はてなキーワード: 公開処刑とは
Googleカレンダーに『区役所 マイナンバー』とあった。
私(……はて?)
東武東上線で区役所へ向かいながら、私は記憶をまさぐる。最近、物忘れが激しい。
夢見る季節はとうに越え、気づけばサーティーをアラウンドするオッサンになってしまった。
列車内のオッサンたちを見る。覇気がない。きっと私も死んだ顔をしているのだろう。
……そうだ。顔写真付きマイナンバーカードを区役所で受け取るのだ。
何人のエンジニアが落命したのだろうと思いながら、ネットで受け取り予約をした。死んだオッサンの顔で思い出したゾ。
区役所の窓口は老人ばかりだった。
酷い混雑。職員と臨時パートと思しきオバちゃんがてんてこ舞いである。
予約せずに来る老人。情報漏えいが不安だとキレる老人。通知のハガキなんて知らないとキレる老人。このシステムはまだエンジニアの血を吸うだろう。
小役人(こいつもオッサンである)が突き出した写真付きマイナンバーカードには、見知らぬ兄ちゃんの顔が貼り付いている。
私(だ、誰だ、お前は!)
薄ピンク色の脳がスカスカになりつつある私は、兄ちゃんの正体を推理する。
幼さが残る目元、血色の良い頬、フッサフサな頭髪。
まるで東京に心を壊される(NOT 比喩)前の、上京を控えた初心なカッペではないか。
私(……私だ)
私「わ、私だぁ!」
イケないアンチエイジングではあるものの、嘘ではない。写真は私である。少しばかり時を駆け過ぎただけだ。
増長した役人は、私が差し出した運転免許証(今の顔)もスキャナに。
老人たちの前で公開処刑された私に、ゴミを見るような眼差しを向ける小役人。同じオッサンである私を憐れんでいるようにも見えた。
小役人「これ、書いてな」
渡された書類は始末書……ではなく、登録抹消・再申請の用紙だった。データベースの若い私を一度ポアし、オッサンの私を申告しろとのこと。
再申請用紙には『3.5cm×4.5cm』のオッサンの顔写真を貼らなければならない。
……思い出したゾ(2回目)
私は物持ちが良い。スピード写真のストックは中学生の自分もとい時分から大切にとってある。
そして『3.5cm×4.5cm』という中途半端なサイズのスピード写真が、高校生の時のそれしかなかったのだ。私は何の躊躇いもなく、無慈悲に""若い兄ちゃん""を郵送した。
http://b.hatena.ne.jp/entry/toyokeizai.net/articles/-/103434
都市部において両親が高学歴の富裕層か教育熱心な家庭に生まれ、中高一貫の名門私立学校出身者にとっては最底辺の進学先であろう。
それでも私にとってそこに入学できたのは強運と努力と才能の結実した成果であった。
私は中学校では50人中だいたい2番だった。
高校は地元の相対的にはいちばんいい進学校にいき、成績は控えめに言っても360人中だいたい5番以内だった。
その進学校は地域全体で約2000人のうち上位360人が集まるので、合わせると5番/2000人で上位0.25%ということになる。
地方出身者は、首都圏や関西の金持ちなら鼻で笑うようなFランク大学に上位0.25%しか入れないのだ。
日本の大学入試制度は一見すると平等な試験選抜であるが、それに特化した訓練を受けられるかどうかという点で大きな不平等があることを、エリート達は知らない。
塾で真ん中より上なら開成とか灘に合格できて、高校で真ん中より上なら東大法学部なんか楽勝だった奴らが国を仕切っている。
私も上述のように田舎の出身ではあるが、それでも普通科の選択枝が複数ある時点でだいぶ恵まれていたし、両親もいちおう大卒で教育意欲は高かった。
ちなみに中学までの同級生のうちで両親が大卒なのは私だけだった。
ちなみに私が通った大学では、入学後の成績順位が試験のたびに開示されるが、成績上位者はのきなみ地元ローカルトップ高出身で、
成績下位者は一流進学校出身者が占める、みごとなまでの「高校偏差値との逆相関」が見られる。
極限までお受験マシーンとしての能力をブーストされた者と、田舎で競争相手にも欠くような者たちが、
大学入試で結果的に同じ成績を残したのであるから、伸びしろは言わずもがなというわけだ。
しかし田舎の貧乏人に進学のチャンスを与えることは、ポテンシャルの高い人材を上に引きあげるある種の効率を改善することに繋がり、その余地はまだ残されている。
日本の学校教育では「不平等に見えること」が何よりも嫌われ、成績の開示や成績優秀者の表彰などを大々的にすることはないし(運動会で運動音痴の公開処刑はするくせに)、
公立校では進学校ですら進学実績を売りにして生徒を募集することがタブーである雰囲気すらある。
しかしそうした消極的な姿勢によって、塾や私立学校などの有料コンテンツでブーストした層が大学受験を勝ち抜きやすくなり、
格差と階級の固定という、より好ましくない事態が生まれている。
よりチャンスの公平な社会と効率的な人材育成のために、初等教育から徹底した到達度別のクラス分けや飛び級・留年を採用するなど、学力と家庭環境の相関度を下げる改革が望まれる。
詳細は他にゆずるが、階級流動性の高い社会では教育予算が多く、人口に対する教師の割合が多く、公立校でも能力に応じた授業が提供されるなど柔軟性が高い。
(出典がすぐ出せない、たしかシノドスか何かで読んだ、あと森巣博の本とか)
ちなみに私の出身大学は失楽園の著者と同じで、出身高校は極楽とんぼの太ってない方と同じだ。
あと学歴社会の是非は問わないでください。高学歴を是として、高学歴が高収入を得られるのを前提にしないと話がややこしくなるんで。
とりあえずざっくり抜き出した。
-スクショ:ログレスのチャット(世界チャにクズ注意喚起、個チャに引退勧奨凸)
-スクショ:なし
-検証:
-がぶ飲みコーヒーさんはLobiに篭って家庭相談。フラニーさんとのプライベートも相談?してるならクズ。
-情報網すごい発言からクリオネの誰かからフラニーさんに相談内容が漏れてるはず。
-漏れてない可能性も。情報網があたかも情報収集したと見せかけ。でっちあげ。
-家庭問題でフラニーさんを利用できることがあるか。利用して離婚?
今回の騒動で、ジャニーズファンとかSMAPファンのコメント・ブログなどを見ていて怖いなと思ったのは、彼らの中では「SMAPがどんな形であれ存続すること」が自分たちの望みではなく、SMAPメンバーの希望であることになってるらしいところだな。
見るも無残な公開処刑に甘んじたのも、全部本人たちが夢のために耐えていることだから、買い支えるのは彼らの夢を応援することに他ならない、と。自分の夢とメンバーの夢が一致していると思い込んでいるように見える。
この元増田も、「ジャニーズの中で待遇が良くなること」が自担の希望であり夢であると、信じているのではないだろうか。
もちろんアイドルになろうという少年たちだから、最初はそういう気持ちが大いにあるだろうけど、SMAPくらいの年齢と立場になっても同様だと思うのはどうなんだろう。
アイドル相手じゃなくてもあり得ることではあるが、数人のメンバーに対してそういうファンが数万、数十万という単位で存在するかと思うとかなり怖い。
繋げたというより、繋がったに読めるけど。
フラニーさんがクリオネ情報網のおかげでコーヒーさんがクズだって分かったという言動に対して、コーヒーさんはLobiで悩み相談しただけみたい、おかしくね?というのが後になって発覚してワイワイお祭りしてるように私には見える。
1. Aさん本人が直接伝える
2. 周りが間接的にAさんのことを伝える
2.1.1. 周りがAさんから直接聞いた内容を、周りが間接的に伝える
2.1.2. Aさんから直接聞いた誰かから周りが情報を入手し、周りが間接的に伝える
2.2.1. 周りがでっちあげた内容を、周りが間接的に伝える
2.2.2. でっちあげた誰かから周りが情報を入手し、周りが間接的に伝える
フラニーさんがクリオネ情報網のおかげって言うからには2番で、コーヒーさんはLobiで悩み相談してるんだから下のどれか
2.1.1. クリオネ情報網(ギルメン?)がLobiで受けた相談を勝手に伝えた
2.1.2. Lobiで相談受けた誰かからクリオネ情報網が情報を入手して、それを伝えた
2.2.2. でっちあげた誰かからクリオネ情報網が情報を入手して、それを伝えた
2.1.2、2.2.2だとクリオネ情報網はなんとも言えないけど、これをもってコーヒーさんを公開処刑たのし〜してるフラニーさんのスクショ見たらどう思う?
自分が浪人したくせにMarchしかいけなかったからしょうがないんだけど私語が酷い。
普段優しい人が怒るとほんと怖い。喋ってた男子二人組をみんなの前で晒し者にして説教してくれた。
俺みたいなボッチは心のなかで拍手したと思う。絶対あの教授のゼミに入りたい。
胸糞なのは男子が可哀想、あそこまでやる必要ある?とかいう擁護が多かったこと。
もうひとつはかなり胸糞悪い。
教授が自分をコントロール出来ない発達障害について講義した日からパタリと私語がなくなった。
障害っていうレッテル貼りを使った教授も、それに屈した学生どももおかしい。
夏休みになるとなぜかいじめられていたときのことを思い出す。ただ思い出すだけならいいものの、ひどいときは外出したくなくなるくらい引きずることもある。
そんないじめの体験を少しだけ書きとめることにした。
いじめられていたのは小学校のとき。わたしが住んでいる市は治安がそこそこ悪く、暴走族のエンジン音がうるさくて眠れないこともしばしば。いわゆるDQNが多いのだ。
そんな市の小学校が大人しいわけもなく、私の学年は特に荒れていた。小学1年生のときから落ち着きがなく、自由にトイレに行ったり立ち上がったり大声で話したり、そんなクラスだった。もちろん当時はそれが当たり前だと思っていて、異常だと気付いたのは中学に上がった時だった。
私の学年には問題児が3人ほどいた。全員サイコパス的に人を傷付けるのが好きだった。とにかく暴力、暴力、暴力。「キモイ」「死ね」そんな言葉は挨拶のように飛び交っていて、私自身もその言葉を使っていた。
小学1年生は無事に過ごしたが変化が起きたのは2年のときだった。問題児3人のうちの1人と同じクラスになったのだ。
暴力は止まらない。女子生徒のお腹をごく普通に蹴ったり、弱々しいヲタクっぽい男子生徒を終始嘲笑っていた。教室はいつも異様な雰囲気で、ドラマ「女王の教室」のような、いつだって薄暗い煙に覆われているようだった。
何度目かの席替えをして私の隣になったのは彼だった。毎日息を殺して過ごしていた。彼は癇癪持ちで、どういう言葉で行動でキレるのか全く分からなかった。とにかくすぐキレる。自分にその矛先が向かないよう、死んだように過ごした。
そんなある日、私は彼がやけに大人しいためチラチラ彼の様子を伺っていた。「今日は大人しい。よかった」そう思うのもつかの間で、彼は「何見てんだよ」と怒りだし15cm定規で背中をバシバシ切るように叩いてきたのだ。痛い、痛い、痛い。わたしは泣かなかった。担任の先生が気付くまで、彼の怒りがどうか静まるように彼の気分をこれ以上損ねないためにも必死に黙っていた。
担任の先生が止めてくれた。けれど注意はしない。それがこの学校の先生の特徴だった。
それから悪魔の日々は続き、6年になっても問題児3人の行動は落ち着くことなく、むしろ取り巻きを従えてエスカレートしていった。
彼らの独占国家だった。先生たちは助けてくれない。親に言ったらクラスのみんなの前で公開処刑のように暴力を振るわれる。その場にいる先生は、「やめなさい」と諭すように言うばかりで体を張って止めてくれたことなどなかった。彼らに怒鳴り散らすことは一度もなかった。
いじめ王国にすっかり慣れきったわたしは、誰にも心を許せなくなった。男子生徒の暴力と暴言のいじめの他に、女子生徒の陰湿ないじめがあったからだ。
ある一人の女子生徒は王女のようだった。自分の言うことは絶対で、とにかく人を支配したがっていた。今でもその子の名前と同じ名前の子と話せないほど、その女子生徒は私のトラウマだ。
「明日から〇〇ね」まるでゲームのようにそう告げられ、翌日から無視する女子生徒を決める。ターゲットになった女子生徒と喋りでもすれば自分がターゲットになる。その恐怖でわたしも無視をしていた。仲良かった子さえ守れなかった。彼女は不登校になり中学も学校には来なかった。わたしはいじめ加害者だ。
わたしは誰とも話さない日々が増えていった。誰かと話せば話す分、自分がいじめに関わることになる。学校ではクールぶっていた。けれど家では、母にも父にも言えない苦しみを夜、クッションに押し付けて声を殺して涙を流しながら、「死にたい死にたい」と呟く毎日だった。その時の私はまだ11才。
親友がなにかのきっかけでクラスのいじめのターゲットになった。明るくいい子だったのだが、問題児には気に食わなかったんだろう。いや、理由なんてない。ただゲームをするように、アリを潰すように、意味もなくそのこをターゲットにしたのだ。
彼女しか友達と呼べる友達がいなかった私は、彼女と話すことで彼女を守ろうとした。しかし、いじめはエスカレートするままで、ついには彼女が登校してきた瞬間に彼女の机を彼女に向けて思いっきり投げつけた。
その日の教室は地獄絵図だった。女子生徒は号泣、他クラスから先生が飛んでくるものの、問題児の怒りの叫び声は止まらず、「あ″ーーーー」という雄叫びと共に周りの生徒を片っ端から殴る蹴るの暴力。わたしは泣きもせず、ただその光景から目を伏せていた。
先生は何もしてくれない。小学校で学んだことはそれだけだ。担任の先生は決まって問題児の生徒をなだめるだけで、先生もまた恐れていた。しかしストレスが溜まって、理不尽な怒りが問題児以外の生徒にぶつけられることもあった。授業中に「死ーね死ーね」と叫ぶ問題児には愛想笑いするくせに、少しおしゃべりをした生徒を授業時間中ずっと怒っていたことがあった。先生も狂っていたのだろう。
今となっては少しだけ担任の先生に同情できるものの、当時の恨みは消えることがない。
問題児を始め、いじめを率先して行っていた人や助けてくれなかった先生たちは全員不幸になれと思っている。
小学校のときの思い出がない。笑って話せる話はなく、小学校の横を通るとき過呼吸になりながらバレないように下を向いて涙を流す。
女のいいところでもあり、嫌なところでもあるよね。
男集団は同性に甘いし、DQN行為が武勇伝とか男らしいと称賛されることもあるから
同性がヤンチャ(笑)してても野放しにしたり、面白がって尻馬に乗ったりする。
男の方に犯罪や公開処刑的イジメが多いのは、こういうとこも一因になってる気がする。
やんわりと同性を批判する男がいても、表立って事を荒立てることはあまり無い(ように思う)。
女集団は、同性がちょっとでも、女らしさの規範から逸脱した行動をとったりすると
他の女から「私も女だけど、女から見ても貴女みたいな女ってイタイと思う」
ってかんじで同調圧力がかかる。
そのおかげで女の方が犯罪は少ないけれど、生きるのが息苦しいと思うことも多い。
出版社。
10:30始業
16:30終業
無駄に高学歴な大学は出たが、いわゆる就活で入りたかった企業全部落ちた。
やけになってセンターで一番年収高い新卒募集でIT系以外を選択した。
最終的にそのデータは本になる。
月に数日この仕事があって、あとは挨拶に来る業者の応対くらい。
社長は自分はもっと高学歴なくせにやたら学歴しかない俺を自慢する。
つらい。
ニコニコのゲーム実況見たりしてると社長が「音出していいよ!」とか言ってくる。
最初はさぼんなって公開処刑かと思ったら、最近は普通に社長が音出してゲーム実況見てる。
パーティションが結構遮音するので気になるレベルではないが…。
つらい。
まじめに仕事しようにも、今の規模で今のビジネスを継続することが社是なのでどうにもならない。
でもここやめても他なんて絶対取ってくれない。
社長だけ一人にこやか。
つらい。
9.11のときもそうだった
3.11のときも同じだった
大勢の落ち度のない市民が亡くなっても、いまの自分のことで頭がいっぱいいっぱいなんだ。
暴力を受けていて、周囲からいじめられて、周りに残酷な言葉をかけられ続けて、社会に適合できない環境で育った。
そして、病気になって、更に検診で病気がまた見つかって、心が壊れてしまったら、どこの誰が不幸な目に遭って惨めに公開処刑されようと心が痛まない
ああ、そういう選択でそういう死に方だったんだねって・・・そっか、地球の肥やしになったんだねって・・・それくらいの感想。
そして自分も、これからあと数十年はどんな過酷環境でいかにみじめな死に方するのかものすごく興味深い。
弱い立場というか、人より何もかも劣ってて、ヒエラルキー最底辺にいる身として、心がとても貧相になってる自分を知っている
犠牲者を追悼するって言える人って心がきっと暖かいんだろうね。たとえそれが見た目つくろう言葉であっても。おれはとても言語化できない
31 ソーゾー君 2015/01/26(月) 17:52:05 x0iD2X82
頃されたって事にする計画だろうな。
特に湯川だった?傭兵とか武器商人とかやってる怪しい奴なんだろ?
どう考えてもイスラム国の仲間だ。
湯川は頃されたって事にするだろう。
後藤は状況次第で変わるだろう。
頃した方がやりやすいだろう。
計画は前スレで書いた通りになる。
目的は単純
2「アサド政権を叩き潰して欧州の銀行家の傀儡政権を作る事。」
2億ドル程度のはした金で満足する分けねーだろ?
そんなはした金でシリアを絨毯爆撃出来ると思うのか?
要するに「シリア騒動にどうやって介入するか?」なのw
2「ゲリラ戦でシリア国民とシリア軍虐殺とアサド公開処刑担当はイスラム国(反政府軍=イスラエル)」
「アサドとシリア国民が言うこと聞かないから頃して傀儡政権を作れ。」
↑こう言うだけ・・
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1422199606/
かつて江戸と呼ばれていた地は明治維新と呼ばれる革命によってTOxKYOに改名された。
一般に明治維新は無血開城とされ、極めて平和的に遷移したと言われてきたが、近年の調査によって、これは新政府による隠蔽工作である疑いが強くなった。
当時の江戸は人口が100万人を超える世界に類を見ない超過密都市であった。
狭い路地を傘をさした人同士が行う傘かしげなど、微に入り細に入り生活を規定することで、余計な争いを避け、超効率的な生活を維持するために発展したと考えられている。その規定数は定かではないが、精力的な研究によって発掘が続けられ、年々数を増やしている。
(日本橋のたもとには公開処刑場があり、重篤な違反者は首を切られ晒し者にされた)
竹鋸引きという江戸しぐさは、犯罪者の腹を竹でできた(故になまくらな)鋸で切り、通行人がこれを引くことで、犯罪に対する抑制と反省を促した。
また、えすかれーたー両側のりという江戸しぐさは、エスカレーターの本来の仕様である、両側乗りをしために、後から駆け上がってきたサラリーマンに舌打ちされながら押しのけられるトラブルを避けるために決められた。
なぜなら、江戸しぐさを生み出し、守り伝えてきた江戸っ子は、明治維新後の政府によって虐殺されたからである。
明治政府は古いしきたりが明治政府の支配に悪影響を及ぼすと考え、これを棄てることを迫った。反対する者は尽く虐殺して海に投棄したと言われている。その数は正確には判っていないが、文化を破壊するほどの大規模な虐殺であったことは想像に難くない。明治政府によって地方部から新しい住民が移住させられ、表面上は無血開城という体裁がとられたと考えられる。
ここで、いま一度、江戸がなぜTOxKYOとなったのか思い起こして欲しい。