男

幼少の頃から自身名前に苦悩したが、やがて「邪悪なる存在オリジナル・シン」と称し、

黒ずくめの扮装に奇怪な隈取りをして町内を走り回るようになり、父・敬を困らせたという。

民明書房刊「新装版・中二病バイブル」より)

2015-03-01

糖尿病の蟻とフリーターキリギリス

真っ昼間からビールを飲んでいたら、ドアホンが鳴った。

それでドアを開けてみると、そこには蟻が立っていた。

キリギリスくん」と蟻は言った。「こんな時間に悪いね

「ちっとも悪いことないよ」とおれは言った。

レオス・カラックス映画を観ようと思ってたんだ」

キリギリスくんは気楽な身分で羨ましいよ」と蟻は言った。


蟻とおれは大学の同期。

蟻はせっせと働いて今では大規模なプロジェクトひとつ任されるようになったそうだ。

かたやこのおれは就職に失敗してイオンバイトで生計を立てている。

人生(?)なんてそんなふうに分かれていくものなんだろう。


おれが差し出したビールを一気飲みした蟻は言った。「最近大変なんだ」

「そうだな。蟻って忙しそうだもんな」

「仮眠を取る時間さえないんだよ」そう言って蟻は煙草を取り出し火をつけた。

「蟻は寝ないんだ。その代わり仮眠を何百回と取って……」

「その話なら学生の頃に聞いたよ」とおれは言った。

「ごめん」と蟻は謝った。「年取ったせいか同じ話ばかり繰り返しちゃう

「それはおれも同じさ」とおれは言った。「誰だって年取りゃ耄碌する」

学生時代に行ったよね。ブルーハーツライヴ

「ああ、踏まれないように天井に貼り付いて観たよな」

「『大人たちに褒められるようなバカにはなりたくない』って、今も思ってる」

「完全な中二病だな」

「分かってるよ。だけど気持ちは今も変わらないんだ」


おれたちはブルーハーツBGM仕事愚痴を語り合った。

「任されたプロジェクトなんだけれど」と蟻は言った。「これが厄介でね」

「そうなんだ。おれには縁のない世界からからないけど」

「僕より下位に属するヴェテラン社員が、僕の言うことを聞くなって言い出して」

「セコい男だねえ」

「知ってる? これもパワハラの一種なんだよ。訴えようと思ってる」

おれは溜め息をついた。思ってる、って言っている時点でダメなんだ。動かないと。


ビールがいい加減に回って来た蟻は言った。「そう言えば、これは話してなかったね」

「どうしたの?」

「実は僕、最近血糖値が高いって診断されちゃって……」

「ありゃまあ。糖尿病?」

「なんだよ。仕事柄甘いもの職場まで運ばないといけない」

「なるほどね」

職業病なんだ。糖尿と虫歯と、あと顎が外れるの? それに耐えなけりゃいけない」

「それはまた残酷な話だね」

残酷だよ。どれだけ働いても昇格出来ない。女王様にはなれない」

「おれはMだから喜んで女王様のために尽くすけどな」

「真面目に話してるんだよ。キリギリスくん」

「おれも真面目に答えてるよ」とおれは言った。「先のないおれよりはマシだ」

「そうなのかな……最近キリギリスくんのことが羨ましくなって来たんだ」

「でも蟻は辞める気はないんだろう? 一匹蟻だと何にも出来ない」

「そうだよ。情けない話だけれど」


いい塩梅に酔っ払った蟻をソファに寝かせた。

おれは洗い立ての制服を部屋に取り込んだ。これから仕事なのだ

映画を観る時間は潰れたけれど、こればかりは仕方がない。

合鍵は渡してあるし蟻がおれの部屋から盗むものなんて何もない。

本当だ。時間さえも盗まれたという自覚はない。おれと蟻はその程度には仲良しだ。

そして今日も、おれは履歴書に決して書き込めないだろう単純作業をする。

人生(?)とはそういうものだ、と思いながら。

2015-02-26

http://anond.hatelabo.jp/20150226182404

中学生の作文なんか、知能高い子ほどまるっきりイッちゃってますけどね、あなたの水準で言うと。

ただ頭のいい子は視野修正能力も高いから中二病にでも罹患しない限り、すぐに立派で大人びたものをかたるようになる。つまんないけど。

あなたはきっと、りっぱな文章をお書きになるんでしょうね。

文才なき私としては、羨ましい限りです。

ラノベの「よく出来た」ボーイミーツガールテンプレート私論(中編)

さらにこの遭遇の多段階化は、それが単なる素朴な設定の開示であっても十分な効果をもたらしうる。『小説秘密をめぐる十二章』において河野は谷崎の「少年」を例にあげ、少年が穏健な家庭の子であることがほのめかされることによってこそ、のちの異常性愛への没入のインパクトが強化されるのだ、と指摘しているが、ラノベはこれをより極端かつわかりやすく行っていると言ってもいいだろう。

例えば『マリみて』における第一の遭遇が「印象的な絵面」であるとは述べた通りだが、そこで一度教室の場面を挟んで理想の素敵な女性像として有名なヒロインの評判が語られ、お礼を言いに行ったところで第二の遭遇が生じる。そこで描き出されるヒロインは、自分の嫌なことから逃げ出すためになりふり構わず主人公を利用し、スールになるよう強要するというものであり、主人公(ならびに読者)のヒロインに対する見方は大きく変わることになる。設定だけを見ればこれは新規性のあるヒロイン設定とは言い難い。が、筆者はこの遭遇から十分な意外性を受けており、それは河野が指摘した例と同じ効果によるものと考えている。

同じく例えば『イリヤの空、UFOの夏(以下イリヤ)』の深夜の学校プールにおける第一の遭遇は単純なものであるが、ヒロインの手首に埋まったものに気づいたところで物理的異質さが、そして「なめてみる?」「電気の味がするよ?」において精神的異質さが明かされる。なぜそれがインパクトをもたらすかと言えば、それはヒロインの設定の奇抜さではなく、それまでの描写彼女の異質さを感じさせるものではなかった、という一点に尽きると筆者は理解している。

溺れて必死主人公にしがみつきビート板を使って恐る恐る水泳を教わり、やっと少し泳げるようになる、という一連の「普通女の子であることの描写こそがこの急転直下を強力無比なものにしているのであり、だからこそ「なめてみる?」の異様さが際立つのである。もしここで気まずそうに手首を隠してヒロインうつむき押し黙るといった、つまり普通女の子」がしそうな行動がなされていたとすると、全くつまらない遭遇と化すことはすぐにわかることと思う。

多段階化していつつも見方が変わらない遭遇だとどうなるかの例としては『IS』が挙げられる。教室でのヒロインとの再会という第一の遭遇ののち、寮が相部屋であることが発覚するという二度目の遭遇が発生するが、出会前後主人公ならびに読者によるヒロインへの見方に全く変化がない。『マリみて』や『イリヤ』と比較して意外性が無く、筆者にとってはひどく印象の薄い遭遇である

最後見方は変わるものの一拍置いていない(つまり段階化されていない)例について触れておきたい。冒頭で触れた『俺ガイル』は最初の遭遇から間髪入れずにその「意外性のある性格」が開示されるものであり、多段階化されていない。なるほど『俺ガイル』におけるヒロイン毒舌はそれだけで魅力のあるものであり、それは単独で読者の興味を引くことができるものだとは言えるだろう(筆者も決して嫌いではない)。しかしそれは「レイアウトの仕方」ではなく「描写の仕方」による効果であり、ヒロイン毒舌がそれ単独で魅力を得られるほどのものではなかった場合、実に陳腐でつまらないものだと筆者は考える(逆に言えば描写力が優れていればなんとかなる、ということの証左でもあるだろうが)。

余談

念のため補足しておくと、陳腐な遭遇しか用意できない作品は全て駄作である、と述べたいわけではない。例えば『狼と香辛料』は荷台にもぐりこんだ裸の美少女が狼の化身だと明かすという意外性に乏しい遭遇であるが、ではこの作品が駄作かといえば筆者はそれほど悪くない作品だと思っている。ただし、その遭遇にインパクトを受け、興味を抱くことは無かったことも確かである。ここで張った伏線クライマックスで回収しているため最後まで読んでみればなるほどと思えるが、もし立ち読みで眺めたのであればその場で本を置いていたと思う。

関係構築のための行為類型の整理

ボーイミーツガール」の関係構築では、主人公ヒロイン恋愛感情が醸成されることは必須ではない(例えば『トリニティ・ブラッド』では恋愛感情は仄めかしすら無い)。一方で両者間の信頼関係の構築は必須と言っていいと筆者は考える。また信頼と似た効果を持つものとして敬意も有効機能する。

さて、関係構築とは主人公ヒロインの一方が他方に何かをすることによって培われるものと言っていいだろう。その内容は小説それぞれによって様々であるが、一段階抽象化してみると次のような行為類型化が可能であると思われる。下記で全ての行為類型化されているわけではないが、いくつかまとめた上で、それらをどう組み合わせることが効果的な演出になりうるのかを述べたい。

秘密の共有

遭遇の類型として「秘密漏洩」を上げたが、あれが当人の意に沿わざるものであるのに対し、「秘密の共有」は意図的に自らの秘密を相手に共有するものを指す。

秘密の共有」は信頼の表明がなされたという暗黙の読者の認識が得られる点で効果的であり、そして「秘密」は多くの場合プライバシー同義である。軽度な秘密から徐々に重大な秘密吐露へと段階を踏まえて内容は変化する。軽度な秘密の典型例は電話番号を教える、住所を教える、そこから一歩進んで自室に入れる、といったものが挙げられるが、最も多用される「秘密」は「過去」であり、昔の笑い話といった軽いものから過去トラウマまで「過去」は幅広く使える便利な「秘密」であり、重さを任意コントロールできるという点で優れている。

こうした秘密の共有は信頼の表明であると述べた通り、一定の信頼があった上でなされることで読者に違和感なく受け入れられるものと考える。十分な信頼がなされたと読者に理解がされていない状態でいきなり重い過去吐露を始めるヒロインなどは、自己陶酔中のメンヘラ設定を明らかにしたいのでもない限り慎むべきだろう。

観察による発見

涼宮ハルヒの憂鬱』における曜日髪型の関連の指摘や、『俺ガイル』における主人公ヒロイン友達がいないだろうという指摘など、観察によりヒロインのなにかに主人公が「気づく」ことを指している(ヒロイン主人公のなにかに気づくことも含む)。これはヒロイン主人公評価を改め敬意を抱くきっかけとして、また主人公ヒロインに対する評価を改め、敬意を抱くきっかけとしても効果的に機能する。

余談ながら観察力のある主人公であることを印象づけることは、特にバトルものにおいても有効機能するように思われる。例えば『禁書』や『バカとテストと召喚獣』、『エスケヱプ・スピヰド』はいずれも勝利をつかむきっかけとして敵に対する観察と気付きを用意しており、そこから作戦を練っている。最終的に単なる力比べになり、最強能力である主人公必然的に勝利するという陳腐さは、しかしそうした観察と気付き、そこから作戦演出が事前になされていることで読者に対する一定の納得感を与えるように思われる。もちろんそうしたものがなくとも最強主人公が敵を圧倒する物語に興奮できる読者がいることは事実だが、それにウンザリする読者も相当数いることも事実である。より幅広い読者を意識するのであれば、そうした演出一つを入れておく価値は十分にあると考える。

共通点の発覚

秘密漏洩、共有や観察による発見など、なんらかの情報が得られる行為類型の結果として、共通点、すなわち似た者同士であることが発覚することは相手に対する親近感を惹起する。これは読者にとっての共通点でも同様であり、感情移入共感を誘う要素と言っていいだろう。

親切

素朴な行為であるがゆえに、信頼と好意を「少しだけ」喚起する点で高い効果を持つ。例えば大きな好意が得られる「救助」は大仰なものであり、特に好意や信頼を寄せてもいない赤の他人に対してそうした行為をする人物は、十分な理由けが無い限り胡散臭いヤツという認識を与えるだけだろう。

これに対して「親切」はそれが当人にとって大した手間でない場合に実行されるものであり、人間関係破綻していない限りは合理的な行動として読者に受け入れられ、その結果ほんの少し信頼と好意が得られることが自然に読者に認識されることになる。『シャナ』において主人公ヒロインコーヒーを持って行ったこと、『とらドラ!』において主人公が朝食をヒロインにも分けてやったことなどはこの好例と言えるだろう。

呼称の変化

相手を名字で呼ぶのか、名前で呼ぶのか、といった呼称の変化は古典的ながら現在も極めて強力にその認識の変化を読者に理解させる。『僕は友達が少ない(以下はがない)』におけるあだ名であったり、また『デート・ア・ライブ』のようなヒロイン名前を付ける、という行為も同じ効果を持つと言えるだろう。

なお、呼称の変化は一度しか使えないものではない。ある呼称を用いたのち、それを使わなくなる、という演出はその呼称を用いるようになること以上にその変化を強調する。遭遇時においてではあるが、こうした「呼ばなくなる」ことを用いた好例としては『星界の紋章』があげられよう。

依頼に対する承諾

一方から他方へなんらかの依頼(命令を含む)がされ、受け入れられることを指す。このとき、その依頼は明示的なものであるとは限らない。「ボーイミーツガール」における両者間のほとんどはこれに該当するが、物語を先に進める意味合いが強く、関係構築に向けて目立った効果をもたらすものではない。

一方でこの行為類型が「期待に応える」を伴って実行された場合はまた異なった効果をもたらす。最初からヒロイン主人公に対して好意を表明していたり、信頼を寄せていることが暗黙に前提となっているような「ボーイミーツガール」は珍しいものではなく(『イリヤ』『ベン・トー サバの味噌煮290円(以下ベン・トー)』など)、また物語の途中でヒロインが全幅の信頼を主人公に対して寄せるようになるものも多い(『SAO』『ココロコネクト ヒトランダム(以下ココロコネクト)』など)。

こうした例においてヒロインから主人公へ強い信頼に基いて依頼がなされている場合、依頼の達成に失敗することが強力な効果を持つ。ヒロインから主人公へ依頼した仕事の達成に主人公が失敗し、しかヒロインがもう一度仕事を依頼することは主人公に対する深い信頼の表明として機能する上、主人公が次こそヒロインの信頼に応えようと努力する様は概ね読者の共感と応援を得られると考えられる。

例えば『ソードアート・オンライン(以下SAO)』ではヒロイン主人公仕事を依頼し、主人公成功し続け、それをもってヒロイン主人公に惚れこむという構造を取る。一方で『とらドラ!』においてはヒロイン主人公に対して依頼した仕事は失敗し続けるが、ヒロイン主人公失望することは一度としてなく、最後ヒロインから主人公に同じ仕事を改めて依頼するという構造を取る(定義を読んでいれば誤解は無いと思うが、本稿ではいずれも1巻の内容のみを対象としており、シリーズを通してどうかは検討範囲である)。両者を比較してみると、筆者は『とらドラ!』の方がよく出来ているという認識を持つ。

依頼に対する拒否

AURA 〜魔竜院光牙最後の闘い〜(以下AURA)』で繰り返されるような単なる拒否効果を持たないが、相手に対する尊重を以て拒否することは(一時的にはともかく)相手の不快を買うものではなく、むしろ信頼と敬意を勝ち得る効果を持つ。『マリみて』において主人公ヒロインからスールの依頼を拒否したことは典型例と言ってよく、『のうりん』におけるデビークの手助けを(これまで助力を惜しまなかった)主人公がしない、ということもこの一形態と言っていいだろう。

この時、主人公にとってはその依頼を受けた方がメリットがあることが望ましく、そうした自分利益を捨て、相手に嫌われる覚悟の上で拒否することはヒロインのみならず読者からの信頼も勝ち得る効果があると思われる。

好意の表明

単純な愛の告白のような直接的な好意の表明に限らず、嬉しそうに何かをする、微笑むといった行動によっても十分に好意の表明として読者に認識される。物語最後の場面においてヒロインないし主人公がこの行為類型を取ることが多く、ハッピーエンドとしての印象を読者に意識づけることで効果的と言えるだろう(『イリヤ』や『ALL YOU NEED IS KILL』がハッピーエンドか否かは意見の分かれるところであろうが)。

相手に伝わる形で行われるそれと、相手に伝わらない形で行われるものがあり、特に本人のいないところで信頼や好意を表明することは読者の理解共感が得られやすいように思われる。好意の表明は繰り返し使うとむしろ好意薄っぺらさを強調することになりかねないが、『ココロコネクト』のように相手に伝わらないところでそれがなされる段階を踏まえてから、相手に伝わる形でこれを行うことは効果を増すと思われる。

救助と自己犠牲

窮地に陥ったヒロイン主人公が助け出す、という行為類型は『禁書』『AURA』など非常に古典的ながら多くで用いられるものである。救助された側から救助した側に対する好意を含む感謝が読者に理解されやすい点で効果的だが、あまりにもわかりやすく、またありがちなものであるがゆえに陳腐な展開という印象を読者に与える危険性がある。

例えば『僕は友達が少ない(以下はがない)』におけるプールで絡まれヒロイン2を主人公が助け、それによってヒロイン2が主人公好意を抱く、という展開は筆者にとってひどく陳腐ものであった。

他方で『俺の彼女幼なじみ修羅場過ぎる』におけるチンピラ侮辱されたヒロイン2を主人公が助ける展開や、『さくら荘のペットな彼女』におけるラブホに連れ込まれかけるヒロイン主人公が助ける展開はそれほど嫌いではない。

その違いはなにかといえば、おそらく単純にその救助行為主人公にとってリスクの低いものか高いものか、という点と、救助の際に主人公が負傷している、すなわち自己犠牲を伴う点にあるように思われる。救助は主人公にとってリスクのあるもので、かつ、怪我を追ってまで勝ち得たものであるとき、救助された女性から主人公に対して寄せられた好意の大きさは「それだけの価値のあるもの」として裏付けられると考えられる。

その意味で、無傷でほとんどリスク無く救助したことで得られた好意ほとんど無いに等しいはずであり、にも関わらずヒロインが大きな好意を寄せる状態となり、そこにちぐはぐさと薄っぺらさを感じるように筆者には思われる。

禁書』では記憶喪失し、『AURA』では中二病世間露出し、『俺妹』では自分変態だと言って父親へ立ち向かい、『タイムリープ』では自分過去未来)が変わろうが知ったことかと手紙を書く。自己犠牲主人公がこれまで大事にしてきた何かを失ってでもヒロインを守ろうとする意思の明示としても機能し、ゆえにその対価として大きな好意と信頼が得られることに読者は納得がいくものであろう。

後編へ続く

ラノベの「よく出来た」ボーイミーツガールテンプレート私論

はじめに

映像ミザンセーヌの黄金則 ヒットする映画の作り方』において金子は次のように指摘している。

シナリオは筋書き(プロット)と描写(レンダリングから成り立っていますが、シナリオから分析局面では、プロットのものはあとに残る印象要素ではないということです。複雑なプロットであればあるほど、観る人をひきつけはしますが、覚えることは難しい。したがって他の人にも伝えにくいのです。したがってプロットに関しては「面白い」「いい」だけ。覚えている印象のほとんどは、描写です。つまり、シナリオライティングのミザンセーヌに関していえば、レンダリング重要だということになります

ラノベにおいても抽象度の高い「筋書き」を具体的に「描写」していくという作業は多くの作家が認めるところである映画は「筋書き」である台本と「描写」である映像に明確に分離可能であり、それと比較すればその境界は曖昧でありつつも、基本的な考え方としてラノベにおいても両者を区分することは可能であろう。

様々な作家による小説、ラノベ創作技法において、そこに書かれた技術がどちら寄りかを意識してみると、人物設定はどうあるべきか、世界主題の関係についてといった「筋書き」寄りの内容に対し、「描写」寄りの内容はその紙幅のほとんどが正しい日本語講座に費やされていたりする。

正しい日本語で書けるようになりました、とは読者に苦痛を与えずに「筋書き」を伝えられるようになりました、というに過ぎず、そして苦痛なく読める文章であることは読者にとっては当然であり、その意味でこうした日本語講座は「マイナスゼロにする」ものしかない。実際、ラノベワナビを数年続けているような人であれば読めない文章であることは少ない。しかしそれがなぜつまらないのか、といえば、まさしくそれがゼロしかないからではないのか。

一方で「ゼロではなくプラス」のラノベは確かに存在する。とすると「ゼロプラスにする」、すなわち「筋書き」を単に読者に苦痛を与えずに伝える方法ではなく、魅力的に伝えるための方法はあるはずである

ラノベを含む多くの創作論では「とにかく色々読め」という指摘がなされている。それは直接的な知識の吸収のみならず、そうした多読から無意識に「魅力的に伝えるための方法」を抽出し、そしてそれを自作においても無意識に利用するようになることを期待してのものであると筆者は考えている。

であるならばそれは、システマチック再利用可能な一定演出法――いわば「テンプレート」として抽出可能なのではないか。

仮にそうだとすれば、筆者はこの演出法には大きく二段階あると考えている。一つは筋書きを主たる場面に分解したとき、そのそれぞれの場面をより魅力的に見せるための場面展開の組み方、いわば「レイアウトの仕方」であり、もう一つは場面それ自体品質を直接的に上げるための「描写の仕方」である

金子映像に関して指摘するように、ラノベにおいても「描写の仕方」の影響は非常に大きいだろう。しかし一方で「よく出来た話だ」という感覚を覚えるラノベがあるとき、それはこうした「レイアウトの良さ」によって得られる感触であり、それは文体が合わないとか、パロディ不快だといった個人の直接的な好みとは一つ別の次元での評価――「自分の好みではないけれど、でもよく出来た話だと思う」といった、評価底上げに繋がる効果があるのではないか、と筆者は考えている。

「描写の仕方」については稿を改めるとして、本稿ではまずこの「レイアウトの仕方」についてのいくつかの私見を述べることとしたい。

本論

定義調査対象

本稿で抽出したいのはラノベの「筋書き」を魅力的に見せるための展開の仕方であって、あらゆる物語に普遍的存在する何かではない。ロシアの昔話とギリシャ神話キャラ萌え特化の現代ラノベ普遍的存在する要素を抽出したところで、物語構造論的にはさておき「よく出来たラノベ」を書くためという点で言えば糞の役にも立たないと筆者は考える。

大塚新城をDisった上で、つまりあ特定様式における「テンプレート」の抽出必要なのであり、本稿ではボーイミーツガール様式をもつラノベ限定することとした。

ボーイミーツガール定義として、例えば伊藤ヒロは「涼宮ハルヒゼロの使い魔など、メインヒロインとの「出会い」がきっかけで平凡な主人公が非日常に入る、という構造」を持つと述べる。裕時悠示もまた「ヒロインが非日常をつれてくる」としており、まとめると主人公ヒロイン出会いとそれによる非日常の始まり、といったところだろう。

まず本稿では「主人公」は単に語り手もしくは視点人物とする。『涼宮ハルヒの憂鬱(以下ハルヒ)』においてはキョン主人公であり、涼宮ハルヒヒロインである。加えて主人公ヒロイン性別は問わない。『マリア様がみてる(以下マリみて)』においては主人公ヒロイン女性であり、『エスケヱプ・スピヰド』においては主人公女性ヒロイン男性である表現上の混乱を避けるため、本稿では男性ないし無性であっても「ヒロイン」と呼称する。

次に、では「非日常」とは何か。

例えば『灼眼のシャナ(以下シャナ)』では主人公ヒロインと遭遇する前に外敵に襲われ、これは明らかに「非日常」として描かれる。もっとも襲撃直後にヒロインとの遭遇がある以上、広義にはヒロインが「非日常」を連れてきたと言っていいだろう。ところが例えば『化物語』では主人公ヒロイン出会う随分前から怪異に接する生活に入っており、ヒロインがそれをもたらしたとすることには広義といえどいささか無理がある。

そこで「非日常」とは主人公を取り巻く環境の変化ではなく、主人公のとる「意識と行動の変化」であると筆者は定義した。『ハルヒ』も『シャナ』も『化物語』も、いずれもヒロインと遭遇後、主人公の行動はヒロイン意識したものへと変化し、その意識した行動を軸に物語が展開していくことになる。この点から本稿ではヒロインを「主人公意識している相手」と定義する。

以上をもとに、本稿では下記の条件を満たすラノベボーイミーツガールと考える。

  • 語り手/視点人物(主人公)はある人物(ヒロイン)と遭遇し、これを意識した行動を取るようになる。この行動が物語の主たる軸として描かれる。

なお、本稿におけるボーイミーツガール排他的ものではない。ゆえに例えばハーレムラノベの代表格と言えるであろう『IS〈インフィニット・ストラトス〉(以下IS)』も、本稿ではボーイミーツガールとして扱う対象である

これを基本条件として、さらに人気作の方が魅力的な展開が内在する確率が高いだろうという推測から映像化された作品を中心に絞り込むこととした。

シリーズ化している場合、本稿での調査原則としてその第一巻のみを調査対象とした。最初の一巻はそれだけである程度のまとまりを見せる構造を持っているだろうと思われ、またその出来がいいからこそ続刊が決定したと言うことができるだろう、という推測によるものである(細かく言えばボーイミーツガールとしてのひとまずのオチが付いたと筆者が判断したところで区切ったため、『化物語』はひたぎクラブのみ、『星海の紋章』は全三巻と対象範囲に差はある)。

以上からWikipediaアニメ化されたラノベ一覧からランダムに選び出し、上記の条件に該当する作品50冊を調査した(一部個別判断からアニメ化されていない作品も含めた。また本稿では「ラノベ」の定義については特に踏み込まない)。これらを以下本稿では「ボーイミーツガール」と表記する。

長くなったが、以下やっと本題に入る。

本論

本稿では「ボーイミーツガール」を遭遇と関係構築で成り立つものと考え、それぞれについて「テンプレート」を抽出することを試みた。いずれも個々のラノベからその要素の類型化をまず行い、次にそれらが実際にどう扱われているか、またどのような扱い方がされるとより「よく出来ている」と筆者が思ったか、という恣意的判断によってまとめたものである学術的な検討がされたものではないし、類型化の際の用語も筆者が勝手に命名したものしかない点は注意されたい。

遭遇のテンプレート

主人公ヒロインとの出会いののち意識するようになる」とは、主人公ヒロインに対する見方が変わる、と換言してもいいだろう。その意味ヒロインとの物理的な出会いのみならず、「ヒロインに対する主人公見方が変わる」ことも含めて本稿では「遭遇」と定義する。

さて、「よく出来た遭遇」は印象に残るものであり、そして意外性は印象を残す一つの要素たりえる。実際多くの「ボーイミーツガール」は遭遇時にヒロインの「意外性のある設定」を明らかにする。

問題は、その「意外性のある設定」は凄まじい勢いで陳腐化する、という点である

突然同じ部活所属することになったヒロイン毒舌であることが明かされる『やはり俺の青春ラブコメは間違っている(以下俺ガイル)』、突然同じ寮に入ることになったヒロイン天才画家であることが明かされる『さくら荘のペットな彼女』、突然同居することになったヒロインサキュバスであることが明かされる『ご愁傷さま二ノ宮くん』などいずれも「意外性のある設定」が明かされるが、それが筆者に十分なインパクトを与える意外性であったかといえば否定せざるをえない。ヒロイン魔王だろうが神様だろうがそれがどうかしたのかと微塵も関心を示せない読者は特に筆者に限ったものではないだろう。

筆者が考えるに、これに対するアプローチは大きく2つに分けられる。ひとつは「設定の極端化」、もう一つが「演出の工夫」である

設定の極端化

「設定」の新規開拓はもはやほとんど絶望的だが、既存陳腐化した設定を極端化することによって意外性を勝ち得ているものは確かに存在する。例えばヒロイン挨拶代わりに主人公を撲殺する『撲殺天使ドクロちゃん』はその典型例と言える。問題は極端化が進めば進むほど馬鹿げた内容になりがちであること、さらに所詮は既存の内容の延長上にあることから読者の十分な意外性を得ることができず、陳腐で馬鹿げたものしか認識されないリスク内包する、という点である

演出の工夫

既存陳腐化した設定を使い回しつつも、その演出によって読者の興味を喚起することは可能である。そこでまずいくつかの代表的な遭遇における演出類型を整理したい(以下で全ての類型を網羅しているといった主張ではない。為念)。

主人公を困難に直面させる

クーンツは『ベストセラー小説の書き方』において、物語冒頭で主人公が困難に直面することが読者の興味を喚起する重要な要素である、としている。ヒロインの設定に意外性が乏しく魅力が無くとも、遭遇の場面の魅力はこの「困難さ」で補填することが可能であるヒロイン奴隷だと告げられる『ゼロの使い魔』、異星人に狙われる立場だと判明する『這いよれ! ニャル子さん』、突如男性主人公美少女に変わる『俺、ツインテールになります』などが具体例としてあげられる。

とはいえこれらの例において実質的主人公が困難を自覚しているものは少なく、その解決へ向けて真剣に行動することはほとんどない。いわば形式的な困難さでしかなく、そうした困難さは筆者の興味を喚起するものではなかった。

一方で『シャナ』は主人公が強く困難な状況を自覚し、絶望するところで始まる。トーチ云々の中二病はともかく、ヒロインに命を救われたと思いきや「いやもう死んでるから」と否定され、残りわずかな自分人生に悩む流れは使い古されたそれでありながら、筆者は悪くない印象を持っている。形式的困難に全く効果が無いわけではないだろうが、より効果的にしたいのであれば実質的困難とした方が無難とは言えるだろう。

秘密漏洩

偶然からヒロイン秘密主人公が知ってしまい、ヒロインもまたその漏洩を把握する、という遭遇の類型もまた古典的展開と言っていいだろう。『乃木坂春香の秘密』などはこの典型例と言える。

知ってしまった秘密主人公はどうするのか、秘密を知られてしまったヒロインはどうするのか、という次に当然起こるであろう緊迫した事態への興味を効果的に喚起させることができる上、それまで互いに無関心であった主人公ヒロインが相互に強烈に意識し始めることが読者に必然的に伝わる、という強力な副次効果を持つ。また秘密漏洩ヒロインにとってみれば「困難の直面」に他ならず、そこで極限状態に置かれたヒロインがどのような行動をするか、とはそのヒロイン人格であったり本性を端的に表すものと読者に暗黙に理解させる点でも効果的に機能する。

謎の提示

その状況が主人公にとって予期せぬ事態であり、なぜそんなことになったのかという困惑と疑問が生じる遭遇は読者の興味を喚起するという点で効果的である

例えば『タイム・リープ あしたはきのう(以下タイムリープ)』においては記憶の混乱という謎がまず読者につきつけられ、その解決が物語の主たる軸となる。『のうりん』においては主人公の崇拝するアイドルが電撃引退の上突如転校してくるが、彼女がなぜ転校してきたのかが物語の中心に据えられている。

しかし『タイムリープ』と『のうりん』を比較すると遭遇の出来の良さは(筆者にとっては)圧倒的に前者である。その違いは、おそらく単純に「読者の興味を引く謎か」という一点に尽きると思われる。この類型ヒロインの設定の意外性ではなく謎の意外性で勝負していると言ってよく、ゆえにどれだけ読者の興味を惹起することのできる「謎」を思いつくかがこの類型の要点と言っていいだろう。

印象的な絵面

例えば『マリみて』における「タイが曲がっていてよ」のように、これまでに見たことが無いような強いインパクトを与える絵面を描くことで読者の興味を喚起することに成功しているものがある。

筆者は全く百合趣味理解できないが、そうであっても「美人美少女ネクタイを締めてあげる絵」というのはなるほど悪くない絵だという実感が得られ、印象に強く残っている。

マリみて』ほどの強力さは筆者には感じられなかったが、例えば『とある魔術の禁書目録(以下禁書)』における「帰宅したらヒロインベランダにひっかかっていた」という絵もこの類と言っていいだろう。

遭遇の多段階化

以上、いくつかの類型を述べたが、より効果的に演出する方法としてこれらを多段階構成にする、という手法があると筆者は考えている。

例えば『俺の妹がこんなに可愛いわけがない(以下俺妹)』ではまずヒロインエロゲ趣味主人公漏洩する第一の遭遇(秘密漏洩)があり、それについての一段落が描かれたのち、夜中ヒロイン主人公の自室に侵入する第二の遭遇が発生する(謎の提示)。

化物語』の第一の遭遇は階段から落ちたヒロインを抱き留めるという古典的なそれであるが、これは同時に「ヒロイン体重が無い」という「謎の提示」と「秘密漏洩」として機能する。次にヒロインの病弱さがひとしきり語られたあとで、ヒロインカッターナイフホッチキス主人公の口に突っ込み脅迫するという第二の遭遇が描かれる。攻撃性格ヒロインに特段の目新しさはないが、文房具凶器として使うこの絵面は筆者にとって十分インパクトがあった(印象的な絵面)。

とらドラ!』の第一の遭遇はヒロイン主人公を睨みつけるだけの地味極まりないものである。ところが第二の遭遇はヒロインが机を吹き飛ばし掃除道具入れに隠れるところを目撃するという奇妙なものであり(謎の提示)、ラブレターの入れ間違えの発覚を踏まえ、その「秘密漏洩」への対抗策として主人公宅へ夜襲をかける第三の遭遇と畳みかける。

興味深いことに、このときいずれも各段階の間に一拍が置かれている。それぞれの遭遇は矢継ぎ早に連続して矢を刺すというより、一本矢が刺さってちょっと痛みに慣れてきたところで二本目を刺す、というテンポと言ってもいい。

例えば『俺妹』ではエロゲヒロインに返した際、その場でヒロイン主人公へ自室でそのゲームプレイすることを要求しても物語上何ら影響はない。しかし一旦そこで一区切りさせ、主人公に「これで今まで通り、互いに無視しあう兄妹関係に戻るのだ」と吐露させ、その上でヒロイン夜這いさせることで、単にその場で依頼をするより読者に強いインパクトを与える効果を生んでいると考える。

中編へ続く

2015-02-22

http://b.hatena.ne.jp/entry/lets0720.hatenablog.com/entry/2015/02/21/191006

はてな民は「賢すぎて分かってもらえない孤独」のツボを押されるとチョロいとわかった

それって中二病の典型だよね。

でもはてな民のメインが中学生とはとても思えないけど。

いい年こいて中二病が多い?

2015-02-20

今頃になって中二病にかかった

なんでかはしらないが最近全く日本語の曲を聞きたくなくなってしまった

別にJ-POPだせぇwwとかそういうことは思っていないんだけど、何を聴いても薄っぺらく感じてしま

洋楽だって歌詞は大概薄っぺらい、それどころか日本人には信じられないくらい下品歌詞も多いのになぜかそれらは特に拒否反応が出ないんだよな

舶来コンプレックスとか中二病とかそういうたぐいの物ってのは自分の頭でもわかってはい

でも頭がわかっていても実際問題心が全く動かないんだからもうどうしようもない

2015-02-17

ISISに参加している(したがる)当事国以外の人って

宗教って大義名分言い訳が欲しいってだけで、ただ、殺人をしたいだけだろ。

いきがって珍走団に入りたがる中二病的な。

2015-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20150203163428

もう少し人生経験を積めよ。

一匹狼気取りの中二病ばかりじゃないんだよ。

2015-01-20

理解力も敬意もない

http://blog.hatenadiary.jp/entry/20150119/1421676908

 

これ

  1. 主人公前世を「2つ」持っている(←これは人類史上初めての超特別存在
  2. ↑は、それぞれプチミレ2人と別々に関わった前世
  3. 通常1つの前世では剣か魔法のどちらかしか使えないのに、前世を2つ持つので両方使えるという超特別存在主人公
  4. からこそ100人がかりで倒す敵を新人1人で討伐できた(←1人での討伐達成しているの人類で6人だけ)

これらの設定が

思考停止してあひゃひゃひゃと笑いながら観ていたとはいえ、2話とも実況に貼りついていたのにまったく理解できてませんでした。

って言ってるけど理解力なさすぎじゃないかな。

 

前世が2つある人がいてもおかしくないって2話の冒頭で説明してるし、主人公がそうなのでは?って言われてる。

その上、第3階梯闇術使ってましたよって言われてる。

まぁ音声情報だけで第3階梯闇術って言われて、字面が浮かぶかは微妙だけど。暗術に反応して魔法認識するのはそれ系のアニメみてればできるレベルだと思う。

 

そうなると1と3は説明されたことになる。

正確には

通常1つの前世では剣か魔法のどちらかしか使えないのに

の説明にはならないけど。

そこまで特別なら4ができてもおかしくない。

3に関しては悠木碧キャラに「もう一つの力がある」って言われてるし

2話の最後のやりとりからいって悠木碧キャラ前世でなにか因縁があるのは理解できる。

 

とにかく全部説明されてる。

理解できない人は理解できる人と比較して経験か脳が劣ってるかしかないから

理解できるできない争ってもしょうがないと思うけど十分な描写はちゃんとされてる。

 

本題はここから理解力なさすぎなのは個人の問題からどうでもいいんだけど敬意なさすぎでは?

この人まじめに見てないじゃん。

思考停止で見てるって自分で言ってる上で理解できなかったって、完全にこの人の責任じゃん。

そういう自分の落ち度や無能力さを理解できなかったの一言製作者側の責任にするのはホント卑しいと思う。

 

この人の場合思考停止とか理解力なくて申し訳ありませんみたいな言葉はただの皮肉なんだろうけど、

そういうことを恥ずかしげもなく書ける神経もまた疑う。敬意がなさすぎる。応援ってなんだ。死ぬことが一番の応援だろ。

 

ラノベ原作中二病アニメに敬意って馬鹿じゃねぇのって言うなら、まぁ馬鹿でもいい。

2015-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20150119194928

さすがにそれはねーよwいくらなんでもわかるだろww

中二病バリバリバンド名を見ただけでも)

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