はてなキーワード: 認知的不協和とは
ネットで「ドクターストレッチ 回数券 返金」などと検索すると、同じようなモヤモヤを抱えている人が多いようなので書く。
今年の某日、都内にあるドクターストレッチに初めて行った。施術の内容は満足の行くもので、また通ってみたいと思わせる品質だったのだが、事後に待合室で回数券のセールスを猛烈に受け、断りきれずに買ってしまった。
しめて15,000円以上で、帰宅してすぐに猛烈に後悔をしたのだが、後日やはり納得がいかないと思いドクターストレッチのウェブサイトから本社に問い合わせたところ、無事に返金をしてもらった。ちなみに店舗はフュービックの直営ではなく、FC展開をしている某社の経営。
セールスを受けても断固として拒否できなかった私にも非はあるだろうが、そもそもこちらは体調不良を治してリラックスをするために行っているわけで、営業の交渉をしに行っているわけではない。リラックスモードのときに、それまで1時間談笑をしてお世話になった施術師にいきなり営業モードにチェンジされてセールスをされると、恩情も出るためなかなか断りづらいのも事実だろう(事後に高額な回数券を売りつける商法はエステ商法と言われ、消費者センターでもたびたび問題となっている営業手法に近い)。
というものだった。繰り返し書くが、私が頑として断ればよかったのだが、気が緩んでいるときに友好的だった相手からセールストークをされると断りづらいもの人間心理だろう。
まずドクターストレッチは、このような営業をやめて欲しい。私のように事後で返金しろとわめき出す人間は少数だろうから、このような人間が現れることを前提に、抗議をしない多くの人だけを相手にして回数券を売り、利益最大化を目指すという戦略なのかもしれないが、客はリラックスをしに行っているわけで、そこで突然発生する営業トークにも対応しろというのは客に無駄な負担をかけている。するのであれば、施術師とは別の人間が出てきて説明をするなり、「3ヶ月間毎週通って欲しい」「10回券を買って欲しい」などと誘導するのではなく、プランを複数示した上で客に選択肢を与えるべきだろう。施術の内容がよかっただけに非常に残念だ。
次に、ドクターストレッチに行く人は、このような営業トークを受ける可能性があるので、それなりに心の準備をしておいたほうがいいということ。調べたら整体などでも同じようなことをしてくる業者はあるらしく、業界に蔓延している手法なのかもしれないが、セールスをされるかもという事前の知識があるだけで、対応できる範囲は増える。
最後に回数券を買ってしまい後悔をしている人は、上記の手順で返金できる可能性があるので諦めないで欲しい。ドクターストレッチの業務はクーリングオフの「特定継続的役務提供」の要件には当てはまらないため、一方的なクーリングオフはできないはずだが、ウェブサイトから問い合わせればこのような対応を期待できる可能性はある。
Aさん「200万なんて底辺、平均は400万」
Bさん「400万なんて怠け者、600万超えてないとか人生終わってる」
Dさん「800万じゃぜんぜん足りない、1000万は必要」
Eさん「1000万とか日本の企業はこれだから、外資なら1500万出る」
Fさん「1500万でも税金考えると2000万はほしい」
Gさん「2000万か、シリコンバレーなら3500万出るよ」
自分の観測範囲で優劣をつけて、「その中で努力しよう」というのは健全だと思う
でも例えばBさんがDさんのマウント発言を見たらどう思うだろう?
結果、認知的不協和が起こり「環境が悪い」「世の中が悪い」「会社が悪い」「自分はゴミみたいな人間だ」となってしまう
マウントというのはどれだけ上昇しても言うことができる
友人の間で「会社の社長になった」と言えばスゴイと言われそうだが
どこまでいっても上には上がいるし、下には下がいる
皆の気分を害してそれで終わる
人は誰しも心の中に悪役を飼っている
自分の行いを正当化したいときなどに、その責任をその悪役に求める
社会で大きな問題が起こった時、その人は「きっとあいつがやったに違いない」と思ってしまう
宇宙人のせいにちがいない、オタクのせいに違いない、フェミのせいに違いない、ウヨクが、サヨクが、韓国人が、白人が、黒人が、女が、男が、父親が、悪友が
学校のクラスで1人超弩級の不良がいたとして、ある日傷害事件が起きたならまず「あいつかな?」と皆思うに違いない
何か悪い事件が起きると「パン人がやったに違いない」と思ってしまう
そして誰かが悪い事件を起こすと「彼はパン人に違いない」と思ってしまう
信じていた誰かが嫌いになったとき「君はひょっとしてパン人だろう?」と思ってしまう
「違う」と言われても「パン人だから嘘をついているに違いない」と思ってしまう
自分が複数人から批判されたときに、「彼らは悪魔だ」と考えて認知を歪め自己を正当化してしまう
その後どれだけ正しく考察してもダメだ、スタートラインが「彼らは悪魔」だから
・彼ら悪魔にも良いところはある
心の中に悪者を飼うのは悪いことではない
以下 インドの神経科学者 アンジャン・チャタジーのTEDMED2016「脳はどのように美しさを判断するか」
によると、3つの美しさがある。 1.グループの中で平均的な顔 2.左右対称である 3.ホルモンの効果
無意識のうちに、生殖に有利な嗜好が、集団の中において普遍的な嗜好となる。
ということらしいです。つまり、教えられなくても綺麗に見える ということだと思います。
ただ、他のところで
http://nama-gatsuo.com/archives/323
後天的要因で美しく見えるというのも見つけて、例えば、単純接触効果(何回も何回もみてるうちに親しみを覚えてくる)、認知的不協和(好みや意志とは違っていても”自分で選択した”ってことから、きっと好きだったからだね! ってことで整合性を持たせていく…らしい)もあるらしい。
ので、答えは、人は、人間の美しさを教えられなくても美しいと思うし、後天的に作っていくこともできる ということらしいです。
引っ越しのため、片付けをしていたら、
書いた時を思い返すと、こんな状態でよく留年とか退学とかしなかったなあと思う。
捨てるのもなんだかもったいない、だがまたいつか見返したい、
ということで、ここに書き起こしてから捨てる。
今思うと相当追い詰められてたなこいつ…
自分はなぜ生きているのか、なぜこんなに愚図なのか。
何でもできるという虚栄心に浸って、本も読まず、有りもしない形での他人の救いを求めて、
慢性的になって、でも一人になるのが怖くて、でも和まりが怖くて、超当たり障りのない付き合い方しかできなくて、
自分の能力も上げず言い訳して、引きこもって、全てまわりのせいにして、
なんなんだ、こいつ。
やらない理由なんていくらでも浮かんで、他人を否定することばかりして、
何もしていないのになにかしている人に対して、優越感を感じて、虚栄心を満たし、
決して満たされない頭の穴にそれを流す。そんなの意味がない。
言葉ではわかっている。
ああ俺何がしたいんだっけ。今の自分のような人間になりたくない。
心のどこかで感じていたけど、結局周りに流されることしかできなくて、思考を停止させる。
結局そう思っていただけ、何になりたいかなんて考えていなかったと思う。
考えてもなれないと、なれなかったとき辛いだろうと思っていた。
何に対しても自信がなくて、結局他人が良いと思いそうな有りもしない思いを伝えて、
まあ、実家のせいなのかな、父は受験期に自殺、母親は過剰に自分の自発的行動にケチをつけ、
姉は毎日誰かしらに喧嘩を売り、一人でイライラして、癇癪を起こし、おかしいといえば、号泣する。
自分が統合失調症とかかじゃなくて、今思っても冷静に考えても、
どこか機能が不全な家族であることは、実家を離れて2年以上たった今でもそう思う。
こういうことを人に話したら、思い切る勇気が無いと言われたが、
根底にあるのは異質な実家をぬけだしたい、でも進路を全力で否定するような実家という状況を直視した
という状況にならないと第三者の目で見られないと思う。
家を抜け出すためにどうすればよかったんだろうか。
その希望を掲げて行動する気は湧いてきても消されたと思う。
書いても書いても、実家の居心地が悪かったからこんな事になった。ということが出てくる。
でも周りを見るといままでにそんなことが無いように見えて、とても眩しく感じる。
実際は一人ひとり違うと思うが。
でも、きっと世の中の人間はここまで卑屈な思いを経験することがなく、生まれて死ぬんだろうな。
人間なんて、意味もなく生まれて、意味もない行動をして、意味もなく死ぬ。
結局たまたま自分という意識を持つよくわからない一つの何かでしかない。
結局の所、自分の頭に湧いてくる、気にしていること、死ぬほど辛いことなんて、
文字にすれば過ぎ去ったことでしか無いことで、もう現実にはないことで、
書いても自分の頭が整理されるだけで、なにも生産性のないことだと思う。
こういうことを書き始めてから1年ぐらいかな、もうなんだかわからない。
心の病や心理学の本を読み漁った結果、
つまるところ、この3語で、自分の気持ち悪く感じていることは説明できると思う。
これを以上として見るなら、誰にも当てはまるんじゃないか、あっても何も問題ないんじゃないかと思うが、
まあ、心が長持ちしないし、一般にはそこまで尖った人間は目立っても相手にされないだけで、世渡りが下手なんだろう。
こう書いてみて、再び思うが、哀れな一人の人間の、治しにくい、典型的な問題でしか無いということがよく分かる。
何なんだろう、これからどう生きていこう。
今まで生きてきて行動してきたエネルギーなんて、
こうして文章化されるまでもやもやしていた「わだかまり」に対してでしかなく、
何も頭に入ってなく、成長していないと思う。これもまた経験なのかなあ。
ふと思い出したが、父親が自殺したあと精神科に言ったことを思い出した。
精神科に行く前から上述のような中身の人間だったのでもっと早めに行ったほうが良かったと思う。
それはさておき、治療していた頃のことを思い出して書いてみよう。
認知行動療法らしいことをしてもらったが、
欺瞞に欺瞞を重ねてきた人間の本当のトラウマなんて、簡単には認知できないと思う。
紐解くのは本当にエネルギーを使う。
PTSDは残ったものの、根底にあるのは慢性化したもので、自殺したこと関係ないと思う。
まあ自分で欺瞞をつくって、それを重ねて、それを壊して、いまも壊し続けていると思うと、
こういう人間は外に注意が向いているようで、全く向いていない。
自分だけの度が強い色眼鏡を堂々と掛けていて、映る像は自分の思い込みが強く入っている。
欺瞞はさておき、人間みんなそうなんだろうと思うけど、度が過ぎると心が持たない。
どうしても自分の色眼鏡を変えたくないっていうのは、自分が間違っているのをどうしても認めたくないってことかな。
臆病な自尊心、尊大な羞恥心に包まれていることを自覚しなければなならない。
なぜ認めたくないかっていうのは、
自分の経験上では、それを変えようとしたところで、目指すものはない。対象があったとしてもイメージできない。
そこを指摘しても、うまく言って洋画、うまく言っていなかろうが、
「今までこれでやってきた」が与える力は測りしれない。
認知的不協和を自己欺瞞(しごく勝手で都合のいい解釈)で簡単に解決したと思い込み、
それを重ねると誇大妄想に至る。
読み返すと恥ずかしくなるけど、こういうものを書き続けてきたからこそ、
やっぱ自分の頭の中を出力するのは大事だね。タイピング早くなるよ!
時間をふんだんに使って、小説や専門書、映画や漫画を漁ったなあ。
どんな作品にしろ、人間である作者がそれに時間を掛けて制作したってことが、
少しでもわかるようになったので、少しは成長したと思う。
性教育ってあくまで薬物で言う所のハームリダクションにみたいに行われるのが良いんだと思ってる。性行為に関わる様々なリスクを回避しようと思ったらしないのが一番なんだけど、なくすことができないから対策を教えるみたいな。そういうスタンス以外ありえないでしょ。
その思想はたぶん明治期か戦後か知らないけど西欧で劣勢になって日本に逃げ延びてきたプロテスタント系潔癖主義で、真理とかではなく舶来品崇拝と精力的な布教で進んだ観念のように思い込まれているだけの、認知的不協和から快感を引き出す一種の性的嗜好だと思う。
生殖を最低限必要な限度に抑えた形が生物として優れているというのはおかしいでしょ。繁殖をしろよ。旧約聖書だって「生めよ,増えよ,地に満ちよ,地を従わせよ」って書いてあるだろ。DQNのように増えろよ。そして確実に増やす算段をしろよ。
https://anond.hatelabo.jp/20170626132146
エントリとブクマを読んで、全体的に下記のような印象を抱いた。(それにしてもヘイトコメントだらけだな!)
1.若い女が好きな中高年男性に差別的な発言をすることは問題だと感じるブクマカは少なくない
2.しかしそれを真正面から認めたくないため、幾つかの「解決方法」を試みている
私はほどほどの高齢男性(30半ば)で、交際してきた/している相手は20歳以下がほとんどである。
10代後半から20歳ぐらいまでの女性の心理面での新鮮さや、肌や髪の若々しさは私にとって特別な価値がある。
上で述べた印象のうち、まず1については当然だろう。
ある人間がある性的なシコウ(指向・志向・思考・嗜好…)を持っているということによって差別的な言動をしてはならない、と彼ら/彼女らは考えているからだ。
いや、どの程度真剣に考えているかは知らないよ。少なくともそのようなポーズを取っている。そうすると気持ち良いからだ。「そのように考えている差別意識の無い進歩的な……つまりそのへんのバカとは違う自分」というセルフイメージを彼らは気に入っている。
そしてそのセルフイメージを肯定し合える人間同士で馴れ合っているため、それはより強化される流れの中にある。
「高齢男性が若い女が好きだと表明すればキモいと言われるのは仕方ない」と、彼/彼女や、それに星を付けている100人前後の人たちは言っている。
正直驚いた。
若い女が好きと言っただけで、キモいと言われることを甘受しなければならないと彼ら/彼女らは公言している!
言われた側への配慮はあるだろうか。
そんなものはどこにもありはしない。
彼ら/彼女らは同じ口で、「LGBTの人が同棲を好きだと表明すればキモいと言われるのは仕方ない」という意見に同意するだろうか? するのなら分かるよ。だが決してしないだろう。
高齢男性へのヘイトを口にした、あるいは賛同した人たちは認めてはどうだろうか。
しかし自分のそんな欲求を認めてしまうと、看過しがたい認知的不協和が発生する。そんな不快感は御免こうむる…。
そこで彼ら/彼女らの脳はその欲望を正当化するための言説を半ば自動的に生成する…。
という具合だ。
id:guinshaly はいみじくも次のように追記している。
自分の言動が正しくないということに当初は気付いていなかったのだね。
気付けて良かったと言うべきなのかもしれないが…。
なお特にid:guinshaly をサンドバッグにしたいという意図は無い。他にも同工異曲のヘイトコメントは多い。
彼ら/彼女らが仮に100人いるとして、そのうち何人が自分の言動を反省するだろうか? 2〜3人いれば良い方だろう。
思考が欲求を制御するのではなく欲求が思考を駆動するタイプの人間が多数派であろう。
少し整理して見出しを付けました
https://anond.hatelabo.jp/20170626132146
エントリとブクマを読んで、全体的に下記のような印象を抱いた。(それにしてもヘイトコメントだらけだな!)
最初に言っておくと、私はほどほどの高齢男性(30半ば)で、交際してきた/している相手は20歳以下がほとんどである。
1.若い女が好きな中高年男性に差別的な発言をすることは問題だと感じるブクマカは少なくない
2.しかしそれを真正面から認めたくないため、幾つかの「解決方法」を試みている
まず1については当然だ。
ある人間がある性的なシコウ(指向・志向・思考・嗜好…)を持っているということによって差別的な言動をしてはならない、と彼ら/彼女らは考えているからだ。
いや、どの程度真剣に考えているかは知らないよ。少なくともそのようなポーズを取っている。そうすると気持ち良いからだ。「そのように考えている差別意識の無い進歩的な……つまりそのへんのバカとは違う自分」というセルフイメージを彼らは気に入っている。
そしてそのセルフイメージを肯定し合える人間同士で馴れ合っているため、それはより強化される流れの中にある。
「高齢男性が若い女が好きだと表明すればキモいと言われるのは仕方ない」と、彼/彼女や、それに星を付けている100人前後の人たちは言っている。
正直驚いたよ。
若い女が好きと言っただけで、キモいと言われることを甘受しなければならないと彼ら/彼女らは公言している!
言われた側への配慮はあるだろうか。
そんなものはどこにもありはしない。
彼ら/彼女らは同じ口で、「LGBTの人が同棲を好きだと表明すればキモいと言われるのは仕方ない」という意見に同意するだろうか? するのなら分かるよ。だが決してしないだろう。
高齢男性へのヘイトを口にした、あるいは賛同した人たちは認めてはどうだろうか。
しかし自分のそんな欲求を認めてしまうと、看過しがたい認知的不協和が発生する。そんな不快感は御免こうむる…。
そこで彼ら/彼女らの脳はその欲望を正当化するための言説を半ば自動的に生成する…。
という具合だ。
id:guinshaly はいみじくも次のように追記している。
自分の言動が正しくないということに当初は気付いていなかったのだね。
気付けて良かったと言うべきなのかもしれないが…。
1984というと一般には全体主義的監視社会という観点で語られがちであるが、実のところ、かの世界でテレスクリーンによる監視を受けているのは全体の20%にも満たない中上層階級だけである
では残りの80%――プロレと呼ばれる労働者階級――はどうしているのか
教育は与えられず、ニュースピークにより思考の方法は奪われ、代わりに無害な娯楽(プロレフィードと呼ばれる)と党のプロパガンダが与えられる。そうして実際には党からひどい搾取を受けながらそれに疑問を抱くことはなく、二分間憎悪に熱狂し、B.Bを熱愛する
こうして政治的に去勢されたプロレは、もはや体制に脅威を与えうるものではないと見做され、永遠の窮乏と抑圧の中でほとんど"放し飼い"にされているのである
昨日のプロパガンダと今日のプロパガンダに齟齬があっても彼らは気にしない。より上位の階層であればそのような認知的不協和を解消するために二重思考を用いるのであるが、プロレはそんな面倒な(そして高度な)方策を用いるまでもない。彼らは今日与えられた"真実"を今日の真実としてただその中に生きている
このような社会では中層階級が立ち上がり下層階級と手を組んで社会を転覆することは起こりえない。立ち上がる可能性のある中層階級に釘を刺すために監視は行われているが、しかしそれは党の支配原理の中枢ではない
http://toyokeizai.net/articles/-/158048
デキない男とデキる男の特徴が3つずつ挙げられている。
(1)勝ち負け重視
相手との関係を「勝ち負け」で評価するのが、相手より優位に立つかどうかを重視するDFDNオトコの特徴です。議論をして「勝った気」になっているあいだはいいですが、実力がバレて敗北感を味わうと、泣きたくなるくらい心にひびが入ります。
すると、「これはホントのオレじゃない」「まだ本気を出していない」と思い始めます。うまくいかなかったという都合の悪い現実を受け入れられない、心理学でいう「認知的不協和」状態に突入します。
「オレは悪くない」「悪いのはアイツ」「環境やタイミングが悪い」。ピンチやスランプに陥ると、その原因を周りのせいにしたり、周りに怒りをぶつけてしまう。もはや、心が折れてしまうまでのカウントダウンが始まっている状態です。
(1)「負けた」ことを受け入れる
彼らいわく、「泣いても、結果は変わらないでしょ?」「次、結果が出るようにするしかないじゃない」とのこと。悔しいけど、うまくいかない結果を受け入れる。
(2)「うまくいかない」を受け入れる
「最近、スランプなんですよね」「どうも調子が悪くて……」。こんなピンチやスランプは誰にでも訪れる「波」だと考え、どうしようもない状態に陥る自分を受け入れる。
(3)目線を変える
悔しい結果やスランプ状態にあるとき、見方を変えて、考え方と気持ちを切り替える。デキるひとは「目線を変える」お作法を使って感情をコントロールしていました。
前者がデキない男、後者がデキる男の特徴であるらしいが、ぴったり対応させているとおり、全く同じことを違う側面から言っているだけにしか思えない。どちらの思考も裏表不可分の状態でやってくるように思う。