2014-10-05

そろそろバイラルメディアについて一言いっておくか

最近じゃあ猫も杓子もバイラルメディアバイラルメディアとうるさい。

お手軽にネット上のコンテンツをかき集めて写真転載文章コピペして、

煽情的見出しをつければ一丁上がり。引用元ひとつサイトのみってこともある。

でもPVが稼げるんだろう。バイラルメディアが乱立している、

自分が書いた文章をまるまるパクられたこともあって良い印象はないが、

ユーザー目線から見たらクリックしたページがおもしろければ何でもいいんだろう。

からそんなパクリコンテンツがどんどこツイッターフェイスブックシェアされる。

ときにはデマが混ざっていようとおかまいなしだ。

だけど気になっているのは著作権違反だとかデマ拡散装置からタチが悪いとか、そんなことじゃない。

まとめサイトバイラルメディアを見るのが、スマホユーザーなら当たり前になった状況にそのものだ。

今までネットに接してこなかったふつうの人々も、「ネット的」なコンテンツに触れるようになった。

山手線に乗っている派手な若い女性が「○○した結果wwww」なんて記事を読んでいるのを何度も目にしたことがある。

経済学者タイラーコーエンが「フレーミング」の中で、文化コンテンツ)を「小さなピース」と「大きなピース」分けて、

アクセスコストが低ければ、大小さまざまなピースが選択可能になるが、どちらかといえば小さいピースのほうが好まれる」

と書いているが、まさにこれが当てはまると思う。

スマホで消費しやすい「小さなピース」を供給する役割を果たすのがこれらのメディアだ。

古くからネットコンテンツを単に消費していた自分としては困惑している。

環境の変化によってやってること(ネットサーフィン)は変わっていないのに、おもしろくなくなってきたのだ。

ネットが一部の「情強(笑)」にとっての「おれたちだけがわかる」遊び場ではなくなり、物事を斜めに見るだけで優越感に浸れるものではなくなった。

「おれたち」とそれ以外を分ける境界スマホ普及・まとめサイト台頭で融解したと言っていい。

そうみると反アフィリエイトを掲げる「嫌儲スレは、金儲けを単に毛嫌いしているだけでなく、

ネット原住民である「おれたち」の最後の牙城のような役割果たしているのかもしれない。

過剰な女性叩きやツイッター叩きはひどいものだが、古くからの「おれたち」以外を排除する志向なんだと思う。

でもどんなにあがこうと限界があるし、単なる痛いやつらの吹き溜まりにみたいになっている。

では、今後どうすればネットを楽しめるかというと、全然からない。とりあえず消費する側から発信する側にまわらないといまのネットは楽しめないって実感はある。

でも発信するやつらの数もあまりに多い。母数が多いと確実に埋もれるから、まずは見てもらうことに力を割かなくてはならない。

匿名ダイヤリーだって自分ブログじゃあ全然アクセスを稼げないから、書いてる人は多いはずだ。

簡単に情報が手に入るし、簡単に情報が発信できるし、簡単にSNSで繋がれるはずなのに、

フラットになったようで競争も激しくなっていて、いい年になってネットの使い方がほんとうにわからなくなってきた。

おそらく10代ぐらいの若い子のほうが複アカを使いこなしながら、しなやかにサバイブしているはずで、

見習ったほうがいいのかなーなんてぼんやりと考えている。

  • SNSを使わず、他者との繋がりを無視し、ひたすらググり続けるというのはどうか。自らの能動性を再発見できて楽しい。原点回帰だ。

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