はてなキーワード: リーマンショックとは
外需からのサプライチェーンが長い時には実はその中で外需に認識されないものも含まれる。すると、外需がコケるとサプライチェーン全体が傷んで内需も大きく落ち込む。リーマンショックの後が分かりやすいかな。蜂に刺された程度と言われたのに、外需の落ち込みが内需に波及してひどいことになった。本当に見るべきは外需依存度ではなく、外需感応度。外需が1%減ったらGDP本体が何%減るか、それが高い国か低い国か。産業連関分析。始まりからして認識が間違っているから、その後の分析?も意味がないものになっているな。
あと、円高にすれば内需が拡大すると思っていそうだけどそれも勘違いで、円高になれば国内産品が安くなった輸入品と競合するからむしろ国内での付加価値生産は落ちる。もちろん安くなった輸入品を買えた人の効用は上がるが、需要が減って失業した人の効用は下がる。
ついでに言うと海外からモノが買えなくなることも懸念しているようだが、それは円高で解決するものではない。海外からモノを買うには外貨が要る。それを獲得するにはモノを海外に売る必要がある。円高はそれに貢献しない。銀行など外貨両替商はあくまでそれを仲介しているだけで外貨を円から生み出すわけではない。どれだけ有利に外貨を獲得できたかを表すものは為替レートではなく、交易条件。そして交易条件に対する為替の影響は極々軽微なもの。
NASDAQ100がドットコムバブル(2000年)で崩壊してから元値に戻すのに15年とかもある。
SP500の場合、ドットコムバブルで崩壊して2007年に少しの期間は高値更新したが、その後リーマンショックで2013年頃まで安定してドットコムバブルの最高値を更新していない。
なので、ここ四半世紀だけを見ても 10年以上持っていたら大丈夫という事は言えないと思う。
55歳(定年10年前)位から、相場を見つつ徐々に現金比率を上げて定年時には、年金では足りない生活費を10年分位現金で持っている方が良いと思う。
一般人が、株式に投資する場合の商品選びは、何も考えずオルカン投資で良いという意味。
持っているお金をすべてオルカンに突っ込めばいいとか、そういう意味ではない。
投資に晒す金額x年数で期待リターンがある程度決まるので、若い頃から長期間投資する方が望ましいのはその通り。
中高年になってから投資を始めるのは慎重になったほうが良いと思う、
そもそも、元記事の方だと20年以上の投資期間は確保できそうな気がするので、ある程度のリターンは期待して良いんじゃないかと思う。
取り崩しを手動で行うのが面倒な場合は、定率や定額で取り崩す機能が多くのネット証券で導入されている。
例えば、楽天証券では
・定額:毎月一定金額を取り崩して現金化する。例えば毎月5万円など
・期間指定:一定期間ですべて取り崩す。例えば投資信託を1200万口持っていたら、毎月10万口取り崩し(10年間ですべて解約になる)など。
(取り崩し金額の安定・運用の安定・取り崩し期間の安定の面で、それぞれの方法にメリット・デメリットがあるので、ご自分で調べていただければ。)
出口部分は10年以上かけて徐々に取り崩す事になるため、ある一定の時期に暴落があったとしても特に関係ない。
暴落が来ても淡々と積立を続けるように、暴落が来ても淡々と取り崩しを継続すれば良い。
積立部分に比べて情報が少ないのはそのとおり。
そもそも日本で気軽にインデックス投資ができるようになってまだ20年も経っていない。
早々にインデックス投資を始めた方が徐々に取り崩し期間に入ってくるので、これから徐々に出口部分の情報が増えてくるよ。
ちなみに探せば現在でも色々情報はあるよ。私自身が参考になった本を一部紹介しておく。
人生100年時代の資産管理術 リタイア後のリスクに備える モシェ ミレブスキー
会社も役所も銀行もまともに教えてくれない 定年後ずっと困らないお金の話 頼藤 太希
長生きリスクに備えるという意味では、繰り下げ受給はとても良い戦略だと思います。
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全世界株式や、先進国株式インデックスに投資していた場合、リーマンショック以前の株価のピーク値まで株価回復にかかった期間は5-6年。
これはリーマンショック直前の株価のピークで一括投資したという極めて特殊な場合の株価回復にかかった場合の期間。
これが過去最悪の事象だと思うんだけど配当込みダウ指数で計算すると、世界恐慌時前後も(開始時期に関わらず)5年間に分けて積立投資していれば、20年後を見るとプラスになってるよ。
そのために、より長期間積み立て、より長期間運用をする事が望ましい。
NISA制度が始まった2014年から利用していた場合、、氷河期世代第一世代(1970年生まれ)でも30年くらいの税制優遇を利用した投資期間が得られる。
弱者男性で、ただ無気力で新しいことチャレンジするエネルギーもない日々。
そんな自分が、将来の不安にかりたてられて、つみたてNISAを始めてみた。
気力を奮い起こして勉強したところ、どうやらオルカンかSPなんちゃらにつみたてて気絶しておけばいいらしい。
月3万を楽天証券でつみたてた。オルカンにした。人生初の投資。
贅沢もしないので3万を投資に回しても生活が立ち行かなくことはない。
こまめに動向をチェックしちゃうし、薄っぺらいつみたてNISAの記事もつい読んじゃう。
こんな自分が、リーマンショックやコロナのような下がり時期をやりすごせるとは思えない。
いつか下落に耐え切れず手放すんだろう。
無気力な自分が、スイッチを入れてつみたてNISAの勉強してしまったのがいけなかった。
どうやったら気絶できるの。
10年以上インデックス投資を行ってるので、暴落や株価下落についての経験を書いておきます。
マイナスの一瞬の最大値としては、半額(-50%)を想定してます。
1年以上続くマイナスとしては、1/3減(-33%)を想定しています。
暴落で資産が一時的にマイナスになっても、積み立て・保有を続けられた方は、10年単位で見るとしっかりと資産を増やしています。
私は、一時的なマイナスの経験・含み益・投資の勉強の3つで心に余裕ができました。
投資を始めた当初は、評価額がマイナスの状態が数か月以上続くと(少ない損失でも)、心がとてもしんどかったです。
最大許容損失は事前に検討していましたが、心の動揺を防止するのに役立ちませんでした。できるだけ資産額を見ずにやりすごすしかありませんでした。
時間がたって資産が大きくプラスになる事を何度か経験して、徐々に一時的な損失に慣れてきました。
また、含み益が増えてくると、暴落に対して自動的に耐性が付きます。
現在、保有している投資信託のほぼすべてが+50%以上(1.5倍)、平均すると+100%(2倍)、昔から持っているものだと+200%(3倍)以上になっています。
こうなると、5割減の暴落が起こってもプラスを維持できます。このおかげで、暴落に対する恐怖心が激減しました。
ちなみにNISAで一番人気のeMaxis slim 全世界株式(オール・カントリー)は、2018年10月にできた商品です。
2018年に買っていれば、この5年間で評価額は2倍以上になっています。
この5年間にコロナの暴落などはありましたが、気にせず保有するだけで、それだけのリターンが得られたわけです。
最後に、長期的なデータやインデックス投資についてきちんと学ぶことも重要かなと思います。
ウォール街のランダム・ウォーカーもいい本ですが、ダメな投資をけなす話が多くてちょっと無駄が多いと思いました。
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(追記)
◆シーゲルについて
シーゲルの本は客観的データが多くて良書と考えますが、高配当やバリューに偏った投資は好きではありません。
全世界インデックスで良いと思いますし、一般投資家がそれを上回るリターンを狙う事はしない方が良いと考えています。
過去には、コロナ、大震災、リーマン、ITバブル崩壊、ブラックマンデー、株式の死の時代など様々な事が起こりましたが、それぞれが違う事象です。今後も新たな事象が発生するでしょうし、1つの暴落の経験の有無だけが重要なわけではありません。
リーマンショックを経験したからといって奢るのではなく、様々な過去の事象を学びより謙虚になる事が好ましいと考えます。
ちなみに私自身は、海外投資を楽しむ会(現在の橘玲氏)の影響で投資をはじめ、リーマンの頃はイーバンク銀行で外国株式のインデックスファンドを保有していました。
親には国公立大の学費を払ってもらい、月数万円の仕送りを貰っていたが別に太い実家ではない(と思っている)
就活は氷河期とリーマンショックの間の世代で大学を出て就職は普通にできたから運は良かった方だ
学生の頃にバイト代を貯めて韓国とタイに行き、日本と違う空気や文化やメシに触れるのが楽しかった
地方の安月給の会社に就職してからも通勤途中でよく読んでたのは海外旅行のweb記事で、それによく出てきたのが会社辞めて世界一周してる人たちのブログとかだった
なんだかんだ5年で会社辞めることになって、退職届出した時に貯金が250万ほどできており、ふと世界一周できるな?したろ!
行きたい所は3つだけ決めていたが、ルートは未定で、基本的に現地で次の目的地への交通手段を手配する感じだ
最初の目的地はネパールで、上海から昆明まで40時間超の長距離列車で移動し、そこから飛行機でカトマンズに入る
漫画版神々の山嶺を読んでエベレストを見たかったので、ベースキャンプへのトレッキングをした
4500mを超えたあたりからクソしんどかったが生のヒマラヤは鮮烈だった
そっからインドに行き、一ヶ月ほど時々腹を壊しながらカレーを食べつつインド人に騙されたり頻繁にボラれたりし、スリランカからシンガポールへ飛び、シンガポールから第二の目的地タイのバンコクへ陸路で移動する
その後ビザが必要なミャンマー以外のインドシナ半島各国を麺や焼き飯を食いながら一周し、次は西へ行きたいと氷入りのビールを飲みながら思っていたところ、マレーシア航空のドバイ行き格安チケットを見つけたので予約し、ドバイではオイルマネーの力に驚嘆し、世界一高いビルのブルジュハリファは入場料が高かったので外から見た
飛行機で紅海対岸の禁酒国家イランへ、イランは旅人には親切にしろと刷り込まれているムスリムの国なのでいい所だが、テヘランのバスで男にケツを撫でられる
後で知ったがゲイがバレると当地では死刑になるので外人をターゲットにするそうだ
イランは当時も経済制裁の影響でatmでのキャッシングが使えず、米ドルを街中で両替するのが面倒なことと、酒が無いので1週間くらいで出国することにし、バスを乗り継ぎアルメニアに抜けて飲んだワインはクソうまかった
当時まだグルジアだったジョージアはワインもうまいが料理がとてもうまい、元栃ノ心さんがワインの輸入するそうでがんばってほしい
シュクメルリが話題になったがヒンカリ、ハチャプリ、ほか名前もわからん料理などどれもうまかった
黒海沿いに移動して、パンがクソうまいトルコでカッパドキアとイスタンブールを回り、ボスポラス海峡を渡ってようやくヨーロッパへ入り、ブルガリアでヨーグルトを食べて元琴欧州鳴戸親方の生地ヴェリコタルノボを歩いた
ヨーロッパはさすがに文明的で、旅するのに快適であまり苦労した覚えがない
バルカン半島経由で北上し、ポーランドから船でスウェーデンに渡り、ノルウェーでサーモンを食うため北極圏の町トロムソに行き、魚屋で買ったサーモンとオスロで買っておいたスシライス(カリフォルニア米)を炊いて寿司を作って、ホステルで一緒になったドイツ人カップルに振る舞いながら500mlで1本700円くらいするシロクマのラベルの缶ビールを飲んでいたところ、オーロラが出たので見られたのは幸運だった
ノルウェーは物価が高すぎたためオスロ空港で出国前に2晩ほどベンチで寝てたら警備員に注意される
インドで知り合ったスコットランド人学生を訪ねてライアンエアーでオスロからエジンバラへ、夜ギグに行こうと言われて半地下のクラブへ連れて行かれる
さっきまで壇上でサックスを吹いてたシュッとした青年が普通にアンフェタミンを勧めてきてびびったが、すでにエールで酔っ払っていたので楽しかった事しか覚えていない
そこからメシと酒がクソうまいバルセロナへ飛び、夜な夜なバルでセルベーサを飲み、昼はパエリアを食ったりおやつにバレンシアオレンジをかじり、マドリードの安宿の屋上テラスの藤の椅子に座ってチーズとハモンで赤ワインをやりながらどこに行くか迷っていたところ、サウジアラビア経由エチオピア行きのチケットがあったのでアフリカに入り、大地溝帯に沿って南下し、ケープタウンまで陸路で移動することにした
アフリカはどこの国も同じで当然黒人ばっかりでメシがまずく、衛生状態も治安も悪く交通機関もクソだが、ヤリまくって産みまくって死にまくるという原始の人間の生活を見られたほか、やたらと多い子供は汚いがかわいかった
あとサバンナは最高にきれいで、朝焼けの露に濡れた草原が輝く景色は忘れがたく、ライオンやキリンやゾウは動物園で見るのと全く違う美しさだった
ナミビア、ボツワナ、南アフリカはサブサハラの中でも経済が強いのでそれなりに文明的な旅ができたが、ナミビアの乗合バンのエンストはしょっちゅうで、止まったバンを乗客みんなで押しがけした
乗客同士で一体感が生まれて面白い体験だったが、ライオンのいるサバンナで夜中2時に止まった時はヒヤヒヤした
ケープタウンで久しぶりにうまいワインを飲みながら南米行きのチケットを探して、カタール経由ブエノスアイレス行きを見つけ、カタール航空の機内食のハーゲンダッツが久しぶりのまともなアイスクリームだったので感動して3個も食べた
アルゼンチンは肉とワインがメチャ旨く安いので、毎日安ワインを1本ずつ開けた
チリのワインも当然うまく、フロンテラというのが安くてお気に入りだった
このワインは日本でも飲めるが、やはり現地と味が違うような気がする
アルゼンチンやチリはバス網が発達していて、車内は三列シートが基本でゆったりでき、パーサーがいて食事やワインのサービスもあり快適だったが、普通に丸2日バス移動とかがあり広すぎである
南部パタゴニアの名峰フィッツロイやチリのパイネでトレッキングをして、道中一緒になった日本人女性に恋をするが思いは伝えられずそのまま別れた
この人とは帰国後たまに会ってメシを食う仲だが、一度冗談ぽく結婚しないかと言ったら、お前のような貧乏人とは結婚する訳ないと言われた
チリを北上してアタカマ砂漠の星空を見て、それから三番目の目的地ウユニ塩湖へ向かう
昔ポカリスエットのCMでビートたけしが立ってた鏡張りの景色で有名な所で、ちょうど日本の大学の春休みシーズンだったため、ウユニの街は日本人学生だらけでちょっと辟易したが、さすがに見渡す限り鏡張りの光景や遠近感の無くなるほど遠くまで広がる塩の平原はめちゃくちゃにきれいだった
そのあとペルーへ移動しマチュピチュに行ったが、すでに遺跡を腐るほど見ていたのでやや感動が薄かった
ペルーあたりからラムが安いので、全世界同じ安心安全のコカコーラを買って毎晩ラムコークを飲んでいた
バスを乗り継ぎエクアドルのグアヤキルに行き、ガラパゴス行きの飛行機を待つ
グアヤキルで数日滞在した安宿から15分くらい歩くと、カラフルな家がびっしり建つ丘があったので、ぶらぶらしていたらおばちゃんに呼び止められる
スペイン語はほぼわからないが、この先に行くと死ぬ的な事を言っているようで、あとで調べたらその先には有名なスラムがあった
別に一人で帰れるがおばちゃんの息子らしき人にホテルまで送ってもらう
グアヤキルは新婚旅行で訪れた日本人夫婦が強盗に遭い、旦那さんが殺された事件があった所である
ただしガラパゴス諸島は観光地のため、先進国並みに治安は良く、物価も同じくらい高い
アシカやウミイグアナがうじゃうじゃおり、進化論で有名な鳥のフィンチも数種類見てリクガメも写真に撮れたのでとても満足した
南米本土に戻って北上を続け、コロンビアのボゴタでオーパーツの黄金ジェットを見たが絶対あれは魚だと思う
このあたりで日本を出て1年少々経過しており、だんだん旅に飽きて働きたくなってきたので日本へ帰るチケットを探しはじめ、フロリダを経由してニューヨークから日本へ帰還した
成田の「おかえりなさい」のサインを見て泣きそうになり、缶コーヒーとコンビニのざるそばがうますぎて泣いた
使った金は約200万円、1年1ヶ月の旅だった
今はちゃんと再就職していい年になってしまい、結婚して子供ができたりして、出張以外でなかなか海外に行くことはないが、たまにあの頃は楽しかったなあと思い出す
幸せかどうかって現状に満足しているかどうか、と言い換えることができると思う
ブータンという九州と同程度の広さの国は、以前世界で一番国民幸福度が高いという触れ込みで有名になった
しかし今現在国民幸福度が高い国はヨーロッパの先進国が多く、ブータンの姿は見えない
内乱や紛争でブータン国民自体の生活の質が落ちたわけではなく、リーマンショックやコロナの影響で産業に陰りが出たわけもない
国民幸福度が落ちた理由は単純で、経済発展とともに様々な情報が国外から入るようになり、他国との差を身をもって知ったからである
以前は、家と食うものと家族があれば幸せ、と言っていたブータン国民だが自身の生活と他国の生活を比較してしまった
一部のインフルエンサーや富裕層の生活をSNS等で見て一喜一憂し不満を漏らす
それを見聞きした人が落ち込み、また不満を漏らし連鎖をもたらす
この「それ以外のもの」に、かつてのリーマンショックの時に話題になったサブプライムローンみたいな「わけわからないもの」が混じってない、って保証、誰かしてるの?
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日経平均は、日本の有力株式市場(昔は東証一部って言ってた、今はプライムだっけ)のさらに有力株200ちょっとを選んで平均を取っている指標で、これの連続性を保つために平均には補正がかかる。極端に言えば、日経平均が選んでる200ちょっとの株を全部買って平均を取っても発表されている日経平均とは同じ数値にならない。
それなのに、インデックスファンドは「日経平均と同じ値動きで動くファンドですよ」って言って売ってる。どうやってそれ実現するの?
ファンド作ってる側は、目標の運用成績を出すためにそれ以外のものを入れざるを得なくなる。
この「それ以外のもの」に、かつてのリーマンショックの時に話題になったサブプライムローンみたいな「わけわからないもの」が混じってない、って保証、誰かしてるの?
ネット上で氷河期世代やリーマンショックのゆとり世代のおっさんが民主党はダメだったって言うから調べたけど
普通によかったようだわ
牛丼が200円くらいで食えたしコンビニのおにぎり百円セールもいっぱいやってたしな
(韓国に19800円で二泊三日できた)
失業率も一番高い時で5%くらいで今の失業率と2%くらいしか変わらないじゃん
それどころか2011年には国家公務員でも定員割れ(環境省の外局で)してて、仕事が無いってのもただ単に選り好みしてただけだとわかったわ
確かに数百万人の被災者が出た紀伊半島豪雨とか酷い対応があったけど
何で氷河期世代やゆとり世代のおっさんおばさんは民主党を嫌ってるんだ?
(当時の支持率を確認すると団塊の世代やバブル世代は民主党の支持率が極めて高かったが氷河期世代やゆとり世代のおっさんは低かったので)
真面目に働いて、株や投資信託で積み立てた。
たぶん積み立てた原資は2000から3000万くらい、それが膨らんだんじゃないかな。
あと、子供名義のジュニアNISAが2人合わせて1000万くらいある。
なので、2000から3000万が7000万くらいに膨らんだイメージ。
親は生きてる。
そこそこ裕福だったから、車を買う時と結婚式を挙げる時と子供が生まれた時と、数十万から数百万単位でけっこう貰った記憶がある。
その頃からかなり持ってたんだけど、親は年収500万くらいじゃ厳しかろうって思ってたみたいで。なんやかんやでトータル500から1000万くらい累計でもらってるんじゃないかと思うけど、正確にはわからない。
投資のリターンは、リーマンショック、311、コロナ等々、安く買えるタイミングに恵まれたおかげ。
それに自分が社会人になった頃から、2013年までは株や投資信託の税率がバカ安で、全ての取引がいま騒いでるNISAみたいなもんで、それも幸運だった。
なんで、まだ3000万くらいローンがあるよ。
始まりは麻生政権だったと思う、「俺たちの麻生」あたりでオタク=右翼みたいな謎の等号ができてしまった
それは福田内閣(2007)の頃
あの時はアメリカと中国どちらと仲良くするべきかという時に、そんな中「媚中」と言われる法案がいくつか立ち上がって
割と大きな反対デモが起きた。2000年移行ではあの頃が一番デモが大きかったと思う
なお世論全体としてはそんなことはなかったと思う、興味なかったというか
その後福田が辞め、対中対米でフラットな麻生になったもんだから、インターネット全体で喜び一色だった
ただ、第一次安倍内閣からずっと続いていたメディアの「とりあえず政権叩いとけ」の流れが続いたのと、リーマンショックが起きたのと
インターネット全体の右傾化が大きくなったあたりで「ネトウヨ」がバズり、主に2chで「反ネトウヨ」が台頭した
あそこらへんの順序は結局今でも謎だが
たぶんかなり対立煽りが最初は多かったらしい(ν速、ニュー速+)
諸々憶測の域を出ないんだろうが、まとめブログが流行ったのもあって、対立煽りをするモチベーションはあったんだろうと思う
やがて麻生内閣の支持率が堕ちるところまで落ち、「麻生内閣を叩かないやつはネトウヨ」となり、「反中嫌韓はネトウヨ」となり、最終的には「自民支持者はネトウヨ」となっていった
一応言うと、世間一般における支持率低下と、インターネット上における反ネトウヨの対等はあまり関係がなかった
(ところで、あの反自民が謎に増えて行った頃ですら、鳩山由紀夫が総理大臣になると知った時のネラーは絶句していて笑った、そこに左右は関係なかった。皆小沢だと思ってたよね?)
政権交代後、2chにおいては反ネトウヨが多数派を占めていた(Twitterやブログなどは全然右傾化していたが)
これは日和見菌のような、多数派に乗るだけの奴らが多かったんだと思う
まともな会話は不可能になった、「ネトウヨを煽る」だけの存在になったニュース系の板だが、2011年だったかに嫌儲に移住し、その後ステマ騒動なんかがあり
その後、まとめブログの影響か、反ネトウヨはインターネット全体に広がっていった
つまり、2008年までは「韓国人を馬鹿にする」という記事で儲け、2011年頃は「ネトウヨを馬鹿にする」という記事で儲けてるブログが多かったんだ
一番わかり易いのはニコニコ動画かな、2013年くらいでおそらく半々だったと思う、今はよくわからんけど
ただちょっと面白いのは、2013年ころからテレビが今度は右傾化してきたことだ、日本バンザイてきなやつ
それもあって「反大衆メディア」としてのネチズンたちもこぞって「反ネトウヨ化」していった
右傾なことを言うのは情弱の証みたいになっていたし、反自民がかっこいいという風潮があった(その後2020年まで続く)
まあそういうのは結局ブームなんだ
戦争世代が右翼で、団塊の世代が左翼で、インターネット第一世代が右翼で、その下が左翼みたいに
それでも最近は(若い層では)落ち着いてきて、右でも左でもないみたいな感じになってきた
今や「ネトウヨ」なんて死語を使ってる事自体が遅れている情弱の証拠といっていい、日刊ゲンダイですら最近はあまり使ってない
そんな中で見かけた「選挙ウォッチャーちだい」がネトウヨ連呼していてなんか懐かしくなった
そういえば、2020年くらいまではまだはてなでも言ってる人が居たと思う
どちらかというと自民支持者だった私には居づらかった、常に他の場所を探してた
しかし何故か安倍内閣が終わると憑き物が落ちたように大人しくなったので、まあいいやとここにいる
何が言いたいかと言えば
小学生が「バカ!うんこ!」というように「ネトウヨ!ネトウヨ!」というのはコミュニケーションが取れないので非常にうんこだし
今もある日本万歳系Youtubeや、嫌韓Youtubeや、その逆みたいなメディア、全部金のためにやってると考えるとうんこだって話
あと、2005〜2007年くらいの2chのニュース系の板は一番議論が活発にできて本当に良かった、非常に知識を持った人がわんさかいた、あれはもうできないだろうな
もうこの一文で、当時のことに関する知識も、それを今になって振り返って調べる力もないことが分かる。たぶん、本当は民主党にも興味がなくて、ただこう書けばブコメを稼げる、ホットエントリー入りできるというだけの理由で書いているんだろうな。
自民党が下野した理由の一つが参院を野党に奪われて政策が通らなくなっていたことにあることは当時のニュースを見ていたら当然知っているものだろう。リーマンショックが起きて市場が荒れる中で日銀総裁人事さえ通せなくなっていたんだ。つまり、民主党が政権をとったのは衆議院選挙でだが、すでにその時点で参議院は野党(衆議院をとっていた自民党政権に対する野党ね)が安定多数をとっていたの。自民党が参院選で勝利したのは民主党政権ができてかなり経ち、そのグダグダぶりに国民が愛想を尽かした後になってからのこと。それを、民主党政権ができてからずっと参院は自民がとっていて民主党政権を邪魔していただなんて、捏造も甚だしい。