はてなキーワード: 認知的不協和とは
伊東園ホテルズのマスク未着用宿泊拒否をめぐる案件について : マスク未着用途中降機乗客の記録
まあ、マスク付着用は宿泊拒否の理由にはならないはずだ、との主張そのものは法的に正しく、正当だ。
しかし、そのように主張する行為は、感染症対策として行政が人々にお願いしていることに反しており、不当だ。
マスク着用がコロナ予防に資するのはもはや全世界の共通認識だ。
現在の政策は「人々の合理的な自助努力をお願いする」ものであり、その期待に反するという意味で不当だ。
不当だけど、お願いでしかないので野放しにせざるを得ない。伊東園ホテルは法的には強引でかなり微妙なことをしたと思うが、
政府のいうことにおとなしく従う日本人の国民性への期待だけで、
自粛だの要請だので、感染症対策っぽいことをやってきたかもしれないが
本来、こういう面倒な輩を法的なルールでコントロールしてこそ感染症対策だ。
めんどくさがらずに、とっとと旅館業法を改正して、感染症予防措置の項目を設けるべきだ。
もちろん合理的な対策を講じれば、開催によるコロナリスクはかなり最小化できるだろう。
なぜならば、この一年、日本でやってきた対策というのは、合理性のひとかけらもないものだった。
ただひたすら恐怖に訴えて活動の自粛をうながすやり方だったからだ。
人々にコロナの恐怖を植え付けて、マスコミを通じて、おびえさせ
燃え盛るような夜の真っ赤な都庁を映し出し、いずれはニューヨークやイタリアと同じ地獄に向かうと国民を煽った。
それによって、何ら法的な強制力ももたない政府が国民に自粛を呼びかけるだけで、
人出を減らすことに成功した。
人々の視点からみれば怯えて自粛することが成功体験ともなった。一方で、飲食業界を奈落の底に突き落とした。
恐怖をあおる戦術はいまも継続中で、医療崩壊の現場と人々への影響がセンセーショナルに報道されている。
コロナに怯える人は、ソーシャルな場に拒否反応を示し、リスクを過大に見積もる一方、
怖がったところで仕事柄、人と接触を回避できず生活が成り立たない人々もいる。
そうすると認知的不協和を引き起こし、受忍せざるを得ないリスクについて過小評価するようになる人が当然現れる。
そこで、怖がる人と怖がらない人にふるい分けられ、必要以上に自粛するグループと、ソーシャルディスタンスを軽視するグループに二極化していったともいえるかもしれない。
後者のタイプは、恐怖に耐性ができたこともあり、恐怖作戦は絶対に効かない。行動を変えようがない。
にもかかわらず、政府と報道機関はさらに恐怖をあおることでなんとか変心させようとしているようだ。
その煽りの余波は、むしろ自粛を続ける人たちをさらに刺激し、ビビらせる一方で、
疲れて認知的不協和に耐えきれなくなった人から次々とリスクを過小評価するようになり、ますます恐怖作戦が効きにくくなる悪循環に陥っている。
他方、運よく自粛環境に恵まれた人は、報道がますます怖いことを言ってくるようになってきたという印象でしかない。
この一年ですっかりコロナ恐怖に煽られた俺からみれば、バッハ会長は鬼である。
「バッハよ、お前の目には、自宅療養を強いられた末、突然亡くなった家族の姿が目に浮かばんのか!」みたいに
なにもかもが論理的なつながりがなくても、恐ろしいものを煽るものとして合成されてしまう。
いまさら合理的な対策などを説得されても、恐怖から自粛した体験しか持たない俺にとっては、
何を聞かされても鬼でしかないのだ。
感染症を科学的に理解し、リスク回避を合理的に考える絶好のチャンスだったのに、
それができなかった。
この一年、十分に科学的素養を蓄え、啓もうされていれば、オリンピックに対するここまでの拒絶意識は生まれなかったような気がする。
オリンピックを開催することがもはや止められないのであれば、
できうる対策をとったうえで開催した場合、どのような結果になるかについて
結果を予測する、というのは、あらゆるリスク管理の最初の第一歩のはずだけど、
緊急事態宣言の延長の可能性を記者から問われ、「仮定の話には答えられない」と答えた首相の発言はそれを象徴している。
何か対策を行うにあたっては、見込まれたリスクをある程度は受容せざるを得ないことは間違いないはずだ。
頭痛い
ワシントンタイムズは統一教会のフロント紙、epochtimesは大紀元のフロント紙、どっちも新興宗教がらみで、だからといって間違いだとは言わないが、日本人はアメリカで言う◯教新聞読んでるって分かってるの
聞いたこともない泡沫メディアやツイッターのアカウントをソースに米民主党叩き、ネガキャン
アメリカだとトランプ信者しか信じてないような稚拙な陰謀論が日本だと大手を振るってあちこちで通用してるのでびっくり。
ピザゲートもオバマゲートもいつまで経っても立件されないのは火のないところに煙が立ってるからでしょ
結局主要メディアはトランプアンチばっかりだからトランプ信者は認知的不協和を解消するために陰謀論サイトに行くしかないって重症だな
ハンターバイデンのウクライナの件もロシアの捏造説が濃厚、そもそも最初の陰謀論の元ネタの文書は実在しない機関の実在しない人物が書いていたってNBCがスクープ出してたじゃん
言葉では「嫌じゃない」って言われるんだけど、実際にしようとすると手でガードされる。
嫌じゃないことを再度確認の上で、胸とか触っても「くすぐったい」と言って嫌がる。実際に笑ってるからそれはある意味で本当なんだろう。
もちろん濡れないし、そうこうしてると、もう寝るねって言って自分の部屋に行ってしまう。
まだ結婚して一年も経ってないのに、セックスに誘うのが怖くなってきた。結婚してまだ一度しかしてない。
言葉では好きだなんだ言ってくれるけど、すごく空虚だ。普段の生活ではお互いに慈しみあってる感があるんだけど、この一点だけが辛い。
「その欲がないのに誘われる」のも辛いと思うし、自分ばっかり求めてるのって恥ずかしさもある。だから、誘うときも本当はその時にしたいのに、「今度しようね」とか、逃げ腰の誘い方になっている。相手が拒否しやすいように、かつ、自分が今否定されないように、という欺瞞だ。しんどい。
巷のセックスレス解消法は、「トキメキ要因」を作るだの、「ミステリアスな女を演じる」だの、不安感を煽るようなものばっかり。そういうの正直、嫌だと思う。そんなの恋人だったときでもう沢山だって思う。夫婦になってまでそんなことしたくないと言うのが正直な気持ち。だって不貞行為はもう許されないわけだ……お互いに。そういう覚悟があるから結婚したっていう気持ちがある。
こういう鬱屈した理想と現実とのギャップが行き過ぎると認知的不協和を起こして女叩きとかに走ってしまいそう。ネットでよく見る夫叩き、嫁叩きなんてくだらないって思ってたのに、そういうくだらないものになりつつある。
辛いなぁ……
ふーむ、なるほど。拙者が想像するところによりますると、女性というのはおそらく自分の行動の責任を自分で負うことに慣れておらぬ。それゆえ、自分が撤退の判断を下した時に、それを自分の内なるものとの不一致にあると判断することができず、外部の要因に責任を負わせることで納得しようとするものではござらぬか。あるいは、そのように未練をのたまう場合は自分が好いたモノや過去抱いたポジティブな内心を完全には否定できぬまま、現実的な状況判断として去るという判断を選ばざるを得なくなった事態に対する認知的不協和の解消のために、対象を貶めることで離脱を図るのござろう。他を貶めることの品の無さを意に介す余裕がないほどに、おそらく不協和の解消は切迫した問題として当人の中で大きく膨らんでしまっているのでござらぬか。しらんでござるが。
たまにいる
親父もそうだ
何でも否定する
何を言っても自分の中に答えがもうあるようだ
「怒られるだろうな」とその人が予想していたとすると、こちらが何を言っても「怒られている」という感想になるらしい
それで言い訳が返ってくるからこちらはああ通じてないんだなとわかる
何でこれほど通じないんだろう
お姫様みたいな人だし、イエスマンに囲まれている、常に自信満々だ
そんな人とどう関わっていけばいいんだろうか
既に答えはその人の中で決まっていて
そのまま落とし穴に落ちれば傷つき、うまく行けば自分の成果だと考える
こちらはどうにもできない
落とし穴にハマるのを見て笑うか、せいぜい落とし穴を塞ぐくらいか
落とし穴にハマったらハマったで抜け出そうとするだけだ
抜け出せなかったら終わるだけ、ただそれだけ
例え抜け出せても、次に「落とし穴があるよ、さっきも言ったけど」と言っても行動は変わらない
風俗おじさんはどうも
・風俗業は楽して稼げてしかも安全な素晴らしい職業であり、風俗で働くほとんどの女性は望んで風俗嬢になった
風俗おじさんは自分の相手をしてくれている女の子がお金のために嫌々自分に抱かれている現実に耐えられない。事実を事実として自覚すると認知的不協和が発生してしまうから、それを解消するために「この女の子も含め、世の中の風俗嬢はみんな、心の底から望んで風俗嬢になったのだ。だからこの僕との行為も楽しんでくれているのだ」ってストーリーにすがるしかないんだよね。
【追記】
話題になってる岡村氏は逆に「風俗はキツい仕事であって、望んで働いている女性は少ない」ことを自覚していると思う。「コロナで不況になって経済的に困窮する女性が増えれば、コロナがなければ風俗で働くつもりのなかった美人が風俗で働くようになるので、それが楽しみですね」と言ったわけだから。
なお当方は風俗いかないおじさんです。図星突かれた風俗おじさんが秒で現れて女認定して叩いてきてちょっと笑ってしまった。そういうとこやぞ。
初めに言っておくが、私はモバゲーとスターライトステージのアイドルマスターシンデレラガールズをプレイするユーザー、つまりプロデューサーだがそのアニメ版、通称デレアニを好ましく思っていない。
理由は様々だが、突き詰めると原点であるモバゲーからのアイドルの人格や関係性を蔑ろにして、アニメスタッフが「ぼくのかんがえたさいきょうのアイドル」で好き勝手やったことが気に食わない
それが大手を振っていまなお公式にもファンサブ界隈にも影響力を持っており
デレアニ以降にリリースされたデレステに至ってはデレアニの設定を取り込むことで、オタクが一番キライな公式が二次設定を取り込むってやつをやり始めたことが腹に据えかねる。
だからなるべくデレアニのことは忘れてゲームをプレイしてる。なんだかんだでモバマスもデレステもその独自の世界線を守っているから心穏やかにゲームをプレイしていた。
ところがだ恒例のエイプリルフール企画で、今年はデレステでミニゲームがあったわけだが、その説明画面にいるアイドルたちがデレアニ由来のユニットばかりだ。
説明画面にいたアイドルたちに対応するユニットは、アスタリスク、ラブライカ、あんきら(ハピハピツイン)、そして画面が飛び飛びだが凸レーションとニュージェネ。
このうちアニメ由来のユニットはアスタリスク、ラブライカ、凸レーション。
あんきらとニュージェネはモバマス以来のデレマスの顔とも言うべきユニットだ。その2つに並ぶ存在としてデレアニ由来のユニットを当たり前に置いている。
これまでどれだけデレアニがゲームの世界で推されて、これまでのモバマス以来の世界が侵食されるようでも、あくまでも一時的なものだ根っこは全く別ものだと思ってきた。
だが、こうして説明画面というなんでもないところで当たり前にデレアニが推されているのを見ると、くるものがある。
こういう小さなところでデレステはデレアニ由来のユニットを受け容れている当たり前に悲しくなる。
奇しくも、例のミニゲームはゲーム世界にアイドルたちが取り込まれて救い出すという筋書きだったのだ。実際は逆、ゲームの世界をデレアニからの設定が侵食しているというわけだ。
これがまだエイプリルフール企画の一発ネタなら話は別だが、それ以降もゲーム内コンテンテンツとして恒常されることになった。
あのデレアニユニットを推すあの説明画面を恒久的に表示するつもりなら、デレステの意志はそういうことだろう。
繰り返すがデレアニはアニメスタッフが好き勝手やった全く別の世界線の話で、アイドルたちの人格や関係性も全く別物だ。それが当たり前にゲームの世界にいるってなるとなんだか認知的不協和で気持ち悪くなる。
もしもアニメが放送される5年前なら、あんきらとニュージェネに並ぶ存在としてどんなユニットが位置づけられただろうか、この5年間でそこに並ぶ存在をデレアニ以外で作れなかったのだろうか。
デレステは、もうデレアニ以外のユニットを、アイドルの関係性を正直どうでもいいと思っているんじゃないのか
そしてモバマスはサービス縮小、エイプリルフール企画も新規テキストも少しはあるとは言え過去の復刻。もうデレマスそのものがモバマス以来の過去を切り捨てようとしているように思う
これはどこにでもいる普通のオタクが「金を払って観る悪夢」「SAN値チェッカー」と名高いカルト映画、CATSを観てきた感想文です。
ネタバレが盛大に含まれていますので、その辺りお気を付けて頂けると幸いです。
昨年12月の暮れに海外で一足早く上映が始まり、その評価を読み「絶対に見る」と心に決めて1ヶ月、私はようやく映画館へと足を踏み入れた。
やれポルノだの玉ねぎだのと聞いているので期待は最高潮、何しろ私はホラー映画が大好きで、そしてクソ映画が大好きです。
今日は一人で悪夢を観に来たことを忘れて売店で巨大なポップコーンとジュースを買い、はやる心を抑えながら入場開始を待つ。
上映前に最後に流れた「それでは、夢のある映画の旅をお楽しみください」のアナウンスは、この後の展開が「悪夢」であることを啓示しているかのようでした。
私はオタクの中でも日陰に生きる人間でありますゆえ、正直CATS本編と同じくらい実写オタ恋のCMも滅茶苦茶キツかったんですが、この辺りについては口を閉ざし静かにスクリーンへと目を向けます。
劇場の照明が落ち、暗闇の中映るのは夜空。
猫の映画ですよ〜!という事を示唆するかのごとき可愛らしい雲、ここからどうなるのか期待が高まります。ちなみにここが唯一ここからの110分の中で「これは猫だな」と理解できた部分になります。
さて、開始して1分ほどですがここで早くも私の脳は処理の限界に達してしまいました。
ドラクエIIIの夜のピラミッドのBGMを不協和音にしたようなBGMが流れる中、夜の街を闊歩するのは人間によく似た体躯にうっすらと全身毛のテクスチャを重ねた「何か」。
一瞬、誤ってメイドインアビスのシアターに来てしまったのかなと思いました。人間性の喪失の結果と言われれば納得も出来るのですが、そもそもこれは「人間」では無く「猫」らしいんですね。
BGMの中、四つん這いの合成獣(キメラ)の集団が道路をぐるぐる回る姿はムカデ人間の続編かと錯覚を覚える絵面ですが、その中心で蠢く頭陀袋も嫌な予感しかしないし、案の定悪夢が飛び出すし、今の所パンドラの箱なのですが果たして最後に希望は飛び出してくるのでしょうかね。
そう言えば海外の評判ではやたらと性的な印象がありましたが、ただでさえ限りなく全裸に近い全裸なのに動きがこう猫々しいしやたらと柔軟性をアピールするし妙に動物的な飲食シーンを盛り込んでくるし、観客の無意識の奥底にあるなんらかの性的衝動を呼び起こそうとしてるのかなって感じは分かるんですけど。ですが、残念ながら扉のノックの仕方がシャイニングのジャック・ニコルソンなんですよね。へただなぁ…欲望の解放のさせ方がへた…こんなんじゃ歴戦のケモナーだって裸足で逃げて行きますよ。
さてなんの説明もないままに話は進み、ジャ…ジェ…?なんか分からないけど固有名詞がいっぱい出てくる、完全にルシがファルシでパージ状態。私は原作のCATSを知らないので、知ってたら話の流れが分かるんですかね?知ってたら開幕1分で席を立ちそうですけども。
さて墓場で歌って踊るシーンではふとBloodborneを思い出しましたが、ひょっとしたらこの夜は獣狩りの夜だったのかもしれません。私の啓蒙も爆上がりしていきます。
トイレで歌うシーンは真っ先にトレインスポッティングを思い出しましたし、ひょっとしたらこの映画も薬でぶっトんでる狂人の見た夢かもしれないし、狂ってるのは私だったのかもしれないと思い始めました。
まだ始まって30分も経ってないんですけど。あんな猫やこんな猫の説明を歌っているけど私にとっては全てが邪悪なモンスターにしか見えない。
さて、かく言う私もだんだんと目と心が慣れてきました。
感覚的に言うと「有色はマシ」「服あると相当マシ」「全裸はほんとキツい」「白系マジで無理」、要するにヒロイン枠の生物が一番キツい。黒人の敵とマジシャンが比較的視覚へのダメージが少ない。それだけで若干好きになる、だから頼むから帽子を脱ぐなコートを脱ぐな。あと手先と足先が人間なのがマジで拒否反応を起こす、黒人の手の平が肌色なのでも認知が「?」ってなるのにこの生き物の手足見てると「??????????????????」ってなる。かといって靴だけ履いてるのも異常なんですけど、タップダンスだけ見たら凄い出来なのに他の全てが恐怖。
あと衣類については黒人っぽいキメラが首からbling-blingなおさかなネックレス下げてるのは良いなと思いました(数少ないポジティブな感想)。
この作品、猫だけでなくGの者等も等しくキメラになっているとの話はうっすら聞いていたのですが、正直全裸じゃないし着ぐるみっぽさあるからこっちの方がだいぶマシではあったんですけど、喰い始めた時は流石に驚愕のあまりポップコーン食う手が止まりました。
ネズミとか、子役?っぽく見えたんですけどこれを見たご両親は「可愛い〜💕」「◯◯ちゃんの演技最高〜!」って思うのでしょうか、人生開始してまだ間もないのにこのような罰を受けるのはあまりに酷ではないでしょうか。
あと犬の存在が示唆されているのに画面に映らなかったの、犬はキメラじゃなく犬ですよってことなんですかね?製作陣や太いスポンサーの中に敬虔な犬好きでも居たんでしょうか。なんにせよ、助かった動物が居るのは良いことですね。
個人的に認知的不協和を感じるポイント、デザインや動き以上に「大きさ」があるんですけども。人間の体躯に猫の動き、街並みは人間の大きさの中で人間らしき体躯の生き物が「猫のサイズと言うには高さは合っていても細身すぎて違和感」で「人間とは思えない位小さい」姿で街を這い回り走り回る。人間の脳には大きさや距離感を自動的に調節してピントを合わせる機能があるはずなんですけどそれが全部ぶっ壊れる。
脳の機能に直接影響する映画、感覚にダイレクトに伝えてくるこの作品はいっそ4dxでも上映してほしい。余談ですが私はこれを観ながら「TOHOシネマズ限定のかっぱえびせんポップコーン」を食べていたので、こいつらがゴミ箱から拾ったエビ食うシーンでセルフで臭覚で新感覚の映画体験をしてしまい大変不愉快な思いを致しました。
定期的にあったのですが、このキメラ達が猫の鳴き声で「ミャー」とか「ニャーン」とか鳴くのがかなりキツい。というか主役級は顔がアップになったりすることが多くて「あー、人間の顔と身体した獣のキメラだなぁ」って思えるんだけど、ヒキで後ろに映ってるその他大勢がヤバい。意味不明な物体が四つ足で這い回ってる、フォーカスが手前に当たってるせいでぼんやりとボケた画面の奥で蠢いている人間ではない何か。私が観てたのってひょっとしてサイレントヒルだった?と誤認してしまいそうだし、私は悩める私に胸を張って「違うよ、CATSだよ」って言ってあげられない。
そこそこ話が進んでもストーリーか理解できない。一番歌と踊りが上手い奴が選ばれるオーディションなのは分かるけど、選ばれたら転生って死ぬやつじゃん?あと黒人男性なんでよく分からない魔法使ってるの?確かに猫よりは魔獣って感じだけど、それやるとますます猫の概念から遠ざかるよ。観ていてふと私が思い出したのは「悪魔ネコ」でした、懐かしいですね。
ところでこいつら猫?ってことは乳首6つあるんですよねってふと思って心底ゾッとしたし、この時点で完全に食欲を失っているのでポップコーンは封を閉じられている。
この時点で唯一覚えてる名前がヴィクトリアだけだし、ヴィクトリアったら捨てられた飼い猫割には異様に順応高いな…こうやってこの映画に慣れてきてる自分もひょっとしたら既にヴィクトリアなのかもしれない…と正気を失っていたら家無き捨て猫で「子猫」であることが発覚したのですが、私の中の子猫の概念がグチャグチャのベコベコに狂うのでこの件については早めに酒飲んで忘れようと思いました。
さて、物語の結末、私の刑期の終わり近付いて来ました。
ゲイビの男優かインナー無くしたマリオみたいな格好のキメラが踊ったり、黒人キメラがコートも帽子も脱いだせいで一瞬マジで全裸かと目を疑いましたがそんなことは無く。あとヤク中の流れあったんでやっぱりヤク中の見る夢だったオチも考えたのですが残念ながら物語は大団円へと向かいます。
マジシャンが無茶振りされる流れ観てると「いじめか?」と思いますが天下のハリウッドがそんなことをするわけが無いのです、ちゃんとなんとかなりハッピー的なエンドです。
ここまで観ていて、ストーリーの中の時間が夜から夜明けまでで12時間も経っていないことに恐怖を感じる。映画も2時間足らずだし、体感的には6時間くらい苦しんでるんだけど。
最後の最後に、老いた猫は画面のこちら側ん見据えてこう言います。
これは、ここまでこの映画を観続けた私にとって実質「死刑判決」でした。啓蒙が上がり過ぎて狂ってしまいました、私は人間のつもりだったけれど、実は限りなく画面の中の生き物によく似た「なにか」であると告知されました。
ホラーにある「次はお前だ」的なアレであり、告発やシリアスな社会派にある「他人事ではないぞ」みたいなアレを感じます。あと夜闇に紛れた姿も怖かったけど朝日の下よりは大分マシだったみたいです。朝日の下のキメラ達は、エグいアダルト作品を観た時のような性的興奮よりも先にショックに殴られる感覚がありました。もうこの辺りは感想をメモすることも忘れました。
しかしまぁ終わってみて改めて考えると、歌のクオリティは当然の如く相当高かったです。私はあのビジュアルで日本語でミュージカルやられると「理解できないおぞましいものを無理やり理解させられる」感覚に負けて脳が爆発四散してしまいそうだったので字幕で観ましたが、吹き替えの役者さんが好きな方は吹き替えで観ても良いのではないでしょうか。あの生き物達が好きな人間の声帯で歌い喋っている姿を観て立っていられるのならばですけども。
一言で感想をまとめるなら、「目を瞑って観たらそこそこ満足度の高いミュージカル」だと思います。ただ残念ながら、目を開けると死んでしまうので気を付けてください。神話にありがちな奴ですね。
見るなのタブーだと思えば納得できる作品です、いや無理だできねぇな。
ここまで色々書きましたが、最期まで走った身としては「マジシャンの猫ならギリ抱ける」と思いました。
どうやら私も完全に狂ってしまったみたいです、その内全身の皮膚に薄ら毛が生えてきて服を脱ぎ捨て夜の裏路地に四つ足で走って行くでしょう。まだ日本語を語れる今の内に、これにて文面を終えようと思います。
それは「Rocket Newsのグルメ記事を信用しない」ことだ。
2010年ごろ、Rocket Newsの「池袋駅ホームのホットドッグ屋が激ウマ!行かない人は人生損してる!」くらいの勢いで絶賛されていたのを見て(←正確なタイトルは失念。現在記事も削除されている。ちなみに当のホットドッグ屋も閉店している)、これは美味いに違いないと思って行ってみた。
しかし、これがなんの変哲もないホットドッグ。むしろパンもボソボソで、このレベルだったらモスバーガーのホットドッグなんかでいいじゃん、と思った。
その後、同じような経験をもう一度して、それ以後、Rocket Newsの記事は信用しないことにした。
この「そこまで美味くはないものを『神』とか『死ぬほど』とか美辞麗句を並び立てて派手に絶賛することでアクセスを稼ぐ手法」はロケットニュースに限らずグルメ系サイトやバイラルメディア(笑)にはよく見られる。当時の僕のように騙されて手を出して後悔する人もいる一方で、心の底でイマイチと思いながらも「わざわざ時間をかけて来たのだからイマイチなわけがない」という認知的不協和が作用して「美味しかった」と自らを納得させる人も多いのだろう。だから、この手の記事はあまり批判されることなく、量産され続け、人々を煽り、騙し続けるのかもしれない。
で、Rocket Newsは未だに同じメソッドを繰り返しているようだ。敢えてリンクは貼らないが、最近タイトルを見かけたのは
「バーミヤンの餃子を食べた直後、あまりの衝撃と感動に、謝りたい気持ちでいっぱいになった」
という記事だった。
バーミヤンは自分も好きな店だ。コスパもいいし、餃子も普通に美味い。しかし「衝撃と感動に、謝りたい気持ちでいっぱいに」なるほどのものではない。「こんなに美味い餃子を239円で提供するなんて正気の沙汰とは思えない」(本文より)と頭の悪い感想を抱くほどのものでも、断じてない。
この記事を見て、池袋駅のホットドッグのボソッとした感触が口の中に蘇った気がした。Rocket Newsはこうやって、今後も読者を騙し続けるのだろうか。
繰り返す。人生で少しだけお金と時間の損失を回避するには、「Rocket Newsのグルメ記事を信用しない」ことだ。これだったら、食べログのスコアのほうがまだ信頼に値する。
自己責任論は間違っている、ということに気づくことができるのはバブル世代と氷河期世代が全滅してからなんだろうな。
バブル世代は自分の能力とは無関係に成功したから自己責任論は都合が良い。
氷河期世代は自分の能力と無関係に失敗してるやつが多い中、成功することができた、発言力を持つことのできたやつは、自分に能力があると思いたいので自己責任論に走る。
たまたま他より恵まれた環境にいただけだ、ということを真正面から捉えると、有能な自分のセルフイメージが崩れ、認知的不協和を起こす。だから認めない。
その両方を見ている世代は、全ては運だ、と気づくことができる。小さいときから天災も多く経験してるしね。