はてなキーワード: ウンザリとは
「飯テロ」だの「任天堂Switch難民」だの例をあげればキリがないが。とにかく、全体的な表現がひたすらインフレしていてどうしようもない。自慢ご飯写真はテロと無関係だし、ゲーム機買えないくらいで難民とか言っているなボケナス!としか思えない。
そりゃ比喩だろうと言うのかも知れないが、全体として表現の濃淡が無くなって、とにかく強い表現なら何でも良くなっているのが気になる。
どちらも生死に関わるような強い事は起きていないのに、「難民」「テロ」だの表現だけがひたすら強くなっている。
最初は「大したことじゃないのに強い表現で面白い」くらいな扱いだったのかも知れないが、ネットだとこんなのばっかりでかなりウンザリしている。
最近、高専生が殺害予告で逮捕されたが、彼もやっている事は「飯テロ」だの何だのの延長くらいの悪ふざけで言っていたのかも知れない。でも、ニュースに名前が出て人生をかなり遠回りする事になった訳で。
イケメン扱いされるのが非常に苦手。イヤで面倒くさい。
街を歩いていてすれ違ったりした時、中高大学生の女性グループらの誰かが
今の人かっこうよくねとか、イケメンじゃない?とかヒソヒソ話したり、
一人だと、髪に触って直す仕草とかされる程度。
顔面偏差値は、55~60ぐらいだとは思う。普通よりはいいけど、
別に探せばどこにでもいるそんなレベル。そんなレベルで騒がれたくない。
身長だって170ギリないチビだし、でもチビじゃね?とか女性の会話が続くのもよく聞く。
近くで見たらそうでもなかった・・・もよく聞く。
服や髪型がお洒落じゃないとき、ボウズとかTシャツ1枚、仕事服だと
全く言われなくなるのも、よくある。
それに、中身秋葉系だし。話してみたらとか、なよなよしてて残念な人
といわれるのも容易に想像がつく。
天狗ゲタで底上げして補正かけまくった中ぐらいのイケメンで、ウンザリする。
そんな不安定な、崩れやすいもので、成り立っている状態を褒められてもなんもうれしくないし、
どうせ、やっぱり、思ってたのと違うとなるのが目に見えすぎている。いやで面倒で苦手。
自分の美意識として、格好良くありたいとお洒落している。それだけなのに
変にまわりに騒がれて、美脚だけど顔は・・・とか、顔はそんなでもないけどそそられるとか
好き勝手言われるような気分と一緒。
https://anond.hatelabo.jp/20170706214018
親に心底ウンザリしており、物理的にも精神的にも独立したいという前提で話をする(単なる反抗期や受験ストレスかもしれない可能性はとりあえず棚にあげる)。
まず、誰が見ても自分が悪い、というのは間違い。物理法則でもないかぎり、正しさは自明ではない。それは家庭内でドメスティックに流通する価値観に過ぎない。世の中の価値観は本当に多彩なので(世界の宗教や文化を漁ってみるとよい)、何が正しいかなんてはっきり確定することはできない。今感じている価値観に迎合するかどうかは、あなたに選択の余地がある。たとえば「子供は親に似る」というのは、「ただし親の価値観を無批判に受け入れた場合には」という条件付きである。
何が正しいかどうかや、精神論なんて、人それぞれの事情に左右される。にもかかわらず、事情を知らない人が、心無いアドバイスを投げてくることはこの先本当によくあることなので、いちいち間に受けないほうがよい。道徳は、一般的な事情ではこうしなさいと言っているに過ぎないので、特殊な状況では、道徳はむしろ邪魔になる。
いつ独立すべきかという問題について、高校生で一人暮らしというのは非行少年でもなければ流石に聞いたことがない。残念ながら現実的ではないので、検討するだけ無駄だろう(寮はよくわからない)。よって高校で親元を離れることはできずツラい可能性があるが、全てを諦める必要はなく顔を合わせる機会を減らすといった工夫の余地がある(たとえば勉強を理由にして頻繁に外出したり、時間のかかる部活をしたり)。やはり大学が大きな転機になるから、そこで綺麗に独立を成功させるためにはどうすればよいのか、と考えるのがよさそう。高校が決まったあとにでも、じっくり作戦を考えてみるとよい。
DNAがどうこうとか、本当に吐き気がするのでやめてほしい。全部遺伝とか血で説明する各位に聞きたいんですが、両親が前科者だったら犯罪者のDNAが入っているからもう終わりなんでしょうか。もちろん、遺伝に性格が影響される要素も部分的にはあるが、経験的に、また様々な科学的事実から、自分の力で選び取れる余地がとても大きいことがわかる。
親からの脱出は孤独な作戦で、一般的に、親は敬うものだとされているので共感されにくい。これは仕方がない(毒親コミュニティみたいなのもネットにはあるが、傷を舐め合っているだけで、あまり建設的でない印象がある)。脱出は大変であるけれど、いくら理不尽でも、どうせ、自分の人生の責任は、自分でとるしかない。私の場合は、やっぱり脱出してよかったと思う。
○朝食:なし
○夕食:ご飯、納豆(二つ)、減塩野菜たっぷり味噌汁(フリーズドライ)、サンマの缶詰
○間食:野菜ジュース、アーモンドn粒、スライスチーズ(四枚)、炭酸のジュース
○調子
はややー。
ただ、大事件が発生した。
いなり三つ、のり巻き二つ、細巻き三つ、という構成に変わってしまった。
ショックが大きすぎて、寝込みそう。
●3DS
○ポケとる
一日ワンチャンでかつ、マックスレベルアップが欲しかったので、44%にスーパーボール投げたら
なんと4回投げても捕まらなかった。
吐きそう。
○はねろコイキング
コイキングは、80代目。
ログボのみ。
○FGO
今日は、アーチャーとキャスターの経験値アイテムクエストの日だったので、それを何度もプレイして、
アーチャー(エミヤ):50、キャスター(クー・フーリン):40、キャスター(シェイクスピア):25
とレベル上げをした。
今のところの最大値で、最大値を伸ばすためには、経験値アイテムじゃない、別の独自アイテムがいるみたいなんだけど、
いまいち「アーチャーピース」と「英雄の証」を手にいれる場所がわからないから、レベル上げはこれぐらいにした。
(マシュのスキルを上げるのにも「英雄の証」は使うみたいだし、ネットでぐぐろうかな)
自分は「叩かれた」「叩いた」っていう表現がよくわからない。そういう事したくなる気持ちが。(あ、ごめん気持ちはわかるけど、意思でやらないって感じね)
批判してもいいけど普通に言えばいいじゃん。大人の表現でさ。罵声を浴びせる必要は無いし、言わなくてもいい嫌味を言ったり、勝ち誇ったり相手をさげすんだりする必要はないけど。そういう事したいやつばっかり集まってきて、自分が気持ちよくなっている連中が多くてウンザリする。
言っている人にとっては刺身のつまというか、嫌いな仮想敵に対して自分がマウントしたり、遠慮なく罵倒したりするテーマが出来て今回の件も内心うれしいんだと思うよ。
借金玉さんって人が書いてたけど、途中は色々あったけど、抗議しました。お詫びして改善されましただから、お互いに内心色々あるだろうけど、そんなに悪い話じゃないんだけどね。上に書いたような連中にとっては、仮想敵をめちゃくちゃに罵倒出来れさえすればいいんだろうけど。
まず私は件のような場面において「困ってる人が居たら助ける」のが普通だと思っています。
お礼を言って欲しいわけでもありません。
件では企業努力が足りないというのが大前提にあったとは思うんですが、
利用者側には選択の自由があるわけでなので、重箱の隅をつつくようなマネをせずに
単に別の航空会社にすれば良かったのでは?という気持ちが強いです。
で、当人はサービスコスト削減で利用料を下げているLCCをわざわざ選んでいるのだから
やっぱり事前連絡するのが好ましいと。そう思いました。
事前連絡も無くハナからファイティングポーズで乗り込んできている相手に
「困っている」のはバニラエア側だったんじゃないかと思うからです。
「利用する度に連絡したり確認するのはウンザリだ」という主張もわかりますが
対応する為に必要なコストや人員の確保の時間くらい頂戴よ、と。
件の車いす客に問いたいです。
つまり、美少女アニメを観ているからといって、馬鹿にされない時代になった。
今の若者は、まるでドラマを観るかのような感覚で美少女アニメを観る。
テレビや雑誌のインタビューを見ていると、アイドルや女優など、若い女性タレントがよく「私って実はオタクなんですよー」と、本当によく言う。
アイドルや女優のオーディションをやれば、ほぼ全員が「私ってアニメオタクなんですよー」と自己アピールするらしく、
審査する側は「またかよ」「もうそれ個性でもなんでもないから、いちいち言わなくていいよ」とウンザリしているそうだ。
私生活が充実していそうな若者とカラオケに行けば、まあ皆アニソンばかり唄う。
15年前までは、「美少女アニメを観ている」なんて言えば格好のイジメの餌食だった。
なのに、だ。
おそらく20代前半ならサラッと「俺オタクだよ」と言えてしまうのだろう。
20代後半のオタクは、学生時代オタクであることでイジメられていたトラウマがあるのか、隠す。
でもそういう奴に限ってワキが甘い。
スマホの待ち受けが美少女キャラだったり、リュックサックに美少女キャラの缶バッジやキーホルダーをつけてたり。
着ている服も、「今時そんな服どこで売ってるの?」と逆に聞きたくなるような時代遅れの服を着ていたり、まるでパジャマみたいなネルシャツを着ていて、どこからどう見ても「ダサい童貞」にしか見えない。
キモオタであることはバレバレなのに、必死に「俺はオタクじゃない!」と言い張る。
誰もそんな話してないのに、急に初音ミクの話をしだして、「うわ、気持ち悪っ」って空気になったら
「ボカロを聞いてるからってオタクじゃない!ボカロはアニメと関係ないし、立派な音楽ジャンルのひとつだ!」とかボロボロの反論をしだす。
どうしてこういう奴は自分がオタクであることを認められないのか。
アニメショップに買い物いくなんて、オタク以外ありえないのに。
バレバレのオタクのくせに自分がオタクであることを認められないからキモいんだろうな。
みんなで飯を食いにいこうってなっても、そこに一人キモオタがいると
「そんなの金の無駄だ!」とかわめき出す。
じゃあ、お前何しに来たんだよ。
もう30近いってのに、マックですまそうとする。高校生の放課後かよ。
大人が集まって飯食いに行くんだから、せめて酒が飲める店にいこうよ。
自分勝手な理由でワガママこく。周りに合わせようとは一切しない。自分さえよければそれでいい。
そんなんだから学生時代イジメられてたのに、30近くなってもまだそのままなのか。
もう無理矢理にでも風俗つれてくしか変える方法はないと思うのだが、
キャバクラですら「そんな汚い場所には行きたくない」「時間と金の無駄」だもんな。
(最初の居酒屋はブーブー文句たれながら来ても、次はキャバクラ行こうってなると帰る。
金の無駄だかなんだかで、友人が死んだときも葬式に来なかったし、友人が結婚しても式に来なかった。学生時代お前をイジメから助けてくれたやつの葬式に来ないとは、薄情すぎてさすがにガッカリした)
そもそも、学生時代つるんでた俺らと久びさに合うことすらお前にとっては「時間と金の無駄」なんだろう。
そんな調子だから、社会人になってから俺ら以外の同級生からは相手にされなくなって、
その日、友人のウサクに誘われて、俺は何らかの会場に足を運んだ。
市長が何か大事な発表をするらしいので、見ておくべきだろうとのことだ。
「お集まりの皆さん、社会に生きる我々にとって重要な事柄であり、何度も取り沙汰されているにも関わらず、未だ解決されていない問題が何かお分かりでしょうか」
常套手段だなと、ウサクはニヤつきながら俺に耳打ちする。
ウサクが何をそんなに面白がっているのか、俺にはよく分からなかった。
市長のこれまでの“実績”を知っている住人たちからすれば、「これは碌なことにならない」という予感が真っ先に出てきたからだろう。
この町の市長は普段はまともな人なのだが、精力あふれる政治屋の血が流れていた。
その血が騒ぐのか、突発的に崇高な志が暴発してしまうことがある。
しかも大抵それが頭でっかちな内容なので、住人たちはウンザリしていたのだ。
そんな住人たちの警戒心を知らないのか、或いは知らないフリをしているのか、調子を崩さず市長はスピーチを続ける。
「我々は差別はいけないことだと分かっていながら、時に過ちを犯してしまいます。なぜか? それは『差別』という概念に知見が足りないからではないでしょうか」
一見それっぽいことを言っているように感じるが、ウサク曰く「それっぽいことを言っているときこそ、むしろ警戒すべき」らしい。
「我々は差別がどのようなもので、どのような問題を孕んでいるのか理解を深められていないのです。なので、ここに一つの政策を打ち出すことを宣言します。テーマは『超絶平等』です!」
ウサクの警戒心を的中させるように、何だか胡散臭いテーマを打ち出してきた。
なんで『超』とかつけるんだ……。
その後も市長は色々と何か語っているが、完全に興味の失せた俺はその場から離れることにした。
「おや、帰るのか。市長の話は?」
「興味ない」
「おいおい、まるで他人事だな」
「この手のは大局的に見ればそれなりの影響があるのかもしれないが、往々にして俺たち個々人が実感するような代物じゃない」
実際、あの市長が時々やる政策は大した成果を上げられたタメしがない。
大衆に向けた「仕事やってますよアピール」という側面が強く、俺たちの認識も概ね同じだった。
「うぅむ、貴様のその無関心ぶりはどうかと思うが、主張をあながち否定しきれないのが悲しいところだ」
マツリゴトが大好きなウサクですらこの反応である。
どうせ大したことない、俺も他の人たちもそう思っていたはずだ。
だがそれから程なくして、今回の政策は一味違っていたことを俺たちは身をもって知ることになる。
ポリコレって「俺が気に入らない表現や行動をするな!」って自由の侵害に当てはまらないの?
機会均等を自由というのは分かるけど自分の嫌いな表現が公開されてたらそれを抹殺するって自由とは逆じゃないの?
多種多様な人種がいるなら各々自分たちの好きなことして嫌なことには不干渉するっていうのが個人選択の最大自由じゃないの?
だってお互いがお互いを気に入らないからやめろって言いだしたら何もできなくなるんじゃないの?
それがウンザリだからトランプが大統領になってしまったんじゃないの?
集権的自由と分権的自由ならどう考えても分権的自由の方が個人選択の自由の幅は広がるでしょ
軍事とか国家レベルのことならそりゃ集権的自由の方が一番最大幸福に近い採決が取れるけど
さて、いよいよ本編について語っていきたい。
あらすじは、こうだ。
主人公や同級生、道中で出くわす仲間たちと共に、ゾンビの襲撃から逃げ延びようと奮闘する。
CMやPVなどで分かってはいたが、本作はテンプレ通りのゾンビサバイバルものである。
立てこもる舞台の一つにショッピングモールがあるし、ゾンビはゆったりと動く、いわゆる口〆口タイプだ。
不器用な先生は教科書に載っていることを黒板にそのまま書いていき、そして不器用な生徒がそれをそのままノートに書き写す。
どれをとってもテンプレすぎて、逆にここまでゴテゴテなものを、このご時世に見れたことを感謝したいレベルである。
もちろん、これをパクりだなんて言うつもりはない。
お約束、鉄板、踏襲……どう表現すべきかは各々で判断すればいいが。
期待と予想は紙一重といわれるが、まるで自分はそれを試されているようだった。
それでも自分に正直になって語っていくならば、ややウンザリしていたというのが本音である。
お約束、鉄板、踏襲、どう取り繕ったところで、同じことはやればやるほどツマラなくなる側面があることは事実で、自分のような人間が見ても前時代的なものを垂れ流されている印象は拭えない。
結局、そういう印象を拭いきるならば既存の作品群よりどこかが優れているか、何らかの差別化が成されていなければならない。
この時代ならではの表現を駆使したり、特殊効果などを高クオリティで提供してくれていたならばまだしも、今日び可もなく不可もない出来に満足はできない。
その点で、ゾンビサバイバルを見慣れていない女子などの若者をターゲットに、前面に宣伝していることは正解といっていいのかもしれない。
大和田秀樹「疾風の勇人」終了~その反響と、理由の推測(忖度)あれこれ
https://togetter.com/li/1114958
はてなブックマーク - 大和田秀樹「疾風の勇人」終了~その反響と、理由の推測(忖度)あれこれ - Togetterまとめ
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1114958
これが結論
池田勇人マンガ「疾風の勇人」突如終了 「圧力」憶測をモーニング編集部に聞く
https://www.j-cast.com/2017/05/30299180.html
これにだって「編集部がウソを付いているに違いない!」って言い出すんでしょ?勝手に意味有りげ、問題意識有りげな事言い続けていてくれよとしか。申し訳ないが付き合いきれない。
最近たまにみかけるが、女はてなーの実写アイコン、本当にやめてほしい。
ここはインスタでもツイッターでもないんだよ。
はてなのアイコンってスゲー小さいのに実写アイコンってどんだけ自意識勃起してんだよ。
んで、チンポ騎士団が群がってくるんだろ?いい年ぶっこいて何をやってるんだと思うし、その火種になる自意識モンスターのクソ女にもウンザリだ。頼むから、そう言うのは別のところでやってくれ。
キモいオッサンのサークルに若い女が入ってきて、オッサンが「おれの話を分かってくれる若い女がやってきた!」ってチンポの先からカウパー出しながら色めき立つみたいな空気を感じてやりきれなくなるんだよ。
久しぶりに、親しい人を不快にさせてしまったので反省のタメに書く。
世の中的に評価されている作品を鑑賞した結果「自分は好きじゃないな〜」と、思った事があるだろう。
だが、主観的な感情を抜きにして、その作品のアピールポイントについて考えてみて欲しい。
恐らく、どういった魅力を持っていて、どういう人達が、どんな箇所に魅力を感じているのかは、なんとなく想像がつく筈だ。
それでも、本当に全く反応できない場合がある。「そんなにも何が評価されているのだろうか…」と。
仕事柄なるべく多くの価値規準を持っておく必要があるため、魅力の仮説も立てられない作品があると困惑する。
そんな時、一緒に観ていた人(もしくは観た事のある人)が魅力を見いだせていた場合。
その作品にどういった魅力があったのか、しつこく質問してしまう。
単純に知りたくてしょうがないのだ。
自分の見つけられなかった魅力について、見つけられた人の視座の持ち方を。
だが、現実に付き合いのある人達の方が人となりを知っている分、もっと想像しやすい。
そういった身勝手な理由で、ついつい分かるまで質問してしまう。
説明する側だって「自分が魅力を感じている何かについて話す事」自体はそんなに辛くないだろうと、高を括って。
ここまで書いた時点で、相当に自分勝手な振る舞いだな…とウンザリするのだが、まだまだ不快指数は高まる。。。すみません…
30年ほど前の映像作品をみて、部分的には魅力を見いだせたのだが、社会的にどう受けているのか、大きな要素が想像できなかった。
既に鑑賞済みの人と一緒に観ていて、その相手は「完璧な映像」と賞賛しており、作り手側の人間だったのも相まって、しつこく聞いてしまった。
ところが、具体的にどういう魅力があるのか質問しても「自分は作品の良さを一々誰かと共有する文化がない」と言われ、
「作品の良さを分かっていながら言葉で説明しようとしないのは、表現者として怠慢なのではないか?」と詰め寄ってしまった。
その後も「優れた映像作品は言語化不可能だし、する必要性を感じない」と返され、
「全ての魅力をキチンと言葉で表現しきるのは不可能かもしれないが、自分が感じた魅力について断片的にでも言葉を提示する事は可能だろう。」
「魅力を知りたがっている人がいて、自分が魅力をみつけているのに説明しようとも思わないその態度は疑問だし、言語化の必要性が無いと思う事はおかしい。」と言ってしまった。
その後、「なんで、増田からそんな風に質問攻めにあわなければならないのか?私には理解できない。」と不快感をあらわにされ、会話は途絶えた。
こうして増田に書いて冷静に読んでいると、「こりゃ嫌われるよ。当たり前じゃねぇか。」って気持ちもあるのだが、
「いいじゃん教えてくれたっていいじゃん!ケチ!!!知りたい知りたい!教えて教えて!!!」って感情もまだまだ全然あり過ぎて、ついに寝れなかった。
・人に教えを請う態度では全く無い
・親しき中にも礼儀あり
・我が儘過ぎ
もう二度とこのような事が無いようにします。
「そういうもんだ」が口癖、習慣になった。
最近、自分の中の思いが抱えきれなくなったのでここに吐き出すことにする。
習慣になった理由は日常生活のなかでストレスや、つらい出来事があったとき「まぁ、そういうものだろう」と思いこむことで、苦痛が幾分か和らぎ少し気が楽になるから。
今、大学4年生なのだが自分がこんな思考をするようになったのは中学1年の頃。新学期早々だった。私は「イジメ」にあった。
実は自分は先天的に左上肢に麻痺の障害を抱えており、左手が上手く動かせない。
軽い物を持つくらいの簡単な動作はできるが力の加減ができない。走るときは上手く左手を振れず手首からプラプラとだらしなく揺れてしまう。自分の障害を他人にどう見られてるのかを気にするようになり、内気な性格になった。正直、今でも両親を恨んでいる。
中学では最初の自己紹介のときに自分の障害を話し担任、クラスの皆に理解してもらおうとしたのだが、自己紹介するより前にある1人の女子生徒(自分とは違う小学校だった)が私に向かって
というふうなことを言った。
その時私も「実は左手に障害があって…」と伝えればよかったのだが、内気な性格ゆえに曖昧な返事をした気がする。よく覚えてない。
不運なことにその女の子は明るい子で友達も多く、スクールカーストでいうと上位の存在だった。あっという間に自分の障害のことは学年じゅうに伝わり、「イジメ」が始まった。
持ち物を隠され、壊され、暴行を受け…。
毎日続いた気がする。そんな中で「自分がこういう身体に生まれてきたから、こうなるのも仕方ない、そういうものだろう…」と思うようになった気がする。その思考は今でも根強い。
勿論イジメのことは担任に相談した。しかし担任は私の納得のいく対応をしてくれなかった。当然だ。今でさえ学校側はイジメを大事にしたくなく、教育委員会は「イジメ」なんて負のイメージは火消ししたがる。担任は私に関与しようとはしなくなった。
不幸中の幸いか、イジメは6月くらいで終わった。私が抵抗も、反応もしなかったからだろう。私は「そういうものだ」と諦観することで事態が収束することを子供ながらに確信した。
自分より優れた人がいても諦観してしまえば嫉妬する必要はない。
困ったときに手を差し伸べてくれる人がいなくても諦観してしまえばウンザリすることもない。
障害のことで笑われても「そういうものだ」と思えば気にもならない。
大学も1留している。
(なので正確には大学5年生となる)
実習で上手く結果を残せなかったからだろう。これは障害はあまり関係なく自分の過失だと思う。
1留,しかも身体障害者。こんな人材は必要とされるはずもなく就活は未だに企業から内定をもらえていない。こんな現実にも自分は「そういう運命なのだろう、そういうもんだろう」と納得してしまえる。そんな自分が嫌でもある。
今や自分には友達もなく頼れる人は誰もいない。親には頼りたくない。
こんな性格でいる限り就活も人間関係も上手くいかないことは分かっている。
でも、自分が今まで受けてきた処遇、育ってきた環境では諦観しないとやっていけない。
だれかからみれば甘えだろう。でも、
だれかこんな私を助けてほしい。
もう私にはどうすることもできない。
「私みたいに物事に対する意見をはっきり言う女性が気に食わないんですね。日本社会って閉鎖的ですもんね。あなたはその一員なのね…」っていう感じだされたら、何言っても負けになるから近寄りたく無いんだけど。
マウント取る側に心情が憑依出来る人たちには人気みたいだけど。支持している人たちも明らかに日本社会を構成している側で、批判されている側なのにね。自分だけは違うとよく思えるもんだと。
「そういうの関係無く、お前の発言が自分の長くもないセレブ海外暮らし体験を普遍的に大きな主語で語りすぎて、めちゃくちゃ感じ悪いから不快に思っただけですよ!」って事が、結局伝えられない。「意見をはっきり言う女性が気に食わない」っていうレッテルがその通りみたいに見えちゃう。
本当にウンザリなんですよ。