それでドアを開けてみると、そこには蟻が立っていた。
「ちっとも悪いことないよ」とおれは言った。
蟻とおれは大学の同期。
蟻はせっせと働いて今では大規模なプロジェクトをひとつ任されるようになったそうだ。
かたやこのおれは就職に失敗してイオンのバイトで生計を立てている。
おれが差し出したビールを一気飲みした蟻は言った。「最近大変なんだ」
「そうだな。蟻って忙しそうだもんな」
「仮眠を取る時間さえないんだよ」そう言って蟻は煙草を取り出し火をつけた。
「蟻は寝ないんだ。その代わり仮眠を何百回と取って……」
「その話なら学生の頃に聞いたよ」とおれは言った。
「ごめん」と蟻は謝った。「年取ったせいか同じ話ばかり繰り返しちゃう」
「それはおれも同じさ」とおれは言った。「誰だって年取りゃ耄碌する」
「『大人たちに褒められるようなバカにはなりたくない』って、今も思ってる」
「完全な中二病だな」
「分かってるよ。だけど気持ちは今も変わらないんだ」
おれたちはブルーハーツを BGM に仕事の愚痴を語り合った。
「任されたプロジェクトなんだけれど」と蟻は言った。「これが厄介でね」
「僕より下位に属するヴェテランの社員が、僕の言うことを聞くなって言い出して」
「セコい男だねえ」
「知ってる? これもパワハラの一種なんだよ。訴えようと思ってる」
おれは溜め息をついた。思ってる、って言っている時点でダメなんだ。動かないと。
ビールがいい加減に回って来た蟻は言った。「そう言えば、これは話してなかったね」
「どうしたの?」
「ありゃまあ。糖尿病?」
「なるほどね」
「職業病なんだ。糖尿と虫歯と、あと顎が外れるの? それに耐えなけりゃいけない」
「それはまた残酷な話だね」
「残酷だよ。どれだけ働いても昇格出来ない。女王様にはなれない」
「真面目に話してるんだよ。キリギリスくん」
「おれも真面目に答えてるよ」とおれは言った。「先のないおれよりはマシだ」
「そうなのかな……最近、キリギリスくんのことが羨ましくなって来たんだ」
「でも蟻は辞める気はないんだろう? 一匹蟻だと何にも出来ない」
「そうだよ。情けない話だけれど」
おれは洗い立ての制服を部屋に取り込んだ。これから仕事なのだ。
合鍵は渡してあるし蟻がおれの部屋から盗むものなんて何もない。
本当だ。時間さえも盗まれたという自覚はない。おれと蟻はその程度には仲良しだ。
これを書いたのは蟻