2015-07-04

被写体の話

大学で、よく友人たちのスマホ内に保存された画像写真を見ることがあるのだが

みな一様に食べ物景色と友人と、マンガアニメイラストが8:2ぐらいの割合で保存されている

こういうのを見るたび感じるのだが、自分にとってそれらはあまり価値がない、らしい

Twitterお気に入り画像を見かけてもふぁぼするだけで保存なんてほとんどしないし

(友人はしているのをよく見かける)、

別にうまいもん食ったからって写真なんかとらないし、まして何の変哲もない昼飯の画像なんて

撮ったとしてもソーシャルメディアにアップした次の瞬間消してしま

自分カメラを向けられるのが苦手なものから他人カメラを向けるということもまずない

その結果、自分写真フォルダはびっしりゲーム画面のスクショ写メでうめつくされている

他人写真フォルダと違って、人に見せてもまったくおもしろみがない

(自分では思い返していろいろ感慨に浸れなくもないのだが)

 

あとたまに旅行に行っても、旅先ではまず写真をとらない

その場では見ると満足してしまって、帰ってきてからなぜ写真がないのだろうと後悔する

他人にその情景を共有して説明できないから

他のひとはそういうことに気が回るので、友人と旅行にいけばちゃんと写真をとれる

(みなスマホ写真を撮り始めるので)

一人旅だとせっかくあちこちまわったというのに合計で10枚も写真がなくてがっかりする

あれもこれも共有したいと思うのに写真に収めるよりその場で眺めて満足してしま

どういう感性を磨けばああいうふうに自然写真に残せるようになるんだろう

やはりあとのことを何も考えていないという考え方そのものがよくないのかもしれない

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