はてなキーワード: テレビ番組とは
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// 画像=「アニメ番組がどうという話の前に、まず大前提として、地方で放送されるテレビ番組には4つの番組があることを知ってください。ネットセールス番組、購入番組、自社制作番組、持ち込み番組の4つです。」
突然だが、私は外見にコンプレックスがある。
私は一重(ひとえ)、それもかなり腫れぼったいタイプの一重だ。生まれてからずっと、自分のまぶたを呪い続けてきた。
一重が嫌で仕方がないので、私はアイプチ(まぶたを固定するノリのようなもの)を利用して二重を装っている。
毎晩寝る前にアイプチを使って二重を作り、そのままの状態で寝て次の日はアイプチを落とし、さも生まれつき二重であるように装って生活を送っている。
この習慣を続けたおかげでまぶたにクセがつき、前日アイプチしなくても次の日も二重で朝を迎えることができるようになってきている。
※アイプチを使いすぎるとまぶたの皮膚が伸びて老後酷いことになるそうだが、数十年後にはもっと安く簡単に整形手術が受けられるようになっていることを祈って今はゴリ押ししている
…と、私の話から入ってしまったが、本題はもっと別のところにある。
「(若い)日本人のほとんどは一重であるはずなのに、テレビに出ている若い人のほとんど全てがキレイな二重なの、おかしくね???」
と思っている。悶々としている。
(1)歳を取るとまぶたの脂肪が落ちて皮膚が薄くなるため、生まれた時は一重の人物でも歳を取って二重になることは結構ある。つまり、年齢層の高い二重の人は多い(はず)
(2)男性の一重or二重が重要視されることは女性と比較して少ないので、テレビに出てる人でも一重の男性は結構多い。
(3)ただしジャニーズを見れば分かるが、女性ウケを狙う「若い」イケメン男子のほとんどは二重まぶたである。
ということをツッコミをさけるために先に断わっておく。
私はまぶたにコンプレックスがあるので、コンプレックスを意識し始めてからずっと他人のまぶたに注目して生きてきた。だからこそ言えるのだが、ほとんどの若い日本人はやはり一重まぶたなのである(ちなみに私は大学生なので、基本的に若い日本人のまぶたの傾向しか分からない)。これは男女両方に言えることで、どう考えても一重まぶたの人が多い。私の主張に疑問を持つ人は一度小学校や中学校の卒業アルバムの個人写真をざっと見てみればいい。化粧も整形もしていない少年少女のほとんどのまぶたは一重のはずだ。
それでもって若い女性の多くは私と同じようにアイプチを使って二重まぶたを装っている。言い忘れていたが、アイプチは完全な一重まぶたの人のみが使うのではなく、奥二重の人が綺麗な二重に形を整えるのにも用いられるので、今では結構多くの若い女性がアイプチやこれに準ずる化粧品を使っている。さらに、男性がこのアイプチを使うこともある。整形手術をせずとも誰でも二重まぶたになれるのだから、かなり便利(?)な世の中になったのだ。
別に独自に客観的な統計をとったうえで、その分析結果に基づいてこの主張をしているわけではないのだが、少なくとも女性に関しては間違いないと胸を張って言える。くらい明らか。
是非ともこの日記を読んだ方は、テレビに出ている人物が一重まぶたであるか二重まぶたであるかを意識してテレビを見てほしい。別にテレビでなくとも、電車の中の広告やSNSのタイムラインに流れてくる画像の人物のまぶたに注目してほしい。びっくりするほど二重まぶたの人物で溢れ返っているはず。
さて、ここまで読んだ読者にはきっと「そりゃあ多くの視聴者が見るテレビなんだからウケの良い(と思われる)二重まぶたの人物を多く起用するのは当たり前のことじゃないか」と考える人もいらっしゃるだろう。確かにその考えは至極真っ当で、私だって一重が嫌で二重に憧れてアイプチを使っているわけで、多くの人々が二重まぶたを美しいと感じているのは事実だろうし、テレビ番組は視聴率を取りたいわけだから一般に美しいと思われている二重まぶたの人を積極的に起用するのは理に適っている。その通りである。間違いない。
しかし一度立ち止まって考え直してほしい。
我々が「二重まぶたは美しい」と考えるようになるのは、幼いころからテレビや雑誌で二重まぶたの人たちばかりを見ているからではないか?
我々がもとから「二重まぶたは美しい」と考えるのではなく、メディアによって「二重まぶたは美しい」という選好を植え付けられているのではないか?
我々が日本史の授業で目にする平安時代の絵巻物や江戸時代の浮世絵の「美人」はみんな一重まぶたではなかったか?
我々が「二重まぶたは美しい」と考えるようになったのは西洋人が身近になった明治以降のことではないか?
そして私のように、一重まぶたにコンプレックスを抱き、様々な化粧品を試して必死に二重まぶたを装おうとしている人こそ一度考えなければならないのは
世の中のトレンドを作り出すことで私腹を肥やす薄汚いブタ野郎が、「まるでそれが普通であるかのような空気を作り出す」ことで、消費者の行動を一つの方向に導くことがある
ということだろう。ブタ野郎の手のひらの上では踊りたくないのはきっとみんな同じ。
普通に考えて、多くの日本人が一重まぶたであるにもかかわらず、二重まぶたの人ばかりが日本のメディアに出ているのは異常ではないか?
これを言うと陰謀論臭くなって嫌なのであまり言いたくはないし費用対効果の点から現実味はほとんど無いのだが、この状況、化粧品会社や美容外科業界、タレント業界とメディアが結託してしたりしないか?政治学には「非決定権力」やルークスという人が唱えた「第三の権力」という概念がある。興味のある方はぜひとも調べてみてほしい。
※私は「二重まぶたの人がテレビ画面を占め、それを見る我々一般人がそれを普通だと認識している」この状況が異常であると主張しているだけで、二重まぶたの人をテレビから引きずり出せとか一重まぶたこそが真に偉大であるとか言いたいわけではない
自分で書いていて着地点が分からなくなってきたのでこの辺にしておこう。
一重まぶたには一重まぶたの、二重まぶたには二重まぶたの良いところがあるわけだから、それぞれの良いところを認め合える世の中になればいいなぁ。
二重まぶたの女性しか出てこないテレビ、普通の人はおかしいと思わないのかなぁ。
普通だと思われていることに、常に疑問を投げかけられる人間(消費者?)でありたいなぁ。
ああ、二重まぶたになりたい。
―――――――――――――
追記
実はこの日記、私が初めて匿名ダイアリーに投稿したものだったのだが、予想以上に反応がきてとても驚いている。
読者の方のコメントを拝見して、なるほどと思うことも多かったので、いくらか追加で書き記しておこうと思う。
確かにこれは少し誇張が過ぎていた。あと、地域性によってまぶたのパターンが大きく変わることは恥ずかしながら考えてもいなかった。
北海道・九州・沖縄あたりでは縄文系の顔つきの人は多いだろうし、二重まぶたの人も多いはずだ。ちなみに私の居住圏は、恐らく弥生系が最も多いであろう関西地方である。そのため、私の脳内サンプルにはある程度のバイアスがあることは断っておかなければならない。バイアス絡みでいえば、私自身が「日本人の多くは一重まぶたである」と意識し過ぎた状態で脳内統計を取っているせいで、無意識的に実数よりも過剰に一重まぶたの日本人の数を計上している可能性もある。
ただ、これらのバイアスを考慮に入れた上でもやはり私は身の回りの人は一重まぶたが多いと思うし、テレビの中の人(特に女性)たちは二重まぶたが多いと思うのだが、これは私の頭がおかしいからそう思うのだろうか。
思った以上に一重の人口が少ない説を唱えるコメントが返ってきたので不安になってciniiとgoogle scholarで適当に論文を調べてみたのだが、一重or二重まぶたの人口比に関する学術論文は見当たらなかった。ということで私は正確かつ客観的な統計データを持っていないし、恐らく手に入れることが出来ない(一応文中でも断っているのだが)ので、断定的な主張をおこなうのはまずかった。一応お詫びしておこうと思う。
③二重の極みについて
このタイトルで日記を公開するわけなので、ある程度この反応があるであろうことは予想していた。
確かに彼女たちは一重まぶたである。もっとも、彼女らは膨大な女性芸能人の中のほんの一握りのケースであることは言うまでもない気がするのだが。さらに言えば、私は「テレビに出ているほとんどの女性」と述べているだけで、「テレビに出ている全ての女性」とは書いていない。
⑤私が本当に主張したかったことについて
コメントの多くが「一重まぶたの人はそんなに多くない」という趣旨のものだったので、私としては少しうーんといった感じ。譲りたくはないがあえて100万歩譲って、日本人の51%が一重まぶたで49%が二重まぶたであるとしよう。しかしテレビで我々が目にする日本人の多く、少なくとも半分以上は二重まぶたではないか?私が本当に主張したいことは、明らかに現実と乖離している風景がテレビに映っているのに、我々がそれを異常とも思っていないのはおかしくないか?ということだ。もうひとつ挙げれば、そのように異常なものを異常と思わないように世の中が動いていることが怖くないか?ということだ。
https://note.mu/tm2501/n/nca2bc8737952
の中から青二才の自己紹介になってる部分だけ抜き出して文章にしてみた。ほとんど全部だった。
昭和のテレビ番組から「恥知らず」って言葉を引っ張ってきて投げつけたい気持ちになってる。
あんたのブログの文章を酒の肴にして嘲笑ってたぐらいデキが悪い
自己顕示欲丸出しの内容。
ヘイトを募るというか、煽っただけというか…頭悪そうなタイトルと記事。
いい加減、「笑わせること」と「笑われること」の区別をつけてはいかがでしょうか?あなた方がバズと呼んでるのが後者だとなぜ気づかないのです!?
批判が殺到したことを「バズ」だとか「議論のきっかけになった」とか言って、批判された現実を直視しない傾向があるけど…言い回しとふてぶてしい態度で乗り切ろうとする態度はどっちかというと「若者」というより、政治家みたいですね^^
しかも、コンテンツ力がないくせに、自分の意見を書いて総ツッコミ食らってる。
・キュレーションメディアの二番煎じ
あんたの知名度が上がる。それを自慢する記事を書く。…そのサイクルって読者にとって、どんなメリットがある?
波に乗ってる時にいくらバズったって、昔からやってる人、長いこと色んな人がやめたり沈んだりすることを知ってたら「ビギナーズ・ラックで、その世界を全部知った気にならないでね^^」としか言えない。
「炎上をバズと呼ぶ姿勢」一つで、そうやってバカにされてるからww
バカが「全能感」をむき出しにすればするほど「セカンド童貞っぽいですね♨」って馬鹿にされるんだよ!!
日本の男について四の五の言う前に、テメーの身の振り改めろや!!
テレビ番組や映画や本や音楽やソフトウェアなどの文化。全人類のうちほんの一握りがそれらを作り出し、少なくはないが多くもないひとびとがそれらを消費する。
愚痴。ほぼ全てのひとびとがそれらを作り出し、ほぼ全てのひとびとがそれらを消費する。
私の家庭は両親が上手く行っていなかった。殴る、蹴るといった直接的な暴力は少なかったとはいえ、所謂父親から母親へDV行為が行われている家庭だった。
何か問題が起きた時、決まって母親から聞かされる言葉があった。「男は馬鹿だ」と。
今となってみればそこには男性そのものに対する批判性は少なかったと思うし、母親自身あまり異性経験の多い方では無かったそうで父親=男とするのも無理は無かったのかもしれない。
だが、幼い子供からすればそうはいかない。ただただ額面通りの言葉として受け取るしか術がなかった。母親への同情と同時に「この世の男は馬鹿でクズで、軽蔑すべき対象だ」という刷り込みが行われていった。
私が女性であったならばただ男性差別主義者、ミサンドリーとなっていただけだろう(勿論そういった主義を良しとする訳ではないが)。
しかし私は性自認を含め男性であるのだ。女性に生まれたかったと思う事は多々あるが、性自認の話とは別問題だろう。
これは男性に限った事ではないが、自己の性別を軽蔑するというのは大変生きづらい。
同性同士特有のノリ――異性関係における武勇伝であるとか、男性であるなら風俗やギャンブルの話であるとか、そういうものに対して特別嫌悪感がある。
女性に恋をする事だってあるし、性欲も人並みにはある。しかし、「馬鹿でクズな男性」である自分が女性に対してアプローチを掛けて良いのか?危害を加える可能性は?そんな事を考えると、男性嫌悪から飛躍して自己嫌悪にまで陥る。
男性批判を行う母親はこの文脈におけるところの女性だ。そんな女性に少なからず嫌悪感を覚えていたのだろう。
今でも、テレビ番組などで女性タレントが男性批判をしている時、嫌悪感と同時にどうしようもない居たたまれなさを覚える。
ここまで来ると男性も女性も嫌悪している自分は一体何者なのかが判らなくなる。
その事に対しては本当に同情しているし、その時々で思いつく限りはサポートしてきたつもりだ。一般的な母子関係よりも仲は良いとすら思う。
それでも、やはりこの刷り込みに対しては負の感情が大きい。これが無ければもう少し人生は変わっていたのだろうかと。
もしもこれから親となる方がこれを読んでいたなら、家庭環境が悪化した際にはできる事ならば拠り所は家庭の外に作ってほしい。
よく知らないタイトルの映画だった。朝のテレビ番組とかで紹介されていたような気もするが、タイトルすら覚えていないあたり関心がなかったのだろう。それでも、叔母の代わりに私は映画館に足を運ばなくてはならなかった。
叔母はその映画自体か、或いは出ている役者だかのファンなのかは知らないが、何度も観に行くリピーターだった。だが急な仕事が入り、前売りチケットもあるだとかで、来場特典だけでも貰ってきてくれと私に頼んできたわけだ。
気乗りはしなかったが、叔母の心象を悪くしてまで断る理由を私は持ち合わせていない。叔母もそのことを分かっているから、私に頼んだのだろうけれども。こういうとき、融通のきく職業はツライと思う。
映画館に行く前日にネットで場所は調べておく。その際に映画の概要などにも目を通したが、やはり私の趣味ではないと感じた。どういうニーズに向けて作られたかは明白だったし、そこに私はいない。観てみたら、意外と面白いと思える可能性なんてものは期待できない。この時点で、当日のプランはある程度できていた。
当日、その映画を観そうな顧客のタイプを推測し、浮かないような服装で向かった。自分のガタイを考えると、お世辞にも似合っているとは言いにくいコーディネートだったが、仕方がない。気分が重たかったが、こんなことのために知り合いを誘うのも迷惑なので一人で行くことにした。
もっぱら家で映画を観るようになったのがいつからかは覚えていないが、なんだか最近の映画館は随分とシステマチックになったようだ。不慣れな私がまごつく可能性を考慮して、当日は早めに映画館に着いておいた。とはいっても、予想よりもすんなりチケットを買うことができた。席はあらかじめ指定できるらしく、私は誰も選ばないような後ろの隅っこあたりにした。
入場できるようになるまでの時間をフードコートで過ごし、しばらくするとアナウンスが聞こえる。目的の特典を少し懸念していたが、入場の際にしっかり貰えて一安心。なるほど、特典は申し込みチケットで、実物は後日というシステムか。かさばらなくて、ありがたい。このチケットを用いて、期限内に申し込めば貰えるから、それは叔母がやるだろう。
やるべきことを終え、私はトイレの個室で一息つく。休日ということもあり館内は人が多く、その喧騒に軽く酔っていたのだ。そんな場所でも、個室のトイレは一人にしてくれるので助かる。私はそこで数分ほど時間を潰すと、おもむろにバッグから着替えを取り出した。
着替え終わると、ワックスで軽く髪型をいじった後、来る時に着ていた服をバッグに詰めてトイレを後にした。出口の場所によっては必要なかったかもしれないが、ここは入り口と同じ場所にあったので持ってきて正解だった。映画も観ずに出てくるところを見られて、特典を転売する輩と周りに思われたくはないので、別人としてこの映画館から出るのだ。我ながら小癪だし、周りの目を気にしすぎだとも思ったが、まあ自分自身の精神衛生上これが最適解だったと思いたい。
丁度、他の映画を観終わったであろう人たちがいたので、紛れるように出入り口に向かう。これだったら、着替えはいらなかったかもしれないな。
とはいっても、謎の後ろめたさも覚えた。どんな理由であれ、「映画を観ずに特典だけ貰った」という事実がそうさせるのだろう。だが、仕方がない。私はあの映画に関心がなかったし、その時点で「観る」という選択肢はなかった。仮に観たところで苦痛だっただけだろう。私は悪くない。だが、あの映画が悪いというわけでもない。映画のためにも、私のためにも、これでよかったのだと思い込むのだ。
映画館を出たあとは、せっかく遠出したので近くのショッピングモールで色々巡った。飼う予定はなかったがペットショップで亀を眺めたり、アロマショップで香りを嗅いでいると気分が晴れやかになった。帰る途中で寄ったラーメン店は中々のアタリだった。
後日、叔母に特典の申し込みチケットを渡す時「どうだった?」と尋ねられた。一瞬、何のことかと戸惑ったが、恐らく映画の内容について感想を聞きたかったのだろう。いま思うに、特典も目的だったが、布教も目的だったのかもしれないな。
私は「よく分からなかった」と答え、話はそれで終わらせた。
近所の公園を1歳の子供と散歩してたら,この公園どっかで見た景色だな,と気付いた
ドラマとか全く見ないし映画とかもほとんど見ないからテレビ番組で見たのかな,と思ったけど全然思い出せない
なんとなくモヤモヤしたまま嫁さんにも「どっかで見たんだよなー」っていう風に話してた
夜になって嫁さんと子供が寝静まり,一人お楽しみタイムになって始めて分かった
俺のお好みの北野のぞみと主観デートできるAVで出てくる公園だ
池を見ながらいちゃいちゃして我慢できなくなったのぞみが「ね,トイレ行こ」って言うAVだ
あのトイレで行為に及んでいたと考えるといつもに増して興奮しました.家宝にします.
(まぁ実際には本番シーンだけスタジオなんだろうけど)
たぶん、あの時のことを覚えているのはアラフォー以上の世代なのだろうが、
昭和天皇がなくなる前の数ヶ月間の雰囲気は、今思えば異様だった。
たしか、9月ごろに一旦かなり危ない状態になってから、数ヶ月持ちこたえられたせいもあって、
自粛によってさまざまな行事が中止になったり、テレビ番組が差し替えになったり、CMで「おげんきですか~?」と叫ぶ井上陽水の映像が口パクになったり、
実にいろんなことがあった。
「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。」
という一説に、ピンと来ない人もいるようだが、
もし、昭和の最後と同じようなことが行われるとしたら、確実に影響はでる。
個人的によく覚えているのは、あの数ヶ月間、天皇のご病状と称して、
毎日、テレビで、体温、脈拍、血圧などの数値が報道されていたことだ。
しかも、吐血や下血があったとかなかったとか、その量がどうだったのか、なんてことも逐一報じられていた。
「下血」「喀血」「吐血」という言葉の正確な意味や使い分けをを知ったのは、あの時だった。
「毎日、ケツから血が出たのでないのって報道されるなんて、天皇ってほんと大変だな」と思ったものである。
なにしろ天皇陛下のご容態は全国民が固唾を飲んで見守っているという建前の下、そんなことが行われていたのだが、
今考えれば、死を迎えようとしている老人に対する、ずいぶんな人権侵害だったと思う。
もちろん、今回の「お気持ち」の内容は、象徴天皇のあり方とか、国民と皇室の関係とか、いろいろと考え抜かれた上でのものだと思うが、
やはり、あのときの記憶が、今上天皇のお気持ちの中にあったのではないかと、推察する。
www.buzzfeed.com/kazukiwatanabe/gay-student-sued-hitotsubashi-university
ゲイのAくんは、周囲にカミングアウトする前に、Zくんに告っちゃったとのこと。ゲーム開始直後にラスボスに挑むくらい無謀。
カミングアウトだけならまだノーマルな人にも受け入れられやすいだろうし、それなりに賢い人達だろうからAくんが露骨に差別されるなんてことも無かったのではないだろうか。そこを飛び越えて、男と男の関係になってくれ、というのはあまりにハードルが高すぎる。ノーマルな人がゲイのパートナーになれと言われることは、すなわち「お前もゲイになってくれ」or「バイになってくれ」と言われていることである。
喩え話は、どこかしら齟齬が出るせいで、却って話を混乱させることもあって難しいのだが、あえて宗教にたとえてみたい。日本では宗教の自由が認められているし、隣人の宗教が何であろうとあまり気にしない人が多いと思うが、その隣人がその宗教に勧誘してくるとなると話は別だろう。だいぶ前の話だが、内村プロデュースというテレビ番組の楽屋で、おさるがレギュラー仲間に宗教勧誘&投票呼びかけをしたら、内村に怒られたという話について、みなさまはどちらに共感できるだろうか。
小説でもアニメでも映画でも好きな作品はいろいろあるんだけど、その作品を作っている人のことについてはあんまり興味がない。
例えばアニメだと声優さん人気がすごいし、自分でも「この声優さんの声いいなー」と思うことはあっても、
その声優さんの年齢とか結婚とか顔とか性格とかは知りたくないし興味がない。
前に声優好きな友人と話していて、「○○っていう人の声好きなんだ」って言うと、その友人が「えーでも○○ってぶさいくじゃん」と答えていたのが衝撃だった。
小説でも、作品自体は好きになってもその小説家個人のことについて知ってしまうと途端に冷めてしまう。
有名な賞をとった小説家は顔や声がテレビに出てしまうからどうしても読む気にならないし、何が書いてあるかわからないからツイッターとかは覗けない。
なんていうか、小説を読みながらその小説を書いている人を想像してしまう。
ただ、既に亡くなっている人の場合にはその限りではなくて、むしろ生前のエピソード等を見るのは楽しい。
よくテレビ番組に出ている芸能人が演技をしているのを見ると現実に引き戻されてしまう気持ちになる。
演技や演出についてはよくわからないけど、普段バラエティ番組などで喋っている姿を思いだしてしまい、演技をしている姿が滑稽に見えて、こっちにカメラとか監督とかいるのかな、って考えてしまう。
もちろん好きな芸能人もいるんだけど、その芸能人についても顔やしぐさが好みって言うだけでその人の出ているからドラマを見よう、とはならない。
特に、「中の人」人気的に不思議だなーと思うのがニコニコ動画の歌ってみたとか、ゲーム実況とか。あとはユーチューバー。
歌ってみたの動画で好きなものもあったんだけど、その歌ってみたの動画が好きなわけで、歌っている本人が好きなわけじゃない。
ゲーム実況もまったく見ないわけではないんだけど、実況者個人の人気がすごくてつい嫌悪感を持つようになってしまった。
そもそもゲーム実況はゲーム自体に興味があって見ていたことも多くて、実況者が主役ではないっていう認識だったから、実況者人気は意外だった。
ついつい歌い手と実況者はいろんな面でかぶって見える。イベントの露出とか。
きっと作品の作者に勝手に幻想を抱いていて、本人が出てくるとその幻想が壊されるようで嫌なんだろうとは思う。
作品が好きであればあるほど、作者に表に出てきてほしくないなあって思ってしまう。
もちろん、本来は「中の人」である作者や俳優のことを好きだって人を否定したいわけじゃない。
「作品が好きだからその作者のことも好き、この俳優が好きだから作品も見る」っていう人の方が多いのかもしれない。
むしろその方が作品をより一層楽しめるのかもしれない。それはそれでいいと思う。
その作品を作っている人を知ってしまうと、途端に作品が生々しく感じてしまう、ってことはないんだろうか。
それに、作者のことを知ってしまうとその作品のことを客観的に見られなくなってしまいそう。
って感じのことを最近ふわふわと考えてしまう。考えがまとまらない。
きっと客観的に見ればひねくれた人間なんだろうなあと思いながらも、やっぱり作品の「中の人」についてはあまり知りたくないと思ってしまう。
最近、あるメンバーのファンのTwitterでの呟きが少し引っかかる。
「メンバーが○○くんが喋ってても遮る」
「メンバーはもっと○○くんのことを理解して頑張りを広めて上げるべきだ、頑張れメンバー。」
「○○くんを除いて仲良しみたいに見える」
「どうしてもっと〜…」
「どうして○○くんが□□って言われてるときに笑うの?理解できない」
「☆☆くんや◇◇くんが居た時は○○くんの頑張りを評価してくれた」
挙げるとキリがない。
貴方が好きになった人はそんなに代わりに誰かを下げた評価をしないと輝けない人ですか?
彼は確かに「承認欲求」が高い人だとは思うけどファンがいるところ、ファンが分かるところで「おれのこと評価して」「もっとファンの前でおれのことほめて」って言ってたら精神年齢かなり低くないですか?
他のメンバーに「しゃがれ」とか散々言っているのを見る度に私は内心ヒヤヒヤして少し、傷ついてたし、言われた彼がちょっと悲しそうに笑う姿を何度も見たけどそれは覚えてないのかな。
私は関西人だからか好きな人がオチとして扱われていたら「オイシイ!」って思う。
「やめてよ、○○くんが可哀想」
っていう意見も分からなくはないけど、今ここでオチとして扱われることで次のお仕事に繋がることもあるんじゃないかなと思います。
そりゃたまには見てるこっちが心配になるときもあるかもしれないけど、本人が「僕傷付きました」とは言ってないならそれは「頑張れ」、いま頑張ってるんだろうね、でもいま私はこれ以外にきみを励ます言葉を知らないよ、って。「頑張れ」って応援します。
話してるのに遮られてたら
「あっ、今の話面白くないやつなのかな?」「スベる前にカットインしてくれてありがとうねメンバー」
って思う。「いやそれ面白くないからでしょ。仕方なくない?」って思っちゃう…私だったら。
テレビ番組とかってファンじゃなくても楽しめるものにしないといけないからできるだけ面白いトークをしないといけないと思うんです。「○○くんの話が聞きたい!」その気持ちも分かります。でもファンならその番組以外でも聞ける、ラジオ等。
「裏方として頑張ってる○○くんのこともっとメンバーは評価するべき!」
って意見。そうだね、評価してあげるのも大事、でもそれって評価したらメンバーかなり上から目線に見えませんか?
あと、私は裏方として頑張ってくれてる○○くんの事、『‘‘自ら”裏方のお仕事も率先してやってくれている』という認識なので「おれ、裏方やるから!頑張るからほめて!」ってそういう意識でやってるとは思ってません。彼はプロなんだから。
褒めてほしくてやってないでしょう?
きっと。
○○くんを除いて仲良しに見える?
アイドルはメンバーとずーーーーーっと仲良しこよしして横一列に並んで歩んでいかなければならない?
「ほら、俺らちょっと先に行ってるからお前も後追いかけて来いよ!」って切磋琢磨しながら進むアイドルはダメなのかな。
あと、「○○くんは純粋にアイドルなのにこんなことさせないで!そんなキャラじゃない!」って何?誰の中のイメージ?
キャラクターを掴もうとして頑張っている彼に、自分の中だけのイメージをぶつけて「違う!」ってちょっとひどいなって思ったりもします。
今はアイドルという肩書きだけじゃやっていけなくなっている。アイドルということ以外に何か個性や魅力がある方が仕事に繋りやすい。
アイドルであること以外の武器を身につけていて、彼もそれを感じ取っていて、新しいキャラクターを見つけようと必死に、前を行くメンバーに追いつくように頑張っている。のにファンからは「違う」と言われる。
他のメンバーと比べられて「他のメンバーは中途半端にアイドル以外の仕事をするな、本職の人に失礼だろう。○○くんを見習え。」って、自分のファンが書いてる。
私がアイドルなら、○○くんならこんなことを自分のファンが書いてるって知ったら恥ずかしいし、メンバーのことを悪く言われてたりしたら悲しい。
もうアラサーで、10年以上一緒にいるメンバーと「仲良くしろ」って、もうすこしアイドルの仲良し文化に自由があってもいいんじゃないかと思います。
メンバーが○○くんのことを尊敬してないと思いますか?尊敬できないってグループを抜けた人もいたね。でも今ある4人は尊敬できるから残ったんじゃないの?尊敬できないならその時に抜けてるんじゃないかな。
「抜けたメンバーがグループにいたときは○○くんのこと評価してくれた。」って。
そう思うなら文章そっくりそのまま手紙に書いてファンレターでも書いて送ればいいんじゃないかな。
今、頑張ってる彼の頑張りを潰すのが彼本人のファンだなんて本末転倒じゃないのかなぁと。
羽ばたきたいって思ってる鳥が、かわいいかわいいって鳥カゴの中で可愛がられてるだけじゃ羽ばたけない。
羽ばたいている鳥に 鳥カゴのなかで頑張って羽ばたこうともがいてる鳥のこと褒めてあげなよ!そしたら羽ばたけるでしょ!って、違うと思う。
直立する赤井の下で斉木が左膝をついてしゃがみ、
「どうも〜赤色青いなあいうえお『信号機』です!」といってから漫才を始めるのがお決まり。
コンビ名は病的に顔色の悪い斉木と赤面症の赤井が並んだ姿を信号機になぞらえて命名されたらしい。
長らく先輩芸人であるチャンチャカチャンス高橋が名付け親だとされていたが高橋はこれを否定。
なお2人とも酒に弱く、飲むと斉木はより青白く、赤井はより赤くなっていくらしい。
語彙に乏しい。「腰巾着」と言いたいところを「ぶら下がり野郎」と言ったり、
「五臓六腑」と言おうとして「十二指腸」と言い、周囲に呆れられることもしばしば。
読書家として知られる又吉とのギャップをネタにすることもある。
そんな彼だが実はICU卒でアタック25に出場したこともある。
テレビ番組の企画などで度々対面しており、互いの連絡先を教えあう程に親交がある。