久しぶりに、親しい人を不快にさせてしまったので反省のタメに書く。
世の中的に評価されている作品を鑑賞した結果「自分は好きじゃないな〜」と、思った事があるだろう。
だが、主観的な感情を抜きにして、その作品のアピールポイントについて考えてみて欲しい。
恐らく、どういった魅力を持っていて、どういう人達が、どんな箇所に魅力を感じているのかは、なんとなく想像がつく筈だ。
それでも、本当に全く反応できない場合がある。「そんなにも何が評価されているのだろうか…」と。
仕事柄なるべく多くの価値規準を持っておく必要があるため、魅力の仮説も立てられない作品があると困惑する。
そんな時、一緒に観ていた人(もしくは観た事のある人)が魅力を見いだせていた場合。
その作品にどういった魅力があったのか、しつこく質問してしまう。
単純に知りたくてしょうがないのだ。
自分の見つけられなかった魅力について、見つけられた人の視座の持ち方を。
だが、現実に付き合いのある人達の方が人となりを知っている分、もっと想像しやすい。
そういった身勝手な理由で、ついつい分かるまで質問してしまう。
説明する側だって「自分が魅力を感じている何かについて話す事」自体はそんなに辛くないだろうと、高を括って。
ここまで書いた時点で、相当に自分勝手な振る舞いだな…とウンザリするのだが、まだまだ不快指数は高まる。。。すみません…
30年ほど前の映像作品をみて、部分的には魅力を見いだせたのだが、社会的にどう受けているのか、大きな要素が想像できなかった。
既に鑑賞済みの人と一緒に観ていて、その相手は「完璧な映像」と賞賛しており、作り手側の人間だったのも相まって、しつこく聞いてしまった。
ところが、具体的にどういう魅力があるのか質問しても「自分は作品の良さを一々誰かと共有する文化がない」と言われ、
「作品の良さを分かっていながら言葉で説明しようとしないのは、表現者として怠慢なのではないか?」と詰め寄ってしまった。
その後も「優れた映像作品は言語化不可能だし、する必要性を感じない」と返され、
「全ての魅力をキチンと言葉で表現しきるのは不可能かもしれないが、自分が感じた魅力について断片的にでも言葉を提示する事は可能だろう。」
「魅力を知りたがっている人がいて、自分が魅力をみつけているのに説明しようとも思わないその態度は疑問だし、言語化の必要性が無いと思う事はおかしい。」と言ってしまった。
その後、「なんで、増田からそんな風に質問攻めにあわなければならないのか?私には理解できない。」と不快感をあらわにされ、会話は途絶えた。
こうして増田に書いて冷静に読んでいると、「こりゃ嫌われるよ。当たり前じゃねぇか。」って気持ちもあるのだが、
「いいじゃん教えてくれたっていいじゃん!ケチ!!!知りたい知りたい!教えて教えて!!!」って感情もまだまだ全然あり過ぎて、ついに寝れなかった。
・人に教えを請う態度では全く無い
・親しき中にも礼儀あり
・我が儘過ぎ
もう二度とこのような事が無いようにします。
これはうざい うざすぎる たとえ説明したとしてもこんなふうにネチネチ執拗に質問攻めされるなんて難癖つけられてるのも同然だし 自分の好きなもの否定されてるようなものだから不...