はてなキーワード: シンボルとは
負の性欲と正の性欲の性欲同士の争いに矮小化したいだけ、というならまだ公正な議論の意見として尊重できる。でも、「オタク」とか「電波」とかネガティブなキーワードを付加せずにはいられないから一気に説得力が落ちる。なぜ性的に不快なものをわざわざ想起して自分の言い分を補強しようとしてしまうのか、キモオヤジを持ち出したとしてもそう。性的不快さのシンボルを必要もないのに持ち出してしまう傾向を負の性欲と言っているんだよ。性欲と言って良いかは確かに議論の余地があるけれど、正と負の権威付けに不必要に性を絡めようとする欲求は存在していることを自分で示しちゃってるじゃない。女性だけでなく男性の一部もやる事だけれど
本音でいくと、京アニの放火。あれはマジでしばらく憂鬱になった。
それと首里城炎上。もちろん、再建されたものなのは知ってるが、沖縄のシンボルとしての位置づけを考えるとどうにも遣る瀬無かった。
和歌山の特異性の根源は色々ある。
今もなお市のシンボルとしてそびえる和歌山城、また県庁脇の交差点には史実では徳川幕府を立て直し、ドラマでも「暴れん坊将軍」として名高い吉宗公の銅像とともかく徳川御三家のプライドを、特にその周辺住民の意識に深く刻みこんでいる。
高野山。
言わずと知れた日本仏教の聖地。空海が平安時代に開いたその地は世界遺産にも登録され、より一層存在価値を増し観光地としても世界的に注目されている。参拝者数日本一の寺院、成田山新勝寺も高野山真言宗の一流派、根来寺(和歌山県岩出市)の下部組織に過ぎない。
熊野古道。
神武天皇にも由来する日本サッカー協会のシンボル八咫烏、落差日本一の那智の滝などの熊野三山が平安時代からの信仰対象として貴族や朝廷でも人気があり、その参詣道としての熊野古道が世界遺産になったことで、県で最も経済的価値の無かった山間部でも経済効果を生み出している。
かつては同社の主力工場でもあったため、和歌山市には企業城下町の文化が今なお根付いている。ノーリツ鋼機や島精機をはじめとする様々な企業の発展もその恩恵に預かったと言っても過言では無い。
野球。
現在の県立桐蔭高校の前身和歌山中学が今で言う甲子園の選手権に第一回大会から出場し第7回8回の大会で優勝した。それで野球文化が広がり住金野球部の活躍からかつての箕島高校や現在の智弁和歌山などが活躍すると同時にそれら以外の学校からも今なお多くのプロ選手が輩出され続いている。
トルコとの友好。
明治時代、トルコのエルトゥールル号難破を潮岬周辺住民が救助活動したことにより日本との友好関係は現在も深く繋がっている。
生誕地。
がんばれ前畑の前畑秀子。
生誕地。
華岡青洲。
豪商。生誕地。
パンダ。
梅。
醤油。
発祥の地。
hyde生誕地。
コブクロ。
志磨遼平生誕地。
小林稔侍。
生誕地。
玉置成実生誕地。
このように、和歌山県は自慢ポイントが県内各地にあり、多岐に渡るため特異な県民性があると思う。本州最南端で山間部に囲まれ大阪や奈良からも隔離された地理的要因もあるのだろう。
そういった点では指摘された「独立国」というのもあながち的外れではないし逆に個性として主張すれば発展する要因になるかも知れない。
https://www.gentosha.jp/article/14318/
上記を読んで。
といった前提で、まあ、言うけどさ。
ていうか漫画読んでないな?
例えばジャンプで連載してるワンピースっていう日本で一番売れてる漫画があるんですけどね、
その中に「魚人島編」っていうのがあるんです。
そのなかで
差別されてきた魚人の仲間たちや奴隷となっている他の人々を救うために蜂起する」
「英雄は戦いの中で命を落とす。死因は『人間からの献血を拒んだから』」
っていうくだりが描かれるんですよね。
だいたい10年前に連載されていた内容なんですよ。
「差別」だけでなく「被差別者とされる者の中にある差別心」まで踏み込んで、
つい先週のジャンプでも「異形を恐れるは己の無知ゆえ!」って台詞がでてきましたね。
ステレオタイプにげんなりすることが無いとは言わないけれど、かなり前のめりなことをしていると思いますよワンピース。
ブリーチって漫画には主要キャラクターのなかに茶虎っていうメキシコ人クオーターがいます。
他にも「半分死神半分人間」とか「半分クインシー」とか「半分人外」とか、とにかくハーフ・クオーター祭り。
「(あらゆる意味で)マイノリティこと」を物語の核の部分において、
繊細に扱っている漫画です。(それらの試みが、全てうまくいったかは別にして)
http://hoasissimo.hatenablog.com/entry/2019/02/04/000200
1人は「才能には恵まれているが、男性に比べて体が小さくてチカラが弱い。だから毒をつかう」
もう1人は「生まれつき筋肉量が多くて、男性よりもめちゃくちゃチカラが強い」
とても魅力的なキャラクターです。
「生まれつき筋肉量が多くて、男性よりもめちゃくちゃチカラが強い」キャラが
めっちゃ恋に恋する乙女(髪ピンク)なところも最高だと思います。
とりあえず売れてる漫画に絞ってざっと書いてみたんだけどねー、まじで、
「『X-MEN』初の黒人かつ女性のリーダー、ストームを誕生させた。」とか
「ジーン・グレイを、フェニックスという最強の女性ヒーローに進化させた」とか
「新時代のヒーローを誕生させた。16歳のパキスタン系アメリカ人の少女」とかね、
『ジャンプは十分「大人の責任を果たし」ている』ことの反例なんてなんぼでも書けるよ。
ジョジョでだったら、どれぐらい書けるだろうね?
鬼滅の刃の伊之助がなぜかチリ暴動のシンボルになってる話、する?
もし読み返してたら「ジャンプに差別や偏見と戦う象徴になってほしい」
なんて書けないと思うよ。
ていうかもし今のジャンプを読んでいなかったとしても、
往年のジャンプ読んでて幽遊白書の終盤の見事さに思い至らないなら、
たぶん、本当はわかってたんでしょ?
ジャンプも頑張ってるって。
でも、論旨がブレるから書かなかったんでしょ?
筆が滑ったんでしょ?あるよ。あるある。
「ラッキースケベ無くしてほしい」が本当に言いたいことなんだったら、
もっと適切な例を持ってきてほしい。
あるでしょ、ほら。
主な視聴層として男性が想定されていたある種のアメリカ映画に存在した、
話の本筋からあまり関係のないスケベシーンは現代において駆逐された』
みたいな話のもっていきかたとか。
とにかく、あんまよく知らんアメコミの話を無理やりマクラに持ってこなくてもいいと思うよ。
といいつつ、おれもあんまりよく知らん映画のレーティングの話をしているけれど。
ところで、おれには娘がいる。
娘が見たがるから、よくnetflixでドラえもんを見せている。
ドラえもんは面白い。面白いけど、時折出てくるのび太がしずかちゃんの風呂をのぞくシーンは、あまり見ていて気分がいいもんじゃない。
昨今の『自称フェミニスト』の発言を見る限り、残念ながら日本のフェミニズムは完全に死んだ物としか思えない。
そもそもフェミニズムとは『不自由だった時代の女性の解放』『性的な自由を求めた自己決定権』を求めたいわゆる『自由を求めた人々の運動』である。
しかし、今日本で唱えられている主張はやれ『アニメ・漫画を規制しろ』だの『公共的な場所に性を想起させるものを置くな』だの、真逆の主張を続けている。
これは、日本で唱えられているフェミニズムが全て『ラディカル・フェミニズム』(急進的女性主義)なのだが、これが一般的なイメージの『女性に優しい社会を作ろう』というものと全く違く、それどころか真っ向から敵対している主義であるのが原因である。
『ラディカル・フェミニズム』の最終的な目標は『結婚や家庭自体の廃止』や、『男性の社長や役員の廃止』『男性向け性的サービスの完全根絶』等『社会の根幹的な物自体の改革』が目的の活動である。
しかし、海外ではこの主張は全くと言っていいほど受け入れられていない少数派、それどころか海外では主流の『リベラル・フェミニズム』とは真っ向から対立している集団である。
なぜ、海外では受け入れられないかというと、この『ラディカル・フェミニズム』の主張者の多くが『キリスト教原理主義団体』や『白人主義』等の胡散臭い団体に所属しているからだ。
何故、普通なら真逆の差別主義者が『フェミニスト』を名乗っているかというと、内容をすり替えて行けば自分たちの主張を通しやすくなるため、その下準備として『女性』をシンボルに掲げているに過ぎないからだ。
(例:性的なアニメ・漫画は見ていて不快だから自粛しろ⇒黒人は見ていて不快だから自粛しろor性的な物が公共の場にあると問題が起きる⇒〇〇教の物が公共の場にあると問題が起きる)
そのため、『ラディカル・フェミニズム』の主張者は『問題が起きる前に撤去しろ』『表現や思想を自粛しろ』という主張は行うが、実際に風俗営業を行っている女性の賃金向上や男性の家庭への参画(いわゆる主夫)、風俗営業を行ってる女性への職業あっせんなどの現実問題への活動は全く行っていないのが特徴だ。
何故なら彼らor彼女らの目的は『女性の解放』ではなく『自分が差別しているものの排斥が簡単に行える社会』の実現であり、その足掛かりとして女性を利用しているに過ぎないからだ。
では何故日本だけはこの『ラディカル・フェミニズム』がやたら根付いてしまっているか、というと日本は奴隷として扱われた時代が無いため『白人主義』への嫌悪感が少なく、宗教観が薄いため『キリスト教原理主義』を唱えられてもピンとこないため、そういった胡散臭い団体の隠れ蓑としてピッタリだからである。
また、いわゆる『純血主義』が根強い国でもあるため、『自分と異なる物は徹底的に排除したがる』という国民性も『ラディカル・フェミニズム』にはプラスに働いてしまっている。
要するに『自分の理解できない得体のしれない物は差別・排除しても問題ない』という発想が根底にあるため、過激な言動や行動が容易に取れてしまうのだ。
(いじめ問題もこれが根底にあるが、本題ではないためは割愛する)
さて冒頭で『日本のフェミニズムは完全に死んだ』と言ったかというと、かつて女性の自由を求めて戦った『女性解放運動』は今主流となっている『ラディカル・フェミニズム』の真逆である『リベラル・フェミニズム』の運動だからである。
かつて政府や社会から規制されていた『表現の自由』や『性の解放』を求めて運動していた人々の名だけ借りて、今は『表現の規制』と『性の抑圧』を求めて運動しているのが今の日本のフェミニズムなのである。
現在のフェミニストの活動が活発になればなるほど、日本は過去の差別的な社会に戻っていくだろう。
いや、既に一部は戻っているのかもしれない。
長々と書いたが、フェミニストの大好きな『海外のフェミニストの意見』を持って締めくくりたいと思う。
法学者でもあり、アメリカ自由人権協会初の女性代表で、アメリカで最も影響力のあるフェミニスト、ナディーン・ストロッセンの言葉だ。
「ポルノをやり玉にあげる検閲は、性差別や暴力を減らせない。本やメディアを求める男性層と性差別や暴力を行う男性層は全く異なるからだ」
宇崎ちゃんポスターに対しての批判の中に、実在巨乳への批判を避けたいが為か「乳袋」に絞って問題視する声は度々見られたが、
この点にとても違和感があったので少し考えてみた。
「乳袋」的な誇張表現は90年代には確立、いや発祥を遡ると恐らく70年代頃にはあったと思うが、その体系的な解説は識者に任せるとして、
そもそも「乳袋」という言葉自体がネットミーム化したのは比較的最近のことであり、朧げな記憶だが恐らく2010年前後。
ニコニコ大百科の記事が10年6月に作成されていることから、大きくはズレていないだろう。
https://dic.nicovideo.jp/a/%E4%B9%B3%E8%A2%8B
その記事内にも言及があるが、元々は巨乳イラストが現実に即していないという批判的な文脈から生まれており、
裏を返せば「乳袋」という言葉が出て来るまでは、オタク達は無意識無批判的にその表現を受け入れていたこととなる。
そう言うと批判側の「オタク達は(乳袋がエロではないと)麻痺している」との言説に一定の説得力があるように思えるが、自分としては実情が異なる印象だ。
乳袋の表現は、言ってしまえば、実在の巨乳に対する無理解から生まれるイラストの巧拙や、デフォルメ表現としての流行や表現の確立としての側面が強く、
類似例として、巨大すぎるリボンや、カラフル過ぎる髪の色も、(判子絵的な)キャラを区別する為に生まれた創作者側の都合によるものと考えられる。
つまり「乳袋」はオタク的には直接的なフェチ表現ではなく、イラスト表現の変遷で発生したものであり、副次的に受け入れてきたものだろうということ。
その証拠としてあげられるのが、pixivのタグ検索。「#乳袋」のタグがついたイラストは現時点で2578作品。フェチ的表現としてオタクに人気な気がする「#黒タイツ」の44025件に比べると寂しい数字だ。
タグがついていないだけで乳袋とされるイラストは膨大にあるから、フェチ表現ではなく、表現技法として根付いているように見える。
「根付いているのでは麻痺と一緒では?」と思った方もいるかもしれないが、ここで主張したいのは「乳袋」は巨乳を表現する技法の一種でしかないこと。エロに対して直情的だから蔓延した表現というのは誤認である。
批判するのであれば、「乳袋」ではなく、漫画アニメイラスト業界に蔓延する過度な巨乳女性を安易に描く風潮そのものでなければ、抜本的には解決しない。
(その風潮が生まれたのは、男性の性欲からという点は否定しない。男はだいたい女体が好きであり、それを空想として描くときに現実離れするのは不自然なことではない。安易であるが)
しかし巨乳女性イラストへの批判は直接的な表現規制になり得るし、実在巨乳女性へ飛び火する危険性や、国民的作品へのバッシングにも繋がる。それを分かってるから批判側もそこまでは言及せず分かりやすい記号である「乳袋」にターゲットを定めた心理があるのだろう。
だがそれはオタク文化への直接的な加害であり、オタクからすると「カラフルな髪の毛は現実に即していない!」と同レベルの文化侵略であるように感じられるし、また単なるオタクヘイトと区別がつかないのである。
余談的となるが、宇崎ちゃんの巨乳設定は、漫画を読む限り読者を扇情させる為の魅力というより、ウザい後輩キャラ的な属性をその大きなおっぱいが文字通りクッションとなって印象を和らげる為に機能としてあるようにも見える。漫画としてはエロよりずっとラブコメの色が強い。
あと、2巻3巻の表紙は確かに「乳袋」だが、1巻の表紙や漫画内ではいわゆる乳テントで描かれてる部分も多いので、「乳袋」は宇崎ちゃんにとって重要な構成要素ではないこともわかる。
(漫画の印象に関しては読む人によって意見が別れるだろう。ただ巨乳設定=扇情と限らないのはアニメ漫画を嗜む者には理解して貰えると思う)
作品表現とポスターとしての問題を直結する必要はないが、特にエロの権化でもない宇崎ちゃんが「乳袋」の絵だからといって性的搾取のシンボルとして掲げられるのは不憫としか言いようがない。
そんな感じで、一介のオタクとしては、「巨乳ではなく乳袋批判だ」という詭弁的な批判ではなく、男性の欲望と直結してしまってる創作界隈の巨乳文化をターゲットにして貰いたい。
その声が大きければ、自主規制による創作界隈のアップデートは十分起きうるだろう。巨乳がいなくなれば当然「乳袋」もなくなる。無論個人的には望まないが。
みんなこの話をどういう背景で話していたのかな、かな
①差別
②お気持ち
③公共性
別段表現としての問題はない(原作に問題はない)が、公的機関がシンボルとするにはお下品
類似例:碧志摩メグ、のうりんポスター、駅乃みちか、人工知能学会誌
④環境問題
そして、だからこそ③が許されないのだという
でも、最終的な意見が③に集中するってことは、①にしても④にしても弱いと思ってるんだよね、論者自身が
だから、いだてんを例にしたり、かえる某のようにサキュバス描いてみたりして、イメージを拡大してる
ぶっちゃけ、この話は蘇民祭ポスターと同じところに押し込んだほうが、賛同者増えそうな気がするんだけどな
「エロくて何が悪い」vs「エッチなのはいけないと思います」
「片山さんは浩太朗さんと同級生なんでしょう。人柄はよく知っているんじゃないかしら」
「小学生のころのコータは知っているよ。でも大人になってからどんな風になっているかなんて分からないだろう。」
穏やかに語る片山を見ながら、暴れだしたい気分になった。酒を飲んですでにべろんべろんになっている。小学生のころカタブツだとおちょくっていた片山は社会人になってからも相変わらず堅物で、不真面目だった俺は相変わらず不真面目なつもりでいるのに「鰯野さんの仕事ぶりは真面目」というクソみたいな評価を得ている。
気がかりは浩太朗のことだ。小学生のころは愉快な奴だと思っていたが、傷害事件を起こして逮捕されたとき「俺は鰯野の知り合いだ」とわめいたらしい。デモの時におまわりの前でチ◯コを出して逮捕された俺の名前を出せば警察がひるむと思ったらしい。馬鹿野郎、逆効果だ。俺から警察から袋叩きの目に遭わされたことが勲章になっているが、それが致命傷になる人間がいる。それが分からないほど馬鹿だったか。
「まあ、警察の人権侵害なんか今に始まったことではないでしょ。浩太朗さんのことを信じましょう。」
俺はあたりさわりのない言葉で論評する。浩太朗が獄中で人権侵害だとわめいているのに俺が人権侵害だと言わないわけにはいくまい。
浩太朗が警察の取り調べのあとに反警察に振れるかどうかは気がかりだ。それなら反警察のシンボルとして生きる道もあるだろう。しかし、そうではなくて「もうこりごり」となった挙げ句、常識人を気取って「鰯野、警察なんか敵に回すもんじゃないぜ」と言い始める気がする。そうなれば俺は浩太朗を殴らざるを得ない。
そんなことを考えながら酒を煽った。いろいろ言いたいことはあるが、「仕事がいい加減だ」と片山に3時間説教されたので議論する気が起きない。あとで匿名掲示板で暴れれよう。ちくしょう。俺はなんで真面目だとか言われるんだ。
立てた3本の指はW、丸を作る指はP。
ネットの片隅で語られたでっち上げは、悪ノリによって拡散され、いつしか真実となる。
そのサインは、白人至上主義への支持を表明するシンボルとなった。
ある高校では、卒業アルバムにOKサインで写る写真が含まれていることが問題となり、アルバムを作り直した。
あるテーマパークでは、着ぐるみ姿でOKサインをしたことで、演者は解雇された。
競合企業や対立陣営に差別主義者のレッテルを貼りたい企業や政治家。
幾多の人々の思惑によって、「配慮を要する象徴・単語の一覧表」は、肥え太っていった。
3600ページのPDFが公表された頃はまだ良い方で、やがて、誰にもそのリストの全貌を把握することはできなくなった。
マッシュルームカットは公然わいせつと白人至上主義の象徴となり、
「白」「黒」「黄色」は単語自体が人種差別主義者の象徴となった。
街やネットからロゴは消え、色彩も消え、話せる単語も制限されていく中、人々はどこかおかしいと感じていたが、声を上げると差別主義者だと糾弾された。
差別判定・糾弾機関は、軍産複合体を経て、超巨大な国際機関と化しており、人類の誰もが、多かれ少なかれ利害関係を持っていた。
もはや、「反差別」の推進と拡大は誰にも止められなかった。
やがて、事態は、印欧語族に属する言語全てが、差別主義者の象徴とされるに至る。
反発する「差別主義者」と「反差別主義者」との間で核戦争が起き、人類は滅亡した。
アメリカだと性的にセクシーに見られるのは美人の証拠で、むしろほこらしいことだとされる。
もちろんアメリカでも、女性を性的なシンボルとしてアイキャッチに使うような広告や、そのような発言や表現は厳しく糾弾される。が、それはシンボル化がいけないのであって、女性を性的に見ること自体までは糾弾されていない。ここの線引き。フランス人が「口説く権利」とか言ってたが、おそらくこういう発想から来てると思われる。
翻って日本。体感では韓国や中国など東アジアの国々では、儒教的なアレで性的なことがアレされてきたせいか、女性にとって性的に見られること自体のハードルが高い。よって、社会に求められる性的に見ないハードルもまた高い。
そういうイメージ。