はてなキーワード: 喪主とは
http://anond.hatelabo.jp/20081220125045
父が他界したとき、家族全員はその現実を受け止めることができなかった。
家族全員が悲しみの絶頂に居る時、親戚一同がドカーっとやってきて、長男の俺が喪主になってて、
気がついたら親父は骨になってた。
ありがたかった。
家族らだけだったら、きっとずっと父が亡くなった現実を受け止められずに、本当に「今にでもムクっと置きだして飯はまだかと催促しそうで」
誰もいつまでも前に進めなかったと思う。
遺族に悲しむ暇をあたえず、忙しい中であっという間に故人の居ない現実に引き戻される「葬式」というのは本当にありがたいと思った。
贈り物の選定・配るのまで夫婦で共同でやって賀状は宛先のチョイス含めて夫担当っていうのは割とめずらしいんじゃないかな。妻に任せきりの夫は多いよ。
贈り物にしたって誰それちゃんが七五三でとか誰が還暦でとかそういうのまでちゃんと把握してるのは妻の方だけってケースがほとんどだと思う。
だから、そういうとこちゃんと分担してる増田は偉い。(それが標準になって欲しいけど)
通夜とか里帰りだとかいっても男連は当日やってきて居間でただビール飲んで食っちゃべってるだけで、女連は台所に常駐して事前準備から忙しく動いてるイメージだ。(喪主の男は忙しいと思うけど、自分ちから葬儀出してる訳じゃなくても参加者の女連は動いてる)
まあ、逆に本筋に戻って言えばこのビール飲んで食っちゃべってというのは親戚とのコミュニケーションという意味では一緒だけどね。
でもそういうコミュニケーションとってても、親戚の誰が何歳とかちゃんと把握してるのは女の方だけっていう場合が多いように思う。(把握する事を期待されてるのも)
元はそういう話だよね。
今、26歳。
自殺だった。
親友と呼べるほど仲が良かったわけではないが、中学で同じクラスだった時は、一緒につるんだりする程度の仲ではあった。
当たり前のように通夜に行った。
当時の同級生が、沢山集まっていた。
おそらく、故人の高校の時の同級生であろう、知らない奴も沢山いた。
皆帰りづらいのか、通夜振る舞いが終わるまでほとんどの連中が残ってた。
いや、通夜のマナーなんてのを、みんな知らなかったのかもしれない。
俺も、長居は禁物とは知っていたが、とてもじゃないが一人で帰る気にはなれなかった。
悲しいのももちろんだが、無性に腹が立った。死んでんじゃねぇよ。
見ろよこんなにみんな集まってるんだぜ。お前だけ死んでて来られないのざまぁwww 悔しかったらなんか言えよ、今すぐ来いよって気持でいっぱいだった。
結局、最後までいた友人たちと、その後飲み屋に行き、妙なテンションで飲んでから、ようやく帰った。
通夜に行った上に最後まで残っていて迷惑かけたのだから、仕事もあるし告別式は遠慮しようかと思っていた。
だが、職場の人も気を使ってくれて、告別式に出られることになった。
迷いつつも行った。出棺まで見送ったら帰るつもりだった。
遺族が泣いたりしているのを見たら、自分まで泣けてきた。昨日十分泣いたのに。
いざ出棺となって、バスに皆が乗り込んでいく。
気づいたら自分も一緒に乗っていた。
火葬場へ着く途中、俺はひどく場違いな気がしていた。
故人の親友と呼べるような連中は乗っていたが、果たして俺はどうだろう。俺は、友達ではあっても、親友と思ってもらえる程の仲だっただろうか。
火葬が終わり、遺族から順に納骨し、自分も骨を拾った。
自分が悲しみに酔ってる偽善者で、ひどく醜い存在のように感じられた。
悲しいのも、悔しいのも本当だけれど、それは今ここにいる資格足り得るだけの物なのだろうか。
同級生というだけで、ここまで付いてきて、遺族は迷惑だったのではないだろうか。正直、遺族の方は俺を見ても誰だかわからなかっただろう。その程度の付き合いだ。
結局その後、火葬が終わり、再びバスで戻って来て精進落としを……という段階になって、喪主の方に挨拶して、帰った。
もうこれ以上は居られなかった。
手をつけられず残ってしまう料理のことを考えると、「俺が最初から行かなければ、あるいはバスに乗らなければ、無駄にならなかったのに」とさらに後悔した。
http://anond.hatelabo.jp/20081114090156
これを読んで、ひょっとして自分はとても迷惑がられていて、失礼なことをしてしまったのではないかと、今更不安になった。
10年くらい会ってなかった親父がなんか末期がんなんだと。
いつ死んでもおかしくないんだって。
なんか手術するとは聞いてたけど。なに末期がんって。
最後に会ったのは大学はいる時だったか。
お袋から「あなたの父さんはもう長くないそうです、私の代わりに会ってあげて」みたいなメールがきた。
「あなたにとってはひとりの父親」とか書いてあんの。そんなの知ってるっつの。
今更 何話せってんだよ なんも言葉なんかでねーよ
親父の、その末期な感じの親父の姿なんて想像できねーよ まじで。
んで、なんか俺が喪主とかいってんの。
親父まだ死んでねーから。そんな話できねーから。
親父の事、ほんとはすげー好きだったんだな。
だからさ,未だに勝手に出てったこと許せてねーの。なんで一言言ってくんねーんだよって。
いつか言ってやるとか思ってたけど。でももう聞けねーの。もうなんかモルヒネとかで会話できねんだって。何だそれ。
今から面会に行く。病院ついたら絶対泣かない。
献体について詳しくは以下の財団法人日本篤志献体協会で調べられる。
献体の申込には本人のサインが必要。本人の体力が残されている間に行おう。
本人の希望であってもサインにはかなりの意志力が必要。ギリギリの状況だと本人にも周りの人間にも余裕が無いので修羅場になる。
今回はもう意識の回復が難しいのではないかという瀬戸際だったのでかなりやばかった。
できれば元気なうちに済ませておきたい。
献体登録には肉親者の同意が必要。5名分の署名と印鑑が必要なのでこれも前もって準備しましょう。
本人の親(今回だったら祖母)、兄弟などできるだけ反対しそうな可能性のある人のサインを集めます。
心が折れそうになったら「本人の希望、本人の希望」とぶつぶつ唱えましょう。
今回は郵送が間に合わず申込書の段階で遺体引渡しとなったが、書面がそろっていれば受け入れてもらえます。
最期を看取り、通夜や告別式の段取りが決まったら指定された連絡先に連絡。遺体引渡し方法などを打ち合わせ。
一般の火葬と違い、棺桶に入れたものは引き取り先で処分となりますので、極力いれないようにします。
あとは告別式後、一般の霊柩車と同じように迎えに来てくれます。
喪主挨拶など山場が続きますが、泣いてる母など見ていると逆に冷静になったりもします。
病院から出された死亡診断書を元に、区役所等で火葬許可証を作成します。
あとは郵送で火葬許可証を引き取り先に送れば手続きは完了です。
遺体はおよそ2年ほど、医療研究や解剖実習などに提供され2年ほどあとにお骨となって戻ってきます。
親父、ありがとう。最後のお勤めから戻ってくるのを待ってるよ。
先日、取引先のAさんという人の奥さんが突然倒れ
そのまま亡くなってしまったというので
亡くなった奥さんはまだ40歳。一人息子がいて今年17歳だとか。
息子は今時の茶髪の若者で、遺影の奥さんによく似た顔立ちだった。
喪主をつとめたAさんは突然のことに抜け殻のようになっていた。
3日に1度くらいしか家に帰れないという話は前にも聞いていた。
葬儀場からあふれんばかりの弔問客が訪れていた。
それだけ人がくればいろいろな話が耳に入ってくる。
もともと体が丈夫でなかった奥さん。持病もあったらしい。
体が丈夫な17歳の息子は、高校へも仕事へも行かずニート暮らしを満喫。
最近は半分引きこもっていたらしく、それをとがめた
奥さんに殴りかかったとAさんがこぼしていたこともあるという。
こわばったままの17歳の少年の顔が忘れられない。
これからも引きこもれるだけの経済的余裕があるのかどうかはわからない、
しかし、それまでAさん以上に彼の細々とした生活の面倒を
みてくれていたであろう人は、もういないのだ。
殴りかかりたくても、その相手は
巨漢(中学時代に相撲部屋からスカウトがきたことがある)のAさんだけだ。
彼は、これからどうするんだろう。
っていうスレを見た。
http://fsokuvip.blog101.fc2.com/blog-entry-424.html
男女に限らず結婚することによるメリットは、本当に最後まで一緒に居られること、それだけだと思うけどね。
いわゆる「内縁の妻」や「愛人」ってやつの扱いを思えば、わずらわしい手続きを取ったって結婚しておくことがどれほど大事か分かるはず。もし相手が死んだって、喪主にもなれない。へたすりゃ葬式に出席もできない。病気になったって堂々と見舞いにもいけない。手術の同意書にはんこも押せない。ってなんかそんなドラマあったな。離婚弁護士か。まあいいけど。
法律的に夫婦関係にあることが、二人が一緒に居ることの手助けになるんだよ。最後を看取ることもできないなんて悲しいじゃないか。わざわざ苗字変えてまで嫁ぐ意味はそこにあると思うよ。
先日、知り合いのお父様の通夜にいってきた。
喪主である知り合いのお兄さんは挨拶の途中で何度も言葉に詰まっていた。
その横で、お母様はずっとすすり泣いていた。
当の知り合い本人も、帰り際に挨拶した時、目を真っ赤にしていた。
これは当たり前の光景なんだろう。
そして俺は軽い自己嫌悪に陥った。
親父は会社を潰してから、昼間からよく酒を飲むようになっていた。
友達も無く、趣味も無く、一人で部屋にこもって酒を飲んでカネの計算ばかりしていた。
そうして酔っ払って家族に迷惑をかけた。
そんな親父を見てああはなりたくないものだとずっと思っていた。
やがて少し歳をとり、家を出て働くようになってから、そんな親父を許せるようになった。
俺も大人だし、たとえ自分の親に対してでも、寛大に、大人な対応をすべきなんだと思った。
そんな親父は俺を「一番優しい息子」だと言っていた。
俺は親父を上から見ていた。
そして、自分は親父と違う、俺は普通で、真っ当な人間なんだからと思っていたのだ。
そんな親父がある日突然死んだ。
義姉から朝早く電話があった。
義姉は電話の向こうで嗚咽していた。
葬式は本当に忙しい。
慌しく忌引き休暇は過ぎていった。
そして俺は自分のアパートに戻ってきた。
その時ふと、俺は実家に戻った最初の日の夜のことを思い出した。
親父が死んだと聞いて実家に帰ったまさにその日の夜、俺は兄弟とビールを飲みながらゲームをしていた。
それは、俺が帰省するたびにする恒例のことだった。
俺(と兄弟)は、親父が死んだと聞かされた夜に、いつもの帰省の時と変わらない夜を楽しく過ごしていた。
普通じゃない。
そうじゃなくても、普通ならしめやかな夜を過ごすのではないだろうか。
もちろん泣くかもしれない。
だが俺はこの一週間、泣かなかった。
それどころか、親父を想うことも無かったことに気がついた。
俺に電話をかけてきた義姉は泣いていた。
数少ない弔問客は、みんな泣きながら俺に慰めの言葉をかけていった。
なのに息子である俺は、特に何も想っていなかった。
久しぶりに再開した兄弟との再開を楽しんでいたのだ。
俺は自分が、自分こそは、普通で、真っ当な人間なんだと思っていた。とんでもない。
そして激しい自己嫌悪に陥った。
「親父さん亡くなって落ち込んでいるからさ。」と上司は言った。ああ、とんでもない。
俺は自分のために落ち込んでいたのだ。
俺は親父の死を想うことも出来ない人間なんだと自己嫌悪しながらもなお、親父のことなんか毛ほども考えてもいなかったのだ。
自分のことしか考えていなかったのだ。
ひどいもんだと思った。
それ以来、親を想って泣く人を見ると、軽い自己嫌悪に陥る。
そのたびに俺は、自分は普通じゃないんだからと、自分を慰めている。
こればっかりは、もうどうにもならないんだよと、自分に言い聞かせている。
http://anond.hatelabo.jp/20070315141026
うんうん
すごくよくわかる。
ちょうど先月に親父を亡くして、今日が初めての月命日だったので、そんな日にうっかりこんなもの読んじゃったもんだからスルーできずトラバしておく。
何人もの人が書いてるけど、俺も葬式ってのは遺族の為のものなんだと強く思った。
本当に眠っているようだという表現以外に思いつかない、ついさっき亡くなった親父の姿を見て明後日には焼かれて骨だけになるなんて想像もつかないし、何より悲しくて遺族はもうどうしていいかわからない。
そんなときに親戚や故人の知人達がザーっと押し寄せてきて半ば強制的に遺族に葬式というセレモニーを主催させる。
生前立派だった故人の名を最後の最後に貶めるようなことだけは出来ないから、こっちも対応に追われて必死になる。
気がついたら骨だけになって、遺族は故人のいない生活へと戻っていく(戻るって言い方はおかしいんだけど)。
葬式がなかったら、俺はたぶん父の死をなかなか受け入れられなかったんじゃないかと思う。
そこだけをとっても、親戚づきあいや世間様ってのはありがたいし、
俺にとっての葬式ってのは故人が亡くなって尚、俺たち遺族に立ち直るきっかけと自身の生前の付き合いをバトンタッチ出来る機会を与えてくれた、故人からの最期のプレゼントだった。
第三者にとっては無意味と思われる式かもしれないが、
それでも故人を偲んで訪れてもらうと、
遺族は忙しく出来るのでありがたいのです。
たぶん、喪主はしないんじゃないかなー。
しないで済むようにするよ。
そもそも、親族や家族は、俺が喪主するとは誰も考えていない可能性の方が高い(笑)
逆に出席したら驚かれるよ。
皆に理解されてる・・・のかな。
喪主をやった体験を話すよ。(もしかしたらこの辺だけの風習なのかも)
焼かれてしまった後に、焼けた遺骨と対面して、
「あー、こんな風になってしまった。儚いなぁ」って。
ここまできたら、きっともう泣かないと思った。
その後、遺骨を骨壷にみんなでいれるよね。箸で両端持って。
俺って不器用だから骨を落とさないように緊張してさ、
それでも力入れすぎて砕いたり、少し落としちゃったりで、
仕方ないから指で崩したの拾って、ごめんねごめんねといいながら骨壷にいれてさ。
んで、大腿骨とか長いじゃない。
当然あの小さな骨壷にはそんな長いのだとはみ出ちゃうわけさ。
そしたら火葬の係員の人がね、俺に木の棒を渡すんだよ。
「喪主の方、これで骨を砕いて入りきるようにしてください」って言うの。
もー堪えてたけどそこで泣いた。泣きながら砕いたよ。
亡くなってから、遺体が傷まないようにドライアイスで冷やされてさ、
こんどは火葬場で高温で焼かれちゃって、熱かったり寒かったりした後に、今度は骨を折られちゃうの。
木の棒でゴリゴリと。あれは辛かった。
二度とやりたくないと思った。
でも誰にやられるのもイヤだ。
俺がやってよかった。
まーその考えの良し悪しはどーでもいいとして、、
この先自分が喪主をやらなきゃならない状況になったらどうするの?
「別にどうでもいいけど、
めんどくさいし意味がないと思うから、出ない」って言うレベルで
別に死んでも葬式なって行きたくねー!!ってわけじゃないんでしょ?
あーこれは分かる。
自分も、以前はこんな儀式なんてやんなくていいんじゃないかとずっと思ってた。
結婚式は籍入れてから2年ぐらい挙げなかったし。
親がどうしてもやんなさいって言うもんだから渋々引き受けて式挙げたんだけど、ほんとにやって良かった。
みんなから祝福されて嬉しいっていうのもあるけど、自分の気持ちの中にくっきりと線引きができたっていうか。
「ああ、俺結婚したんだな」って実感を、役所に婚姻届出した時以上に感じられて。
葬儀だって同じことで、残された人が亡くなった人への気持ちに一本線を引いて、それぞれの人生を仕切り直す大事な場だと思う。もう「葬式なんか挙げなくていいよ」なんて言わないよ。