はてなキーワード: ガリレオとは
クリスチャンになると自然と自然科学に興味が湧く(ダジャレ事故)。
光文社からたまたま出てたダーウィン『種の起源』が分かりやすく面白かったため、自然科学の古典を読んでいきたい。
あと社会科学系の本ばっかり読み過ぎて飽きてきたのもある。
『星界の報告』の新訳。望遠鏡で観た星空の様を感動と共に書いた本、らしい。あと地動説が論じられてるとか。
ニュートンの『プリンキピア』を中学高校レベルの数学で平易に解説した本、らしい。別にこの本じゃなくてもいいんだけど、要するに『プリンキピア』に何が書いてあんのかをざっくり知りたい。
チャンドラセカール『「プリンキピア」講義』なる本も定評があるらしいが、難解らしいので警戒している。
図書館で解説だけ読んだら、あの難解な宮沢賢治の内容がものすごく分かりやすく解説されていて驚いた。本作はその解説(読み方)に従って作品を配列した全集。
といってもどう見てもキリスト教に引っ張られた解釈(「完全な自然と不完全な人間の対比」)で、どこまで鵜呑みにしていいのか分からんけど。
ちなみに有名な『雨ニモマケズ』は、昔からキリスト教っぽい詩だなぁと思っていたのだが、モデルの男と目されている人物(斎藤宗次郎)がクリスチャンらしい。ホントかどうかは知らんが興味深い。
ブコメで勧められたのを検索してたら発見。人生をやり直したいという主人公に神が答えるシーンがものすごく良い。
ドストエフスキーのデビュー作。といっても彼が社会主義者で、ゴリゴリのクリスチャンになる前の作品。なぜか光文社から新訳が出た。
どうも金と愛の話らしい。
クリスチャンになる前はマルキストだったので、この本には昔から興味があった。
古い訳で分厚くでかい本しかなかったので敬遠していたのだが、このたび何故か新訳された。マルクスブーム万歳である。
ついでにヒルファディングの『金融資本論』も新訳してください。
とりあえずこんなところ。
最初に書いておくとこれは女性や女優ををdisりたいために書いた記事ではない。そう伝わるのは本意ではない。
この記事はどちらかというとキャラの役目やストーリーの話である。
ドラマの女性キャラが苦手な時がある。それは折角面白いのに恋愛っぽいパートの部分がその面白さを阻害している、と思う時だ。
たまたま先程家族が垂れ流していたドラマを見ていた。「リッチマン・プアウーマン」という少し前のドラマらしい。家族の話と話の展開から、IT会社の天才かつ偏屈な社長と社長の会社にたまたまインターン生として入れた女性がメインの話だと分かった。ドラマは平たく言うと社長を取り巻くビジネスっぽいストーリーと、女性が全く価値観の違う社長と段々打ち解けてったりライバルの女性が現れて一悶着するといった恋愛っぽいストーリーで構成されている。
途中から見たのだが面白く、つい今見てしまっている。だが面白いのはビジネスっぽいストーリーの部分だ。そこの進展に興味があるのに、途中で恋愛っぽいパートが挟まれると一気にテンションが下がる。
とはいえ女性キャラの全てが悪いわけではない。ビジネスっぽいパートで価値観の違う女性キャラが社長に新たな目線から助言し良い展開に進んだ時とかは面白かった。そうして心が通じ合っていくというのは良いと思う。女性キャラが悪いわけでも人の心が動くシーンが悪いわけでもない。
悪いのはそれと恋愛パートを両立してしまうことだ。恋愛だけならそういうドラマとしてみるのだが、両立されてしまうと…。これが社長とインターン生の女と男が逆転しても変わらない。
折角ビジネスパートが緊迫してハラハラしているのに、そこにライバル女性が現れて三角関係!となるとげんなりしてしまう。
しかしそのライバル女性がキャリアウーマンとして悔しがったりするシーンは悪くない。
後女性キャラの性格がビジネスパートの足を引っ張ってると思う。役者の演技の問題ではない。
簡単に言うと…なんだろう、良くも悪くも少女漫画に、月9によくいそうな女子っぽい。感情を表に出し易いというか…。
恋愛ドラマには合ってそうなのだがビジネスパートにいると少し感情的過ぎるというか。
ウィキを見るとには恋愛とビジネスストーリーを意図して両立して描いた様だが、個人的には恋愛パートはいらないんじゃないかなと思ってしまう。
恋愛ドラマは嫌いではないし、ドラマの女性キャラ全ての存在を否定するわけでもないが、悪目立ちしてしまうと折角面白いストーリーを邪魔しているなと感じる。
類似例だとガリレオである。アレは原作小説がミステリーで、小説も探偵役と助手役両方男性だったのに、ドラマだと女性が追加されてしまった。まあ思ったよりミステリーの話を邪魔してはいなかったようには思うが…(ちょっと昔見たっきりだから覚えてない
その辺うまいことしていると思ったのは重版出来とシンゴジだ。重版出来は女性主人公が恋愛するわけでもなく、でも空気になる訳でもない、「出版社のストーリー」をやってくれていたと思…う…(これもドラマを少ししか見てないから間違っているかもしれない…。ただ漫画は全巻読んだのだがこの様な印象を受けた。)シンゴジは美人な女性も出てきたがあれも終始ゴジラを主軸にしたストーリーをしてくれたし、最後も主人公と女性キャラは恋愛オチではなかった。
なんか例に出したものが悉くあやふやで例として成り立っているか微妙だが…兎に角ドラマに恋愛を無闇に押し込むのは面白さの邪魔になるのかもしれないと言いたかった。女性キャラではない、過度な恋愛が邪魔な場合もある。仄めかすくらいなら良いのだろう。ドラマを例に出したのは実写ドラマにそういうのが多く見られる印象があったからである。
あー…でも掟上今日子はミステリーと恋愛だったけどドラマ面白かったんだよなあ…
全てが全てそうとは言い切れない…しかしシンゴジなんかは恋愛人情を過度に演出することをやめてゴジラを倒すストーリーを押し出したからこそキャラの魅力があったし話も面白かった…うーん…演出の問題でもあるのだろうか…
僕「先生、僕はくまみこのアニメに激怒している原作ファンの気持がわかりません。同じ話ではありませんか?」
物理学者を辞めてアニメオタクになったガリレオ・ガリレイ「ふむ。では私がこのタカミメロンを見てくれ」
僕「まだ食べごろではなさそうですね」
ガリレオ「このメロンを私の胸の高さから地面に落としたら、どうなるかな?」
僕「跳ねますね」
ガリレオ「そうだな。そしてメロンは無傷だろう。では、あのピサの斜塔の天辺から落としたら?」
僕「粉々になります」
ガリレオ「そういうことだよ。おなじ落下という痛みでも、一メートルの高さから落ちるのと五十五メートルの高さから落ちるのでは強さが違うものだ」
ガリレオ「アニオタの高みは一歩ずつたゆまぬ歩みによってのみ到達できるのだ……ところでここにわしが編集した『カバネリの無名ちゃんの萌え萌えシーンだけを編集した最強無名ちゃんビデオ』があるのでいっしょに観よう」
僕「いまどき『萌え萌え』もキツいですが、VHSというのもアナクロすぎてステキですね」
ガリレオ「十六世紀生まれだからパソコンオンチでのう……ん? 誰かこっちにきよるぞい」
僕「すごい形相ですね。警察かな?」
ガリレオ「ほんとだ。すげえなお前」
警官B「貴様はガリレオ・ガリレイ教授だな? 署まで同行してもらおうか」
ガリレオ「え、なんでですか」
警官A「余罪は署で聞こう。目下の罪状は窃盗だ。このタカミメロン。千葉県旭市の農場から盗んだものだと認めるな?」
ガリレオ「ううっ……(ガクリと膝をつく)。そのとおりじゃ……私がやった……。私は……どうしても許せなかったんじゃ……子供の頃に母に対してあんなことをしたあいつを……」
警官A「おい、立たせてしょっぴけ」
警官B「さっさとこい!」
名探偵「悲しい事件でしたね……くまみこがキチンと終わっていれば彼もこんなことをしなくて済んだはずだ……」
僕「まあ嘆いててもしょうがないし、形見のメロンでも食べましょう」
http://anond.hatelabo.jp/20160225040508
「鉛筆が100円で消しゴムが120円だとする」とかの「とする」と同じように、
鉛筆が100円である世界は必要なく「今言及している鉛筆」が100円であればいいし、
めっちゃ歪んでる。
私なんて数学で赤点とったことがあるくらいだから証明はできない。すまん。
もし仮に半径11の円の円周率がぴったり3.14だった場合の世界って、仮定(あるいは定義)できるんだろうか?
よくわからないんだけど、少なくとも円に内接する96角形の周長よりも、円周のほうが小さいってことでしょ?
違う。非ユークリッド空間で円周率が3.14なら円に内接する96角形は歪んで小さくなる。
まず、円周率が3.14ピッタリの世界で、円に内接する96角形の面積よりも円の面積が大きくなるのか、小さくなるのか、
それすら私にはわからないわけだが。
私にも内接する96角形のほうが大きくなる条件は想定できなかった。
数学屋に聞きたいところだ。
そんなわけのわからん世界である必要はない。他のブコメでも非ユークリッド空間に触れていたが
世界のどこでも同じ円周率である必要はないので適当にゆがんだ空間で
空間内にある条件(円周率が3.14)を満たす範囲があればいいしこれは現実の空間である必要はない。
これはモデル化だと思う。
実際は太郎君は歩くときに早くなったり遅くなったりするだろうし別の太郎君はマッハ4で歩くかもしれないが
今言及している太郎君は平均では時速4㎞と認識しているという意味であり、
消しゴムは100円ショップでは100円だしスーパーなら98円にしそうだが今は100円ということにするという意味だ。
「円周率を3.14とする」は、円周率はπだが私は小数表記で正確なπを記述できないので3.14ということにするという意味だ。
あなたにはπを正確に用いて小数の計算ができるのか?もちろんπ表記のままでは計算したことにならないぞ?
時速4㎞で歩き出すのは加速時間が0となるため理論的に実現不可能だ。
あなたが目の前に円を想定した場合、その円は地球の重力により相対性理論的に歪んで円周率はπではなくなる。
必ず円周率がπである世界は何も存在しない世界である必要があり理論的に実現不可能だ。
一方、πが3.14となる範囲を含む非ユークリッド空間は理論的に実現可能だろうが
数学屋に聞きたいところだ。
残念ながら時速4㎞で歩くのを想像させるのは意外と難しい。
常に一定の速度で歩くのはおかしいとか言い出す子供はたくさんいる。
実際の世界には真理など存在しないし認識もできない。それどころか人間には実際の世界を正しく認識することすらできない。
問題文にない条件を持ち出すことが正しいなんて言い出すくらいなら実際の世界を想定しないほうがマシだ。
そのとおりだ。
書いてあるので汲み取る必要はないというか汲み取ってはいけない。これは国語の問題じゃないんだ。
そうだ、科学に対する姿勢の問題だ。何が正しいかを知っているかではなく、
目の前にある条件から矛盾しない答えを導き出すことこそが科学的な姿勢だ。
私は、どんな世界であれ押し付ける傲慢さをあなたに感じている。
もちろん私も世界を正しく認識できていないがそれを人に押し付けるようなことはしていないつもりだ。
違う。与えた条件と異なる条件を持ち出すと間違った答えになるからだ。
「円周率は3.14と条件を指定したな?あれは嘘だ」と言い出したら
私は今、「洞窟に住む縛られた人々が見ているのは「実体」の「影」であるが、それを実体だと思い込んでいる」
と言ったプラトンの気持ちを痛感している(Wikipediaの引用であり国家の文面そのままではない)。
真理というものがあるとしよう。だがそれをあなたが認識しているものと私が認識しているものは違う。
真理の手掛かりとなる影を認識し集め、お互いの認識を形にし、共有する(モデル化)。そして、この共有したモデルについて話をするんだ。
だから「数学の定義では円周率はπだから私が正しい」というのは成立しない。
これはあくまで数学上のπの定義を共有しているモデル、つまり数学での話であり、
円周率がπではないモデルを共有しているときは円周率がπではない前提で話をすることになる。
例えばここに一見正しい条件がある。
・平面上の平行線は交わらない
実際に昔はこれで十分だった。
「平行線が交わりしかも矛盾しないモデルも作れるんじゃないか?」と工夫したことにより
非ユークリッド幾何学が生まれた。
そして、
・平面上の平行線は交わらない
という条件は
という条件に洗練された。真理に一歩近づいたんだ。
だが、きっと、これでもまだ真理そのものではないだろう。
だがその真理に向けて認識を表明し共有しそれを基に議論することで近づいていくことが大事だとプラトンは説いたんだ。
だからこれには、「今はそんな話をしているんじゃない」としか言いようがない。
今は「円周率が3.14としたときに計算結果はどうなるか」という話をしているんだ。
彼は悔しかっただろう。私もとても悔しい。
我々ちょい古いソフト屋はオブジェクト指向の本質を伝えることに失敗した。
認識を形にすることだということを伝えられなかった。
初めて使うので読みにくいだろうことを申し訳なく思う。
でも、「円周率を3.14とする」は、実際、理論的に仮定したとすると
少なくとも、円周率が3.14ピッタリの世界は、想像ができない。
小学生にもできないんじゃないだろうか?
円周率を「習った」時点でお前はまず円に内接する96角形を思い描けと説明されたの?
そうでないなら、それは小学生にとってわかりやすいかどうかではなく、お前にとって否定したいかどうかの話でしかないし
そうであったとしても、お前個人がたまたま数学的に意識の高いお子さんだったんですねーえらいねーとしか思えない。
何故それが小学生全体に一般化し得ると思うのかが全く理解できない。
あるいはされていたのだとしてもそこは成り立ちの話としてのみ理解し、
円周率は3.14として計算するものであるのだな、とそれのみを結論として記憶したのだ。
どうぞ数学の時間でも生物の時間でも、「算数の時間に何ら関係のない」好きな時に、同好の士だけを相手にやっててくれ。
小学生全てが、あるいは全てでなくても大半が、
円周率が3.14だと弦よりも弧のほうが短くておかしい、と、問題文にひっかかりを覚えるの?
私は今、「それでも地球は回る」と言ったガリレオの気持ちを痛感している。
彼は悔しかっただろう。私もとても悔しい。
なんだこりゃ。とんでもないナルシストかなんかなの?
http://anond.hatelabo.jp/20160224232509
この問題見ていて思ったんだけど、
元増田(http://anond.hatelabo.jp/20160222182802)のブコメ読んでる限りでは、
と思っている人が多い気がする。
多分、こう考えている人たちは、「円周率を3.14とする」という文章を、
「太郎くんが出発した10分後に次郎君が出発したとする」とか、
「鉛筆が100円で消しゴムが120円だとする」とかの「とする」と同じように、
つまり、「円周率=3.140000」と定義した世界で算数の問題を解けよ、と考えている。
もし仮に半径11の円の円周率がぴったり3.14だった場合の世界って、仮定(あるいは定義)できるんだろうか?
よくわからないんだけど、少なくとも円に内接する96角形の周長よりも、円周のほうが小さいってことでしょ?
(http://www.ndl.go.jp/math/s1/question4.htmlより
半径1の円に内接する96角形の周長は3+10/71 。つまり約3.140845)
それってどういうことなの?
まず、円周率が3.14ピッタリの世界で、円に内接する96角形の面積よりも円の面積が大きくなるのか、小さくなるのか、
それすら私にはわからないわけだが。
そんなわけわからん世界の円の面積を求めてそれを「こたえ」にしても良いのだろうか。
私には弦よりも弧のほうが短い世界で円がどんな形をしているのか想像もつかないんだけど。。。
これはモデル化だと思う。
でも、「円周率を3.14とする」は、実際、理論的に仮定したとすると
少なくとも、円周率が3.14ピッタリの世界は、想像ができない。
小学生にもできないんじゃないだろうか?
つまり、「円周率を3.14とする」は、モデル化しても全く、何一つ小学生にとってわかりやすくなっていないのだ。
先生の意図を汲みとってそれに即して答える技術は、国語の時間に培ってくれ。
と考える大人たちに、私は
円弧より弦が長い世界を当たり前のように小学生に押し付ける傲慢さを感じている。
ひどく独善的で、小学生の好奇心を馬鹿にし、踏みにじった理由でだ。
(ちなみに、「教育上の配慮から379.94と教えても仕方ない」と思う人たちのことは理解できる。)
私は今、「それでも地球は回る」と言ったガリレオの気持ちを痛感している。
彼は悔しかっただろう。私もとても悔しい。
わかる気がする。
しんどいよね。
フェミニズムがまだ先鋭思想だから、社会や、「」の周囲の大多数の人はフェミ的倫理をよしとしてなくってそうなるんだよな。
地動説が正しいとしても裁判にはかけられるガリレオみたいなもんでさ。
先鋭思想家はマイノリティだから、どうしてもマジョリティとは戦うことを求められるんだよ。
その傷を癒したり、またそもそもできるだけ戦わないようにするには、志を同じくする人と密に結びついて小社会を作りその中で暮らせばいいと思うんだよね。
つまりフェミニスト友達をたくさん作ってその中で励まし慰め合うとか、フェミ的なNGOやNPOや政党で働くとか。
でもそこまでやるのって、フェミに人生の結構な割合をささげることになりそうで躊躇うんだよなあ。
まあとりあえず、住んでる場所によるけど、フェミ的な勉強会を開いてるサークルとかあればそこにお邪魔してみるとかから始めるといいんじゃないかなあ。
仮に憲法学が学問の名に値し、科学的な態度を尊ぶならば、安保法制を違憲と唱える憲法学者は安倍首相に感謝するべきだろう。
実験や観測で得られた「観察された事実」を説明するのが「理論」。
現在、受け入れられている理論(定説・通説)で説明できない事象が観察されたとき、それは学問が発展する大きな機会だ。
惑星の動きを説明するために天動説が唱えられていて長い間人々はそれに疑問を持たなかった。
ガリレオの地動説によればより簡単な理論で惑星の運行は説明できたが、その精度は天動説の周転円による理論と同じだった。
だが、ティコ・ブラーエにより観測された火星の運行を天動説の周転円理論で説明するのは困難を極めた。
そしてケプラーは、惑星の運行は惑星が太陽のまわりの楕円をたどるとする新たな世代の地動説を唱えた。
さらにニュートンは万有引力の法則を導入し、これに数学的根拠を与えた。これが新たな世代の理論となった。
さらに時代を下ると、地球の自転する方向である東西方向と南北方向で光速度が同じになることが発見された。
これは物体の運動速度には加法(足し算)が成り立つとするニュートン力学の前提を揺るがす観察だった。
これを説明する新たな世代の理論はアインシュタインの特殊相対性理論だった。
さて、憲法学者たちが今日、持っている理論で安保法制の合憲性を証明できないとしよう。
しかし、安保法制自体は現実の政治のなかで必要であるし(そのことは民主党すらも類似の法案を対案として出さざるを得なかったことで分かる)、成立の暁に最高裁に100回持ち込まれても100回合憲判決が出るであろう。
今後、現実の政治制度のなかで安保法制は合憲・合法のものとして扱われることになるのだが、それを現在の憲法学の理論は説明できないことになる。
すばらしいことではないか。
君らは今次の安保法制の合憲性を説明する新理論構築という新たな大事業に取り組むことができる。
憲法学は現状を追認するだけのつまらん学問もどきだという烙印を世間から押されることになるかもしれない。
しかしそれは憲法とは何か、憲法がなんのためにあるかを考えるふりをして実は考えてこなかった報いだ。
甘んじて受けてほしい。
世紀 | ||
---|---|---|
前6 | 孔子(前551・儒教の祖) 孫子(前544・『孫子』著者) | |
前5 | 釈迦(?・仏教の開祖) ヘロドトス(前484・歴史の父) ヒポクラテス(前460・西洋医学の父) プラトン(前427・哲学者) | |
前4 | アリストテレス(前384・万学の祖) アレクサンドロス大王(前356・マケドニア王) | |
前3 | アルキメデス(前287・古代最大の数学者) 始皇帝(前259・最初の中華皇帝) 劉邦(前256・漢の高祖) ハンニバル(前247・包囲殲滅戦術を確立) | |
前2 | 司馬遷(前139・『史記』著者) | |
前1 | カエサル(前100・ローマの終身独裁官) ウェルギリウス(前70・ローマ最大の詩人) オクタウィアヌス(前63・ローマ帝国の初代皇帝) イエス(前4・キリスト教の開祖) | |
1 | プトレマイオス(83・天文学者) | |
2 | ガレノス(130・古代医学を確立) 張仲景(150・医聖) 曹操(155・三曹の一人) | |
3 | ||
4 | 王羲之(303・書聖) アウグスティヌス(354・古代最大の神学者) | |
5 | アッティラ(406・フン帝国の王) | |
6 | ムハンマド(570・イスラム教の開祖) 李靖(571・『李衛公問対』) 李世民(598・唐の第2代皇帝) | |
7 | ||
8 | アブー・ムスリム(700・アッバース革命の立役者) 李白(701・詩仙) 杜甫(712・詩聖) カール大帝(742・フランク王国) | |
9 | ||
10 | フェルドウスィー(934・『シャー・ナーメ』著者) イブン・ハイサム(965・光学の父) イブン・スィーナー(980・アラビア医学を体系化) | |
11 | ||
12 | 朱子(1130・儒教の中興者) サラディン(1137・アイユーブ朝の開祖) インノケンティウス3世(1161・教皇権最盛期のローマ教皇) チンギス・ハン(1162・モンゴル帝国の初代皇帝) | |
13 | トマス・アクィナス(1225・『神学大全』著者) ダンテ(1265・イタリア最大の詩人) ジョット(1267・西洋絵画の父) | |
14 | 羅貫中(?・『三国志演義』『水滸伝』編者』) イブン・ハルドゥーン(1332・『歴史序説』著者) ティムール(1336・ティムール朝の建国者) ヤン・ジシュカ(1374・マスケット銃を使用) グーテンベルク(1398・活版印刷の発明者) | |
15 | ジャンヌ・ダルク(1412・百年戦争の聖女) コロンブス(1451・アメリカの再発見者) ダ・ヴィンチ(1452・万能の天才) ヴァスコ・ダ・ガマ(1460・インド航路の開拓者) マキャヴェッリ(1469・『君主論』著者) ミケランジェロ(1475・芸術家) マルティン・ルター(1483・宗教改革) スレイマン1世(1494・オスマン帝国最盛期の皇帝) | |
16 | エリザベス1世(1533・アルマダ海戦に勝利) セルバンテス(1547・『ドン・キホーテ』著者) ガリレオ(1564・科学革命の中心人物) シェイクスピア(1564・イギリス最高の詩人、劇作家) グスタフ・アドルフ(1594・三兵戦術を確立) デカルト(1596・合理主義哲学の父) | |
17 | ルイ14世(1638・絶対王政最盛期の王) ジョン・ロック(1632・イギリス経験論の父) ニュートン(1642・科学革命の中心人物) 康熙帝(1654・清の第4代皇帝) バッハ(1685・音楽の父) | |
18 | オイラー(1707・数学者) 曹雪芹(1715・『紅楼夢』著者) アダム・スミス(1723・経済学の父) カント(1724・哲学者) ワシントン(1732・アメリカ初代大統領) ワット(1736・蒸気機関の改良) ラボアジェ(1743・近代化学の父) モーツァルト(1756・音楽家) ナポレオン(1769・初代フランス皇帝) ベートーヴェン(1770・音楽家) ガウス(1777・数学者) クラウゼヴィッツ(1780・『戦争論』著者) スチーブンソン(1781・鉄道の父) ファラデー(1791・電磁気学の父) バベッジ(1791・コンピュータの父) | |
19 | ダーウィン(1809・進化論を提唱) ポー(1809・ミステリの父) マルクス(1818・共産主義を提唱) ヴィクトリア女王(1819・帝国主義最盛期の女王) パスツール(1822・近代細菌学の父) ヴェルヌ(1828・SFの父) モネ(1840・印象派の祖) ロダン(1840・近代彫刻の父) エジソン(1847・発明王) フォード(1863・自動車の大量生産) ライト兄弟(1867・飛行機の発明) アインシュタイン(1879・相対性理論を発表) ピカソ(1881・画家) ケインズ(1883・マクロ経済学を確立) グデーリアン(1888・電撃戦を確立) ヒトラー(1889・ナチス指導者) |
現在のサラブレッドのほとんど全てはダーレーアラビアンの子孫であり、エクリプスの子孫であり、ファラリスの子孫である。
ファラリスの子孫のうち、大半はネアルコの子孫であり、残りのほとんどはネイティヴダンサーの子孫である。
ネアルコの子孫で、現在でも栄えているのは、ナスルーラ、ロイヤルチャージャー、ノーザンダンサーの血統である。
ナスルーラの血統は、やや勢いを弱めつつも、主に北米で影響力を保ち、米三冠馬シアトルスルーの枝から、昨年の北米リーディングサイアーであるタピットを輩出している。
ロイヤルチャージャーの血統は、ターントゥ、ヘイルトゥリーズンと続き、そして登場したサンデーサイレンスの血は、日本を完全に支配してしまった。
現在はサンデーサイレンスの最高傑作ディープインパクトが、種牡馬としてもその後継として、日本競馬界に君臨している。
そして「その血の一滴はダイヤの1カラットよりも価値がある」と讃えられた20世紀最高の種牡馬ノーザンダンサー。
アメリカのダートを中心にパワフルな活躍を見せたストームキャット。
サドラーズウェルズからはガリレオ、ダンジグからはデインヒル、ストームキャットからはジャイアンツコーズウェイなど、数多くの後継を出し、世界中に血脈を広げている。
さて、このネアルコの猛威に対抗し得るのは、“灰色の幽霊”ネイティヴダンサーと、その末裔である大種牡馬ミスタープロスペクター以外にないだろう。
「探鉱者」という名を持つミスタープロスペクターは、シーキングザゴールド、キングマンボ、ウッドマン、ゴーンウエスト、アフリートなど、まさに金鉱を掘り当てるように後継種牡馬を豊富に残し、北米を中心に確固たる勢力を築き上げたのである。
以上が、現在のサラブレッドの血統の非常に大雑把な説明であり、より詳しく正しい情報を知りたい方はWikipediaをご覧いただきたい。
東大生です。普段リアルではまともな人としか接しないため、ネットでまともじゃない人たちと言い合うことがあり教訓になったため投稿します。
ちょっと暇があったので非科学的な主張をしている人に絡んでみました。論理的に不備な点や主張として弱い点を突いたりしてみたのですが、彼ら・彼女らはまったく理解しようとしません。自分の信じていることが唯一正しく、私のように攻撃してくるものには全て誹謗中傷で返してきます。最低限の論理というものを備えていないようです。彼らは自分の立場をわきまえず権威をやたらと非難します。
ネットを見渡すと、意外とこういう人たちは多いように思います。私は誰もが最低限の話は理解できると考えていましたが、今やその世界観はすっかりと変わり世の中の1/3くらいはどうしようもない馬鹿なのではないかとさえ思っています。彼らを一言でいうと「まともでない人」としか言いようがないのですが、その本当のところは対話ができるかできないかということに集約されるのではないかと思いました。ガリレオが殺されたのも納得です。
バッハ | 1685-1750 |
ヘンデル | 1685-1759 |
ハイドン | 1732-1809 |
モーツァルト | 1756-1791 |
ベートーヴェン | 1770-1827 |
シューベルト | 1797-1828 |
メンデルスゾーン | 1809-1847 |
ショパン | 1810-1849 |
シューマン | 1810-1856 |
リスト | 1811-1886 |
ワーグナー | 1813-1883 |
ヴェルディ | 1813-1901 |
分類としては、バッハあたりがバロック音楽、モーツァルトあたりが古典派音楽、シューベルト以降はロマン派音楽ということになるのだろうか。
ともあれこうして並べると、まったく別の時代という印象があった音楽家たちが、意外に近い世代だったことに驚く。
ベートーヴェンとシューベルトとショパンとワーグナーが同時に存在していた瞬間がかつてあったのだ。
バッハなんてルネサンスくらいのイメージだったのだが、ルネサンス終了から100年後の人なんだよな。大航海時代のさらに後だ。
分布の仮定から数学的に整理されている分野なので、それらの仮定の妥当性に依存するでしょうね。
計測されたデータに合う直線や曲線を引いて、モデル化できたと考えるのは正しいのだろうか。ぶっちゃけ連続した直線や曲線で結べるという前提の正当性はどこにあるのだろうか。
また複数の要素が関係してくる場合、無機的なデータだけを見ていて、その要素を分解(モデル化)できるのか?という疑問がある。
要素ごとのデータがあれば多変量解析ができますが、そうでないとできませんね。
空気抵抗を受けながら運動する物体を、空気中を移動すると抵抗を感じる、ものはだんだん下に落ちる傾向がある、など経験的な要素なしに、データとそれを近似した曲線だけから、はたしてそれぞれの要素に分解できるだろうか。
それだけなら今でも間違いではなく、重さと落下速度が比例すると考えていたことに問題が。
純粋な数値データのみから、「物体の受ける机はビールジョッキの2乗に比例する」ということを、人間は思いつけるか?ということになろう。
空気抵抗の概念は既にあって、滑り台を使ったガリレオはそれをなるべく排除してデータを得たわけですね。
ガリレオの時代でも火薬の量(=エネルギー)と大砲の飛距離は計測できたかも知れません。ガリレオは最適な射出角度の計算もしていました。
データから帰納的に法則を知るのと、体験的に知っているのは、大差は無いわけですが。
点と点を直線的に結んだLNTモデルの信憑性に言われる批判ですね。