はてなキーワード: 託児所とは
https://ja.wikipedia.org/wiki/保育園などでの性的虐待の可能性に対する社会的恐怖
保育園などでの性的虐待の可能性に対する社会的恐怖(ほいくえんなどでのせいてきぎゃくたいのかのうせいにたいするしゃかいてききょうふ)とは、1980年代にアメリカをはじめとする各国で、保育園や幼稚園などの施設の経営者や職員らが子供たちに対し性的虐待を行ったとして親たちに相次ぎ告発された現象である。告発の内容は、職員らが子供たちの性器に触れた、拷問した、性的な行為を強要したなどであり、中にはエーカー託児所事件のように別室へ連れて行かれピエロに襲われたという証言や、マクマーティン保育園裁判のように魔女の出現を証言した子供たちもいた。
37℃台の気温のなか車中に子供2人を放置して、夜9時頃から翌朝6時頃まで繁華街で飲み屋数件を練り歩いて男と不倫して、逮捕された後も保身のため「持病のため2時間ほどトイレに行っていた」と嘘をついていた母親でも、はてなブックマークだと↓これ。マジでイージーモード
maharada 親を責めても仕方がない。テスラだったらどうにかしてくれそう。
takanagi1225 海外じゃベビーシッターが当たり前だからこその子育てだし、そもそもが貧困な日本の子育て層と比べること自体無理がある。対策としてベビーシッター支援を出すべきだと思う、現金支給でなく無料で利用できる制度を。
ardarim こういう不幸は技術で乗り越えてほしい。こういうのこそフールプルーフだと思うのだが、自動車メーカーさんどうよ 社会
yuzumikan15 親を責めても何も解決しない。人為的なミスをカバーできるのは技術や仕組みだよ。
monacal 別記事見るとエンジンかけて冷房かけてDVD流して待たせていたのに、帰ってきたら暖房に変わってて子供がぐったりしていたみたい。お母さんなりに気をつけていたのにまさかだよね。気の毒すぎる。 常に他山の石とせよ
craprak ヤフコメのトップ「これだけこれだけこれだけこれだけ報道されてもまだわからんのか!!!」のマンスプぶりがめちゃくちゃキツい…
greenbuddha138 子どもを殺されるほどのミスではないよな。機械的な仕組みを作れないかな。
kaz_the_scum まともな親であれば慙愧の念に堪えられないだろう。虐待の前科があるとかでなければ、そっとしておいてあげようよ。
hotelsekininsya ゼロには出来ない事故に「この母親は何やってんだ!」つってもあまり意味ない気がするんだよな。/メーカーはコスト(対効果)があるので意外と対策しない。対策を強制すべきだろうな。
haru-k エアコンつけて離れても子供がいじって消しちゃう、とかありえるよね。ご家族の後悔、悲しみ、思うに余る。/30分限定の予約不要託児所を繁華街に作れないものかなと思う。子供二人連れてると1分の記帳さえ不自由。
shiitake157 かわいそうに
versatile みんなかわいそう。南無
ochanonde 猛暑の中、子供を連れて用事を済ませなければと必死だと自分の体調により判断能力が落ちても気づけない、でもミスは許されないから… お母さん辛いだろうな
centauro 子供ふたり、この年齢になるまでどれだけ大変だったろうと思うと何もいえない…
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/1424e0f2750fe28fdd92cea808cea79a2769ad71
今日コミティアなんだけど、Twitterでフォローしてた、3児の母の同人誌(ジャンルはBL夫の不倫から、おっぱいYouTuberまで幅広い)をやっと現地で買うことができたんだが、書いていた方が思ってたのと全然イメージ違ってた。
ヤクルトレディのお仕事誌も書いてるし、背は低目で恰幅いい感じのおばちゃんなのかな?と勝手に思ってたら、身長はあってたんだけど、美人だし、痩身だし、この人が子持ち不倫蒸発漫画書くんか……みたいな意外感で。でも物腰はめっちゃ柔らかだった。
実家の近くの写真を上げることもあるので、知らずしてわりと良いとこに住んでることも知ってるけど、単身祝日に参加して、お子さんとかは実家に預けてるのかなとかなんかふわっと下世話な疑問が浮かんじゃって。そこにいない旦那さんがなんか初めて気になった。サークルカットと本人は切り離さないとダメだなガハハ。
関係ないけど、二宮ひかるさんの合作本で並んでた壁サーの裏でお子さんらが遊んでたのが印象的だった。託児所ってコミケに今あんだっけ(20年行ってないからそっちは知らん)まぁあそこでよかったよ
わかる。
俺は公立の通信制高校だったんで、そこに高校生で妊娠して転校してきたって子とかいたよ。
通信制と言ってもスクーリングと言って、一週間に1日程度登校するんだけど、そのスクーリングの時、旦那さん(大学生)がついてきてお世話をしていたりとか(学校内に託児所はあるんだけど、当時は保育士さんは駐在していなかった)
で、そこに、学生時代に妊娠して退学せざるを得ず、その後子育てが一段落したから改めて高校に入学した、という先輩ママもまざって、みんなでお世話していたみたい。
今では、月曜日スクーリング限定で、近所の保育所から保育士さんが派遣されてくる仕組みになっているらしい。
それはダイバシティの最前線のような通信制高校、特殊事例だよね。
そこで聞いた話は、一般の高校で現役で子どもを作ると、学校は退学させるように動くのだとか。そこで通信制に転校させる。
多くの大学もそう言うことを想定した仕組みになってないよね。一応、託児所があるところはあるようだが、現役で子どもを作る仕組みにはなってない。
これを整備するだけでだいぶ違う気はする。例えば妊娠をきっかけに1年か2年、ペナルティなく留年してその間フォローする仕組みとかやっちゃいかんのか?
子どもがいることでいろいろ共通して見えることもあるから、そういうことを話し合える友達という点で言えば子供ができてから疎遠になった人と付き合いを取り戻したり、ママ友を構築したりというのはありなんだろうな。子供の成長に関する競争なんかもある反面、子連れじゃないとわからないことも共有できるという面もあると思う。
逆に、独身の友人と遊ぶのに子供は邪魔だし、友人も毎回子守させられるのは大変なので子どもが小さいころは託児所なりに預けるという選択になるだろうな。欧米だと子供を託児所に預けて夫婦の時間を取ったり、自分の時間を取ったりするのは普通のことみたいだけれど、日本だと理解されない考え方かもしれない。
これまで連絡してこなかったのに子供ができたら掌を変えて連絡してくるのをどう思うかは増田が考えることじゃなくて、相手が考えることだと思う。それをけしからんと思うなら、なんだかんだ理由をつけて断り、会うこともないと思う。増田が勝手に遠慮することでさらに疎遠にしているだけにしか見えない。
子どもがいない友人たちのほうがこれまでの延長線上で付き合えるから増田的には楽なんだろうけれど、増田がそうやって気楽さを謳歌する中で、友人たちは心から楽しめるかが疑問。きっとこっちのグループの人とはだんだん疎遠になると思う。世の中には欲しくてもできない人がごまんといる。まあ、そういう時に子どもの話されると削られるんだよ。
親になって変われるところは、子どもがいないとできない体験ができることかなと思う。子供の通う園や学校を軸に知人・友達ができたり、子供の習い事ついでに自分も習ってみたりというのは子どもがいないとできない経験だと思う。元増田はそういう扉が開いていることももっと見たほうがいいと思う。
...ということを書きながらWhen one door of happiness closes, another opens; but often we look so long at the closed door that we do not see the one which has been opened for us.という言葉を思い出した。
「子供の虐待死で母親を責める人たちがいる」→世間の目は司法をはじめ同情的ですが。実父による性的虐待より実母による子殺しの方が刑罰が軽いので刑罰の女子割とか言われてますね
「子供を育てるってことがどんだけ辛くて苦しいことなのか」→その代わり精神的リターンも大きいしシンママ保護も手厚いですよね?
「まったく想像もしてないんだろう」→私はシングルファザーですのでその批判は当たりません
「我が子を虐待したいと思って虐待している母親なんて一人もいない」→それって自分が制御できてないって話ですよね?
「そのほとんどが、本来は育児に参加するべきはずの父親に見放され」→シンママ化の原因の第一位は離婚ですね。しかも性格の不一致。そちらに原因は皆無なんですか?
「一人で子育てをするなかで睡眠も休憩も一日に数分しか取れず」→何のための託児所ですか?この部分についても日本の補助は世界的に見ても手厚いほうですよ
「ノイローゼに悩まされてるなかで、正常な判断ができなくなっているから起こってるんだってことを知ってほしい」→まず心療内科に行ってください。そして行政に相談
「虐待する母親に必要なのは逮捕でも罪を責める人たちではなく、適切な精神的な治療だよ」→心療内科と行政相談窓口の扉はいつも開いてますが。受けなかったのは女性側の選択ですから免罪符にはなりません
「彼女らもまた、男による無責任な出産強要による被害者なのだということを忘れてはいけない」→産むのにせよ子供を引き取るにせよ女性側にも選択権はあるのですしその結果なのですが。施設に預けなかったのもね
素直に思うけど増田の勘は鋭いと思うよ
飲み屋街の託児所付近の市街地広告が是正されるべきものとされるなら、その是正が及ぶ範囲はおそらく飲み屋街だけでは済まなくなる
広告規制に関して何らかの思う部分がある人なら飲み屋街の市街地広告には悪影響があるという主張は認めることが出来ないと感じる
「飲屋街の託児所」で悪影響気にするところが広告、という点が一番バグってんのよ。
友人関係
そういうとこに務める親の人格
たぶん片親であること
もっと気にすべきことがいろいろある。
広告の影響なんて、皆無だよ皆無。その環境で広告がマトモでも子供変わんねーもん。
そこでの正しい答えは、出題者の目の付け所がわるい、だ。
飲み屋街に託児所が存在することは付近を往来したことのある方々ならばその大半の方々は知っていると思うが、そこ付近へいわゆる「子供が居る場所での不適切な市街地広告」という要素を加えると色々と何とも言えない、まぁハッキリと言ってしまえば正しいのか正しくないのかよくわからん状況に陥る。
例えば新宿や池袋の飲み屋街エリアなんてのはその最たるもの、代表例だと言っても過言ではなく、何でそんなところに託児所があるのか?と言えば、飲み屋や性風俗に務める方々に自身の子供を預けたいという需要があるためであって、飲み屋街エリアの託児所は非常に存在意義が大きいものであるのは間違いない。
しかし、一部の言説に拠れば、子供が居る場所では市街地広告の内容に配慮がなされるべきという主張が存在するため、何とも言えないような状況が出来上がってしまっている。
親がそれを受け入れているならば仕方ないことなのではないかという考えも存在するだろうけれど、元の言説の子供に悪影響があるという主張は親が許容していれば解消するものなのか?と言えばそうではないと言えるだろう。親の認知許容の仕方で子供の影響度合いが変わるなんて全くもっておかしいのは明らかだ。
では逆に、あなたたちの子弟が通う施設の前や付近にデカデカと一部で不適切とされる市街地広告が設置される予定があり、それが何ら法律や条例に違反しないことが明らかとなった場合、あなたたちはそれを許容すべきなのか、それとも拒否すべきなのか。
これは飲み屋街の託児所付近の広告という現実に存在する事例を考慮すると、おそらくきっとたぶん、答えは出ない。自分を含めた多くの人々にこの問いへ"正しい答え"を示せる能力はない。
ある意味で、自分自身の無力さ、無能さと折り合いを付けながら生きていくしか無いという"答え"を見付けることのできる問いなのかも知れない。
俺のイメージだと子孫が資産管理して毎月の利用料収めてくれないと成立しない気がするんだよな。
保護者である子供が老人の金を預かった上でその中から払うって形だよな?
違うの?
でもそうなると老人ホームの中で老人が金の管理することになりそうなんだが、それって無理でしょ。
一部の人が痴呆症の最終処理場として利用している以上は、あの空間の中で金銭を安全に管理することはできないと思う。
じゃあ独身の人間って老人ホームにも入れずに死ぬしかないのかな?
俺なんとなく自分はアルジャーノンのラストみたいな感じで自分が入る老人ホームの手続きをするものだと思ってたんだが、よく考えるとそういうシステムなのか知らねえって気づいた。
教えてくれよ。
宗教二世と言う単語が俄に話題になっており、そう言えば私もそうだったなと思い、なんとなく当時の思い出を振り返りがてら
父親がはまっていた崇教真光について記そうと思う。今までROM専だったので、至らない所があったら申し訳ない。
細かい時期は覚えていないが、確か小学校にあがったあたりで父親が入信。
ある日いきなり家族を車に乗せて連れて行かれたのが西千葉にあった真光の道場(真光は支部を道場と呼ぶ)であった。
崇教真光と言うのは、神道系の流れを汲み、基本は教祖のもと真光大御神と言う神様を祀る新興宗教で、
一番の売りは、御神霊(おみたま)を言うものを装備して手を3回たたくと、手から目に見えない光が出て、
その光を当てると病気は治り食事は美味しくなり機械は治り悪霊は退治できると言う物であった。
この御神霊は初級中級上級などのランクがあり、初級はたしか5万円だか7万円だかを払い、
3日間泊まり込みの研修を受けたら誰でももらえるヒノキの棒のような物であった。
私も小学校2年か3年の時に受講させられてゲットした覚えがある。普段はネックレスのようにして首からさげ、
胸元に御神霊を入れるポケットがある専用のシャツを作ってそこにしまっていた。
体から外す時は、水に濡らすなとか心臓より低い位置においては行けないとかなんか細かいルールがあったけど忘れちゃった。
とにかくこれで御神霊をゲットした者同士でお互い手かざしをして、病気や煩悩などの悪いところを祓う修行をする場
と言うことで道場と呼ばれているようだった。
手かざしをする時の流れは、暇そうな人が集まる待機所に行き「すみません、○○をお願いしてもいいですか(なんて言ってたか忘れった)?」
と聞いて了承を得ると、二人で道場に行き、まずはお互い正座をして向き合って座り、
祝詞をパクったような呪文を唱えてから額に10分間照射するのが始まりだった。
その後は後ろをむいて肩首、うつ伏せに寝て背中、腎臓のあたり、足裏の順で指圧をして硬い所を見つけたらしばらく手かざしをすると言う流れで、
体が軽くなったと喜ぶ人も居たが、たぶん指圧の効果だったと思う。
たまに父親がなんだかんだ理由をつけて若い主婦の鼠径部あたりを執拗に施術?してたのは今思うと普通に痴漢やセクハラの類だったんだなとは思う。
■真光との付き合いや家族の事
宗教との出会いは上記の通り。典型的なモラハラDV親父だったため、母親を始めとして兄2人と妹を含めた4人兄弟は誰も逆らえずに入信。
定期的に道場に行っていたが、おそらく父親含めて誰1人信仰心から行っている者は居なかった。
逆らったり不満を漏らしたりすると、分厚いガラスの灰皿やゴルフクラブが飛んできたり、良いと言うまで正座もしくは町内をランニングなどさせられた。
母親は朝から晩まで会社で無給の事務員をやらされ、空いた時間で道場にいかされ、家事をやるものは居なく家の中は荒れ放題であった。
おそらくは父親自身のさびしさの穴埋めと承認欲求のために家族全員入信と信仰を強いられたのだと思う。
「○○さんのお家はご家族ですごいのね」
今思うと全てがこの一言をもらうためにやっていたように思える。
例えば真光では、体調を崩して熱が出るのは体の自然な状態なので、なるべく解熱剤などを使わないようにし、
手かざしと自然治癒で治そう。ただし本当にやばい時はちゃんと使わなきゃダメだよみたいな教えがあった。
これを先の一言をもらうために、熱が41度出ようが右足に古釘がささって切断寸前までいこうが家族に病院と薬の使用を禁止し、
無理やり病院に連れて行ってくれた先生を呼びつけ罵詈雑言を浴びせ殴るけるをし、自身が経営する会社の金を横領し
道場に高級車や多額の献金をし、子供は学校を休ませて道場にかよわせ、真光一家の子供が集まるキャンプに参加させ、
岐阜の総本山での大集会に参加させてってここまで書いて思ったのですが、宗教と言うか父親の話ですねこれ。
大体土日ともに朝6時ぐらいに起こされて父親の車に乗せられて道場に連れて行かれる。
この時献金用(なんかお金を紙につつんで2礼2拍手かなんかしながらうやうやしく神前に置いていた記憶が)の100円と
昼飯代などを渡され、妹と二人でおいて行かれる。
母親は会社につれていかれて無給で仕事の残務処理を、父親はゴルフなどをしにいっていた。
父親の目的は「○○さんのお子さんは熱心ですごいわね」と言われる事で、
信仰心を満たすためでは無かったためこれはすごく理にかなった行動だと思う。
そして私と妹は、道場内にある託児所のような場所で、布教用の新聞を折る内職をしたり、信者同士で手かざしをしたり、
マイッチングまちこ先生の絵の人が書いた布教用?の漫画を読んだり、道場長(支部長)が幹部候補生(無給で道場の雑務を処理する青年奴隷)に
パワハラしてるのに怯えたりしながら、ゴルフ帰りの父親が迎えに来るまで時間を潰していました。
当時の数少ない娯楽で楽しみにしていた事が2つあり、1つ目は手かざし中にたまに憑依した霊が手かざしの光を嫌がると言う設定で、
普通のおばさんが「ワシは武士だ!」とかいい始めたりする突発イベントだった。私は2回しか見たことが無かったが、
最初は「まぶしい!やめろ!」とか言って目をつぶったまま光を避けようと抵抗してたが、
最後は「あたたかい…」とか言いはじめて最終的にはなんかお礼とか言ってた。
もう1回はなんか頭揺れてうーうー言ってただけ。今思うと後者は寝不足な人が眠気に抗ってただけなのかもしれない。
もう1つは布教(?)に連れて行かれる事であった。これ自体は面白くもなんとも無かったが、外に出られるってだけで嬉しかった。
主婦が5人1組ぐらいのPTをいくつか組んで、ワゴン車で移動して死亡事故があったところを皆で手かざしをしたりしたのだが、
たまーに「手がピリピリする!」とか言う人が出てくると、そこにどうやら成仏できない霊がいるみたいな設定で皆で集中砲火をするのが面白かった。
その浄化作業の後は阿佐ヶ谷姉妹の玄関開けると居る人たちってネタそのままの行動をしてた。
これのために子供会の野球もやめさせられたし、友達と全然遊べなかったのが辛かった。
当時一番嫌だったのが、金曜日から日曜日にかけて行っていた総本山での大集会(なんか名前がついてた気がするが忘れた)。
金曜日の夜に背もたれを倒せない古いバス10台ほどに分乗して千葉の道場を出発し、皆で寅さんの映画などを見ながら金曜日の夜を過ごし
土曜日の早朝に岐阜の総本山へ到着。全国、というか外人さんのために通訳とかもあったからおそらく世界中から数ヶ月に一度ここへ集まり、
手かざしのおかげで病気が治った、事故にあわずにすんだ、なんかしらの災いから逃れられたなどの今で言う嘘松体験のような物を
泣きながらやる発表会や、ありがたいお話を聞いたり、青年会かなんかの歌や踊りを見たり、みんなでお祈りをささげたりしながら、
集会1番の売りである、教祖様手ずから信者に向けての一斉手かざし(※通常は1on1でやるものだが、教祖様は凄いので大ホールに集まっている
全員に一斉に、しかも両手で光を浴びせることができた)を受けて良かったねと言ってまたバスで1晩かけて帰る。
2夜連続で狭く揺れるバスでの宿泊は車に乗ると確実に酔う私には拷問に等しかった。マジで2晩中吐いてた。
またこの集会にはアントニオ猪木をはじめとした国会議員が数名来ていた。その他芸能人も何人か来ていたが、覚えているのは丹波哲郎のみ。
小学校低学年だったため、子供でも知ってる猪木と、映画を見させられた丹波哲郎以外は名前を知らなかったし覚えていない。
全国から岐阜に集まっちゃうぐらい言う事聞いちゃう信者に顔を売ると言うのは、政治家や人気商売の有名人にとって計り知れないメリットがあるんだろうね。
教団側も内外への広告塔として利用価値あるし、統一教会と政治家がずぶずぶなのも何を今更としか思えなかったし、
参加している芸能人はともかくとして、政治家がどこまで本気で信仰しているのかは怪しい所だと思う。
■その後というか話の締めくくり的な物
父親はその後、思春期を迎えた兄2人を暴力で支配できなくなり、母親には小学生だった私と妹を連れられて離婚され、
会社は銀行に没収され、すっかり存在を忘れられていたが、数年前に膵臓がんにかかり長男に会いに来た所、玄関の扉も開けずに追い返されたとの事。
とっぴんぱらりのぷう
■追記
読んでくれてありがとう。自分の中ではとっくに整理がついてたつもりだったけど、改めて文章にしてみると無視してただけで
100%飲み込んだわけじゃなかった感情とかが見つかって良かったと思う。
上には書いてなかったけど、私が小学2年生の時に母親に連れられて秋田に逃げた事があった。
その時は確か3ヶ月ほどで見つかり連れ戻されたんだけど、そこの児童館かなんかで聞いたフレーズでやけに記憶に残っていた。
当時は個人情報にそれほどうるさくなかったから、学校への問い合わせで見つかったっぽい。
その失敗を踏まえて数年後にまずは母親が単身で家出して、生活基盤を整えてから私達を迎えると言う計画に出たが
居場所や計画などがバレないように私達には内緒にして行った物だから、妹と2人でお母さんに捨てられたと絶望したのはまた別の話。
(※兄2人は知らされていた)
>崇教真光の勧誘には会ったことないけど、勧誘に連れてく子供が他人の子供だった(そういうケースもあった)というのは新鮮な驚きだったわ
勧誘は基本的に主婦を積極的に狙ってた。主婦を釣ればほぼ確実に子供がついてくるし、財布を握っているケースも今より多かったからだと思う。
結果として託児所みたいなところがあって、そこに子供を預けて行くシステムが千葉の道場にはあった。他の道場や宗教はわからないけど
どんな宗教でも主婦を狙うのは基本っぽいから、似たようなケースはあると思う。
>経営者の親父は親父で経営者同士の会合とか政治家もいる会合とかで出会った人間に言いくるめられて入ったんだろうな
これはわからないけど、私個人の見立てとしては、めちゃくちゃお金を稼いで社会的には成功したのに人に好かれない寂しさからはまったんだと思っている。
でもさ、反対意見を言った社員を角材でぶん殴ったり、泣き止まないからって理由で子供を3階のマドから吊り下げたり、雪の降る夜に裸で追い出したり
高速道路に捨てていったり、今だったら即懲役になるような事をやるような人が自分を変えないまま新たな居場所を見つけようとしても、嫌われたり避けられる体験が増えるだけなんだよね。
離婚以降は真光をやめて新興宗教を転々としてたって噂に聞いた。
>結局、信仰宗教って最強の弱者ビジネスに思える。経済的、身体的、精神的な弱みに漬け込み、お金と人を集め、それを目当てに寄ってくる人間を利用する。
これはめちゃめちゃ居た。ガンなどの医師からさじを投げられた人たち、今思うと自閉症だったんだなって人のご両親が熱心にお祈りしてた。あと家庭内不和あたりは本当に
石を投げたらあたるぐらい居た。上得意だったと思う。日常で解決できない問題の救いを求める場所って言う意味では良いと思うんだけど、
割りと強引な勧誘がね…。