はてなキーワード: 唐揚げとは
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夜中の1時に目がバキバキに覚めて、しばし悶々としてから無性に鶏皮を食いたくなった。コンビニのホットスナックも深夜は枯れてるし、といって冷食で妥協したくもなかった。おれは鶏皮のパリパリ感が好きだ。
もう今じゃなきゃいけない、どうしようもなく鶏皮の口だったんでGoogleマップを開いてみた。駅前のトリキが5時までやってるらしい。あと10分だけスマホポチポチしてダラダラしようとタイマーをつけて、30分くらい経ってから家を出た。
友達いない上に飲めないから居酒屋なんて入ることはなくて少し緊張したけれど、数グループの団体以外に会社員風の男や学生っぽい若者の一人客もまばらにいた。騒がしすぎないし、静かすぎる事もなくて程よい。
オーダーがタブレットなのがかまいたちの動画で学んだ鳥貴族の美点だ。今はどこもそうなんだろうか。なんだか口にするのが恥ずかしいような頼み方でも、機械越しならそれもやわらぐ。と思っていたら席に通されて一杯目の飲み物は口頭で聞かれた。見栄を張ってアルコールにするか、0.5秒の間に悩みまくってジンジャーエールにした。坊や、ここにミルクはないぜギャハハハみたいな西部劇の酒場の画が浮かんだ。
当初の目的を思えば鶏皮チップスに大量の鶏皮串だけ頼めば良かったのだけど、それも何だか気恥ずかしかった。夜中に陰気なガキが一人で来てソフトドリンクを頼む。どうせ変な客だろうし、これ以上人目を気にすることもない。そもそも店員だって一々気に留めないと思う。せいぜいアイツウケると2秒間の話題になって終わりだろう。それでも居酒屋エアプなりにバランスを考えて一応キャベツとか頼んでみる。おかわりする予定もないのに。
タレのモモや一度も食べたことのなかったぼんじりを適当に放り込んでフィニッシュ。鶏皮は材料の不足で一人5皿までとなっていて、なんだ10本までしか食えないのかと落胆した。が、他にも割と頼んでいたので様子見で3皿にしておいた。
早々に来たキャベツと鶏皮チップスをボリボリ食いながら注文履歴を見ると、8品で3000円弱くらいだった。安いと言いつつそんくらいはすんだなと思った。それともおれが食いすぎなのか。学生の夜食には贅沢だ。
鶏皮チップスは結構硬くて、風味もおれの思い描いていた鶏皮と何かニアピンですれ違うような感じがした。衣の味が強く、といって塩味は控えめで片栗粉?の主張が強めな気がした。まあでも控え目にやってくる鶏皮の味は確かに喜ばしかった。キャベツもゴマ油っぽい感じを想定していたら割とサッパリした感じだった。想像とのギャップに戸惑いつつ、これも悪くないなと思った。おかわりするなら特に。
話し相手もおらず、と言ってバクバク食い続けても一瞬で手持ち無沙汰になりそうだったので、ややポリシーに反するがスマホポチポチしながら食うことにした。
呟きもまばらなTLを何度も更新したり、頭に浮かんだ言葉を検索してはタブを閉じる。片手間に鶏皮チップスをセーブしつつキャベツを平らげ、焼き鳥が届いた頃にジンジャーエールが無くなりかけた。
二杯目をどうするかぼんじりを食いながら考える。なるほど、ぼんじりとは骨が混じっているのか。イヤ異物混入か?と不安になってスマホで調べる。そういものなのか。まあこれならももでいいかなという感じだった。勉強にはなった。安チェーンのぼんじりなんて脂っこいだけと耳にしたことがあったがそんな印象はさほどなかった。
あとはごく普通のタレももをごく普通に平らげ、残すは鶏皮だけだ。他のもので腹を満たし、最後に好物を残すことで好きなもので腹一杯になった感を出す。よくやる戦法だ。
さてドリンクをどうするか。6串の鶏皮(塩)を見て、不意にこれはアルコールなんじゃないかと思った。
唐揚げにビール、刺身に日本酒、焼き鳥だってアルコールだろう。現物を目前にして、借り物の感覚が肉薄してくる。
一杯目はソフトドリンクで、腹にモノも溜まってる。過去何度かの経験から、これはまだ大丈夫なパターンではないかと思った。
メニューを開いてみる。どれもアルコールの含有量が書いてある親切設計だ。メガジョッキに向かう好奇心を抑えて富美男のレモンサワーを選んだ。
レモンサワーの素のおまけでついてそうなタンブラーがすぐさま運ばれてくる。そして念願の鶏皮串を頬張る。
恐る恐るレモンサワーで流し込んでみる。妙にしっくりくる感じがした。
キンキンに冷えてるからだろうか。塩味で舌がやられているのだろうか。はたまた馴染んでいるのか。あのアルコールのツンとしたイヤな風味を感じない。口の中のアルコール感が不快感に到達する手前で喉に流れていく。ゴクッと飲み下せる。
これならイケるからと言われて99.99もほろよいもバドのシャンディガフも上善如水も飲んで騙されてきたけれど、こんな事は初めてかもしれない。
別にジュースでいいといえばそんな気もした。そっちの方が美味しく食べられるような気もした。
美味しさとはまた別に、ジュースよりもしっくり来る感じもした。
腹も膨れてきて、最後の一串をほぼ水まで薄まったレモンサワーの残滓で流し込む。3皿にしておいて良かった。
1時間経たないくらいだろうか。喋る訳でもなく、チビチビやる訳でもなく、一人でただ食べるだけだと早い。寂しさはなくて、ただただ一瞬だったなとだけ思った。
会計を済ませると、ドアが開かない。押戸なのか引き戸なのか、はたまた出入り口を間違っているのか。軽く脳内で慌てていると店員が少し手こずりつつ開けてくれた。立て付けが悪いようだ。最後の最後で少し気恥ずかしかった。
帰り道の一服が妙にうまかった。くどいラーメンを食った後と良い勝負だ。キャッチのオニサンマッサージドに少し水を差されたような気になった。でも鶏皮は食えた。
前 https://anond.hatelabo.jp/20231231221401
あれは、F君が福祉課2年目の時だった。課内で飲み会があったのだ。肝心のお店だけど、和風か洋風かどっちつかずの、食い倒れ的な意味で名店と呼ばれるところを予約した。課のほぼ全員が参加する、夏場の納涼飲み会だった。
あの頃の俺は……異動した先輩の跡を継いで苦戦中だったけど、ようやくマトモに業務を進めることができるようになり、調子に乗ってた。後輩にもマウント取ってたかな。まだ当時は、マウントを取るというネットスラングは一般的ではなかった。
しかしまあ、俺はやはり調子に乗っていた。当時は、市内に軽く十以上はある社会福祉法人の指導や監査をする立場だった。会計報告も読み解かないといけない。その業務担当者になったのは、俺が史上最年少だった。
でも、仕事の負担はどんどん重くなった。特に、人間関係のトラブルとか、犯罪性のある監査事案になると実力が追い付かなかった。年を経るごとに消耗していった。躁鬱的な症状だ。
年を経るごとに、冒頭あたりで説明したような、よくない先輩方に近づいている感覚が出てきた。
飲み会の話に戻るけど、自分と若手複数名が幹事役だった。予算を考えるとか、お店を押さえるとか、当日の司会進行とか、みんなの注文を伺うとか、二次会の手配とか、上司のタクシーを呼ぶとか――増田社員のみんなもやったことがあるような飲み会の仕事だ。
納涼会にはF君も参加していた。こういう会だと奥の方で大人しくしてることが多い。協調性がないキャラだったから、どの上司もF君に幹事を任せようとしなかった。彼も任されそうになると断っていた。
予約した居酒屋は、料金に比して料理がたくさん出ることで有名だった。部屋に案内されると……広い客間の中に、テーブルをいくつも合体させたうえで純白のクロスが掛けてあった。みんなゾロゾロと椅子に腰かけて、料理を楽しみに待っていた。いや、サランラップがかかった刺身はすでにあったかもしれない。
食卓の見た目は洋風で、床はカーペットだったけど、部屋の造りは伝統的和風スタイルだった。参加人数は、三十人ほど。
飲み会スタートから数十分後のテーブルの上には、刺身の盛り合わせとか、おしゃれな豆腐とか、唐揚げとかポテトとか天ぷらとかフランクフルトとか、なんかもういろいろと並んでいた(高そうな料理もあったが名前がわからない)。食事的な意味で皿を片付けるのも難しかった。
俺と同年代の職員は幹事役で手一杯だった。注文の多い上司や先輩が多かった。福祉課長もその1人だ。毎回違うお酒を注文する。飲み放題メニューにないお酒の注文は、もはや基本だった。
そのうち、飲めや歌えやの大騒ぎになった。カラオケはなかったが、大声で民謡を歌う人はけっこういた。フローリングの上に敷いてあったカーペットが柔らかかったな~。もう長らく行ってないけど、今度地元に帰った時に行ってみよう。
F君は、端の方で大人しくしていた。たまに会話に混ざったりしてたかな。俺は参加者全員の様子を見てたけど、F君は基本こぢんまりと黙食していた。お酒は飲んでなかった。烏龍茶か緑茶のどっちかだ。
覚えてるのは、F君が年配の職員とか、臨時職員さんとおしゃべりしてたのと、あとは女性職員がおそるおそる彼に話しかけていたのを見た。会話の内容はわからなかったが。
F君は、隣の人の空になったビールグラスをサーバー(※樽の方だ。基幹システムの方じゃない)まで持って行って、注いであげてた。
うるさい飲み会だったけど、若いから気にならなかった。でも、嫌なことが数点あった。こういうのが、数年後に市役所を辞めたきっかけになる。
早い話、この福祉課全体の飲み会でひと悶着あった。ひとつはF君案件だ。その飲み会で片隅に座っていたF君が、近くにいた福祉課長や直属のグループリーダーその他先輩がいた席まで呼ばれた。「おい、ちょっと来い」と呼ばれてた。なんか最近、彼が失敗したことがあったらしい。
ところが、F君はストレートに断った。「行きません」だって。周りの空気が冷たくなったのを感じた。要は突っぱねたのだ。
それで、上司や先輩方と口論になった。周りは雑談してたけど、やっぱり気にしていた。俺達幹事はどうしようかって感じだった。そしたら、先輩方の態度が軟化してきて、F君のところに行って「まあ一杯飲めや」と勧めたのだ。そしたら、それも断ってしまって、また険悪な雰囲気になった。
でも、そのうち優しめの年配職員がF君の隣の席に移ってきて、「まあ飲みなよ」とお酒を注ごうとした。「グッジョブ!!」と心の中で感じたけど、F君は「帰りが~」と言っていた。聞き取れなかったけど、そんなことを言ってた。※F君は自転車かバイクで通勤していた。飲酒運転を気にしてたのではないか。
それで、そういう態度に憤った福祉課長その他数名が、F君のところに詰め寄ってお酒を飲ませようとしていた。下は、ほぼ福祉課長のセリフだ。印象的なやつだけを抜粋してる。
「帰りがバイクでもいいだろう。一杯だけでいい。飲め」
「ここは呑んでおく場面だ。呑まなかったら男じゃない」
「上の人から酒を勧められたら飲まないと。法律とかいう問題じゃなくて、社会の常識だ」
「お前。結婚してるか、する予定があるのか……ない? だったら、増田君の方が『上』の存在だよ。婚約者いるんだからな」※当時、俺は婚約中だった。
「結婚できない人間は、お前みたいに人間性に問題があるやつが多いんだよ」
といった、福祉課長その他の発言が心に残ってる。それでも断固とした態度のF君に、彼らは声を荒らげて、ついにグループリーダーがF君の胸襟のあたりを掴んだところで、「やめてください!!」と彼が拒否して……。
隣の客間にも聞こえていたと思う。はっきりいって大声だった。店員数名が「どうしました!?」と客間に入ってきたことで、それでようやく騒ぎは収まった。
かくいう自分は、どっちもどっちだと感じていた。双方とも行動に問題があった。まず、F君は協調性がない。お酒の一杯くらい飲んでもいいじゃん。限りなく透明に近い酎ハイとか作ってもらってさ。
上司や先輩方だって、アルハラなる言葉はまだ世間に浸透してなかったけど、さすがに飲酒運転容認はまずいだろう。
それからも、俺にとっては歯がゆいというか、嫌な飲み会風景が続いた。大体こんなところか。これでもだいぶ端折ってる。
※公務員の原則たる身分保障が働かないから、首を切られないように気を遣ってる
・女子職員がキャバ嬢扱い。女の子の場合、全員の席を周ってお酌は基本だった
・酔いつぶれて動けなくなった職員を店の駐車場に放置して帰ったこと
あんなことがあったが、F君は堂々としてたよ。その後にあった余興(参加者がひとりずつ挨拶と抱負を述べる。やりたい人は芸とかする)でも、超然として仕事の抱負を述べていた。「自分、まだまだだけどフツーに頑張ります」みたいな感じか。
堂々としていた。自分が正常な人間みたいに振る舞っている……微妙に笑いも取っていた。それを見てる人達は「おー」みたいな雰囲気になってた。
さすがに一発芸はしなかったけど、F君には芸があった。中学生の頃、ムジナ(アナグマ)の物まねをして剣道部の先輩連中に気に入られてた。「ムジナってなんやねん!!」て感じで。ムジナが身を低めながら、スウェーバックで後ろに下がって、また出てきて、身を起こして威嚇するポーズだった。
※ようつべで野生のムジナ(アナグマ)を見ることができる。「アナグマ ムジナ」で検索してみよう。
別に、そこまでF君に興味があったわけじゃない。ただ、あまりに珍しいというか。学校・公務員・民間を通じて、これまでに見たことのない存在だった。
その飲み会でも、確かにF君は浮いてたけど、でも完全ボッチチェリというわけではなかった。年配の職員とも、中年の職員とも、同年代とも、若い職員とも、数は少ないけどコミュニケーションは取ってた。料理の取り分けとか、空いたグラスや皿の片付けもやってた。もしかすると、発達障害とかパーソナリティ障害の人がする『擬態』みたいなやつかもしれないが。
飲み会が終わった後は、手配したタクシーに上司や先輩を乗っけて二次会まで連れていく仕事が待っていた。帰ろうとするF君を見ると、なんと杜甫ではないか!! 今日はバイクに乗ってないみたいだ。
帰り際に呼び止めて、F君とちょっと話をした。「今日は災難だったね」と言うと、「まあ、こんなもんでしょ。次に期待。料理うまかったし、無事に終わって神に感謝」という答えが返ってきた。ひどい目にあったのに他人事みたいだった。キャラクターが読めない。
それからF君は、上司や先輩から姿を隠すように、公道に出ずに駐車場のフェンスを飛び越えて(笹食ってる場合じゃねぇ!のやつ)、店の裏側にあった河川管理道に躍り出ると――そそくさと帰って行った。
まあ、問題職員(モンスター社員)のことばっかり書いてるけど、実際なんであいつらは発生するんだろうな。普通のイメージだと、モンスター社員が採用試験で間違えて採用される、といったところだろうか。
いや、でもわからない。もしかして、モンスター社員は採用試験を受ける時はまともな人間なのかもしれない。それが、組織の環境に当てられることでモンスターに変化してしまう――そういう見方はできないだろうか?
こんなことを書いてたら、とある書籍の記述を思い出した。書棚から引っ張り出して引用してみる。
組織の成員を変えようとするよりも、創造や革新を阻む組織内の要因を探った方がよいのではないだろうか。「現在の環境で、なぜ人びとは創造したり革新したりしないのか」という問題を提起すれば、正しい方向に一歩踏み出したと言えるだろう。ここで思い出されるのが、もはや伝説的存在となった著述家であり、いまなお精力的に啓蒙活動を続けるピーター・ドラッカーの逸話である。彼は企業の上級管理職向けの講演会で、社内に「無用の長物」を大勢抱えていると思うひとは挙手するよう求めた。多くの手が挙がったところで、ドラッカーは次のように尋ねた。「そのひとたちは、皆さんが面接を行い、採用を決定した時点から無用の長物だったのですか。それとも、入社後に無用の長物と化してしまったのですか」 P19 完全なる経営(2001) P.19 A.H.マズロー (著), 大川 修二 (翻訳)
25の誕生日からちょうど1ヶ月が経った日に初めて胃もたれした。原因は分かってる、ガリバタスタミナ丼とエビフライとイカの唐揚げと春巻きを
同じ食事で食べたからだろう。なぜそんな事をしたかって?知らないよ、プレモル飲んだけど
しかし、胃もたれとは想像以上に苦しかった。胃のあたりにまるで石でも入ってるのかと思うぐらい重いし、じくじく痛い。今まで母や兄弟の胃もたれを鼻で笑っていたが、こんなにも辛いとは思わなかった。ごめんよ、家族
仕方ないので横になって寝ながら、母親と話をする。そこで私はずっと感じていた疑問を母に聞いてみた「バブル期って貧乏人いたの?」と
母は笑って「いたよ、当たり前でしょ」と返す
とは驚かないが、私にとってそれは興味深いことだった。なぜならネット上の人間はやたらバブル期を「未来に期待できた」とか「日本が世界一だった」とか持ち上げまくるからである。
「そっか」
私はそのまま、目を閉じて はち きゅう じゅうでゆめのくにへ旅に出たのだった
カルディとかで買うのが面倒なので、自販機を駅前に置いてほしい
豆、粉を選べるし、その場で挽いてくれる。ブレンドもしてくれる。最高だと思う
味が落ちてもいいから作ってほしい
1つだけ買うのが気後れするので、自販機にすれば売れると思う
昔はあったのに、なくなったよね?
復活させてほしい!定番から期間限定まで取り揃えたら需要あるはず
その場で揚げてくれる。自販機内に油が入ってる。現代技術でなんとか作ってほしい
これは絶対流行る!その場で温めてくれる。冬限定。なんでないの?
チーズケーキは出来上がってて、おじさんの焼き印だけ直前にジュッとやってくれる
他にある?
少し前に高級食パン店の閉店ラッシュがニュースになり、今度は唐揚げ店と。
食品じゃないが、最近やたらと増えてるのがブランド品買い取り専門店。
ブランド品や貴金属買い取り 広島で増える専門店 地場業者と全国チェーン、熱帯びる競争 | 中国新聞デジタル
www.chugoku-np.co.jp/articles/-/296708
出店ラッシュはいつまで続くんだろ?これも結局ツルハシ屋が儲かるだけのパターン?
ウチの県でも高級食パン店の閉店ラッシュが済んだが、そんな中で増床の為に移転オープンした店があった。
思い出を語ってみる。俺はしがない社会人だけど、できるだけ面白くなるよう心掛ける。
あれは確か、2021年秋だった思う。当時も今も、うちの家の近所に老舗のスーパーマーケットがあってさ、朝早くに行ったら居酒屋だと刺し盛り2,000円だろ!! ってレベルの新鮮な刺身パックが売ってた。
それが楽しみで、週に二度通ってた。たまに、生マグロとかウナギの解体ショーもやってたけど、コロナ禍のせいで中止になってしまった。今でも再開されてない。
さて、ある秋の日の午前だった。いつものように刺身パックを買って、あと昼酌のためにビールも買って、そのスーパーマーケットのレジに並んだ。そしたら、いつもいる小柄な大学生ほどの女の子がレジを打ってたんだが……。
「あっ!!」
ここまできたら、恥ずかしいけど言うしかない。当時はそう思ったはずだ。
「〇△さん、髪切りました!?」
そんなことを言った。善意でも悪意でもなかった。思ったことを口にしただけだ。
するとさ、その女の子がさ、
「はい…切りました…」
って、悄らしい感じで答えるのだ。まごまごしてた。
その子に刺身パックとアサヒの缶ビールを手渡して、当時は有料化されたばかりのレジ袋も渡して、お会計で千数百円を出した。
すると、その子が小銭をレジに入れる前に、チャリーンと落とした。すぐに拾い上げた。慌てていたんだろうか、お釣りは受け皿に置いたけど、割り箸もレシートもくれなかった。
袋詰めコーナーで刺身をレジ袋に入れて、レシートをゴミ箱に捨てた後で○△さんの方を見ると、片手を後ろに組みながら、左足?のつま先で床を掘り返すような仕草をしてた。この場面は記憶に残ってる。
正直、気持ちが悪かったと思う。相手にとっても。俺にとっても。俺、そんなに若くもないのに……当時は31だったけど、やはり若くはないと感じる。でも、その時から俺はなんか、変わった気がした。
それから、チャンスがある時はその女性店員S子さんと雑談をした。俺のほかにおじさんやおばさんがレジ店員と会話してるのを聞いて、天気の話とか、メイクが変わったこととか、相手をちょっと褒めるのとかした。
S子さんが喜んでくれるのが嬉しかった。うざそうにしてたらすぐにやめたけど。
ひとつは、その年の冬だった。レジコーナーに行くと、レジ打ちの人の中に、背が高い20代前半ほどの女性と、もう一人レジ係がいた(2人組)。俺がレジに入ろうとすると、背が高い方のT子さんが、両手で無言でブロックサインを作った。
前を見ると、そのレジは止まってた。客と店員の話を聞くに、カード割引の電子決済トラブルがあったようだ。T子さんじゃない方の子がマイクスペースに行って店内コールをするんだけど、これは……「聞こえてないな」と思った。
チラッとT子さんを見た。不安そうな顔で立ってたよ。それで、俺は彼女に声をかけたのだ。「今の聞こえてないよ。あなたが社員さん呼んできたら」と言った。すると、T子さんは走り出して精肉コーナーの方に向かった。
社員さんがT子さんと一緒にやって来て、レジを操作して事なきを得た。夕方~夜だったはずだ。3割引の刺身を買っていた気がする。
次の来店時から、T子さんのレジに並ぶと会話が弾むようになった。ピアスとか、イヤリングとか、シルバーリングとか、いろいろ付けてる子だった。アクセサリーの話もしたし、進路のことも話したかな。
ある日の夜だった。半額ハンターとしての役目を終えてレジコーナーに向かうと、そのT子さんのレジの隣に、先ほどの背が低い子(S子さん)がいた。俺は何も考えずにT子さんのレジに並んだ。
そしたらさ、それを見たS子さんがどっかに走って行くんだよ。サービスカウンターっていうのか、お歳暮や地元の土産物が置いてあるコーナーだった。
S子さんに悪いことをした。罪悪感が込み上げてきた。確かに、S子さんとはたまにしゃべってた。会計の時、「こんばんは」「雨が多いですね」とか一言二言くらい。
でも、当時の俺にはそういうのが非常識だとわからなかった。今思えば恥ずかしい。穴があったら入りたいよ。
T子さんとは、それから偶然スーパーの駐輪場で一緒になって、そしたら話が弾んで、電話番号を交換して、一緒にご飯に行った。それから何度も、いろんな場所に連れて行ってあげた。いい子だった。
付き合ったのは半年だったけど、いい思い出だった。先日、バッタリと会う機会があった。おいしい物を奢ってあげた。
残りひとつはコンビニだ。あの当時、近所のコンビニでも女性店員と話をしていた。どっかの遊戯王のキャラクターの台詞じゃないけど、「お前、キモイだろ!!」みたいな感じだった。
当時はまだ、T子さんとの付き合いに発展する気配はなかった。というか恋愛に興味がなかった。でも、コンビニの店員に声をかけてみたいと思っていた。愚かだった。
そのコンビニには、姉妹同士と思しき店員が働いてた。一緒にシフトに入っていることが多かった。そのコンビニは、時間が経った店内調理品を値下げするタイプだった。俺がさ、仕事帰りに唐揚げとかカレーパンをまじまじと見てると、姉の方は目の前で割引シールを貼ってくれた。控えめに見て神だった。妹さんは接客がしっかりしてて、とても高校生には見えなかった。
その姉妹とか、ほかの店員さんとも会計の時に話をしてた。十秒以内だけど。天気の話とか、好きなホットスナックとか、見た目が変わったこととか、他愛のない話ばかりだ。
師走の頃だったか。いつものようにコンビニに入ってヤングジャンプを読んでたら、なんとお廻りさんに呼び止められた。「ちょっと来てください」と言われて、パトカーに乗せられた。コンビニの駐車場に1台だけパトカーが停まってるのって、なかなかシュールだったよ。
・ほんとに変なことしてないよね?
それで、パトカーの中で詰問が続いた。俺が犯罪をやってるみたいな決めつけだった。正直ムカついた。だが、相手はお上だ。忍耐しか勝たん。唯一の道だ。
お巡りさん(ポリツァイ・若)に、「あ…そうだ。身分証見せて」と言われた。俺は免許証と一緒に、名刺入れの中から地元町内会(子ども会の役員)の名刺を出した。
「会社の名刺はある?」とお巡りさん(ポリツァイ・老)に聞かれたけど、「土木作業員なんで持ってないです。この見た目でわかるでしょう」と答えた。本当は地元区役所勤め(※時々作業着を着用する事務吏員)だったから名刺を持ってたけど、見せたくなかった。
だって、こいつらは俺のことを犯罪者扱いしてる。それこそ小学生の頃から地元一筋で生きてきたのに。横浜の田舎だけど此処が本当に好きで、ずっと地道に活動してきた。子どもながらに地元のイベントの手伝いを何度もした。大したレベルじゃないけど地元に貢献してきた。
だから、高三の時に区役所の試験を受ける時だって、祖父や実父が顔を利かせてくれたし、学校の先生や、剣道部の監督やコーチだって、学校単位で推薦状を書いてくれた。「できることはやった。試験がんばれ」って応援してくれた。
(以下追記)
※誤解があったらよくないので弁明する。地元のために活動してる人が公務員試験で有利になるのはありうる。ルールに書いてないだけで。実際、俺以外の採用者を見る限り、地元枠というのが明らかにある。ルールに定めはないけど、故郷を想う人を優先するのが地方公務員試験のあるべき姿だと思う。国の機関だったら、外務省は非公式ながら縁故採用してるじゃん。国にとって大事な家柄や血筋の人を採用してる。それくらい、社会では『つながり』というのが重要視される。
まあ、警察官に疑われたのはいいよ。実際、俺は悪かった。だけども……お巡りさんは通報を受けたので仕方ないにしても、問題はあのコンビニの店長だ。一応、顔は知ってるけどさ。
同じ組内(くみうち)なのに、あの人は町内の溝上げにすら参加しない。お前がひい爺さんの代から経営してる商店(コンビニ)の前の水路、俺らがさらってるんやぞ?? と、急に怒りが込み上げてきた。
子ども会の行事での弁当発注とか、イベントが終わった後の飲み会で地元店を順繰りに利用してるのを思い出すと、さらに腹が立ってきた。
そんなこんなで、職務質問は15分ほどで終わった。あの時、子ども会の名刺を見せた途端、警察官二名の対応が一気に緩くなったのだ。以降は和やかムードになった。
その一人(ポリツァイ・老)は、俺の祖父を知ってるみたいだった。「あー、連合会長さんのお孫さんなんですね」って感じだった。「今は故人です。お世話になりました」と言っておいた。
漸くパトカーから解放されて、警察官に連れられてコンビニの中に入ると店長さんがいた。それで、出入り禁止を告げられた。
「……そういうことなので。今後のご利用はなしでお願いします」
「わかりました。そうします。すいませんでした。ただね、店長さん。そう思ってたんなら、話をしてもらいたかった。いきなり行政ではなくてね、同じ町内なんだから。店員さんに話しかけるのが迷惑なら、まずは言ってほしかった」
「はい……では、すいませんが。今後はご利用はなしということで。お願いしますね」
「わかりました。もう利用しません」
言うまでもないが、子ども会関係の発注リストからあのコンビニを無くした。町内会の寄り合いでも情報を共有した。利用客とトラブル解決の話し合いをせずに警察に通報する店があったことを。俺はあの時、嫌な気分になったし、地元民同士で腹を割って話し合えないような者と付き合いたくない。
子どもの頃を思い出した。昔、俺の爺さんの世代なんかは、何かあるごとに皆で公会堂に集まって、午前中に話し合いが始まって、昼になろうと、日が暮れようと、夜になろうと、ずっとやってた。話すことがなくなった人から家に帰っていくスタイルだ。夜を跨いだ場合、太陽が昇った直後だと討論組と雑魚寝組に分かれていた。
あの人達は、とにかくずっと腹を割って議論し続けていた。そういう農民のDNAが身体に刻まれていた。それが、この組内(くみうち)のしきたりだ。百姓の世界の決まりを押し付けるみたいで悪いが、腹を割って話し合いができない奴とは仲良くしたくない。
でも、俺が悪いのは間違いないと思う。だって、俺があの姉妹店員に話しかけなければ、こんなことになってない。悪いことをした。申し訳ない。もし祖父が生きてたとしたら、俺はすごく怒られていただろう。「他人に迷惑をかけたらいかん」って、絶対に怒られてる。俺が悪かった。反省してる。
今はこんなことはしてない。大人しく買い物してる。あのスーパーは、今でも週に何度か利用する。買う物はずっと一緒だ。新鮮な刺身と、アサヒビールor焼酎を少々。あとは半額総菜。黒烏龍茶のインスタントパック。冷凍食品。そんくらいしか買う物がない。実家暮らしだからな。
結局、子ども会関係のコンビニへの発注分は、こっちのスーパーに移ることになった。大資本がやってるスーパーマーケットではあるが、地元に税金を払ってるならいい。
いつまで経っても同じ生活を繰り返すのだと思う。今週もいつもどおり、あのスーパーマーケットで何度か買い物をする。それで、日曜日には水路の清掃とか、子ども会の伝統行事とか、ほかの地区と合同で〇△フェスティバルをやったりする(小中学校の校庭でやるお祭りetc...)。
あとは、そうだ。いつか必ず、子ども会の行事として劇団四季のミュージカルツアーを企画してみたい。今思ってるのはそれくらいかな。
こんなことをして一生が過ぎていくんだろうな。そして地元で死ぬのだ。できれば祖父みたいに、実家で死にたいな。朝起きたら死んでいるのがいい。
話は散らかったが、懺悔を聞いてくれてありがとう。すっきりした。増田の皆さんがよい週末を過ごせるように祈ってる。
追伸