はてなキーワード: OB会とは
昨年の2015年11月末に引越して住所変更の連絡をした全リストです。これから引越しをする人の備忘録になればと。
なお、私は、妻なし、子供なしです。
なるほど、すまん。
確かに説明が悪いな。
「ある視点で見た時に自己満足できる」なら同一集団のなかで自己満足を強化してればいいんじゃないかという話。
たぶん自己満足感が365日ない状態だったら、ほんとに鬱病だとおもう(セロトニンがでてない人)
それって自己否定しないといけないときって、別の集団からの視点の強制があるとおもう。
おまえらが成功者だとおもってるような人間だって自己否定を繰り返してんだぞ?
自営業で数千万みたいな人は、上場企業経営者の会合にでたら楽しくないだろう。
逆もおなじ。
上場企業経営者1人も、自営業で自由にやってるやつの会合の中にぽつんとしてたら疑問もでてくるだろ?
そういうもんだとおもうんだけど違うかな?
でも確かに説明はわるかった。
そもそも「絶対的な自己満足」はないから「一視点での自己満足をする」→その集団同士で集まる→以下同文
に読み替えてほしい。
戦後中学が義務教育過程に加わったが、これは親にも地方自治体にも大きな負担だったらしい。
あまり知られてないが、当時は「ウチの倅に中学教育なんざ、ちゃんちゃらおかしい」として、学校の説得にかかわらず、子供を中学に通わせない親が続出してたらしい。
一方、戦後の資材不足の状況下で中学校校舎建設を強いられた地方自治体の負担も相当なもので、中学校舎を財源不足で建てられなかった村の村長が、引責自殺した、というニュースもあったそうだ。
このように親も自治体も貧しい時代に義務教育拡大を強引に導入したGHQは、やはり巨大権力者だった、ということだろう。
裏を返すと、日本が敗戦を迎えず、大日本帝国が存続し続けていたら、義務教育の3年拡大というのはなし得なかったのではないか?
大日本帝国の崩壊は「1945革命」とも言われるが、教育制度の抜本改革というのは、革命的な社会変動がないと、なかなか導入しずらいんじゃないか、とも思う。
日本でも「高校でも義務教育を」と主張する向きもあるが、「平時」において、義務教育制度をいじくるのは、非常に難しい。
親のみならず、地方自治体にまで重たい財政出費を強いる義務教育の拡充は、明治政府やGHQ政府のような強権政府でないと、なかなか導入はできないんじゃないか、と思う。
ところで、旧制中学は兎も角、新制中学は、設立後70年を経てない学校ばかり、ということになる。
一方で、大都市圏は兎も角、地方とかでは「創立100周年、120周年を迎えた小学校」というのは、珍しくない。
この数十年の歴史の差、というのは、小学校と新制中学との間に「地域コミュニティーの核になりえるか否か」に影響を与えていると思う。
或いは、「OBの層の厚さ」という点でも、小学校の方が有利だ。
小学校の方が戦前から運営されているため、年配の人、有名な人とかを、(新制中学よりも)より多く輩出している。
だから、OB会とか、母校への寄付金集めとか、同窓会とか、小学校の方が「有利」だ。
あと、「児童の発達過程からすれば、6•3制は望ましくない」とする教育関係者もいる。
自分は教育学は詳しくないのでなんともいえないが、今の6•3制は、「GHQがムリやり3年をくっ付けたので、木に竹を継いだ状態」なんだと思う。
いま30歳。資格を取ったおかげで仕事も有るし、将来を共にする相手もいる。共稼ぎでそこそこ収入もある。
世間では難しいほうとされている資格は取れたものの、大学というものを知らずに人生を終えるというのが何かひっかかる。
くだらない事なんだろうけどね。学問をしたいのが5割、学歴コンプが5割。
大卒になりたいだけなら大学に行こうと思わなかったと思う。実際早慶OBの友達と飲んでも、OB会とか愛校心とかうらやましいなあとは思ったけど、行こうとは思わなかった。
でも昨日、東大に行った友達と話をしたら、うらやましくて仕方なかった。学問するならもってこいだって言われた。
それでもともと勉強と本が好きというのもあるんだろうけど、純粋に学問をしたくなった。
連れには隠すつもりでいたんだが、センターの過去問をダウンロードして解いて自己採点しているところを目撃された。
5教科7科目で89%だった。まるで背中を押すような点数だった。
連れも、そんなに行きたいならいいんじゃない?だって。止めてくれないと本当に行ってしまいそうなのに。
更に今日、仕事で付き合いのある中小企業の社長のおっさんに、「ああ高卒なんだ、この仕事って高卒でもなれるんだ。へぇー」と言われ、あまりのタイムリーさに苦笑してしまった。
今年もOB会があり、参加した。
今年は後輩もいる。昨年より確かな賑やかさがあった。
彼女は今年も参加していた。社交性ある彼女のことだから、きっと今日も楽しんでいくだろう。
僕はそれを会席で知ったが、何人かはそれを前から知っていたようだ。
僕はやはり許せなかった。彼女に、ではなく、浮気しておきながら、図々しくも縒りを戻した交際相手に我慢ならなかった。
が、彼女がそう決めたのだから、僕はとやかく言うつもりはない。
昨年はアドレス交換しなかったことを悔いていたが、今年はそれをする気にはならなかった。
一年は重い。
だが、今も彼女を好きだという気持ちは揺るがない。彼女はそれだけ、僕の定数としてそこにあり続けている。
これはもしかしたら信仰の類なのかもしれない。聖性たる彼女を、どうあれ蹂躙した男が憎いが、自分がその男に取って代わり、彼女の手を取りともに歩むのは恐れおおく気が進まない。
処女信仰、というわけではない。それなら、彼女は聖女たり得ない。処女か否かに拘わらず、彼女はそれだけまばゆく映る。
一年で彼女は大人びて、交際相手との関係を再構築する中、僕は何をしていたのか?
僕は堕落していた。自ら滅びの道を手繰り、社会的自傷のごとく大学を辞め、貯金も尽きかけてバイトを始めたものの、バイト一人かければ店が回らないような牢に囚われ、絡め取られ、縛られ、絶えていた。
不況だというが、皆はそれをはねのけるだけのバイタリティでもって仕事をしている。同期、後輩含め内定を取れなかったのは自分だけだったようだ。ここだけ見れば、氷河期だというのはうそ臭く思える。
もっとも、手取りが少ない、ボーナスがないというボヤキは聞こえてきたが。
一年で人はここまで変わり、会席のような定点観測で格差を意識する。
教授も同席していたのだが、僕に対してはそれほどつらくあたらないというか、良くも悪くも他人事のような風があった。まあ、OBなのだから当たり前でもある。私はOBではないが、席を用意してもらっている。
外国に行ってみれば、という教授の提案。考えなかった世界ではない。そしてそれは、おそらくとても刺激的なものになるだろう。しかし、そのようなお金はない。日本人が一泊二日でもなく海外旅行できるのは、貯金が溜まって、仕事を辞めて退職金をもらい、時間とお金に余裕がある時と相場が決まっている。僕には溜めがない。両親の葬儀さえ執り行えない、もしかしたら介護に金をかけることさえできないかもしれない。旅行など、過ぎた贅沢だ。近場の散歩でいい。景勝地より多くの日常を歩くだけでいい。
話がだいぶそれた。
結局、僕は彼女に何をしてやれるか。
それは僕の思いを伝えることなく、彼女が彼女で選んだ相手と幸せになって、それを僕が心底喜ぶことだ。
僕は彼女といてはならない。いっしょにいたいなどと願ってはならない。
希薄な関係がいきなり濃厚になるとしたら、それは夢や自分勝手な思い込みであり、現実ではない。それは彼女の意思を無視した暴力だ。
来年、同席したら思いを伝えてみようなど、考えてはならない。
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昨年(http://anond.hatelabo.jp/20101224212232)の続きです。多くの嘘を交え、暈しています。矛盾もあります。
好きになった人に彼氏がいたのは、大学はいってすぐのことだった。
でも、ぼくは臆病で、かえって都合が良かった。
そんな彼女が、彼氏に浮気され、別れてしまったというのだ。実に5年以上の交際だったとのこと。
僕は小学校に一度転校を経験しており、過去の友人と五年以上のつきあいというのはない。
許せなかった。
そんな僕の怒りを聞いて、彼女に何になるというのだろう。
そんな諦めと、また臆病な僕の気持ちが動き、その飲み会でも連絡先を交換することはなかった。
しばらく誰とも付き合わないと公言していた。
きっとひとりなのだろう。
ぼくもひとりだ。
そんな間柄でもアドレスすら交換していないのだから、きっと彼女は僕が避けていると思っているかもしれない。
でも現実は、僕が臆病なだけだ。
好きだ。
でも、その気持が届くことはない。
同じ大学、同じゼミ、同じ飲みの席を会しても、ノードがつながっていなければ情報は流れない。
僕と彼女は、つながらない。
僕は現実を受け入れよう。
彼女とは縁がない。
それを構築したのは僕自身だ。
↓
自分は旅行の予定と被ったので欠席した。(その旨は9月下旬には伝えた)
↓
何故か責められた(←今ここ)
前年は僕が幹事をやったので、今年は司会をやるということになってたからだと思うんだけど。
欠席するのになんのフォローもしなかったわけではなく、代役立てて段取り全部教えましたよ、もちろん。
それ以上何をしろって言うんだ?出席すれば良いんですね、わかります。
会の最中に代役君が凄まじいミスを犯したんだろうと予想(まだ直接聞いてない)
気に入らない事があるとすぐ自分の日記サイトに愚痴を書き連ねるめんどくさい院生 が幅を利かせてるんで、できる限り角が立たないようにしたのに無駄だったなー。5年間も全乗っかりで行事に参加してきた人は考えることも言うことも違うわ。
さっき、その院生のサイトを見てみたら、ドタキャンして司会を他人に押し付けた、みたいに書かれておりました。留年して何もかも駄目になれば良いのに。研究してないみたいだし。
酒うめえー
知り合いの弁護士が、官僚たちはますます利権保守に走っているから、今後も公務員は安泰であると申しておりました。
マスコミが東大法学部に講座を寄付するなど、役人たちがマスコミまで押さえ込もうとしていることからも、明らかですね。
今後はますます官僚国家となるでしょう。一般企業の出る幕はなさそうです。
私は早稲田ですが、東大の友人に連れられて東大の講義に忍び込んだとき、教授たちはとても余裕たっぷりでニコニコしていました。会社法の公開講座などを開いて大金をふんだくったりしているようです。OB会のようなものも覗いてみましたが、何かみなさんにこやかな顔でコミュニケーションをとっておりました。
伏魔殿のようなところだと思いましたが、今後も健在だと感じました。