2016-01-23

私には、おじがいる。母方のおじだ。

おじは、10年ほど前まで実家住まいだった。

 

 

おじが住む実家には、私の祖父がいた。

祖父はいわゆる「昔の親父」であり、家庭内ケンカや酒のトラブルが耐えなかったようだ。

お盆年末年始あいさつに行っても、孫の私と会話なんかしない。

まらなさそうにしている私に声をかけたと思えば、「納戸に行って酒持って来い」と言った。

そういうとき、おじは実を縮こませてちびちびとキリンの瓶ビールを飲んでいた。

夜更けに私たち家族が帰るときには、たいがい自室でゲームをやっている。

丸まった背中をこちらに向けたまま、「気をつけて」と言った。

 

 

私が小学校の頃、おじは実家から出て行った。

おじにまつわること――このあたりの経緯も含めて――を、私の両親はあまり話したがらなかった。

から私も、無理に聞こうとはしなかった。

 

 

それから10年ほど経って、母方の祖父が癌になった。

あんなに怖かった祖父は、見舞いのたびにやせ細っていった。

「酒持って来い」とは言わず、「気をつけてやれよ」とほとんど呼気みたいな声で言うだけだった。

そういうとき、おじの話題なんてこれっぽっちも出てこなかった。

 

 

同時期に、母方の祖母が認知症になった。

弄便などはしないが、短期記憶からっきし、というレベル認知症だ。

介護をする私の家族が一番悲しんだのは、祖父が闘病中であることを忘れ「あんなのは使いものにならねえ」と大きな声で言ったことだ。

母方の祖父を慕っていた私の父は、拳を握りしめて耐えていた。

私は、もうおじのことは思い出さなくなっていた。

 

 

しばらくして、癌の祖父が亡くなった。

喪主は、長男であるおじがすることになった。

 

 

法事の運びを打ち合わせるために、おじは10年ぶりに地元の土を踏み、認知症の祖母と会った。

「母さん、久しぶり」とおじが言うと、祖母は「お前さんは誰だね」と怪訝な顔をして言った。

正座したおじは、黙って涙を流した。

祖母の傍らにいる母は、諦念の眼をしているように見えた。

 

 

葬式の日。

見舞いにも来なかったおじが読んだ喪主あいさつは、空虚だった。

精進落としが終わると、おじは逃げ帰るように誰も知らない棲家へ帰っていった。

 

 

来月は、祖父の一周忌だ。

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