私には、おじがいる。母方のおじだ。
おじが住む実家には、私の祖父がいた。
祖父はいわゆる「昔の親父」であり、家庭内のケンカや酒のトラブルが耐えなかったようだ。
お盆や年末年始のあいさつに行っても、孫の私と会話なんかしない。
つまらなさそうにしている私に声をかけたと思えば、「納戸に行って酒持って来い」と言った。
そういうとき、おじは実を縮こませてちびちびとキリンの瓶ビールを飲んでいた。
夜更けに私たち家族が帰るときには、たいがい自室でゲームをやっている。
丸まった背中をこちらに向けたまま、「気をつけて」と言った。
おじにまつわること――このあたりの経緯も含めて――を、私の両親はあまり話したがらなかった。
だから私も、無理に聞こうとはしなかった。
あんなに怖かった祖父は、見舞いのたびにやせ細っていった。
「酒持って来い」とは言わず、「気をつけてやれよ」とほとんど呼気みたいな声で言うだけだった。
そういうとき、おじの話題なんてこれっぽっちも出てこなかった。
同時期に、母方の祖母が認知症になった。
弄便などはしないが、短期記憶はからっきし、というレベルの認知症だ。
介護をする私の家族が一番悲しんだのは、祖父が闘病中であることを忘れ「あんなのは使いものにならねえ」と大きな声で言ったことだ。
母方の祖父を慕っていた私の父は、拳を握りしめて耐えていた。
私は、もうおじのことは思い出さなくなっていた。
しばらくして、癌の祖父が亡くなった。
法事の運びを打ち合わせるために、おじは10年ぶりに地元の土を踏み、認知症の祖母と会った。
「母さん、久しぶり」とおじが言うと、祖母は「お前さんは誰だね」と怪訝な顔をして言った。
正座したおじは、黙って涙を流した。
祖母の傍らにいる母は、諦念の眼をしているように見えた。
葬式の日。
見舞いにも来なかったおじが読んだ喪主あいさつは、空虚だった。
精進落としが終わると、おじは逃げ帰るように誰も知らない棲家へ帰っていった。
来月は、祖父の一周忌だ。