2011年12月31日、僕の父方の祖父、父の父が亡くなったと田舎から連絡が入った。
葬儀は三が日が明けた4日になるそうだ。父の田舎の風習で、先に火葬を行うとのことで、火葬を3日、葬儀を4日に行う予定だ。
父は長男なので、当然喪主となるべきところなのだが、数年前に脳卒中をしており、言葉と体が不自由だ。
近しい親戚がいるので、その親戚が喪主をすることになる。本来は長男である父がすることであるのはわかっているのだが、
挨拶が満足にできない、歩くのも立ち上がるのにも時間がかかる父が、喪主のような忙しい役目は果たせない。
親戚が喪主を務めることには誰も反対しなかった。大晦日の時点で、祖母もそれを了承していた。
我が家は田舎から離れているので、2日には現地入りができるように移動手段・ホテルの手配をした。
ここでも本来ならすぐにでも駆けつけなくてはいけないのだが、31日はまだ帰省ラッシュであり、新幹線も飛行機も取ることができなかった。
ここからが問題なのだが、1日年が明けた頃に親戚から連絡があり、父は出席をしないように、と母が言われたのだ。
田舎では、脳卒中のような病気で障害をもつと、狐に憑かれたとか、祟られたと思われるというのである。
父が脳卒中をして体が不自由なことも祖父母は近所に話をしていなかったそうだ。
そんな馬鹿な話があるだろうか。
実の息子である父が、障害を持っているからといって、葬儀に参加できない理由になるだろうか。
そりゃあアメリカだって創造論や神の存在を一般市民が信じているのだから、日本の片田舎の住人が狐の祟りを恐れていても不思議じゃない。
しかし、親の死目に立ち会えなかった父が葬儀に出れない理由にはならないだろう。
無理解ゆえの憤りを、これほど覚えたことはない。
もちろん親戚や祖母も、父には来て欲しい気持ちがあるのだ。それは分かっている。
だからこそ、世間の目のために葬儀に出席できないというのは、やりきれないのだ。
父は言葉が不自由だからか、葬儀に連れて行かないことを告げても何も言わない。
おそらく田舎の考え方が分かっているのだろう。しかし、葬儀に出たくないはずがない。
普通の家庭なら、親の葬儀にはなんとしても参加したいはずなのだ。どうかしている。
長男不在のまま、長男の息子として出席する。おそらく何かしらの役目を果たすこととなるだろう。
きっと会ったこともないような祖父の知り合いなどに、父は病気で来れない、とか嘘をつくだろう。
そう言うように、という説明を親戚なりから受けるのだろう。
どのような顔をして親戚や祖母に会えばいいのか、まったく分からない。
嘘乙。妄想乙。 本当ならそれお前の一家が嫌われてるだけや。 お前の親がテキトーに田舎の人たちを悪いってことにしたいだけや。