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はてなキーワード: パソ通とは

2018-09-12

anond:20180911193410

みんな若いなあ。自分にとって懐かしいと言えばパソ通時代より前になってしまう。

2018-07-10

麻原(淫夢MAD根拠オタクオウムゲイ)の親和性を唱えるバカ

から20年後くらいにこんなことを言い出す人々が現れたと想像して欲しい。

「当時のオタクゲイ親和性があったんだよ。オタクの間で淫夢というゲイビデオのMADが大流行しててね、ホモ男優セリフアニメで使われたり人気声優ラジオSNSネタにしたりするとオタク大受けしてたんだ。オタクLGBTへの親和性をはっきりと示した、そんな時代があったことを僕らは忘れるべきじゃないと思う」

こいつら「バカ」以外の何に見える?

はてなブックマーク - 偽史オタクオウム親和性歴史修正主義

Togetter - http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1245232

segawashin 麻原の風貌から信者の珍奇な行動に至るまで、当時の薄い本パロディの格好のネタだったでしょ。「オタクオウム面白がりながら消費してた」点は反論余地がないはずなんだが、なんだこのヒステリックな反応。 742 clicks

2018/07/10 リンク Add StarArturo_Uiizawayuki

Cunliffe 瀬川先生、すっかりオタクパブリックエネミーと化した感。当時草の根パソ通(俺も含めてオタクだらけ)でオウムアニメとかマッドソングとか大量に流通してたの、知らない子も増えたよなあ。 これはひどいあたまがわるい歴史修正主義

2018/07/10 リンク Add Starfavorito_favorito

2018-06-25

anond:20180625204717

niftyはあったけど、いわゆるインターネットはまだ普及してなかっただろ。

パソ通時代だ。

2018-04-25

anond:20180425023409

長すぎたので、最後の部分を分割。

余談

 とある、それなりに言動については信頼しているSF小説家が、ずいぶんと今回の件について批判的な言及をしていた。そのずらりとRTされてたり自分キータッチで語られたツイート群の中には、オタク文化が、特にここ15年くらいの間は、差別的言動や行動をよしとするようなものを内在していた、ということについて気にする形跡は、一ミリもなかった。その当事者ゼロっぷりに、普段かなり反差別に近いツイートもしている人だが、ようするにそれは「「自分たちの世界」の外側で起きていること、アニメを見ながら実況ツイートしているような扱いなんだろうかな、と考えるととても残念な気分になった。敢えて、実名は上げないけれど。

 話はそれるけれど、この小説家氏は、自分の仲間たちがかつて、とあるパソ通フォーラムリンチしていた一人の参加者からその当時のことについて非難をされたとき、「あかん、こいつほんまアホや」と語り、それについて問いただされたら「おかしいことをおかしいと言って何が悪いんだ」というようなことを言い出した人のはずである。なぜ、そんなにC.R.A.C.の「それは差別ではない」発言に怒れるのかちょっと謎ではある。

 それにしても、こんなツイートRTしていたのには呆れてしまった。

https://twitter.com/kanenooto7248/status/987141171083227136

 一人残らず!

 そこまで言うからには、もちろん、一人残らずそうなった、という統計があるはずだろう。しかし、そんな資料が上がっている形跡はないしそもそもそんな統計はないはずだ。おいおい、トンデモあなたRTしたいものの中にあるんじゃあないのか? だいたいこの発言主は俺とそう年が違わないはずで、そんな俯瞰的調査をするべくもないはずである

 この小説家氏に限らず、これをRTしているのを見かけた人の相当数が、オタクをひとくくりにして批判されることを蛇蝎のごとく嫌っていた。でも、こうやってひとまとめにされることは嫌ってないどころか大歓迎のようだ。

 この小説家氏以外にも、何人か、この件で言及しているクリエイターを見かけた。クリエイターオタク出身が多いだろうけれど、しかし一人残らず、とまで言えるかは微妙であったけど、相当数が表現差別性をめぐって議論が持ち上がるとほぼ確実に「そんなのどうした」と切り捨てる側に立っていた人たちばかりである。それ以外のことでは割とリベラルな態度の人でさえそうである。そういう人が、「あれは差別でないなんてけしからん」「あらゆる差別をいけないといいたい」「自分の気づかない差別について提起されたらどんどん理解していきたい」などと言っているのだ。それはあなたが、フェミニズム運動家などの言説に対して取っていた態度である自分で気づかないのだろうか?

 余談ではあるが、後者の主張はすごい正論のように見えるが、相対化に明け暮れて問題点を覆い隠す格好のツールだ、と思う。こんなことを言っている人は、そのうちにあん差別こんな差別と言い出した末にポリコレ疲れだと言い出す。このダイソーで買った商品名不明電卓を賭けてもいい。2ch(当時)の人権板は、あらゆる差別をなくすための場だという名目で、部落差別の復活や地名晒しを行っていた場だった。

 こんなていたらくの上で、オタク差別性については雑だ雑だとケチをつけるツイートRTしていたりする。そしてこの小説家氏はたぶん、相対的ちゃんとしている部類である

 そーいう閉塞感。

 あとこれはさらに余談。

 俺は野間氏は嫌いなんだけど、関わってる運動が形になることに関しては確かに上手いんですよね。

 どれくらい中枢でかかわってたのかとか知らんので「運動を形にする」とまでは言わんけど、例えばしばき隊を軸にしたカウンター反ヘイトスピーチ法に結実したし、SEALDs最近のあの手の運動としては異例の存在。反原連だけはよくわからない。自分あんまり反原発じゃないからかもしれない。

 そのへんのところは、ちゃんと考えた方がいい気がするんですよね。

 というのも、野間を嫌いなあまり政治的立ち位置が狂って行ったオタクな知り合い、って何人か目にしてて、そういう社会運動の現状ってよくないなあと思うんですよ。

 それまた閉塞感、というか。

2017-08-06

https://anond.hatelabo.jp/20170806104140

ココログの方が出来る人は集まってると思う。

ニフティサービスからパソ通時代の人なんか愛着持ってそう。

パソ通時代は本当にパソコンやるのにお金必要だったと思うし、そういうのを楽しめるのは新しいもの好きだろうし、頭もいい人ばかりだったと思うので、

情報の内容も洗練されてたんだろうなと予想。


それと比べるとはてなイナゴオタク庶民的よりちょい上ぐらいだったかな。ほぼ庶民

今は大衆化って感じ。

2017-07-07

https://anond.hatelabo.jp/20170706222437

昭和60年まれ

毎日日刊ゲンダイを読んで育ち、2chなどが生まれるより前にパソ通阿修羅掲示板に入り浸ってたから、ネトウヨなんぞに感化された時期などない

ちなみに2chは開設当初から参加してたけど、2000年代前半にID制が導入されたあたりからからさまにネトウヨIP変えまくって投稿して

「俺らの同志はこれだけいるんだぞ」とヘタクソな分身の術で多数派工作やらかしてきたあたりで冷めてやめた

2017-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20170527195305

ネット一般化する前から広まっていた言葉から、当然ネットでも2chが出来る前の段階から使われてたという話だが

つーか2ch用語だなんて初めて聞いた

せめてパソ通用語とか言うなら分かるけど(それも誤りだけど)さあ

2017-02-09

http://anond.hatelabo.jp/20170208105212

ネット日本語圏が匿名なのは日本社会の旧来の社会慣習が、権威体との連繋や高い社会的地位/肩書を持たない平民に名と顔を出して自分を主張することを許していないからであって、2chなどの出現と繁栄は、そのことの現れでしかない。

1995年頃に世界的に特異だった日本語インターネット実名強制を打ち破ろうとするパソ通勢力との戦い——「匿名化戦争」を戦っていた者として、ひろゆき責任を押しつけようとする動きにはガクゼンとする。

2016-09-11

http://anond.hatelabo.jp/20160911001009

そんな馬鹿が白い目でみられたのがまともな時代

支配力を握るのが今と言う時代

という「話し」だよ。

 

まあ、俺もそんな年寄りじゃないから、本気でクソオタがたこ壷やってたパソ通時代とかは知らんがね。

2016-04-22

前略、はてな様。(前編)

まずは、大変遅ればせながらはてな上場おめでとうございます。2ヶ月遅れですが。

私は一、はてな無名ファンです。

先にお断りしますと、この文章は長いです。12,000文字近くあります。そう言えば最近「長すぎて読めない」ってタグ見なくなりましたね。

元々は数日前に自分のブログに投稿したのですが、アイコンを見てもIDを見ても誰にも認識されていないであろう私がこんなことを書いているのも気持ち悪いような気がして、衝動的に消してしまいました。そんな文章ですが、せっかく書いたので思い返して増田に投下します。それでも交流のある僅かな方からは、「あ、あいつだ」とすぐバレると思いますが、全く構いません。

大げさな振りをしてしまいましたが、この、はてなの世界からゆるやかに距離を置こうと思いまして。

ハイコンテクストな話題で、関係者でも有名ユーザーでもない私が語るには随分と分不相応であろうことは承知しているのですが、私は人知れず長年このはてなという会社とそのサービス利用者でした。たぶん、相当熱心なファンのほうだと思います

しかしこのはてなという界隈、おそらく長年世間一般的には「俺ははてなが大好きなんだー!!」とはなかなか言い出しづらい雰囲気と言いますか、一部一種のギークナードか?)臭さみたいなものから逃れられないセグメント感があったために、公の場であまりそれを声を大にして語る機会が無かったという状況があったような気はしています

勝手な想像ですが、よく言われるとおり先日上場した株式会社はてなとしてはきっと、そういった閉鎖的なカルチャーからの脱却を図る必要があるのは事実なのであろうと考えています

私は「はてな界隈」という自然発生的な、「インターネット好き」が作ったプラットフォームコンシューマージェネレイテッドなコンテンツが組み合わさってできた若干マニアックな文化がとても好きで、かつてインターネットに期待していたワクワク感のようなものを自分の感性ともっとも近い形で目指している会社だなと思っていたので、はてなを好んで使っていた理由も、今これを書いている理由も、サービスが向かう方向性とのギャップが発生したということで仕方ないのかな、と考えてはいます

回りくどい書き方ですが、つまり、ここ最近(数年)の急激な利用者層の変化、人気ブログホッテントリに上がってくる記事とその使われ方の変化、新たな利用者層との精神的摩擦に疲れて消耗するのが嫌になった、ということです。

私は自分の楽しみのために自分が面白いこと書き、読むっていうスタンスで自分のスペースを使ってきたので特定のユーザー群を非難するのはその趣旨とズレるし、メタな「ブログ論」を書くつもりは無いんです。なのでわかりやすバズワードは書きませんけど、要は、そういうことです。お察し。


ここまで書いておいてから自己ツッコミを入れますが、私がここでこんなことを書いていても、おそらくそれほどの価値は無いのでしょう。

私は長年使っているとは言いながらも、所謂はてな村」と言われるような有名ユーザー層に所属するようなアカウントではないし、特別人に見られるコンテンツを上げていたわけでもコミュニケーションを取っていたわけでもないし、こんなことをグダグダ書いていても「知らない人。気持ち悪い。」で片付けられてしまうような気はします。

コンテンツもお金も落としてもいないアカウントですので、ある意味運営側の立場から見れば、「うるさいことだけごちゃごちゃ言って全くサービスに貢献しない面倒くさいアカウント」あるいは「フリーライダー」と言われても仕方がない気がします。

これは別に被害妄想を語っているわけではなくて、自分がサービスを利用して得たメリットと、お客さんとしての価値を第三者的に見た時、そういう風に判断されてしまっても仕方ないかな、と冷静に思っただけです。

最近はてなブログブクマを見ていて、「これは自分には合わないな」と思ってケチを付けたくなる機会が多くなってきたことと、でも、ケチを付ける発言力(あるいは権利)のバランスを天秤に掛けて、ああ、もう自分が楽しく見ていられる場所ではないのかな、と感じることが増えてきたことと、単なる1ユーザなのにそんなことを考えてしまうこと、考えさせられてしまうことが嫌になってきてしまったということがあって、こりゃ、私の居場所はもう無いのかもしれないな、と思いつつあるということです。

かつての掲示板サービス群から始まってブログランキングやら、SNSやら、インターネットサービスではいろんなところでこのような文化の変遷みたいな場面は見てきたはずなのだけれども、思ったより自分の生活の大きな部分にはてブが入り込んで浸透していたことに自分でもかなり驚いていますね。

前提としてなぜ、こんなマイナーキャラの私がそこまで一、ネットサービスに入れ込んでいたのかについてちょっと語らせてください。長くてすみません

私のはてな歴は12年くらいです。長かったらどうだというわけでは無いのですが、はてなを知ったのはまだ人力検索しか無かったころで、自分が実際にユーザーになったのは例の「日本人にはブログより日記」のちょっと後、「はてなダイアリーはてなブログに名称変更」とかエイプリルフールネタでやっていたころです。最古参ではなくて、ブログブームの頃に「はてな界隈」を意識するようになったので第2世代くらい、ということになるのでしょうか。

その後アカウントが一回変わっていて今のIDは5、6年くらい前に取りなおしたものなので、おそらく古参ぽさは無いですね。

はてなには他社のサービスと比べてとりわけIT系ユーザー比率が高いと思いますが、私もそうです。一貫してネット関連ですが完全な同業というわけではなく、何度か変遷を経て今は流通系事業会社インターネット事業担当になったというキャリアです。

はてなのサービスを認識した時はちょうどMovableTypeの2.6あたりが日本でも流行りだした頃で、「Web日記がhtml無しでこんなに簡単にできるなんて!」「コメントとかトラバとかすげー!コミュニティ作れまくり!」とかっていう話題で日々興奮していたのを覚えています90年代後半からネットは見ていたけれど、これからいよいよ「普通の人」にもオープンに普及していくんだなー、と夢描きながら仕事で、あるいはプライベートでどう活用しようか考えていたんですよ。「Web2.0」より2年前くらいのことですね。

その頃、ちょうどあるECサイトコミュニティサービスの担当をしていたんですね。いろいろやりましたよ。掲示板サービス炎上して閉鎖に追い込まれたり、画像著作権で揉めたり、ブログが使えるようになってからは、「ブログ商品の宣伝を書いてリンクを貼ってくれたら100ポイント!!」とかい現代であればGoogle警察が1日でぶっ飛ばしにくるようなプロモキャンペーンもせっせこ考えては公開してました。更にその後はOpenPNEベースのmixiっぽいSNSをやったりとか。

今考えるとうわーっていう企画も多かったのですが、おおらかながら大真面目にやってたんですよ。まじめに、ライトユーザーに使ってもらうにはどうしたらいいかとか、コアユーザーがどう伝搬してくれるかとか考えてました。その頃は(ネット上のマーケティングにおいては)セグメントの乖離とかそういう問題も今ほどは研究されていなかったし、たぶん自分でもまだ十分理解できてなかったんですよね。私はそんな感じの人間です。


自分語り方面脱線したので話を戻しますが、ブログブームちょい前の頃、世の中で出始めたブログアカウントを片っ端から取っては試すということをやっていたんですよ。ココログはてダから始まって、livedoor、goo、ExciteSeesaaJugem、FC2、楽天、MSN、ドリコムウェブリブログドブログYahooヤプログ、アメなんたら……

でですね、そのときにはてなの特異性に気付いたわけです。

なんだこりゃ、殺風景サイトだなぁ、なんか研究室みたいだなぁ、システム屋くさいなぁ、ってのが当時の正直な印象です。まったく間違ってないと思いますが。

ダイアリー以外の他のブログサービスはだいたい大手キャリア系か、大手ポータル系か、大手ホスティング系のいずれかじゃないですか。実際仕事で関わることがあったのはそういった会社さん達だったわけだったんですけど、私個人的にはこのはてなダイアリーってやつにとても興味を持ったんですよね。

純粋にIT系オタク集団(失礼)がコミュニティで勝負するっていう構図のサービスがすごく面白いなって思いまして、当時から実際にIT系のギーク技術記事とか、濃厚なネットのいざこざとかそういうのがぐちゃぐちゃと集積されつつあって、うわぁ危険と思いながらもはてなだけは明確に識別して見に行く感じになってたんですよね。

人力検索もそうですが、アンテナとか、キーワードとか。私はネットコミュニティをやりたくてこの世界に入ってきた人間なので、人と人をつなげるサービス、というコンセプトに対して面白いことをやろうとしている人達がいるんだなーって思ってたんです。こんな殺風景非コミュ論壇だらけのサイトなのに。なんだかそのギャップがまたすごく居心地が良くてね。よく閉鎖的って揶揄されるはてなですけど、私はそんな風に思ったことなかったな。

そう、私は村感というよりは、僻地の秘境だけどここは自由でオープンだ、っていうように感じていたんです。

今はなおさら顕著ですけど、その頃って既にインターネットサービス外来大手サービスに集約されつつあったじゃないですか。ブログにしたってMovableTypeWordpressも外から来たものだし、MySpaceとか、Facebookもそうだし、その後の流れって周知のとおりって感じじゃないですか。強いて言えばmixi……はやっぱべつにいいや。

そんな中、日本ドメスティックな小さなネットベンチャーが純粋なコミュニケーションの仕組みだけで世界観を醸成して、しかも生き残るっていうことに夢を感じたんですよ。まあ、ドメスティックっていう部分について言えば、jkondoさんが渡米した時期とかあったなぁ、とかあるんですけども。

はっきり告白しますけど、私のような自分で新しいプラットフォームを開発するほどの実力が無い中途半端ネット屋にとって、超恥ずかしながら彼らはヒーローだったんですよ。jkondoさんやnaoyaさんは私とほぼ同い年ですけど、勝手に同世代ヒーローだと思ってたんですよ。

はてなブックマークソーシャルブックマークという概念を身近に体験した時は「単なる『お気に入り』じゃなくて、興味を持ったものについて何時でも語り合える世界が作れるんだなあ」ってリアルに衝撃を受けたし、スターが登場した時は(FacebookTwitterより前に)これ、シンプルだけどもしかして世界を幸せにする機能じゃね?って感動したりしましたよ。

だいたい、jkondoさんはすごいんですよ。私など勝てる要素が無いですよ。スプリントでもロングでもヒルクライムでも絶対勝てないですよ。山も強いし、みんな山手線一周1時間48分てできます??サラッと書かれてたけど、メチャクチャ速いよ!!俺も何度もやってるけど、大真面目にやっても3時間切るのだって大変だよ。明治通り中央通りはともかく、田端駒込あたりの裏路地とかどうしてたんでしょうね。メッチャ危ないよ!!つか、あの頃の自転車クラスタみんなどこ行っちゃったんでしょうね……

何の話でしたっけ。そうそう、趣味が合いそうな人達が集ってるっていう話でしたね。

私の文章は、テキストサイトからアルファブロガーあたりまでの文章にめちゃくちゃ影響を受けていると思いますちょっと極端なことを書いたら「フロム先生の真似か」とツッコまれてドキッとしたり、写真クラスタの真似をしてやたらでかい写真を並べてみたり。最近は年に一回お正月だけに現れるmk2さんの文章を見ると涙が出そうになります。長文には慣れています。必死に調べないとついていけないような技術論議や、内蔵をさらけ出して書いたような、編集が入った本では読めないようなブログを読みたいし、そういう記事でみんなが共感していく世界が見たかったんです。

はてなブログ目次記法は便利だと思うんですけど、他所ニュースサイトに貼られた記事を引っ張って目次を並べていかがでしたか?なんていう記事を、私は単純に面白く読めないんですよ。「参考になりました!」じゃねーよ!!ならねーよ!!残念すぎるだろ!!なんて思ってたんですよ。

ここまでで既に5,000文字を超えてしまいましたが、話が飛んでしまったので一旦元に戻します。

まり、そういった「自分の好きなものを好きと言う」「好きなものを選んで、好きなものを見て共感する」という、人の本能的なコミュニケーションの楽しみの源泉のようなものを、私は求めていたんだと思います。自分の背中に正直な、泥だらけのスニーカーで追い越すような体験を期待していたんです。

もちろん、どんな時代にだって人と人のコミュニケーションにはいろいろあって、変わらないものがたくさんあるんだとは思いますよ。パソ通の時代だって、BBSの時代だって、初期のブログだって、「読みました。記念カキコ☆」はあったし、コメント欄で交流が繋がって新たな友達ができるという興奮だってあったし。

最近はてなだって、今、その興奮を新たに体験して純粋に喜びを感じている人達がいるはずだしそれはもちろん喜ばしいことなんですけど、さすがにこの情報過多なご時世なので、ツールと場所の管理と運営をしっかりやっていかないと、純粋な喜びを埋もれさせず、コンテンツの品質を保つのは相当に厳しいなという実感はありますね。

一般化、大衆化、というものはだいたいそうで、単純に「この村も昔は良かったのに」っておじいさんが言っているっていうような話ではないと思うんですよ。

こんなことを話している私自身が既にネット上では「古い側」の人間になっているのかもしれませんが、個人的には、「はてな村」とかって言われている界隈にそれほどイライラするような内輪感を感じたことは無いんですよね。実際にひどい攻撃的な言葉が飛んできて嫌な思いをしたことだってありますし、慣れ合いとかってのは昔も今もあるわけなんですけど、だいたいは好きなことを好きなように書いた、っていうモチベーションによって書かれた記事は、面白ければ当たるし、面白くなければ流行らないわけじゃないですか。読む側だって気に入ったら読めばいいし、気に入らなかったらスルーすればいい。だいたい、広い世界で見ればごく一部のできごとだっていう側面もあったわけじゃないですか。

だから、一定の、嘘を嘘と見抜ける程度のネットリテラシーさえあれば、海水浴場の中に浮かぶ邪魔漂着物があっても、農耕地が石だらけで荒地になっていても、単に避ければいいだけだって思ってたんです。

むしろ、良い記事にフォローが集まったり、ひどい記事はひどい記事でそれに集まった批判が有益だったり、そうやってやり取りを応酬する中で集合知として収斂されていくという光景は、みんなで海を掃除したり、畑を耕していくような感覚を覚えていつもネット醍醐味であり爽快ですらありました。


……でもね。最近の例の動向はちょっと様相が違っていて、私のようなユーザーにとってはもうちょっと見ているのが厳しいな、というのが本音です。商業的なまとめサイトが場を汚染している、というような話であればユーザーコミュニティによるチェックと自浄作用が働きますはてブうまいことそういう機能果たしてきたと思うんですよね。

でも、ユーザー側のほうで「良いと思ったから良いと言った」というお気に入りによるキュレーション機能が働かず、返報性の原理によるコミュニケーションが中心の場になってしまったら、今のままのはてブでは、(コメントツールとしてはともかく)少なくとも情報ツールとしての価値は大きく毀損されます。これは、ユーザーモラルもありますが、サービス構造上の問題として避けられなかったことだと思うんですよね。


海や畑が全部「あれ」になったら、もうどうしようもないでしょう。もう去るしかない。

この問題についてはさんっざんぱらたくさんの人に書き尽くされているのでここでは書くつもりないんですけど、小遣い目的で面白くない記事が量産される、共有のヘッドライン専有されて他のユーザーに影響を及ぼす、内容に関係なく相互フォローする、これらは本人の意識あるなしに関わらず、関係ない人から見たら無益です。

これについてルール違反がないのならば、サービス品質を維持するための運営/システム側の構造課題を疑ったほうが良いし、ユーザー側についても、一部の炎上チャリーンで喜ぶようなやつは単なるスパムなのでこれは単純な絶対悪ですよ。

別にネットの世界で今始まったことじゃないんですよ。むしろはてブ牧歌的で今まで性善説でよくやってこれたなっていうレベルじゃないかと思いますTwitterでも「相互フォロー推進委員会」とかあったなあ。一方的に何百人単位でフォローしてきて、ふぁぼりまくって、こっちが反応しないと砂をかけて去っていくようなのが……

ただそういう人達ごにょごにょ楽しくやってるだけならどうだっていいんですけど、今はホッテントリが明らかに使いづらくなっていたり、更には他のSNS経由でこの界隈の記事が流れてきて反応したらおかしなことになったり、実際にそういうことが発生しだしているんですよね。これが結構精神的にくるものがあるんですよね。

というわけで、そういう一団がこのサービスのほんの数%、もしかしたら0.数%の人達であり、ほとんどの普通の人は何も気にせず普通に自分の日記を書いているんだ、てことはわかっていても、でももう気持ち的にこの界隈と一緒の世界でブログを書くのは無理かもしれない。既に古参と言われる人達がかなり去っていっているし、生き残っている人達も読者層が急激に変わっていたりとかして、なんていうか、見ててつらい。

最近、ある有名人ブロガーブログを読んでいて、半年前にも同じテーマで書かれたことがある記事がホッテントリに入っていたのを見たんですけど、ふとブコメを見てみたら、半年前の記事と反応のコメントが全然違くてびっくりしたことがあったんですよ。よく見ると、並んでいるアイコンがガラリと変わっていることに気づきました。読者層が急激に入れ替わっているんですね。

この人はムラ社会に寄る人では(読者から見たイメージでは)無いし、長い人とも新しい人ともバランスのいい関係を築けていてすごいなあ、と思っていたのですが、図らずも急激に「有名人」として新規層の神輿に乗せられているように見える状態になってしまって、一方で彼自身は広告収入で儲けているようなブロガーではないし、内心複雑な気持ちなんじゃないかな、とか勝手心配をしていたりします。そういう人、何人かいますよね。余計なお世話すぎるとは思うのですが。

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すみません、長すぎて登録すると切れてしまうので、途中で切ってトラバで繋げます

あれから20

1979年まれ子ども1歳。来週から仕事復帰する。

大学入学とともにインターネットに触れ、ネットの隆盛をウォッチしてきたつもり。

貴重な時間無駄にしてしまったとも、時代の変化をリアルタイム体験できた唯一の世代ともいえる。

ネットに触れる前、1995年は、阪神淡路大震災地下鉄サリン事件Windows 95発売と、今につながる転換点となる大きな事件があった。

アニメ新世紀エヴァンゲリオン」は、1995年10月1996年3月放送。今年は、TVエヴァ最終回から20年でもある。

当時、声優緒方恵美さんのファンだったので、初回からビデオで録画し、各話とも何回も何回も繰り返し見た。

今週、口腔外科の1泊2日の手術のため、入院することになり、Kindleセール時にまとめ買いした「貞本版エヴァ」を最終回まで初めて読んだ。

実は、コミックは当初の数巻は買っていたが、発行の遅さに購入をやめていた。

読みながら、アニメ版セリフカットが蘇る。後半は1997年上映の劇場版のシーンが浮かぶ。

媒体は紙ではなく電子書籍になり、当時は存在しなかったスマートフォンでページを送る。

一部のアニメファン声優ファン熱狂していた当時、誰がこんな未来を予想しただろうか。

しかも、エヴァマニア作品ではなく、ネット上ではスタンダード作品に「昇格」した。

1995年は、「エヴァ放送前は「ガンダムW」が人気を得ていた。

エヴァ」がなければ、アニメマンガはもちろん、ネットエンタメ全般トレンドも今とは違っていたはず。

毎週、画質の汚いビデオテープを繰り返し再生し、セリフを覚えるまで見て、大げさではなく、人生が変わった。

物議を醸した最終回放送後、ラジオ新聞も取り上げるようになり、世間も騒ぎ出した。

一般的には旧劇場版新劇場版のほうがムーブメントだと認識されているかもしれないけれど、

誰が何と言ってもエヴァのピークは1996年3月。とにかく20話以降、続きが気になって仕方なく、毎回、衝撃的だった。

ファン同士のつながりは、アニメ誌だけ。パソ通では盛り上がっていると聞いたが、触れる手段はなかった。

あれから20年、コミック版を見て、週1回放送の「テレビアニメ」だったこそ、ハマったと感じた。

声・音楽抜きで、ストーリーだけ追うと、陳腐で、今となっては、それほど新鮮味はない。

ただ、貞本義行氏の絵の時にエロティックな巧さに感心した。

特にミサトと加持のからみは、出産後、恋愛感情消失した身には、眩しく羨ましかった。

貞本エヴァの主役は、トラウマに囚われた大人子どもミサトに思える。

名作と呼ばれる作品は、後から評価されるパターンもあるけれど、時代とのリンクが大きい。

エヴァ」は、当時、学校や親との関係に悩んでいた人の心の支えだった。

新劇場版は、毎回、見ているけれど、TVアニメリアルタイム視聴時の熱さには及ばない。

いっそ、子どもと一緒に映画館に行ける日まで、完成しなくていい。

10年後、「あれから30年」と振り返る頃、自分はどうなっているのか、アニメファンが目立つネットはどうなっているのか。

スマートフォンが普及し、よりリアルタイム性が重視されるようになった結果、

コンテンツの大半は消費するものになり、「心の支え」にはならなくなってしまった。

未来は予想しない方向に転がっていく。生きることは、歳を重ねるごとに厳しくなる。運転ミスは命取りになり、仕事で失敗したら貧困に転落する。

今も昔も、現実世界他者は、「助けて欲しい」「悩みを聞いて欲しい」という叫びを聞いてくれない。

ネットいくら検索しても、答えはどこにも見つからず、一人で頑張って解決するしかないと悟ったけれど、いま、とても不安だ。

貞本版では意図的に削られているけれど、何度も「逃げちゃダメだ」と自分に言い聞かせて生きてきた。

死ぬまで、ずっと、この言葉を繰り返し続けるだろう。ありがとうエヴァ

2016-01-24

ネット一人称問題

これって前から問題にされてるんだろうか?

パソコン通信時代からネットやってるんだけど「私」っていう一人称の使いにくさ

Twitterはまあいいんだけど

匿名性ある場所か、チャットルームとか入って「私」だと女?女?ってなるじゃん

でも「俺」とか使いたくないじゃん

パソ通時代だったら女子めずらしかたからまあわかるんだけど

この時代ネットやってる半分が女子なのになー

パソ通時代若かったしなんか腹立って毎日一人称変えてた(「朕」とかまで持ち出してた…今考えると若気の至りである

海外みたいにあいまいみーまいんですんだら楽なのになー

ネットが普及してこそ必要日本語ってなんかある気がするんだよなあ(一人称問題についてはもう遅い気がするけど)

2014-07-04

http://anond.hatelabo.jp/20140704131157

もう10年以上前からでしょうなあ

パソ通時代の「オフラインミーティング」の、「リアルでは初めて会うけど、オンラインではよくやりとりしていて既に内輪な間柄」というあの不思議な感じが懐かしいなあ

2013-10-26

http://anond.hatelabo.jp/20131026121250

月額250円?のダイアルアップ(ほぼメールのみ会員)が、収支を圧迫しているんだろうと推測。

古参ユーザーパソ通プロバイダメールのみの契約に移行というパターンダイアルアップ会員になってしまう。

webメールはそれなりに使いやすいし、昔のメアドが維持できるのはうれしい。

約款はニフ社が勝手に変更できるのだろうけど、料金プラン設計ミスユーザー押し付ける発想が時代遅れ

銀行への手数料の支払いに問題があるならば、年額払いにすればいいのにね。

2013-08-30

色々やってみるのが好きなのだ

 パソ通してブログやって掲示板各種やって

Mixi、顔本、スカイプツイッターTumblrって

一通りは触ってきたけどちょっとやる気がなくなってきてしまった。

そんなわけで今更だけど、はてな世界へ飛び込んでみる。

ひたすら文字だけ装飾も何もなしって世界も久しぶり

2013-08-08

学歴とうちらと炎上の話

店長視点は、学歴というか、昔で言うヤンキー層が冷蔵庫事件の主役になってるので、ここをターゲットに掘り下げている。

これに対して、官僚政治家が色々と問題を起こしているんで、学歴に限った話ではないという事がいろんなブログで取り上げられている。

私が思うのは「うちら」という概念(正確には自分がそういう概念を持っていることに気付かない客観性のなさ)は、教育過程で「周りの目を気にするように」仕向けられた人間が気付くものであって、

学歴関係くそこに嵌る人間はいるということではないかということ。

からこそ学歴でくくって自分関係ないとたかをくくるのが危険と、まあ色んな人がそこが気になるのだと思う。

ただそうすると、ネット炎上以外にいろんな危険はあると思う。ウイニーとか、マスコミ相手の失言とか。

また、まとめブログ、娯楽としての炎上を求める人達存在が気になる所でもある。

ただ、今回の炎上に絞って考えてみると、学歴とか世代以外でざっくりくくれる要素があるんじゃないかな。

とりあえず、インターネットについてパソ通の流れから来てる人達90年代から触れた人達、ここから見ると、大きく隔ててスマホから入った人達、というのが特異で、

こういう人にうまく教育するのが、前者にとって難しいってのはあるんじゃないかな。自分たちがきっちりと教育機関で学んだわけでもなく、常に断片的に学んできたもんだから

2013-04-10

はるかぜちゃんとか。

にぎわしていると見せかけてそうでもない。

世間一般だったら知らない人の方が多いんじゃないだろうか。

テレビとかほぼ出てないんだし。

彼女のことを賢いって言う大人は、どんだけアホな子供だったんだろう。

もしくはどんだけアホな子供しか見てないんだろうと思う。

いや、彼女が5歳やそこらならまだわからなくもないけど、中学生だよ。

中学生なんて、多分みんな自分で思ってるよりずっと賢かったはずだよ。

少なくとも、彼女と同程度かそれ以上に賢かったはず。私はそう思う。

の子なんて情報の中にいるんだからもっともっと早く「賢く」なってると思う。

今「大人」と呼ばれてる世代の人のほとんどが、

彼女くらいの年のころに「世間様にアウトプットするツール」を持っていなかったはずで、

たまたま彼女はそれを持っていて小さいこから使ってた。

今の「大人」が同じくらいの年のころに同じようなツールを持っていたら

きっと彼女のような意見を出す人はいたと思うよ。

なんとなくだけど彼女は多分もう辞められないんだろうな。

その昔私がまだ小学生で世の中にPCがようやく普及し始めたくらいのころ、

新しいもの好きの両親がPCを大枚はたいて買った。

ただのふつーの一般家庭の小学生だった私ですら、

大人のフリしてパソ通やって「えー、大人だと思ってた」だのと言われてたもの

文字の世界で「大人のふり」をするのはすごく簡単なことだよ。

そして「大人の意見」を言うのもとても簡単。

だって責任なんてないんだもん。

無責任に大人のフリをして、周りの大人に持ち上げられることほど気持ちのいいことはないよ。

誘い受けバリバリに見える彼女ツイートを見てたら、

「大人だよね」

「大人顔負けだよね」

「賢いなあ」

「すごい!」

という意見を読んでにやにやしてるんだろうなぁと思うよ。

アンチと呼ばれる人たちは「えー、あの子普通でしょ」って言ってるだけなんだろうなぁって思う。

別に普通だよ。小学校高学年くらいの女子なら。アレくらい。

2012-05-17

http://anond.hatelabo.jp/20120515220559

ちょっと違うかなぁ。

こーゆー割りとどうでもいい系の問題の議論が熱く炎上するのは、

ネットニュースパソ通時代からよくありましたよね。

それこそ、引用コメントの書式が見づらいだとかで、頭に血が登って延々と罵り合う人達

昔の方が沢山いた気がします。

多分今回騒いでいるのもリテラシーが高めの人達で、ジョーク記事自体を問題にしているんじゃなくて、

「嘘記事に騙される情弱がいちいち反応するのがうっとおしい、タイトルに嘘って入れとけよ」

ってことなんだと理解してます

それに対して正当な反論やら読解力の足りてないズレた反論やら、感情的人格攻撃やらが

入り混じるのも昔から風物詩ですな。

私自身は、確かに情弱ちょっと目障りに感じる事もあるし

タイトルに【虚構新聞】って入れるぐらいの対応だったら別にやってもいいんじゃね、

って感じです。

2011-09-19

http://anond.hatelabo.jp/20110919123315

観測範囲の問題としか思えない

パソ通2ちゃんもいろいろあるわけでどうやって右翼度を判断したの?

たまたま自分がいたところがそうだったってだけで行動を共にしてない他人に説明できるもんではないんじゃないの?

http://anond.hatelabo.jp/20110919115721

元を書いた者です

右傾化したというのは、ずっと前の初期のインターネットや、古くはパソ通の頃に比べてという意味です

パソ通リアルタイムでは知りませんが。

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