はてなキーワード: 止めれとは
模写するほど絵柄に惚れ込んでいた。
とあるイラストに目立たないレベルで「AI学習禁止」というウォーターマークがあったのを見かけた。
イラストの色味的に拡大してやっと分かるレベルのウォーターマークで拡大するまで気づけなかった。
気づきたくなかった。
でもLoRAなどで個人に学習されないようにと警告する意味で付けたんだろうと思い込むには整合性が取れなくてモヤモヤしている。
なんで目立たないようにつけた?
どのような葛藤を抱えていたのだろう。
ある日突然イラストに「AI学習禁止」のウォーターマークをつけ始めた。
もしかして反AIの言うことをまんま信じてしまって、全く意味のない対策をし始めた?
ウォーターマークはなんのためにつけるべきで、アカウント名などのサインを入れる意味を理解した上で、あえて目立たないようにしている?
AIに学習されたくないならもっと目立たせていいんじゃないの。
ウォーターマークって目立たせてなんぼじゃないの?
むしろ素材サイトのSAMPLEレベルで全画面に埋め尽くすべきだと思う、ウォーターマークってそのためにあるはずで。
そのくらいした方が学習妨害になれるだろうくらい目立たせれば理解はできた。
目立たないようにウォーターマークをつけて何をしたいの?
形だけでも対策して自分は学習されないだろうと安心したいだけ?
そうだとしたら反AIに踊らされているだけに見えて滑稽だ。
ウォーターマークをつける行為そのものが憧れの先生が嘲笑の対象にされるかもしれないという恐怖心を植え付けるには十分だった。
反AIになった漫画家やイラストレーターを見て他人事のように眺めていれたのは心から尊敬していたり、惚れ込んでいた人がたまたまいなかっただけなんだと痛感した。
というよりこれ以上争うのを見たくなかった。
これ以上疑って自分も傷つくのが嫌だった。
そんなことしなくてもSNSから離ればええやんってのはそうなんだよな、今は見てないんだけど…。
反AIは反ワクだったり陰謀論と同じ思考停止の一種だから触れないようにしてた。
これが海賊版とかで注意喚起していたら自分も手を出さないようにとか気をつけてたと思う、何故なら違法であることを知ってしまったから。
しかし学習すること自体は法律的に違法ではないのであれば自分には関係ないからどうでもいい。
やけに騙される漫画家やイラストレーターが多いな、クリエイターってそんなもんかくらいに思っていた。
そうやって自分には関係ないことだしどうでもいいやとスルーしていたのはよくないことだと今回思い知られた。
クリエイターはそういうものだと甘やかしてきたツケが今一気に回ってきただけだった。
無知な漫画家が嘲笑の対象にされて一番嫌な思いをするのは本人だけじゃない、ファンもなんだ。
そのことに気づいた時にはもう手遅れだった。
反AIのやっていることは無知な漫画家やイラストレーターを炙り出して嘲笑の対象にしているだけなんだ。
新しい技術を嫌うだけで法律や技術に歩み寄ることなど一切しない。
きちんと歩み寄ってくれるなら赤松先生の話も聞いていただろう。
漫画家もイラストレーターもSNSの相手が誰かもわからんポストを見て盲信できるのか分からない。
ファンが指摘しても全て「気に入らないからブロックする」と言い出す。
社会に適合出来ないからとか、理解力や読解力がないことを免罪符にしていい問題じゃない。
金をもらって仕事している以上そんな甘ったれた狭い常識は通用しない。
でも自分はあなたのしたことをいつまでも忘れることができない。
某漫画家の脱税問題だってそう、あの先生の関連作品を見るたびに嫌でも出てくる。
そうやって先生の身勝手な行動で呪いをかけられて一生背負わなければいけない。
自分はその覚悟を持って先生をこれからも好きでいれるか自信がなくなった。
先生のやることなすこと全てに盲目でいれるファンになることはできなかった。
自分もリプライや引用みたいに「素晴らしい、好きです」と言えたらどれだけよかっただろう。
そうであるなら自分は先生のファンになる資格なんてなかったのかもしれない。
数日後、何ヶ月後、何年後か分からないいつか、この気持ちに整理がついて先生の作品を心の底から楽しんで読める日が来るのだろうか。
某漫画家でさえ最初は反AI仕草だったのに今や反AIに向かって「馬鹿なことしてんじゃない!」と怒るほどに色んな知識をつけてきた。
自分の好きだった漫画家やイラストレーターが反AIになった時自分はどうするのが正解なんだろう。
かわいそうに、学習されたくないよねと寄り添うだけじゃ甘やかされるだけなのと変わらない。
先生を恨むことも、反AIを恨むことも、作品ごとを恨むことも間違っている。
恨んだところで憧れだった先生はきちんと勉強しようってならないから。
でも自分のような有象無象が先生に「やっていることは間違ってますよ」と指摘しにいくのも難しい。
実際そうして先生は考えを改めてくれるのだろうか?
そうしてくれるならこんな馬鹿げたことに騙されることはないはずで。
どうすればよかったんだろう。
自分にできることは先生がかけた呪いを自力でどうにか割り切るしかない。
何のために法律があるのか、モラルを求めるのか、ルールが作られるのか自分はずっと考えていかなければいけない。
今もまだ混乱していて気持ちの整理がついてない。
たかがAI学習禁止のウォーターマークをイラストに載せただけで?と笑う人がいるかもしれない。
小さなきっかけでその信頼が一瞬で崩れるんだってことを知ってほしかった。
作品に罪などない、先生の絵柄だから買った、作品ごと惚れ込んだファンだからこそこの気持ちをどう受け止めればいいかわからない。
こんなスラムみたいなところで投稿しても笑われるか見向きもされないだろう。
このやりきれない気持ちを言語化しなければ先生を恨むかもしれない。
嫌いになるのも嫌だ、先生を好きなままでいさせてほしい、ずっとずっと憧れの先生でいたかった。
実際書く前はとても苦しかった。
書いてみて先生のことがどれだけ好きだったか、何故こんなにつらいのか少しだけわかってきた。
学習されたくない気持ちはわかったよ、ウォーターマークをつけることは気にしないよ。
あなたの綺麗なイラストがその意味のないウォーターマークのせいで心の底から楽しめなかった。
それがとても悔しくてすごく悲しかったんだ。
きっと自分のように同じ呪いをかけられたファンはたくさんいると思う。
どうやって割り切ったんだろう。
嫌いになったり、恨んだり、作品を見るのをやめることで割り切れた?
それとも自分だけがそうなだけでみんなはそこまで気にならない?
この苦しみもつらさも共有することすら許されない?
嫌知らず、っていうのは
「ねー、やめてよ〜(笑)」
と、穏やかな制止では止まらず、
「今嫌だって言ったよね?」
と、真顔で冷静に伝えても止まらず、
「嫌だって言ってんだろ!(ブチ切れ)」
と、ブチ切れてようやく「この人嫌がってる!」と伝わる(伝わらないこともある)現象のことらしい。
彼氏は、好きな人にいじわるするのが好きなタイプで、人がイライラしているのを見ると楽しいらしい。
私は彼氏に嫌なことをされる度に、
穏やかな制止→冷静な制止→ブチ切れ
の段階を踏んでいた。
私としては人にブチ切れるの疲れるし喧嘩みたいで嫌…って気持ちでいた。ただ、彼氏に、俺たちって喧嘩したことないよね、と言われてびっくりした。普段私がブチ切れてるのは、彼にとってなんて事ないコミュニケーションという感想だったらしい。
めったにないけど私が彼氏にいたずらしたりちょっかいをかける時は、
「うーん(微妙な反応)」とか「まって」とか、
「あなたが待って、って言った時私がやめたみたいに、私が待って、と言った時も止まって欲しい」と伝えてみたが、「えー、でも、本当に嫌だったら髪掴んだり怒鳴ったりして止めればいいじゃん?」と返事が返ってきた。
それからは私も彼氏に合わせて嫌なことされたら即キレるようにした。彼氏は「最近本音で話してくれて嬉しい」という反応。
私ももう慣れてきたので、まぁふたりにとって快適な状態だからいっか…と思ってはいる。
Twitterで見る嫌知らずの人達と彼氏がなんか違う気がしたので書いてみた。
恋人がイライラしたり怒鳴ったりするのが楽しい型の嫌知らずの人が他にもいたら、どんな風に過ごしてるのか、もしくは別れたのか、ここでもTwitterでもいいので書き込んで欲しい。
めっちゃ野暮な気がするけど、何とも気持ちが収まらんのでここに書いてみます。
ちなみに話は纏まってないし続きもないと思う。
同じような人がいたら、辛いよねーとか言い合いたいだけ。
その人とは7,8年の付き合いで、出会った時から「死にたい」と言っていた。
会話が多いわけでは無く、1,2カ月に一度の会話では大体「死にたい」という会話が途中に挟まる。なんでも話せる仲で心地が良かった。
その人曰く、俺は命の恩人らしい。
「本当に心が終わっていて死にたかった時に傍に居てくれて、それが無かったら多分もう居ない」と言われた。
助けた?とはいえ自分には希死念慮無いし、鬱の気持ちは理解できない。別に冷たくあしらっているわけではなく、精神科医でも理解出来ないだろうし、人間同士なんてそんなものだろうと思っている。
今回も唐突にスタンプが送られてきて会話が始まったが、雰囲気がいつもと違った。
「ありがとう」と唐突に伝えられ、「あーなんかこれは本当に最後になるんじゃね」と直感した。
どうやら死ぬ準備を色々しているらしく、その一環で世話になった人に感謝を伝えてるんだと。
今は特別大切に思っていたわけでもなく、年に10回会話があるかないかの関係だったが、いざ「私、死にます」と言われると心にくるものがある。
とは言え自分に止める力なんてないし、変に止めても逆効果かなと思い、いつも通りに接していた。前もそうしていたように。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/171494
自分と似たような状況で、自殺を止めれず幇助してしまい、罪に問われている被告の方に酷く共感してしまった。(別に俺は幇助してないが)
好きだった人の自殺をなぜ止めなかったかと聞かれ「分からない」と。
そりゃそーだろ。責めないであげてよ。
自分の親友は数十年間死と戦ってきて、「人生を楽しめたら」とか「自分に価値があったら」と翻弄し努力していた。
それだけ努力した人が出した結論なわけで「死にたいくらい辛いまま生きてくれ」なんて誰が言えるのだろう。
そもそも誰も助けられなかったからこうなっている。誰か一人に責任があるわけではない。
すぐに死ぬわけじゃないが、算段は付いているらしい。
自分の行動が良かったのかはあの人次第だし、なんなら死んだかどうかも分からない関係性。
共通の知人は居ないし、知る術がない。連絡は絶つ(アカウント消す)と言っている。
俺が唯一したことは「後悔したら、幸せな来世があるはずだし祈っときな」と死に際に後悔した時、些細な希望を考えられるよう言葉をかけただけたった。
まあそれも後悔なんてせず、「あーやっと死ねるよー」と死んでいくのかもしれない。
正解がないのに、正解を求めてしまう状況。
俺は本当に何をしたらいいんだろう。
纏まってないけど終わり。
別にすっきりしないな、これ。
便乗して。
30代女、子有り、地方中核都市住み、メーカー勤務、獣医の夫と結婚して10年ほど。
・ 夫の給料が少ない。
給料というか年収だけど、30代男性正社員の平均くらいで私とほぼ同じ。
元のブコメに開業すれば儲かるみたいなこと書いてるけどそんなこと全く無いよ。
動物病院って飽和してるしそもそもタダの民間サービスだから診療報酬が国からもらえる医者なんかとは全く違うの。
開業して年収1000万超えたら、同業からへーすごいねって言ってもらえるような世界だよ。
トリミングとかカフェとか謎のサプリ売ったりとかそういう診療とは全く関係ないとこで儲けないと成り立たないのが動物病院って世界。
で、うちの夫はそういうのがあまり好きじゃないから薄給だし、それでもなんとか同年代の平均くらいはお金を家に入れたいって気持ちだけで開業費の返済を調整してやっと平均レベルだよ。
それも地銀と担当の好意によるところが大きくて普通の借り入れ条件なら平均以下だしどちらにしてもものすごい額の借金が残ってるよ。
・ 夫が激務
朝7時半に家出て、夜11時に帰って来るよ。日曜以外、つまり土曜日もね。
水曜は午後休みだけど勉強会と夕方からの手術があるから結局帰ってくるのはいつもと同じだよ。
帰ってきてからも時間があれば月刊の専門書読んでて日曜も勉強か病院の事務作業を1日してる。
こんな私生活のほぼ全てを投げ売って修行僧みたいな生活してるのに収入は普通だからね、プロフェッショナルとしての夫は尊敬してるけど獣医ってコスパ悪すぎだと思うよ。
もちろん家事育児は全て私だから二人目はそうそうに諦めたし、何度も獣医という職業を恨んだよ。
・ 別の進路を勧めてれば良かった
私は学生の頃に夫と出会ったんだけど、臨床に行くの止めれば良かったと思ってるよ。
ほぼ全員が臨床に行く医学部と違って獣医学部の卒業生って臨床、つまり小動物診療(町の獣医さん)に行くのは半分以下なんだよね。
詳しくは調べてほしいけど公務員と産業動物と製薬企業なんかに行く人も多いの。
私の夫は製薬企業から内定貰ったんだけどやっぱり憧れだった小動物やりたいって言って辞退しちゃったんだよね。
あの時もっとちゃんと調べて話し合って止めてればなーって今でも毎日夜な夜な思ってるよ!
そしたらこんなただただ激務な夫に頑張れーって言いながら内心なんでそこまで頑張ってるんだろうって思う日々なんてなかったのにね。
・ 別の進路を勧めてれば良かった2
自慢じゃないけど私の夫は偏差値だけなら地方医学部くらい余裕で受かる国立獣医学部卒なんだよね。
というか国立の獣医学部生ってほとんどが底辺医学部なら受かるレベルなんだよ。
それが仕事の激務レベルだけは医者と同じなのに給料は天と地の差があるんだもん。
なんでこんなこと知ってるかというと「獣医 医者 偏差値」とか「獣医 医者 年収」とかで検索しまくってた日々があるからだよ。
世間的にはなんとなく医者より少し格落ちするけどハイステータス(金持ち)職業って認識なんだろうし、私も学生の頃はそう思ってたけど実態はそんなこと全くないよ。
何度も言うけど臨床獣医師は日本の全ての資格の中で難易度と見返りのバランスが最も悪いコスパ最悪の資格かつ職業だと思う。
以上。
トライアングルストラテジーの2周目, 3周目, 4周目を終えた。
けっこう楽しめた。ベネディクトルートが一番しっくり来るように思った。
ストーリーはまあまあかなあ。ライラがイドーに協力してたのは結局なんでなんやねんって思ったりした。あと、ロランルートはうんち。
周回でのバトルはどうしても作業になった。
少しは身なりに気を遣え。でなければ公にツラを見せるな。
っていうのは素朴な感覚というか、常識的な判断としてまるで説得力を持たない。最悪言うのは勝手であるにせよ、必然性に裏付けられたその要請の強制力の強さのようなものはあまり感じられない。
お前が勝手に不機嫌になってる赤ちゃんなだけだろ。じゃあ何、テメーの態度が気に喰わねえからオレの言う通りに振る舞えも通用しちゃう訳?っていう。
まあ実際の所先天的なものなり怪我なり病気なりで、「普通」の感覚ではちょっとウッとなるような容貌の人もいるとは思う。それをわざわざ言いふらしはしないにせよ否定するのも欺瞞な気がする。
さりとて顔を覆い隠せ、でなければ出歩くなというのは甚だ乱暴、というか非常識だとも思う。
対して「お前クセーんだよ、どうにかしろ」は、実害があるから少なからず妥当性があるように思えてしまう。
思うんだけど、冷静に考えて実害って何だよって思う。
体臭だの香水だのタバコ臭だので体調崩して動けなくなっちゃうんです、なんて例外的な雑魚を持ち出した所であまり本質的だとも思えない。
クセーと不快な気分になった所で別に経済的損失が生まれる訳でもない。対処に費用がかかるという理屈を持ち出した所で、ガスマスクなり鼻栓なり着けて歩き回ってる人間がどれだけいるだろうか。
単に不快なだけで「実害」になるのなら、見た目が気に食わねーから不快も「実害」になる。
抽象的な話として、視覚による快不快と嗅覚によるそれとでは共有されてるゾーンの広さというか、個人毎のバラつきの大きさに違いはあるかもしれない。
町中に誰が見ても不快という視覚情報はそうそうないだろうけど、大抵の人間が嗅げば不快になるような臭いはそんなに珍しくもないかもしれない。何とは言わんけど、特に夏とか。
香水の匂いなら好みも分かれるだろうけれど、運動部の部室の匂いを心地良く感じる人はそう多くはなさそう。
臭いのが逆にそそられるという倒錯趣味があるにしたって、「臭い」かどうかの判断の時点ではある程度意見は揃いそう。
単に不快なだけであっても、それをもたらす要素としてある程度一般性があれば実害という事になるんだろうか。
あとは不快感をもたらす要素の性質として、容貌が食わないなら目を背ければ良いだけの話で済む。
面と向かわざるを得ないならともかく、少なくとも公の場ではわざわざそんな対象を凝視する道理もない。
対して臭いはパッシブに不快要素が鼻に注ぎ込まれ続ける。短時間なら息を止めれば済むが、そうでなければ無呼吸で過ごすわけにもいかない。それはもしかしたら実害と呼ぶに値するのかもしれない。
ここには明確な差異がある。
単に不快なだけとはいえ、それが持続する環境であったら二次的な問題も出てくるのかもしれない。
人権とかいう言葉で楽に済ませるのはあまり好きではない。それを持ち出した所で、人に迷惑をかけるな、と実害がねーなら各々の勝手だろ、の平行線になるだけだろうし。
おれはどんな欲求の対立も政治(大文字の意味に限らず)だと思ってはいるけど、それだけではない要素によってどっかで線引してる気もする。
でもその感覚ってやっぱりバラつきがあって、そこで互いが啓蒙合戦をした所で不毛だ。勝敗がついてしまってもそれはそれでアレだが、決着がつきそうにもない。
いくら理屈をこねた所で、その理屈が前提として要求する感覚にズレがあったら一生平行線にしかならない。やっぱり結局は政治の問題として行き着く。
であればその利害調整の中で、互いが互いに譲歩させたり要求を通そうとしたりする。
その交渉材料になるようなインセンティブを持ち合わせていなかったのなら、自分の欲求をあたかも規範のように語るというジョーカーカードで勝負するしかない。それだと結局啓蒙合戦になってしまうっていう……
トラ転をし損ねたことがある。
トラック転生。
現代日本とはかけ離れた世界で目を覚まし、なぜこんな場所に?と最後の記憶を辿る。
蘇る光景は横断歩道のど真ん中、爆走するトラックが目の前に……という奴である。
疲れ切った私が、ぼおっと信号機を見つめ、緑の光に吸い寄せられるようにフラフラと歩き出す。
すると視界の右端が眩く照らされた。
驚く間もなく足を止めれば、目の前をワゴン車が全速力で通り過ぎた。
私は呆然として立ちすくみ、信号機を確認し、直角の位置に停車していた車を「おい、私今信号守ってたよな?」という目で見た。
程なくして歩行者用信号が点滅し始めたので、足早に渡り切り、そのまま振り返らず家路に着いた。
一分にも満たない出来事だった。
だが、この十数秒が私を変えてしまったのだ。
あの時、銀色のワゴン車が目の前を通り過ぎたあの瞬間、私は、確かに落胆した。
「助かった」でも「危ない」でもなく、「あぁ、残念」と、思ってしまった。
それでも明日更新のweb漫画や週末の友人との約束の方が大切だと思っていた。
徒に人生を投げ出すより、自分の意志で積み上げることの方がはるかに好ましいと考えていた。そのはずだった。
だが蓋を開ければどうだ。
今日も食事は美味で、仕事は順調で、来月には旅行が控えている。
それはあの時、私があの一歩をとどまったからに外ならない。
トヨタを筆頭とした自動車産業がやってる下請けいじめはいわば焼き畑工業
日本に根を張ってる部品メーカーから搾り取って(焼き畑)、数十年したら体力不足で部品メーカーが消え去る
そのころにはアメリカ、ヨーロッパ、東南アジアに拠点を移してまた同じ焼き畑工業を行う
日本が焼かれつくす前にトヨタを止めるか追いだすかしないと終わりです
止めないと数十年後には日本から自動車産業は逃げ去って、枯れた土(老人)だけが残ります
豊田章男は将来焼け果てた日本を脳裏に浮かべながら「トヨタが勝った分を日本に使う」とかほざいてるわけです
そんで裏ではアメリカと東南アジアと中国に大投資してるわけです