はてなキーワード: 学習塾とは
児童じゃなくて教師がクラス移動してバラまいたとか、これ賠償モンやで
https://news.yahoo.co.jp/articles/b859f14c64817ec9a9c4fd0c31b7a4220a18b5ae
千葉県船橋市の学習塾で小学生や中学生など72人が新型コロナウイルスに感染するクラスターが発生しました。
船橋市によりますと、クラスターが発生したのは学習塾の「湘南ゼミナール 小中部 西船橋教室」で、9日までに小学4年生から中学3年生までの児童・生徒69人と職員3人の感染が確認されました。
この教室には児童・生徒168人が通っていて、まだ90人ほどが検査の結果を待っているということです。せきなどの症状があった職員が先月31日に感染がわかるまで、すべてのクラスで授業を行っていて感染拡大の一因になったとみられています。
教室ではアクリル板の設置や、サーキュレーターによる換気、マスクの着用といった感染対策がとられていた一方で、一部、窓のない教室があったということで、船橋市が感染の状況をさらに調べています。
どうせヤミ学習塾とかが繁盛するだけだろって思う
昭和47年、48年生まれなので、昔ですが、友人は、まだトラウマとして傷ついています。
上星川校の学習塾の進学クラスにいた、中島、カワシマ、ショウジマナミ。大河原ななこ。あともう一人の女性徒にいじめられていたようです。
友人の変りに訴えてやりたいぐらい酷いいじめでした。
外見を馬鹿にしたり、夏季合宿では細かい髪の毛が入ったカレーライスを無理やり食べさせられたり、プロレスの技をかけたり、叩く、物を隠す。集団で無視をする、外見を馬鹿にするという酷い内容でした。
先生は注意しましたが、逆ギレしたため、先生もお手上げでした。また、それに同調した男子生徒も中には居て、泣いている友人に「泣いてやんの!馬鹿じゃねーの」等、女性徒達と一緒になり苛めていたようです。
友人をいじめていた、中島、カワシマ、ショウジマナミ。大河原ななこ。あともう一人の女性徒、男子生徒達本人達が偶然にここを見て、当時の愚行を反省できる大人になっているかは不明ですが、彼女達が子供が居て家庭を持っていて自分の子供がそういう事を受けたらどう思うのかと思います。
そして、子供や身内が同じかそれ以上の苛めを受けていたり、苦悩を抱えているならそれは因果応報です。
パワハラ、セクハラ、近所付き合いで悩みを抱えていたらそれはツケが回ってきたのでしょう。
罰は必ずあたります。
小学生の時に2年ほど通っていた大手の学習塾がある。そのときに国語を担当していた教師が独立して自分の塾を持っているらしい。
その教師のことを思い出したきっかけは忘れたけど、たぶんあだ名に関する文章を読んだせいだと思う。
その国語教師は自己紹介時に自分の名前を音読みし、あだ名だとしていた。いまいち受けが良くなかったが子供の自分としてはちょっとだけ印象的だった。だから変わったあだ名でその教師が想起されたし、名前も直ぐ検索できた。
しなきゃよかったな。その塾はやや黒い噂があるらしいし、そもそも名前がちょっと尖っていて痛いたしい。教師として面白かったかは全然わからないが、こうなっちゃ駄目かもなと思った。子供の頃のおもいでは貴重だけどそこに変なしおりを挟んでしまった感覚だ。
昭和47年、48年生まれなので、昔ですが、友人は、まだトラウマとして傷ついています。
上星川校の学習塾の進学クラスにいた、中島、カワシマ、ショウジマナミ。大河原ななこ。あともう一人の女性徒にいじめられていたようです。
友人の変りに訴えてやりたいぐらい酷いいじめでした。
外見を馬鹿にしたり、夏季合宿では細かい髪の毛が入ったカレーライスを無理やり食べさせられたり、プロレスの技をかけたり、叩く、物を隠す。集団で無視をする、外見を馬鹿にするという酷い内容でした。
先生は注意しましたが、逆ギレしたため、先生もお手上げでした。また、それに同調した男子生徒も中には居て、泣いている友人に「泣いてやんの!馬鹿じゃねーの」等、女性徒達と一緒になり苛めていたようです。
友人をいじめていた、中島、カワシマ、ショウジマナミ。大河原ななこ。あともう一人の女性徒、男子生徒達本人達が偶然にここを見て、当時の愚行を反省できる大人になっているかは不明ですが、彼女達が子供が居て家庭を持っていて自分の子供がそういう事を受けたらどう思うのかと思います。
そして、子供や身内が同じかそれ以上の苛めを受けていたり、苦悩を抱えているならそれは因果応報です。
パワハラ、セクハラ、近所付き合いで悩みを抱えていたらそれはツケが回ってきたのでしょう。
罰は必ずあたります。
高校に入ったあたりからようやく露見した私の頭の悪さとか、ただのうっかりでは済まされないくらいのだらしなさとか、そういうのから目を逸らしたくて鬱のふりをしてたら成績がガタ落ちして地元の私立大学に進学した。高校入学を機に“親ローン”で買ったロードバイクはたまに使うくらいで、普段は居間に繋がった和室で埃をかぶっている。それなりに勉強はしているつもりだけど、気を抜いたら課題をすっぽかして留年するんじゃないかみたいな不安で心がいっぱいになって、それで課題も手がつかない。馬鹿じゃないのって感じだけどマジでストレスを感じている。
最近ほんとうに生きるのが辛い。不自由なく暮らして学校では周りのバカさ加減に辟易して、家に帰れば疲れ切った母を眺めながらTwitterしたりご飯を食べたりしてて、公然と不幸を嘆いたりできないことに息苦しさを感じてふと死にたくなったりする。疲れたからタクシーで帰ろうみたいな感じかもしれない。親を愛しているはずだし向こうもそのつもりだと思うけれど、自己愛が足りないとかうまく認識できてないとかで全部が台無しになっている。
あと孤独を感じる。友達はいない。一人もいない。小学から10年くらいの付き合いになる(中学でありがたくも学習塾に通わせていただいてたら再開した)おにゃのことLINEしたりするけど、常に向こうから話しかけてきて向こうからおやすみの挨拶がくる。おれは相手との距離を測りかねてて自分から話しかけられないし、彼女に抱いている好意も「唯一付き合いがある同年代の人間」とか「10年来の知人」とか、そういうタグに対する執着なのかもしれないし重すぎてキモがられそうだから恋愛の成就など夢のまた夢に過ぎないのだと思う。
とにかく、家族団欒の中だろうと携帯に照らされた布団の中だろうとこの孤独感が全てを台無しにする。それだって日々の生活からようやくほじくり返して見つけ出したちょろい悩みみたいで人に吐露できるものでもない。ちっぽけなTwitterでさえ真面目なトーンでは話せないくらい。
異常独身男性ってこういう人間をちょっと煮詰めた感じなの? 親が死んだらとうとうダメになって風呂桶で煮こごりになったりするのかもしれない
私はコミュ障発達障害のヤバいブスなので、バイトの面接に全部落ちた。
いや、コミュ障発達障害のヤバいブスだから落ちたのかは知らんけどなんか飲食店も家電量販店も学習塾も雑貨屋もネカフェも全部落ちた。
哀れに思った知人が紹介してくれた店でしかバイトしたことない。
ヤバい。
就活怖すぎ。無理でしょ。
まあ、なんか、今はまだ選考があんまり進んでないので学歴フィルター的なあれで一次面接ぐらいは通してもらってるけど、なんかもうそれも無理。
次の面接はここに気を付けてねとかめちゃくちゃダメだしされる上に、もっと他の業界受ければいいのにとか勧められる。
あーね、あーね、一次面接とかなさる方には機電系院卒女子とかいう激レア人材を落とす権限ないわけね、はいはい。
知ってた。
知ってて来たもん。私は知っているぞ。女性を採用しろという政府の圧力を。
でもそういう人格が終わっている人間は結局最終面接で落ちるって言われる。
分かる。超分かる。私もそう思う。怖すぎ。
じゃあ学校推薦とか取ってそれで就職決めろよという話だけど人格が終わっているので、就職担当の先生にメールするのが怖い。
私はそれなりの有名私大から有名国立大学院に学歴ロンダリングした。
元いた私大の大学院に進んでもよかったが、やはりとりわけ理系では、国立優位なことは認めざるを得ない。
貧乏だった人が裕福になることを目指し、何か問題があるだろうか?
立場が弱かった人が権利を主張し、責められることがあるだろうか?
いや、ない。むしろ何もせず怠惰である方が恥ずかしいとされる世の中だ。
しかし、学部から異なる大学院に進む話になると、学歴ロンダリングだ!!!と喚き出す人間が存在する。
なぜ。。。
どれも努力した (そして今後もするだろう) という点で、本質的には同じはずなのに。
しかも面白いのが、学歴ロンダリングを叩く人々は、中々の割合で地頭信者なのだ。
彼らの言い分は大抵こう。
大学入試の問題 (特に数学、物理) は地頭がよくなければ解けないが、大学院入試は簡単で誰でも解けるから、バカなお前でも入れる裏口入学のようなものだ!
少し自分語りをしたい。私は大学に入るまで、勉強というものが嫌いだった。
多少賢い方だったので、小学生時代に学習塾で受けた模試でよく冊子に名前を連ねていた。中学受験を勧められていたが、家庭の事情で地元の公立中に進んだ。
小中と勉強しなくても学校のテストの点はよかったので、勉強しない癖がついた。好奇心は強い方だったと思うが、私は怠惰な人間なので、目先のゲームの方や部活の方にばかり気持ちが寄った。
その後進学校と自称進学校の半ばくらいの高校に、そして某私大に進学した。私はやはり怠惰だったので、高校受験も大学受験もさして勉強はしなかった。
勉強嫌いは治らなかったが一般受験というものを経験してみたかったので、大学受験は推薦などは取らず一般で受けた。
高校受験は舐めてもなんとかなったが、流石に全国規模の大学受験は思うようにはいかず、諸々の大学に不合格を貰い某私大に進んだ。
勉強関連で大した失敗経験がなかったので、困らないくらいの学歴は手に入るだろうというバカな考えがあった。まあ正直今でもそう思っているし、有難いことに一応はそうなった。
この某私大は一般的に M*RCH と同程度か超えるくらい難しいところだと思う。ネット上では M*RCH は 3 ヶ月!などと暴論をかます人がいるが、私に言わせればまだ甘い。M*RCH も某私大も 0 ヶ月だ。
そしてこの某私大は、私の感覚的に、研究員になれる最低ラインの大学なのである。この大学に合格していなければ、恐らく研究の道に進もうとは思わなかっただろう。
もっとも、出題によっては、M*RCH にも落ちたりした。運のよさだけが取り柄である。
念のため付け加えると、上記をみれば明らかなように、私は学歴などには大して興味はない。大学受験で努力できた人の方が、人として私よりも圧倒的に優れていると思う。努力した人をバカにする意図はない。
また、自分を稀代の天才などと思っているわけではない。だいたい研究の道に進めば自分より優秀な人なんて山ほど出会うし。入試だって東大 0 ヶ月を主張する者さえいる。
この某私大で、転機が訪れた。大学の勉強が楽しいのだ。なんということだろう。
私は情報系の学生である。小学生の頃にゲームを改造するという形で情報技術に興味を抱き、高校まで趣味でプログラムを弄っていた。
高校までの授業は、特に普通科高校などでは、まずやっておけば間違いない (悪く言えば当たり障りのない) 教科ばかりで構成されている。生徒が卒業後どの分野にも進めるように組まれているのだから当然だ。
大学は研究機関であり、かつ専門教育を行なう機関なので、高校までとは毛色が違う。
大学の講義や研究は私の興味に合致した。このまま進みたいと思うようになった。楽しいから仕方ない。この後の進学までの流れはどうでもいいので省略するが、結果、学歴ロンダリングの道を選択した。
自分に限界を感じて諦めるかもしれないが、それならそれでも構わない。ロンダロンダ煩くされるなら、院の名前は出さず某私大の名前だけで生活してみせよう。学歴自体にはさして関心がないのだから。
少し話が逸れてしまったが、したがって、
大学入試の問題 (特に数学、物理) は地頭がよくなければ解けないが、大学院入試は簡単で誰でも解けるから、バカなお前でも入れる裏口入学のようなものだ!
に対する私の答えはこうだ。
「地頭」で能力の伸び方は変わるかもしれないが、上限は関係ないと思う。
現役 MARCH 全落ち 1 浪東大の人とか知ってるし。なんなら多浪高学歴 YouTuber とか何人もいるし。
逆に、浪人して俗に F ランなどと呼ばれる大学に行った人も知っている。でも彼らも伸びが遅いだけで、特別知能で劣っているのではないと思っている。
もちろん言うまでもなく、難関大学に合格する人は凄いです。私にはできなかったことなので、その賢さと努力は素直に尊敬します。
まあ確かに、確かに東大生を主張していた人が学歴ロンダだったら、あれ?って感じるのはわかる。明らかに元いた大学を隠しまくってたら私もうーんって思う。わかる。
全く誰からも批判されない人など居ないので、批判したければ常識の範囲ですればいい。でも、主語を大きくしてロンダは全て悪!は間違っている。
例えば気に入らない中国人がいたとしても、すべての中国人をバカにすべきではないだろう。
中国人は採用しない!とか発言して東大から解雇された某最年少准教授の例とかあったじゃん。
なんだか、人を叩いて気持ちよくなりたいタイプの方々が、若い芽を摘んでいるだけな気がしてならない。
しかもそれが割とスタンダードな考え方なことに、失望を隠せない。
前述の某最年少教授の処分にあたってそれとなくロンダをバカにする反応をしていた東大教授さえいたし。
そろそろ年頃だが正直結婚を悩んでいる。
特別高給でもないOLとして産休、育休となったときに家計が持つか心配だし、多少社会は変化しているとはいえ、男性ほどの昇給は望めないだろう。自分だけの稼ぎで子供を大学に入れてあげることは相当厳しい。学費は奨学金でどうにかするにしても、塾に通わせる金が出せるだろうか。
一流企業に勤める親のおかげで高額な学習塾に通い、そこそこの私大を出してもらった自分でも、ブラック企業で年収300万程度の現状を考えると、せめて大学くらいは出してあげたい。
半出生主義とまでは言わないが、成人まで育て上げる自信がない状態で出産するのは無責任ではないのか。
出産はともかくとして結婚についても不安がある。彼氏は精神的に不安定な部分があり、職を転々としている。
彼氏のことはそれなりに好きなつもりだが、不安定な時期に支えてあげられるほど自分も余裕がない。今は彼氏から弱気な連絡が来ても、冷たいのを承知で適当にあしらっているが結婚・同居となると自分への依存も高まるだろう。正直、重荷に感じてしまう部分がある。
また、結婚となると家族や周りからの目も無視はできない。可愛い娘が連れてきた相手が頼りなく見えると、文句のひとつも言いたくなるかもしれない。「お前はまだ結婚もしないのか」の圧力と、「お前の旦那は云々」の圧力であれば、増田だけの被害で済む前者のほうがまだマシな気もする。
もちろん、彼氏と別れたとしてより高スペックな男性と結婚できるとは限らないが、今の彼氏と結婚して可能性を捨てる踏ん切りがついていない。さすがに結婚してから不貞を働くつもりはないが、自分の浅ましさが嫌になる。
彼氏が一発当てて新進気鋭の実業家にでもなるか、増田が女性活躍の波に乗って大抜擢でもされれば一番良いのだが。一緒にいたい気持ちはあるので、金銭的な問題と社会的信用の問題がネックだ。
まあ、周りの既婚者は「結婚なんて勢いだ」と言っているので、勢いに任せて籍を入れてしまえばいいのかもしれない。先のことなど誰にも分からないし。
あーーーあ、金と将来への希望がほしい。あと周りを気にしない度胸。
・30歳までに結婚。
・女性なら300万円。
・共働き。
・小学生に入ったら子供を習い事を始めさせる。英語、学習塾。とりあえず何もさせないわけには行かない。
・インスタントや化学調味料はNG。子供にそんなものを食べさせるのは虐待。
・週末は子供とリクリエーション活動。夏はキャンプ。冬は遊園地。映画でもピクニックでもとりあえず週末は子供の為に生きる。
・悩みをいつも把握する。
・子供が何が好きなのかを常にチェック。
・毎日話しをする。
・高校から大学まで奨学金を取らせつつ、同居の大学で、アルバイトも経験させながら就職までは面倒を見る。
・毎月5~10万は貯金する。
・後輩はきちんとフォロー。
・夜の生活も。
・煩わしい近所付き合いもこなす。
って無理でしょ?
結局、「お金」と「時間」がネックになってるんだけれど、この2つがあまりにもタイトすぎて、結婚すべきと言われても、独身の若者が結婚できないんだよね。
もうすこし「ダメな二人が結婚してもいいよ」って社会的ハードルを下げてあげないと、誰も結婚できないんじゃないかな。
むしろ、そういう人たちのほうが案外長続きしてるよね。
児童虐待は論外としても、毎日スーパーで出来合いのものを食べさせても仕方ないし、帰省しなくてもいいし、子供に一日中ゲームさせててもいいし、子供を遊びに連れていく回数は落としてもいいんだと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20210213230410
こちら、2児の父であり育児に全ステ振っている感じの父です。老増田心ながら、いろいろ伝えたい。
あなたと同じようなことがたくさんあった。ぱっと思い出すことを書いておく。今はこのようなことはない。過去の話だ。
保育園の送り迎えをしたくらいで褒められる。
雨の日、電動の子どものせ自転車に子ども2人を乗せて帰るときに、保育園の先生に「パパすごいわね」と声をかけられた。たしかに、これはかなりきつい。冬場は特にきつい。でもね、その発言がなされたとき、俺の隣にも雨の中で自転車に2人の子どもを乗せている別のママがいたわけ。そのママも同じだけすごくない?遅くまで残業している男女がいたときに、「ママすごいね」と言うのと同じ構図。褒めているようで侮っている。ちなみにその時は言いましたとも。「こちらのママ様も同様にすごいですよ」と。そしたら「あ」という顔をしていた。年配の保育士さんだったが、大悟したはず。
保育園の年配の先生の二人称複数形が「ママたち」「お母さんたち」
保育園の保護者会の役員をやったとき、自分一人だけが男性で、それでも「(ほぼ)ママたち」というくくりで呼ばれることがたびたびあった。「俺、ここにいるよ!」と毎回心の中で叫んでいた。
子どもを迎えに行ったら、「今日、トイレで汚してしまったんです。ママに伝えてください」と言われたこともある。
ん?俺が今、しかと聞いたぞ?
つまり、父親が育児における二級市民に序せられているという事実に、いろいろなところでチクチクされる。
しかし!以下の点から、そんな杞憂の8割くらいはなくなると思う。これを伝えたい。
第一に、そこまで育児ワークを多くこなしていれば、日常的に見ている人からの侮りやズレた褒めは減ってくる。
第二に、自分自身が慣れて気にならなくなってくる。
第三に、相手の言動がある程度予測できるようになってくるので、「事前に予測が立つ」 <- これポイント
ちょうど先日、近所にある学習塾が何周年記念とかで営業の人が家にピンポンきた。ノートをくれるというので、ひょいひょいとドアを開けた(ちなみに増田はコロナ前からずっと在宅勤務)。軽く前口上を聞いた後、営業さんは「お母様がいる時間にもう一度来る」と言う。そう来ると思っていた。マンション営業で夫がターゲットになるが予測できるのと同じで、学習塾・習い事系では母親がターゲット=意思決定者という前提になる。
「我が家の場合、これ系の窓口は私なんです。どうぞ私に話してください」などと伝えて、話してもらい、丁重にお断りしたらすんなり帰っていった。
一瞬、相手が「え?」という顔をするが、別に気にならない。そんな場面はたくさん見てきた。
保育園の入園説明会、保護者会、学校行事などなど、母親が来ることが想定されていて、父親がオマケ扱いされることが事前にわかっていれば、どのように切り返してそこに居座り、メインキャラクターであることを認識させるかを考えておくのがよい。
こんな感じで、切れることなく、男女平等だとかそういう高尚な話をすることもなく、ただ偶然、「うちの場合はこう」ということを伝えれば、角も立たずに丸く収まること請け合い。
父母のどっちか1人が担当になりそうな場面では、父が担当者になるよう事前に取り決めておくのもよいと思う。元増田の入園説明の場面を考えると、「あー、では妻が娘の相手をしますので、私がお話を聞きますね」などと言えば良い。その場で妻に向かって、「それでもいい?」と優しく付け加えるところを見せたりすれば、園長先生は誰か保育士を1人よこして娘の相手をし、父母の2人に話をしてくれるんではないかと思う。そして、園長先生には「俺はオマケじゃねー」というメッセージをしっかりと伝えることができる。希望的観測だが、その後は一級市民として扱ってくれるかもしれない。
瞬時のレスポンスを早くしようとするあまり、鼻息が荒くなってはいけない。大事なのは想定問答を用意しておくことだ。それにはある程度の失敗体験も必要。今回はそんな失敗体験の1つだ。
サラリーマンの父と専業主婦の母。子供は2人。実家の世帯年収は800万円位だった。私が小学生のときに購入した一戸建て住宅は土地+建物で3000万〜4000万円だったと思う。年に1、2度は国内旅行をしていた。県下に公立の進学校は1つ。私と弟は小さい頃は公文、スイミング、英語、ピアノを習わせてもらい、中学から近所の学習塾に通い、進学校に進学した。
翻って、現在住んでいるのは神奈川寄りの東京。世帯年収は1400万円。私が専業主婦。子供2人。年に1〜2回国内旅行。周囲のマンションは2〜3LDKで7000万円くらい。食洗機やディスポーザー、床暖房がついてゴミ捨ても便利だけど、間取りを見ると「狭っ?!高っっ」と思ってしまう。実家のある地方都市だと、7000万円出せば豪邸が買えるので。上の子はサッカー、英語、スイミングに通っている。子供たちはまだ小さいが、周りは子供に中学受験させる家庭が多数派。小学生4年生くらいから塾に通わせるらしい。
正直言って生活レベルはあんまり変わらないんだけど、都会は選択肢が多くて、あからさまにお金で階層が分かれている。ちょっと疲れるなぁ。
それは「社会は容易に親に子離れをさせてはくれない」ということだ。「子どもの“成功”は親次第」というプレッシャーもハンパない。
国内最高峰と言われる大学に複数の子どもを入学させた母親の育児法(学習時間を捻出するために母親がドライヤーで髪を乾かしてあげると文字で読んだときには仰天した)はメディアでもてはやされるし、天才児の親、成功者の親は幼児期の教育法を紹介する。「スマートチャイルド」を育てようと、意識の高い親の多くは必死だ。
受験に特化した塾はますます専門性を高め、合格するために正解に最短距離でたどりつくための効率よい学びを提供する。そして、効率の良い学習法に巡り合えた優秀な子どもたちは、「子どもの能力を伸ばす」と評判の人気校に集まっていく。
子どもが勉強をし続ける根気があるかどうか親が自信を持てない場合には、経済力によって下駄をはかせる方法もある。私の知人では教育理念にほれ込んだ小学校に子ども2人を受験させるために「高級車1台分」の塾費用を払った人、のびのびとした雰囲気の学校に通わせるために3人の子どもの教育に年間800万円かけていると噂されている人もいる。
子どもの人生の選択肢を増やすためには、経済力、情報収集能力、育児リソース(実家のバックアップ体制など)がモノをいう。
ちなみにこのような傾向は、日本だけに限らない。
「“良い”教育=経済力」の構図は、多くの国で顕著になっている。
仮に自分の成育歴が育児に影響するのなら、男も女も農作業にいそしむ貧しいムラで適度に放っておかれ、勝手にやりたい勉強を見つけ、先生がすすめてくれた奨学金によって今よりずっと学費の安かった国立大学になんとか進学できた自分は、子どもを放っておく以外の方法を知らない。子どもにご飯を与えて抱っこをして体を使って思い切り遊ばせ、今日を無事に終えるための「ケア」はできるが「現代の教育の正解」を提供することができない。
学校の先生は昔のように「君の偏差値なら、このくらいの学校を受験しよう」とはアドバイスしてくれないから、親が主体的に学習塾を選び、進路選びをサポートしなければならない。
良い大学に入り、良い会社に入れば、一生安泰だと考えられていた頃には、学歴競争が過熱していた時代もある。多くの父親が「企業戦士」に徹する陰で、「教育ママ」が奮闘していた家庭もあっただろう。
一方、現代の「良い教育」とは、子どもが自分らしい人生を歩み、人生の選択肢を増やすための「生存戦略」という一面がより色濃くなっているようだ。そして、その戦略には金もエネルギーもいる。親と子が一体化して、教育のための情報収集をして、親が子どもを鼓舞し、叱咤激励し、共に進路を選んでいく必要性がある。
結果、平等と仲良しが建て前の教室の中で、子どもたちは、見えない競争に常にさらされている。
教育系メディアで、成功体験とともに頻出する親の言葉だが、はっきりいって、そんなケースはほとんどない。
教育基本法では「教育の機会均等」の条項に「すべての児童生徒に同一の教育を与えることを意味するものではなく、個人差に応じる教育を施すものである」という補足がある。この「個人差」が「経済力の差」「親の意識の差」となっている現実がある。