はてなキーワード: 貧富の差とは
想田監督の一連のツイートに対するブコメの反応をみてると「安倍政権は日本を右傾化させるかも知れないけど、経済再生等々を考えると、この程度の右傾化は許容できる(せざるを得ない)」と考えて自民党支持する人が多いのかな。
確かに憲法改正は、衆参両院の3分の2の賛成で国民投票を実施して、それで過半数を取れないと実施されない。だから選挙では自民党に投票する人も「経済はともかく、憲法改正は信任してない」という意思表示を参議院議員選挙や国民投票ですることができる。
一方で、憲法改正しなくても「安倍一強状態」をうまいこと使って、集団的自衛権を行使して実質的に軍隊強化して韓国といつでも戦争できる国にしてったりするかもね。
どちらの見方が正しいかは、これから四年間みていくしかない。でも、どちらが正しくても、きちんとした手続きに則って我々の代表として安倍内閣総理大臣が決断していくことなので、ここは従おうと思ってます。「悪法なれども法は法」と言ったソクラテスのような気分。
個人的には、自民党政権はいいけど、安倍政権は嫌だった。なので今回の選挙では自民党に議席を大幅に減らしてもらい「安倍の賞味期限も長くないな」となって欲しかった。
安倍政権がヤバいなあと思うのは、安倍さん頭が悪いから。 成蹊大学って、こんなもんなんだろうなと思う。
今回の解散も大義なかったし、頭の良い人なら恥ずかしくてやれない。でも安倍さんは「野党の準備が整っておらず、自民党に大きな失点のないこの段階で選挙を実施すれば、自民党圧倒的多数の状況を更に伸ばせる」と読んで実施した。
選挙で述べるのは「アベノミクス」に絞り、「この話は国民の信を問わなくて良いの?」という集団的自衛権や特定秘密保護には触れなかった。これも頭の良い人なら恥ずかしくてできない。
哲学者の永井均さんのツイートの一部に「近年の貧富の差の激化と同時に賢愚の差も激化しているという事実はなく、ただネットの普及によって愚者の考えもまた知られるようになっただけ」https://twitter.com/hitoshinagai1/status/540675730011463681 とあって、これは本当にそうだなあと思う。
これまでは愚者の考えは広く知られなかったので、愚者は「俺の意見は少数派でおかしいのかな」と思ってたろうけど、いまは広く知られるようになったから「俺の意見でやっぱりいいんじゃん」と自信を持てるようになった。
頭の悪い安倍さんを支持しやすい状況になってる。嫌韓、嫌中が流行るのも、こういうのがバックグラウンドになってる。
でも、この状況って、民主制が衆愚制に落ちていくってことだよね。そこが大丈夫かなあと気になってる。
「そんなに言うなら賢者がなんとかしろよ」というとこなんだけど、いま賢者の言説は響かないんだよね。
それはなんでかっていうと、大局的にみて日本の未来が暗いから。どうやっても国力落ちていく局面でしょ。だから頭の良い人が出す処方箋は魅力なく見えると思う。
それで頭の良い人はなんかウダウダ言っちゃうんだけど、頭の悪い人は「ウダウダ言ってないで、やらなきゃ駄目だろ!」と行動して、おかしなこともやってしまう。でも衆愚化と相まって、その行動力が魅力的に映ったりするんだろうな。
まあ、そんなこんなで出口はないけど、なんとか衆愚制に落ちずに持ちこたえて欲しい。
出羽守だけど。
ちょい前に子供がアメリカの某州の某公立校に行ってたんだけど(なのでアメリカと言っても地域によっては全然違うシステムかもしれない、以下それ前提で)
制服と言っても特殊な服ではなく、基本的に「学校指定の色の無地ポロシャツと、学校指定の色の無地ズボンまたはスカート」ってだけ。
適した服はその辺で数ドル~十数ドルで売っている。安いので必要に応じた買い替えも容易。
勿論自宅で洗濯機+乾燥機OK。クリーニングなんて要らず、いつも清潔を保てる。
袖の長さは自由なので、「まだ寒いのに衣替えだから半袖着ないと」などという、服って本来寒さ暑さを凌ぐものなのに意味ねえというアホらしい事態にもならない。
男子がズボン女子がスカートという指定も無いので、女子がスカート履くと痴漢に遭うのかどうかは知らんが嫌ならズボン履けばいい。
性同一性障害者も困らないだろう。
(と言っても実際に男子がスカート履けば変な目で見られる事はあるかも。女子のズボンはごく普通)
あと校外行事などで利用する「学校ごとのオリジナルデザインのTシャツ」もある。色柄ともに男女共通。
博物館などいかにも校外学習などで行くような所に行くと、色々な学校から来た子がそれぞれの学校のTシャツを着ている姿を見る事が出来る。
これでも勿論制服の利点である「どこの学校の子かわかりやすい」「毎日着ていく服を考えなくていい」
「服に貧富の差が出ずいじめに繋がらない」という役割はちゃんと果たしている。
もうこれでいいじゃん日本も。
変に高くて、高いから買い替え出来なくて小さくなっても無理やり着てる子も多くて、
洗えないから不潔っぽくて、女子は変態に目を付けられる服である必要性が分からん。
あとランドセルもいらん。あれは最高に無意味だとつくづく思う。
無駄に高くて重くて1年生じゃでかすぎ6年生じゃ小さすぎだけど買い替えも出来ずぼろくなってもそのままで全く持って機能的でない。
中学生の学生カバンは絶滅したのに何でこっちは未だに生き残ってるんだ?小学生じゃ文句言えないから強制されてるとしか思えん。
今年で、なんだかんだ景気の影響かようやく夫婦での世帯年収が1500万円を超えた。
おそらく巷ではそれなりに裕福な部類に入るのだろう。
もちろん食うに困るとか、ちょっと買いたいものを我慢しなければということはないので、それは大変ありがたいとは思っている。
その一方で、使いきれないというのを感じている。
まわりの同僚などは家を持ったり、子供が居たりでお金がかかるようだが、
我が家は嫁と二人。子供の予定もなく、特に家も車もほしくない。
洋服だってアウトレットで十分だし、ご飯は外で食べるより家で食べる方が好きだ。
週末は気の合う仲間と集まって外で遊んだり、音楽やったり、勉強したり、
飲み会したりしているが、極端にお金のかかる遊びは興味が無い。
世の中的はインフレ基調でこの時期ためたお金の価値が半分以下になるかもしれないなーと考えたりもする。
たかだか、僕らぐらいの収入でさえ、お金の使い道がとんと思いつかなくなっているのに、
世の中の大金持ちは、もっとほしいものなんかないんだろうなと思う。でも、
今は貧富の差が拡大していて、富めるところにお金がどんどん集まる仕組みのようだ。
きっと、いくら集まったとしても、お金で解決できる欲求は有限なので、
それを超えてしまうと消費することはできないのかなと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20140909214740
中高生の増田でしょうか。一生懸命調べたことは、評価します。夏休みの宿題?
うちは明治時代からの東京住民。江戸時代からって自慢したかったが、そうではなく残念。
でも、関東大震災も、東京大空襲も経験していて、それに纏わる話が聞こえてくると背筋を正して反応してしまう。
子供の頃は、親が地方出身でおばあちゃんがいる田舎に連れて行ってもらう、って話を聞いたりして、羨ましかった。
代わりに箱根や富士山に連れて行ってもらったけど、お金持ちの友達は京都や九州、あるいは外国に連れて行ってもらえたりして、
ジェーン・スーさんは、地方の人から「東京はみんなのもの」と言われたそうだけど、ここが田舎で帰るところがない人もいるんだよね。
よく山形とか長野とかの人に旧藩時代からの対立意識みたいなのを聞かされるけど、
実は、東京23区内だって、口に出さないだけで東と西で微妙な関係だったりする。
東京初代の人や親の代からの東京人には分からないだろうと思う。
で、こんなことを書くと、結局自慢したいのか、という顔されるんだけど、そうではなくて、
ということが言いたいだけだったりする。
女の扱いが甘々ってのはあくまで「仕事」に限定した話で、主婦の話なんて誰もしてないから。
つか日本の女は家庭内で負わされる責任が過重だから、仕事の方では甘々にしないと両立出来ないんだよ。
アメリカの女は家庭内の責任が軽いから仕事もちゃんと給料分出来ると。
デイケアの従業員にも給料が発生するという事が脳内から抜け落ちてない?
アメリカの場合は格差が日本より激しい故に下層の人がそういう仕事に就いているわけだ。
(でなければボランティア。宗教的にボランティアが盛んだからね。有償ボランティアってのもあるよ。
でもボランティアするには当然生活費を他人が稼いでくれる事が必要で、「夫の金で食ってる専業主婦」がいるからこそ成り立ってるわけだけど)
「大勢の人が使える安い保育サービス」ってのは「安くこき使われる下層民」が十分な数存在しないと成立しない。
でも日本はそれほどの格差が無いから「安くこき使われる下層民」ってのが少ない。
ボランティアも宗教的にそういう文化が元々無いし、専業主婦のボランティアなんてむしろ
「暇な主婦が遊んでやがる、その暇あったら働いて金稼ぎやがれ」と蔑まれる国だからやりたがる人も少ない。
なので「もっと高い給料の仕事に就こうと思ったら就けるけど、子供が好きで保育士という仕事が好きだから給料低くても我慢する」と言う人をやりがい搾取して成り立ってる。
だから仕事が無い田舎はともかく、他に給料高い仕事が沢山ある都心部は保育士不足。
女性の給料が男性より遥かに低く抑えられている今ですらそうなのに、もし女性の給料が男性と同じになったら
ますます保育士として働く女性は減るだろうから今の給料では従業員不足で保育園は成り立たなくなるよ。
そうなれば保育士の給料を上げるか保育の質を下げるしかなくなる。
前者は当然保育料が上がるし、後者は日本人の母親の大半は「質の悪い保育園に預けるくらいなら働かずに自分が育てる」方を選ぶだろうね。日本人は教育熱心だから。
そのどちらも嫌だ、でも女性の給料を男性と同じにしたい、と言うのなら
男女問わずもっと貧富の差を激しくして「安くこき使われる下層民」を増やすしかない。
ずっと保育の事だけ書いてたが家事や介護なんかもそうだね。自宅でメイド雇えるのは貧富の差が激しい国だけ。
でも貧富の差が激しくなるというのは当然治安の悪化などの弊害も出て来るわけだけど。
あと自分がその「下層民」側になる可能性も考えてね。
今現在でも上層だからそこまで落ちるわけないと言い切れるのなら別だけど、共働きでないと保育園代出せないなんて言ってる時点でそうじゃないでしょ。
そういや安倍政権が途上国からメイド輸入するなんて案を出してたが、
険悪な関係を広げる中国ではあるけれど、かつては「中華」にふさわしく、東アジアのみならず、東南アジア、西アジア方面へ制度や文化を発信していた。
特に、「漢」は、同時代にある「ローマ帝国」と同じように、東ユーラシア大陸のシステムの基礎を作ったと言っても過言ではないだろう。
「ローマ帝国」が地中海地域やヨーロッパの基礎を作ったように。
伝統の「漢の文化」は、いかなる異民族に侵入されようとも、異民族の文化を「漢化」した。
優れた制度を持ち、華やかな文化を持ち、数千年に渡り威光を放っていた大陸の国家は確かに存在していた。
共産主義の下、さまざまな伝統が破壊され、今では巨大なマーケットか、トラブルメーカーとしてしか認識されていない。
(それでもなお凄みを見せるのは、共産主義でさえ、中国化(あるいは「漢化」)していることだ)
かつての存在感を取り戻すための示威行為なのか、たんなる資源獲得なのかはわからないが、まるで遅れてやってきた帝国主義の国のようだ。
―列強、帝国主義の時代こそ、中国(清国)は東ユーラシアの盟主として立ち上がらなければならなかったのにも関わらず。
たぶん、日本にとって中国、というか海の向こう側にある大陸の先進国はあこがれであったと思う。
孔子の儒教や北側経由で回ってきた「道教」の影響を受けた仏教は、日本人の生き方に影響を与え、
茶、歌などはその後、独自の文化的発展を築く礎となった。
だからこそ、大陸の後継国の中国に対して、日本人だけでなく、多くの東ユーラシアの国々の人は複雑な感情を抱いているのではないか。
確かに、昔は輸送手段が乏しく、中国のあるところにいた人を実際に見る事ができなかったからこそ、書物で伝えられる聖人や君主が素晴らしく彩られていたのかもしれない。
アヘン戦争では、あの清国が敗れたと日本で大騒ぎになり、国家としての改革が急務となった。
当時の日本の中に、清国と連携し、ヨーロッパと対峙しようとした人々がいると聞いた事があるが、
それはなされず、脱亜論に代表されるように、日本は東ユーラシアから抜け出していく。
この時、それまであった不文律の東ユーラシアのルールが変わった。
かつての超大国は列強に食い尽くされ、その輝きを失った。
アヘン戦争や列強の支配、そして日本の軍事侵攻は中国の大きな傷になった。
近年の経済発展と共に「中華」を認識し始めたこの国は、東ユーラシアの覇権を再度、力によって取り戻そうとしている。
「力」による支配はすでに時代遅れのものになっているが、大きな傷を癒すように、暴力的な行動が後を絶たない。
また、過去最大の領土を誇る事が、共産党の大きな統治理由になっているようであるが、その中で、各民族の独立の機運が高まっている。
今まで中国に投資をしてきた最大の貿易国である日本は、足場を大陸から南に移し始めており、経済成長も徐々に陰りが見えてきた。
強烈な貧富の差の拡大は、歴代の大陸の王制の崩壊要因にもなっている。
この国がやるべき事は、張り子の虎の様な振る舞いではなく、栄光ある後継国として腰を据えて国家を「再興」させていくことではないのだろうか。
駄文長文失礼
369 ソーゾー君 [] 2014/04/29(火) 21:33:07 ID:yjkfTJDk Be:
大航海時代にアホの欧州人が新大陸に行ったらアメリカ先住民はペストとか赤痢にかかって大量に死んだw
下水道もなく糞尿垂れ流しで糞尿まみれの欧州で暮らすアホどもは耐性があるからしょうがないねw
「また何かやるんだな・・人工的に作った新型麻疹を中国とアジアで流行らすのかな?
マースとか言う新型ウイルスもまたばら蒔いてるのかw
サーズは強烈すぎたから調整したのかな?」
今のイラクの傀儡大統領の支持率ががた落ちだからテロ起こして邪魔者=反体制派を殺してるんだなw
貧が多数派なのはアホでも解るだろ?w
雑談3
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1385328487/
これは
1.男が子供を妊娠できて(もしくは胎児を育てるのが女の腹ではなくてみんな人口育成器になる)
2.女の筋力が男と同じになる(でもこれは今でも個人差が性別差を超えてるのはザラにある。例えば鍛えた女は鍛えてない男より強い。)
3.社会に貧富の差がなくなり、最低でも食うに困らない生活が確証されている社会(貧困・格差社会のある現代は全く違う)。
■これらの条件を満たしたら段々変わっていくだろうね。
今はこれらの条件を満たしていないから
相変わらず女は自分のエロさで男を魅了する構図が変わっていないわけだ。
むしろ女の方が子供の種である男の精子は精子バンクで買えばいい時代だから男が必要ないという意識が強いだろう。
■つまり繰り返すが1.2.3.を満たせば社会も段々と変わっていく。
※まあそうなっても相変わらず昔を懐かしむ主義や人口より自然がいいって人はなかなか変化しないだろうけどね。
※それでも現代とは明らかに違うと分かるほど変わるはずだ。
※それが いい 悪い は別にして。
自分も埼玉出身だけれど、塾に通っていたのは全員じゃないが、確かに、ヤンキーと一部のひねくれ者以外は塾に通ってた。
そのうちのひねくれ者の一人は自分だし、行かない奴は宅勉で十分だった人間。NHKのラジオ英語聞いてただけで、中学3年で英検2級とってた奴もいた。
あまり勉強の出来不出来は関係なく、貧富の差も理由にある場合もあれば、個人の考えで行かない理由の奴もいた。
ぶっちゃけ、自分は、何、周りに踊らされて無駄なお金を出させられてんだろ、しかも学校の授業は騒いだり寝たりしてるくせに、と思ってた。
塾でもらうテキストも、学校で貰える問題集と大して変わんないじゃん、とか。
自我がしっかりと芽生え始めて小学校高学年の頃から理不尽な事を憎んでいた。
貧富の差、戦争、虐待、児童ポルノ等、この世から消えて欲しかったし出来るなら自分の手で救い出したいと思っていた。
しかし今はそういった理不尽な事に対し怒りも悲しみも救いたいという気持ちも湧いてこない。
近所に生後数ヶ月の子猫達が居た。2匹の兄弟と思わしきその子猫たちは目やにで目が殆ど開けられていなかったしガリガリに痩せていた。
昔の私だったら早急に餌を上げたり目やにを取ってあげたりしただろう。
お金に余裕があったら病院に連れて行って避妊手術もさせてただろう。(ちなみに当時預金もほぼ空で家賃も滞納するぐらいお金がなかった)
誰かが助けてくれるだろうという期待もあった。
でも日に日に猫は弱っていった。
片方の猫が寝たきりのまま動かなくなったあたりで私はその子猫たちが居る場所へ通うのを辞めた。
「飼えもしない猫を助けるなんて偽善だ」
「自分の事も危ういのに」
周りの人間も助けようとはしていないし、助けるのは間違ってると言う人も少なくはないと思う。
「可哀想だし自分が助けたいのなら助けるのも自由だし、何もしなかった時の悲しみを感じるぐらいなら出来る限りの事をしてもいいのでは」
「この世界から悲しい事を無くすには、自分が悲しまなければ良い」と。
その結論に至った。
この思考は自分の過去のトラウマや心身症を拭う為に、自己暗示してきた考え方だ。
実際にこの思考が自分の中に浸透すればするほど、私は精神が安定してきた。
世の中の理不尽な出来事に悲しみも怒りも覚えなくなった。
その代わり自分が居なくなっていくような虚無感が現れて無気力になる。
この無気力は心地が良い所が危うい。
幸せだから布団の上で1日中何もしないで一生過ごせてしまいそうになる。
次に弱ってる捨て猫を見つけたら助けたいと思う。
よく分かんないんだけど、なんで放送することで貧困層の優秀な子を採用できるの?
別に放送なんてしなくてもハーバード大くらい知ってるし入りたい奴はいくらでもいるでしょ。
後、この前も結局この状態が「違憲」だと出た判決については出て来なかったんだけど。
どうもその辺で争いがあって、教育格差について、最初、レイシズムを絡めて争ったらそれは却下されたから
今度は貧富の差を持って違憲状態だと闘おうとしてる、と言う記事を見せてもらったけど、
違憲状態だと出た、というのは探してもなかったんだよ。。。
だから、それにハーバード大の放送がどう絡んでるのかも全く不明だし、そこの関連性も一切出て来なかった。
単純に、ハーバード大の宣伝として、大学ではこんなことをしている、という放送だと思ってたんだけど、違うの?
その宣伝ってのも別に貧困層に向けて、という訳じゃなくて単に、半公共機関とも言える大学としての義務として、
こんな感じでやってますよーと市民に向けて出してるに過ぎないわけで。
さらに言えば、そんな公開授業なら、確実に貧困層より富裕層のが見るだろうと思うんだけど。
どういうこと?
お前がどの増田なのか知らないが、
元々、
「大学の講義は全て放送にする、それにより外部でも聴講でき、学習格差がなくなる ( ー`дー´)キリッ」
って話はおかしいだろ、って話だったんだけど。
そもそも、ハーバードとかが授業公開し始めたのはホントに外部に安く教育を提供するためなのか?と言う話。
それと教育機会に貧富の格差が出てしまうのは関係有るのか?と言う話。
貧富の差が教育格差に繋がる部分をなんとかしなきゃいけないというのは世界共通認識で、
インターネットなんかが安価になればそれにより教育機会も増えるし上手くやれば格差を減らすことは出来るだろう。
高校までの、塾とか予備校だとかそういうことで行ってる学習に関しては特にこれは有効だろう。
アメリカは日本よりは女性が社会進出してるけど、結局社会全体がマッチョだから男女共に有能じゃなきゃ生き残れないよ。適材適所とか互助の概念が薄いから逆の意味で日本よりシビア。簡単に首になるし。カナダのほうがその点はましっぽい。
欧州はそもそも仕事がない。ただええかげんなので所得低くてよけりゃ男女差は少ない方だし、育児も仕事もーというのはできると思う。というかそれが当然。北欧はマシだとか聞く(というか働いていないと白い目で見られるらしい)けど実際のところはどうなんだろうね。
発展途上国は女性もみんな働いてるけど、全体的に所得が低くて二馬力じゃないとやってけないから働いてる。ただ貧富の差が激しいので富裕層に食い込めればメイドを雇えばよく、女性もそこそこ社会に出ている感じ。まー戦前の日本と同じだな。