はてなキーワード: 中二病とは
20代の頃だって、俺は最低の人間だぜーとか言ってた気はするんだけど、あれは中二病的な自虐というか、それほど深い実感が伴っていたわけではなかった。
でも30代も中盤にさしかかってきて、この年になって、なぜだか自分の下劣さを深く染み渡るように自覚してしまい、本当につらい。
朝目が覚めた瞬間に、心臓が絞り上げられるような、脇腹に穴があいていて冷たい風が吹き抜けるような、不安に教われる。
平日はどうにか起床して会社に行って、仕事をしていればそれなりに気がまぎれるのだけれど、
休日は布団から離れられない。つらいなあ、不安だなあ、嫌だ嫌だと布団の中で昼まで呻いている。
鬱病の薬は飲んでいるが、効き目はいまいちで、副作用の眠気がひどすぎる。眠すぎてよけいに鬱になる。
俺は殺人犯でもなければ振り込め詐欺の首謀者でもないわけで、俺はたいして悪いことはやっていない、俺より悪い奴はいくらでもいる、
と自分に言い聞かせるが、なんというか、そういう問題じゃないんだ。
一つ一つのできごとは取るに足らない。ここでいちいち事例を挙げたりはしない、そんなことしても鬱になるだけだろうし。
小さなことでクヨクヨせずに前向きに考えるんだ。そうすべきだ。
でも、なんだろう、振り払っても振り払っても、胸の奥からこみ上げてくる感覚。
そしてもう、それは変えられない。愚劣な人間のまま、残り半分くらいの人生を送る。
遅すぎることなんて何も無い、今から自分を変えればいいんだ。そんなふうに考えようとしてみる。
これは本当につらいことだ。
読切版の突き放した投げやりな感じはそれ自体がエンタメとして面白かった。
割とリアルでもありそうな感じしたし。
でも連載版は・・・一気にファンタジー感が増して、悪い意味で正視できないレベルに成り下がってしまった。
少年漫画雑誌で連載するにあたってのマンガチックな表現は仕方なかったとしても、だ。
全体的に冗長だったし。
読み切りとくらべて何が一番ダメだったかっていうと、わざとだと思うけど、ろう者の心理描写を描かなかったところ。
読切版だとそれがうまいことダシになってたけど、さすがに連載版で情景描写とか周りの人間だけで全部を回すのは無理があった。
あえて描かないという作者の選択は、正面切って描くことから逃げたっていうこともできる。
別にメッセージ性強くしろってわけじゃないけど、結局大事な勝負からは逃げたままで終わったという印象。
人間ドラマとしても、キャラ・ストーリーともに作り物感が出過ぎてていまいち入り込めない。
何かと絶賛する意見しか聞かないけど、そこまで「描き切った」感とか「読みきった」感は、最後まで感じられなかった。
とりあえずこれ褒めときゃ無難だろう的な意図がかなり大きくて、ランキングにこれが出てるだけでげんなりする。
まーぶっちゃけ、こんだけ大衆に受け入れられてるのに抵抗があるっつう中二病的なツッパリがまったくないわけでもないと思う。
でも、そこまで言うほど面白いか・・・?と疑問を持った感情だけは純粋なものだと胸を張って言える。
合う合わないなんてあって当然だしね。
id:pseudomemeさんのリクエストで書きます。
ネタバレ有り有りなので、最初の数行を読んで、とにかく買いに走りましょう。
最初にハッキリと言おう。
「カオスチャイルドは科学ADVシリーズの最高傑作である」と。
「え? 科学ADVってシュタゲ以外ゴミじゃんw で、そのシュタゲ越え? 嘘つくなよwww 痴漢はこれだから困る」
と言いたくなる気持ちはよおくわかる。
よおくわかった上で、もう一度書こう。
「カオスチャイルドは科学ADVシリーズの最高傑作である」と。
まず始めに、今回カオスチャイルドを読み解くにあたって、科学ADVを
「孤独と向き合うシリーズ」という解釈のもとにざっくりと解説したいと思う。
「孤独の観測者だから寂しいと思うかもしれないけど、人は大なり小なり孤独なんだよ、だから寄り添い合って生きていこう。そのためにも仲間や恋人は絶対必要!」
○ロボノでの孤独の向き合い方
とまあ、一口でまとめるとこんな感じだったと思う。
その象徴となるのが、人は微小ながらリーディングシュタイナーをもっている、って伏線はあったよ
にしたってそのラストは御都合主義過ぎないかい? と多くの人が疑問を抱いたシュタゲのラストでしょう。
もちろん、この作品構造自体に点数をつけて比較することに意味はありません。
あーもう、これがたまらない!
ただ、作中に起こった事実だけを羅列すると、
辛くて悲しいバッドエンドとしか思えないかもしれません。
姉や妹や友人たちとは離ればなれになり、自分の分身とも言うべき幼馴染みとはもうこれから一生心を通わさないことを誓います。
オカリンやタクやカイと違い、宮代は残念ながら誰からも祝福されず、孤独な終わり方をします。
ですが、それが全く悲しくない。
むしろ、これでよかった、こうじゃなきゃいけない、という読後感が沸いてきます。
それがカオスチャイルドの「孤独全肯定感」の面白さであり、楽しさでもあります。
けれども、宮代の「子供っぽさ」は否定され、ボロボロになりながら終わります。
あーもう、まだトゥルーエンドの興奮が冷めきらない!
二週目してくるんで、早くXboxOneごと買いましょう!
それでは! あでぃおすぐらしあ〜。
結婚関連(結婚指輪のブランド・式場のランク・相手のスペック)でのマウンティング合戦はそれはもうすごいらしい。本当にそういうの嫌でラジオの話で盛り上がる友人としか遊んでない。
なんてブコメがあるけど。
「すごい『らしい』」と言う言い方な辺り、この人は実際にそんなマウンティング合戦が行われている場を見たことがなさそうなのに
何故そういう場がある(それはわざわざそうではない友人を選ばなければ容易に遭遇するくらい普遍的な場である)と信じているんだろう。
はてな(に限らずネットオタク全般と言うべきか)ってこういう事主張したがる人多いよね。
「世の自分以外の大多数の人間は性格悪い・醜い・頭が悪いetcらしい(実際にはそんなの見たことないけど)。でもって自分は数少ない例外」っていう。
それともまとめサイトなんかの読み過ぎ?
妙に大人ぶってるというか達観しててダルそうな主人公はあまり見ない。
これは現在進行形でも言えるけど、もしかしてキョンみたいな主人公はウケが悪いのかな。
元々巻き込まれ系ではあったけど、どこか冷めた感じがクールでカッコ良かった。
似たような主人公に俺ガイルの比企谷八幡がいたが、アレはどうもぼっちである事を楽しんでる節があって
ダウナー系とも違う気がする。
めんどくせえが口癖の某エロゲ主人公よろしく何だかんだ言って巻き込まれてはちゃんと仕事をしていく、
みたいな姿は時々面白い奴だと勘違いさせてくれる、そういう奴。
何かそういう系の主人公はハーレムが生まれやすいけど、だからと言って特定の誰かと必ずくっ付く事はない。
そういう系は最後なし崩し的にヒロインと結ばれるものの、基本的には日常生活に不便さを覚えない特異体質な主人公だったりする。
こういうキャラクター性はどうも進展しな無さからか、敬遠されやすいのかなと思う。
もっと何かに積極的で何かエロい事に忠実で母性本能をくすぐられる他の系統タイプとは異なって
最初から最後まで他人の話は聞かず自分の判断で解決する独善的な思考が好まれている。
そのためか盤上で一人不動な王様のような印象を持ちがちだ。
バズワードのように流行の中で使用者がそれぞれ勝手な解釈をして不完全なコミュニケーションをしてそれを許容する精神が嫌い。
嫌い嫌いついでにはてなで見る同種の言葉をあげるとモヤモヤするって表現も嫌い。
好みの問題にしていいか分からんが、ネット上で発言するような文脈希薄な状況ならはっきりした言葉を使うべきと思う。
曖昧な言葉の使用だけじゃなく、言葉が曖昧化しやすい環境(ネット全体とかtwitterコミュニティとか)にも問題があるわけだが。
中二病の定義が伊集院光氏が提唱したものから異能バトル系の妄想を好む人達も含まれるようになった、みたいな詳細な経緯は割愛
「中二病でも恋がしたい!」「異能バトルは日常系の中で。」など、最近やたらと中二病を題材にしたアニメをよく見るようになった気がする
なんていうか、「邪気眼が疼くうわあああ!!」とか言ってるキャラクターの滑稽な様子を笑い飛ばすだけならなんとも思わないのだけれど、中二病を題材にした作品というと必ずと言っていいほど「中二病とは幼児性と承認欲求が云々~」みたいな的外れすぎる考察をしだすから「何言ってんだこいつ?」ってなことになってしまう
異能バトル系妄想をリアルで披露しちゃうレベルで罹患しているという、その手の漫画にしか存在しないレベルで患っている後天的に付与された意味の方の中二病患者を伊集院光氏が提唱した方の中二病に中途半端に当てはめて考察しようとするからこのような齟齬が生まれるのだと私は考える
うまく言えないけど、アパート住まいの気の短い壁ドン常習犯のオッサンに「現実と少女漫画を勘違いしてる痛い男」とか言っちゃったり、逆に少女漫画の肉食系イケメンキャラの壁ドンを「怒りすらコントロールできない犯罪者予備軍」とか言っちゃったり、今のアニメやラノベ等での中二病の扱いというのは大体こういう頓珍漢で食い違ってる感じなんだと思う
中二病は神が広めた概念である。ここまで浸透したのも神の御業である。
日本人の想像力がたくましすぎて、あまりに世界の本質に近づくものだから、神は危惧した。
神は最初、世界の本質に近い話を敢えて複数の人間に描かせたり、書かせたりした。
これにより「この話は漫画/小説だから本当のことではない」と、逆説的にすり込んだ。
しかし日本人は想像力を進化させ、いよいよ触れてはならない領域まで作品に描き出した。
そして人々はそれらを「もしかしたら有り得る未来かもしれない」と、受け入れ始めた。
神は再び危惧し、対策の一手として「中二病」という概念を日本に広めた。
そして、世界の本質に近い…逆に言えば現実離れした話を見聞きすると、強く恥辱を感じる呪いにかかった。
神の御業は日本人の心を大きく打ち砕いた。
今やそのような話を創り出すと、作者のみならず、その話を支持する者さえ、中二病患者として迫害される。
一見支持している者も、「中二病は褒め言葉」と公言し、もはや話自体を信じるつもりは欠片もない。
最も世界の本質に近づいていた日本人を遠ざけたことで、神は世界の安寧を維持した。
それでも、この地球のどこかで、世界の本質に近づく者たちが現れる。
そして彼らに対し、日本人は心を震わせ、嗤わずにはいられないのだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/karapaia.livedoor.biz/archives/52179386.html
多くの喫煙者たちが虐げられなければならんのだ!
マナー悪いのはごく一部のDQNたち。こいつらはアホだからいい歳して煙草を吸うことがカッコいいと思っている。
車に乗り、窓から手を出しながら喫煙。(俺、今カッコよくね??)
そして、無造作にそのまま火の付いた状態で道に捨てる。(煙草投げ捨てたよ!!悪だぜ!!カッコいいぜ!!俺!!)
多くの喫煙者はマナーを守っている。歩き煙草するのも、ポイ捨てするのも、ごく一部なのだ。
一部の、カッコいいと思っている勘違いバカのおかげで、昨今では喫煙者はとてつもなく居心地が悪くなってしまった。
何十年も前は電車の中でも普通に煙草が吸えたそうだ。むしろ肩身が狭かったのは嫌煙家の方。
そりゃさ、アホみたいにその辺に火の付いた煙草投げ捨てたりさ、火の不始末で火事起こしまくってたら、煙草吸わない奴にとったらいい迷惑だよ。ムカついて当たり前だ!
そういうことが積み重なって、今の嫌煙ブームになったわけだよ。
このDQNたちは、自らが肩身の狭い思いをするように世の中を誘導しているということに全く気付いていない。
迷惑をこうむるのは一般の喫煙者だ!そして、いずれは煙草を吸いづらくなり、嫌々やめることにもなる。
しかし!!このDQNたちはそれでも吸い続けるだろう。そんな風潮なんて気付けないほど鈍く、低能な連中だからな!
いや、むしろ時代に逆らってる俺カッコいい?と中二病をこじらすかもしれん。
ということで吸いづらい世の中になってきたので2週間ほど前に煙草やめました。
シャフト製作ってのは意識してなかったものの、キャラの動きは自然でよかった
しかしながら演出が非常にくどい場面が各話1回はあっていい加減にしろと思った
■千尋サイド
記憶が持たない系ヒロインはどれもオチが一緒、展開も一緒、古い作品だけどそれでも目新しさがなかった
多重人格で姉妹が同一人物とも勘ぐったけどそうでもなかったし…
眼帯の下ってどうなってるの?やたらショック受けてたけどよくわからん
男は最初の自分語りからもっと中二病して恋愛で羽目外すかと思ったのに普通すぎた
■宮子・景サイド
景も好きなのに手を出さないしこんなん他に女できて当然、でも宮子が勝者になっても彼女もいまいち好きになれなかった
結局ふたりはいがみ合ったまま終了してたし気持ちのいい話じゃないよね
が、世界設定もそこまで凝ってなさそうだからプレイはしないだろう
http://blog.masuidrive.jp/2014/11/06/optimization/
現状の憂いなき状況(支離滅裂に書いてる)
わけわからんほどのメーリングリストが飛んでくる。またそれを追えという
>>は?そんな時代は終わったはずなんだけども。。。。。。。
>>> えっとメールというツールの使い方をそもそもとして間違えているよね。今の時代に
その場しのぎのビジネスロジックの追加でやっている事はシンプルなのに複雑性をます運用保守
>> 守る事のほうがビジネスの価値を証明するのが辛いのにそれを呆けた結果でしょ?
>> それを真剣に議論した?時間が風化させるものはほとんどだけども、それを保守する人間に「そんな悲しい事いわないでよ」って言われてもどんなに頑張ってもモチベーション上がらんでしょ。。
世の中そんな綺麗なシステムは存在しないし、そんな夢のようなシステムがある所に自分が行けることはないとは分かったとしても、せめて中二病的な何かが日々があればいいと思うけどもそれも何もない。
>> デプロイ一人ぼっち(大きな声で「リリースいやっほーい!!!!!!!」って声だしてもいい雰囲気はナシ
>> IEで動かせ (は?お前ちょっとそこのヨドバシカメラでwindows8買って素敵って思えるならIE動かせって言っても許すよ)
改善をするものは世の中にあふれているはずなのに職人芸を要求するチーム(組織かもしれんね)。
>> よってセグメンテーションを小さくフォーカスすることが正義になる。
>> はいはい。言った言わないがビジネスにおいていいことなんでしょ。それを証明するためにダルい事すんだよね。
これだけアカンな事が一杯溢れていると燃えるよねと最初思ったけど、トドメの長老陣の洗脳化作戦
>> 離職率が高い所しか基本長くいなかったけれども、長期的にやっている人がこれほどまでに事業部を歪んだ形にさせることは逆に学んだ。
頭がいいってなんでしょね?とか賢いって思ってるかもしれんケド結局目の前の事を棚上げにした結果でしょ。
そんな事を考えてる自分に嫌気が差してくるから最近は能動的な振りして、何も考えないようにしたさ。
何故ならば割り切ったから。
上記の事は全部個に対していってるわけではない。
みんな大なり小なり思うことであり、その人がそう言った訳ではなく集団的心理がそうさせただけ
極論言うと誰も悪くはない
だったら潔く
中二病の根底にあるのは思春期になってアイデンティティを確立しようとしての事故なので、
「○○したら大人っぽいだろう、他の奴らとは違うだろう」って考えて「お前らJPOPなんて聞いてないで洋楽聞けよ」とか言ってみたり「コーヒーはブラックしか飲まない」とか言ってみたりするわけだが
「他の奴らとは違うだろう」の方向性が「大人っぽさ」ではなく「全能感」というか「もしかして俺がこの世界の主人公なんじゃね?」みたいな方向に振れると自分が異能者であるかのように思う込んでしまうわけ
『「能力者」みたいなのは幼稚だから「大人っぽさ」を志向する中二病とは違う』と思うかもしれんが、「大人っぽい」「全能の主人公」どっちにしても「他の奴らと違って俺は優位である」って思いたいわけ。
邪気眼とか影羅とか、やってる本人は幼稚だとは思ってないだろうしね
だから根本的な部分は一緒だと思うよ。幸運なことに能力者的な部分は人には言ってないが、俺は両方やった。主に植芝理一のディスコミのせいで。
中二病は、背伸びして洋楽とか聞いて自分はクラスの連中とは違うぜ、みたいに思ってるやつな。
中学生の頃、妹は二重人格だった。 なんでも、火を見ると「影羅(エイラ)」という魔族の人格が現れるそうで、真っ暗な部屋の中で唐突にマッチを擦っては、「……ヘヘ、久しぶりに外に出られた。この小娘は意思が強すぎて困るぜ(笑」などと乱暴な口調で叫んだりしていた。 ある日、夕食の時に「影羅」が出たことがある。 突然おかずの春巻きを手掴みでムシャムシャと食べ始めて、「久々の飯だぜ(笑」と言った。 食べ物関係のジョークを一切許さない母が、影羅の頭にゲンコツ振り落とすと影羅は涙目になっておとなしくなった。 それ以来、食事時に影羅が出たことは無い。 そして別人格とやらは、妹が高校に入った辺りでパタリと出なくなった。 最近になって、大学生になった妹にその頃のことを尋ねたら、クッションに顔を埋めて、手足をバタバタさせてのた打ち回っていた。