テレビに出ずっぱりだった遺族。その子供がどの程度の障害を持っていたかはわからない。
うちの兄弟は気に入らないことがあったりしてパニック状態になると
100kg超の身体で暴れまわり、殴りかかってくる。
痛みは感じてるようには見えても殴ろうが関節を固めようが、骨が折れても構わないというか、理解していないというか。
おかまいなしでとにかく激しく抵抗する。ツバも吐きかけてくる。
文字通り縛り上げて、落ち着くのを待つしかない。30分か1時間か。
殺される前に殺す。その決断をしないとならない状況の一歩手前に至ることが何度もあった。
そういう子を抱えてもあれだけのことが言えるだろうか。
さほど広々とはしておらず、暴れようものなら壊れそうなものがいくつもある家で、
そういう人間がいたとは思えない。
殺されて、ショックは感じつつも解放されたと感じた家族は絶対に居ないとは言えないはず。
比較的軽度(あくまで想像だが)の障害児を持つ親が被害者の代表ヅラして
テレビカメラに語る言葉には、さらに重度の障害児を持つ家族の心情を無視したものが多いと感じた。
なぜ個人の、自分の家庭に限った話でまとめなかったのか。同じ気持ちではない障害者家族はなんなのか?
遺族がどうかはわからない。ただ、全国の”遺族になり得た家族”が全員同じ気持ちではない。これだけ言いたかった。
*ただあの時は確かにそう表明すべき時であったのかなと思わなくもない。
おまえには植松っていう理解者がいてくれたじゃないか