はてなキーワード: 3次元とは
今日の朝、渋谷凛が結婚したとTwitterのTLに流れてきた
朝は30分ほど布団にいないと目が覚めずに動けない自分も飛び起きてニュースを見た
そして、デレステを起動することはもうないだろうなと思った
と、ここまで書くと声優ガチ勢のように思われ、声豚だと友人からの罵声のラインが飛び耐えつつも、弁明をしたい。
個人的には名前も存じ上げないが、結婚の事実に対しては本当に心の底からおめでたいと思っている。予めこの点についてはご諒解の上、お読みいただきたい。
現実のライブには全く興味を示さなかった。確かに動画やゲームと同じ声の人が目の前で歌っているが、
それがどうしてもゲームやアニメの中の彼女たちと同一視することができなかった。
しかしながら、自分はそのキャラ愛に数年注ぎ込み、幾度も天井のガチャを引き、SSRを追い求めた夢が、中の人の結婚という事実によって現実を直視させられてしまった
独身彼女無し、私服はキリト顔負けの全身真っ黒のアラサーだった「現実」を
"撮影"という触れ込みだが、SSRにそのような衣装がある。自分も、いつか渋谷凛とこうなることができるのだろうという淡い期待を持って天井まで回したプロデューサーもいるだろう。
いざ"現実"から避けてきた我々にとっては道路が急に崩落し大事故に巻き込まれた状態であろう。
デレステで現実から目を背け、プロデューサーとして稼業を続けていたが、これを機にそろそろ本業は戻ろうと思う。
好きな男と両想いになって付き合っても長続きしない。最近、その理由を言語化できるようになったので書き散らしとく。
まず、私の理想の彼氏との付き合い方を書く。
相手からの連絡はいらない。常日頃から相手からの好意を感じなくてもいい。むしろ私のことは忘れているぐらいでいい。
でも、私からはめちゃくちゃ愛を注ぎたい。好きだってたくさん言いたい。食事にも遊びにも誘いたい。
で、私の好意を受け入れて欲しい。「ありがとう」って笑って欲しい。そのお礼なんていらない。ただ受け入れてもらいたい。
という訳でタイトルに戻る。
こういう付き合い方をしたいということは、私は彼氏を推しとして扱いたいのではないのか、と考えるようになった。
彼氏を推したい。2次元でも3次元でも2.5次元でもいいけど、とにかくそういう人を推すように付き合いたい。
私と付き合ってくれた人は、みんな連絡をくれるし、好意を伝えたら返してくれようとしてくれる。
相当ひどい奴なのは承知の上で言う。ありがたいけど、別にそんなにしてくれなくていいんだよなあ。私が好意を伝えたいだけ伝えさせてくれれば、それで満足なんだよなあ。いらないんで、いや、ほんと、そういうのいいんでって気持ち。段々気持ちがしぼんていく。
こんな感じで付き合いたいから、まあ当然のように長続きしない。当たり前だ。
一度、こんな感じで付き合いたいと説明をしてみたことがある。相手からは「自分からも連絡したいし好意を伝えたい」と言われ、最終的には「めんどくさい」と言われた。その相手とは付き合わなかった。
私の推し(彼氏)になってくれる人はきっといない。こんな風に付き合ってくれる人はかなりの変わり者だ。
人生は理想通りにいかないのは分かっている。けれど、こんな私に付き合ってくれる人が現れないだろうかと夢をみてしまうのも事実なのだ。
2.5も通ってはいるけど、推したことのある実在男性はいつも歳上だった。男女関係なく、実在の未成年が大人になってから後悔するようなことはして欲しくなくて(例えば際どい水着とか)、今までジャニーズJrのこととかは「ジャニー○多川の人身売買やん」とか「いやこんな未発達な身体の男の子の水着ブロマイドとかは流石にまずい、表立って性欲を感じる相手を選ぶ理性を持たないと」と思ってた。
それが今回、めちゃくちゃ好みの顔の子を見つけて、ジャニーズJrの未成年を推してしまいそうになってる。
大前提として
・性欲の対象ではない(それは割と2次元も3次元もそう、推しは性的欲求で選ばない。好みの顔=セックスしたいではないし、そんなこと考えるのは烏滸がましいと思ってしまうタイプのオタク)
・それに伴い、際どい営業は望まない
・ひたすら「かっこいい、すき、色んな格好してるところが見たい!喋って歌って踊ってるとこが見たい!」と思う
って感じではあるのだけど、私が喜んでその界隈の経済回しちゃったら、回り回って彼らが際どいことしなくちゃいけなくなったりしないかとか不安になる。
あと「未成年を推してる自分」が気持ち悪いと思う。5歳くらいしか変わらないけど、私は5年前は自分が本気で子供だった思う。今よりもっと、特に性的なことに関しては善悪が曖昧だった。そんな人間を、性的な目で見ていないとはいえ好意の対象としてニヤニヤ消費していいのだろうか。これって海外の基準だとぺドだよね?ってなってしまった。しかも私の性質が悪いのが、多分彼の「未発達で危ういところ」を好ましく評価してしまっているところだ。まさか自分にショタコンの才能があると思っていなかった、最悪。
でも色々買わないとアイドルとしての成功を支援できないし、そもそも私は愛を消費で表現したいタイプのオタクなのだ。2年待とうか、それから推そうか……。でも今から推したい、成長して変わったらその時も好きかわからない……。そんな狭間で揺れている。
(主にTwitterのジャニオタ界隈で観測したアレな人たちのまとめだからこのタイトルだけど、正直2次元も3次元もどこもこんな感じだよね)
①推していたタレントに対する愛がほとんど冷めているのにまだ諦めきれずに愚痴垢作ってネチャネチャ文句言ってるタイプと、②タレントが脱退ないし退所したのになぜかグループの方にしがみついて過去を振り返り続けるタイプの2種類が主。
①推しアイドルの後方プロデューサー顔で運営方針やセルフプロデュースに苦言を呈し続ける。アイドルの結婚と恋愛にとりわけ厳しいがち。法で定められてるのかと思うくらいセーラームーンかマイメロのアイコンのやつが多い。あとやたらお題箱を通してコミュニケーションしたがる。
真っ当な批判してる人もいるっちゃいるけど、まあ、なんというか、繊細で理想が高くていらっしゃる……
②あんまり過去ばっか懐かしんでたら推しくん可哀想だろ今の活動も見てやれよ……と思わんでもないが、人によっては現在の活動もクソもない場合もあるのでそれはご愁傷様としか言えない。
退所タレント推しの場合は事務所・グループのアンチと化す悪霊パターンも多い。
タレントの個人情報(行きつけの店とか恋人いるかとか電話番号とか)を売買したりばらまいたりしているアカウント。何らかの犯罪ではないか思うのだが。
エゴサ避けなのか絵文字を駆使した暗号めいた隠語を用いていることが多い。
正直推しが何しててもニコニコ喜んでくれるんだからアイドル的には良客なんじゃないの?と思いきや、行きすぎるとアンチツイートはおろか真っ当な批判やフラットな感想にも憲兵よろしく噛みついてくる厄介になる。こういうのが多いとこは敬遠されがち。あとタレントのおイタや失言を「かわいい」で済ますのはちょっと。
「アンチ」+「オンリー」の造語らしい。グループの1人だけを応援して、残りのメンバーをアンチする人たち。アンリーなファンが多くて有名なタレントはポツポツいるけど、どのグループでも多少は抱えていると思う。理論展開が陰謀論めいていることが多い。あとツイートの雰囲気から高齢の方が多いのでは?と感じているが実際のところどうなんだろう。
業界人です。お盆休みに帰省できず暇を持て余した友人から急にSkypeがかかってきて、「そういえば日本の半導体産業って衰退してるってよく言われるけど今どんな感じなん?やっぱり人件費で中国韓国に勝てないの?」みたいなことを聞かれて、日本の半導体産業の規模感って一般にあまり知られていないと思ったので、備忘録的に日本で半導体を製造している主要メーカーとその工場について書いてみる。
始めにロジック半導体とメモリ半導体から。気が向いたら他の分野も書く。
追記:書いた
https://anond.hatelabo.jp/20200813164528
半導体工場で使用される製造装置は寡占化が進んでおり、世界中どのメーカーでも使われる装置自体に大差はない。
この辺の記事 (https://eetimes.jp/ee/articles/2003/17/news048_4.html ) を見てもらうとわかりやすいけれども、各工程で使用する装置はどの分野も3社程度で寡占されている。
これらの装置の費用が非常に高いため(一番高価な露光装置で50億超、最新のEUVだと100億)、製造コストに占める人件費の割合は低い。
工場で働く人たちは装置のメンテナンスや、管理システムの構築、製造計画のプランナーとかで一般的な工場ブルーカラーのイメージとはタイプが異なる。
リーマンショック後の2010年あたりで新規の設備投資がほとんどなくなった。もはや質・量ともに諸外国と先端品で競えるレベルに無く、外資系企業の買収が進む。
経産省がTSMC誘致を企画しているようだが、現状の日本国内には先端品の需要が少なく、実現性は低いと思われる。
日立・三菱電機・NECのロジック半導体部門の流れをくむ日本を代表する半導体メーカーだが、
売上的には縮小均衡を重ねて 1+1+1=1 と残念な結果に終わっている。
かつてはSoC、マイコン、車載等様々な分野で世界一の売り上げを誇っていたが、現在では上記のすべてで世界一から陥落している。売れるものがなくなれば工場への投資はできないわけで…
■ ユナイテッドセミコンダクタージャパン (台湾UMCが富士通から工場買収)
かつてのフラッグシップスパコン、『京』のCPUを製造した工場。他にもSparcプロセッサや、VIAのGPU、各社デジカメのSoC等、地味にいろんな会社の受託製造をしていた。
が、プロセッサの需要はTSMCに流れ、デジカメは市場大幅縮小。車載分野に活路を見出そうとしているが先行きは大丈夫なのか…
■ タワーパートナーズセミコンダクター (イスラエルTower JazzセミコンダクタがPanasonicと合弁)
Panasonicが自社のデジタル家電で使うプロセッサを製造するために設備投資をしていたが、
台湾Mediatekのデジタル家電向けプロセッサに太刀打ちできず規模縮小。
一時期32nmの半導体を世界に先駆けて量産との報道が出ていたが、現在では作っていない模様。
Panasonicは半導体製造分野から手を引きたくてイスラエルの会社に51%の株式を譲渡。運営の主導権を渡す。
今は何を主力で作っているのだろう?
ちなみに。規模はともかく一般的に半導体のイメージがそんなにない下記の国でも、実は日本よりも進んだ製造プロセスの工場を持っていたりする。
先端ロジック半導体の製造に関しては、すでに勝負がついた感がある。
ドイツ:Global Foundries(資本は米) 12nm
日系・外資含めた主要メーカーは3社。技術・設備投資ともに世界2位の水準。現在も年間数千億円が継続して投資されている。
20年ほど前、『メモリは装置があれば誰でも作れる汎用品』との言説が流行し、各社一斉にロジック半導体にシフトした時期があったが、結局は今に至るまでメモリ分野のほうが競争力を維持できているというのは何とも皮肉。
外資系の影響力は増したが日本に産業が残っており、お金も回っている。
■ キオクシア (旧東芝メモリ)
旧東芝メモリ(現キオクシア)のNAND型Flashメモリの主力工場。増設を重ねて規模だけでいえば全世界で最大の半導体工場だったはず。
2次元NANDの時代には微細化で世界トップクラスの技術を誇っていたが、3次元化に出遅れて技術的な優位がなくなってきている模様。
96層世代では辛うじてキャッチアップできたようだが、技術的には韓国サムスン電子・米Micronに先行を許す。中国メーカーYMTCの製造が急速に立ち上がる中、先行きは予断を許さないだろう。
上記四日市工場は確かに世界一の規模を誇っているのだが、これ以上規模を拡大すると人材募集が難しくなる(東海地方の理工系人材は自動車・化学とも取り合い)ことや、周辺の交通渋滞慢性化による物流の効率低下、地震等の自然災害で事業が壊滅するリスク等を踏まえて2019年に新設された最新鋭の半導体工場。
ただ、工場の規模がまだ小さいため、電気・水道・工業用ガスといったインフラの費用が割高になることや新規採用したオペレーターの習熟度等の影響で四日市工場よりも製造コストは高いと推測される。
■ Micron Memory Japan (旧エルピーダメモリ)
NEC・日立・三菱電機のDRAM部門が統合してできたエルピーダメモリの破綻後、米Micronが買収。
米国企業になり財務に余裕ができた影響か設備投資が増額されており、昨年には世界に先駆けて1Znm世代のDRAMを量産に成功。
ちなみに1Znm世代とは何ぞやという話だが、DRAM業界ではプロセス基準のサバ読みがもともと横行していたのだが、20nmを切ったあたりで微細化のペースが落ちた結果、具体的に何nmといえなくなってアルファベットで世代を表している模様。
なお、リクナビの新卒募集要項を見ればわかるが、待遇は日系メーカーよりはるかに良い。
上記キオクシアの半導体工場を共同運営していた米SANDISKを米Western Digitalが買収。
投資を折半しているだけでなく、日本に開発拠点や製造の人員も擁しており、何気に日本国内での事業規模は大きい。
余談だが、日立がフラッシュメモリから撤退したときに人員が旧SANDISK日本法人に流れ、日立はHDD部門もWestern Digitalに売却していることから、管理職クラスは旧日立系が多いとの噂。
日本法人社長も日立出身だしね。なお、キオクシアとWestern Digitalは同じ分野の仕事をしているにもかかわらず、上記Micronと同様、リクナビを見ればわかるように日系メーカよりも良い待遇となっている。
半導体業界を志望している学生諸君、キオクシア受けるならWestern Digitalの方がいいぞ!
何か勘違いしているようなだ?
だから、自分の性別がどうであれ、育った国がどこであれ、2次元コンテキストに精通すれば、「2次元のXキャラ」をそういうものとして消費するようになることはまったく自然だしイノセントだ。
2次元のキャラが自我を持って3次元の現実世界の政治に干渉してくるようになった時に、あらためてけしからんとか気持ち悪いとか考えれば良い。
今の所はそんなことが起こる兆候は一切ないし(Vtuberなんかは見かけ上それっぽい演出であることはあるが、あくまで「ごっこ」だ)。
すべてのキャラクターは現実の人間がエゴを投影して好き勝手に創造し都合良く演じさせているお人形であって、お人形ごっこファンな我々はあくまでお人形ごっこのノリで楽しまなければならない。
赤ちゃんの相手をするときは赤ちゃんレベルに合わせるように、時に知能を退行させて現実と分離する振る舞いも、高度で適応的な振る舞いなのだ。
最初に。
この文章は特定の誰か(特に『32歳〜』の作者やそれ関連の増田を書いた人)への敵意で書かれているものでは無く、むしろそれを読んだ32歳より若い、自分にとって同年代や下のオタク、特に女性にとってひとつこういう文章があればと思って書いたものだ。
題名で強い言葉を使ってしまったのも少しでも多めの人達に開いてもらえればと浅知恵をはたらかせたもので、もし不快になった方がいれば本当に申し訳ないと思っている。
その上で。
自分は学生で、腐女子だ。具体的には中学で黒バスが流行り、高校に行くか行かないかの所から松が流行り始めた。18↑ではあるがまだ言ってしまえば「幼い」部類に入るだろう。腐女子としても、人間としても。
若い人間は、社会がどうなっているか知らない。何をすれば死なずに済むのかと漠然とした社会への恐怖をうっすら持ちながら、それでも目の前のことに夢中なままだ。
数日前。同期と繋がっているTLは、「32歳腐女子〜」がバズり、C陰謀説や百合カプでふざけるツイートが大半を占めていた。
しかし、ごく少数。「メイクしっかりした方がいいのかな」「洋服変じゃないかな」という不安も流れていた。
友人たちは今モラトリアムの中にいる。
好きな服を着れるようになった。それを考え無しに買えてしまうほどには幼い。
しかし、何が正しくて何が間違っているのか自分で決めてしまえるだけの強さも無い。
自分も勿論幼い。自分のタンスには何着かしまむらがあるし、バンTにインターネットで買ったシルバーを巻いて足元は厚底スニーカーだ。頭髪に至っては自然界に無い色彩で、馬鹿学生丸出し、むしろイキった高校生にすら見えるだろう。
今だってバイトを入れば髪色は暗くし、初対面の人であればプライベートでも大学生〜社会人一年目くらいのミドルブランドを入れつつなんとか見えるようにやっている。
オタクの言いそうな事だが、本職の「女子大生」に適わないまでもそれなりに見れる格好になっている(と信じたい)。
好きでしている格好なのに何故か?
例えバイトの規定に指定がなくとも、このドンキの前に屯ってそうな格好でいれば周囲の奇異の目だけでなく、「こんな格好で行ったらどう思われるか」「面接で落とされないか」「常識が無いと思われないか」、と家を出る前から起こってもいない不安で仕方なくなる。
精神が擦り切れないための予防、自分は社会的で無害ですよというアピール。
きっと、気を遣いがちで空気を読むことに長けるような人、少し悪くいえば人の顔色を伺う心の弱さとも言えてしまうような人ほどこのファンを顕著に感じ、実行している。
「32歳腐女子の友人」にあたる人達は、多くはこれを意識的にでも無意識的にでも行い、実行しているはずだ(周りを何も見ていない、気にしていないのなら極論裸でもいい。それをしないどころか『お洒落』なのは、とてもリーディングスキルに長けているからだ)。
では逆の、「32歳腐女子」の層はどうだろうか。
おそらく彼女らも服飾に興味はそこそこある。
では我を通すだけの強さがあるというよりは、精神の幼さ故の客観性の欠如、といった方が正しい。
服飾のセンスだけでなく客観性に欠けると、周りの価値観に合わせることも出来ないことが多いだろう。
女性の多くが人生の変革期を迎えがちな30代に価値観がこれの人間は友人として面倒すぎるだろうとも予想できる。
それでも自分は、32歳になって、友人がバカみたいな幼くいても、友人のままでありたい。
これこそ幼すぎる考えかもしれない。そして、この文章は八つ当たりになってしまうかもしれない。ただただ「32歳〜」がバズらなければ良かったとしか言えない。その上で正直まだ幼い人間にとって、「10歳上」の言葉は、絶対に感じてしまうのだ。
人間関係にとやかく言う気は無いし、異物の排除は人類が身につけてきた集団を維持するための知恵で、合理的だ。
でももし、1人でも「32歳〜」とその関連を読んで「自分も変わらなければならないのだろうか?」と不安になっている人が居たら言いたい。
そのままでもいい。
75になってアクシーズファムを着ていてもいい。
子供を持たなくてもいい。
恋人は一生2次元でも2.5次元でもいいし、どこにも居なくてもいい。勿論3次元に居てもいいし、人間じゃなくてもいい。
もし友人や親友だと思っていた人に陰口を言われたり、忠告されたりしたらその時考えればいい。
縁を切るか、友人に合わせるかすればいい。
友人の方が好きだったら言われた通りにすれば良いし、友人より大切だったら切ればいい。
友人が他に欲しければインターネットが今はある。
こんな単純な話では無いのはわかっている。「ダサい」人の多くはこんな増田で擦り切れるほど繊細でないし、「お洒落な」人にとっては苦にもならない日常だろう。
しかし、もしこの文章を読んでいる人が、もし少しでも擦り切れていたら。
あなたの服装が、言動が、内面がどうであろうと自分はそれを肯定する。そしてこの世のどこか、近くか遠くかできっとあなたの居場所が必ずある。
そう32になっても言える人間に、なりたいとだけ願う。
元々物心がついた時から3次元にハマっていたが後に2次元の沼に落ちた。
2次元オタクになってから絵を描くようになり、今思えばとんでもなく下手くそな絵でも上手く描けたと喜んだ。謎の自信を持ち、人に褒められたいという気持ちが沸いてきていた。
暫くして、pixivというサイトの存在を知った。自分よりも上手い人が数えきれない程の素晴らしいイラストや小説などをあげていた。上手い方はTwitterをやっているらしい、ということで最初は見る専でTwitterも始めた。Twitterを見ているうちに自分も絵をあげたいと思うようになった。
Twitterで絵をあげるようになり、ただあげていても仕方がないと思って#をつけて同じジャンルの友人を探すことにした。3ヶ月後くらいには相互フォロワーも増え絵をあげるといくつか「いいね」を貰えるようになった。
これは典型的だろうが沢山の「いいね」が欲しくなってしまったのだ。本当は思っていないかも知れないが、「上手いですね!」などのリプを貰えたときには「肯定してくれた、認めてくれた」と思ってしまった。自分が思っているほど絵が上手くないのに、その「肯定」が欲しくなってしまった。人に褒められて嫌な気分になることはあまりないし、Twitterは相手の顔が見えない。相手の評価が相手の本音かどうかは、こちらの受け取り次第で変えられるのだ。
「いいね」を求めて絵を描いた結果、以前よりも「いいね」が貰えなくなった。
「肯定」が欲しくてやっていたTwitterだったがあまり貰えなくなってしまったので、1度絵を描くことを止めて文を書くことにした。そこそこ文は考えられる方だと思い込んでいたが文才も無かった。
知らないうちに、自分のフォロワーが楽しそうにジャンルの話をして絵をあげているのを見るのが辛くなっていた。久々にペンを持つと何も描けなくなっていた。最終的にはジャンルから、2次元から離れていた。
こんな不純な気持ちでTwitterやっていてはいけないと思い、絵をあげていたTwitterの垢を消した。それからは気が軽くなって3次元を以前よりも追うようにした。
(余談だが2次元のイラスト垢と平行して3次元のイラスト垢も使っていたことがあったがノリが合わず3次元垢を消した過去がある。)
Twitterをやって分かったことがある。失礼かも知れないがフォロワーが多かったり、人気のジャンルならシビアに画力が問われないということだ。客観的に見て自分の方が絵が上手くてもフォロワーがかなり多ければ反応が多い。対して、自分より絵が上手くても人目につくことが少なければ当然反応が少ない。知るのが遅すぎたが絵は反応が全てではない。
ここで話はかなり遡る。運動も勉強も同級生に敵いそうになかったので褒められようと思って絵を描いた。上手くは無くても周りよりもマシだったのでちょっとだけ両親に褒められた。幼い頃は両親に褒められることが何よりも嬉しかった。自分の中では「褒められる=生きていることを認められているような気がする」なのだろう。
1人でもいいから誰かに褒めて貰いたい、その思いを捨てきれず今も絵を描いている。この気持ちは「不純だ」と言われるのだろうか。
僕はアイドルマスターにそこまで真剣ではないからライブも行けるときに行ける分だけだし、イベランもしないし、誇れるほどの歴もないけれど、人並みにアイドルマスターと星井美希が好きだったので当然配信を見た。
見る前は特別配信に対して何かを求めていたつもりはなかった。この配信はMRが中止になってしまったことの補填のようなものだと発表された時から理解していた。MRは一度見に行った時に十分満足したから特別新しい思いはなかった。しかしキャラクターによる生配信という形態、そしてShowroomという媒体が無意識的に僕の期待を膨らませてしまっていたのだと思う。
僕は広く浅くオタクをしている。二次元では漫画やラノベを嗜み、三次元でもアイドルを追っている。二次元には二次元の良さがあって、三次元には三次元の良さがあると思っている。今回の星井美希の配信がなぜ虚無だったのかについて語る前に、まずそれについて少し話さなければならない。
二次元に対して求めるもの、それは文脈だ。二次元は所詮創作であり、現実ではない。だからこそそこには理想を追い求め、究極を追求する意味がある、必要がある。なんの必然性もない理不尽が存在してしまうのであればそれは三次元と同じ、あるいはそれ以下でしかない。キャラクターには一貫性が求められ、物語には起承転結(正しくは三幕構成なども含む物語が面白くなるための何かしらの構成・努力、わかりやすさを重視して起承転結と表現)が求められる。三次元には存在しないものを僕は二次元に求める。これは別に僕だけじゃなく二次元オタクなら誰しもが心の底で思っていることだと僕は思っている。
一方三次元に求めるもの、それは生だ。対象が生きているという実感。所詮虚構でしかない二次元では絶対に得られない感覚。生きている人間と物語の登場人物では情報量があまりに違う。その情報量の違いが自然と生の実感につながっていると僕は思う。中にはその情報量を文脈に結びつけるタイプの三次元オタクもいるらしいが、僕はそこまではしないのでここでは省略。
普段僕がアイドルマスターにもとめているのは当然前者だ。キャラクターの成長、物語の文脈を楽しむ。もちろん衣装を着せ好きな曲を聴くなど単に造形美を楽しむときがある。でも本質は文脈だ。ライブに行くときも演者の演技を通じてキャラクターの文脈を感じ取ることが出来る瞬間が最も気持ちいい。
しかし唯一僕がアイドルマスターに対して三次元の生をほんの少しだが感じたことがある。それはMRだった。
目の前で二次元であるはずのアイドルが踊っていること、トークをしていることに確かに生に近いものを当時の僕は感じていた。
そして今回のShowroom配信、おそらく僕はその微かに感じた生をさらに感じられることを強く期待してしまったのだと思う。ただMRの代替であればそこまでの期待はなかったかもしれない。Showroomという普段自分が3次元のアイドルを見るために利用している媒体を通して生配信が行われるという事実が僕を煽動してしまったのだろう。
だが実際行われた配信は生の欠片も感じさせない、二次元ですらない虚無配信だった。
あの配信の目的はユーザーに生を感じさせることで間違いはないと思う。わざわざShowroomを選んでいることが何よりもの証拠だ。だから二次元に求められる文脈などは当然配信に存在しない。それは予想通りだったし配信を見るにあたって一切求めていなかったのでそこに不満はない。
しかし肝心の生はどうだろう。芝居がかったトーク、台本が透けて見える配信の流れ、最後はあくまでリスナーをプロデューサーとして扱う。そこにいたのは星井美希というアイドルではなくアイドルマスターの星井美希というキャラクターだった。誰かが書いた文字通りに動くキャラクターだった。所詮二次元は二次元なんだと、三次元に昇華することなど不可能なんだと。僕がMRで感じた生は所詮ライブという限定された空間だからこそ成り立っているものだった。その成り立ちすらも不安定だったのだろう。きっと何回も行けば途中から生を感じることは減っていったように思う。
別に二次元を三次元に昇華してほしいと常日頃から思っているなんてことはない。二次元に求めるものと三次元に求めるものはそもそも違うのだから今のままで十分なのだ。しかし今回僕は期待させられてしまった。星井美希が生きている可能性を提示されてしまった。その結果僕は思い知る、所詮二次元は虚構でしかないのだと。二次元に生を求めるのはお門違いなんだと。
星井美希は生きていない。
ネーミングに関しては制作側が言い出したのではなくてファン側が言っていたのを制作が採用した形なので、元来の売り出し方は別に2.5次元ではなくどちらかと言うと実写映画化に近いものだった。
漫画原作の舞台化黎明期は今以上に3次元ファン向きの構成で、たとえばテニミュの公演の一場面で俳優が別舞台の宣伝をして笑いをとるみたいなことが行われていた。
ただまあ制作側が「2.5次元」を採用して2.5次元ミュージカル協会を設立してからは明らかに2次元ファンを取り込もうとしているのが伝わってくる。