はてなキーワード: 新人賞とは
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/dot.asahi.com/aera/2018011800017.html
上智大卒、新人賞受賞作家なのに、あらゆる場面で「戦力外通告」、大人の発達障害のリアルを本人が綴る (1/9) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)
コメントしたりブックマークしてる連中の「わかるわー。俺も本当は優秀なんだけど、それに見合うポジションをジャップランドが用意してくれなくてさ―」という態度が透けて観えてくるのだ。
妄想乙!と笑うなら笑うがいい。
だが私には、「わかる。私も本当は優秀なんだけど」と言いたげなコメントがあまりにも多く散見されており、自分の口から飛び出してきたこの言葉が妄想だと断じるのは難しいように思えてならんのだ。
妄想乙!
上智大卒、新人賞受賞作家なのに、あらゆる場面で「戦力外通告」、大人の発達障害のリアルを本人が綴る (1/9) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット) https://dot.asahi.com/aera/2018011800017.html
中学生の頃は無口で頭空っぽの猿、高校の偏差値は45、大学は浪人して偏差値50の所しか受からなかった。
さすがにまずいので、1度も働いたことが無かったが底辺公務員になる。
仕事を何度聞いても理解できず、同じミスばかりで、周りは誰も悪い人はいないのに、勝手に萎縮して孤立して行った。
ただ、こういった発達障害の診断を受けても間違いなくシロになるだろうなあ
受けたって何が変わるでもないし
また別の商業物書きです。
この増田の話にうなずきながらも、実情を顧みるに、ぼやかずにはいられなくなったので書きます。
『アニメやゲームと言った企業の営利創作のなかで「自由にかけない」「ストーリーは終わった」と嘆く人間よりも、「オレはこういうのが好き」「金とは無関係に書く」と活動できている彼らのほうが、よほど物語る事に対して建設的だと思いますよ。』
元増田は制約の多い商業作品の対比として、web小説について作者が自由に書けると述べられていましたが、実態はそのようにはなっていません。
私も元増田のおっしゃるように、アマチュアは自由に好きなものを書いてほしいと思っているクチです。
しかし、小説家になろうに代表されるweb小説サイトを00年代後半から眺めてきて今思うのは、みんなお金にならない物語は書きたくないんだな、ということです。
“みんな”と言ってしまうと主語が大きすぎるかもしれませんが、そうじゃない人たちはすっかり埋もれてしまって、なかなかお目にかかれなくなってしまいました。
魔法課高校の劣等生がまだランキングにあったころの小説家になろうは、皆が自分の好きや面白いを信じて自由に書いていたと思います。
だけど、震災から数年が過ぎたぐらいから雰囲気が変わりはじめ、今ではほとんどの人が流行りや読者のリアクションを強く意識し、書籍化というプロデビューを先に見据えながら作品を書くような場へと変わり果ててしまいました。
「ラノベ新人賞に応募するよりも、なろうに投稿するほうがデビューの近道」というようなことを耳にしたのは、いったい何年前でしょうか。
特に2chのなろう系スレなどは流行りとPVの話ばかりになってしまい、覗く気力はすっかり失せてしまいました。
そういう風潮を気にせず自由な作品を書いている人もいるでしょうが(実は私がそうです。アマチュア時代のPNでひっそり書いてます)、プロを夢見る人たちが溢れかえっている場で、自由気ままに物語を綴るのは異端者扱いを受け入れねばなりません。
特に私が危惧しているのは新規のユーザーへの影響で、創作について右も左もまだよくわからない若者に対して、創作とは流行り意識せねばならぬものだというような要らぬ先入観を与えねばいいのだが、と気をもむ次第です。
ただ、こう言ってる私自身なんだかんだでプロになってしまったように、あわよくば自分の作品をお金に換えたいと考える人の気持ちも本心ではよくわかります。
少し前にこんな増田がありましたが、
この手の表現規制だって、商業化を諦めさえすればいくらでも回避は可能なんじゃないでしょうか。
でもそれはやっぱり無理でしょう。
んで、この手のファンがつきそうなのっつったら変態王子と笑わない猫くらいしか思いつかんけどどうなんだろ。
なんでもラノベの新人賞に応募されてくる作品の下読みは大体同じ下請けがやってるらしい
で、下読みやってる人がある新人賞で落とされた作品をそのまま他の賞にも出してくる人が居て同じ作品を何度も読まされて苦痛なのだそう
だから一度落ちた作品を他の賞に応募するの止めて! 応募する側にも審査する側にも時間と労力の無駄だとツイートしていた
この件の是非は人によって色々な考え方があるだろうが取りあえず置いておく
個人的に気になったのは同じ作品だと分かるのに真面目に最後まで読んでるのだろうか? という事
普通に考えたら過去に読んでダメだった作品だと分かった時点で×付けて他の作品を読みにかかればいいのではないかと思う
それなら序盤を読むだけでダメだと分かる分、作業そのものはちょっとだけ楽なのではないだろうか
もしかして応募作品の下読みを担当する人は全ての作品を最後まで読むという契約になってるんだろうか?
それとも応募してくる人がタイトルや序盤の展開だけ変えているのだろうか?
タイトルはともかく、序盤の展開を応募する度に変えただけで同じ作品だと気付かせないとしたらそれはそれで大した文才という気もするが
「あれ、なんか急に話の展開が変わっ……またこの話かー! 騙されたー!」的な
下読みという仕事を俺がよく分かっていないから気付かないだけで、実際はもっと苦痛を高めるような要素があるのかもしれない
割と同じような人多いと思う
プロット自体は、入学したての主人公たちが部活を選ぶまでの過程を描いているだけだが、登場人物たちの掛け合いや主人公の心情描写が丁寧。
フキダシとかの多さは姦しさの演出に一役買っているけれども、文字の情報としては興味深いことは書かれていないので、読んでて多少かったるい印象もあるかな。
肝心のハンドボール部分での構図も寄りすぎていて、あまり躍動感がないのは残念だけれども、消極的な主人公の視野の狭さを表現していると前向きに解釈できなくもない。
あれこれ言語化しようとするのも、理屈っぽいことも必ずしも悪いことではない。
私は「語るより見せろ派」だけれども、だからといって分かりにくいのはダメだとも思っているし。
けれども、これは読んでてゲンナリするだけだ。
かかえている問題が複雑だから、主要人物の性格なりの補完が必要なのは分からなくもないんだけれども、もう少しバランスどうにかならなかったのかなあ。
情報の過不足の是非なんて明確にあるわけじゃないけれどもさ、いくら言語化をして理屈っぽいことを並べても、読者が100%理解できることなんて稀なわけで。
削る勇気がないなら、せめて構成バランスを意識して描いたほうがいいんじゃないかなあ。
テーマやプロットなど、作者の表現したいものがはっきりしていると、それだけで読んでて苦じゃなくなるから助かる。
荒い絵ながらも登場人物の所々鬼気迫る激情はポイントを抑えているし。
構図とか、演出とか、擬音の使い方とか。
ジョークも小気味よい。
話のテーマ性が希薄というか、読んだ後「何の話だったの?」ってなる感じはちょっと気になった。
合間に合間にギャグを挟んで飽きさせないようにする工夫は感じられる。
設定に反してテーマ性が希薄だから舞台装置的だし、起承転結あって構成や展開も筋は通ってはいるけれども強引であることは否めない。
終始楽しく読めたけれども、私が語れることは少ない。
すごい絵が荒いなあ。
下手だけど味があるって感じでもないし。
そんな明らかなマイナスポイントを抱えながらも受賞したんだからスゴいんだろうなあ。
話に起伏があまりないけれども、主要人物のキャラクターがちゃんと出来ているから読んでて楽しくはある。
私はあまり表面的な表現技法については高く評価しないタイプだけれども、ちゃんとした演出意図も含まれていると感心してしまう。
序盤でそれを持ってきて読者をまず引きこもうとする目論見が上手い。
中盤でちょっと中だるみするんだけれども、終盤でまたハッとするような表現をしてくるのも良い。
表現したいことや読者に伝えたいことを絵で抽象的に、かつ分かりやすく見せるのって並大抵のことではないだろうからね。
個人的には読んでて面白いかといわれるとそこまでじゃないんだけれども、まあ大賞を取るに足るレベルの作品だっていうことは分かる。
自分の好きな同人作家さんは同人誌によくあるような雑な感じの絵ではなくて、
なんというか作風がしっかりしていて、集中線?とか背景がプロっぽくてすごい人だ
その人がTwitterでオリジナルもやってみたいというから、コミケで本を買うついでに「オリジナルも見てみたい」と伝えたら、
「実は新人賞を取ったり漫画雑誌でデビューしたことがあるけど、うまくいかなくて辞めてしまった」と言われ
本人は「いやーバクマンみたいにうまく行けたらいいんすけどねw」なんて笑っていたけど、
実際はどんな気持ちなんだろうか
自分は特に夢を追ったりしていなかったから、その人の悔しさはわからないけど、
賞を取ったり、下位でもドラフトで取ってもらったり、メジャーデビューしたり、
いいところまで行った人が夢を諦める時ってどんな気持ちなんだろう
死にたくなったりするのかな
それともすんなり諦めるのかな
作者のお前がコンプライアンス守れてねーじゃねーかって突っ込まれまくったやつ。
しかも「あのときは盗作してすいません」みたいなコメントもなんもなしに連載しているんだよね!!!
なんか「もう4年も経ったしそろそろ風化しただろう」みたいな狡さが透けて見えるんだよね!!!
しかも単行本が4巻も出ている! 打ち切られたみたいだけど4巻も出ている!
なんなんだこれは…こんなことが許されて良いのか…。
末次先生が構図パクって絶版になった後ちはやふるで復活したみたいな例はあるけど、
この人は新人賞の時点で丸パクなのに…そんな…。
コンクールに応募された作品だった。当時も今も人気を誇る評者の漫画家たちは総じて「新人離れした」という形容を用いた。
しかし応募した本誌に掲載されることはなかった。発行数10分の1以下の増刊号にひっそりとその作品はあった。
一読して感嘆。この才能は瞬く間に世に知られると思った。しかしそうはなっていない。同じ出版社で連載はおろか、読み切りさえ、以降一度も掲載されなかったのだから。もう10数年前の話だ。
連載に耐える作品が出来上がらなかったのか、編集との折り合いが悪かったのか、その読み切りが乾坤一擲だったのか、私には何もわからない。
私は時折くたびれたその増刊号を手にとる。何度も読んだ漫画に今回も感動を受ける。そしていつものように「もったいない…」と思うのだ。その作品の名前はほとんど知られぬまま、今も新人賞受賞作品一覧に記述が残っているだけだ。
以下の記事が発端となってノベルゼロのことが多少の話題になっている。
ラノベコンテストで「異世界転生NG」の縛り広がる ネット民「これは朗報」と歓迎 | キャリコネニュース
だが、どうも事情をよく知らないまま反応している人が多いようだ。
かくいう私も浅学非才の身ではあるが、せめて最低限の解説をしておきたい。
強大な敵に対し強く在りたい。逆境を打開したい。
「大人の男で硬派気取りかよ…」といった話は措いて、このようにコンセプトのはっきりしたレーベルが、コンセプトに応じたコンテストを開催しただけである、ということは念頭に置いていただきたい。
また、ノベルゼロの編集を担当していると思われるメディアファクトリーは、少年向けのラノベレーベル(MF文庫J)やWeb小説書籍化単行本レーベル(MFブックス)も抱えており、ノベルゼロのコンセプトはそれらとの住み分けの結果にすぎない。
話の対象を安易に拡大して「そっかーライトノベル業界も異世界転生に飽き飽きしてるのかー」などと言えるようなものではない。
NOVEL 0がついにコンテストを開催します! 成人男性を主人公にした、「今の大人が読みたい!」と思う小説を広く募集いたします! 題材は「異世界転生」以外であればなんでもあり! 時代も舞台も内容もオールジャンルOKです!
「新人賞」であれば、そのレギュレーションがレーベルの精神性を表しているとみなされることも多いが、「コンテスト」ならばその限りではなく、むしろ募集ジャンルの制限はつきものである。
また、「大人が読みたい小説を成人男性・異世界転生以外に限定してしまうのはいかがなものか」という声もあるが、今回の募集内容はあくまでこのコンテストに限ったものだと受け取ったほうがよい。
たとえば今後、ノベルゼロから異世界転生ファンタジーが刊行されたとしても、私は驚かない(ちなみに転生でない異世界ファンタジーは創刊当初から刊行されている)。
さらに付け加えれば、ノベルゼロにはこれまで「新人賞」がなかったので、「異世界転生がたくさん応募されてきたから制限したのだろう」といったものも邪推である。
今回の「大人が読みたいエンタメ小説コンテスト」はカクヨムとの共催、以前に「異世界転生禁止」したことで話題になった文学フリマ短編小説賞は「小説家になろう」との共催である。
小説投稿サイト内で開催されるコンテストは近年増えているが、それらは「既に投稿されている作品にコンテスト用のタグを付けるだけで応募完了」という形式であることが多い。
そのため、ある程度の制限を設けなければ、そのサイトで流行しているジャンル――たとえば異世界転生系――に偏ってしまうことは否めないだろう。
また繰り返しになるが、これらは「場」となるノベルゼロ・文学フリマのコンセプトに応じて募集の内容を変えているだけであり、決して「業界全体の傾向」として語ることができるような話ではない。
実際、異世界転生ありのコンテストも、やはり多く開催されているのである。
各ライトノベルレーベルは現在でも異世界転生以外の作品を潤沢に供給している。
https://dengekibunko.jp/newreleases/
http://www.fujimishobo.co.jp/novel/fantasia.php
http://sneakerbunko.jp/release/index.php
http://dengekitaisho.jp/special/
http://sneakerbunko.jp/special/rookieaward2017win/index.php
そもそも昔から、何かが流行するたびに新人賞にそのフォロワーが大挙してやってくる、といった話はよくされるものであり、そうした際にもわざわざ規約で禁止するようなことにはなっていない。
異世界転生に飽き飽きしているというなら、あんな記事に乗っかって文句を垂れるだけでなく、異世界転生以外のラノベを買え! たくさん出てるから!
作者は必要だと思っているから書いているんだろうけれども、わざわざコマ外に注釈つけてまで説明する必要性は私には感じられなかったかなあ。
まあ、このあたりの(作劇上必要な)情報の過不足については、裁量の良し悪しが分かれるところではあるけれども。
個人的には、読み切りなのでそこまで情報に精彩を求める必要はないと思っているし、あってもむしろ邪魔だとすら感じるんだよねえ。
そんなことしなくても、絵だけで表現できる力量はあると感じたので勿体ないなあ。
あと、単純にプロットにそこまでドラマがないから、余計にそのあたりの描写だけが上滑りしている印象。
画力は今回の受賞作の中でも間違いなく下位だが、物語作りにおける取捨選択が上手いと感じた。
すごくテンポがいい(早すぎるともいえるが)。
それでちゃんと起承転結描いて、主人公自身の問題も平行して解決させていくのはやろうと思って中々出来ることじゃないと思う。
ただまあプロットにそのまま絵をつけているだけというか、描きたいとこだけ描いているって印象で、その結果「間」がないというか全体的に漂う粗の多さが気になることは否めない。
集団の中で確固たる価値観でもって振舞っている一人の女性に対する羨望を、自分や周りを鰯になぞらえて表現している主人公の独白や描き方がいい感じ。
そして、それが所詮は主観を美辞麗句で語ったものでしかなかったということを突きつけるような、後半あたりから牙をむき始める展開が興味深い。
「自分や周りを魚に例えるなら鰯。じゃあ彼女は?」という視点に向けることで、前半では見えてこなかったテーマの裏を見せてくる構成には感心した。
これもある種の叙述トリックかもしれないなあ。
思春期の息子を持つ家族模様の一ページを、母親目線で丁寧に描いているね。
プロットだけ抜き出すと、ドラマや他の漫画でも使い倒された、すごくありがちな話で前時代的だとすら感じる。
ただ、それをこの時代に丁寧に描ききっているという点は評価したい。
こういった話をシンプルにしつつも過不足なく、絶妙なバランスで描くって簡単そうで意外と難しいことだと思うので。
難解な感情だとか複雑な題材を用いていないのも、かえってストーリーを受け入れやすくしていて個人的にポイント高い。
子供の頃、フィクションで登場する大人にそこまで感情移入できなかったのが、自分が大人になって改めて作品に触れてみると理解できるみたいな感覚を味わえた。
TCC新人賞という、コピーライターの登竜門的な賞があるんだけど、それが今日発表された。
その中で、
男1 あ〜、まあ色があるだけいいんじゃない?
男2 ん?
男1 いや俺なんて、「むしょく」だよ。
という、どん兵衛のラジオCMが受賞されていたんだけど、どっかで見たことあるな~って。
そしたら『友「俺の会社ブラックだわ~」俺「色があるだけいいじゃねーか」』ってスレがあった。
http://www.2monkeys.jp/archives/46871014.html
初出はわからないけど少なくとも2014年6月には2ちゃんねるに出てきてる。
TCCの応募要項を見ると「2016年3月1日~2017年2月28日」に実際に使用・掲載された広告であること。
もしかしたらこのコピーライターがスレ主で、ネタ元かもしれない。
でもそうじゃなかったらインスパイアされすぎじゃない?
http://anond.hatelabo.jp/20170202144732
元増田があんまりオススメするから読んだよ、『ソシャゲライタークオリアちゃん』。
これ、普通につまんなくて出来悪くて、普通につまんなくて出来の悪いラノベってなんなの、ということを考えるのにすごくいい素材になってしまっているように感じた。
「ラノベなんてみんな同じだろw」というような声がどこからともなく(というか元増田のブコメあたりから)聞こえてくるんだけど、そんなことはない、『クオリアちゃん』はかなり出来が悪いよ、ということをしっかり言っておきたいな、と思って、エントリを起こす。
小説としての出来云々じゃない部分、ソシャゲシナリオライターとしての主人公たちの生き方については
http://hishamaru.hatenablog.com/entry/2017/02/09/003000
http://anond.hatelabo.jp/20170203190941
この批判が当たっていると思う。
とりあえず俺はクララ先輩には機を見て空売りを仕掛けていくことをオススメしたい。
さて。
漠然と出来が悪い、と言ってもわかんないと思うので、サンプルを用意する。
と言っても、ここで新城カズマとか古橋秀之とか秋山瑞人とか石川博品とか出してもそういうのは例外と流されるだけだと思うので、もっと、普通っぽい奴を見繕いたいところ。
例えば、商業性があると評価された実績のある人が書いた作品、すなわち「アニメ化作家の新作」と、ラノベ業界の作品を送り出す人たちが評価して世に出した「新人賞受賞作」……と考えて本屋でラノベ棚を見てたら『勇者のセガレ』((アニメ化作品『はたらく魔王さま!』の和ヶ原聡司の新作))というやつと『通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃のお母さんは好きですか?』((第29回ファンタジア大賞大賞受賞作))というやつが目に入ったので、買ってきた。増田のために『クオリアちゃん』と合わせて2000円くらい課金した計算である。
http://dash.shueisha.co.jp/bookDetail/index/978-4-08-631161-8
http://dengekibunko.jp/newreleases/978-4-04-892615-7/
http://fantasiataisho-sp.com/winners/mother/
三作品とも試し読みがあるので読み比べてみてほしい。冒頭だけだけど、それでも出来の良さの違いが見て取れるから。
一見して『勇者のセガレ』のレベルがとびきり高く、『お母さん』がその次、『クオリアちゃん』は論外、と俺は思うけれど、そう思わない人もいるだろう。
説明する。
小説には、概ね、お話が付き物だ。もちろん、お話で引っ張る小説は低級、みたいな話もあるんだけど、一般的なエンタメ小説(多くのライトノベルは一般的なエンタメ小説である)においては、そういう議論はあまり考える必要はない。一般的なエンタメ小説じゃないラノベに出くわす可能性はいつでもあるので頭のすみっこにはおいておいたほうがいいけれど、でも、今回の三作品は全部一般的なエンタメ小説志向なので大丈夫。
『勇者のセガレ』なら、父親に異世界を救った勇者の過去がある、と知ってしまった少年が、異世界での魔王復活を巡る騒動に巻き込まれるお話。『お母さん』なら母親と一緒にMMORPGの世界にダイブして冒険しながら親子関係を見つめなおす話。『クオリアちゃん』なら平凡な男が惚れた先輩に巻き込まれる形でソシャゲシナリオライターになる話。
んで、さっき示した試し読みで、そういう話だ、とわかるまでにかかる文字数は大体どれも同じ、5ページくらいなんだけど、その最初のとっかかりまでに与えられる情報の無駄のなさを見てほしい。
『勇者のセガレ』は単刀直入にお話の全体像(テーマ、というやつだ)を提示し、そのテーマについての主人公の開始時点での認識を提示し、そして、それが揺るがされる場面が、いい意味で突然始まる。
『お母さん』はそれに比べれば随分もたつく印象だが、それでも母親と息子の関係の物語だ、ということは十分手早く、一直線に提示されている、と言っていい。
『クオリアちゃん』は無駄だらけだ。同級生に平がからかわれる話とか、いらない。
そもそも主人公の平凡さに何故ここまで言葉を費やすのか。クララ先輩にソシャゲシナリオライターの道に誘われる場面から入っていい。主人公が平凡さを脱して何者かになるお話なんだからスタート地点を明示しなければいけないのでは、というのは罠だ。平凡だ、とは、平凡という特徴がある、ということではない。非凡な特徴がない、ということだ。ならば、クララにソシャゲシナリオの道に誘われるまで、何らかの特徴があるかのような描かれ方をしてはいけない。この主人公、狙ってか事故でか、かなり平凡ではないキャラなのだが、それもまあ、いいのだ。普通の男子高校生と言って始まった話で主人公がとんでもない過去を思い出す、すげえ設定が明らかになるなんてのはよくある話だ。語り出す位置に変な癖をつけないことで間口を広められることだけが平凡な主人公という設定の美点で、それをこなしたらあとはどんどこヘンな奴にしていっていい。逆に、ヘンな設定をあとから盛りやすくするためにも、平凡さを積極的に描くのは悪手だ。
ここには多分、ライトノベルがキャラクター小説である、という誤解がある。
商業性を認められたアニメ化作家も、送り手に評価された新人賞作家も、テーマや登場人物の関係性を提示するところから小説を書きだしている。主人公の人物像に無駄に筆を費やしたりしていない。主人公の人物像を描いてはいけない、のではない。主人公の人物像は、この際テーマや関係性よりも後回しにすべきだ、という話だ。
ライトノベルはキャラクター小説だと早合点していると、主人公のキャラクター性を提示するのが大事だ、と思い込んで、本筋のお話よりも先に名前をからかわれるエピソードを入れ込んだりしてしまうのではないか、と思う。
そうした結果、ソシャゲシナリオライターの手伝いを頼まれるという展開の驚きが盛れなくなる。驚きのない掴みは最悪だ。
そもそも、ソシャゲシナリオの仕事を手伝うことになるって普通に考えて驚くような話なのか、という問題はある。
ソシャゲシナリオの仕事の手伝いを頼まれて驚くのは、ソシャゲシナリオに関わることをまったく想定していなかった場合だ。主人公は脚本科の学生なんだから、ゲームであれシナリオの仕事を頼まれるのは、そんなに違和感のある話ではない。先輩に手伝ってと頼まれた、なんてのは、ライターデビューの王道と言ってもいい。
どうすればソシャゲシナリオライターデビューで驚きを演出できるのか。主人公がソシャゲを嫌いだ、という設定にしたらどうだろう……と王我は作者にささやいてはくれなかったのだろうか。
これも、関係性やテーマを後回しにしたことで生じた問題だ。ソシャゲと主人公の関係をちゃんと設定していないから、こうなる。
ソシャゲマニアが制作現場に関わることで現実を知る、でもよし、ソシャゲ嫌いが制作現場に関わることでソシャゲを認められるようになる、でもいい。ソシャゲどころか物書きとさえ無関係な主人公なら(脚本科に在籍し、名作の名台詞を書きぬいてノートを作っている主人公はどう考えても無関係ではない)ソシャゲというものに触れる、というだけでも驚きがあるだろう。
半端にクリエイター志望でソシャゲに特に何も思うところがない主人公、というのは、掴みのインパクトを出すには最悪だ。
テーマ、関係性、お話というあたりにあまり気を回さず、四姉弟の設定とかでインパクトを出そうとしている((『涼宮ハルヒの憂鬱』の構造をいただいているつもりなのかなって思いついて、ちょっと戦慄した。あれはハルヒについての話をあの三人がしてくれる構造であって、異能者が三人ただ自分の異能を見せてくれるという構造ではないのだ。))んだけれど、そりゃ読者にも驚く理由がないよね、としか言いようがない。『ハルヒ』は、読者と視点を共有しているキョンにハルヒは普通の少女だと信じる理由があって、だからこそ、超常的な存在なのだ、と語る長門たちの言葉に驚かされることができる。本作では、クララがタイムリープしない、オーガが異世界転移しないと信じる理由がどこにもない。だから、平がどれだけ驚いても読者は( ´_ゝ`)フーンとしか思わない。
あとがきにラノベ200作品を勉強した、って書いてあって、それは感心なんだけれど、でも、勉強する方向を間違えてはいなかったか、そこは疑問。
ライトノベルはキャラクター小説だ、とか、男オタク向けの作品は関係性萌えじゃなくて属性萌えだとか、そういう俗説を真に受けて、バイアスをかけた勉強をしてしまったんじゃないだろうか。
結果、普通につまんなくて出来の悪いラノベになってしまったんじゃないだろうか。
なお、ソシャゲ周りの設定について付言しておけば、作中作『初恋メモリーズ』のシステムは、『プリンセスコネクト』に似ている、らしい。まあ伝聞なので確言はできないんだけど、だとすれば、元増田が言うほどソシャゲとは違うものの話をしているわけではない。とはいえ、『チェインクロニクル』のライターが書いた本で『プリンセスコネクト』の創作秘話を読まされることをみんなが望んでいたかどうかは不明だけれども。
構成がやや難儀だな。
主要人物の語られるバックボーンや、ロマンスもろもろが中途半端、或いは余計に感じるというか。
なぜこーなったかってことは理解できるのに、それに感情移入できない。
「どーいうテーマ、物語か」っていう観点で評価しにくいし、仮に評価できるとしてもそのテーマによって紡がれるものが希薄なのだ。
良くも悪くも、非常に圧迫感を覚えた。
隠し事をしている男と、復讐心に駆られて危うさを漂わせる少女との奇妙な交流は、どういう展開になるか最後まで読めない緊張感があり、実際ラストまでそれは変わらない。
けど絵が拙いのは一目瞭然で、ドアップな構図やフキダシ、文字もでかくて圧迫感を覚えた。
ある意味プロットと噛み合っているとも言えるが、それでもクドさを覚える。
ワンアイデアの設定と、それに合わせた主役のキャラクターによって可笑しさはあるものの、ほぼ静的なプロットは盛り上がりに欠けるのは否めない。
結局のところテーマの主体が先生の性的嗜好で、それで何か大きなドラマが紡がれているわけでもないからね。
絵は似たり寄ったりな構図が気になるが、粘液の質感はこの作品のテーマと関係していることもあって気合入れてるね。
とある女の子の問題と、とある教師の問題が平行しつつ、二人の交流によって展開していく構成かな。
気になるのは、女の子側の問題が教師の励ましによって大きく解決に向かうのに対し、教師側の問題は女の子が大したカンフル剤になっていないところだ。
あと、所々「ん? どういうこと?」というセリフと場面がいくつかあって、描き方の問題もあるのかもしれないが、自分がコンテクストを理解できていないことに不安になった。
プロットは理解できているのに、恐らく私はこの作品を肝心なところで掴みきれていない。
奇抜なワンアイデアを基盤に物語を展開させるってのは、モアイで読める受賞作品では定番なんだよね。
ただ、それをちゃんと活かしてテーマもしっかりしつつ、物語をドラマティックに紡いでいるのって案外少ないから、その枠組みではかなりレベル高いんじゃなかろうか。
物言わぬ人間となった妻と、それに相対する主人公の心労が丁寧に書かれている。
ラスト近くで描写される首がない赤ん坊や看護師は、主人公の順応を表現しているのか(赤ん坊も泣き声が描かれているし、看護師も普通に喋っているので、実際には首があるはず)。
38ページ目に丸い線があって、これが主人公に重なっていくつか描かれている。