2015-04-17

「知能を下げたい」という、消えてしまった日記への返信

正直な話、この行き詰まりがすべて僕の知能の結果だとは思っていません(発達障害を疑いWAISを受けたことがあり、結果は上に異常値でした)。ただこの虚無感だけは本物です。だから、だれでもいいのでこの閉塞を否定してください。「大人になるにつれ考えなくなった」というような意見はいりません。これを中二病だと笑うのであれば、誰にでも(僕にでも)理解可能な仕方で論破してください。切実に待っています

試しに論破しようとしてみる。

論破というか、改善方法を示したい。

記事まとめ

困っている点
  • あらゆる事象に興味を持てず、虚無感に苛まれしまう。
  • 一瞬たりとも楽しさを感じられない。
  • ゆえに幸福感が感じられない。
その原因として挙げられているもの
  • 任意感情のセットが、ただそう感じたほうが都合が良いという程度の反応の集まりに過ぎないことを僕は知っている」から
  • 増田は頭が良く、思考を続けることができるから
  • ただし(追記より)増田の知能がすべての原因とは思っていない。
改善するにはこうすればいいのだろうなあ
  • 適切に騙されればよい。

改善に向けて

理屈っぽい話

コメントしつつ理屈をこねてみる。

任意感情のセットが、ただそう感じたほうが都合が良いという程度の反応の集まりに過ぎないことを僕は知っている」

これを僕なりに読み替えると

感情とは、事象認知したとき喚起されるもので、そう感じた方が都合が良いという程度の反応の集まりである

と読めたのだけど、合っているだろうか。

確かに僕もそう思う。そして同時に、それでいいじゃん!と思っている。

都合が良い反応なのだから特に悪いものではないはずだ。

幸福感も感情から幸福感という感情を感じられる機会を増やすことが人生主観的目的だと僕は思っている。

感情は確かに相対的曖昧で非合理なものだけど、同時に幸福感に直結する重要ものでもある。

確かに感情客観的意味は無いよ。だけど幸福感に資するという点で重要と言っていいと思う。

たか感情、されど感情」という感じ。

から増田も「ただの反応の集まり、多いに結構!」くらいに思えるといいんじゃないだろうか。

建設的な感情を抱くように心がけるのもけっこう面白いよ。

僕の確信は徹底的な自覚の先にある何もなさであり、ゆえに何らかの価値観に乗り換えられるようなものではない。もちろん自覚自覚は際限なく続くものではなくそ限界了解であるからある意味では僕は無自覚信仰を行っているが、しかしその限界了解自覚的であるがゆえにニヒリズムに嵌り込んでいるといえるだろう。自分ではどうしようもない状況である

「徹底的な自覚の先にある何もなさ」とあるけど、何もないのが正しいのだと僕も思う。

僕は、その無の自覚限界ではなくスタートな気がしていて、

その自覚の後に、有りもしない客観的意味を求める生き方を辞めて、主観的幸福感をかき集める生き方シフトするといいと思う。

人生幸福とは、いかに適切に騙されるか、ということである

それで合ってると思う。

繰り返しになるけど、「適切に騙される」は「建設的な感情を抱くように心がける」と同義としちゃっていいと思う。

で、それで特に問題は無いんじゃないかな。

多くの人々はこのことを無視している。頭が悪いから思考を続けることができないから、そうした虚無への接近を免れている。

ここは疑問が残る。何人かに尋ねてみたのかな?

僕は案外、虚無にいったん下りて、また上がってきた人が多いような気がしている。

社会的規範盲目的に信仰しているがゆえに幸福の地平が開かれる。

盲目的な人もいるだろうね。

でも増田は考えてしま性格に育ってしまったのだから、どこかで納得できるといいね。

他人がうらやましく見えることもあるけど、配られたカード勝負だ!

伝えたいことまとめ
終わりに

僕と状態が似ていて思わずコメントしたくなってしまった。

と思ったら元記事消えてる!でもせっかく書いたか投稿する。

  • 幸せに感じれば幸せになれる!論者の頭がおかしいは相手の人生の詳細を知らないくせに責任取らなくていいから自分の心地よい価値観を語って気楽にオナニーしだすとこ

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