はてなキーワード: 看板とは
・水族館や動物園で、説明文を読んで得たばかりの知識を、同行者になぜか少し得意げに披露している人の声を聞きながら、動物や魚を見ている瞬間
・いいパン屋でいい惣菜パンを買って、包み紙に油が染みているのを見たとき
・新しいゲーム機の初期設定をしているときの、焦れるようなワクワクするような感じ
・ロイヤルホストなどのファミレスの看板が、雲ひとつない青空をバックにゆっくり回転している
・22時22分
・式典のために用意された、デカい花瓶に入ったデカい生花の近くを通ったときに感じる、強い花の匂い
・12月の雨の日、降っているものにあられが混じっていることに気がつく瞬間
・春先に飛んでるオレンジ色のチョウチョ(ツマグロヒョウモン!)
・夏場に美術館や博物館に行ったときの、圧倒的な涼しさ(案外人は多くて、静かさはない)
・自転車でネコの横を通り抜けるときにネコが見せる、いつでも動けるように緊張した姿(実際には動かない)
・波止場に腰掛けたときのコンクリートの冷たさ、フナムシがそのへんをカサカサやっている感じ
・でかい交差点で、ピヨピヨいう音と一緒にみんなで歩き出す瞬間
・バルセロナのムンジュイック城の中にあったアーチェリー場で、おっさんが矢を射ていたこと
・明らかに風が強い日の朝、起きた瞬間にそれがわかる
・スーパーで買い物してる親子連れのガキンチョが、お気に入りらしい冷凍食品をねだっている声
・地元のゆるキャラの2パターンくらいしかない画像を酷使して作られた、コロナ対策のポスター
常識や暗黙の了解や空気みたいな尺度を棍棒にして人を叩くなと言う。
しかしねえ。
少なくとも、無限に注文できるわけじゃないってことは阿呆にだってわかるはずなんです。倉庫の容積も牛の絶対数も有限なんだから。
ってか、goldheadさんご自分でも言うとるやないですか。
たしかに「50人前」は過度に見える。
おっしゃるとおり、50人前は過度なんですわ。無限には注文できない、50人前は過度。これが暗黙の了解でなくて何でしょう。
だいたい、食べ放題に相撲取りやプロレスラー、腹をすかせた体育会系の男子高校生が押しかけてくることだって、普通に予見できることだろう。
店だって当然それは予見しているでしょうし、10人の団体が50人前を頼んだんなら1人あたり5人前であって、その程度なら許容範囲かもしれません。しかし、ひとりひとりが50人前ずつ計500人前を注文したら多少人間のできた店長さんでもキレていいと思います。
(ってか、相撲取りやプロレスラーの団体は部屋や団体の看板をしょった社会人なので、あえて店と軋轢を生むような注文はしません。お互いハッピーに食べられる店を選ぶでしょう。高校生は知りませんけど。)
それはともかくとして、goldheadさんのご認識でも、1人前から50人前の間のどこかにボーダーがあることは確かですよね? 50人前でとうとう店がキレたってことは30とか40あたりでしょう。それはボンヤリにじんだ線かもしれないし、線を引けと言われて初めて検討される線かもしれない。でも、ボーダーが「存在すること」は誰にとっても明白です。どこにあるかはともかく、存在することだけは確かなんです。
しかるに、「上限数を断っていない以上、好きなだけ頼んでもいいはずだ」と居直るのは、ボーダーがあることを知っていながら、あえてそのボーダーがないものとして振る舞っていますよね。これ、正しい態度だと思いますか?
特に断りがなくても、ボーダーが存在することが自明である以上はどこかで自発的にブレーキをかけなきゃいけないことも事実です。
普通の人はブレーキをかける必要なんかありません。ボーダーがあることを理解していようがいまいが、店が設定したボーダーに達する前に満腹になるからです。というか、食べ放題のメニューはそうなるように組み立てられています。少食の人、大食いの人、あれこれバランスよく食べる人、偏った注文をする人、さまざまな客がいますが、平均をとれば確実に儲けが出るようなボーダーを設定しています。
自発的にブレーキをかけなきゃいけないのは、ボーダーを大幅に踏み越える能力を持ち、かつその自覚がある人だけです。数はごくごく少ないです。
くだんの人物はブレーキが遅かったのではありません。ブレーキを踏まなかったことを責められています。40とか50という数字に意味はありません。この人のようにボーダーがあることを知りながら故意にボーダーを踏み越えるような注文したりgoldheadさんのように「上限が明記されていない」と居直ったりするようなめんどくさい客は(ブコメにもたくさんいるように見えますが)実際にはほんの一握りであって、普通はそんな例外的なやつらのためにいちいちメニューに但し書きなんかしたくありません。それこそが風通しのいい社会です。
暗黙の了解があるというなら見せてみろ
見えないから暗黙なのですが、これはまあ、先生が出席をとるときに「欠席のやつは手を挙げろ」というような矛盾ギャグなのでしょう。でもあえて明文化するならば
ふつうの人は焼き肉食べ放題で上限を気にする必要はない。満腹するまで食べてよい。だが規格外の大食漢は自発的に手加減しろ
になると思います。
当たり前すぎませんか?
こんなこと、いちいち書かないとわかりませんか?
使いホーダイというから契約したんだから、それに対して事前に設定した数値もなく「他のお客様が通信できなくなってしまいます><」と被害者面するのは違くないか?
それはお前らが通信インフラを追加で整備することによって対応するんだよ。
どう考えても「我々の読みが悪かったせいで、全てのお客様に、ご迷惑を」だろうがよ。
俺は変わらず月々数千円しか払う気がないけど、お前らがちゃんと対応してくれたら「このパケホーダイ凄い!月々10000000000000000000000000000000000000000000000000000TB使ってるけどちゃんと繋がる!」って宣伝してやっから。
俺自身は月に数千円しか払わないけど、そうやって宣伝することで客が100人でも1000人でも増えれば、月の売り上げも数百万円ぐらい変わってくる訳でしょ?
そのお金を見込んで追加で帯域を用意しなさいな。
なんでそれをやらない?
東京都葛飾区にある「四つ木地区センター」は、図書館や、音楽演奏ができる小さなホール、会議室などを備えた、葛飾区や周辺の住民にとって有難い施設の一つだ。
https://www.city.katsushika.lg.jp/institution/1006723/1025547/1006724/1006751.html
難点は2つ。駅やバス停からそれなりに距離があることと、周辺の駐車場がすぐに満車になる点だ。
この記事では周辺の駐車場をいくつか紹介しておこう。すぐに満車になるが(大事なことは二度言う)。
料金は、極端に高いボッタクリのものは無かったはずだ。もちろん料金設定に差はあるが、気にしてはいけない。すぐに満車になるのだから(大事なことは(ry
書いてある順序はおすすめ順というか、車でこの順に回って行って(地図上を反時計回り)、最初に空いているところに停めるのが吉である。最安値を求めるのならこの順番にはならないはずで、上級者はアレンジしてみて欲しいし、アレンジ結果をコメントして欲しい。
https://www.fruit-parking.jp/coinparkingmap/cat462/001126.html
四つ木地区センターからの徒歩の道のりは恐らく最も近いであろう駐車場だ。駐車スペースは3台しかないので、すぐに埋まる。同じ敷地内に月極駐車場のスペースが沢山あるが、間違えてそこに停めないように。
国道6号を四つ木ランプから青戸・金町方面に行く途中で、左斜め前に入る道に逸れてから150m(体感)ほどの場所にある。
https://www.s-park.jp/map/50273
※アイパーク公式ではコインパーキングの案内をしていないっぽいので、このURLは別企業のもの。
四つ木地区センターからの直線距離では最も近い駐車場だ。6台停められるが、いつも満車なのに空車表示が出ている。バグってる。(不正な駐車方法をしている車両がよく止まっている、という可能性も考えられる)
https://www.s-park.jp/map/43495
※トーヨーパークも公式では案内をしてないっぽいので、このURLは別企業のもの。
これは前述のアイパーク四つ木第五の斜め前(北西側)に位置する駐車場だ。確か8台くらい停めれたはずだが、すぐに満車になる。たぶん一番安いと思う。
Webサイトは、非公式のものも含めて見当たらないし、Google Map にも Apple Map にも載っていない駐車場だ。Google Street View ではその存在を見ることができる。場所は、前述の「アイパーク四つ木第五」や「TOYOPARK第六」に入る細い道を、そのまま西に50mほど進んだ場所の右手にある。
住所で言うと「葛飾区四つ木4丁目29-1」ということになるらしい。駐車スペースは4台ある。
Webサイト無し。
住所で言うと「葛飾区四つ木4丁目12-18」になるらしいのだが、ここに比較的新しい(恐らく2023年営業開始した)コインパーキングがある。国道6号から前述の「フルーツパーク四つ木4丁目」に行く途中に左手に見えるのだが、入り口が一方通行の向こう側にあって辿り着けない駐車場だ。
ここに行くには、前述の「TOYOPARK第29」を西に通り過ぎて、左手に「四つ木中学校」を見ながら進み、中学校の北西角のところで左折(もちろん左折後も左手に中学校がある)し、そのまま細い道を進んだ場所だ。
Google Street View 上では空き地、Applemapの Look Around では月極駐車場っぽい見た目(看板無し)になっている。
Webサイト無し。
住所で言うと「葛飾区宝町1丁目19-21」に相当するらしい。GoogleMap上ではちょっと位置がズレて隣戸のところに表示されている。AppleMap上には存在しない。
これは四つ木地区センターからは少し遠いが、道はとても分かりやすい。帰りにベルクスというスーパーで買い物して帰るのも一興。
住所は「東京都葛飾区宝町1-18-12」だ。7台入るらしい。筆者はここの存在をつい最近知ったばかりで、まだ停めたことも実物を見たことも無い。場所は前述のメトロパークの裏側あたりだ。
https://www.fruit-parking.jp/coinparkingmap/cat462/001227.html
前述の2件よりは四つ木地区センターに近いものの、車では入りにくい場所にあるので、巡回の想定順序では後ろに持ってきた。入り方さえわかれば便利かもしれない。
AppleMapのLookAroundでは満車の様子が見てとれるので、これだけ入りにくい場所でも満車になるというこの地域の過酷さの理解の手助けとなれば幸いだ。2018年に撮影されたというGoogleStreetViewの映像だと、4台中2台のスペースが空いている。すごい!!
https://stores.itoyokado.co.jp/153
見ての通り商業施設だ。駐車場が無料であるからこそ難しい。駐車場としてここのお世話になるのならば、家族と一緒に車で来て、家族にはこの店舗内でショッピング等を楽しんでもらっている間に自分は四つ木地区センターのお世話になる、などの道義的かつ常識的な行動が必須であると断言できる。決して、車を停めるだけの利用をしてはいけない。必ず、駐車時間に応じた常識的な金額の売上をお店に落として行こう。
なお、お店の営業時間には注意すること。時間外という理由で 入庫できない・出庫できない ことがあったとしても、お店に文句を言うのは御法度だ。
新幹線計画が具体的になった80年代から市街地の住民からは”新幹線乗り入れ絶対反対”の声が大きく、まちなかに看板も立っていた。そして具体的なルート図が決まってアセスメント段階になってから慌てて市長を中心に誘致活動をしたが”後の祭り”
北陸自動車道建設のときも反対運動が激しく起こり、結局インターチェンジは砺波にとられた。後から慌てて能登自動車道の高岡インターで”お茶を濁す”。
高岡駅の駅北と駅南を地下道で結んで利便性を高めようという計画が出たら”自分たちの客がとられる”とすさまじい反対運動が起こり、計画は潰れて結局両方の商店街・デパートも廃れてしまう。
相鉄いずみの線と横浜市営地下鉄ブルーラインの延伸にも似てる話ですね。
相鉄と横浜市が路線を延長する際に、小田急の急行停車駅の長後駅に当時は接続する予定でした。
ところが、当時の地元商店街が長後駅接続に猛反対したため、仕方なく相鉄と横浜市は接続駅を湘南台駅に変更して現在に至ります。
その結果、長後駅の利用客がどんどん減っていって逆に湘南台駅は乗客が増えてますます栄えてしまい、長後駅の商店街はシャッター街になってしまいました。
長後駅商店街に住んでいる現在の住人は、自分の親の世代がやった反対運動に後悔している様です。
https://www.youtube.com/watch?v=3K111mf9YPg
こういう話をもっと知りたい
https://hamarepo.com/story.php?story_id=5343
2016年06月29日 横浜市営地下鉄は「長後駅」から通るはずだったって本当?
はまれぽ調査結果! 町内の商店会の決定権を持つ会員に保守的な人が多く、地下鉄建設の反対が起こった。当時若い世代の会員など賛成派は多かった。
例として山口市と下関市、小諸市と佐久市、長野市と須坂市、成田とインチョン、栃木市と宇都宮市が挙がってるな
小諸市や山口市は線形の問題や技術の問題で誘致が難しかったのであって住民運動のせいではないという意見もあるな
追記2:沖縄の米軍基地は的外れだと思う。軍事的な都合で神立地だから選ばれてしまっている。横須賀もそう。自衛隊の基地の立地もそうだが防衛戦略や地形への依存度が高いので、新幹線や地下鉄を歓迎するかどうか、人流とカネの流れを作れるかどうかとは話のレベルが違う
追記3:
kkkirikkk 規模は小さいけど横浜の陸の孤島こと本牧。アクセスの悪さからどんどん寂れていってるけど地下鉄駅作る計画が反対でつぶれてる https://hamarepo.com/story.php?story_id=4338
三渓園に自家用車で行ったときに、本牧辺りの駐車のしづらさも何もかもが不便に感じて二度と行くものかと思った。公共交通機関で行っても相当不便そうだな。住民が生活のための回遊をするだけで、外部の人間は来るなと言っているような街の状態だと思うが、通勤にも不便だろうし、自家用車が無い人間は買い物も不便そうな街だったし、どうやって生きていくつもりなのだろうか。三浦半島、千葉、大山方面、静岡方面でこの種の面倒に直面したことはない。鎌倉には車を停められないが電車で行けば良いし、そうするだけの見どころがある。本牧は三渓園があるほかはただ不便なだけの、住んでいる人間以外には用がない、金も落としにくい地域という状態なので、もうこのまま衰退していくばかりなのだろう。
衰退例で挙げられている長後は商店街は衰退しているが、住居に建て替わってベッドタウンとしては生き延びる余地があると思う。小田急線で新宿通勤が可能だからだ。SFCの学生なんかもあの辺りまでなら住むかもしれない。本牧に住むのはどういうライフスタイルなのか全く分からない。職場はどこなのか?どう日々を生きているのか?
追記4:
世代ではないためドラゴンボールもよく知らないし、ドラクエも遊んだことがない。それでも一つ、自分の中で「鳥山明先生といえば」の思い出がある。
自分の地元は愛知県の、中でも安城市という町だ。名古屋からは快速電車で数十分の距離にあるが、なんてことはない地方である。そんな町の奥の、静かな公園の、さらに奥に「水のかんきょう学習館」という小さな建物がある。
その地元でも全く目立たない、いつ行ったのかも忘れてしまったような小さな学習館に、漫画を提供してくださったのが鳥山明先生だった。
だいぶ前のことになるので記憶は朧げになってしまうが、先生の漫画は読本になって学習館で配布されており、自分は学校のレクリエーションか授業の一環で受け取ったのだと思う。当時は学びの場で漫画が読めるということ自体が新鮮で、鳥山明先生の漫画はかなり鮮やかなものとして目に映ったのを覚えている。そしてなによりも歴史に名を残す漫画家の大先生がそのような施しをしてくださったということが、自分にとっては数少ない地元の誇りだった。
今思えば同じ愛知のよしみって言ったって先生は名古屋の出身でこんな西三河の地方には縁もゆかりもないはずで、それなのに快く漫画やイラストを使わせてくださったなんてとても寛大でありがたいことだと思う。しかも今調べたら無償提供だったそうで、まさにその読本を受け取った当時の子供としてはもう感謝しかできない。(https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/04/20/kiji/K20130420005645940.html)
今も水のかんきょう学習館の周りでは鳥山明先生のイラストを使用した看板が一部残っていると記憶しているので、安城にお住まいの方はよかったら確認してみてください。当時の読本もまだ家にあるはずなので、今度探してみようかな。
ゲームだろうが、ラーメンだろうが、音楽だろうが、アニメだろうが、最も重要なのはここ。
そして、絶対的最適解はない。
客毎に求めているものも違う。
重要なのは、事前に看板で宣言した内容に合致した要素・濃度になっていること。
薄すぎれば「何度も注文させて客単価あげようとしてるケチな店だ」と感じるだろう。
濃すぎれば「単位酔いたいだけならもっとキツいのを飲んでるので、ちゃんと味のバランスを考えて欲しいな」と感じるだろう。
『飲み屋のチューハイ』という商品に対して求めている濃さというものが、それぞれの客の中に漠然とあるってことだ。
そこに対して店はおおむね最大公約数的なものを提供するし、それに満足できない客は勝手に「濃いめにして」とか口にする。
カレー屋なんかは辛さを段階的に示すことで、客に合わせたものを提供する仕組みを作っている。
飲食店はまだいいんだが……これが映画・パズル・ゲームなんかになると途端に面倒くさくなる。
テンポよく謎が深まっていく映画は集中力のある客からすれば密度が高い体験になるが、話を聞くのが下手な客からは「難しすぎて意味不明だった」というクレームがやってくる。
ゲームで敵を弱くしすぎると簡単にクリアされてしまうし、強くしすぎても不満が出る。
同じような敵を繰り返し倒しまくるゲームは水増しと言われるが、それを一切やらずにボス戦ばかりになるとプレイヤーはしょっちゅう強敵に倒されてしまうばかりで嫌になってくる。
絶妙なバランスがユーザー毎に変わるのならば、もう出来ることは事前に「これは難しいですよ」「これは簡単ですよ」とアピールするしかない。
如何にソレを魅力的に、かつ不要な客層にはアピールしすぎないようにやるかだ。
たとえばドラマなんかには『イケメンが沢山出てくる!とにかくイケメンが沢山出てくるよ!』で売っている作品があり、そういった作品はイケメンを楽しむのに邪魔にならない程度のストーリーしかない。
そういうった作品を「イケメンだけじゃない!ストーリーも魅力的だ!」なんて売り方をすると、大失敗をする。
余計な要素を入れてしまったことが、本来の客層を遠ざける要因になるからだ。
なんでもかんでも増やしまくればいいという発想をするのは、クリエイターとしての基本がなってないアホだ。
1本100円ぐらいの黒のボールペンが欲しくてコンビニに行って、1本500円の4色ボールペンしか置いてなかったら……必要な買うかも知れないが、どうしても満足度は下がるだろう。
必要なものを適切な濃度で提供するためには、余計なものをいかに削るのが重要になる。
これが出来ないと、客は離れる。
足すことばかり考えて引くことが出来ない奴は、無能ということだ。
ラコステとかフレッドペリーは小綺麗めのスポーツカジュアルの有名どころってイメージが強すぎて、スポーツ選手が看板のブランドというのが全くピンと来ない。
どっちもポロシャツのイメージはありつつラコステはコレクションやってたりルメールがディレクターやってたり、フレペも音楽シーンとかのアイコンになってるイメージあるし、めっちゃちゃんとファッションブランドじゃんって思う。
ジョコビッチとかフェデラーとかナダルが服屋やるようなもんかと思っても尚更ピンと来ない。やったとして、ジョッキーの方のルメールのアパレルみたいな感じになりそうってイメージしか湧かない。
スタンスミスがシグネチャーモデルなのも未だにしっくり来てない。
エアジョーダンはなぜかなんとなく分かる。ファッションシーンでトラヴィススコットとかロレンゾとかカニエ(は死んだけど……)が存在感を放ったように、スポーツ選手がそういう感じだった時代もあったんだなあって思う。そう考えるとラコステとフレッドペリーはC.ルメールではなくfogやyeezyに近い存在だったのかもしれない。
スタンスミスは分からない。マイケルジョーダンはスニーカーと半々くらいでバスケの人というイメージもあるけど、スタンスミスはもはやスニーカーの人としか
そんなよく分からん人がシュータンに描かれてて、ストライプスも控えめな穴であしらわれてadidas感薄めのモデルが最大手スポーツメーカーの代表モデル面してるのがしっくり来ない。
「not for me」とは思いつつも自分の好きな作品が共有できる可能性が少しでもあるなら、って気持ちは分かりますがね。
このケースにおける「not for me」の構造を考えると、「〇〇巻から面白くなるから」って言ったって効果的じゃありません。
ひとつめの理由として「その人にとって、そこまで読み進めるための導線が足りない」。
この「導線」には作品の内容そのものか、作家への信頼感いずれかが必要です。
例えば『ワンピース』とかグランドラインまでは我慢して読んでください~なんて文言がありますがね。
じゃあ、そこまでは面白くないのか、先を読み進めたいと思える要素がないのかっていうと、そんなことないでしょ。
瞬間最大風速が“そこ”ではないってだけで、序盤から“風”は吹いているわけです。
その“風”を感じる人が多かったからこそ、かのジャンプで打ち切られることもなく看板作品となったのでしょう。
しかし“風”を感じられなかった人に対して「風は吹く」と言ったところで仕方ありません。
ましてや天気予報士でもない人間がそんなこと言っても信用されないでしょう。
つまり、その人にとって「1巻:面白くない、2巻:面白くない、3巻:面白くない……」となってる時点でダメなんです。
では、ここでいう天気予報への信頼感とは、なんでしょうか。
それは作家への信頼感です。
前作の実績によってファンが多い状態だったりすれば、読み進められる可能性は上がります。
「あの漫画の作者なんだから、ここから面白くなってくるはず」という信頼感です。
でも、そういう人は「〇〇巻から面白くなるから」と他人に言われるまでなく購読していますよね。
もう一つの可能性としては、雑誌などで連載をまとめて読まれる場合があります。
「目当ての作品は他にあるが雑誌ごと買ったんだし、せっかくだから読み続けよう」って人の割合は増えるでしょうね。
フルコース料理で一品や二品イマイチなのがあっても、最後のデザートまで食べ進めるように。
でも単品料理に都度決済するならば、一口めが美味しいと感じないのに「二口めは美味しいかもしれない」と思ったりはしません、次の料理を注文する気も失せるでしょう。
ふたつめの理由は「実際に〇〇巻から面白くなる保証がないのに、読むための+αが必要」なことです。
つまり時間的なコスト、金銭的なコスト、読むためのエネルギーもろもろが必要になるわけです。
その人にとっては“これから面白くなるかもしれない”という段階のものに対して、です。
つまり賭けなんですよ、とても分の悪い。
賭けても負ける可能性が高い、勝っても元をとれるか怪しい。
そもそも「勝つか負けるか」とか「元をとれるかどうか」で見ないといけない時点で、その人にとっては不健全な賭け事です。
そんな博打をするくらいなら一巻から面白い、無料試し読みの時点で面白いと思った漫画を優先して読んだ方が健全ですよね。
あと「〇〇巻から面白くなるから」というのは、逆にいえば「〇〇巻までは面白くない」って言ってるようなもんです。
一巻から面白い作品があるんだから、それは無視できない欠点でしょう。
それをオススメする側が暗に認めつつ、忍耐を要求されても困りますよ。
本当に面白いと思ってオススメしたいなら、あるいはその作品を擁護したいのなら、
1から10まで面白くなるように思える導線作り、それを可視化できるような視点アプローチ。