はてなキーワード: OB会とは
自分の父親は県幹部OBだが、斎藤は直接知らんものの、他のOBや現役との情報交換したところによると、貝原・井戸ともに斎藤とは比べ物にならんほど有能であったとのこと。
貝原は確かに怖い人であったが、理不尽な怒り方をするわけではなかったそう。職員がテキトーな説明や立案をすると「やりなおし」の一言でつっかえしてくるので常に緊張はしていたと。なお後からなんとでも言える震災対応のまずさは、当時の状況では仕方なかったと評価されている。都市直下型の大地震の経験なんか誰にもなかったのだし。それよりも震災対応に忙殺されてテレビに出るたびに日々痩せていく貝原知事を見て(そして映り込む親父を見て)幼い自分は応援していた記憶がある。
井戸に至っては職員に怒ったところを見たことがない、と父は言った。長期県政でなあなあになってるところがあったかもしれないが、職員としてはやりやすく信頼していた。
おそらく斎藤は、県職員がほぼ全員井戸側に見えていたので(実際そうかもしれない)少しでも比較されて侮られたと感じればパワハラに出るようになっていたんではないかというのがOB会の感覚である。あと吉村との比較な。
父が若い頃にも、心労で亡くなった同僚の遺児のために募金を集めたことがあるらしい。今回、斎藤側にそれを止める権利が上にあるのか、とめちゃくちゃ憤慨している。
趣味の必要上どうしても、ウランゲル語の書類の内容を把握する必要が出てきた。ウランゲル公国に於ける初期国際鉄道の接続について、調べねばならなくなったからだ。具体的には戦間期からWW2までの間である。できれば43年ポポフ攻勢までの期間が有難い(以降は接続が断たれるので興味の範囲から外れる)
文書自体は公国公文書館がネットに画像を上げている。ウランゲル日報(一般紙)のバックナンバーは月15ウランで利用可能で初月は無料だ。驚くなかれクレカが使える。念入りに探せば現地OB会やら組合やらの会誌がPDFで転がっている。ロシアとポーランドには、市販本をぶっこ抜いたファイルが転がっている。これらをつなぎ合わせれば概要は分かるはずだ。
ウランゲルは欧州語族ではマイナーではあるものの、幸いグーグル翻訳のラインナップに含まれている。鉄道用語自体は、英国から技術導入していることもあって英語に近いからある程度類推できる。言葉はこれで何とかなるだろう。現地企業がオンラインOCRを提供しているので、画像さえあれば文書の過半はテキストにすることが出来る。
これで、
ところが、問題が発生する。工程2で出力される文書は、元の文書をOCR君が見た通りであるので、文章の途中で無駄な改行が入っているのだ。こんな感じである
Ngenxa yokuzonwabisa kwam, kuye kwafuneka ukuba ndiqonde imixholo
yolwimi lwaseWrangel. Oku kungenxa yokuba kuye kwafuneka ndiphande
ngoqhagamshelo lokuqala lukaloliwe lwamazwe ngamazwe kwiNqununu yeWrangel.
Ngokukodwa, ukusuka kwixesha lemfazwe ukuya kwiWW2. Ukuba kunokwenzeka,
ndiya kuxabisa ixesha ukuya kwi-Popov Offensive ngo-1943。 (emva koko,
uxhulumaniso luya kuphulwa, ngoko alusekho umdla).
これを翻訳に通すと複文などがすっ飛んで、まるでの意味通らない。何とか改行を除去する必要がある。大した量ではないので手作業するか、と思ったが3日で音を上げた。だるい、だるすぎる。求めているのはコイツの中身であって、リズミカルにデリートキーを押すことではない。
一括置換で飛ばすか? ダメだ、それでは元々ある段落替えすらすっ飛んで、謎経文の一丁上がりだ。加えて、一応意味が通らない時に校合もしたい。そのためにも段落はそのまんまにしておいてほしい。
目視で置換するか? クリック数ではさして変わらない。上にミスった時のリカバリがめんどくさいし、実際ミスる。
しょうがないなぁ、とあきらめていた時、ふとプログラムで何とか出来るやろという天の声が聞こえてくる。しかしド文系である。今これを書いている光る板が一体どういう仕組みで動いているのか皆目わからない始末である。今更基礎からやるなどという悠長なことはさらに面倒だ。ここは・・・ChatGPTに頼ってみるべきだ。
早速諸手続きをして、問答を始める。「あなたは優秀なプログラマです。テキストファイル中の余計な改行を除去するにはどうしたらいいですか?」
AIは動き出す。「途中に挿入された不要な改行を除去するためには、以下の手順で対応できます。Pythonスクリプトを使って・・・」
言われたとおりにすると、成程ちゃんと出来上がる。
Ngenxa yokuzonwabisa kwam, kuye kwafuneka ukuba ndiqonde imixholo yolwimi lwaseWrangel. Oku kungenxa yokuba kuye kwafuneka ndiphande ngoqhagamshelo lokuqala lukaloliwe lwamazwe ngamazwe kwiNqununu yeWrangel. Ngokukodwa, ukusuka kwixesha lemfazwe ukuya kwiWW2. Ukuba kunokwenzeka, ndiya kuxabisa ixesha ukuya kwi-Popov Offensive ngo-1943 (emva koko, uxhulumaniso luya kuphulwa, ngoko alusekho umdla).
Umfanekiso woxwebhu ngokwalo ufakwe kwi-intanethi nguVimba oyiNtloko.
Pythonなんぞ、ウ語以上に知らない言葉だ。しかも相談含め無料である。ほぼほぼ単純作業だけだから簡単な代物なのでウソも紛れ込まんだろう。恐ろしい世の中になった。なんならこれを全部統合して一発翻訳にしてほしいものだが・・・。
そして、時が流れてその先輩は大学を卒業した。誰もが彼のことを忘れたかのように見えたが、実はその先輩は卒業後に一念発起し、自分を変えようと決意していた。彼は自分の欠点を直視し、自己改善に努めた。特にコミュニケーション能力を磨き、相手の話を聞くスキルを身につけるために、数々のセミナーやワークショップに参加した。
数年後、その先輩はビジネス界で頭角を現し、次第に成功を収めるようになった。彼の名前が新聞やビジネス雑誌で取り上げられるようになると、かつてのサークルメンバーたちは驚きとともにその記事を読んだ。特に、彼がベンチャー企業を立ち上げ、わずか数年で急成長させたことは多くの人々を驚かせた。
一方、サークルで無視していた側だった「俺」もまた、心のどこかでその先輩の成功を見て、自分自身に問いかけることが増えていた。自分もあの頃と同じように変わることができるのだろうか、と。
ある日、サークルのOB会が開かれることになり、懐かしい顔ぶれが集まる中、あの先輩も姿を見せた。彼は以前のように焦り笑いを浮かべることもなく、堂々とした姿でみんなと接していた。彼の変化に気づいた「俺」は勇気を振り絞り、先輩に話しかけることにした。
先輩はにこやかに答えた。「ありがとう。君も元気そうで何よりだ。あの頃は色々と迷惑をかけたけれど、今は少しは成長できたかな。」
その言葉を聞いて、「俺」はふと、自分も変わることができるかもしれないと思った。先輩がそうであったように、自分も努力次第で新たな自分を見つけることができるのではないかと。
それから「俺」は、自分の内面と向き合い、成長の道を歩む決意をした。先輩の成功は、ただ単にビジネスの世界での成功にとどまらず、人間としての成長の象徴でもあった。それが「俺」にとって、大きなインスピレーションとなったのだ。
地方都市でちゃんとした収入の人というのはそれこそ優良物件で、すぐに売れるのかと思ってたけれど、そうでもないのか。
ハラスメントになってしまうからと昔みたいに世話焼きおじさんや世話焼きおばさんが暗躍することもないだろうしな。
俺の出身大学にはだぶついた娘・息子を結婚させる目的のOB会主催のお見合い会みたいなのがあった気がするが、増田の出身大学にはなかったんだろうか。
お見合い会の参加は卒業生、卒業生の兄弟姉妹、卒業生の子供のいずれでもOKだったが、まあ、そこそこのレベルの大学だったからそれでもそれなりに信用があるんだろうなと思った。
最初に勤めていた会社には労組共催の地元の人とのお見合い会みたいなのもあった気がする。増田の会社にはそういうの無かったんだろうかともちょっと思った。
もうその会社は辞めてほとんど交流も無いからあの時の同期のどれだけが結婚したかは知らないが、退社してしばらくしてから会社のある街に行ったら、そのころの先輩と思われる人が家族とショッピングしているのを見たのでそれなりに機能しているとかなと思った。
私はとある社会人サークルのOB会的なものの会長をやっている。
社会人サークルだから定年とかあるわけではない。しかし第一線での活動はもう無理、やらないがサークルに係っていたい、そんな人間のための会だ。
基本的にはOB会の会費で現役に用品をプレゼントしたりとか酒代に使ってもらうとか、年1で自分たちで集まって酒を飲むとか、その程度の活動である。
説明しよう。
サークルの創設にあたり、多大な貢献をいただいた方(便宜上、Aさんとする。既に鬼籍に入られている)がいらっしゃった。
その御恩へ報いるため、とある背番号はAさん専用とし、絶対に使わないこと、つまり永久欠番となっていた。
ところがだ、使ってしまっていたのだ、今の現役が。
永久欠番のことは、サークルの、少なくとも役職者にとっては常識だったのだが、悪く言えば口頭伝達事項であった。
コロナ禍による活動縮小の影響をモロに受けてしまったのだろうか、顔を合わせて何人かで話していれば誰かが絶対に話したであろう引継ぎ事項が今の役職者に伝わっていなかったのである。
しかもそのOB、よりにもよって、まだご存命のAさん奥様へいきなり連絡してしまったのである。
彼の弁としては、「速やかにAさんの関係者にOBとして謝罪したかった」とのことだ。気持ちはわからなくもない。
だがしかし、OBとして謝罪するのであればOB会長である私から謝罪するのが筋である。
そもそも彼が私に最初に連絡してくれれば、まだ内々に済ませられたのだが、そういった経緯で、OB会内に大々的に広まってしまった。
大揉めである。
う る さ い
知らずに使ってしまった現役に罪は無いし、Aさん奥様へは私とOB副会長が謝罪する。
それで良いと思うのだが、「こんなことも伝えられないOB会の存在意義はあるのか」みたいなことを言いだす奴までいる。
50過ぎてるオッサンどもがまあ本当にうるさい。
こんなことなら永久欠番なんてやめときゃよかったと思うが、私自身もAさんに良くしてもらったこともあり、口が裂けてもそうは言えない。
はあ、どうしよ。
関東の田舎出身(男・全部共学出身)なんだか、数十年日本各所で感じた実感ホンコレですわ。あんまいわないけど
・脱ぎ芸やりがち
・女性を複数人で相手しがち(会話、ナンパ、はたまた犯罪行為まで)
・性に関するコンプレックスが強すぎる。
・女性を過度に崇めるか、貶めるか極端。(人対人じゃなくて、男対女で人間関係定義してるっぽい)
・合コンで男同士だけで盛り上がっちゃう。その場でも脱ぎ芸しちゃう。
・(若いうちは)服装、身だしなみ(髪型・爪・眉毛・ひげ)が壊滅的にひどい。
・変な性癖持ちがち。
・孕ませ中退は皆無。(共学だと各学年秋から冬に多い(夏休みでうんうん))
・高校卒業後にまず風俗に行ってみるやつが多い。そして後輩には風俗体験談をOB会で嬉々と話す。
・上下関係厳しい。物理メンタル系攻撃。理由なくサディスティックなやつある。怖い。やばい。
・男性同士が仲良くしてるの見ると、ブロマンス・BLを想像する。それを公然と口に出しちゃう。(これほんと不快なんでやめてもらっていいですか。)
・下ネタ好きが多い。
・できちゃった中退はほとんどないが、一部先生の子供の場合がある(時期は高3が多い)。(今はSNS経由か?)
■まとめ
異性間のコミュニケーション・価値観ではっきり感じるぐらい違和感あること多いですな。
年齢とともに落ち着いてくる感じ。
ただ、若いうちの数年は貴重なので、相互理解のために共学にいくことをほんとおすすめするよ。
・学力
・サークルクラッシャー率(共学の場合すでに存在している。。。)
・メンヘラ率
・運動神経
・容姿
・職業選択
・収入
・結婚
・友人の数
・資産
コロナ禍に籍を入れ、ブライダルチェックの結果2人とも平均より生殖機能が低いということで、早めに妊活を始めることにしました。そして私は今、非科学的だと思いつつ、藁にもすがる思いで産み分けを調べています。
男の子を産みたくないのです。
運がいいことに、大学の難易度や今までの生き方的に、私たちは「成績が良い」部類の人間に入ると思います。高校3年の時の偏差値が活き、2人とも優良企業勤め。外資カップルほどとは言いませんが、そこそこのパワーカップルです。なので、都合のいい皮算用かもしれませんが、学業の遺伝要素が大きいことが判明している以上、自分たちの子どももそこそこ頭がいいことが多いものだと思ってます。
私も旦那も、決して容姿がとても良いとは言えません。2人とも身なりを気にしているので十人並ではありますが、例えば旦那の身長があと20cm低かったら、恐らく私も恋に落ちなかったと思います。私の体重があと10kg重かったら、も同じくです。ちょっとしたスペックの違いで、私たちは非モテに転落するような容姿と言えるでしょう。
低身長の女の人生は、顔がそこまで可愛くないので完全にイージーとは言わないものの、少なくとも恋愛で苦労したことはありませんでした。高身長の旦那も同じくだと思います。
高身長女子も、上位大学では男女比的に女子というだけでモテる場合が多いので、基本問題ないと思います。私は自分の身長にコンプレックスがあるので、むしろ旦那に似た女の子が産まれるのは大歓迎です。
しかし問題は私に似た男の子が産まれた場合です。恐らく低身長の部類に入るでしょう。私は自分の大学で、150cm代〜160cm代半ばの男性を多く見てきましたが、残念ながら、非モテを拗らせた人が大勢いました。偏差値が高くて有名な大学ですから、入ればモテると思って入学する男性も大勢います。しかし実際はそうではないのです。170cmを切る男性、パッと見で「低い」とわかる男性は、いくら稼得能力や性格が良くても足切りされてしまっていました。はっきりと悪口を言われたりすることこそありませんが、告白してもまずOKはもらえず、マッチングアプリでもパッとしないと男友達から聞いたことがあります。そこからミソジニーを拗らせる男性も多く、仮に社会に出てからモテ始めても、「どうせ金狙いなんだろ」と捻くれてしまった先輩も周りにいます。そもそも女性比が極端に低いので、少なくとも大学内では男性余りが発生しており、低身長男性に「青春」の勝ち目はないのです。
私は自分の息子を、そんな非モテ男性にしたくないのです。きっとそうなったら、自分の遺伝子を憎むでしょう。なら産まなきゃいいじゃんと思うかもしれませんが、その恐怖以上に、子どもが欲しいという気持ちが強いです。
どうか女の子が産まれますように。こんな優生思想を自分が持っているとは思っていませんでしたが、いざ当事者になってみると、自分の醜さがわかることもあるんですね。
菅氏はその後、昼は築地市場の台車運び、夜は新宿の飲食店で皿洗いをしてアルバイトをしながら受験勉強を続け、通常より2年遅れで法政大学の法学部に入学。
1973年に卒業後、電気通信設備会社に就職して、一度はサラリーマンになるも、まもなく政治の道を志すことになる。
政界との繋がりがなかった彼が頼ったのは大学の就職課だった。菅氏の言葉を引こう。
「そこでなんとなく、世の中を動かしているのは政治じゃないかなと思い始めるんです。ただ、政治家になろうとは思わなかったけど、政治の世界に身を置いてみたいという気持ちがあった。かといって、政治の世界では、誰も知らない。そこで法政大の就職課に行って、先輩の政治家を紹介してくださいと頼みました。すぐ近くにOB会の事務局があって、その事務局長を紹介してもらいました。その人が、法政の先輩で自民党の政治家だった中村梅吉さんの秘書と知り合いだった。その秘書を紹介されて、田舎者で、何もわからないけれども、初めて政治の道につながりを持つことができたのです」
どんな人でも、理不尽な扱いや嫌がらせを受けたり、人間関係や金銭など諸々のトラブルに巻き込まれたりして「こいつ嫌い!死ねばいいのに!」という感情になることはあると思います。
私は高校の頃「嫌い、死んでほしいくらい嫌い」と思っていた同級生がいました。
その方が去年、自殺したということを知ったので自分用の記録として書きます。
亡くなった人をAさんとします。
違うポジションでクラスも違っていたので1年生の頃は特に関りもなく、休憩時間や移動時に隣になれば世間話をする程度の関係でした。
Aさんともう一人(Bさん)が率いるグループ(X)が部の雰囲気を悪くしているということで、部全体を巻き込むトラブルになりました。なぜXグループが部の雰囲気を悪くしていたのか、その原因はほぼ忘れてしまいましたが、「課題を提出出来ずに居残りになるのがなぜ悪いのか」と開き直って、真面目にやっている人が割を食うみたいなそんな感じだった気がします。
一応県ではトップの強豪校で目指せ全国!って感じの部だったので、居残りや遅刻にはものすごく厳しく連帯責任があるほどでした。とにかく顧問の権力が絶大で、口ごたえすればめちゃくちゃに怒鳴られますし、私含め皆洗脳されていたと思います。
その事件については部全体での話し合いで一応解決しました。その後、トラブルは度重なり、Xグループと他グループが対立したり、それきっかけでBさんが退部したりと色々ありました。2年になると私は部長候補、Aさんは副部長候補となり、表面上は事務的に普通に接しているけど、お互いあまり良く思っておらずなるべく関わり合いになりたくないという感じでした。
Bさんの抜けたXグループはその後もイケイケ路線を貫き、全体としてはまとまっているものの各々では不穏な雰囲気が漂っていました。3年生が引退して代替わりすると、私は部の雰囲気に嫌気がさして部長になることを辞退し、XグループにいたCさんが部長、私とAが副部長になりました。
その後は割と平和でしたが、CさんとAさんが裏で結託している様子、私がXグループで叩かれている様子は分かりましたし、常に2対1になってしまいます。私だけならまだしも、その他の真面目に勉強や練習している人を馬鹿にしたりするのは本当に呆れましたし悔しかったです。その他も最終下校時刻を守らない、放課後マックで騒ぐなど小さいトラブルもありました。しかし「決定的なトラブルやいじめ」というものはなく、常に冷戦が続いていたと思います。
結局3年生になった私たちの代は成績も残せずさっさと引退しました。さらに言うと、Cがトラブルを起こし、途中で私が部長をやる羽目になりました。これがものすごく屈辱的でした。今更部内改革を起こす気にもなれず、そもそも3年生になってからは部や競技そのものに情熱を持てなくなっていてさっさと負けて引退したいという気持ちでいっぱいでした。
また3年生ではAとBと私が同じクラスだったのでその二人がウェイウェイしてるのを常に目にする状況でした。これが一番きつかったです。
Bさんに対してはいい印象が全くなく、しかし今思えば「嫌いになるような痛烈な事件」というものもありませんでした。ちいさなイライラが少しずつ積み重なって心から「嫌い、本当死んでほしい」と思うようになりました。
卒業するころになると、Xグループはほぼ全員受験失敗(Aは志望を下げて合格)、私は皮肉なことに部活の成績(あとは普通に評定も良かった)で推薦で大学に受かりました。
やっぱり最後は努力したものが勝つのだなぁとちょっと見返した気持ちになって大学進学をしました。
そのあとはOBとしてたまに手伝いの要請が来るくらいで、私は進学先が遠方だったこともあり会うことはほとんどありませんでした。
大学進学後に困ったことがありました。AとXグループに陰口をたたかれたり嫌がらせを受ける夢を何度も見るのです。3年の時は部活を辞めたくて辞めたくて仕方なかったため、自分は春に退部したという設定で「途中で投げ出した弱虫」みたいに陰口を言われてました。
これは社会人になっても続いていて、自分の中で相当トラウマになっていたのだと思います。
そして25歳のある日、SNSの「知り合いかも?」にBが出てきました。なんとなしに眺めていると、「Aが死んだなんていまだに信じられない」という投稿がありました。投稿を遡ると去年亡くなったようでした。親切なことに死因が自殺であることと、精神を病んでいたらしいことが書かれていました。実家に電話してOB会の名簿を確認すると、Aの名前がなくなっているようなので本当らしかったです。
Aが死んだ。その事実に対して割と何とも思わなかったのが正直な感想でした。
名前しか知らない同級生が引っ越したくらいのどうでもいいような内容に感じられました。
そのあと「あぁ私はきっと過去のAの記憶から解放されるのだな」と安堵しました。
悲しい、という気分にはほとんどならなかったです。
BがAの死について苦しんでいる様子がSNSを通じて伝わってきたので、正直そこは「ざまぁ」と仄暗い喜びを感じました。
しかし、Aは私の苦しみを知らずさっさと人生リタイヤしてしまったのだな、と思うと「ずるい」と正直思います。でもAはAなりに色々あったようなので、そこは少し気の毒だなとは思います。
高校卒業してAは自分の中で完全に過去の人になっていて、大学の研究なり仕事なり「今の世界には必要ない人」になっていたからこんな軽い感情の動きで済んだんだと思います。
それが大学卒業直後やトラブルの渦中だとしたら、また違うと思います。
しかし、今現在進行形で「死ねばいいと思っている人」がいる人に「時間がたてば、どうでもよくなるよ」なんてことは言えません。これはあくまで私の例で、その人の感情には全く当てはまらないからです。
しかしその「死ねばいい」という気持ちは否定しないでほしいです。それは自分が嫌なことを嫌ではないと否定することになると思うので。あんまり周りの人に吹聴するのはその人自身の立場が悪くなるのでおすすめはできませんが。
最初に言うと私はいい会社に勤めている。人間関係もほどほどで金には苦労していない。旦那とは違う会社だけどお互い正社員でバリバリ働いてて、長期休みには海外に行っている。
ただ、私はいい大学を出ていない。MARCHよりワンランク下の大学で、指定校推薦枠が半分以上を占めているようなところで4年間過ごしていた。
いい大学に行きたかった。旦那は業界の大学OB会(何かにつけて集まりがあるやたら大きい大学)にたまに参加して、ものすごく満足げな顔をして帰ってくる。大学時代の友達も立派な人が多くて、Facebookのやりとりもすごく楽しそう。
私はサークルの同期の多くはサービス業で、あまり貯金もせずに遊びまわっている。ゼミの集まりに参加してみたけど、地銀の一般職だったり契約社員だったり。男の子も同じような感じで、趣味もなく酒とタバコに溺れる日々みたい。
中高はよかった。都内の歴史ある女子校で六本木にも近くて日々刺激的だった。大学は何も面白くなかった。ただいいところに入るために資格を取り、経験を積む場所だった。
子供ができたら絶対に良い大学に行かせたい。いい大学では学歴以上のものが手に入ると思うから。私みたいな経験をしてほしくないから。
学生時代のサークルの同期で、部長をやっていた人がいる。当時はいわゆるイケメンで人気があったように思うけど、一年生のときから将来の部長としてリーダー役をやっていたためか、歳をとってお子さんが大きくなっても、いまだに我々のリーダーをやっている。
有名企業の管理職で、暇なはずはないと思うけど、そのサークルのOB会でも要職に就き、OB会でも同期の飲み会でもまとめ役をやっている。やたらとマメで、メッセージとか送ればすぐに返事をくれるし、SNSにしょうもない投稿をしても「イイネ!」を押してくれる。
見た目は少々おじさんになってきたけど、学生時代に鍛えたリーダーシップはさらに磨きがかかったように見える。どうすればあれだけのマメさと親切心を維持できるのか感心する。
同期の一人が「あいつはずっと俺らの部長をやってくれてるんだよ」と言っていたが本当にその通りだ。私は責任のあるポストに就くことを避け、極力自分のことだけ考えれば済む道を歩いてきたけれど、リーダーシップを持ち続け、他人に常に気を遣って生きている人は立派だなと思う。
今まで呼んだメンバーを見るとSNSで大暴れしてる自称保守の面々…(某籠池さんが呼んだ人達と被っている)。
だけど保守というよりネトウヨの親玉みたいなメンバーを呼んでるのがどうしてもダメだった。
確かに過去の大学紛争の記事で母校が出てこないのは気になっていた。
調べてみると周囲の大学が左翼化して大学紛争をしているとき、母校は保守大学として周囲の大学に打って出ていたらしい(反憲法連とかそんな感じのやつ)。
言われてみれば私立にも関わらず大学の式典では必ず日の丸が掲揚されていたし、君が代の斉唱もある。
戦前には学徒出陣とか軍部による研究の簒奪などがあったわけで権力と一定の距離を置くべき大学が、権力に媚びへつらうのは辛い…。
それも我が母校が…。
これからは我が母校に有利になるようなことはしない。
んなわけあるか。普通の人は異性を好きになるんだよ。
LGBTが当たり前世の中、とかいう単語も気持ちが悪い。ヘドが出る。
こうも、自分がLGBTを毛嫌いする理由はゲイの奴にいじめられていたことがあるからだ。ゲイとカミングアウトしていなかった頃の奴は、クラスの中心的な存在として、周囲を扇動して気に入らない奴をいじめていた。
自分がターゲットになった理由はいくつか心当たりがあるが、その根幹にあるのは「人と違う」ところだったろう。だから奴は「おかしい」「変」というような単語で俺を罵倒した。多分奴自身、まだ若く、奴なりの悩みもあり、自分自身のコンプレックスを処理しきれず他人にぶつけていたのだろう。当時もなんとなく、周りの友人も奴自身の劣等感のようなものを見抜いていた気がする。
10年ぶりのOB会での再会で、俺もあの時は苦しんでいたから云々という言い訳を延々と聞かされ(しかし一度の謝罪もなく)、腹立たしく思った。それはお前の都合であって、俺には関係ない。
奴のTwitterをもう何年も粘着して見ているが、カミングアウト後の晴れ晴れした🏳️🌈マーク付きのアイコンで「LGBTはこんなに身近」「LGBTは当たり前」と日々発信している。
奴らは、異常者だ。それを認めきれずに、自分たちは普通だと声高に主張しているに過ぎない。
LGBTを差別してはいけないのは、LGBTが普通だからではない。どんな人も差別してはいけないから差別してはいけないのだ。それが多様性であり、性的嗜好だろうと性自認だろうと、肌の色だろうと、頭の出来不出来だろうと、身体の欠損があろうと。何がどんなに違っていようと認め合うものであるはずだ。
結局のところ、LGBTは多様性という耳障りの良い言葉を利用しているに過ぎないのだ。奴らは自分が異常性癖者だと認めたくないだけだ。ロリコンやネクロフィリアやズーフィリアとは違うと言いたいだけだ。「普通」の権利が手に入れば、マジョリティの仲間として、再び「普通じゃない」ほかのラベルの人間を踏みにじるのだ。
虹色ではない。グラデーションではない。ただの、「普通」のラインを引きなおし、新しい境界を手に入れようとしているだけだ。その普通のラインの外側にはみ出た人間は、内側の彼らにとっては異常者に過ぎなくなるだろう。
ああだから俺は言ってやろう。お前らは異常者だ。うんこの穴に射精するとか、生物として終わってる。子孫も残せないのに破綻した本能行動に抗えずうんこに塗れてるとか滑稽もいいとこ。動物相手に腰振ってるのと大差ないよ。
それでも、お前らが自分を異常者だと認めるなら、俺も許そうと思うよ。いち異常者として。
大学四年生の時に告白されて付き合った、初めての彼氏。その人のことが大好きで大好きで、向こうも私のことを好きでいてくれたけど、結局は半年も経たずに別れた。
だんだん連絡がなくなって、態度がどんどん素っ気なくなって、かつては「好き」と言えば同じ言葉を返してくれたのに、「好きでいてくれて嬉しいけど…」という、うんざりした気持ちが漂うものになっていった。
関係が怪しくなって行く中で、私が会えるだけでも嬉しいと思っていたデートを、彼は影で面倒くさいと話していたらしい。別れたあと、共通の友人伝いにそのことを聞いた私は、これから先の長い人生でこれほど傷つくことはないだろうなと思った。
LINEで別れたいと連絡が来た時、私は少なくとも会って話したいと言ったけど、会ってもお前が傷つくだけと言われて会ってさえももらえなかった。別れるときに会ってももらえないだなんて、私はその程度の存在なんだろうなと思い、死ぬほど泣いた。
別れたて1ヶ月も経たずに来た元彼からのLINEには、私たちの共通の知り合いが、元彼と同じ理由(一人になりたい、付き合うのは向いていない)で女の子を振ったらしいよと書いてあった。
大好きだった彼氏に振られて信じられなく傷ついていた私に、同じことを思う男もいるよと連絡してくる神経が分からなくて問い詰めると、寂しくなったから連絡したと言われた。
1年以上友達をしていて、半年も付き合っていたのに、自分が振られた理由の話を軽い話題として扱われたら当然私が傷つくということも分からなかったのかと愕然とした。
初めてできた彼氏で、初めて大好きになった人で、本当に好きで、そんな人に心底傷つけられ、立ち直るのに半年かかった。
それからさらに半年、どんどん立ち直って行く中でたまたま彼の誕生日を思い出し、軽い気持ちで祝うLINEを送った。その1ヶ月後、呼び出されて会ってみると「よりを戻さないか」と言われた。
どういう神経でそんなことを言っているのか分からなかったけど、「こんなに自分のことを思ってくれる人はいないんじゃないかと思った」とのことだった。
もちろん無いなと思ったけど、会ったらやっぱり楽しくて、安心して、1ヶ月待ってもらった。でもやっぱり彼と幸せになる未来は見れなくて、復縁はお断りした。
それから3ヶ月後に再度復縁を申し込まれたんだけど、それも断って今。
サークルのOB会があった時、恋愛についてわたしだけ聞かれなかった。今まで恋愛の話をしてこなかったから、聞いちゃダメなのかと思われたのか。もしくは、どうせ恋愛なんかしていないと思われているのか。
ともかく、周りの女の子たちが彼氏との結婚の話をしている時に、恋愛の話すら振られない自分がつらかった。元彼と付き合っていたなら、こんな気持ちは抱かずに済んだのかなと思い、そんなことを思う自分がさらにつらかった。幸せになる未来が見えずに振ったのに。二度も振ったのに。
もし元彼と復縁していても、幸せにはなれなかったと思う。近い未来に前と同じようなことが起きて、別れることになっていたと思う。でも自分のプライドのために、少しでも復縁を後悔してしまったことがつらかった。
こんな想いはもうしたくない。
話す内容といえば
・高校生の頃の話
・人の悪口
この3つ
特に『潜在的な排他意識』が異様に高い、口ではよそ者歓迎~と言うのだが
「自分たちが上で、よそ者は下」というヒエラルキーを前提とした話で
まさに王様気取りで「よそ者を"受け入れてやってる"」って感じ。
『なぜこの町に町外の人が定住しないのか』等と考える人は居ない。
そして、すでに出来上がったグループがある
そのグループは二種類あって、『高校の同級生』と『元青年会』の二種類
50を超えたいい大人が高校生の頃の自慢話を22歳前後の若者団員に語る。
青年会でいかにして祭りのビール券を捌いたのか、そんな自慢話をずっとする。
しかし聞いてみれば凄いっちゃ凄いけど、本当に凄いわけじゃないだろうって感じの話ばっかり
確かに1人100枚のビール券を捌いたという話は素直にすごいと思った。
しかし話のオチはどこどこの社長に頼み込んでに何十枚も買ってもらったとか
足りない分は自腹きって払わされるので一度売った相手にも何度も売ったとか
要は「いかに目上の人間に助けてもらったか。媚を売れたか」という結論になる。
確かにそれは凄いことだろうが、町の過疎化が著しい今、昔と同規模のイベントは無理。
そもそも酒飲みをメインとしたイベントを望んでる人は本当に少ない。
交通手段に優れ、娯楽に溢れた今の時代にビール(しかも値段設定がちょっと高い)
をメインとしたイベントじゃ人の心を引くことなど不可能だと、本人達は理解できていないのだ。
それなのに、「俺たち何期生の武勇伝」を延々と、本当に延々と繰り返す。
それだけならまだ良い
代替わりしていく中で青年会の弱体化の原因を作ったというAさんを延々と批判する
かつて存在したノルマ制を廃止したというAさんは、会ったことはないけど恩人だ。
だが本人達は、消防団だの祭りだの、OB会だのと事あるごとに集まり
「俺達の世代は」「俺が若い頃は」といつまでも高校生のように振る舞う
滑稽だ
本当にもう勘弁してほしい