はてなキーワード: 3次元とは
推しの死で泣けない。
死でなくてもいい。推しの成功勝利敗北、どれを描かれても多分無理だ。
仮に泣いたとしても、それは物語の演出に感化されて出てきた涙であって、自分の好きなキャラクターが「推しが死んだ」ことに泣くのではなく、「慕っていた師匠の敵討ちに失敗し、師匠の笑顔と最期の苦悶を思い出しながらまだ死ねないと思いつつ息を引き取る」状況に泣くのだ。
逆に言えば、「慕っていた以下略」の演出さえあれば、そこで死ぬのが非推しであっても涙は出てくる。
推しのいるオタクのエッセイ、ドラマ、漫画を読む度に違和感を覚える。作品を見た瞬間に電撃に打たれるような一目惚れした経験も、推しの死や引退で仕事を休むほどダメージを負った経験もない。
私はこれまでに何人か(3次元も2次元も)「作品の中でとりわけ好きなキャラクター」がいたけど、彼らのことを「推し」と安易に表現してしまって本当に良かったのだろうか?私はまだ、本当に推せるキャラクターに出会っていないのかもしれない。
オタクは何をもって特定の人物を「推し」とするのだろうか。私は圧倒的にビジュアル重視だ。容姿が好みであり、かつ愛せる性格をしているか。
他にどんな理由があるのだろう。生い立ちに共感する、とか?ビジュアルから入らずに「推し」が作れたら、その子の死を嘆くことが出来るのかな?
推しが原動力になり、時に推しと共にダメージを負い、推しを通じて新たな友人と出会う。オタクエッセイ(フィクションでもいいけど)の主人公は推しの一挙一動に振り回されつつ、大きくテンションを上下させながら生きている。楽しそうだ。
私はそんな生き方がしてみたい。体験したことがない現象に憧れている。中毒性があるのは怖いけれど麻薬を吸ったあとの世界を見てみたいという好奇心に近い。
昔に比べてオタクは世間に受け入れられやすくなっているし、「推し」が居ることを公言する人だって多い。私も会話のノリに合わせて、死んでも泣かないであろうキャラクターの名前を挙げることがある。
「推し」が居ますと言う人のうち、どれだけが推しの死で泣けるのだろう。私のように、会話の種としてのみ「推し」という言葉を使う人はどれくらい居るのだろうか。
彼氏が欲しい。
年齢=彼氏いない歴だけど。
彼氏できるわけないだろという感じ。
だけど、彼氏が欲しい。
彼氏が欲しいから、オタクであることは男の子の前で言ったことないし、腐女子であることなんて女の子の友達の一部しか知らない。
程度としては、グッズとかも集めないし、創作もしない。形に残らないように電子書籍で漫画を集めているくらい。でも3次元のオタクなのでアイドルの現場に行ったり、2.5次元舞台に行ったりはする。通ったりはしてない。
彼氏が欲しいからってわけではないけど、コスメを見て流行りの買ってみたり、高いブランドのカバンを欲しがったり、服を見たりするのが好きだ。月に1〜2万くらいは服とか髪とかコスメとかにお金使ってるので、無頓着というわけではないと思う。
高校卒業する時、同級生の男の子に「増田(仮名)は大学生で絶対彼氏できるよ!」と言われた。でも、彼氏はできていない。
大学はキラキラしたものだと信じていたけど、人より授業をたくさん取らなきゃいけない状況だったから、週5で夕方まで大学にいたし、家と大学が遠すぎるからサークルにも入らなかった。その結果、出会いがなくなった。
外見は普通だと信じたい。ちょっと整形したいなと思うことはあるけど、リスクを考えたら諦められる程度のブス。彼氏が欲しいから痩せようって思ってはいる。デブは罪。美味しいものを食べるのは生き甲斐だから、量を減らしつつリングフィット先生をやっている。
「楽しそうに生きてるよね」とよく言われる。
私は彼氏が欲しいけど、彼氏がいなくても人生がめちゃくちゃ楽しい。学歴はないけど、勉強はそこまで嫌いじゃない。就活とか卒論とか嫌だと思うことはあるけど、それ以上に好きなものがたくさんある。恵まれていると自分でも感じている。
家族が大好き。お父さんとお母さんはどうしようもない娘でも大事に育ててくれたし、やりたいようにやりなさいとお金も惜しまず使ってくれた。昔から歯並びがコンプレックスだったから矯正もさせてくれた。旅行にもたくさん連れてってもらった。私はこういう親になりたいと思う。お兄ちゃんも会話は少ないけど、優しい。
友達が大好き。高校の友達は連絡全然しないのに時々私を遊びに誘ってくれるし、大学の友達は一生の友達でいてくれるような気がするくらい色んなことをしようねと話している。一緒にいるだけでずっと笑っていられる。私はお酒が飲めないけど、「素面で酔ってる」と言われるくらい楽しそうに見えるらしい。
彼氏が欲しい。
オタク辞めたいから。大好きで依存できる存在が近くにいてくれたらどれだけ幸せだろう。彼氏ができたらきっと大好き〜!ってずっと言ってるだろうな。実際の恋愛そんなに甘いものではないと知ってはいるけど、夢は見ていたい。彼氏ができたら世界が変わると本気で思っている。
私の友達は彼氏いなくても楽しいと思って生きている子ばかりだ。オタクの子もいれば、異性があまり得意ではないからという理由の子もいる。そういう子達からしたら私が異常で、重症。
私だってちょっと前まではそう思っていた。オタクをしているのが世界一幸せで、生き甲斐だった。でも現場がコロナでなくなったら一気に現実に戻されてしまった。オタクをやっていても何も残らない。それなら、推しより彼氏が欲しくなった。
子供を育てたい。
年を取るたびに子供が可愛くて仕方ない。電車の中で赤ちゃんや小さい子供を見たら可愛い〜〜!!!ってなる。中高生を見ると若さに対して微笑ましい気持ちになる。
自分も親になりたいと思うことが増えた。私の親は本当によくできた人たちだから、両親のようになれるかはわからないけど、「子育ては大変だけどやっぱり嬉しいよ」と言われて自分も子供が欲しくなった。あと、親に孫の顔を見せたい。
子供を育てるためには、子供を産まなきゃいけない。子供を産み育てるためには、結婚しなきゃ難しい。結婚するために、彼氏が欲しい。
私は120歳まで生きたい。
人生が楽しいし、死にたくない。死ぬなら人に看取られて死にたい。1人で死にたくない。1人でいるのは嫌だから、今から彼氏が欲しい。
これだけ書いても私には彼氏がいない。
何を間違って生きてしまったのか、本当は自分が1番よくわかっているのだ。
それでも、彼氏が欲しい。
アニメ系のロリコンオタクとジュニアアイドルのオタクってどのくらい被ってんの?
ジュニアアイドルがかなり際どい仕事させられてるのはもう周知の事実だと思うから、ジュニアアイドルが好き=「我慢している」にはならない、って前提で話す。
・ロリコン二次元オタクも「流石に3次元の子供に際どい格好させるのは…」ってなってジュニアアイドルオタクにまでは発展しないのが普通なのか?
・そうは言ってもジュニアアイドルオタクのほとんどはアニメ系のオタクでもあるのか
・それともジュニアアイドルのオタクは(被っている人間も多少いるかもしれないが)アニメ系のオタクとは全く違う集団なのか
単純に興味
YouTuberが、3次元の人ばかりだったから、差別化を図るため、2次元のアニメキャラは現実に存在しないから、Virtual。
それにTuberが合体して、VTuber。
をただ書くだけでお気持ち表明とかそういうのではない。なんとなくインターネットの海に、匿名で自分を表現したいと思いここに投稿する。
服装はパッとしない冴えない感じで(大抵はパーカーだ)、顔も良くはない。メイクも幼い頃にやった習い事の発表会用と成人式以外ほとんどしていない。
言われるならカッコいいのほうが嬉しく、可愛いと言われるのは苦手だ(可愛い、というのは内面的な部分を指してでしか言われたことはないが)。しかし別段かっこよくなる努力はしていないし、しようともあまり思わない。ありのままがいい、というと聞こえはいいが、要するにただのズボラである。ご想像の通り、彼氏も彼女もいたことはない。
そんなこんなで性自認については、「女性はこちら」と言われればそちらに向かえるが、社会からの役割期待からはズレている感じがする。なので「恐らく女寄り」という自認だ。
性的指向についてはまだハッキリとわかってはない。私はオタクなので異性に関しては基本的に二次元にしか興味がなかった。記憶を探れば、小学校低学年くらいにはやんわり好きな男子のような存在がいて、中学校もなんとなく男子への興味(これは恋愛感情ではない)はあった気がする。好きなキャラクターも男性キャラの方が多い。
一方、小学校高学年くらいには女子への興味がうっすら出てきていた。スキンシップが多い子にはドキドキしたし、プールの授業で密着されたときも内心うおお‥となっていた。中学の頃、割と仲の良かったクラスメートにすれ違いざま首を触られ、無反応でいたらぼそりと「感じないんだ」とつぶやかれた時も顔に出さずともめちゃめちゃドキッとした。女子に対しては恋愛感情未満、だとは思っているが何となく好きかもという感情を抱いていた。
また、小学校のときのクラスメート(女子)が私のことを好きという話を人づてに聞いたときも嬉しく思った。結局その子とはもう離れているので何もなかったが、私のことを好いてくれる同性の子がいたら私はOKを出すかもしれない。そんな気がする。
好きなキャラクターは男性が多いと述べたが、女性キャラクターも数は少ないながらも同じくらいの熱量でハマってきた。現在の推しも女の子である。最近は今までなら全く興味がなかった女性アイドルにも推しがいる。(男性アイドルには依然として興味が沸かないが)
これらのことを考えると、自分の性的指向はレズ寄りのバイなのかなとぼんやり思ったりしていた。しかしレズ寄りといえるほどなのか確信は持てない気もする。だが現状は、3次元に関しては男性への興味より女性への興味のほうが強い。可愛い女の子に言い寄られでもしたらすぐ付き合いたいと思うだろう。容姿がすごく良いわけではなくても、仲が良くて私のことを恋愛的に好いてくれる女性がいたら嬉しいと思うだろう。
私は彼氏も彼女もいないし、暴漢に襲われるなんて不幸なことも起きなかったため、ありがたいことにまだ処女だ。オナニーはしているが、パンツの上から触るくらいの軽いやつだ。性行為についても2次元エロ画像くらいでしか知らない。童貞の幻想程度の認識しかしていない。それを踏まえて自分はどちらの性と行為をしたいか考えたとき、即女性とがいいと思ってしまう。男性との行為はなんとなく嫌悪感があるというか…変な話だが「男と女」を突きつけられるのが嫌なのかもしれない。蛇足だが、私は3回ほど男性から性的加害を受けたことがある。自分ではどうってことないと思っていたが案外トラウマになっているのかもしれない。
じゃあなぜ女性との行為はむしろ興味があるのか、自分でもここはよくわからない。男性じゃないからという消去法的な考え方なのだろうか。分からないけど女性とはそういう関係になってみたいとどこか思っている自分がいる。性的指向については結局よくわからないままでいる。
まとまりのない文になってしまったが、どこにも誰にも言ったことのない、言えなかったことが吐き出せてすっきりした。もし自分はこうだよ、とか、それはこうなんじゃないかな、とか、いやそれは理解できない等なにか思ったらコメントしてくれたら嬉しいです。それでは。
まず、コンピュータゲームがほとんど巷に存在しない時代にPongが登場すれば、そりゃみんなゲームにワクワクしたはず
アメリカにアーケードゲーム筐体だってそのものがない時代なんだから
だからスティーブ・ウォズニアックだってApple IだのIIだのでPongの実装はやっていたはず
それもスティーブ・ジョブズは売りにしてたはずだ
Pongが動作すると、次はブロック崩し(Breakout)が作れる
プログラミングのコツの一つは他人のプログラムを改変することだ
Pongが動くなら、そこからドットやドットの塊をVRAMに描画することは可能だと気付くだろう
でも、単なる壁打ちや対戦ゲームだったPongのゲーム性を大きく変えることになる
日本のゲーム企業タイトーは、このブロック崩しをインベーダーゲームに「再々」発明した
これも実現可能であることは誰でも分かるが、ゲーム性を大きく変えることはある種の発明だと思う
ちなみに、孫正義はタイムマシン商法が得意で、このインベーダーゲームをアメリカに輸出し大儲けした
相変わらず、左から右、右から左に他人のものを移動して儲けるのが上手い(いや、本心から褒めてるんですよ
インベーダーゲームでは、ブロックは上から段々と降りてくることになる
また、ブロックが左右に動く、UFOは高速に動く、手前のバリケードがありドット単位で破壊される
プログラミングのコツの一つである、他人のコードを改造する、は本当に素晴らしい再発明を起こしてくれる
Pong → ブロック崩し → インベーダーゲーム → ギャラクシアン → ゼビウス → グラディウス → 斑鳩だの東方だの弾幕避けだの何だの
に繋がっていくわけだが、
この矢印での「パラダイムシフト」の段差が高いほど、ゲームに対するワクワク感が増すと自分は考える
つまり、ギャラクシアンのようなグラフィックからゼビウスが登場したときは、
安っぽい言葉で形容するなら一大センセーションというかエポックメイキングという感じだったわけだ
しかし、今の時代、2Dシューターにそんなにワクワクはあるだろうか?
というか、マニアでない奴が口を挟むな、と言うぐらいタコツボ化しているように思うのだが、
寧ろ、様式美とかお約束が守られてることがプレイヤーの安堵感につながる
2Dシューターができれば3Dシューターが作れるのも自明である
ただ、マシンのグラフィクスの能力が低かった時代にはリアルタイムでの3次元CGの実現が難しく、
アメリカではベクタースキャン、つまりオシロスコープやブラウン管テレビの走査線方式が主流だった時期もあったが、
アメリカではワイヤーフレームの3Dゲームが実現していた時代、日本はファミコンに向かっていた
自分にはハードウェアによるスプライトに固執し、束縛され過ぎているかのように今からすると思える
一方、ファミコンのスプライトの数はMSXと比べると段違いであったが、
ファミコンは2Dスプライトベースのゲームだけを前提としていた
つまり、ファミコンでブレゼンハムのアルゴリズムによる直線を引くとか困難だったのではないだろうか
自分はファミコンの開発はよく知らないのだが、ファミコン版のテグザーは酷すぎると思った
MSXの方がファミコンよりもトータルのグラフィック性能が劣るにも関わらず、
こうやってだらだら書き連ねてみると、
つくづくワクワクするのは何だってアーリーアダプターの段階であって、
そのあと結婚だって何だって倦怠期?ワクワクが減少する時期がやってくるのである
何もない状況にパラダイムシフトを起こす何かがやってくるとワクワクするのであるならば、
乳児はこの世界の何もかもにものすごくワクワクしていると思われる
乳児でなくなると、この世界の変化しないものは常識として脳に定着して、つまらないものにさえなる
でも、若ければまだまだ体験していないことはあるわけだ
若ければギャラクシアン → ゼビウスがどれだけスゴかったかなんて知らんし、俺も知らんw
でも、ギャラクシアンより先にゼビウス見た世代だけど、凄いなあとは思ったんだよな
だって、自分の場合はギャラクシアンを飛び越えてゼビウスだったんだから
逆にギャラクシアンの方を後から知って、古臭いゲームだなー、レトロだなーと思ったんだから
(ただ、ギャラクシアンの曲線的な軌道はゼビウスなんかより凄い発明に思うんだが。整数演算なんだよね?
ただ、レトロレトロとバカにする人はプログラマーでないとかなんだろうけど、
ゼロからコード書くって、何もないところから作ることを考えさせられるわけで、
それはゲームのプログラムを書くならば、ゲームの基本のPongから考えさせられることになる
例えば、ゲームプログラムを書くときSDLとかSFMLみたいなライブラリは使うかもしれないけど、
自分も何か新しいゲーム開発のライブラリとかフレームワークとか検証するときは、
から始めて、次に倉庫番、簡単なブロック崩し、テトリスを実装するとかやることにしている
そこで開発の大まかな進行とかフレームレートとか、色々分かってくるわけだ
ジョン・カーマックがどこで語ってたのか忘れたけど、最近のFPSは完全にMOD開発になっていて、
そのMOD開発の費用はどんどん膨らんでいっていると言ってた気がする
つまり、レベルエディットとかキャラクターだアイテムだとか、そういうコンテンツの緻密な開発だけが進んでいる気がする
GTAみたいなゲームもFPSとかで培った技術の集大成にすぎない
可視領域をどう区切るか?遠くの建物にLODを使うか?インポスターを使うか?とかそういったゲームエンジンの話は、
マシンパワーの向上やUnityなどのゲームエンジンの登場であまり議論する意味がなくなってきている感がある
もっとも、Unityなり導入すれば簡単に作れるという話ではないと思う
思うが、もうゼロからチマチマCのベクトル計算のコードを書く時代ではなくなっているのは確かだろう
カーマックはその高騰するMOD開発をマインクラフトは意図的に安価にしたと言ってた気がする
つまり、マインクラフトであれば子供でもゲームを改造する体験ができるようになる
それはマインクラフトの開発者であるnotchがそういうゲーム開発に対する思想を持っていたからだ
私はnotchはシンプルなものを積み上げるのが好きなように思っている
ただ、jsdo.itだかに投稿していたソフトウェアレンダリングのコードは北欧のメガデモっぽさがあって、
読もう読もうと思って未だに読んでいないことを今思い出した
文章書き直す気がないまま、だらだら書いてみたが、読み返して自己分析するに、
まず、ゲーム開発でなくてもそうだが、
まず何かがあって、それをコピー改造した何かが生まれる、この連続で物事は進化していく
手塚治虫があって、それを高橋留美子がコピー改造して新しい漫画が生まれ、
次に若い漫画は高橋留美子の漫画をコピー改造して、また新しいものが生まれていく
開発する側も消費者もワクワクするのは、この改造して新しい何かが生まれる、守破離の離のインパクトであろう
黎明期はその離のインパクトが大きいが、どんどんそのインパクトは小さくなっていく
そして、ありふれたものが溢れるようになっていく
これが成熟期と言える
しかし、その成熟期に溢れるものは様式美であり、お約束であり、マンネリズムである
あの時代は3DOが先行したがコケたり、ドリキャスも登場してコケたり、面白い時代だったのである
ただ、今の時代にああいう群雄割拠というか、戦国時代というか、そういう活気がゲーム業界にあるようには思えない
VR元年って毎年言ってない?というツッコミは分からんでもないが、まだまだVRは伸びると思う
物体を触れないなんてのはまだまだVR市場が伸びる余地があるということだと思っている
あと、FPSみたいに走るゲームだと自分も走るのか?ということになるけど、うーん、ルームランナー方式はなあ…
あと、これも自分は専門でも何でもないので、
というか、この文章自体がダニング=クルーガーなのは認めざるを得ないわけだけど、
敵というかNPCというか、今の時代だったら高度な汎用性のある人工知能をゲームでも実現するべきだと思うわけで、
そうすれば当然、同じセリフを延々と喋るドラクエの村人みたいなのは笑い話にしかならなくなる
ゲーム内に高度な人工知能が実現すれば、それらと会話したり、それらとマルチプレイと同様の感覚の連携プレイが可能になる
今までと同じことを繰り返しててもワクワクしないし、
フィクション、ノンフィクションんの違いはあんまり感じないな。
どっちも情報でしか無く、突き詰めれば人間の脳で再生されてる現象だから同じではある。
さておき、コンテンツは何であれ心に響くやつと無いやつがあって、自分はよくわからん。
今日も面白くない日本ドラマ(原作小説でめっちゃおもしろハズなんだが…)見てしまった。
なんかしらんけどなんでも無い場面スローにしたり、大したことやってないのにオーバーリアクション&お涙BGM(クソデカ音量)連発&話引き伸ばしすぎてスッカスカで視聴断念した
別の海外ドラマも見たけど10分で日本ドラマの1話分話が進んでて、こっちはこっちで早すぎるわって感じだけど、でも見るなら速いほうがまだ見てられる。
なんの意味があるのかわからん、ドアップカットとか出されても、意味わからん。
ゲームとかだと、行き止まりの通路には役に立つアイテムがあるとか、
ダンジョンの奥にある回復ポイントの先にはボス戦があるみたいな、門外漢にはわからないけどお約束の文化みたいなのはあるけど、日本ドラマも見続けないと理解できない表現方法とかあるのかな
白黒時代のドラマとか見るとめっちゃ大げさの身振り手振りで芝居してて、現代人の私が見るのしんどいな〜って感じするんだけど。
今日見たドラマも同じくらいしんどかった。ですわ口調の女キャラって、3次元でやっちゃてもいいものなの?
いや、パタリロとかそういうジャンルの作品ならいいかもしれないけどさ、割と経済とかなんとかそういう系のお硬いドラマだったからさ
そんなので、現実を超越してる過剰演技?もしかしたら自分が見慣れていないだけどドラマっていうのはこういうものだと言われれば、返す言葉はないんだけど、
そういう演技されると萎える。
でも翔んで埼玉はそれなりに映画見れたし、演技が臭いとかそういうのはめっちゃ印象に残っているだけで本質じゃない気がする。
やっぱりちょっと受け入れ難かったのは、過剰演技とか謎のスローモーションとか、顔面ドアップカット(意味深だけど何を表現しているのかわからない、自分には伝わらないカット)が、印象に残っていたけど、
クソオッセ〜んだよドラマ。
たまたま自分がみたドラマだけかもしれないけど、一話だから登場人物の紹介とか関係性の説明でいっぱいなのはわかるけど、
じゃあなんであの意味深スローモーションで謎のクソデカBGMかけながら、内容のない(まったくないわけじゃなくて話的にカットして結果だけをキャラに喋らせるとかでも済むくらい、情報の薄いシーン。なぜかスローモーション表現しているの(動きのあるような場面じゃない、例えばBBQで談笑しているシーンみたいな。教室で授業受けているような。何かしら言葉交わしてるんだろうなーって言う感じで、音声は謎の感動系BGM(クソデカ)のまま、スローです。))
中身がなさすぎてキツくて。見れませんでした。
おいおいおい!おれまだ24だぜ?!
中学の美術の先生いわく19がピークってことで、まあぼちぼち下降するだろうとは思ってたけども シコろうと思ってもシコれない日がこんなに早く来るとは思わなかったぜ
つか、シコれないぶんにはいいんだけど彼女に申し訳ない つねにチンコシナシナですよ 悪魔
これがEDか
でもEDって感じでもないんだよな
純粋に性欲が落ちている感じがする いや、興奮はしてもすぐ落ち着いてしまう?わからねえ どうなってんだこれ
ストレスなのかなあ
性的消費とか生殖とかその辺についてウジウジ考えすぎたのが悪かったのか?
なのに全然役に立たねえ
おれのチンポは全然勃たねえ
なんて言ってるうちにうたた寝…
創作を楽しむというのは理想や空想や思想をダイレクトに反映できる、人間だけに許された高度な知的遊戯だから、そんなふうに悪く受け取るのはもったいないよ。そして創作である以上、現実世界の物理的な制約にとらわれてしまう実写よりも、アニメやCGなどの手法を駆使した方が興味深い映像を作れるんだよ。清らかさの表現というのもその一種。3次元でリアルタッチで現実を描くとどうしても世知辛いものが滲んでしまうところが、2次元ならいい子ばかりの優しい世界を違和感なく表現することができる。二次元の愛好家は、必ずしも三次元の人間を嫌ったり醜いとか感じてるわけじゃないし、自分が醜いから二次元に逃げてるわけじゃない。実際俺も容姿はそんなに悪くないと思ってるしな。