はてなキーワード: エントリーとは
気づけば中年のオッさんだ。
俺も経験を書いてみたいと思う。
「会社で無能扱いされたら自分の能力を悲観するより、会社に合ってない」
と考えたほうがいい。
ここからは、そういう考えに至った
この言葉が届いたら良いなと思っている。
たぶん、君が輝く職場はどっかにある。
15年前は超就職氷河期。
同時にブラック企業が大学新卒を食いつぶし始めた時代でもあった。
大学時代、何も考えていなかった俺は、
店を持って自立すべしという話は、
当然、考えるよりも手と体を動かす仕事。
終わらない仕込みの山と料理長の怒号。
風俗に通うが勃つこともできず、
嬢の胸で泣いて過ごす日々であった。
「お前のような奴は何をやっても続かない」
「根性のない奴は一生負け続ける」
2社目:WEB制作会社
1社目を辞めてから3年間、自宅療養になった。
手伝って欲しいと言われた。
話してて賢いと思ったからとの事だった。
取り扱ってる会社だった。
先輩と1つ案件を回し終わったら、
次からは一人で全部やらされる事になった。
この仕事を支えた。
求められれば面白くなり、みんなの期待に応えたくなってくる。
完全に身バレるので書けないが、
気づいたら社長の次に高給取りになっていた。
この職場では、明らかに俺は有能であった。
3社目:広告代理店
もっと大きい仕事、もっと社会にインパクトのある仕事がしたかった。
そこで待っていたのは、
繰り返される板挟みと調整。
「鬱病持ちとか人事なにやってたんだよ」とか
「部門結成以来のババを引いた」とか
妻子がいたので1社目の時のように長期休養は取れなかった。
地味なBtoBや自治体や役所のWEBコンサルを専門でやっている会社。
クライアントが定時なので、
常駐勤務ならは同じような勤務体系でいけるでしょう。
と、勧められての事だった。
実際、朝は9時に出社。18時には全員退社する職場だった。
前職や前々職で作った人脈やノウハウは、
代理店の使い方も慣れていた。
発注される側の苦悩を味わっていたので、
先回りしてキーパーソンに見せるなど根回しなどを行った。
時代感ともあっていたのか、
案件受注額は毎年倍倍と膨らみ、
本社の規模は3年で5倍以上に大きくなった。
この職場では、俺は再び有能になった。
5社目:個人事業主
好きなことだけをやっていける。
やりたくない仕事は受けないこともできる。
全然稼げてないし、
そこそこ貯金したので5年くらいは
収入なくても食っていける。
ここで結果をあげられるかどうかは解らないが
もう会社に振り回される事はないだろう。
もし、今「無能」と言われて苦しんでる人がいたら
色々と動いてみたら良いと思う。
無能と言われるような状況に身を置くのはやめたらいい。
「1日10時間勉強しないと進学校に入れない人は一番進学校に入っちゃダメな人」という意見に賛同する人続出「ほんとそれ」「全国の親御さんに見てほしい」
https://togetter.com/li/1130048
……というまとめエントリーがだいぶ話題になっているようだが。
内容としては、まぁ同意というか、素直に言うと「大すじではその通りだな」とは思った。
しかし、これに賛同している多くの人々は、「勉強する才能がないやつは他の道を選択した方が良い」と(無責任に)言っているようにも受け取れる。
実際の、子どもや親の当事者からすると、『じゃぁ、どうすれば良いの?』という話だ。
日本はバカみたいな「大学入学歴」だけを偏重するおかしな風潮がある社会になっている。
「卒業歴」ではない。「入学歴」だ。中退者が大威張りで「xx大学中退」という「学歴」を名乗るのが良い例だ。(マスコミやバラエティでの取り上げが悪い面もあるが)
社会全体で見れば、「非大卒」の人はまだ半数以上だ。それに、大学での知識が仕事に活かせている人は非常に少ないのが現状でもある。
そういった多様な価値観があること、多様な価値観を認めること、やみくもに「高い偏差値」の大学に入学することだけにこだわる価値観への疑問点。
そういった事をもっと示した上で、言って欲しい。
某エントリーから初めてキモズムとか言うのを知ったのでそこから色々と思うところを。
キモズムってそもそも何かと調べたところ、新しい技術は総じてキモい。
そしてそれを超えるとモテる、とか。
それをキモズム超えと呼ぶそうです。
ぶっちゃけ、なぜキモい原因が技術だってことになってるのか正直理解できかねる。
全てにおいて、それがどういう印象を持たれるのかは使う人の問題であって、技術そのものが問題では無いはず。
新技術はキモいものだ、と本気で言ってるのであれば、それはイノベーションでもなければ、ただの「俺こんな新しいことに手を付けてるだすごいだろお前ら遅れてるー()」という自己満足でしかない。
この部分はそう、海外のキャッシュレス事情云々の話にもつながると思ってる。
あれも所詮、「俺海外知ってるし、諸外国は進んでるし、知らないお前ら遅れてるー」程度にしか見えない。
本当にキャッシュレスが便利だと思うのならば、本当に変えたいと思うのならば、今すぐその煽り口調を止めて行動に移すだろうし、本当に変える事のできる人はもう動いているだろう。
それを責任転嫁して、自分の優位性を守るために他を蔑むその姿勢がどうにも受け入れがたいのだ。
仮に本当に技術がキモいと思われているのならば、本当にその状態では変わらないと思うのならば、やるべきことはキモイキモイと言っている自分に酔いしれることではなく、一般に広く浸透するだけのものに完成させることではないのか。
それもできずにただおもちゃとして食い散らかすだけならば、所詮その程度である。
そもそも国内のVR界隈なんかは体験の更なる加速や開発なんかやってるようには一切見えず、今あるオモチャを遊び尽くそうとしてるだけにしか見えない。
その分野を本当に発展させようとしているようには見えず、手っ取り早く新しいからと言って飛びついて、最後にはよくわからないまま食い散らかしていく未来しか見えない。
その行動にやり遂げるほどの信念なんてものはかけらもなくて、何かを大きく変えるだけの要素なんて無い。
私には、承認欲求を他を蔑むことでしか得られないか、手っ取り早く得られるものを乗り換えているのだけにしか見えない。
小さな小さな承認欲求を、必死に追い求めて言えるようにしかみえず、とてもさもしく見える。
人は承認欲求が多かれ少なかれ、必ずある。
その適切なこじらせ方を知らぬがために、大やけどをしている人を結構な数見てきた。twitterなんかその最たる例なのかもしれない。
承認欲求と上手に付き合わなければ、それを求めるがあまり暴走することだってある。
こと技術系の人間たちは認められる環境と言うものが非常に希薄で貴重だ。
絵描きのようにチヤホヤされることもなければ(絵描きを馬鹿にしてるわけではないです)、芸能人のように表に立つこともない。
ただひたすらに裏方に徹する。
ネットを見てみればひと目でその歪みがわかる。
事あるごとに全力で論争が始まる。それが、本質的にはどうだっていいことでも、だ。
直近ならソフト屋にハードを教えることが楽か、ハード屋にソフトを教えることが楽か、だろうか。
たったそれだけで、もう大変なことになる。
お互いのマウントの取り合いが始まる。
こういうタイミングでしか自分の優位性を知らしめて承認されるタイミングが他にないのだ。
「そうね、そういうパターンもあるかも まあでも人によるよねぇ」
程度でいいじゃないか。なんでいちいちありえないとか、その考えは周りが見えてなさすぎるとか、どうして一々マウントを取るんだよ。
なぜそのエネルギーを、もっと色んな人に作品や技術をみてもらうことに使わない。
「無知と無理解にプロジェクトが殺されそうだ」の元増田です。
みなさんのトラックバックを読みました。やはり「つける薬はない」「うまく逃げおおせるべし」ということですよね……。
昨日の夕方、喧嘩も辞さない覚悟で、しかしあくまでも対話重視でレビューに臨みました。
Redmine に書いたキャッシュの仕組みの解説を事前にちゃんと読んでいたのは PM の V さんと、その程度の知識は当然ある W さんだけでした。いちばん理解していない PL の Z さんに至っては見てもいない。予想どおりとはいえ、徒労感が募ります。
PM の V さん曰く、「誤解しているかもしれないけれど、増田さんの提案するキャッシュバスターを入れたくないとは言っていないんですよ。ただ、リリース直前だったので時間との兼ね合いを考えて、とりあえずいちばん工数のかからない方法を採りたかったんです」。いやいや、ほかの方法では効果がないと何度も何度も伝えたでしょう。私の主張するちゃんとした対応を取るのに必要な時間の数倍かけて、無意味な「影響範囲の調査」をして「ほかの方法」を模索していたのですよ。そう言いたかったのですが、もうあまり事を荒立てたくなかったので、「対策を考える時には必ず技術者を含めた話し合いをしてほしい。そうでないと、結論が明後日の方向に進んでプロジェクトの費用をドブに捨てることになりかねません」と伝えるに留めました。でも分かってもらえないんだろうな。
作業方針となぜその方針で解決するのかという説明に留まらず、実装方法まで聞いてくるので、「率直に申し上げて、ここ最近、技術者の作業領分に踏み込みすぎだと思います。必要以上に説明を求められ、毎回こうして 6 人の時間を拘束して説明会を開くのは時間と予算の無駄ですし、作業のスピード感を落とします」と言ったところ、今回のレビューでは珍しく無口だった PL の Z さんが「そこまで言うなら、バグを出さずにきちっと作りなさいということです」とひとこと。ムッときてバトルを始めようかと思ったのですが、早く切り上げてトイレに行きたかったのでスルーしましたw
「増田さんはバグが多い」と言われている話は「無知と無理解にプロジェクトが殺されそうだ おまけ」のエントリーに書いたとおりです。
W さんが時折助け船を出してくれたり、私の説明に無言でうなずいてくれたりしたおかげで、理性を失わずに済みました。
レビュー中はみなさんのトラックバックを思い出し、「もうどうしようもないんだ、あまりやり合うなよ」と自分に言い聞かせていました。本当に感謝します。ありがとうございました。
お気に入りに登録したユーザーがブクマしたエントリーが並んでるの
そこにお気に入りのusers数ってのがあるわけ
すべて
2 users以上
4 users以上
となってて、お気に入りユーザーが複数ブクマしてるエントリーを絞り込む機能みたいなの
けどさ、欲しい機能は違うんだよ
お気に入りユーザーが複数ブクマしてるエントリーなんてのはそのうちホットエントリーなりにも上がってくるんだから、別にそこで絞り込むほどのことはないわけ
「すべて」にしてても同じエントリーを複数の人がブクマしてるから何回も同じエントリーを見るはめになるわけ
ちがうの
俺がお気に入りに登録するような酔狂な人が見つけてきてくれた掘り出し物を見たいのよ
「ブクマ数 3 users以下」みたいな絞り込み機能が欲しいのよ
そう思わない?
ところどころフェイクを入れる。だいぶ長い。
すごく綺麗で"大人の女性"という雰囲気があり、いつも颯爽としていてかっこよく、紫の光沢を帯びたヒールが似合っている人だった。3年ほどお世話になった。もう6~7年ほど会っていない。
私は慕っていたけど、その空白期間に彼女に連絡する気はなかった。というのも、最後に私がちゃんと挨拶しないまま彼女がどこかへ行ってしまったので、やや気まずい雰囲気で終わった経緯があるからだ。
ある日なんとはなしに彼女の名前で検索したところ、彼女の本名ブログを見つけて驚いた。独立して仕事をしていることが容易にわかった。私が慕っていた頃とあまり変わらない様子でやっていることがわかった。
「びっくりしたなんて嘘でしょう。本当は傷ついて、怒っているんでしょう?自分の感情と向き合おうよ。」
感激していた。自分が慕うきっかけになった人生訓時を、書いてくれている。コメントもブクマも一切しなかったが、わりに彼女のブログを覗いていた方だったと思う。
しかし私もただ彼女の人生訓時を読んでいたわけではない。そこに2つの感情を抱いていた。
まず、彼女が独立をして仕事をしていることに嫉妬を覚えていた。年齢差があるとはいえ、(私から見た限り)本人の特性に合ったことで働く彼女に、憧れや羨望以上に焦りがあったのだと思う。
そして同時に疑問の感情も湧いていた。「これでどうやって稼いで、生計を立てているのだ?」、と。
ブログを読む限り集客モデルはおろか、ビジネスモデルとして成り立っていないと正直思った。仕事の詳細は触れないが、言ってしまえば『綺麗な言葉を並べて、詐欺まがいに近い』と思っていた。コンサルタントというと言葉の響きはいいかもしれないが、一歩間違えば紛れもなくフリーターだった。彼女は学歴も職歴も不確かな人間なのだ。
そして彼女の精神面に寄り添って更に言うと、「これは彼女ではないのでは」とも感じた。言葉が綺麗でポジティブになりすぎていたのである。
彼女はどちらかといえば、ネガティブな人間臭さのある人で、けして綺麗な言葉ばかりを言う人ではなかった。
彼女が今までとは違う生き方を真に選んで生きていきたいなら、第三者の私は口出しをすべきではないだろう。
しかしそれも踏まえた上であえて書くと、「でも彼女は、そうしたポジティブな考え方を続けることができない人だ」と、直感が言っていた。
これは経験的な勘なのでこれ以上は説明できないが、私の感性はそのように告げていた。
そんな気持ちがますますふくらむころ、前触れもなく彼女のブログ更新は止まった。
彼女の近況が知れなくなったのは寂しくもあったが、「もしかしていい人でも見つけて、結婚でもしたのかな」とぼんやり考えていた。
たまに彼女の名前で検索して、やや胡散臭い文章で止まったままのブログを読みに行っていた。
しかしあるときいつもの検索ページ上位に、違う結果が表示された。
そのページを眺めたら、よくわからないイベントの主催者として表示されていたのだ。
「ああ、胡散臭いな」と思った。そう思わせるイベントだったのである。
苗字も変わっていないので結婚はしていないのだろう。そんなことを知った。
彼女の新しいブログができていた。しかし、仕事内容とは関係がないように思えた。
"何か"をエントリーしたようだったが、すでに公開を取り下げたようだった。
それからまた、転機が訪れる。彼女が更に新しく作ったブログの、最新エントリが表示された。
その記事は1日前に更新されたようだったが、やはりすでに公開取り下げをしていた。
けれどタイミングよく私はそのエントリのキャッシュを得ることができ"てしまっ"た。
そのブログはとても長い内容だった。
その書き下しで始まったのだが、本当にそれは"自己紹介"だった。
彼女の本名・生年月日・血液型から始まり、何に興味を持っているのか、何に興味を持たないのか、彼女はどんな人なのか。それはとても詳細に書かれていた。
「これは紛れもなく彼女だ。」、そんな気持ちを得たのに、文字を追うにつれて不安感が募ってきた。
・社交性が低いのではなく、社交に興味がないのかもしれない。
・うわべだけの会話が苦手。社交辞令も苦手。
・本当でないものが、嫌い。
こんな感じの、箇条書きが続いた。
そしてこう続く。
・生きる理由がわからないけど、死ぬ理由もないから、とりあえず生きている。
読んでいて、どんどん辛くなってきた。
ある友人から、「あなたは自分自身の面倒臭い部分を見つめて、それと向き合って生きていける人」と言われたエピソードが本当に嬉しかったこと。
彼女が、いかに面倒な彼女自身の人間性とどのように付き合っていくか、その哲学に人生の半分を費やしたこと。彼女が今までにどのように行動を起こしたのかということ。
いっときは変わったとも思っていたが、周りの人から「素敵な人だ」「やさしい」といった言葉を受けるたびに、内面の彼女と外面の彼女とが乖離している気持ちを受けたこと。
"自分はいかに愛されキャラポジションとは真逆で、いかに他人と付き合いにくいキャラか。客観的に自分を見て、自分と友達になりたいかと言われたら、沈黙を選ぶ。けど、そんな自分も悪くないと思っている。"
そんなことを、ひたすら綴って終わっていた。
「これが、こじらせの末路か。」
そんなことを思った。
ほとんどの人は、うわべだけの付き合いなんて望んでいないだろう。
「社交辞令は嫌い。本物の言葉が欲しい。」と彼女は言うが、彼女は他者の仮面を剥ぎ取るような努力を真に続けたのだろうか。
ほとんどの人が、いろいろな人間関係に揉まれて、切磋琢磨して、心が安らぐ人との真に揺るがない信頼や親愛を勝ち得るのである。
「こんなに面倒臭い私だが、こんな私であるという唯一事実に降伏して、生きていく。」
「こんな面倒な私だが、まんざらでもない。」
結びの言葉に、「ああ、この人は一人で生きていくしかないな」と素直に感じた。
自分の不完全を認めた上で、それを他者に補完してもらうことで、人と人は共生できる。
もちろん社会が多様化した結果、自分一人で生きていける人もいるだろう。しかし、多くの人間がそうであれば、社会は成り立たない。
自分の不完全さを自分一人で完全に受け入れて、自分を愛しては生きていけないのだ。特に、彼女のような人は。
(あるいは、彼女のような人こそ、一人で生きるべきなのかもしれない。)
Google Trends イキリオタク
https://trends.google.co.jp/trends/explore?q=%E3%82%A4%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%82%BF%E3%82%AF
今週に入ってよく見かける気がする。
今週よく見かける理由はおそらく欅坂46への襲撃事件のせいだろう。
欅坂46の握手会で発煙筒に点火 平手さんレーン…ナイフ所持容疑で男逮捕 幕張メッセ : 産経新聞
http://www.sankei.com/affairs/news/170624/afr1706240025-n1.html
5月第2週にGoogle Trendsでピークが見られる理由は分からない。はてブを見る限りではTwitterで「イキリオタク」についての考察が行われていたのをまとめブログJINがエントリーにした程度だ。おそらくはてなブックマーカーの観測範囲外で何かがあったのではなかろうか。
この単語は2013年10月頃からTwitter界隈で徐々に広まってきたらしい。
「イキる・イキリオタク」の意味・初出・元ネタは? : 文脈をつなぐ
https://kimu3.net/20170417/7462
2017年1月には旧2ちゃんねるに、2017年4月には増田に上陸したが、使った人は存在するという程度で6月までは大して広まらなかったようだ。
正確に言うと部活動もその一つではあるけど、それだけではない。
多すぎる授業時数のおかげで、8時から16時まで休憩なしでほぼ立ちっぱなしなんてザラ。(プラス部活動で、事務仕事や授業準備を始められるのが20時位からなんてのも中学教員あるある)
それでも仕事が回らないから結局土日も出勤して事務仕事、授業準備を行うことになる。しかもそれは部活動の指導ではないから無給だ。まあ部活で出勤しても四時間以上やってやっと3,000円程度(八時間やっても一緒)なのだが…
これらの仕事は、仕事の効率化をはかるとか、努力して早く終わらせるとかそういうレベルを越えている。
そして、一番問題なのがそれらの仕事をやることは当たり前であると考える管理職。平の教員の意見を聞く振りだけして、結局なにも聞いてくれない管理職。「仕事がなければ早く帰ってください」といいながら仕事が無くならない現状に目をつぶる管理職。「子どもたちのために」という言葉をかざし教員のやりがいにつけこみ、各学校の過剰労働を許す教育委員会、教育事務所。教員の数を減らそうとする教育委員会、教育事務所。(事実私の学校も生徒数が増えたにも関わらず二人減った)
人間は、「自分の力でなんとかなる」と思えることは頑張れる。だけど、今の現状は自分の力でなんとかならないことが多すぎて絶望しか感じない。教員は、色んなことが上手くいかないとき、それは自分が悪いから、と考える人が多い。努力して、努力して、努力して、そして潰れてしまう。そうしてダウンしてしまう人を何人も見てきた。そういうことから私は、これは違うんじゃないか?と思うようになってきた。
そして管理職への失望感。平の教員が自分達でコントロールできない仕事量を調節するのが管理職だと思う。それを上手くやってくれればなんとかやっていける。
でもそうではないと…地獄だ。うちの学校の教員はみんな口をそろえて言う。「なんで今年はこんなにキツイんだ?」「なんで今年はこんなに生徒指導が大変なんだ?」
。間違いなく自分の力でどうにもできない仕事(量及び質)に忙殺されているから、そしてそのせいで一番大切な「子どもに向き合うこと」ができていないからだ。余裕を持った心で生徒に接することができなくなっているからだ。
このあとは更なる地獄が待っている。学級崩壊だ。学級経営が上手くいかなくなる教員が絶対に出てくる。そうなるともう…地獄すら生ぬるい。
私は今、体調を崩して入院している。休んでしまって本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。同僚は笑顔で「気にしないでゆっくり休め」と言ってくれている。みんなが大変なことがわかるだけに本当に申し訳ない。
だがその一方で、やっと休めたと安堵している自分もいる。
今は真剣に転職も考えている。それとも校種が変わればこんなに辛い思いもしなくてすむのか…?
入院する前は、痴漢でもして逮捕されてやろうかとも思っていた。どうにでもなれって思った。初めて不祥事を起こす教員の気持ちがわかった。もちろん許されないことだと言うことはわかっている。だけど、地獄から抜け出すためなら、そんな倫理観なんて糞の役にも立たない、と考えてしまうことがわかった。
中学校の教員はブラックだ。その本質は「自分の力でどうにかならない仕事が多すぎるから」。自治体や管理職の力量によってその黒さの純度はさらに上がる。
夢も希望も感じられない教員が、子どもたちに何を教えられるのだろうか。
今年度はまだ6ヶ月もある。体がダウンするか、心がダウンするか…どっちが先になるかな…
追記
コメントで「その過剰な労働の9割が思い込みから発生しているもの」と書かれていた方がいたので、他の教員の名誉のために反論したい。
教員の仕事は簡単に言うと「勉強を教えること」ですが、「学校内で行われることの責任を持つこと」というのもあります。だから給食時間や昼休みだって一緒について様子を見る。学校で行われる行事に関係する提出書類も作る。そして集計とかもする。それらの仕事の9割が思い込みなら、残りの1割は何が残るんでしょう?笑
授業だけやってればいいなんてそれこそ思い込みもいいとこです。
もちろん授業に集中したい。そのための準備もしっかりやりたい。でもその準備ができるのは、職務規定で決められてる労働時刻(8時~16時30分)を過ぎてからなんですよね。(もちろんその間休憩なんてあってないようなもの)。部活がなかったとしてもです。事実うちの学校も部活無しの日とか作ってますけど、その日ですら退勤時刻が夜9時、10時になるなんてザラです。
ではその他の事務仕事や研修を断れるかといったら、断れるものと断れないものがある。(こないだも休んでるときに研修には行けと言われたし、病室で仕事できる?とか聞かれたし笑)
そもそも、このエントリーを書いたきっかけは、自分がやらなくてもいい仕事を切って切って、切りまくってもそれでもどうにもならない現状に嫌気が差したから。さらに言うと、管理職がそういう平の教員の頑張りを評価してくれない、辛い現状を考えてくれていないように思ったからです。
同情してくれとは言いませんが、中学校の教員の現状をわかって欲しい。(管理職に向けても含め)そんな思いで書きました。
追記2
多くのコメントありがとうございます。
このエントリが少しでも人の目に触れることが願いです。
今の教員は指導要領に反することをやっているから苦しくなっているわけではありません。
自分でコントロールできない仕事…そもそもの週当たりの授業時数(多すぎて休憩無し)。委員会から出される研修依頼(断れない)。宿泊校外学習の細案作成(旅行会社が作ってくれ…)。教育事務所の訪問に伴う指導案作成、過剰な環境整備(どうせダメ出しをくらう)。保護者からの言い掛りともとれるクレーム(まずは聞く、そして時間と精神が削られる)。急なカリキュラム変更によって引き起こされる授業時数の増大、その一方なぜか起こる単位時間の不足(そもそも無理なカリキュラム)。などなど…
これらが次から次へと押し寄せて来るために平の教員の体力と精神はどんどん削られていきます。
逆に本当にやりたい仕事(現在切っている仕事)…学級通信を出して子どもを誉める、やる気を引き出すこと。学級の様子を子どもとおしゃべりしながら人間関係を把握すること。授業準備をしっかりして、授業の質を高めること。部活動の子ども達への指導。などなど…は全然できていません。上の仕事に追われているため。
現場の先生方からも異論はあるとは思いますが、私の周りはこんな感じでみんな疲れています。
街中を歩いたり、電車に乗ったりしている時の事。目の前の、スカートを履いた制服姿の若い肉体に欲情する。この感情は誰にも止めることは出来ない。もちろん、社会で生きているので、「絶対に法は犯さない」という明確な意志はその時も持ち出すが、それでも「スカートを犯したい」という感情はどうしたって湧いてくる。
性犯罪のニュースがたまに流れてくる。それを見ると、「ああ、実行するか実行しないかそれだけの違いで、それ以外は同じなんだな」と思う。ただそれだけの違い。
今後も生まれてくるであろう感情。それを実行に移すことは絶対にしないが、そういう感情・欲求を持ってしまう俺は少数派なのだろうかという事が気になる。このエントリーを通じてそれを知れたら嬉しい。
あなたはどうだろうか。犯したくなりませんか?
追記:12:46
なるほど、その発想は無かった。
就活では嘘をつくべきでない。
そんなことをしても企業にはバレている。
しかし就活生が幸せになるかと言われれば、残念ながらそんなことはない。
あなたがもし有名大企業にこだわりがなく、自分にマッチした企業に行きたいのであれば、
自分のことを正直に話し、多くの企業にエントリーし、数打って合う企業と出会っていくしかない。
前者はエントリー社数が増えてウハウハ、後者は社風にマッチしない人や無能の入社を防ぐことができる。
ネガティヴな奴やインドア系な奴はロクなところに決まらないという就活の闇に嵌まることになる。
どうしても行きたい企業がある、もしくは絶対に名の知れた大企業に入りたいというのなら、
嘘で塗り固めてでも自分自身の姿を相手企業側が求める人材に作り上げてしまえばいい。
もちろんその場で考えた付け焼き刃な嘘では見抜かれてしまう。
徹底的に嘘を練り上げれば、バレない。
大学の講義において代返とノートのコピーとカンニング、つまり嘘をつき続けて単位取得を乗り切ってた奴は、
たいがい就活を無難にこなしていい企業に滑り込んでいるのである。
何が言いたいかというと、正直者なだけでは救われないということだ