はてなキーワード: ディフェンスとは
多様性を認められない組織は瓦解しますよ - id:motinoyaketru3
ブコメページ - 木原みのる(木原稔) on Twitter: "残念ながら教育現場に中立性を逸脱した先生がいます。18歳の高校生が特定のイデオロギーに染まった結論に導かれる事を危惧してます。そこで、学校教育における政治的中立性についての実態調査を実施します。皆さまのご協力をお願いいたします。https://t.co/NZH1bOXCOR"
逆。本来は上司が部下を守る。ヤクザもそう、最後に体を張るのは組長。日本の労働者は奴隷根性が染み着きすぎてる。 - id:akikonian
責任が取れるというのは問題が生じた時に被害者にきちんと補償ができるということであって,担当者がクビになることではないよ。大手メディアほどの資金力が個人にはないという意味でなら正しいかもね。 - id:nakex1
誰かが休んだら回らない会社は無能の集まりというのは本当のようだな。 - id:molytack
日本は人を育成しない。ふるいにかけているだけ。それを育成だと勘違いしている。そして自分の指導法が正しいと思い込みたいがために、出来ない子達を強く責め否定する。 - id:punkgame
ブコメページ - 朝練、球拾い、応援団… 元スペイン代表GKが唖然、日本の育成年代に抱いた疑問 | THE ANSWER スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト
小中高、ずっとまじめに授業を受けていたが結局ゴロシュートしか打てなかったんだよね。
球を浮かせる蹴り方をどの先生も教えてくれなかった。
そんなん教えなくてもわかるだろって考えなんだろうな。
まぁ実際8割以上のやつはわかってたんだろうな。授業じゃなくてもみんなサッカーぐらいやってるもんな。
シュートのテストの時もインサイドキックかトゥーキックでコロコロシュートですよ。
ゲームするときだって、なんかとりあえずやってみればって感じで、経験者以外はボールにたかるハエみたいなもんだったよ。
フォーメーションとかディフェンス理論とかなんにも教えてくれないもんな。
サッカー漫画で相手の身体に寄せていくディフェンスを学んで始めてサッカーっておもしろいかもって感じましたね。
番号 | 選手名 | 所属チーム | 試合結果 | 対戦チーム | 寸評 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 東恩納寛太 | キヤノン | 24-26 | ドコモ | スクラムで相手を圧倒、最前線で体を張った |
2 | マルコム・マークス | クボタ | 43-17 | サニックス | 本領発揮。圧倒的なアタック力で試合を支配 |
3 | 三宮累 | Nコム | 41-13 | ホンダ | 序盤の劣勢をスクラムで跳ね除け快勝に貢献 |
4 | ブロディ・レタリック | 神戸製鋼 | 47-38 | NEC | FW戦を牽引。一時退場時にはチームが機能不全に |
5 | フレッド・ヒュートレル | ヤマハ | 52-17 | 日野 | 20歳がデビュー戦で3トライ。将来の日本代表? |
6 | リアム・ギル | Nコム | 41-13 | ホンダ | 全ての局面に顔を出すNコムの真の中心選手 |
7 | クワッガ・スミス | ヤマハ | 52-17 | 日野 | 理想の7番。「ジャッカル」が「クワッガ」と呼ばれる日も近い? |
8 | ヴィリー・ブリッツ | Nコム | 41-13 | ホンダ | 力強いアタックで牽引。マフィ不在も問題なし |
9 | TJペレナラ | ドコモ | 26-24 | キヤノン | 圧巻、真のワールドクラス。チームに勝利をもたらす選手とは正にこの選手 |
10 | アレックス・グッド | NEC | 38-47 | 神戸製鋼 | プレーと声でチームを統率。大国の10番の風格 |
11 | テビタ・リー | サントリー | 75-7 | 三菱重工 | 5トライ。サントリーのバックス陣にこのフィニッシャー、強すぎる |
12 | マリティノ・ネマニ | NEC | 38-47 | 神戸製鋼 | バックスを牽引。巧みなランで神戸製鋼を翻弄 |
13 | ディラン・ライリー | パナソニック | 55-14 | リコー | パナのバックスの中心。パワーとスピードで相手DFを崩した |
14 | 茂野洸気 | ドコモ | 26-24 | キヤノン | ボールを持てば細かなステップで確実にゲイン。勝利に導く見事なトライ |
15 | サム・グリーン | ヤマハ | 52-17 | 日野 | キック、アタック、ディフェンス全てが高次元。五郎丸の出番は来ない? |
※知らない人向けというより知ってる人が検索で見る用。
序盤から相手のタイプが完全にファイタータイプだったので、斎藤くんは前蹴りで突き放しながらストレート系を軸にして戦うべきだった。
ところが斎藤くんは相手の距離で、しかも相手の得意なフック系を中心にして戦ってしまう。そこで相手のロングフックが面白いように"刺さり"、斎藤くんのぶんまわしフックは体が流れて全くヒットしない。はっきり言って相手選手もうまくはないんだけど、フックの軌道が横からではなく80度くらいの角度で飛んでくる鋭いフックだった。肩甲骨も押し込まれていたので結果的に身長差のある斎藤くんに面白いように決まってゆく。
斎藤くんの失敗はまだ他にもあり、左ミドルで距離を稼ごうとしたこと。
言うまでもなく全くストッピング能力がない。左がきれいに蹴れて威力が出てるから相手が嫌がる、という感じでもない。また、近距離では(おそらく膝なしルールのはずなので)ローとガード、クリンチを組み合わせて戦うべきだった。途中海の指示で左に回っていたように見受けられるが、セコンドの指示を聞くのも遅い。以前から斎藤くんは直進とバックステップの出入りが単調すぎるきらいにあったので、あの指示は全く正しい指示だと思う。ただ、回り方はあまり良くなかった。天心を見たらわかるが、相手のパンチの大ぶりを狙って引っ掛けながら回っている。しかし斎藤くんは相手を見ずに回ろうとしていた。当然相手の視線は回り込んだ先を見て追いかけてくるし、スタミナ消耗は動いている分激しくなる。ボクシングで無駄に動くな、と言われる悪い動きをそのままやってしまった。
上手い人なら左右ぶんぶん丸はカウンターの餌食なのだろうけど、流石に斎藤くんにカウンターパンチャーになれというのは無理なので、いっても仕方ないというか。
ディフェンスがかなり悪いのも気になる。テクニカルなダッキングやヘッドスリップしろとは言わない。ただ顎が上がらないように両腕ガードでしっかり頭を守るという昇侍選手が指導したことも出てこなかった。結果的に打たれるたびに顎が跳ね上がり、強打者相手にかなり危険な状態にあったと思う。一発目で顎が上がるので二発目も入り、自分の打撃の焦点も定まらなくなるという、いつもの斎藤くんだった。
将棋は楽しいボードゲームで、基本的に殴り合いのオフェンスゲームです。仮にチェスがディフェンスのゲームで、お互いに防御の構えを組み換えながら敵側の綻びを見つけ出すゲームだとすれば、将棋は蟻の一穴をこじ開け落城させるオフェンスのゲームと言ってもいいでしょう。
チェスの競技人口が一説には5億人とも言われる中、将棋の競技人口は一千万人程度とガラパゴスの様相を呈していますが、明らかにゲームとしてのバランスではチェスに勝っています。チェスの公式戦においては先手勝率が40%程度、後手勝率が30%、引き分けが30%程度なのに対して、将棋の先手勝率は50%程度、後手勝率は48%、そして引き分け(千日手)の確率は2%前後であり、引き分けの可能性がチェスに対してずっと少なく、そして先手と後手の勝率が拮抗し合っているため将棋はボードゲームとして極めて高い完成度を誇るゲームと言えるのです。
更に付け加えると、ダメ筋(明らかにダメな手)を含めた、ありとあらゆる手の組み合わせ(ありとあらゆる進行の総数)を計算すると、チェスが10の120乗程度なのに対して、将棋は10の220乗程度ということですから、ゲームとしての奥深さも将棋はチェスを上回っています。因みに、宇宙に存在する原子の総数が10の70乗程度ということなので、如何に将棋というゲームが奥深いかは言うべくもありません。つまり、ある部分において将棋というゲームは宇宙それ自体より『深い』のです。
僕は腕前としてはアマチュア初段程度で、つまりアマチュアが目指すべき差し当たっての目標点にいます。やはりアマチュア二段以上を目指すとなるとかなり強烈な努力が必要になってくる印象です。アマチュア初段は将棋を普段嗜んでいる人間の中で、上位25%前後の層を指しているとお考え下さい。
将棋の道は極めて長いです。そして険しいです。詳しくはこの「将棋の名人とはどのくらい強いものなのか:https://ncode.syosetu.com/n5490eb/」という素晴らしい記事をご覧になって頂ければよいかと思います。(この記事の作者様と私は同一人物ではありません)
将棋のプロになるためには奨励会という育成機関を通過する必要があります。この奨励会は入会すると6級からスタートとなるのですが、これはアマチュアで言うところの四段以上の腕前に相当すると言われています。しかも、この奨励会に入会するのは小学生や中学生の少年少女です。つまり大の大人が血の滲むような努力をしてようやく到達できる地点に、ある程度の凝縮された努力によって遥かに短い時間で到達できる人々、つまりは天才たちだけがこのスタートラインに立つことができるということです。
さて、当然奨励会員になったところでプロになったわけではなく、プロになれるのは奨励会三段リーグを突破して四段の資格を得た者だけで、年間に四人しか輩出されない仕組みとなっています。更に、四段になった後もプロとしてのグラデーションが存在しており、そこには才能の差という影がいつまでも付き纏います。
才能のあるプロ、つまりそんな天才の中の天才は、将棋を指す際にどのように思考しているものなのでしょうか?
先に紹介させてもらった記事では、天才達の中でもグラデーションが存在しており、将棋のトップに立てるのは本当に一握りの人間であることが述べられていました。
つまりトッププロとは、仮に将棋人口が1000万人だとすれば上位0.0001%の人間のことです。すなわち、トップの十人、それが実質的な日本のトッププロ達です。
羽生善治、藤井聡太、渡辺明、豊島将之、永瀬拓矢らがそうです。将棋を指す者達は彼らのことを畏怖の目で見つめ、時折プロが招かれるイベントなどで間近に見る際には、化け物や、宇宙人。あるいはこの世の理を超越したものを意味する視線が、彼らには注がれることとなります。
つまりは才能とは一体何なのかという話になるのですが、脳内将棋盤というのがポイントになってきます。
人は、数理的思考能力、つまりIQが140を超えると立体的なイメージをあらゆる角度から検証できるようになるという話があります。人間のある種の知的能力と、立体的な像を脳裏に生み出す能力には深い繋がりがあるということなのです。つまり、才能のある将棋指しは脳の中に将棋盤を作り出すことができ、これによってどんな時でも(つまり実際の将棋盤がなくても)脳裏において将棋の情報を扱うことができるようになるほか、将棋に関する凝縮した思考を連綿と行うことができるようになるということなのです。勿論、プロもこの「脳内将棋盤」を持っており、彼らの脳内将棋盤にはそれぞれのバリエーションがあることも有名です。
以下コピペ。
羽生四冠
「4分割(5×5中央重複)の部分図が高速で行ったり来たり。盤全体は1度には浮かばない、負荷が大きい。盤面は白、線は黒。駒は外形が無く黒の一字彫り。アマ二、三段くらいになった10歳ごろからこんな風。」
森内九段
盤駒のみの思い浮かべる事はほとんど無く背景も付随。対局中は当時の対戦相手や対局場の雰囲気まで再生。普段は自室の背景に板盤。」
「盤は黄色で1一が右上に固定されている全体図で、線は無い。楷書の文字1字だけが駒として自動的に動く。」
渡辺二冠
「ダークグレーの空間に、字の書かれていない黒に近い灰色の駒が浮かんでいるだけだが、どちらのどの駒かは分かる。」
「黒くぼやけた盤面のどこか一部だけが見えている。駒はゴニョゴニョ、あるか無いか分からないまま何かある感じ。」
「盤も背景も黒く、線の無い盤全体に文字の無い黒っぽい駒がモニョモニョ。」
(出典:AERA No.38増大号'12.9.17『天才たちの「脳内パネル」』)
さてトッププロどころかアマチュア4~5段の人々にはこの脳内将棋盤が基本的に備わっていると言われています。つまり、この脳内将棋盤は確かに、ある程度将棋の強さ(棋力)の指標となるのです。しかし、トップの人々に関してその指標がピタリと当てはまるかというと、疑問だと言わざるを得ません。脳内将棋盤というものは将棋の猛者にとって当たり前のアイテムかつ大前提のアイテムであるため、最上位層の人々の能力を測る尺度としては些か信頼性に欠けるということなのです。というか、一応奨励会三段(アマチュアではなくプロ基準の三段)ともなれば、既に常人を超越して人間卒業レベルに至っているので、やはりその中にいる更なる化け物達を推し量るには、脳内将棋盤の有無のみならず別の尺度を用いる必要があります。
つまり、その二者。単なる化け物と、化け物の中の化け物を辨別する際に必要なのは、脳内将棋盤が「ない」ということなのです。
頭の中で将棋盤が無く、視覚的なイメージに頼ることなく思考できる人々が、化け物の中の化け物にはいるということなのです。
「最初の一手……まず、角の斜め前の歩を前に一つ進めるだろ。すると、後手の相手も同じように角の斜め前の歩を一つ進める。だとしたら俺は飛車先の歩を一つ前に突いて、相手も突き返して……横歩取りの筋に合流しそうだ」などなど。
つまり、常人は基本的に画像、目の前にある将棋盤の視覚的なイメージを用いて思考しており、そのイメージを介さずには将棋を指すことができないのです。ある意味では脳内将棋盤の存在も、視覚的な情報に基づいているという点においてはその思考の延長線上にあると言っていいでしょう。そう、人は基本的に将棋を考える際には視覚的なイメージを媒介とするしかないのです。
しかし、プロの一部にはそのような思考法は――視覚的なイメージを介した思考は――あくまで「補助的なものに過ぎない」と証言する者もいます。藤井聡太や増田康宏、羽生善治などがそれらの棋士です。
では彼らはどのように思考しているのでしょうか。
将棋の符号とは、数字と文字によって駒の動きを表したものです。いわば駒の「番地」とも言われるもので、次の記事が参考になると思います。
https://book.mynavi.jp/shogi/detail/id=77758
例えば、少し前に書いた横歩取りの定跡だと以下のような記述になります。76歩、34歩、26歩、84歩、25歩、85歩、78金、32金……。このような記述の仕方は江戸時代以降から共通であり、いわゆる将棋の対戦の記録である「棋譜」は古くは数百年前のものが記されています。古い文献において、盤面は視覚的に、絵図を用いて記述されることはなく、符号を使って記述されているのです。
いちいち絵図で盤面を描き残すよりも、文字で表した方がずっと労力は少ないですからね。
以下の記述はあくまで本人らの証言を参考に記しているものであり、彼らの思考を追体験したものでは当然ないのですが、つまり彼らの思考は以下のものになります。
先程書いた将棋の符号が、将棋に関する思考を始めた瞬間にズラズラズラ~~~っと文字列で浮かぶのです。
「ズラズラズラ~~~っ」って……、と自分の文章表現力の稚拙さに絶望しそうになるのですが、そう言い表すほかない。そう、真のトッププロにおいては、文字によって思考が行われるのです。そこに画像の介在する余地は、僅かにしかない。羽生善治曰く、「思考は基本的に符号で行って、その後、ある程度局面を読み終わった後に、自分の思考を確認するために思考を画像に起こす、という作業はありますが、基本的に画像で思考することはありません」とのことでした。
先に書いた通り、画像で物事を表すというのは、文字列で表すよりも遥かに手間が掛かります。つまり、脳の処理を要します。
となれば、より情報量の少ない符号によって思考するということが、より高速な思考法として適しているということなのです。
ある意味、それは楽譜における音符の存在と似ているでしょう。というか、そのものかもしれません。音楽というものは体系化され楽譜という共有形式を持つ以前は、完全に口伝であり、人々が歌い継ぐことによってしか継承を行うことができませんでした。しかしそれが数学的・音楽的に体系化され、楽譜の形を取ることになると、そのような継承の際に起こり得る障害はほぼ完全に撤廃されることとなります。そしてこれらの音符を読むことで、人々はそのメロディーを脳裏に想起することができるようになりました。将棋の棋士もまた、それと同じ知的処理を行っていると言ってもいいかもしれません。
つまり、ドミソ、の音符が並んでいるのを見て、タララ~、という和音が脳裏に浮かぶのと同じように、将棋のトッププロたちは符号によって将棋の盤面を把握することができるのです。これは、将棋のある程度の才能がある人々には必須の能力ですし、実際に高位のプロ棋士やトップアマチュアは、棋譜を一目見ただけで盤面の進行をまざまざと思い浮かべることができると言われています。
とは言え、そのことと「思考に符号を用いる」ことはやはり一線を画していると言ってもいいでしょう。
勿論、理屈としては分かるのです。我々が音楽を継承する際に楽譜を用いたように、あるいは将棋の対局を語り継ぐために符号によって棋譜を残したように、それらの音符や符号といった記号には意味を圧縮することができ、効率的な情報伝達を行うことができるのだと。
勿論、理屈としては分かります。とは言え、それらの記号を使って後世へと情報を伝達することと、それらの記号を用いた思考を正確に効率的に実践することとは、また別問題です。
というわけで、画像を媒介にした思考と文字列を媒介にした思考とでは、効率において文字列による思考に軍配が上がるということでした。プロ棋士らによる思考の抽象化が極限にまで達すると、本来立体的な駒やそれらの視覚的イメージを用いずして思考することが不可能であったはずのボードゲームも、文字列を介した思考によって再現されてしまう、ということなのでした。実に、これは驚くべき異常性であり、そして、個人的には文化として、そして娯楽として、このような常軌を逸した営みを次代へと継承していかなければならないと感じます。
さて、ところで常軌を逸していると言えば、藤井聡太二冠の名前はもはや語るべくもなく有名ですよね。彼のインタビュー記事は相当数発表されていますから、彼の語る様々な内容について把握している方も多いかも知れません。
その中でも異質のインタビューと言えば、2020年の夏に発表された、小説家白鳥士郎氏によるインタビューでしょう。https://originalnews.nico/139502
――棋士はどなたも『脳内将棋盤』を持っておられます。でも藤井先生は、あまり盤面を思い浮かべておられる感じではないと、以前、記事で拝見したのですが。
「はい」
――では、対局中はどんな感じで考えらおられるのですか? 棋譜で思考している?
「ん……それは、自分でもよくわからないというか。んー…………」
――盤は思い浮かべない?
「まあ、盤は(対局中は)目の前にあるわけですので」
「詰将棋は読みだけなので、盤面を思い浮かべるという感じでは……」
――えっ? ……私のような素人だと、詰将棋を解くときこそ将棋盤を思い浮かべるというか……むしろ手元に盤駒を置いていないと解けないくらいなんですけど……。
将棋のプロの世界は腹の探り合いであり、自らの能力の本質である「思考の方法」について簡単に詳らかにすることは、本来無いことと言ってもいいかもしれません。とは言え、これまで語ったようにそれらをはっきりと述べる棋士の人々がいらっしゃるのもまた事実です。そして、このインタビューにおいて行われた藤井二冠の発言もまた、棋士の思考の一環を覗くことのできる重要な機会であるように思われます。
さて、ここで述べられているのは、そもそも思考する際に「なにもない」ということです。
全くの虚無、というわけではないにせよ、少なくとも目の前に分かりやすい形で示すことのできる思考は、存在しないということなのです。
以下のインタビューで彼は次のように語っています。https://shuchi.php.co.jp/voice/detail/3394?p=1
彼は基本的にはこれまで述べたように、「符号」を使って思考するのですが。しかしある種の詰将棋などにおいてはそのような符号さえ必要にしないということでした。
このような、実際の目視確認→脳内将棋盤(符号による棋譜理解)→符号による思考→符号さえない思考という構図を単純なステップアップの過程として語ることはできないとは思うのですが、しかし、将棋というゲームについて思考する際に、その思考が極限まで達した人は何かしらの深淵へと、虚無への道を辿っているような、そんな感触を覚えてしまうのは僕だけなのでしょうか。
さて、というわけで、トップ棋士たちの、良い意味での思考の異常性について語りました。現在、12/6午後五時三十分ですが、僕がこの世の隅っこでこの文章を書いている間、世間の大舞台では羽生善治九段と豊島将之竜王二冠のタイトル戦第五局が、行われている最中です。
必殺技 | 現実 |
---|---|
オーバーヘッドキック | 中途半端なクリアボールをシュートして押し込むケースが多い、センタリングを直接オーバーヘッドするのはスーパープレー |
直線的ドリブル | 真正面同士でショルダーチャージで吹っ飛ばすドリブルはない、反則 |
ヒールリフト | ブラジル選手などが魅せ技でやる、欧州の選手は侮辱されたと感じるので反則で潰してやり返したりする |
ツインシュート | 偶然で発生することはあるが狙って出せないしあくまでただのシュート |
三角蹴りディフェンス | 無駄な動きなので現実ではやらない |
隼シュート | ただの強めなシュート |
ドライブシュート | 普通にある。コントロールが難しいので一流選手でもゴールを決められる選手は少ない |
カミソリシュート | バナナシュートのように楕円軌道を描くシュートはあるがいきなり鋭く曲がるシュートはない(無回転シュートならそのように錯覚はさせる) |
スカイラブハリケーン | ただの反則 |
イーグルショット | ただの強めなシュート。地を這う強力なシュートはプレミアリーグでは撃つ選手はかなりいる |
タイガーショット | ただの強めなシュート |
顔面ブロック | 偶然で発生する。発生したら受けた選手は悶絶して苦しんでる |
ファイヤーショット | 燃えるシュートなんかねえよ馬鹿野郎 |
キャノンシュート | ジャイロ回転?のシュートということになるのだろうか。撃てる選手はいない |
スライダーシュート | いきなり横に曲がるシュートを撃てる選手はほとんどいない。そこまでのクラスになると歴代でもFKからのベッカムぐらいしかいない。 |
ハリネズミドリブル | だからドリブルで真正面から弾き飛ばすのは反則だってば |
フライングドライブシュート | 普通にある。コントロールが難しいので一流選手でもゴールを決められる選手は少ない |
サンターナターン | ドリブル中にわざわざ反転してやらないが似た技にシャペウという技がありブラジル選手などが使ったりする |
ローリングオーバーヘッド | そんな体操選手みたいなシュート撃てる選手いません |
雷獣シュート | そんなシュートはない、たまにシュートした時に地面の芝生も抉れてるシュートはあるが別に威力は上がらない |
ブーメランシュート | コーナーキックから直接決めたりするシュートはあるので事実上それになる |
ムササビジャンプ | ある。みっともないのでプロではあまり見かけないがやった選手はいる。しかもワールドカップでやった。 |
反動蹴速迅砲 | 狙ってできる選手はいない |
スカイダイブシュート | 相手選手の足を踏み台にしてる時点で反則です |
直角フェイント | そのまま模倣してできる選手はいないが結果的に近いのではダブルタッチがある。イニエスタなどが名手 |
リバウールターン | 現実にあるトリック。ドリブルでやっと現実にできるトリックが出てきた |
つま先シュート | ロマーリオやブラジルロナウドなどが使うシュート。ドリブルが上手い選手が使うとシュートタイミングが取りづらくゴールを決めやすいようだ |
セグウェイドリブル | できるわけないだろバカにしてんのか |
まずオフェンス面としては「言葉による定義」や「その定義に当てはまるものの社会的な有害性のエビデンス付き証明」ぐらいは必要ですし、
ディフェンス面としては「同じ定義に当てはまるものが社会に大量にあったりはしないかのチェック」ですとか、「エビデンスに恣意性がないかのチェック」ぐらいはしておかないと討ち死にリスクが高まるでしょう。
現代日本人の過半数が大卒なはずなのに、こういう理解をちゃんとできてる人が少なすぎる。
まぁこういう傾向って規制派・フェミニストというよりは、右左にかかわらず「先鋭化しちゃってる層」の共通の特徴だと思うわ。
右側で言うなら街宣右翼。
自分の考えが「完全な正解」だと思い込んでるから他人の話に耳を傾けず、仮に本を読んだとしても自分の都合のいいように解釈する。
批判されても自分は完全に正しいと思い込んでいるから相手の話を聞く前から間違っていると決めつける。だからそもそも真面目に話を聞こうとしない。
ワシントン・ポストにThe Health Care Scare ヘルスケアの恐怖:私はアメリカ人にカナダの医学についての嘘を売り、いま我々はその対価を払っている、というコラムが載っていて、興味深かったので訳しました。アメリカの健康保険が高すぎて、保険に入れない人が多くおり、これがアメリカの嫌儲問題の一因となっていた事は有名だと思います。この問題をなんとかする為に、2009年にオバマケアとも呼ばれるAffordable Care Act (ACA)が成立したわけですが、このACAは民間保険会社に大きく依存した制度でした。なぜ他の多くの国がやっているような(勿論、各国ごとのバリエーションは大きいわけですが)政府による保険の提供が行われず、できる限り民間市場に頼った制度になったのか?色々理由はあるわけですが、その一つが保険会社によるプロパガンダであり、そ担当者だった保険会社の重役が書いた懺悔がこのコラムです。
なんか長すぎたようなので、2つに分割してあります。
====
保険会社重役という私の以前の人生において、私の仕事はアメリカ人に自分たちの医療について騙すことだった。利益を守る為に人々を欺いていたのだ。実際、企業のプロパガンダ担当としての私の主要な目的の一つは、自分の役割を果たすことで「株主価値を高める」ことだった。この仕事は保険を受ける人たちを減らす環境作りに直接つながったが、これがコロナウィルス)という誰もが医療を受ける事を求めそして受けられる事によってのみ立ち向かえる状況に対する我らの国の苦難を生み出してしまった。私のようなスポークスマン達がアメリカとカナダの健康医療制度の違いについての重要な真実を誤魔化す事に給料が払われていなければ、このパンデミックの期間に亡くなった何万ものアメリカ人はまだ生きていたかもしれない。
2007年、私はCignaの広報担当(Corporate communications)の副社長として働いていた。その夏、マイケル・ムーアは彼の最新ドキュメンタリー”Sicko”をリリースする準備をしていた。アメリカの医療を他の豊かな国々のそれと比べるものだ(当然ながら、我々は酷いものに映っていた)。私は他の大手保険会社の同じ役割の人間たちとその映画を叩く為の秘密裏の会議に何ヶ月も費やしていた。この映画には重要な医療処置への保険適用を認められなかった患者たちの多くの逸話が含まれていた。例えば3歳のAnnette Noeだ。彼女が聴こえるようになる為の2つ人工内耳の移植の支払いを彼女の両親がCignaに求めてきた時、我々はただ1つしか認めなかった。
明らかに、私と仲間たちは強固なディフェンスを必要としていた。業界の最大の事業者団体、America’s Health Insurance Plans (AHIP)の為のタスクフォースにおいて、我々はいかにしてカナダ、フランス、英国、そしてはてはキューバの健康医療制度を我々のもの同様の酷いものに見せるかについて話し合った。我々は大手のPR会社であるAPCOワールドワイドを雇い、そこのエージェントたちがAHIPと共に私のような企業の宣伝屋がニュースリリースや記者向けの声明で使える宣伝文句のバインダーをまとめ上げた。
次はそのバインダーの中のAHIPの広報資料からの例だ:「2004年5月の世論調査によるとカナダのビジネスリーダの87%がもし緊急で医療が必要になれば政府のシステムの外側の医療機関を探すとしている」。これのソースは業界が支援しているPacific Research Instituteの社長であるSally Pipesによる2004年の、「ミラクルケア:アメリカのヘルスケア危機をいかに解決するか、そしてなぜカナダは答えではないのか」というタイトルの本だ。同じ本からの他の主張は、カナダの放射線技師の協会のCEOが「カナダの放射線技術の設備はあまりに酷すぎて、『早急の対応がなければ放射線技師は検査の信頼性と品質について保証することはできなくなるだろう』」という言葉を引用している。
こういったもののほとんどは、多くのアメリカ人、特に必要な医薬品を手に入れる為にカナダの安い薬価に頼っている数百万の人たちの経験に反している(訳者注:アメリカの薬はバカ高いのでカナダ国境近くのアメリカ人はカナダへ薬の買い出しツアーをしていたりした、コロナ以前は)。しかし、こういう主張を疑うよりはっきりとした理由があった。たとえば、この2004年の調査を行ったのは誰なのか我々は知らなかったし、そのサンプルサイズや調査方法についても何も知らなかった。「ビジネスリーダー」として認められる基準についてすら、だ。画像装置についての発言は信頼できるデータに基づいているのか、ただの個人の意見なのかも知らなかった。そしてアメリカの病院での時代遅れの設備についての同様な文句は簡単に見つけられる。
(ワシントン・ポストからの応答の要請に対して、AHIPのスポークスマンはこれらの考えは「ACA以前の過去のものであり、我々はいまはフューチャーフォーカスドであって、上手くいくものを進め、いかないものを修正しています」と返答し、当団体は「誰もが購入可能で質の高い適用と医療を受けとってしかるべきであると信じています。健康状態、所得、病歴に関わらず」と付け加えた。APCOワールドワイドのスポークスパーソンはポストに、会社は「ヘルスケアシステムの進化に対応する顧客の支援に関わってきた。やってきた仕事は誇りである」と伝えた。Cignaは応答の要請に答えなかった。)