はてなキーワード: おかまとは
どういうことかというと、話を聞く限り彼は「男が好きだが、性自認は男である。女の子になりたい願望は全くない」というタイプである。
しかし話し方はオネエのそれに近いことがある。「〇〇よねぇ〜」みたいな。仕草もぽい。
実際彼がゲイとバレたのも、喋り方、振る舞いがオネエっぽかったからである。
しかし特に女になりたい願望はないらしい。彼の一人称も「自分」である。
オネエ言葉…イメージとしては「女でも使わない女らしさを強調しすぎた言葉」というイメージがある。漫画とかでおかまキャラが話す感じ。不自然な感じ。
女性になりたい願望がないゲイが何故オネエ言葉を使うのだろうか…他にもたまにそういうタイプを見る気がする…
何故だろう?単純に気になった
二丁目に行くと伝染するのだろうか。
ワンピースのように大海原にでてテッペンを目指す漫画でもない。
ただひたすら自己承認欲求の強いナード属性の主人公が面白味も無い自己犠牲で活躍して、
人間的魅力がないのに友達が増え、女の子から好かれるご都合のハーレム展開漫画。
何の魅力もない主人公なのに今の若者はこれに自己投影して自分を慰める。
スラムダンクや北斗の拳やクレヨンしんちゃんやジャングルの王者ターちゃんや
シティハンターや幽遊白書やろくでなしブルースや今日から俺はやドラゴンボールや
封神演義や蒼天航路やキン肉マンやうしとらやぬ~べ~やガッシュや寄生獣やジョジョや
を消化してきたおじさんは、自分と違う面白さを持った主人公の人生を見たい読みたいんであって
自分と似たような暗いジメジメしてるだけ、ジメジメ回避のための打開策のアプローチすらできない主人公、
なのに周りのおかげで勝手に上手くいくような主人公をお出しされても、全く面白いと思わないんだよね。
ハッキリいってヒーローアカデミアの作者って人間として面白くないでしょ?
自分が描きたいものを描いているというより売れるものを描いてる感がすごい鼻に付く。
誰かに否定されてでも書きたいとか着地に失敗してもおかまいなしに書こうとする気配が全く感じられない。
小奇麗にやろうとしてる感がキツイ。
チート能力や周りのヨイショを期待してしまうかもしれないのが辛い。
緑谷が主人公としての義務の周りを「ハッ!?」とさせるような魅力が全くない。
ナードならナードサイドによるリア充・一般人の「俺たちはひょっとして大きな勘違いをしていたのでないか」という読者の知見を広げたり啓蒙する役目を全く果たしてない。
ナードがニヤニヤしながらリア充メンバーに囲まれてチヤホヤされてるのをみて、現実で居場所がないナードが読んで緑谷と自分を置き換えて心を慰める、
代償行為にすぎない。
こんなの人生の糧になるか?
おじさんは死なず、ただ去ろうと思った。
エレンいいよね!
挨拶も接客も低姿勢。そこで初めて見る人なので多分外注さんなのだと思う。
その日のメニューはブラッシングチェックと下の歯の右側の歯石取りで、施術初めに両方行う時間が取れるか聞いてきた。有能である。
ブラッシングチェックも、正しい磨き方を伝えて患者(俺)にマネさせるという無駄ないものだった。工程も俺がポイント抑えているのを確認して先に進むのだった。有能である。
そして歯石取りだが・・・日本では初めてお目にかかったのだが、機械を使わず手作業で確実に取っていく、丁寧な仕事であった。有能である。
そんな優秀な女医さんなのだが、歯石取り中に、俺の口の中に手をがっしり入れて作業し始めた。こぶしが半分口に入ってる状態だ。
問題は俺の舌だった。俺の舌が歯科医さんの手を舐めるのだった。
俺は普段、口が開かないよう止めている器具に舌をつけて固定し作業の邪魔しないように意識しているのだが、そんな俺の小細工もおかまいなしに手を舌にくっつけてくるのだった。ぐりぐり押しつけてくる、という表現で合っている。
これには抗うことができなかった。普段舌なんてコントロールしてないし、ついつい口の中の異物は舐めてしまう。まるで自分の意志とは関係なく動いてしまう。止められない。
ペロペロペロペロと、合計8秒位女医さんの手を俺の舌は舐めまわし、挙げ句女医さんにはちょっと引いた態度をその後とられてしまった(気がした)。女医さんがグローブしてたかは覚えてない。でも舌の記憶だと”生”だった。故に歯止めがつかなかったのだ。手の温度が舌から伝わってきた。温かかった。
テレビに出ずっぱりだった遺族。その子供がどの程度の障害を持っていたかはわからない。
うちの兄弟は気に入らないことがあったりしてパニック状態になると
100kg超の身体で暴れまわり、殴りかかってくる。
痛みは感じてるようには見えても殴ろうが関節を固めようが、骨が折れても構わないというか、理解していないというか。
おかまいなしでとにかく激しく抵抗する。ツバも吐きかけてくる。
文字通り縛り上げて、落ち着くのを待つしかない。30分か1時間か。
殺される前に殺す。その決断をしないとならない状況の一歩手前に至ることが何度もあった。
そういう子を抱えてもあれだけのことが言えるだろうか。
さほど広々とはしておらず、暴れようものなら壊れそうなものがいくつもある家で、
そういう人間がいたとは思えない。
殺されて、ショックは感じつつも解放されたと感じた家族は絶対に居ないとは言えないはず。
比較的軽度(あくまで想像だが)の障害児を持つ親が被害者の代表ヅラして
テレビカメラに語る言葉には、さらに重度の障害児を持つ家族の心情を無視したものが多いと感じた。
なぜ個人の、自分の家庭に限った話でまとめなかったのか。同じ気持ちではない障害者家族はなんなのか?
遺族がどうかはわからない。ただ、全国の”遺族になり得た家族”が全員同じ気持ちではない。これだけ言いたかった。
*ただあの時は確かにそう表明すべき時であったのかなと思わなくもない。
この時期になるとほぼ毎日どっかで花火の打ち上げがあって、その度になんだか嫌な気持ちになる。
今花火をやっているのに、自宅でPCに向かっている自分が少し嫌になるのだ。知り合いの内の誰かはきっと参加してキャッキャ楽しんでいるのだろう。北の微妙な地方都市から上京してきた私は「田舎と都会は、とりあえず催しへの参加のしやすさが一番違うなぁ」なんて考えていながら、花火すら見に行かない。暇なんだから見ようと思えば行けるのに。行く人もいないし。それなのにあのドン、ドンという打ち上げ音が私を急かすのだ。お前の手の届く範囲で、いろんな人が楽しんでいるぞ、と言われているようでイライラする。予定が欲しい。恋人が欲しい。
あと、そもそもあの重低音が嫌いだ。今調べたら今日の花火は6駅ほど離れたところでやってるらしいが、その程度の距離なんておかまいなしにドンドンとうちの窓を揺らす。上京直後に住んだ学生マンションで、隣の部屋に住むT大学のバカ学生が糞のような低音を毎夜響かせていたのを思い出す。低音大嫌い。花火に関してはあんまり騒音の文句を聞かない気がするが、なんでだろう。
私の好きな映画に「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」という作品があって、これのメイキングDVDのタイトルが「少年たちは花火を横から見たかった」なのだが、こういうタイトルの付け方ってなんか好き。
当時、大人も子供も、オカマは差別しても良いものだと思っていた。
それ故、おかまであることは恥ずかしい、愚か、欠陥品、劣っているものとして扱われた。
自分でもそう思っていた。そういう価値観を刷り込まれていたとも言えるだろう。
女性への欲情が理解できなかったので、女体を見て興奮するように練習もした。
現実から逃げたいからそう歪むのかと考え、部活も勉強も励み、大学受験でもまあまあの成功を収めた。
モテない男が、性的カースト底辺の立場から逃げたいから、女性になろうとする心理かとも疑った。
駅まで彼女を送り届けた後、申し訳ないと思いつつも唾を何度も吐いた。帰宅してからは何度も手を洗った。
この辺りは能町みね子先生の本に記載されている感覚と似ているかもしれない。
だが、男性が好きとうわけではなく、ゲイになることはおぞましく感じていた。
それよりも、女性でない不当さを呪って生きていたという方が正確だ。
小さい頃から、寝る前は女の子としての生活を妄想し続けてきた。
当然、オカマには定番だが、母親の服や化粧品を隠れて使用し、その度に鏡に映る不細工な男の子に何度も憤りを感じた。
中学に入ると、160cmより背が伸びなかったらニューハーフになろうと思っていた。
超えてしまったときは悲しかったが、一方で虐げられる立場から逃れてほっとした気持ちもあった。
その頃ちょうど、ドラマ金八先生で性同一性障害が取り上げられた。
家族に悟られてはいけないと、興味なさげに振る舞ったが、何度も何度も見た。
女になりたい男の子が出てきたとき、私は正直、気持ち悪いと思った。
ああ、これが世間の反応なのだろう。田舎では家族に迷惑をかけるし、容姿レベルも並以下な自分はやはりなるべきではない。
そう心に誓った。
ある日、研究室で同輩に訊かれた。
「プライベート、何してるの」
私ははっとした。
暇さえあれば、いつも鏡をみていた。
女性的ではないパーツ、見え方、骨格などを何度もチェックしていた。
何千回も見ているので、わかってはいるのだが、ついつい確認してしまう。
鏡の前で6時間くらい過ぎていることもあった。
そこで初めて病的だと気付いたのだ。
なんとかしたかったから精神科にも行き、LGBTの方にも複数会い、ニューハーフとして働いてもみた。
いろんな人がいたし、いろんな経験もできた。
総括して分かったことは、残酷だが容姿が大切であるということだ。
完成されていれば女性として扱われるし、嫌悪感も少なく、自分でもある程度は受け入れられる。
未完成ならばその逆。
この時点で、不細工で大きなパーツを擁した顔である私は、この苦しみから解放されることはないと悟った。
正直、整形手術でそこまで変化はないことは、同僚を見て知っていた。
でも、どうせ死ぬなら。
そうして、私は5度の整形手術を受けた。
想像以上に辛く、ストレスで髪の毛も抜け、体重も6kgほど痩せた。
鏡に映った、お金と時間を失った髪の長いおじさんを見て、「やっぱりね」とつぶやいた。
予防線を張ることができていたという、ちっぽけな自己肯定で、ショックを和らげてみた。
完成品を受け入れた後、これ以上の対抗策が無い絶望と、選ばれなかったという事実に、私は腹をくくるしかないと考えた。
自分にまとわりついたオカマという呪いを解くための唯一の手段。
育ててくれた両親や、支えてくれた友人や兄弟には感謝と申し訳なさでいっぱいだ。が、
私はこれ以上同じ苦しみに縛られ続けるのに疲れてしまったのだ。
お酒飲んだりすごい好きな曲聴いたり(安藤裕子ののうぜんかつらとか)
彼氏いるけど、彼氏の友達のこともわたしの自分の女友達のことも
直接血が繋がってないけど一瞬でもすごく楽しい時を過ごした
いろんな人の事を思い出して、
その人たちみんなのことがもう懐かしくて、
そういう人みんなのことを同じ分量で、
目一杯ただひたすら愛でていたい
それが不可能だというのがすごく寂しくて、
もどかしくて仕方なく、
なんだかもう泣けてきてしまう。
とか考えてしまう。
ほんとはできないけど、せめてみんなのことを
そんでその人のことをとにかく褒めて褒めて褒めてあげたい
みんなほんとに愛してるし素晴らしいし素敵だよって
そういう人だと思われるかもしれないけど、
これといった華やかな思い出も
むしろ地味な思い出も無い平凡で起伏のない
目立たない同窓会のお知らせ来ないみたいな
そういう性格だしそういうふうに生きてきました。
みんなのこと愛してるのに
そういう友達のことも大好きなのに
あと好きすぎる人とは男女問わずうまく話ができない
どこのどんな汁がどこについてもかまわないし
すべてを舐め倒したいと思ってるけど
みんなのことそういう気持ちで愛してる
ここ数年、アイドルグループが乱立したり、アイドル物のアニメが流行ったりと、とにかくアイドルにまつわる物が売れている。しかし、マネージャーにスポットライトが当てられる事はほぼない。
アニメで描かれているマネージャーの仕事も現実からかけ離れている。というわけで、芸能事務所でマネージャーを4年やっていた俺がマネージャーの仕事について書いてみようと思う。
4. 事務業務
多分、1~4は、マネージャーと聞いて、普通の人が想像する仕事だろうし、ネットで調べれば腐るほど情報が出てくる。ここで話したいのは、5.ストーカーからタレントを守る。これは今まで殆ど
語られてこなかった事だから、今回書いてみようと思う。当然ながらタレントにはファンが沢山いる。純粋に応援してくれるファンも多いけど、中には迷惑行為をするストーカーもいる。そんな
ストーカーからタレントを守るのもマネージャーの大切な役割だ。では、ストーカーはどんな方法でタレントにアプローチするのか?
一番多いのが、ファンレターに色々仕込む奴。タレントの写真と自分の写真を合成して送ってくる奴はまだ可愛いもので、中には使用済みのコンドー○を送ってくる奴や、爪や髪の毛を送ってくる奴
もいた。とにかく彼(彼女)らの行動は意味不明なのだ。次に多いのが、コンサートやイベント終了後の出待ち。どの事務所でもそうだと思うが、危険行為を及んだ奴は出禁か、ブラックリストに入れて
スタッフが監視の目を光らせているが、ストーカーはそんなのおかまいなし。あらゆる手段を使って潜り込んで「接触」しようとする。だから、大抵の場合は裏口から出たり、ダミーの車を何台か用意
して、どの車にタレントが乗っているかわからないようにする。(やりすぎだと思うだろうが、車を尾行するなんて当たり前のようにやってくる)
それでも中にはタレントの住所を突き止めるストーカーもいる。そうなった場合が一番危険。彼らはゴミ収集所からタレントのゴミを見つけ出したり、タレントの車に合成写真を貼ったりする。
中にはタレントが住んでいるマンションの近くに土地を買った猛者までいた。
そういう連中からタレントを守る事もマネージャーの大切な仕事のうちの一つなんだが、とにかく気を遣う。何千通とくるファンレターを全部読み、不審なファンレターを逐一チェックする。コンサー
トやイベント終了後は尾行されてないかバックミラーを常にチェックする。不審者がいるとタレントが言えばマンションに真夜中でも飛んで行く。
小学校まで地元で、中高は電車で30分ほどにある都心の学校に通っていた。
周囲と話をしたことがないから多いのか少ないのかは分かりません。
(1)幼稚園か小学校低学年くらいのとき、レストランゲームと言われて食べ物役になり服を一枚ずつ脱がされるゲームを姉(5つ上)に強要された。
(2)小学校中~高学年の時、学校外のスキー教室(一泊二日)で寝ている間にインストラクターに局部をいじられていた。
トイレが我慢できなくなり目が覚めて気付いた。部屋に戻ったらもういなくなってました。
(3)高校に入りたての頃、朝の通学電車でいつも局部を押し付けてくるおっさんに半年以上付きまとわれた。
車両を替えても時間を替えてもついてきたので、どこかで見張られているようでした。
(4)高校の頃、超満員の終電でお色気ムンムンのお姉さんに巨乳と扉の板挟みにされた。
実際に遭ってみると分かるけど、嬉しいというより恐怖と罪悪感(羞恥心?)が半端ないです。
それ以降巨乳恐怖症でなまめかしいというか生々しい女性が苦手です。
あとはよっぱらったおかまちゃんに抱きつかれたり男性の局部を手に押し付けられたりって些細な事は電車に載ってると結構遭遇したけどあんまり覚えてません。
(2)までは自分が性的対象として扱われていることに気付いたのがずっと後でした。
とくに姉の件はどちらかというと最近急に思い出したことで、前後の言動やら行動を考えると異性に対する興味の現れだったんだろうなぁと納得できました。
ちなみに見た目がかわいらしいとか女性的っていうのは一切無いです。
今振り返ってみると、思春期の頃は異様なほど男性の同性愛を毛嫌いしてたかも。
そういう話になると過剰反応して逆に怪しまれたりしてさらにキレるなんてことがざらだった。
ただ、一時期の嫌悪感を払拭するために色々と調べたりしたこともあってか、うちに秘めた異様なほどの変態性は自覚してます。
増田の趣旨が変わってしまうのでここには書きませんけど、これは多分、一生飼いならさなきゃいけないと思っているので一番のカルマといえばカルマです。
トラウマと言えなくはないけど、ひと通りの事案はどれもドキドキ感を伴うので、思い出すときに少しでも高揚してしまう自分に対する嫌悪感はあった。
自分が望んでるのではないかという葛藤のようなものだけど、いまではそれは全て吊り橋効果的なものだと割り切るようになって罪悪感のようなものは感じなくなった。
もしそういう高揚感で痴漢被害を自分が望んでるかもしれないと葛藤してしまう人がいたら、それは単なる生理的反応だと思えばいいと思います。
ちなみに当然だけど痴漢したことはないです。
当然お礼を言われることもないですけどむしろそのほうがいいと思ってます。
最近じゃあ猫も杓子もバイラルメディア、バイラルメディアとうるさい。
お手軽にネット上のコンテンツをかき集めて写真を転載、文章をコピペして、
煽情的な見出しをつければ一丁上がり。引用元がひとつのサイトのみってこともある。
自分が書いた文章をまるまるパクられたこともあって良い印象はないが、
ユーザー目線から見たらクリックしたページがおもしろければ何でもいいんだろう。
だからそんなパクリコンテンツがどんどこツイッターやフェイスブックでシェアされる。
だけど気になっているのは著作権違反だとかデマ拡散装置だからタチが悪いとか、そんなことじゃない。
まとめサイトやバイラルメディアを見るのが、スマホをユーザーなら当たり前になった状況にそのものだ。
今までネットに接してこなかったふつうの人々も、「ネット的」なコンテンツに触れるようになった。
山手線に乗っている派手な若い女性が「○○した結果wwww」なんて記事を読んでいるのを何度も目にしたことがある。
経済学者のタイラーコーエンが「フレーミング」の中で、文化(コンテンツ)を「小さなピース」と「大きなピース」分けて、
「アクセス・コストが低ければ、大小さまざまなピースが選択可能になるが、どちらかといえば小さいピースのほうが好まれる」
と書いているが、まさにこれが当てはまると思う。
スマホで消費しやすい「小さなピース」を供給する役割を果たすのがこれらのメディアだ。
古くからネットコンテンツを単に消費していた自分としては困惑している。
環境の変化によってやってること(ネットサーフィン)は変わっていないのに、おもしろくなくなってきたのだ。
ネットが一部の「情強(笑)」にとっての「おれたちだけがわかる」遊び場ではなくなり、物事を斜めに見るだけで優越感に浸れるものではなくなった。
「おれたち」とそれ以外を分ける境界がスマホ普及・まとめサイト台頭で融解したと言っていい。
そうみると反アフィリエイトを掲げる「嫌儲」スレは、金儲けを単に毛嫌いしているだけでなく、
ネット原住民である「おれたち」の最後の牙城のような役割を果たしているのかもしれない。
過剰な女性叩きやツイッター叩きはひどいものだが、古くからの「おれたち」以外を排除する志向なんだと思う。
でもどんなにあがこうと限界があるし、単なる痛いやつらの吹き溜まりにみたいになっている。
では、今後どうすればネットを楽しめるかというと、全然わからない。とりあえず消費する側から発信する側にまわらないといまのネットは楽しめないって実感はある。
でも発信するやつらの数もあまりに多い。母数が多いと確実に埋もれるから、まずは見てもらうことに力を割かなくてはならない。
匿名ダイヤリーだって自分のブログじゃあ全然アクセスを稼げないから、書いてる人は多いはずだ。
簡単に情報が手に入るし、簡単に情報が発信できるし、簡単にSNSで繋がれるはずなのに、
フラットになったようで競争も激しくなっていて、いい年になってネットの使い方がほんとうにわからなくなってきた。
おそらく10代ぐらいの若い子のほうが複アカを使いこなしながら、しなやかにサバイブしているはずで、
見習ったほうがいいのかなーなんてぼんやりと考えている。
だ、誰が喜ぶんですか?おかまですか?
その事を周りに報告すると彼女とのことをこれでもかと言うほど聞いてくる。
私はそういうこと聞かれるのは嫌いですと言ってもおかまいなし。そんなに他人の色恋話が聞きたいのか。
私は自分の恋愛関係の話は出来ることなら聞いて欲しくないし、それ故に今まで他の人にも聞いた事は無い。
今はそういった2人の関係を何でも話すのが当たり前なんだろうか?本人の気持ちよりも話すことが優先されるの?
誰にだってそっと心に置いておきたい思い出や記憶ってあると思う。私にとってそれが彼女との思い出だっただけの話。
自分の心に土足で踏み入られているようでとても気分が悪い。静かに、穏やかに居させて欲しい。
こう思っている私の考え方がおかしいのだろうか。
そう思っているなら結婚の報告なんてするな!とでも思われているのだろうか。
どう考えどう行動するのが正しいのか私にはわからない。
そこに新しい上司が赴任してきたのだが、その上司が異常に細かい人だった。
例えば何か仕事をして上司に提出すると、「こことこことここを明日までに直しなさい」と言われる。
そして上司は定時に帰宅し、私はそれを深夜まで残業して直した。
そして翌日もう一度提出すると、今度はまた新しいところを直すようにいわれる。
時には一度直したところをもう一度直すように言われたこともあった。
そんなことで、毎日深夜まで残業し、月に一度は徹夜で残業して仕事をしたにもかかわらず、
仕事は一向に進まず、しびれを切らした取引先からは取引停止をちらつかされる。
上司が帰った後に、こっそり上司の机の引き出しから決裁の印鑑を出して押してやろうかと何度思ったことか。
しかもその上司のもとで以前働き、同時に異動してきた職員が、異動してわずか3か月で、うつ病を発症して休職することになった。
それでもその上司はおかまいなしに、自分のスタイルを変えようとしない。
そうやってさんざんブロックしたあげく、仕事が納期に間に合わず、信頼を失ったから、責任を取れと言われた。
責任をとると言われてすることは…あれです。
でも、犯罪を犯したとか出ない限り、クビにはできないので、表向きは一身上の都合による退職。
しかし、退職したところで、事務職の経験しかない33歳(当時)男性で、
しかも勤めていれば一生安泰と思われる職場を退職したような人間を雇おうという会社はなく、
結局たどりついたのは、時給3ケタのアルバイト。同じ事務職ではあったが、
就職してから1人暮らしをしていたので、フルタイムで働いても、この給料ではとても食べていけない。
背に腹は代えられないので、恥を忍んで親に現状を報告し、援助をしてもらうように頼んだ。
(これをカミングアウトする心の準備に2年かかった)
父もすでに定年を迎え、本来なら働かなくてもいいところ、私に送金をしないといけないからか、
通勤に片道2時間かかる職場に毎日通い、フルタイムで働いている。
私もそんな父の負担を少しでも軽くしたいと思っているが、具体的に何をすればいいのか分からない。
今更何か復讐できることもないけど、
他人は自分と価値観が違うということに、いい歳して気づいていない奴って多いんだが、相手をするのがめんどくさい。
人のやることに対して「何でそんなことするのか分からん。」などと何度も聞いてくる奴がいる。
私は答えるが、そのたびに「分からん。」と言われる。
分からんのはそいつが私の価値観はおかまいなしで、自分の価値観のみで私を分析しているからである。
つまりは私のことを本気で理解する気がない。もっというと、自分の価値観を押し付けようとしている。
そして、どうでもいいがしつこい!!分かるまで延々と聞いてくる。分かりもしないくせに。
「お前はこういう考えでやっているわけだな。」
「いや、そんな考え持ってないんだけど、それはあんたの考えでしょ?」
と言いたいんだが、そういう人(他人の価値観が分からん人)に自分の考えを述べても意味がない。
たまに言うこともあるが、大抵の場合「それは違うな。」と他人のことなのにまるで自分のことのように勝手に決めつけられる。
つまり否定される。(こういう人の一種でもある→http://anond.hatelabo.jp/20140627044857)
ちょっと信じられないんだが、ただただ自分の勝手な価値観で勝手に理解して勝手に決めつけてくる人っていうのはリアルに存在する。
そういう人たちは自分が天才かなにかだとでも思っているんだろう。
人の話なんか聞かないし、自分を否定されたら間違っているはずがないと怒りだす。
大体自分を分かろうとしない人間(自分に興味を持たない人間)に対して、こちらもあまり興味が湧かない。
だから、そいつらが変なこと言ってて、周囲にバカだと思われようが知ったことじゃない。
でも、どちらかと言われるとそういう奴らは周囲から頭のいい人だと思われている傾向があるように見える。
自分のことを何も分かってない、何も考えていない連中なんかは、自分の考え方などを相手に勝手に決めつけられても、怒るどころか、
「自分はこう考えていたのか。この人何でも分かる。すげーなー。」
となり、目からウロコが落ちるようだ。本当は価値観を押し付けられているだけなんだが…