はてなキーワード: 家族観とは
バチェラー・ジャパン4という作品を途中まで見たので現時点での感想を述べる。
なお本シリーズを見るのは今回が初めてで、本国の作品も未視聴なので、本作が前作までと比べてどうかという話はできない。
男女ともに参加者は俳優さん、女優さんだよね?番組のコンセプト上、職業などの肩書きは立派だが役者としては無名、無経験が望ましい。かつSNSでもキャラを崩さない人。危うさがない人。それらのキャストにキャラクターの役割がバランスよく振られ、物語に沿って演出されている。
→これらのキャラクターが動くことによる面白さを描くので、脚本と編集能力がエグい。ただ、ドキュメントを銘打っている分、違和感を感じる層は離れていくか、釈迦や閻魔様のような立場で楽しむ方にシフトしていく。初めからフィクションと書いてあれば新海誠作品として楽しむけどね。
視聴者完全不参加型、審査員は1人。付加価値としてキャッツファイトが見られる。
ハラハラさせられるんだけど最終的には結末は一緒というジョーンズ感。そうそう、これが見たかったんだよ、という水戸黄門感。視聴者の期待を裏切ってほしいという期待も含めて応えてくれる。
今川、指原、藤森のおかげで番組が3層構造になっている。(参加者→3人→視聴者。)あの3人がある程度ジャッジメントの道筋を立てるので視聴者は安心できる仕組みである。
参加者→視聴者の2層構造だったら、距離が近すぎて、見ていて非常にしんどい番組になることだろう。
⑤恋愛観
仮にこの非日常な環境で好意を感じるとするならばそれはドーパミンのせいであって、オキシトシン系はついてこないぞ。10代の子は真に受けて真似しちゃダメだよ。これはAVとして楽しむものなのだから。
⑥家族観
4のバチェラーに限定するけれど 母はどんな時も父を見捨てなかった と言うが、その父は母に対しては何を与えていたのかを合わせて語ってくれないと、薄っぺらく聞こえる。結局sexできる母親が欲しいんだよねって私が解釈する前に早く説明して欲しい。それでいいならそうするけど。
⑦その他疑問
※この番組を純粋なドキュメント番組として、感動しただの、切ないだの、誰の性格が良い悪いだのと、完全な手放しで楽しんでいる層が一定数いそうで心配である。出演者もあれこれ言われると思うので、人権も心配である。
※とっても絵が綺麗なので、どんなに盛り上がるシーンでも、今この視点の後ろには何人いるんだろう?(カメラマン、照明、メイク、衣装、音声さんなど)何回リハして、何回立ち位置確認して、何回リテイクになったんだろう?と思ってしまうので、各種スタッフの存在を頭から消すのが難しい。警察24時だったらあんな映像取れないぞ!という感じである。
※オスとメス
そもそも動物の群れの中で一匹のオスを奪い合ってメスが淘汰し合うというのは不自然だよなぁ。私が知らないだけでメスがオスをめぐって殺し合う動物がいるのだろうか。動物ってだいたいオスの方が派手じゃん、ツノとか羽とかたてがみとか。メスの方が派手な動物っている?有識者の方、教えてください。
ハーレムものだと必ず外国人やハーフの人が出てきて、多様性や非日常感を添えてくれつつ、最終的に本命にはならないよね。どの作品が起源なんだろう。
というよりは「自分視点での感想」をさも「考察」であるかのように語る輩が多すぎるということかな。
ネットで感想を書き続けると人間の次式は肥大化してゆくゆくは感想と考察の区別がつかなくなるのだろうか?
だがこのまま私が黙って「感想と考察の区別もつかねーのかこのカスは」と思い続けていても自体は解決しない。
どうやら私が書いてやる必要があるらしい。
「おおかみこどもの雨と雪の考察」を。
脚本の奥寺佐渡子は細田守の考えを「一般人に伝わる形かつ、一般人も楽しめる形」に落とし込むための存在であるため、作品において「なんでここがこうなったの?」に対しての答えを彼女に求めても「作劇的にその方が面白くなるから」以外の要素は出てこない。
だから考察をするのならば奥寺佐渡子の意図はあまり考えなくていい。
気をつけたいのは、「でも細田守がそういう意図を持っていたのなら、作品の質を落としてでもここはこうしたのでは?」という部分に関しては「奥寺佐渡子がうまい具合にハンドルやブレーキを操作した」と判断すべきであるということだ。
脚本に2人が名前を連ねていることが、おおかみこどもの雨と雪の考察を若干難しくする。
おおかみこどもの制作が始まる2年前、サマーウォーズの製作中に細田守は母親と祖母を無くしている。
父親の方はそれより11年前に既になくなっている。
おおかみこどものキャラクター造形において、この3名の死は深く関わることになる。
この辺については詳しくはインタビューを読んで貰ったほうが早いので手短いに言うと、細田守が自分で「作品作りにおいて影響があった」と口にしているのだ。
主人公が母親であること、父親が途中でなくなること、そういった要素についてフェミニズムだの男女平等社会だの社会派気取りだのあーだこーだと考える必要はなく、「そのときの細田守の境遇がそういった家族像を作中に描くことを求めた」で説明は終わるのである。
母親のモチーフが細田守の実母であるということは、おおかみこどものモチーフは細田守自身となるわけだ。
ちなみに細田守は幼少期に吃音症を患っており、この感覚が社会に普通の子供として上手く馴染むことが出来ない幼少期の雨と雪を形作っていくことになるのは想像に難くない。
それぞれは自分の性質や出会う人物に合わせて、人間社会と山という全く別の社会における適応を目指すことになる。
また、それぞれが目指そうとする場所は途中で交差して入れ替わる。
全く異なる2つの社会をそれぞれに目指す姿は、細田守がアニメ業界という力と才能が支配するオタクの世界と、宣伝や社会性が重視される一般的な社会という2つの世界を行き来しながら有名アニメ監督となった細田守の人生観の反映であろう。
つまり、山において師匠に野生の生き方を学ぶ雨は、アニメ業界で才能を頼りに生きることを選んだ細田守であり。
一方、現実世界で恋をして普通に生きることを選んだ雪は、細田守の妻子持ちとしてのプライベートの姿である。
才能を振り回しケモノとして生きる道と、人間らしく生きる道に対して、細田守が感じる二足のわらじの感覚が、おおかみこどもを二人にするという設定を構築しているのだ。
と思った人はバケモノの子や未来のミライを通して答え合わせをして欲しい。
おおかみこどもの雨と雪はいわば細田守考察における出題編であり、その後のバケモノの子と未来のミライによって、おおかみこどもで考えた考察が深読みだったのか、実際にそうだったのかが徐々にハッキリするという構図になっている。
バケモノの子は7月9日の金曜ロードショー、未来のミライはアマゾンプライムビデオで見ることができる。
それはおおかみこどもの雨と雪だけでやるとゲスの勘ぐりみたいになる。
バケモノの子や未来のミライで伏線回収が終わってから戻ってくるとまあ露骨にそうなんだよねって分かりはするんだけどさー。
分かると言えばサマーウォーズの家族観とかもあとから見るとなるほどねーってなるんだけど、この辺もやっぱバケモノとミライを見てからじゃないと分かりにくいんだわ。
答えから逆算すると簡単な迷路ってたまにあるけど、細田守映画の世界観もあとからだと分かるけどサマーウォーズとかの頃は上手くやってるなーって。
まあまさにこれは「奥寺佐渡子がハンドルとブレーキを上手く使ってた」ってことなんだけどさ。
凄いわあの人も。
ミソジニストのみなさんの女叩き記事、拗らせてるなあと思いつつもちょっと応援してしまう
・出羽守は嫌い
・マイノリティをウザく感じる
同性愛者、大変だろうけど、キモい異性愛者も大変だし、そこまで騒ぐかあ?みたいなことを思ってしまう パートナーシップ制度がないのは大変ですね 俺にはパートナーがいないが…
シンプルに、さすがにどんな政権だろうとやることなすこと完全にマイナスでしかなかったってことはないだろ 総合して良かったってことはなくとも、部分部分をみてどこにもプラスがないってことはないのでは?
・反SDGs
こんな社会持続させてどうすんだよ 滅ぼせ滅ぼせ 俺はあらゆる生命・自然に特に価値を感じないので、人間はドンドン好き勝手やって全部破壊していいと思う
・反ヴィーガン
積極的に罵倒しようとも思わないが、俺は動物がいくら苦しんでもどうでもいいし、環境破壊はいくらすすんでもいいと思うので、食える限り肉は食うだろうな
あれ人権侵害だし、シンプルにキモいからやめたほうがいいだろ 君が代もダサいし暗い さくらさくらとかの方がまだマシ
・ネトウヨは嫌い
なーにが家族の絆じゃ、カス!という気持ちあり 夫婦別姓には反対する動機がない 積極的に賛成する動機もないが…
復帰49年沖縄の課題にどう取り組むか?河野太郎沖縄相インタビュー全文【WEB限定】 - 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1321874.html
さすがに全文引用したら怒られそうなので、沖縄の貧困解決へ向けての取り組みについて、沖縄タイムスでは触れられなかった部分のみ引用する。
―「子どもの貧困対策事業」については、貧困の連鎖の根本的な解決にならないとの声も上がる。今後の事業存続の可能性と、新たな貧困対策に取り組むべきかどうか。
(河野)「コア(中核)の原因にいかないといけない。対症療法だけではなくて根本をどうするという議論をしていかなければいけない。そういう意味で、母子世帯や子どもたちを支えていくということをしっかりやらないといけない。その問題を解決すると同時に、新たに生み出さないというところを強力に進めていく必要がある」
―先ほど発言のあった「母子家庭を少なくする」が具体策の一つか。
(河野) 「そういうところがある。コアが何なのかというところにいかないといけない」
(河野) 「それは要するにスタートしているのはそこの部分は相当ある。生活も安定し、親としてしっかりやっていけるという2人が家庭を持つというのは非常にいいことだ。それでも出生率が高いのが喜ばしい」
―新産業ということで、若年層の雇用創出、所得向上で具体策は。
(河野) 「一つは『沖縄の若者はみんな英語ができるぞ』という、要するに沖縄や日本のどこかで働くだけじゃなくて、行こうと思えば、世界のどこでも行ける。それが一つ大きいと思う。その機会はあるわけだから。やはり、そこに力を入れるというのは沖縄の歴史からしても『万国津梁』という伝統がある。沖縄の若者に「世界を目指せ」というのは歴史に根付いている話だ。東南アジアで仕事したって中東に行ったっていい。そういうやる気のある能力のある子どもがむしろ高校・大学から外に出るのを応援してもいい。海外で成功した人がまた沖縄に戻り、次の世代にバトンを渡していけばいい」
(河野)「教育が大事だ。渋沢栄一の大河ドラマを見てもそうだ。いろんなものがある」
(河野) 「OIST(注:沖縄科学技術大学院大学)並みの教育機関を持ってくると当然、研究者もいるけれども、その機関を支える人も必要になる。そういう所にも雇用の機会は生まれる。外国語の習熟度が高まれば、観光産業だけでなく、いろんな産業にチャンスができる。沖縄の人がみな言語が通じるとなると、海外企業から見ても、進出先にもなり得る」
つまり、ブックマークコメントなどで多数見られた「貧困対策や雇用対策をするのが先だろうー!」というのはお門違いもはなはだしく、
貧困対策はそれはそれでやるよ、と言った上での、若年妊娠を避けるための性教育や、英語教育その他『も』行っていく、が主旨だ。
あと、「若年妊娠率を下げる/母子世帯の発生を抑える」を、勝手に「自民党的家族観の押し付け」と読み替えている者もいるが、真逆だよ。
性教育という科学的知見を広めることによって、個々のカップルの意思を尊重した上で自立させることでそれを回避したいという話は、自民党的家族観の否定に他ならず、
そもそも沖縄タイムスの引用部分にすら「沖縄は家族の支える力が強く、親族らの支援が手厚い部分があるかもしれないが、そこに甘えては駄目だ」との河野自身の発言がある。
なぜマスメディアは、いちいちこういった面倒を生む、恣意的な引用を行うのだろう。
そして情報を受け取る側も、AとBは両立可能なのに「Aだけ言ってBを言わなかったなー!(実は言ってる)」とか、「Aに触れるとは何事だー!」という、議論を硬直させる批判はもうやめようよ。
はてなから、次第にメディアリテラシーが失われていくのを見るのは、長年のユーザーとして悲しいものがある。
沖縄の構造的貧困については、沖縄大学准教授樋口耕太郎氏のこの辺の記事が参考になる。
沖縄から貧困がなくならない本当の理由(7)貧困の合理性(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/300288)
「変われない沖縄」が生まれ変わるために(https://politas.jp/features/7/article/406)
性教育が果たしてこの構造的貧困の解決にどれだけ効果があるかは疑問だが、この文脈で言えば、全く正攻法ではあるとは思われる。
【追記】
【識者談話】「母子家庭になるな」は国の責任放棄 上間陽子氏(琉球大教授) - 琉球新報デジタル
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1321729.html
沖縄で未婚の出生率が高い歴史的背景には、沖縄は米国の占領地だった時期があり、バースコントロール(産児制限)が効かない中で子どもを産むことが形成されていったことがある。
いやだから性教育を、と河野は言っているのだから、何も間違ってはいないでしょうが。
インタビューの全文を参照するなら、これは言い掛かりに近い。
突っ込むべきは、むしろ母子世帯を減らすために、性教育が果たして有効なのかといった所の方だろう。
あと、b:id:le_cinema 氏やb:id:aya_momo 氏、わざわざ太字にした部分が読めないのかな?
都合のいい解釈とかじゃなくて、河野が普通に「そういう意味で、母子世帯や子どもたちを支えていくということをしっかりやらないといけない。その問題を解決すると同時に、新たに生み出さないというところを強力に進めていく必要がある」と言ってるだろ。
「母子世帯を支える」貧困対策は、母子世帯を減らすという文脈と全く独立して述べられていることが分からん?
こういう脊髄反射で書き散らかしたコメントに星を付け合うの、ホントはてなを劣化させるからやめようぜ。
【追記2】
1日経って、トラバやコメントの反論見てみたけど、いやー酷いもんだね。
ちゃんと「理」を示して反論しようよ。ていうか、あっちもこっちもほとんど読んでないだろ。
理詰めで反論してくれてんのは、Pgm48p氏だけだよ。これはありがたい指摘。
反論てそうやってするもんだよ。
選択的夫婦別姓の導入が進まないのは、これがイデオロギー闘争になってしまっているからである。
選択的夫婦別姓は、伝統的なイエや専業主婦家庭が減少し、同時に夫婦で共通の姓を持つことの合理性が減少し、他方で不合理性が増えたことが最も大きな理由である。妻が文字通りの「家内」で、家族を代表して家の固定電話に出る時代には、同姓は確かに合理的だったが、こうした風景はもはや既に過去のものになりつつある。選択的夫婦別姓に否定的な女性の国会議員たちも、当たり前のように戸籍と仕事で名前を使い分けている。夫婦同姓の強制が、現実の社会生活にとっては不便で不合理なものでしかないことは、保守派にとっても自明なのである。
それにも関わらず、保守派が選択的夫婦別姓に強行に反対するのは、これが純粋にイデオロギー的な問題であることを意味している。保守派が家族のありかたにこだわるのは当然として、離婚、中絶、育児、介護、性別分業など、様々なより重要と思われる論点がある中で、日本では強制的夫婦同姓を守ることが保守派の生命線になってしまっている。つまり、保守派がなぜ夫婦同姓に異常なまでに固執するのかと言えば、敵対する左派・リベラル派が従来の家族モデルを批判する文脈で別姓を推進しようとしている(ように見える)から、というのが根本的な理由である。
夫婦別姓問題をイデオロギー闘争にしてしまったのは、リベラル派にも少なからず責任がある。世論とくに若い世代は夫婦別姓の容認に傾いているが、それは人の生き方や価値観への押し付けや介入を嫌がるようになっていることが大きい。なので、伝統的な家族規範に対する批判の声をあまり強めてしまうと、それも若い世代には「特定の価値観の押し付け」に映ってしまうことになる。夫婦別姓推進派には、「頭の古い政治家は退場しろ」という声が多いが、選択的夫婦別姓に賛成する若い世代の多くは、そういう攻撃的な物言いを生理的に嫌っている。なので、野党やリベラル知識人への積極的な支持は大して広がらない。
選択的夫婦別姓の賛成派は数こそ多いが、伝統的家族観を積極的に解体したいという左派・リベラル派の思いとは逆に、大部分は「価値観の押し付けを嫌う」「強制的同姓は日本だけ」というきわめて消極的なものなので、組織されておらず政治的には強くはない。対して反対派は、これが保守の生命線であるとして、死に物狂いの姿勢を見せている。日本会議のような強固なイデオロギー組織が草の根の運動を展開している。
菅政権も選択的夫婦別姓に消極的になっている。民主党政権に象徴されるように、政権内の「内輪揉め」は支持率を激減させる。自民党内の選択的夫婦別姓への反対勢力は、政治生命を失ってでも反対するというほどカルト化してしまっている。だから無理に進めれば、このカルト化した反対勢力が騒ぎ出すことになり、「菅首相はリーダーシップがない」という印象を与えてしまうことは確実である。とくに支持率が低迷している現在は、もう絶対に手が出せなくなってしまったと言っていいだろう。
選択的夫婦別姓導入は、立憲民主党中心の政権が成立でもしなければ絶望的に不可能である。つまりほぼ絶望と言っていい。
(追記)
福島瑞穂は、夫婦別姓問題をイデオロギー化してしまった元凶だと思っているので、いつまでもこの人を先頭に立たせてはいけないと思う。夫婦別姓を望む当事者も、必ずしもフェミニストではないのはもちろん、伝統的家族規範が好きとか嫌いとか、そんなことを問題にしているわけではない。多くは、通名と戸籍でバラバラな現状を変えてすっきりさせて欲しいというだけであり、あるいは、生まれた姓にこだわりや愛着があるとか、両親の姓を失いたくないといった、より保守的な理由による賛成派も多い。
夫婦別姓のような、それで特に何かがよくなるわけでもないイデオロギーの問題より、シングルマザーや中高年独身女性の貧困問題とか、もっと泥臭い問題のほうでアピールすべきじゃないだろうか。既にやっていると言われるだろうけど。
親にカミングアウトしたけど受け入れてもらえませんでした😢という話を聞く度に、そんなに受け入れられない物なのだろうか?と不思議に思う。
もし我が子がLGBTだとカミングアウトしたらと想像すると、まあ仕方ないかと私は受け入れるのではないかと思う。
その理由は、単にノンケ男性である私は絶対に男とホモセックスしたくないと思っているので、LGBTに「普通」の性的役割を果たせというのも同様の無茶な要求だろうと考えているからだ。
ただ、私は家族観は保守的な面もあって、結婚して子供を持たないと人間はどんどん孤独になって不幸になる傾向が一般的にある、とも考えているので、我が子がLGBTならLGBTなりに伴侶を持って養子を取って育てることを強く薦めるだろうなと思う。
それが法的に認められた外国に行きたいというなら援助するだろうし、日本で同性婚やゲイカップルが養子を取るのが認められるように署名集めぐらいならするだろう。