はてなキーワード: がっかりとは
横浜生まれ東京住まい、20代会社員。先日有休がとれたので、ふと思い立って人生初の函館旅行に行ってきた。親しい人を誘っての気楽な二人旅だ。
楽しかったこと、残念に思ったこと、多々あったので書いてみる。長いよー。
で、しみじみ思ったんだけど、函館って結構近いのな。は~るばるきたぜは~こだって~!というフレーズがあまりにも有名なのでもっと遠いイメージだった。案外気軽に行けるんだなぁ、と目からウロコが落ちた。
だって、飛行機乗って1時間20分で着くんだもん。めちゃくちゃ早い。しかも、飛行場が市街地から車で20分程度とアクセスが良く、超便利。そう、函館ってコンパクトな街なんだよな。関東平野のど真ん中に住む身としては山も海も温泉も非日常なので自宅のすぐそばにそういったものがある環境というのは羨ましい。
JR函館駅でシャトルバスをおり、その駅前のあまりの茫漠とした様子に衝撃を受けた。
土曜の昼だったが、ほとんど人影がない。駅舎は新しくて立派だし駅前ロータリーも広く、周辺には大きなビルやホテルが林立していて、ハードが整っているだけに主役となる人間がいなくてまったく賑わっていないのがなんだか異様な感じ。ロータリーを囲む唯一の店らしい店といえば小さなサンクスだけだし。
自分の住む関東の某ベッドタウンは、知名度は低く駅も小規模で周辺にも函館駅ほど大きなビルやホテルが林立している訳ではない。でも、駅前には複数のコンビニや飲食店、フィットネスジム、銀行、パチンコ屋、スーパー、病院、学習塾がそろっていて人通りが絶えない。チェーン店と地元資本の小型店が競合し、学生や主婦やおっさんやじいちゃんばあちゃんがワラワラ路上を歩いていたりスイスイ自転車で進んでいる。
地方は車社会と聞く。だからJR函館駅の駅前はこんなに人影が見えないのか? みんな車で移動していて歩かない? でもそれにしたって人いなさすぎじゃないか? 別に山奥とかじゃなくて、街の中なんだからさ。
夜にも駅周辺を通りかかった。そしたら20時台だというのにしーんと静まり返っていて真っ暗なんだよ。うちの地元じゃ23時レベルの閑寂さ。普通、土曜の夜といったらどの繁華街も賑わう時間帯だろうに、大門地区もほとんどの店のシャッターが下りていてポツンポツンと小規模なお店がやっているだけだった。観光客としてお金を落とす気満々で夜の函館に繰り出したのに、静まり返っていてお金を落としたいと思える場所がないんだわ。
あまりにも異様に感じたので、その場でスマホで函館についてぐぐってみたら、「2014年に市域全域が過疎地域指定された」という情報を得た。ドーナツ化現象の典型的な例だ、とも。
函館って過疎地だったのか! そんなのるるぶに書いてなかったよ!
どおりで、函館駅周辺をウロウロしているのは観光客ばかりで地元民の姿はなかなか見えないはずだ。函館朝市行ってみても観光客だけだったし、その客足自体も少なかったし(これは行った日時が良くなかったのかもしれんが)。値段も安くないわ、客引きの口上が胡散臭いわ強引だわで怖かったんだけど、やっぱり地元民が買いに来ないから観光客頼みになってしまい、少ない客を逃すまいと必死になってるんだろうな。
気を取り直して良かった函館観光について書いてみる。夜景が有名だが、今回一番気に入ったのは晴れた日の早朝に行った八幡坂からの眺めだった。この坂は観光で訪れたい坂の名所ベスト1に輝いた坂なんだそうな。海へと伸びる真っ直ぐな広い道で、そして坂の上から見える海の青さが実に鮮やかで、晴空の青さと相俟って素晴らしい景観だ。ああ、やっぱり港町って良いなぁ!凄く良い!と思わされる。これは嬉しい驚きだったな。
余談ながら、なぜこんなにも函館の坂の道幅が広く直線なのかというと、何度も大火に見舞われた歴史を踏まえて火除けを意図しているのだそうだ。ブラタモリの函館の回を見たとき知った。
八幡坂を登って右に折れると、大三坂とぶつかる十字路がある。この十字路、面白いよ。4つの角のうち3つが、
とそれぞれ宗派の違うキリスト教系教会の敷地となっているんだ。
ちなみに、十字路には面していないけれど、近くには日本基督教団函館教会(プロテスタント)や船魂神社、東本願寺函館別院などもある。なんじゃこの宗教激戦区!
我々が件の十字路付近を歩いていたのは日曜日の10時頃だったんだけど、突然十字路の方から「ガランゴロンガランゴロン」と元気の良い鐘の音が辺り一帯に鳴り響いた。
「あ、教会の鐘だね」「三つの教会のうちのどこのだろうね」と同行者と話しながら歩いていると、「ガランゴロン」の鐘の音は数分程度で止み、すぐ後に今度は落ち着いた「ゴーンゴーンゴーンゴーン」という違う鐘が聞こえてきた。
どちらの音も「今から日曜礼拝やるよ!信者の皆さんは教会にいらっしゃい!」という合図の鐘なんだろうけど、何しろ3つも教会が隣接しているのであえて違う鐘の鳴らし方をして各々の信者に伝えていえうんだろうな。
自分は特に信仰は持っていないが、旅の同行者は日本人には珍しく成人洗礼をしているガチのカトリック教徒で、「せっかくだから函館のミサにぜひ行きたい」と言い出した。時間に余裕はあったので一緒に元町教会の日曜礼拝に出席してみることになった。
同行者からはミサの間の注意点として①携帯の電源は必ず切っておく②信者じゃないので「アーメン」は言わない③信者じゃないので十字は切らない④信者じゃないので聖体拝領は望まず神父からは「祝福」を受ける、の4点は気をつけてほしい、と言われた。
元町教会の中に入って世話役さんのような方に旅行者だがミサに参加したい旨を伝えると、普段はどこの教会に通っているのか等あれこれ気さくに話しかけてくれ、ミサの最中も「今歌っているのは聖歌集〇〇ページですよ」等と親切に教えてくれた。さらにミサの後には全員の前で同行者を「本日は東京の〇〇教会所属の〇〇さんが来てくれました」と紹介までしてくれた。ありがたいことだ。
その際、我々の他にも「京都の〇〇教会からは~」「福岡の〇〇教会からは~」「シンガポールの〇〇教会からは~」と紹介されてる人たちがおり、国内外から観光で来函したカトリック教徒が多数ミサに参加していたのだとわかった。
同行者曰く、こういう風にわざわざ紹介する習慣は他のカトリック教会にはないそうな。「さすが港町。オープンだな~」と他所者を受け入れることに慣れている様子に感心していた。一方で、女性信徒がみんな頭に白いベールを被っていることにも驚いたようで「都内のいつも通っている教会ではベールを被っている人はもうあまりいないんだよね」と言っていた。
カトリック教会の場合、信者でなくてもミサに参加することは拒まれない。しかし、キリスト教信仰に興味のない観光客は単なる物見遊山のつもりで参加すると気がひけると思う。やはりミサというのは信徒の真摯な祈りの場だからね。教会内部は淡い水色のアーチが連なるデザインの天井で、ミサに参加しなくても建築を見るだけで充分信者以外も楽しめる。信徒や信仰に興味のある人の場合は、歓迎してくれるので行ってみるのも良いだろう。同行者は大変満足したようだった。
函館でキリスト教文化というと元町の教会群だけではなく修道院も有名だ。トラピスチヌ女子修道院にも行ってきた。通常の見学者が入れるエリアは非常に限られており内部には入れないし、修道女も出てこない。しかし開放されている前庭は隅々まで掃除が行き届いて美しかった。展示物はボリュームは少ないものの中身は色々と興味深かった。
このトラピスチヌ修道院の修道女は広大な内部で自給自足の生活を送り、基本的に外部との接触は断つそうだ。はー、凄いなー、現代日本にそういう生活をしている人がいるとはとしみじみ感じ入っていたら、近くにいた観光客のおっさんが「ドローン飛ばして内部の様子を撮ってみたいわー、ガッハッハ」と下品な声で笑っていてげんなりした。きもい。痴漢かよ。今後、本当にそういうことやりだす奴がいたら嫌だな。
まぁ、自分も、ここの前庭を見学しているとき以下のコピペを思い出してしまい、ぐふふふふwwwwwと1人込みあがる笑いをかみ殺していたので、下品さではあまりひとのことは言えないが。
524 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:36:24 ID:/3DgV0R00
めちゃくちゃうまい
15歳~18歳くらいの修道女見習いたちが素手でこねて作っていると聞いた
527 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:47:21 ID:m6sYxkhI0
>>524
ここでクッキーは作ってないはず
528 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:49:42 ID:/3DgV0R00
もう二度と食わない
トラピスチヌ修道院の近くに牧場がある。タクシーの運転手さんに「入場料無料だし、函館牛乳の会社がやっているところだから」と勧められて寄ることにした。函館牛乳の会社と言われても正直ピンとこないが、地元ではブランドなのだろう。牧場では牛が見れた。周辺は北海道っぽい広々とした畑が広がっていて景観もいい。野外の牧場の売店でバニラのソフトクリームを食べてみたら大変美味だった。北海道のソフト!牧場のソフト!というシチュエーションがより美味しく感じさせたのかもしれないが、美味いものは美味いのだ。
ホテルの朝食バイキングも良かった。今回泊まったのは函館国際ホテルなんだが、ここは「朝食のおいしいホテル2015日本全国第5位」なんだとか。実際美味くて満腹になるまで食べた。イクラとか甘海老とか海鮮盛り放題なのが嬉しい。米も粒がたっていてツヤツヤで美味くて感動。あと、じゃがバターも美味かったな。あの芋なんだろ?独特のネッチョリ感があって甘かった。バターの塩気と組み合わさって、口の中が幸せになる。「空き部屋があったので」と部屋も自動的にランクアップしてくれていたし、サービスにも満足だ。
ホテルの徒歩圏内に「まるかつ水産」という回転寿司屋があったので昼食を取りに行った。ネタは新鮮でやっぱり美味い。ただ値段は観光地価格だわな。
北海道土産は色々充実しているので試食しながらあれこれ選ぶのも楽しい。職場へのお土産用に買うのはもちろん、自分用にも色々買ったわ。白い恋人ウマー!ロイズのポテチチップチョコレートウマー!とうきびチョコウマー!カリカリまだあるウマー!チーズオムレットウマー!!
函館のお洒落スポットとしてどのガイドブックにも載っているのが金森赤レンガ倉庫。外観は大きくて迫力もあって異国情緒もあり良かった。少し色あせたレンガが歴史を感じさせるし、夜のライトアップされた姿はロマンチックで綺麗だ。写真映えするスポットだと思う。
でも肝心のテナントショップがちょっと惜しいな。1棟丸ごと使って北海道の土産物屋をドドン!と大容量で販売している棟があるのは観光客には便利なのでありがたいが、その他の棟には小さな店がゴチャゴチャ雑多に入っていて清潔感がないし、しかも何処でも買えるような、函館の匂いどころか北海道っぽさの欠片もない、わけのわからん雑貨屋とか多くてしょぼい。やたら安っぽいプラスチックのテカテカした感じの商品ばっかり置いている雑貨屋もあったが、あれは修学旅行の小中学生向けなんだろうか??
ぶっちゃけ、地元のイオンの方がまともな店が入っていて楽しめる気がしたわ……
結構中国やら韓国やら外国人が多かったんだけど、わざわざ海外から来てくれた人はあのテナントのラインナップにはちょっとがっかりしたんじゃなかろうか、と函館人でもないのに勝手に申し訳なく思ってしまった。
もうちょっと赤レンガの中は洗練されたお洒落な空間になるといいと思うんだけどな。
函館といえば、陸繋島というあの特徴的な地形があげられると思う。まるで女性の腰のような見事なくびれ。
で、今回我々はあのくびれの正体を勘違いしていた、と気付いた。つまり、あのくびれを北海道の尻尾みたいに突き出ている渡島半島のことだと思っていたんだ。馬鹿だよねw 我ながらこんな酷い勘違いを30年弱もしていたなんて凄いビビったw
このことに気付いたのは、ロープウェイで函館山に上って展望台から函館の街を一望した時だ。本当は夜景を見たかったんだけど、その日の夜は天気予報が芳しくなかったので晴れていた昼間のうちに展望台に上ったのだった。澄み切った水色の空の下、青い海も見えて、市街地の一つ一つの建物も肉眼ではっきり見えて、五稜郭と函館山のこんもりとした緑も見えて、とても綺麗な眺望だったので満足している。
男と女って確かに違う所もあるし集団の傾向ってあるんだけど、やっぱり同じ人間なのだよね。
だから当たり前だけど、人間として尊重したりする事って人間関係として必須なんだよね。
相手がして欲しそうなら特に意識せずしてあげるとかの思いやりとか。
なのに「男」とか「女」をまるで違う生き物の様に扱って、
過度に期待したり尊重を忘れたり一律に記号化してみたりする人って結構多い、ような気がする。
個人として見ないでどうせ男(女)だから〜って決めつけたりやたら行動を性的に意識しすぎて過剰反応したり。
彼氏・彼女ってこういうものって感じでその役割を当たり前に期待したり押し付けたり。
だから普段性格がいいのに女として〜っていう人はなんか異性には関係性を意識した途端失礼になってないか再考してほしい。
例えば相手がデートの際スカートで来ないのをがっかりしてるならスカート履いてあげるとかいう行動を、
とかでしてないのに女子力云々言ってるとかね。
相手がして欲しそうなら些細なことなら喜んでしてあげる思いやりって人間関係としてあるじゃん?
と、「メスの私が嫌い」http://anond.hatelabo.jp/20150713230026にトラックバックで書きたかったんだけどやり方判らないから一人でつぶやく。
原作が人気作なので期待
描画が丁寧で引き込まれる
話の流れもいい
出だしがすごく興味を引かれる話の作り方でおもしろそう
安定
良くも悪くもにじみ出るノイタミナ感
なんかいい
展開がイライラする
よくある日常モノでどうということはない
光が眩しい
当たると思ってるのだろうか
痛々しい
1期に3話くらいで切ったのでそれっきり
1期から興味湧かなかったのでそのまま
大学で、よく友人たちのスマホ内に保存された画像や写真を見ることがあるのだが
みな一様に食べ物と景色と友人と、マンガやアニメのイラストが8:2ぐらいの割合で保存されている
こういうのを見るたび感じるのだが、自分にとってそれらはあまり価値がない、らしい
Twitterでお気に入りの画像を見かけてもふぁぼするだけで保存なんてほとんどしないし
(友人はしているのをよく見かける)、
別にうまいもん食ったからって写真なんかとらないし、まして何の変哲もない昼飯の画像なんて
撮ったとしてもソーシャルメディアにアップした次の瞬間消してしまう
自分がカメラを向けられるのが苦手なものだから他人にカメラを向けるということもまずない
その結果、自分の写真フォルダはびっしりとゲーム画面のスクショ・写メでうめつくされている
他人の写真フォルダと違って、人に見せてもまったくおもしろみがない
(自分では思い返していろいろ感慨に浸れなくもないのだが)
その場では見ると満足してしまって、帰ってきてからなぜ写真がないのだろうと後悔する
他のひとはそういうことに気が回るので、友人と旅行にいけばちゃんと写真をとれる
一人旅だとせっかくあちこちまわったというのに合計で10枚も写真がなくてがっかりする
あれもこれも共有したいと思うのに写真に収めるよりその場で眺めて満足してしまう
どういう感性を磨けばああいうふうに自然と写真に残せるようになるんだろう
やはりあとのことを何も考えていないという考え方そのものがよくないのかもしれない
元増田。
帰ってきたら色んなコメントあって驚いた。
どうやったらオタクを続けられるかアドバイスくれたことがとても嬉しい。
深夜の書きなぐりをまじめに読む人いないと思ってたから、もう少し自分の考えを補足する。
(一人で楽しみたい、作品を楽しみたいのに)なんで他の情報も調べるのか?ってコメントもいくつかあったけど
監督の歴代作品、同ジャンル他作品、同時期他作品をみたり、作品の作られた時の時代背景とか調べたりすることで
その作品の何が面白いと思ってるか、何が優れていてここまで人気が出たのか、とか考察したくなるタイプのオタクなんだよね。
その調べてる途中に避けきれない二次創作に被弾するのつらい。画像検索すれば自己主張の激しいイラストとかコスプレとかにぶち当たる。
例えばアイカツ公式Twitterとか、もうそういう層に向けてツイート内容考えてるとしか思えない。
楽しんでいる人には悪いんだけどもそれみて喜んでるアイカツおじさんおばさんみてるとなんかもうがっかりする。
アニメもゲームも面白いのに原作者でもないいちスタッフが公式twitter使って二次創作してるようにしか感じられない。
SNSによってユーザーの力が大きくなって公式と近くなったからといって、公式がわざわざ誘導しなくても二次創作なんて勝手にするものなんじゃないのかな。
二次創作を通して才能開花して生まれた作品もあるし二次創作全てを否定してるわけじゃない。
二次創作はあまり読まないタイプだけどもそれでも素晴らしい作品に出会ってきた。
SNSで回ってくる色々な作品の中にはどう考えても作品が好きでやってるんじゃなくて、
「作品を好きな自分」が好きでやってるだろ、ってモノがあるのも事実だと思う。
過度な露出するレイヤーとか、オリジナルすぎて元がわかんない謎設定とか。暴走するラブライバーとかもその一部なのかもしれない。
どれもこれも作品利用して名声を得ようとしてるだけじゃないの?本当に作品に対するリスペクトはあるの?って思ってしまう。
それに対して若い時はそういう人もいるか、って許容できていたのに、ここ最近はただただ嫌悪感しか感じられない。
そういうことが積み重なってなんか、もうすっごく疲れた。
何もしなくても勝手に二次創作が擦り寄ってくる今の状況が苦しい。
何か切掛があったわけでもなく、物心ついた時にはオタクだった。
それをやめることは自分のアイデンティティといえるのかもわかんないけど、
やめた後の時間も、お金も何に費やせばいいのか検討もつかなくて踏み切れない。
まとめるとSNS時代についてけないキモオタ、ってことなんだろうな。もう少しSNSとの付き合い方考えてみる。
トラバにあったライムライトは今度舞台で見る予定だったし楽しみに見てくるよ。
明日はJリーグの試合もないし、好きな特撮映画の大魔神見ながら寝る。
会計事務所に勤めてる。
確定申告の時期になると、
「何日も何日もかけて確定申告をやってたんだけど、今年からはお願いすることにした」
って依頼してくる個人事業主さんがいる。で、どれだけ自分が勉強して苦労して、かなりの知識を得て確定申告をしたか、っていう苦労話だか自慢話だかをしてくるのです。
その話を聞いて、『さぞ大変な申告なのだろう』と身構えて取り掛かると、半日もかからないで申告書が作れたりする。
あんまり苦労話が長かった人の場合は、『すぐにできたというとがっかりしてしまうだろう』という所長の方針の素、数日置いてから「できましたよ」と連絡を入れたり。
報酬、いただくにはいただくけれども、相手の懐具合を見ちゃってるからね。明らかに売り上げが少ない、金持ってねーだろっていう事業主さんからはとらない。アホかっていうくらい値引きする。
逆に儲かっているところからはがっつりもらうけど。
事業主さんたちにとっては一年に一回の申告でも、こっちにしてみたら、毎日、もうやだなぁってくらい勉強して、研修に行って、常に最新の税法を追いかけながらやってる日常の仕事。
『自分は今まで申告を自分でやっていた、かなり勉強した』っていう話を聞くたびに「それは依頼してもらって、本業に専念してもらってたほうが儲けが出ただろうに…」って思っちゃう。
届を提出しに行った当日も体調悪いなと思っていた。翌日猛烈にみぞおち辺りが痛くなって早退して病院行ったら盲腸(虫垂炎)だった。
抗生物質の入った点滴を朝晩身体に入れに通院する以外は(病院は家から歩いて5分の距離)自宅で安静に、柔らかいもの以外食べてはいけないとのことだった。もちろん禁酒。
ばりばり仕事して、肉食って、酒飲んで、遊んで、もう何にも考えないんだから!って思ってたのになんだこれなんだこれなんだこれ。はらいたいし。引越したばっかりの部屋で自宅安静とか離婚に向き合うしかないじゃん。はらいたいし。でも、離婚のごたごたが終わるまで大人しく我慢してくれてたのかもしれないね、私の盲腸さん。
幸いにも、病院まで駆けつけてくれたり、自宅安静で暇な私を見舞ってくれたり、ご飯作りにきてくれる友人達や、ここは任しとけとばかりに張り切っている上司等々、人間関係には非常に恵まれている。皆様、本当にありがとうございます。
自分から離婚を望んだのに、思った以上に離婚したことにダメージくらってる自分にがっかりする。あと、離婚しますけど何てことないですから!ってキャラ作ってたのに、めっちゃ恥ずかしいやん、この状況。
あーあ、唐揚げ食べたい。
母親とは諦めて、折り合いつけて付き合えるようになったかなと思ってたんだけど
二十代半ばのなんかの折に、
「(妹)ちゃんは18になる前に父親を失ったかわいそうな子なのよ!?」と言われて
目の前が真っ暗になった
私だって幼稚園のころからあなたがたの喧嘩仲直り喧嘩仲直りに巻き込まれ振り回されてきたし
祖父亡くなる、大学の作品制作大詰めでインフルかかる、失恋、と
ズタボロのところに追い討ちのように離婚告げられて死にたかったし
受験だろうが学校でいじめたりいじめられたりしてようが構われず
怯えながら暮らした結果めでたくアダルトチルドレンの実績解除してるんですが。
なんかそういうとこでやっぱり、
ああこの人私より妹が好きなんだなとわかって
控えめに言ってがっかりした。
世界で親だけは絶対に子を一番に考えてるんだ、とか私にとっては嘘だ。
娘に対して夫を否定することは
娘の存在を否定することだ、となんでわかってくれなかったのか。
不仲の両親を見て育ってきたならあなたもわかってるはずなのに。
以降「お母さんには長女の気持ちはわからないから!」と開き直られるようになったし
みんな最後はわたしを棄てるのだ、という
この呪いはどう解いたらいいのか
諦め忘れるしかないと努めていても
三十になってもまだ時折泡のように
小学校を丸々6年間海外で過ごして、中学は女子校、高校は共学で大学をこの3月に卒業しました。
みんな初めてGoogleの画面を開いた時のこととか覚えてると思うんだけど、
そういう話をはてなで書いてる人、あんまり見ないなーって思ったのでダラダラ書いていきます!
(OSの出た時期とか、間違ってるところがあったらごめんね。)
初めて「パソコン」に触ったのは小学校1年生の「せいかつ」の授業。
「パソコン」の授業が週1回あった。教室に30台ぐらいのパソコンが並んでて、OSはWindows 95と98が混ざってた。
パソコンは途中で全部98に入れ替わって、6年生になる頃XPになってた気がする。
ペイントで絵を描くのが主な授業内容で、すごく楽しかった記憶がある。ひたすら女の人のスタンプをベタベタ貼ってた気がする。
2年生になると「インターネットエクスプローラーのショートカット」をクリックすることが許された。
「Yahoo!きっず」で自分の知りたいことを「けんさく」してみましょう!
クラスの半分ぐらいはもう「Yahoo!きっず」の事を知っていて、「Yahoo!きっず」では「ゲームができる」んだよと誰かが教えてくれた。
わたしは「Yahoo!きっず」の事を知らなかったのでちょっと恥ずかしかったのを覚えている。
「Yahoo!きっず」はやってみたらあんまり面白くなくて、がっかりした記憶がある。
家に帰ってお父さんに許可をもらってパソコンを触らせてもらった時、「Yahoo!きっず」を開くとお父さんが
と言った。(何故かは分からなかったし、理由を聞こうとも思わなかった。お父さんって絶対だった。)
クラスの子たちは「Google」を知らない子の方が多かったので、わたしはそれから「Google」を使うようになった。
話は少し変わる。先述したようにわたしは小学校時代を入学から卒業まで海外の日本人学校で過ごした。
日本人学校で「日本」の流行りを知っている人、「日本」のものを持っている人はスクールカーストで高い地位を得ることができた。
(たとえそれが半年ぐらい古い情報だったとしても、わたし達にはそれを確かめる術がなかった。)
遊戯王カードも、ベイブレードも、ポケモンの金銀も、コロコロコミックも、持ってる子はたくさん持っていた。
わたしは日本のものをほとんど持っていなかったから日本の話には貪欲で、
たしか小学校3年生の時に当時すきだった男の子から聞いたのだ。
その話を聞いた時、デスノートは日本でもまだ読み切りの短編しか出てなかったはずで、
きっとその子はたまたまお兄ちゃんの持ってるジャンプに載っていた読み切りのデスノートを読んだのだ。
でもその子の「デスノート」の話はわたしを凄くワクワクさせた。
次に日本に帰ったら、きっと「デスノート」を買うんだ!と決めて、次の一時帰国をわたしは指折り数えて待った。
1年が経ち、わたしが4年生になって日本に一時帰国した時、本屋さんにそれは平積みになっていた。
本当は漫画は禁止だったけど、日本に帰った時は欲しいものは(高くなければ)なんでも買ってもらえた。
わたしは頼みに頼み込んで、「デスノート」の1巻を買ってもらったのだ。
本当に面白かった。
「名前を書くとその人を殺せるノート」という設定にびっくりした。
月くんはあまりすきじゃなかった。リュークのことは怖いとは思わなかった。
わたしはLが一番すきだった。
早く続きが読みたかった。次の一時帰国はどんなに早くても1年後。
待ちきれなかったわたしは「Google」を開いて「検索」したのだ。
その時のことは本当によく覚えている。
「デスノート」と検索したら一番上に「デスノートサーチ」が出てきたのだ。
そこからわたしはインターネット(というかインターネット上のBL同人)にハマっていく。
男女のセックスはBLから逆算して理解したし、そもそもセックスで妊娠するということを理解したのも随分後になってからだった。
デジタルネイティブと呼ばれる世代のおそらく先頭集団を走ったわたしの思い出話を、誰かが面白がってくれればいいなと思う。
こんなにたくさんブクマついてこんなにコメント貰ったの初めてです!ありがとうございます!
デスノートが出たのって2004年だっけ...6年生になった春だ...。
なんかもっと昔な気がしてました...。
次からは調べられることは調べてから記憶と照らし合わせます。間違ってること書いてごめんなさい...。
1巻を買った1年以内にもう一度受験のために日本に帰ってて、その時に4巻まで出てて
「くぁswでfrtgyふじこlp;@」って言いながらまとめて買った記憶があるので
それだとそっか、2004年なのか...って思いました!
侍魂も面白FLASH倉庫も見たよ!!!めちゃ懐かしい!!!!!
先行者とか馬鹿みたいに笑ったし、流石兄弟がすきだったなー。あと再翻訳系のネタ!
言われれば思い出すけど、たぶんクラスの子かお父さんに教えてもらったんだと思う。
能動的に初めてGoogleを使ったのが「デスノート」でググった時だったから、その時の印象がめちゃくちゃ強くて
たくさんの人にポジティブなコメント貰ったり、指摘してもらったり、めちゃくちゃ嬉しいです!
間違ってることはどんどん指摘してほしいです!よろしくお願いします!
ただ、わたしは「正しい年表」を作るつもりはなくて、
それを見た人が「面白いな〜」って思ってくれたら、嬉しくてにや〜ってするよ!
ブコメで正しいことを指摘してもらって、自分の思い出と事実がきちんと重なっていくのはすっきりして気持ちが良いので、
また間違ってること書いたらどんどん教えて下さい!お願いします!
[]でカテゴリ設定するのってこれで合ってるのかな...